ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

リサイクル店

2018-03-28 15:33:15 | 日記
「今、そちらの地区を回っているリサイクルの〇〇という店ですが、何か不要になった品はないですか?捨てようと思っている物でもいいんです。何かひとつでも出してもらえるとありがたいんですけど」

また、いつもの電話だ。

その時によって会社名は変わるが(というか、いちいち憶えていないのだが)「買い取るので不要になったものはないですか?」という電話がよくかかってくる。

その度ごとに「先月出したばかりで、ぜんぜん無いです」とお断りしているのだが、相手もしつこくて、その程度の断り方では引き下がらない。

「履き古した靴とかないですか?あと昭和時代の家電とか。着なくなった洋服も、その辺のリサイクル店に持って行くより、高く買い取らせてもらいますよ」と言ってくる。

「洋服など不用品を買い取ります」という電話が家にかかってくるというのが、何年か前にニュースになっていたことがある。

その本当の目的は洋服ではなくて、貴金属を市場価格よりもずっと安く買い取るという事件で、当時は高齢者が多く被害に遭ったと記憶している。

それらの電話のすべてが、そうではないかもしれないが、基本的に私は突然電話をかけてくる見ず知らずの業者を信用していない。

今回も「ない」の一点張りで電話を切ろうとしたら、私が不信感を持っているのが伝わったのか、相手の方が「うちは実際の店舗もやっていますので、よかったらホームページを見てください」と言った。

電話を切ってから、なんとなく気になって相手が言っていた店のホームページをのぞいてみることにした。

なるほど、言っていた通り、本当に店舗が市内に数店あるリサイクル店だった。

特に怪しさも感じないし(疑り深い!?)利用した人の口コミを見ると、良心的だったというコメントも多く、ごく普通のリサイクルショップといった感じがした。

なぜリサイクルショップを調べてみたのかと言うと、実はもうそろそろ実家の片づけの最終局面に来ていて、近いうちに家を空っぽにしなければいけない時期がきていた。

そこでどこかのリサイクル店を頼んで、実家に残っている物の中で引き取ってもらえる物を査定してもらおうと思っていた。

しかし市内にはリサイクル業者がたくさんある。

一体、どこのリサイクル店にしたらよいのか見当がつかず悩んでいた。

電話をくれたリサイクル店以外にも、他の店もいろいろいろいろとホームぺージなどで調べてみたのだが、やはり電話をしてきた店が一番よいという印象があった。

とりあえず実家を頼む前に、我が家の不用品の買い取りを頼んでみようかと思った。
本当にちゃんとした店なのか確かめておきたかった。(かなり疑り深い・・)

リサイクル店に電話をしたところ、たしかに電話で営業をしてきた店だということがわかり、「本当に少ししかないんですが、それでもいいんですね」と念を押してから、指定した日に不用品を家に取りに来てもらうことにした。

この時、けっして家の中にあがってもらわないことが重要だと思う。

家の中に入れると、見ず知らずの人なので物騒だということもあるが、帰って欲しいのになかなか帰ってもらえない恐れがある。

だから、私は必ず「玄関でいいですね?」と確認してから来てもらうことにする。(相当、疑り深い・・)

リサイクルショップに来てもらうことは決まった!さ~て、何を出そうか。

しばらく着ていなかった洋服を探して箪笥の中を物色したところ、これならリサイクル店に引き取ってもらえそうかなという服が見つかった。

古くなったものは捨てているので、出せる洋服の数は少ないのだが、子どもたちが着なくなった服や1~2度しか履いていない靴、若者に人気があったブランドのカバンなど、もう使わないモノたちを探したら小ぶりの紙袋二つ分あった。

さてリサイクル業者さんがくる日、やってきたのはヒッピー的な雰囲気の洋服を着た、非常にラフなスタイルの男性だったが、見た目とは違ってとても礼儀正しい方だった。

一点ずつ丁寧に見てから「洋服はブランドモノじゃない限り、他店でも同じだと思いますが、非常に安いのです。この値段で良いと思えたら売ってください。でも、これじゃ嫌だと思ったら、売って下さらなくてけっこうですから」とおっしゃった。

他にも使わなくなったイミテーションのアクセサリーも出して、それらを合わせて2000円で買い取りますという事だった。

2000円が安すぎると思うのか、これで良いと思うのか・・・

私としては「え~2000円も頂けるのですか?」という感じだった。

だって、どれも高価なものではないし、もう使わないモノばかりなのに、2000円も値をつけてくれるとは~。

以前、もっと大量の品をわりと有名なリサイクル店に持って行ったことがあるのだが、その時は1000円以下だったと記憶している。
持って行く手間が面倒な割に、買取価格が少なくて、がっかりしたことがある。

それに比べて、この値段の高さはなぜ?

それを聞いてみた所、そのお店は実際の店舗でも販売しているが、インターネットでの販売もしているそうだ。

このインターネット販売というのはかなり売れるらしく、商品を常に仕入れ続けないと、すぐに売る商品が無くなってしまうのだとか。

だから、一般のリサイクル店では引き取らないような昭和の時代の家電や食品以外の趣味の手作り品などまで買い取りしているそうだ。(それらはネットでは売れるらしい)

たしか実家にも昭和の香りがするモノたちがあった。

2000円に気をよくして(笑)、実家の方の見積もりをお願いすることにしたのだが、「他のリサイクル店と比べてみたいので」と言って、見積もりだけをお願いしたにもかかわらず、嫌な顔もせずに「かまいませんので、他店と比べてよかった方を選んでください」と言ってくださった。

この言葉で口には出さなかったが、心の中で「この店に決めた」と思った。

実家の片づけの最終章はもうすぐ。

父の介護から始まって4年近くが経った。

いろいろと大変なこともあったが、実家の片づけを終えたらひとつの区切りがついたと思えるような気がしている。

そして、いつか、父や母、きょうだい達と暮らした実家が懐かしいと思う日が来るのだろうと思う。






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大祓祝詞

2018-03-20 16:16:09 | 日記
毎朝行っている神祀りだが、今年になってからどうしても大祓祝詞を唱えたくなり、先月初旬から、毎日神棚の前で奏上している。

なぜ大祓祝詞を奏上したい気持ちが強くなったのかと言うと、もっともっと神様に喜んで頂きたいと思うようになったからだろうか。

さらに言えば、神様にはたくさん幸せになって頂きたいと思うようになったから。

長い間、人々の心の奥底に押し込められていた神様には、大変申し訳ないことをしてしまっていたと深く反省している。
私自身についても、今まで自身の中に神様がいらっしゃることを信じることもせず、自分に都合の良いことだけを、神様に祈願するという数々の無礼を犯してきた。

神の存在を心の底から信じることができた今、まだまだ人々の心の奥底に押し込められていらっしゃる神様には、これからますます現れて来られて、幸せになって頂きたいと心から願っている。

だから、時々読み間違いをして言い直しをしながらも、心を込めて大祓祝詞を奏上させて頂く。

ところで、大祓祝詞を奏上し始めてから1か月近くが過ぎた頃だろうか。

神棚に祀ってある榊のお水を替えようと、榊を取り出してから榊立の中を何気なくのぞきこんだ時の事だった。「あらっ、榊立の中がきれいになっている?」と思った。

榊立はご存知のように白い陶器で出来ているのだが、長く使っていると中が真っ黒になって汚れてくる。

時々、漂白剤を入れて掃除をするのだが、私の榊立はしばらく掃除をさぼっていたため「もうそろそろやらないとまずい」と思うほど、真っ黒に汚れが付いていた・・・はずだった。

ところが、その汚れが昨日見た時よりも薄くなっているような気がした。

掃除は私以外にだれもしないので、家人が綺麗にしてくれたという事は絶対にない。

最初は気のせいだと思った。
「初めからこの程度の汚れだった」と思い込もうとしたのだが、それから毎朝、気になって榊立の中を見るようにした。

すると、やっぱり少しずつ汚れが落ちているのが分かった。

あの真っ黒だった器の中が、徐々に白くなっている!

驚きだった。

何年も神棚をおまつりして、毎日榊のお水を替えているが、一旦黒く汚れがついた榊立の中が掃除もしないのに綺麗になって行くというのは初めてのことだ。

なぜ榊立の中が、掃除もしていないのに自然に綺麗になっていくのか?

榊立の中が綺麗になっていると気が付いたのは、大祓祝詞を読み始めてからだ。

ということは、汚れが落ちたことは大祓祝詞と関係があるはずだ。

大祓というくらいだから、榊立の汚れが祓われたのだろうか。

ところで、何年も前に実験をしたことがある。
(これは昔ブログに写真入りで載せたのですが、残念ながら当時のブログ記事をすべて削除したため残っていませんが本当のことです)

その実験ですが・・・まず、できるだけ同じ条件で用意した二つの瓶に、同じく炊いたご飯をそれぞれ入れて、一つの瓶には「ありがとう」という紙を貼り、もう一つには「ばかやろう」と書いた紙を貼る。

そして、紙に書かれたそれぞれの言葉を毎日ご飯に向かってかけ続けた。

すると驚くべき結果になった。

ありがとうと言葉をかけたご飯は白いままでお粥のようにドロドロになって発酵したが、ばかやろうと言葉をかけたご飯は黒カビが生えて腐ってしまった。

それは、ご飯に含まれる水分が言霊の力によって変化したものだと、「水からの伝言」の著者江本勝氏が書かれている。

「ありがとう」「ばかやろう」というそれぞれの言葉によって、はっきりとその違いが現れたので、やはり言霊というのはあるのだなぁと確信した記憶がある。

つまり良い言葉には水を美しく変化させる言霊があるということなので、榊立の中の水が大祓祝詞の言霊によって変化し、容器の中の黒い汚れまでも落としたということなのだろうか。

なんてね。あれこれ考えるのが私の悪いクセでもあると思っている。

事実は榊立が綺麗になってきたということ。

そして、神様はいるということだけ。

信じる、信じないは、あなた次第・・・





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火の消し忘れに注意

2018-03-15 13:56:33 | 介護
最近ますます物忘れがひどくなってきたお姑さん。

すこし前にガスの火を消し忘れて鍋を焦がし、部屋の中が煙で白く煙っているのに気が付かずテレビを見続けていたことがあった。

本当ならもうガスコンロを撤去した方が良いのだが、料理好きでじっとしていられないお姑さんなので、認知症改善の期待も込めて料理をさせている。

以来、お姑さんが料理をしている時は長い外出を控えるようにしていたのだが、どうしてもお姑さんを家に残して出かけなければならなくなってしまった。

夫から「自分たちが帰って来るまで、けっしてガスは使わないように」と念をおしてもらって出かけたのだが、「するな!してはいけない!」と言われると、なぜかやってしまうのがお姑さんで、以前も何度か「やってはいけない」という事をやって、息子である夫に叱られていた。

ゴミを窓から外に捨てるとか、そういう事なら、あとで片付ければいいので問題はないのだが、火については重大なことになりかねないので、ここは念には念を入れて、お姑さんの脳に定着させなければいけない。

何度もお願いして、「わかった。料理はしない。火は使わないから」とお姑さんが言うので、後ろ髪を引かれる思いで外出したのだが、やっぱり気になる。

「途中でおばあちゃんに電話してみたら?帰るまで火は使わないでねって、忘れているかもしれないから、しつこいけどもう一度言ったら?」と夫に言うと、「そうだな」と言って、外出の途中で夫がお姑さんに電話をかけた。

「もしもし。オレオレ、俺だけど~・・・あれ?切られた」

夫は首をかしげながら、もう一度電話をした。

「俺だよ。オレオレ!・・・あれ、また切った」

どうやらお姑さん、夫を「オレオレ詐欺」だと勘違いしたようだ。

そのあと私が電話をかけてみたが、お姑さんはもう電話に出なくなった。

今、巷では「オレオレ詐欺には気を付けましょう」ということが盛んに言われている。

色々な所で刷り込まれたようで、さすがのお姑さんも「オレオレ詐欺には気をつけましょう」というのが、記憶の中にしっかりと刻み込まれたようだ。

「一人の時は絶対に料理を作らないようにしましょう。ガスの消し忘れには気を付けましょう」

お姑さんの耳元で、これを何度もささやいたら、いつか分かってくれるだろうか。

と、そんな悠長なことは言ってられないので、ガスコンロを新しいものに替えることにした。

今まで使っていたものは自動消火機能が付いていなかったが、新しいコンロは2時間たつと自動的に火が消えるようになっている。

2時間の間に火が出そうだが、それでも消えないよりはいい。

あとは火災報知器も点検しなおした。

すると新しいガスコンロに替えたら、さっそく自動消火機能が発動した。

お姑さん、お鍋をガスコンロから降ろして、火を消すのを忘れていたようだ。

自動消火されているのを見て「ほぉ、ちゃんと消えるんだ。これで新しいものに替えた甲斐があったというもの!」と思ったが、今までもこういうことがあったんだろうな~と思うとかなり怖い。

しばらく、お姑さんのガスコンロから目が離せない日々が続く・・・



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歯をなくす

2018-03-12 17:06:32 | 日記
夜、歯を磨いていたら口の中に異物感がした。

吐き出してみると、なんと歯だった。
といっても、仮につけている義歯で、歯磨きをしていて取れてしまったようだ。

仮歯を付けているのは、現在、根の治療をしている歯で、この歯が炎症を起こしていることは、もう何年も前から分かっていたのだが、これまで行った歯医者さんでは「今、これを触ってしまうと、もしかしたら抜歯しなければならないことになるかもしれません。痛くないのなら、このままにしておいた方がいいです」と言われていた。

レントゲンで見ると、かなり広範囲で炎症を起こしていることが見て取れたのだが、痛くもかゆくもないので、歯医者さんの言う通りに治療をしていなかった。

ところが、今回行き始めた歯医者さんでは、この歯を治療してくれるとおっしゃった。

「このままにしておくと、いずれ抜かなければいけなくなりますから、今のうちに治しましょう」とのことだった。
今まで行った歯医者さんでは、これはもう完治不可能みたいな感じだったので、「えっ治るんですか?」と正直驚きだった。
治せるものなら治したい!

というわけで、長年放っておいた歯の治療が始まった。

まずは、薬を使って炎症を少しでも小さくする治療。(←現在、ここ)

炎症がすこし小さくなったら、今度は抜歯して、炎症部分をすっぽり切り取る手術をする。
そして、患部を切り取った後に、再び抜いた歯を元に戻すとのことだった。

「えっ!抜いた歯って、元に戻るんですか?」と驚いて聞いたら、「戻せます。今は機械も薬も進歩しているので、身体に負担をかけることなくできるんです」と歯医者さんはおっしゃった。

歯茎の外側から薬を入れる方法もあるそうだが、それだと出血が多くなり、炎症部分がきれいに治りきれず再発する可能性もあるそうだ。
しかし抜歯して中を切りとる方法だと、ほとんど再発することはないそうだ。

そのようなことで、治療中は仮歯をしていることになったのだが、今回はこれが取れてしまった。

明日になったら歯医者さんに行ってつけてもらおうと思い、取れた歯をティッシュペーパーに包み、カバンの中に入れた(ような気がした)

「ティッシュに包むと、ゴミと間違えて捨ててしまうんだよね。捨ててしまわないように、カバンに入れようっと・・・」と思ったことは憶えている。

言い訳じゃないが、いや、言い訳ですが、昨夜は肉体的にも精神的にも疲れていた。

このところ、ずっと忙しいのが続いていたのと、昨夜は歯を磨いた後にも家事が残っていて、心は今ここに集中せず、次にやることに飛んでいた。

そして翌日。
その日はゴミ収集の日で、家中のゴミを集めていた。

仮歯はカバンの中に入れたと思い込んでいるので、洗面台付近のゴミもきれいさっぱり捨てた。

「今日もいろいろとやることがある。忙しい、忙しい」と思いながらゴミをまとめて、ゴミ収集場へ持って行った。

さて、そろそろ歯医者さんへ行く時間だと思い、あらためてカバンの中を確認したら、入れたはずの歯がない。ないないない!!歯がない~!!

カバンをひっくり返して、中身を全部出して見てもない。

どこかに落ちているのではないかと、付近を探し回ってみたがやはりない。

そんな時、脳裏にひとつのシーンが浮かんだ。
朝、ゴミを集めている時に、丸めたテッシュペーパーをつまんでゴミ袋に捨てる自分の手だ。

忙しい、忙しいと思いながら、テッシュをつかんでいる私の手が見えた。

あれだ!あれが歯だったんだわ~。

大急ぎでゴミ集積場へ走って行ったが、すでにゴミは持って行かれたあとだった。

あ~ショック。。。

ガックリと肩を落として、歯医者さんへ電話をした。
「仮歯、失くしてしまいました」

「忙しいという字は心を亡くすと書く」とは、どこかで聞いたことがあるが、心ここにあらずで仕事をしていると、大切な歯も失くすという教訓ですね。

はぁ~やれやれ・・・






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自分は自分

2018-03-06 14:31:06 | 日記
次女が春休みで帰省している。

これで家族6人が揃ったわけだが、主婦の仕事は家族の人数に比例して増える(ような気がする)。

その証拠に次女が帰省してから、ずっとバタバタと忙しい。

まず一番大変なのは食事作りで、長い自炊生活で栄養が偏っているのではないかと思われる次女のために、栄養のバランスが取れた食卓を心がけて料理を作る。

また朝早く仕事へ行く長男にも、朝ごはんをしっかり食べさせようと、5時には起きて台所に立たなければ間に合わない。ついでにお弁当も作ると、朝は超いそがしくなる。

そんなわけで、食材が気持ちいいくらい冷蔵庫の中から消えていくので、長男次女がいない時には一週間に一度だった買い物が、今は2回~3回行かなければいけない。

ほかにも掃除や洗濯、家族の用事と、毎日があっという間に過ぎていく。

ところで先日、久しぶりにママ友たちからランチに誘われて行ってきた。

聞けば、皆さんすでに子どもたちが独立して、夫婦二人だけの生活になっていると言う。

「夫婦二人だし、食事の量も少なくて済むから楽よ~。たまに家に遊びに来るお姑さんが、食事を作ってくれることもあるし、そんな時は私は作らずに食べる専門なの。お姑さんは調理員だったから料理が上手なの」

なに!?お姑さんがご飯を作ってくれるって?うらやましい、、、うらやましすぎるぞ、、、

さらに別のママ友は「うちは夫婦で一日2食生活を始めたの。食べるのは朝と昼だけで、夕食は飲み物だけか、軽くクラッカーかクッキーをつまむ程度。慣れると、2食の方が身体の調子がいいのよ」と言った。

へェ~、一日2食か・・・最近、私も食が細くなってきたから、それならできるかも。飲み物だけなら用意も片づけも楽だし。いいな~いいな~
でもうちは無理だわ。夫を含めて、食べ盛りがたくさんいるから、夕食が飲み物だけなんて言ったら、反乱が起きそうだわ。

一日2食のママ友は、空いた時間に愛犬を連れてウォーキングをしているそうだ。
そのせいか、体調はすこぶる良くなったそうだ。

さらにさらに、別のママ友はご主人が出張でいない日は、お昼からお風呂に入り、好きな音楽をかけて、アロマを焚いてリラックスしているのだとか。
「ご飯も自分だけだから、手間のかからないものを作るの。作るのが面倒なら買ってきたりしてるわ。
自分の好きな事してのびのびしてるよ」

昼からお風呂にアロマ、、、買ってきたもの食べる、、、のびのびしてる?
うらやましい。うらやましすぎるぞぉーう!

それに比べて、私はまだまだ現役バリバリに主婦やっている。いいなぁ~みんなは。

ママ友たちの話を聞きながら、うらやましいな、いいなぁ、と思った私だが、やっぱり自分は自分。
バタバタと家事をしている生活で満足だ。
負け惜しみではなく、心からそう思う。

目の前に起こっていることは、私の深い部分でこうなりたいと思っていたからなったのだと思っている。

私はこのような生活がしたいと心の奥底で願っていた。

家族のために家事ができるとは、なんと幸せなことだろう。
家族が美味しいと言いながら私の料理を食べてくれることは、なんと幸せだろう。
(ちなみにこれは私の願ったことなので、他の方はまた別の願いがあると思いますが)

人は、すでに与えられているものに満足せず、自分の持っていない物を次々と見つけ出すことで不満を募らせているということは、私自身がこれまで十分経験してきたことなので、嫌になるほど理解できるのだが、こうして自分にないことを次々に聞くと、ついついうらやましいな~と思ってしまったりする。

・・・が、それは、そういう生活もあるのかという驚きに似た憧れみたいな感じで、やはり自分は自分なのだ。これでいい、満足だ。

「自分は自分」そう思うだけでも、生きることはずいぶん楽になる。








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