ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

家の話

2014-09-29 15:58:12 | 日記
「家がかわいそうだった。すっかり荒れ果てていたよ」

そう言いながら夫が帰宅した。

家とは私たちが以前住んでいた家のこと。

まだ子どもができる前に建ててから15年間住んでいたが、夫の両親と同居することになって、二世帯住宅に住み替えるために手放した。

その家が、また売りに出されていると聞いていたが、近所まで行ったついでに夫が見てきたらしい。

100坪を越える広さの土地だったが、土地の値段はとても安かった。

近くに店もなく、交通の便も悪いという不便な場所にあったので安かったのだと思う。

土地は安かったが、まだ若く経済力が無かった私たちは、そこに小さな家を建てるのが精一杯だった。

それでも当時あこがれていたアメリカンカントリー風の家にして、広い土地には芝生を敷き詰めた。

それから次々と子どもが産まれ、広い庭は子ども達の絶好の遊び場になった。

当時のビデオを見ると、その庭で笑い声をあげて遊ぶ子ども達の姿や、親戚や近所のママ友が集まって和気あいあいとバーベキューをしている様子が映し出されていて懐かしくなる。

その後、夫の両親との同居が決まり家を売ることになったとき、長男パインと次女のチェリーが「引っ越すのは嫌だ」と大声を上げてと泣いたほど、楽しかった思い出がたくさんつまった家だった。

それが今や無残に荒れ果てていたとか。

たしか買ってくれた方は若いご夫婦だったが、不便な場所だし、何と言っても冬の雪かきが大変だったから売ったのかもしれない。

公道まで出るためには、玄関前から続く長い通路を延々と除雪しなければならず、雪の多い日はかいても、かいても、道路に辿り着かないような気がしたものだった。

実際に荒れ果てた家を見てしまった夫は、もう自分の家ではないと分かっていてもすこしショックだったらしい。

「あれは夢の跡って感じだな」とか「自分が行って手入れをしてやりたいくらいだ」などとブツブツ言っていた。

ところでジョギングで、たまに周囲の家々を見ながら走っていると、思わずふらふらと入ってみたくなるような家がある。

小綺麗にしているのは必須条件だが、どことなく家全体からウエルカムの雰囲気を醸し出している。

またそれとは反対に夫の話ではないが、人が住んでいても「荒れ果てた」という印象を受ける家もある。

こういう荒れ果てた印象を受ける家は、しばらくすると風の噂で奥さんが家を出て行ったとか、時には何かあったのか警察が来て「立ち入り禁止」のテープが貼られたりして驚く。

これは建物が立派だとか、古いだとか、そんなことは全く関係が無い。

やはり中に住む人なのだろう。

以前読んだ本でとても印象に残っている言葉がある。

それは「戸が笑う」ということ。

「そこに住む人や働く人が、お互いに仲良く、和気あいあいとしていると、建物の入り口が、まるで笑っているかのように、光を放ち、人を呼び寄せる。戸が笑うとは、そのような福の現象を表している」

北川八郎さんの「繁栄の法則ー戸が笑う」より

手前味噌だが、前に住んでいた家を写したビデオには、庭で子ども達が笑顔で駆け回り、集まった親戚や近所のママ友たちが和気あいあいとおしゃべりをしている様子がある。

それは客観的に見ても、確かに「戸が笑っている」ように見える。

ところで、今はどうだろうかと思う。

以前のように、今も我が家の戸は笑っているだろうか。

子ども達は大きくなって、もう庭を駆け回って遊ばないし、引越しでママ友たちともすっかりご無沙汰になってしまった。

親戚は・・・たまに来てくれるかな(笑)

でも、これからもず~っと戸が笑ってくれるように、家族仲良く和気あいあいと暮らしていきたいと思う。

もちろん、掃除もせっせとしまっせ。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・・・受験生の母

2014-09-22 16:24:13 | 日記
現在、高3の次女ピーチだが、最近は毎週のように模試があり、私は土日もお弁当を作らなければならない。

まぁ受験勉強の大変さに比べたら、お弁当作りなんて大したことはないのだけど・・・

それを知り合いの方に言ったら、その方の息子さんは就職でたいへん苦労したそうで「就職試験の大変さに比べれば、大学受験は大したことはなかった」とおっしゃっていた。

うちはこどもの就職試験をまだ経験していないので分からないが、昨今のご時世そうとも言えるのかもしれない。

それにしても、ピーチはまだ受験の大変さが分かっていないようだ。

「センター試験なんて、今まで習ったところから出るんだから頑張れば点数は取れる。模試が悪かったのは、習ったところを忘れているだけ。もう一度復習すれば取れるもん」

そう言い放つピーチの言葉に、私は人差し指を立てて「チッ、チッ、チッ、それは甘いよ」と言ってやる。

「ピーチの言うとおりならば、みんな良い点数を取れてるはすだよ。しかもセンター試験まであと何日あると思ってるの?あと、三ヶ月だよ。三ヶ月で東京ドーム一個分(かどうか知らないけど)の範囲を全部覚えられるの!?」

そう言うと、ふくれた顔をして自分の部屋に入っていく。

はぁ~。。。

うちは長男パインが浪人して、大学受験ではとても苦労したので、あの大変さが身にしみている。

というか、トラウマになっているフシもある。

あの頃は、受けたところが次々と玉砕して、もう行くところがないーと追い詰められていたなぁ。

ところでピーチの希望は地元か近隣の国立大学だが、本人は自覚していないが、かなり厳しいと思う。

それがダメならば、関西の私大だそうだ。

なんで、関西なの?といきなりの飛躍に驚かされるが、高校の先生に勧められているらしい。

そして、そこもだめなら地元の私大にすると言う。

ピーチは女の子だし、地元の私大でいいよね~と思っているが、どうなりますやら。

ピーチの大学受験を考えると、どうなることかと心配と不安が入り交ざるが、きっと落ち着くところに落ち着くのだろうと思う。

不安や心配は、未来がどうなるのか分からないから起こるんだよねェ。

だから、私は幾通りかの考えられる未来をシュミレーションしてみる。

最悪の場合は、こうなって・・・とか考えると、その時になればなったで乗り越えていくのだろうと思えてくる。

とはいえ、大学へ行くのは私じゃなくてピーチなので、せいぜい私はお弁当を作ってやって応援するしかないか。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生の秋に

2014-09-18 15:29:22 | 介護
三週間ぶりに父に会いに行って来た。

交代で父の様子を見に行ってくれていた妹が体調を崩し、しばらく父の所に行けなかったので、代わりに私が行っていたのだが、やっと妹の体調が良くなった。

「ずっと行ってなかったから、今度は私が行くから」と妹が言ってくれたので、妹に任せていたら三週間あいてしまった。

しかし、あまり長く父の顔を見ていないと非常に父の様子が気になる。

「次は私が行くよ」

そう妹に告げて、いそいそと父の元へ行った。

最近の父は「まだらボケ」が頻繁に起こるようになった。

この間は、いつも父を乗せている私の車が突然わからなくなってしまい、「あれか」と言って、全然違う型の車を指差していた。

車の次は、私のことがわからなくなっていないかとちょっと不安だった。

「あんたダレ?」な~んて言われちゃったらどうしようか・・・

そう思いながら父の部屋を覗くと、いつもは昼間でもベッドに横になっていることが多かった父なのに、珍しく椅子に腰かけて起きていた。

部屋を覗いた時、こちらの方を向いた父と目が合った。

父は何も言わず、こちらを見ている。

思わず「お父さん、私が誰かわかる?」と聞くと、父はにやっと笑って「わかるさぁ」と言った。

あ~よかった。忘れられていなかった。

それから父の部屋の中や冷蔵庫の中を整理しながら、父と話をした。

いつもの父なら自分がもっとも輝いていた時代の話を何度も繰り返すのだが、今日は珍しくその話ではなくて「今の話」をしてくれた。

「次のデイサービスでは誕生会を開いてくれるそうだ」と父は嬉しそうに教えてくれた。

その時、やっと父の誕生日が9月だったことを思い出したが、時すでに遅しで、父の誕生日はもう過ぎていて「あ~失敗した」と後悔してしまった。

そのあと、父が自宅に居たころ飼っていた二羽の小鳥の話をした。

現在も小鳥たちは妹の家で元気にしているので、小鳥の様子を教えてあげようと思ったのだ。

ところが、父は飼っていた二羽のうち一羽の小鳥の事しか覚えていなかった。

昨年、高齢者住宅に移るまで飼っていて、小鳥たちは父によく懐き、父もとても可愛がっていたのに、見事に忘れてしまっていた。

「ほら、く~ちゃん(小鳥の名前)いたでしょ?賢いインコのく~ちゃん。覚えていない?」と言うと、「そんなのいたかな?忘れたな」と答える父。

ペットのこともそうだが、三十年近く前に亡くなった母の名前も思い出せないと言った。

「色んなことを忘れちゃったね・・・」

思わず口からそんな言葉が出てしまい、まずいことを言ってしまったと一瞬思ったが、父は穏やかな口調で「いや、いいんだ。みんな忘れていった方がいいんだ」と答えた。

その言葉から、父が自分の老いを受け入れているのだと思えた。

父は昔から家庭で怒鳴り声をあげるような人ではなかったが、代わりに仕事となると、子どもから見ても非常にエネルギッシュな人だと思っていた。

母を相手に父が仕事の話をするのを聞いていると、他人には歯に衣着せずにズバズバと言いたいことを言うような人だと思っていた。

しかし、今はどんどん穏やかになっていってると思う。

エネルギッシュで元気の良かった父がだんだん穏やかになっていくのは、ちょっと寂しいような気持ちになるが、多分これはいい事なのだろうなぁ。

本を読んでいたら、とても心に残った詩があったので載せます。

上智大学の学長もつとめたヘルマン・ホイヴェルス牧師の晩年の詩だそう。

年をとることによって、できるようになる生き方が書かれています。

「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうなときに希望し、

従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、

弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、

古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、

真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。


「人生の秋に ホイヴェルス随想選集」より


最近、自分の老いを少しずつ受け入れているかのように思える父。

その姿に詩の文章がなんとなく重なった。

私も老人になった時、この詩に書かれているような心境になっていたいものだと思う。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

就労支援でカフェデビュー

2014-09-16 15:33:35 | 日記
就労支援を受けながら、毎日通勤している長女チェリーだが、先月から就労先が変わった。

今までは介護用のベッドなどの部品を綺麗に洗浄する仕事をしていたのだが、それが変わって今度はカフェの仕事になった。

チェリーは「カフェの仕事をしたい」とずっと言い続けていたので念願かなって、今は毎日はりきって仕事に行っている。

カフェは平日のお昼の数時間だけの営業で、チェリーが通う作業所が経営している。

経営と言っても基本的に就労をするための訓練の場なので、ほとんど利益は出ていないと思う。

数人が座れるだけのカウンター席、一杯100円のコーヒーと同じく100円のクッキーだけの販売。

それでもお昼ご飯を終えたサラリーマンの方々が飲みに来てくれて、常連さんもいらっしゃるとか。

作業所の方曰く「コーヒー豆は厳選した良い物を使っているので、味はいいですよ」とおっしゃっていた。

私もコーヒーを飲みに行ったが、なかなか美味しかった。

カフェでのチェリーの仕事は接客とコーヒーを淹れること。

なんとチェリーが淹れたコーヒーでお金を頂いているの!?と思ったが、そこはきちんとコーヒーの淹れ方を何度も練習してからのデビューだったらしい。

最初のころ、落ち込んで帰ってきたことがあり、どうしたのかと思ったら、「おじさん(お客さん)にコーヒーが薄い!」と怒られてしまったそうだ。

今はコーヒーの淹れ方もすこし上達したようで、常連のお客さんに「美味しかったよ」と言ってもらえたと嬉しそうに教えてくれるようになった。

「今日はコーヒーが21杯出たんだよ」などと毎日、帰宅後に報告してくれるので「じゃあ、22杯目のコーヒーをお母さんに淹れてくれる?」と頼むと、「わかった。淹れてあげるね」と嬉々としてコーヒーを淹れ始める。

「お湯はすこしずつ入れるんだよ。入れたら30を数えて・・・それから、また少しずつお湯を回しながら淹れるの。あ~失敗しちゃった。普通のやかんだとお湯が出すぎちゃうから、コーヒー用のポット買って!」

そんなことを言いつつ、チェリーがゆっくりと丁寧に淹れたコーヒーを持ってきてくれる。

横で「ねぇ、おいしい?おいしい?」と心配そうに聞くので「うん!おいしい!」と言うと、「あ~よかった」と安心したように言う。

「お客様が美味しいって喜んでくれるのが、一番うれしいんだ。だから、また明日も美味しいコーヒーを淹れようと思うの」

そのチェリーの言葉を聞いて、ちょっと感動する。

チェリーはもちろん私も商売のことはよくわからないが、これってもしかしたら商売の基本なんじゃなかろうか。

お客様に喜んでもらいたい・・・チェリーが、ただ純粋にそう思ったことは、まさしくその通りのことだと思う。

今朝もまた、元気に職場へ出かけていったチェリー。

恥ずかしがり屋のチェリーがもっとも苦手とすること、大きな声で「いらっしゃいませ」をいう事はできているかな?

美味しくコーヒーは淹れられているかな?

また、コーヒーを飲みにチェリーの働くカフェに行って来よう・・・などと思いをめぐらせている。

ところで、先日、街の中心へ買い物に行った時のこと。

地下街の一角で人だかりができていたので、私ものぞいてみた。

すると、そこで売られていたのは、生のきのこや干ししいたけだった。

売っている方々は、障害のある方たちだったので、きっとどこかの作業所で作ったものを売っていらっしゃったのだと思う。

商品を見せてもらうと、なかなか良いものばかりで値段も安い!

・・・というわけで、私も買い求めてきた。



干ししいたけが、たくさん入って500円。

ほかにはこんなものも・・・



札幌市内中心部で養蜂をして、今年の6月に採れたはちみつだそうだ。700円だった。

私はチェリーの通う作業所に限らず、このように福祉的作業所で作ったものを売っているのを見かけると、かならず何か買うようにしている。

値段が安い割りに良い商品を売っているので買うのだが、もうひとつ、少しでも売り上げに貢献できれば・・・という気持ちもある。

わずかな工賃しかもらっていないのに、みんな頑張っているのねと思うと、何か買わずにはいられなくなる。

たくさんの方がしいたけなどを買われていたので、きっとみなさん、こういった作業所で作ったものは良い商品が多いことをご存知なのだろうと思う。

・・・というわけで、どうぞ皆様も各地で福祉的作業所が販売をしておりましたら、ちょっと覗いてみてください。

安くてよい商品がたくさんあるはず・・・と思います。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経験したことのないこと

2014-09-11 17:06:48 | 日記
昨夜は時折聞こえてくる大きな雷の音で何度か目を覚ましていた。

うとうとしては、ゴロゴロドッシャーンという家も揺れるような雷の音で目を覚ますというのを繰り返していたが、決定的に目を覚ましてしまったのが、携帯電話から鳴った聞きなれない音だった。

夫も起きてきて「なんだろう?」としばらく携帯電話を見ていたが、その時は何なのかよく分からなかった。

時計を見ると午前3時すぎ。

それから10分おきくらいに携帯電話が鳴り出し、やっと「避難勧告」だということが分かった。

ひっきりなしに電話が鳴り、避難勧告の区域が増えていく。

「あそこもだ、ここもだ」と夫と話しているうちに、もう寝ていられなくなってしまった。

そして、ついに我が家の地域にも避難勧告が出てしまった。

外がどうなっているのか窓から見てみると、道路の水が勢いよく下へ下へと流れていく。

我が家は高台にあるので、浸水するというのはあり得ないのだが、家が乗っている土地が崩れるという心配がある・・・

「土地が崩れるってことはないかな?」と夫に聞くと「大丈夫だろう。コンクリートで固めてあるから」とのことだった。

それにしても、外はまだ暗く、雷は鳴り響き、激しく雨が降っている。

「避難所へ避難するか、家の二階へ上がるように」と避難勧告されたが、家の二階へ上がるのはよいとしても、この状態で外へ出て避難所に向かうというのはとても迷う。

避難所に行かずに災害に巻き込まれてしまったという話も聞くが、もうそこまで水が来ているというような切迫した状況ではない限り、真っ暗で雨が激しい中を避難所に行くという決断はとても難しいように感じた。

結局、避難はせず家に居たが、午後にはお日様が顔を出して、あの豪雨が嘘のように、よいお天気になった。

「経験したことのない記録的豪雨」ということだったが、今回は初めての避難勧告で「避難勧告の時はこんな音で知らせてくれるのか」だとか「避難所へ行くかどうかの判断の難しさ」など、いろいろと勉強になった。

これからも、経験したことのないことが各地で起こるかもしれない。

やはり、もう一度、避難袋の準備など見直したほうがよいのだろうと思った。

朝になって、数人の知人から電話をもらった。

「テレビを観ていたら、あなたのとこも避難勧告でていたから心配してたのよ」とのことだった。

気にして頂いていたのかと思うと、嬉しくて有り難かった。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海を見に・・・

2014-09-10 14:13:32 | 日記
「記録的大雨注意報」「避難勧告」などなど、昨夜からずっとテレビ画面に映し出されている。

札幌市内の雨は少量だが、十勝や白老の方はずいぶんと降っているらしい。

雨で周囲が白くなり見通しが利かなくなったと新聞に書かれていたけれど、先日の大きな災害もこのような激しい雨が降り続いていたのだろう。

何事も無く雨が通り過ぎてくれればいいのに。

自然は、どのように頑張っても人工では作り出せないほど美しい。

しかし一旦、自然が荒れ狂い始めると人間にはなす術も無い。

先日、海が見たくて家族でドライブに出かけた。

向かった先は小樽市にある「祝津パノラマ展望台」



展望台からは一面に広がる日本海が見渡せる。

ここ小樽から積丹(しゃこたん)半島にかけての海は本当に美しいと思う。

展望台から海を覗き込むと、海底が見えるくらい海水が澄んでいる。

透明度が高く、ブルーに輝く海。

「積丹ブルー」と言われているが、しばし見惚れてしまうほどに美しい。

ここはまだ観光客が少なく訪れる人も少ないので、それほど広い場所ではないがゆっくりと海を見ている事ができる。

小樽と言えば「ガラス」や「小樽運河」が有名なので、休日ともなれば市内は観光客でにぎわっているが、なかなかここまでは足を伸ばさないのかもしれない。

こんなに綺麗な景色を見ないのはもったいないな~と思う。

それでも時々タクシーが止まり、運転手さんがガイドになって観光客を連れて来ていた。

タクシーから降りてきた年配の女性たちが「わ~きれい!」と声を上げた。

それを見てタクシー運転手さんが満足げにうなずく。

「ねっ、きれいでしょう。ガラスや運河もいいけど、是非ここを見てもらいたかったの」と運転手さんが言った。

運転手さんは地元の方なのだろうか。

続けて自慢げに言う。

「ここの海は沖縄のより綺麗だよ。オレは沖縄には行ったことねえけどな」(笑)

沖縄の海より綺麗かどうかは分からないにしても、負けないくらいの美しさだと私も思う。

この美しい海が荒れ狂うことの無いように・・・

ここで漁をしてきた漁師さんたちはずっと昔からそう祈ってきたのだろうと思いながら、私も感謝の想いを捧げてきた。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふつうの暮らし

2014-09-01 17:22:39 | 日記
アルバイトや学校の授業の関係などで、夏休みに入ってもなかなか帰ってこなかった長男パインだったが、やっと8月下旬に帰省してきた。

パインが帰ってきてから10日あまり経つが、なんだかとても忙しい・・・

何が忙しくなったかというと、何といっても食事作りが忙しい。

今までパインがいない暮らしでは、それほど食事の量は必要なかったが、パインが帰ってきてからは、ご飯のその多さもさることながら、食材が無くなるのも早いこと!

あんなに買ったはずなのに、あっという間に消えてしまう。

とにかく22歳の男子はよく食べる。

しかもずっとアパートで自炊生活をしていた為、「ちゃんとした食事」に飢えていたそうで、なんでもよく食べてくれる。

何でもよく食べてくれるので、こちらも張り切って色々作る。

「夕食は何が食べたい?」

「う~ん、コロッケかな」

「よっしゃ、まかせなさい。で、ほかは?」

「さんまの塩焼きといくら丼」

「よっしゃ、よっしゃ。あっ、でもいくらはもう少し安くなってからね」

ってな感じで、パインが食べたいものをどんどん作り、作ったものはどんどんパインの胃袋の中に消えていく。

とはいえ、毎日、毎日のことなので、そろそろ朝昼晩の食事作りに疲れてきた。

朝と夕は仕方がないとしても、昼ごはんを新たに作るのは大変なので、今日は夫や娘達のお弁当のおかずをパインにも取り分けて「ワンプレート」にした。



豚の冷しゃぶ、かぼちゃの煮物、ちくわとしいたけの煮物、ひじきとえびと昆布の入ったおにぎり。

これくらいの量ではパインの胃袋は満足しないのだが、今朝は朝が遅くて、これを食べる2時間前に、たっぷり朝ごはんを食べさせてあったので、この量でも満足してくれたようだ。

パインは言う。

「家にいた頃はご飯が出てきても、それは当たり前で嬉しいともなんとも思わなかったけど、今は嬉しいなぁと思うんだ。あの頃は嫌いだった煮物も、今は美味いと思えるしね」

一人暮らしは心配だったが、そのおかげで少しは成長したかな・・・と思う。

当たり前の日常が送れることの、なんという幸せよ。

想像もしていなかった災害や事故、そういうものに遭った時、つくづく当たり前に暮らしていたことが有難い事だったと気づくのだろうなあ。

週末、大きな交通事故の現場を通った。

私たちの車が通りかかかるすこし前に事故が起きたらしかった。

対向車線からはみ出した軽自動車が、反対車線を走っていた車2台にぶつかるという多重衝突事故で、軽自動車は大きく車体がゆがんでいた。

軽自動車を運転していたのは70代くらいの高齢の男性だった。

男性は警察官に支えられて歩いていたが、顔を押さえているタオルに血がついているのが痛々しかった。

ほかの二台の車に乗っていた人たちも、車外に出て路肩に座り込んでいた。

それにしても、あの軽自動車のおじいさんは大丈夫だろうかと心配だった。

救急車が来ていたので、すぐに搬送されたとは思うけど・・・

その日の夕刊を読むと事故で一人が亡くなったと書かれてあり、翌朝の新聞で軽自動車を運転していた男性の奥さんが亡くなったとあった。

事故現場は温泉地へ向う途中の道だったが、もしかしたら事故に遭ったご夫婦は温泉に行く途中だったのかもしれない。

夫婦で近場の温泉に行くというのは、日常生活ではあることだが、それが一瞬で失われてしまうとしたら・・・

ハンドル操作ミスなのか、わき見なのか、どちらにしろほんの一瞬のミスが、他人を巻き込み、さらに奥さんも亡くすという大きな事故につながってしまったことは、本当に恐ろしい。

そして今後、その高齢の男性の日常は大きく変わってしまうのかもしれない。

あまりにも当たり前すぎて、ともすれば不平不満さえでることもある日々の暮らしだが、これが大きく変わってしまうことになったら・・・

きっと時間を戻せることなら戻したいと思うかもしれない。

そのような不幸なことに遭う前に、普段から「ありがたい、ありがたい」と思って暮らしていたいものだと思う。

私もしばらくは「飯場(はんば)のおばちゃん」になりきって、パインにご飯を作ってあげることができる暮らしに感謝したいと思う。












  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする