ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

自分の気持ち

2020-12-30 15:55:50 | 日記

今年は忌中のため、お正月は特にお祝いをしないでおこうと思っていたが、やはりスーパーへ行くとお正月用の食材が目に入って、あれこれ買い込んでしまった。

昨日から買い込んだ食材を使ってお正月料理を作っている。

ところで大晦日は、長男が帰ってきて一緒に過ごすという。

帰ってくるのは長男ひとり。

お嫁さんはあちらの実家かな?と思ったら、お嫁さんはその日ボランティアに行くのだそうだ。

そう言えば、前に会った時にお嫁さんが言っていた。

学生時代から家庭的に恵まれない子ども達をサポートする団体でボランティアをしていたそうだ。

卒業後は、それを仕事にしたいと思っていたが、事情があって民間企業に就職したが、ボランティアは続けているという。

「自分は両親も仲が良くて何不自由なく育てられて、これが普通だと思ってきたけど、違うんだというのがわかりました。虐待とか育児放棄とか本当に多いんです」

「できれば、この活動は結婚後も続けたいんです」というお嫁さんに「えらい!頑張ってね」とエールを送り、息子には「できるだけサポートしてあげなさい」と言ったことを思い出した。

というわけで、お嫁さんはお正月に来てくれるそうで、お疲れのお嫁さんにも食べてもらおうとせっせと料理を作る。

でも本当は、料理を作っている一番の理由は、自分が作りたいから作っているんだよね。

これがお嫁さんや長男のために作っていると思ったら(勘違いしたら)、もし食べてくれなかった時にガッカリしたり腹が立ったりするかもしれない。

これは自分が好きで作っているからいいのというような予防線を張るように、ポジティブに考えているのとは違う。

ポジティブに考えるというのは、とても良いことのように思われるけど、実は心のどこかで無理をしているのではないだろうかと、最近よく思うようになった。

だから本当の自分の気持ちが、息子達のために料理を作ったのに、自分が好きで作ったと(ポジティブに)考えるようにすると、食べてもらえなかった時にどこかにネガティブな思いが残る。

今回自分の心の声に耳を澄ますと、息子達に食べさせたい気持ちはもちろんあるが、やはり一番は自分が料理を作りたいと思っているからだ。

ところで、これはほんの些細な事だが、実は日常のいろいろな場面で起きていて、自分の感情に振り回されて怒ったり悲しんだりしている。

周りの人間や環境がどうであれ、それらに自分の感情を振り回されてはいけないと思う。

よく言われるのは、外界の出来事に意味はなく、意味付けをしているのは自分というもの。

だからこそ自分は今どういう気持ちなのかと、自分の感情に注目する事はとても大事だと思う。

とは言え、やりたくない事もしなければいけない時もあるし、嫌なことを言われることもある。

そんな時は「やりたくない、めんどくさい、ムカつく」と自分が思っていることを認めた上で大きな深呼吸をしている。最近、深呼吸が多かったが(笑)

さらに言えば、誰も言ってくれなくても自分が一生懸命やっていることを客観的に楽しめたら上出来なんじゃないかと思う。

さて、では料理の続きを始めますか、、、

 


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神社へ参拝に行く

2020-12-26 15:38:00 | 日記

新しい神札を頂きに二つの神社へ行ってきた。

まずは崇敬する神社へ。

相馬神社です。

急な坂道の参道を登って行くと、ご神木が見えてくる。

そして、その奥に相馬神社が静かに佇んで・・・と書きたかったが、この日は神社の大掃除だったようで、宮司さん達が忙しそうに動き回っていらした。

でも今年もまた相馬神社へお詣りできたことが、とても嬉しい。

神社に対しての表現としては適切じゃないかもしれないけど、相馬神社はまるで久しぶりに実家に帰ったような心地よさと嬉しさを感じる。

ところで参拝の帰り道、急な参道(坂道)をゆっくり徒歩で降りていたら、ふもとの入口から一台の車が入ってくるのが見えた。

車は大きな鳥居をくぐり抜けると、参道横にある車でも登ることができる道へ入って行った。

すると私の先を降りていた人から「危ないっ」という大きな叫び声があがった。

視線を先ほどの車の方へ向けると、なんと登って行った車がバックした状態で坂道を滑り降りてくるのが見えた。

上から別の車が降りてきた為、避けようとしたらしいが、スピードが出ていたせいか制御不可能になって雪道を滑り落ちている。

どうか鳥居に当たりませんように・・・と思いながら、ただ茫然と見ているしかなかったのだが、運転手さんのハンドルさばきが上手だったのか、はたまた偶然か、鳥居をきれいにくぐりぬけると、駐車している他の車にもぶつかることなく空いている場所にみごとに着地した。

事の顛末を見ていた誰もがホッとしたのは言うまでもなく、横でアワアワしながら見ていた夫が「神さまのお陰だな」と言った言葉には、私も深く同意した。

あの大きなコンクリート製の鳥居にぶつかったら、車も乗っている人も大変なことになっていたかもしれない。何事もなく無事でよかった。

相馬神社の参道。

写真ではそう見えないが、かなり傾斜があって登るのがきつい。

しかし冬は滑るので下りてくる方が危険。滑り止めが付いた靴で行くのがおすすめです。

これから冬道が続くが、車の運転も気をつけなければと思う。

その後は氏神さまの神社にもお詣りをして神札を頂き、自宅に帰ってから夫とそれぞれ自分の神棚の掃除をして(うちには神棚が二つある)新しい御札を納めた。

なんだか気のせいか、神棚はもちろんのことその周辺まで、清々しい空気に入れ替わったような気がした。

 


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映画を観て

2020-12-23 15:41:33 | 日記

映画「おくりびと」を観た。おくりびとと言うのは、納棺師のこと。

2008年に話題になった映画だが観るのは初めてで、いつか観たいと思いながら12年も経ってしまった。

12年の間に義父、義兄、実父、そして義母と親しい人たちを見送ったが、葬儀に立ち会う中で遺体を御棺に納めてくれる納棺師さんの美しい所作に目を見張ることが幾度もあった。

それは亡くなった人に対する優しさと敬意が表れていた。

茶道や華道といった道のつく芸ごとに近いのではないかと思いながら見ていたことを思い出す。

ところで映画では、仕事が無くなり仕方なく納棺師という仕事についた主人公が、仕事への偏見によって周囲の理解が得られず、悩みながらも幾多の死と向き合いながら納棺師として成長していく姿が描かれている。

死という重たいテーマだが、クスッと笑わせてくれる場面もありでとてもよい映画だった。

実はこの映画を観た時と今の気持ちに格差があって、この後のブログ記事の続きが書けなくなってしまった。

映画を観終えたのは21日で、この時は「死」について書こうと思っていて頭の中に文の構想もあったはずなのに、時間が経つにつれて死に関することが書けなくなってしまった。

なんとか絞り出そうとするのだけど、どうしても書くことができず、頭の中にあった構想もどこへ行ったのやら行方不明になってしまった。

では今の気持ちは何なのかと思ったら、それは「生」だった。

生きて、生きて、生きる。

変異したコロナが流行りそうな嫌な予感のする世の中だけど、仕事を無くした人もたくさんいるけど、生きて生きてと心の奥底から湧き上がる。

まるで曇り空に太陽の日差しが差し込むような感じがする。

ああ、やっと書き終えた。。。生みの苦しみと言うのは大袈裟だけど、こんなこともあるのだなと思いながら、ほっとしている。

そうそう、映画「おくりびと」は時間が経ってもおもしろかったというのは変わっていません、、、

 


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野鳥たちの冬

2020-12-19 16:10:51 | 日記

知人が久しぶりに訪ねてきてくれて、夫も一緒に3人で話している時に窓の外の景色を見た知人が「そういえばリスは来ていますか?」と言った。

以前、知人が来た時に庭にいたエゾリスを見たことがあって、ふとリスのことを思い出されたようだ。

「今年の冬は、まだ一度も見ていないですね」と私が言うと、「そういえば、この前カラスが小動物をくわえて飛んで行くのを見たなあ」と夫が言った。

その言葉を聞いた瞬間、知人と私は同時に「えーっ!」と声をあげてしまった。

脳裏にはカラスに連れ去られるエゾリスの姿が浮かび、それはたぶん知人も同じだったと思う。

すると夫が「いや、あれはリスじゃなくてねずみだったかもしれない」と言い(まぎらわしい・・)、それを聞いた知人が「あ~よかった。リスじゃなくて」とほっとしたようにおっしゃった。

そして、そのあとに続けて「連れ去られたのがエゾリスじゃなくてねずみでよかったっていうのも、人種差別・・・じゃなくて動物差別ですね。でもカラスも生きるのに必死なのでしょうね、今は餌がないですから」とおっしゃった。

たしかにこれから春までは餌が少なくなる。

秋に小鳥たちが食べていた木の実はもう見当らない。

地面に落ちたどんぐりも雪の下になった。

これから野生動物たちにとっては、厳しい季節がやってくる。生きる為にカラスも必死でエサを探しているのだろう。

ところで何年か前まで秋になると必ずのように森へ入って、赤い実のついたツルウメモドキを採ってきた。

何にするのかと言うとリースを作った。

ツルウメモドキの柔らかい枝は力を入れなくても簡単に形が作れて、赤と黄色の実が可愛らしく部屋に飾るのにはもってこいなのだが、ある時窓から外を眺めていたら、小鳥がツルウメモドキの実を食べているのが見えた。

真冬でエサが少ない時、ツルウメモドキも鳥たちの貴重な食糧になっていると知ってから、もうツルウメモドキを採りに行かなくなった。

ツルウメモドキを飾らなくても生きていけるが、小鳥たちにとっては大切な食糧。それをとってしまうのは申し訳ない。

ところで四国へ旅行した時、飛んでいる野鳥を見て同じツアーの方が「北海道に住んでいる鳥より、ここの鳥の方が幸せね」とおっしゃった。

それを聞いて「確かにそうだね」と思ったのだが。

冬でも暖かく、真冬でも多分それなりに食糧もある四国の方が、北海道の野鳥よりも幸せだろうと思うのは人間だからかもしれない。

マイナス6°の寒さの中、ヒヨドリやカラス、小鳥たちは今日も元気に飛び回っている。

どうか無事に春を迎えられますように。

 


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さて始めるか

2020-12-15 16:16:29 | 健康

「さてと、始めるか」

重たい腰をあげて、おもむろにカーディガンを脱ぎ捨て半袖に着替える。

毎日外はマイナスの気温で、家の中も暖房を入れているとはいえ肌寒くカーディガンは必需品になっているが、この時ばかりは脱がないと汗だくになってしまう。

まずはお決まりのラジオ体操から、、、

時には面倒くさいな〜と思う日もあるが、終わった後の爽快感を支えに「さて始めるか」と自分へ声をかける。

ラジオ体操も最初は身体が重く感じるが、ラジオ体操第二に入る頃には少し身体が温まってきて動きがスムーズになる。

ところでラジオ体操終了後、今までは筋トレをしていたのだが、やや飽きたのと二の腕がマッチョになりつつあるので、しばらく筋トレを中止して今はボクササイズばかりやっている。

軽快な音楽に乗って身体を動かしていると汗が吹き出してきて身体も気分もスッキリする。

そういえば80年代にエアロビクスが大流行して、当時教室に通った事がある。

あの頃はまずはファッション有りきとばかりに派手なレオタードを着て、明るく大きな鏡のあるスタジオで大勢でやっていた。

社会全体が明るく感じた。日本がまだ元気な頃だったのだなあと思う。

今は自宅という気軽さで着古したジャージとTシャツを着て、ベランダの窓ガラスに映る姿を見ながら運動している。

華やかさは微塵もないが、こちらもなかなかよい。

当時エアロビクスでは音楽に合わせて踊ると、めちゃくちゃ明るい女性インストラクターが笑顔で「ヒュー!」と声をあげて盛り上げてくれたが、今は動画の中からいかつい顔をしたボクササイズの男性インストラクターが「腹を引っ込めて」とゲキを飛ばしてくれる。

直接会って指導してもらう方がもちろん良いのだろうが、今はそうもできないので、もっぱら動画を見ながら運動している。

そのかわり自宅に居ながら自分の出来そうな動画で、自分のペースでできるのがいい。

ところで昨日やったのは、ひたすらスクワットをし続けるというものだった。

音楽に合わせてひたすらスクワット。きついけど、無理だと思えばいつでも中止できるので気楽だ。で、今日は太ももが筋肉痛。

ついでに運動不足の夫も誘ったら、散歩するより運動したーという気になると言って気に入ってくれた。

毎日やってもいけないのかなと思うが、今日は身体を動かしていなかったので、これから少しやろうと思う。昨日はスクワットだったので、今日は上半身の運動を中心に。

最初は億劫だけど、やり始めると楽しくなる。

というわけで、、、さて始めるかな。

 


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静かに笑って

2020-12-11 10:05:20 | 日記

60歳の誕生日を迎えた同級生の友人におめでとうのメッセージをLINEで送った。

60歳ということで「3度目の成人式だね」と書いたら返事がきた。

「20年を一区切りとすると、あっという間だった。生まれてからの20年は別にしても、その後の20年は繰り返すごとに早くなっているみたい。この調子でいくと、80歳になるのもあっという間かもね」

少し文章は変えているが、大体内容はこの様なもので、とにかく年々月日が流れるのが早く感じていると言うのは、誰しも同じなのかもしれない。

私自身も20歳になった時より40歳になった時の方が、40歳になった時より60歳になる方が早かったという感覚がある。

ところで最近よく頭に浮ぶ歌がある。

「襟裳岬」

北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やし始めてるらしい

わけのわからないことで悩んでいるうち老いぼれてしまうから←この部分が特にいい。

そして、あまり聴いたことがなかったが三番目の歌詞もまたいい。

日々の暮らしはいやでもやってくるけど静かに笑ってしまおう

作詞は岡本おさみ氏。

岡本氏は実際に襟裳岬を訪れて、凍える様な寒さの襟裳の町で、地元の老夫婦に「何もないですが、お茶でも飲んでください」と温かいお茶をごちそうになった体験が、この歌のもとになっているのだとか。

「何もないですが、、、」といった老夫婦の温かく素朴な人柄に触れてひらめいたそうだ。

他人を泣かせてまで地位・名誉・金銭といった社会的成功をしなくてもいい。

お金はあった方が便利だけど、無くても贅沢な暮らしをしなければ、ありがたいことに今の日本では飢え死にすることはない。

一番大切なのは、この人生を生き切ること。

今のこの肉体に宿っての人生は一度限りだから、せっかくならこの世を十分に味わって終わりたい。できることなら他人の為になることをして終わりたい。

過ぎてみればなんであんなに悩んでいたのかと、今では忘れるような悩みばかりだった。

悩んでいるうちに老いぼれてしまうから、できればあまり悩まず静かに笑って暮らしたい。人生はまばたきをする間に終わってしまうかのように短いのだから。

 


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植物のある暮らし

2020-12-08 15:12:22 | 日記

植物が好きなのは子どもの頃からで、小学生だった頃、母にねだってアマリリスの球根を買ってもらったことがあった。

鉢に植えた球根は大切に育てた。

水やりはもちろん気温が下がる日は寒さよけのビニール袋をかぶせたりして、成長していくアマリリスを見るのが楽しかった。

ついに朱色の大きな花が咲いた時の嬉しさはひとしおで、古いアルバムには満面の笑みでアマリリスを持つ私の写真が残っている。

ところが中学高校と成長するにつれて植物に対する興味を徐々に失っていった。

自分のことだけで精いっぱい、植物のことまで頭が回らなくなっていたからなのだが、それが結婚して仕事を辞めるとまた植物に目が行くようになった。

動物にでも植物にでも、自分以外のものに愛情を注げるというのは幸せな事だと思う。それは多少なりとも心にゆとりができたからで、動植物に手をかけられるというのは、ある意味とても贅沢なことなのかもしれない。

以来、買ったりもらったりした植物がどんどん増えて家の中がジャングルのようになってしまい「もうこれ以上増やさないでくれ」と夫に言われていた。

ところが最近妹から「元気のない胡蝶蘭があるんだけどいる?」と電話があり、「いるいる」と二つ返事でもらってきてしまった。

妹の家にあった二つの胡蝶蘭は、すでに花が終っているもので両方とも葉っぱがしわしわで元気がない。生きているので捨てるには忍びなかったようだ。

「もうだめかもしれないけど」と妹に言われたが、胡蝶蘭のことを調べて世話をしたらなんとか元気になった。

とはいえ、胡蝶蘭を育てるのは初めてなのでまだ状態が安定しない。

水やりを控えすぎるとすぐに葉っぱがしわしわになるし、水をあげすぎると根腐れを起こす・・・試行錯誤しながら毎日見守っているが、これが実は私の癒しにもなっている。

ところで用事で苫小牧へ行った時、植物園があると聞いて行ってきた。

苫小牧市で管理している苫小牧市サンガーデン。

それほど広くはないが、北海道ではめずらしい植物を見ることができる。

室内は暖かく植物を見ながらのんびり歩いたり、併設されているカフェや図書館で過ごしたりと、寒い時期にはぴったりの場所だと思う。

初めて訪れたサンガーデンで、ちょっと懐かしい植物たちを見つけた。

ミカンの木と孟宗竹。思い出すわ~四国(遠い目・・・)

ミカンの木がめずらしいことは前にも書いたが、孟宗竹もまためずらしい。

もしや孟宗竹の竹林を見るとテンションが上がる道民は多いのではないかと思う。まるで時代劇のセットみたい~、日本的な風景だわ~と。

ちなみに道内で「タケノコを採りに行く」というのは千島笹のことをいう。

ミカンの木と孟宗竹、また名前は知っていたが初めて見たサザンカの花も目を楽しませてくれた。

美しい花を見て心が和むように、ずっと昔から私たちの心を慰め続けてくれる植物。弱った胡蝶蘭でも癒しを与えてくれる。

植物は暮らしに彩りを与え、まるでそっと心に寄り添ってくれるようだ。

貰った胡蝶蘭の様子を毎日見ながら、再び花を咲かせてくれたらいいなぁと思っている。

 


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楽しめ、楽しめ

2020-12-04 17:47:41 | 日記

コロナの影響で今月は仕事が三分の一まで減り、休みが多くなった長女と一緒に近くの温泉に行ってきた。

いつもなら平日でもそれなりに混んでいる温泉はガラガラだった。

平日の温泉は割と高齢の方が多いので、皆さん感染を恐れて温泉に来るのを控えているのだろう。

空いているのは嬉しいのだが、あんまり空きすぎてこの温泉が潰れてしまうのではと心配になる。というわけで早速回数券を買った。(ささやかな応援)

さて温泉ではもちろん温冷浴をする。お風呂で温まってから冷たい水風呂と交互に繰り返す。

ここの水風呂は私の知る水風呂の中では最も冷たく、流しっぱなしの地下水は身を切るように冷たい。

最初は熱いお湯と冷水を混ぜて作った生温い水を、足先からかけて徐々に慣らしていかないと入れない。

中にはジャブジャブと入って行って、いきなり首まで浸かる人もいるが、ほんとにスゴイと思う。

何度か入るうちに冷たさに慣れてくるが、慣れてきても首までなんてとてもじゃないが浸かれない。

そんな母に似ている長女は、今までいくら誘っても絶対に水風呂に入ろうとしなかった。

ところが今回は少しだけ入ってみようかなと言う。

よしよし、じゃあ頑張るべと言うことで、まずは足先にお湯割りの冷水をかけてあげる。

冷たさに後退りする長女の足を狙って何度か水をかけてから、いよいよ入水。

水風呂の中で長女が入るのを見ていたのだが、歯を食いしばり眉毛を逆立てて冷たさを我慢している長女の顔が、申し訳ないけどおもしろい。

思わず声を上げて笑ったら、温かいお風呂に浸かって見ていたほかのお客さんも笑った。

それまで皆さん誰とも話さず仏頂面?で入っていたのだが、この笑いをきっかけに話し始めた。

お一人の方は家に閉じこもっていたせいか、気分が落ち込んで仕方がなかったそうだ。そこでコロナは怖いが思い切って温泉に来てみたら、あまりに気持ちが良くて来てよかったとおっしゃっていた。

また別の方は、今はどこも空いている時期だから、ここぞとばかりにいつもは混んでいる施設に行くとおっしゃっていた。ただ他人には後ろめたくて言えないそうだ、、、

その方はプールで泳いだ帰りで、誰もいないプールで思い切り泳いできたらスッキリしたそうだ。

皆さん、ストレスをうまく発散されていると思った。

しかし、このような方ばかりではないはずで、連日のテレビ報道で恐怖心が高まって家に閉じこもっている方、長女のように仕事が減って家に居るしかない方、また長女とは反対に仕事の量が大幅に増えて疲労困憊の方(まさに次女)も大勢いる。

コロナ以降の自殺者の数は増加の一途なのだとか。

テレビのコロナ報道の合間に「一人で悩まず、ぜひ電話をかけてください!」と訴えていた心の電話相談の方の悲壮感漂うお顔が印象的だった。

今なんとも言えない閉塞感や恐怖心が蔓延している。知らず知らずのうちに心を病んでしまうことの方が、コロナよりも重大だと思うのだが、、、

楽しめ、楽しめ。

そう言われても簡単にはできないという人も多いことでしょう。

些細なことでも笑えたら、、、と思いながらこれを書いている。

 


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