ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

雪かき

2014-01-30 16:21:48 | 日記
今年は例年より雪かきが楽だな~と思っていたら、やはり昨年よりも80センチ以上積雪量が少ないのだそうだ。

昨年末に、雪かきに備えて新しい雪かき用スコップと大型のママさんダンプを買った。

特にママさんダンプは今まで使っていたものよりも、たくさん雪が積めるものなのでとてもよい!

標準型ダンプの1・5倍は積めていると思う。

雪を運ぶ回数が減らせるので大助かりだ。

また、新しいスコップは古いものより固い雪を容易に崩すことができて、これまたいい!

サクサクいける!

ママさんダンプは2台もあるし、古いけれどまだ使えるスコップが何本もあったので、新しいものを買うのはもったいないかなと思っていたけれど、やはり買ってよかった。

新しい雪かき道具のおかげで、雪かきが楽しみとまでは言わないが、わりと苦もなく雪かきをすることができている。

ところで、今年はまだ大丈夫なのだけれど、例年、雪かきのせいで腰と手首に痛みが出ていた。

腰痛防止の為に、なるべくひざを使うようにして雪を投げているが、手首の方はどうやったら痛めないようにできるのか分からなかった。

ところが、今朝、新聞を読んでいたら、雪かきで身体を痛めない方法が載っていた。

それは、スコップを持つ手の向きなのだそうだ。

多くの人は柄を持つ手を逆手にしますが、順手(手の甲を上)に変えましょう。

雪は上体を90度にひねって後方になげる。

このひねりの動きで背中の筋肉が自然に使え、雪も軽く投げられます。

ダンプで雪を運ぶときは、へその下に力を入れましょう。

腰への負担を減らせます。

以上、北海道新聞より


とてもローカルな記事でしたが、参考になりました。

札幌は、年間5メートルの降雪量がありながら190万の人が住むという世界でもまれな「雪都」なのだそうだ。

雪を目当てに訪れる海外からの観光客が年々増えているという話も聞く。

雪のない暖かい国の人にとって、雪はとても魅力的に映るのかも知れない。

そういう意味では、雪も貴重な観光資源ということだろう。

「おはよう。今朝も降ったね」

「あと2ヶ月と少しの辛抱だよ」

朝のゴミ出しで、顔を合わせたご近所の人との会話だった。

3月も中旬になれば、雪かきも楽になるはず・・・という会話だったが、ずっとここに住む者としては、やはり春になるまでの我慢といった感じかもしれない。



野鳥が木の実をついばんでいるのが、窓から見える。

雪に覆われて餌が少ないこの時期は、鳥も生きることに必死なのだろうなぁ。

新聞に載っていた方法を試してみたくて、雪かきがすこし楽しみになった。




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誕生日プレゼント

2014-01-27 18:17:41 | 日記
25日は、私の53回目の誕生日だった。

ついに母より年上になってしまったなぁと感慨深いものがある。

さて、夫は私に気を使って「誕生日は外食へ行くか」と言ってくれたが、外食で食べたいものがないので、家で簡単なものを作る(もちろん、私が作る)ということにした。

毎日、毎日、食事の用意をしていると、外では食べたくないけど、家で簡単に済ませたいということがある。

「やれやれ、今日は食事の事を考えずゆっくりしよう」と本を広げたら、メールが来た。

メールは長男パインの友達のお母さんで、20年来の付き合いがある「ママ友」からだった。

「お誕生日おめでとう!」という言葉と一緒にケーキの絵文字が書かれたメール。

この年になって「お誕生日おめでとうメール」をもらえるなんて、なんだかとっても嬉しかった。

ウキウキしながら、すぐにありがとうの返事を打った。

さて、台所で夕食の支度をしていたら、外出から戻ってきた次女ピーチが「はい、これ」と言って、リボンのついた袋をくれた。

なんと!誕生日プレゼント!!



誕生日プレゼントがもらえるなんて思ってもいなかったので、こちらもすごく嬉しかった。

あんまり嬉しかったので、おもわずブログに載せてしまいました~

とても良い香りがするハンドクリームとオカメインコのストラップ。

ピーチによると、オカメインコは色々な種類があったけれど、P太郎バージョンを選んでくれたそうだ。


こちら、本物のP太郎

最近、ピーチとは進路の事でバトルをしたばかりだった。

ピーチは首都圏の大学へ行って、首都圏の企業に勤めたいという希望がある。

・・・が親としては、憧れだけで行ってはダメだとピーチに説明をする。

すると、ピーチはもっともらしい屁理屈を並べ、そのうちにプンプンふくれ始める。

で、親は(私と夫は)非常に疲れる・・・

まさか首都圏に出るためにプレゼント作戦に出たかな!?

親の心子知らずという言葉を、見事にいつも思い起こさせてくれる娘だが、とても気のつく優しい娘でもあるので、下心のない誕生日プレゼントだったと思っている。

その後、ピーチはまったく進路の話をしなくなり、淡々と勉強をしているようにもみえる。
(不気味な静けさとも言えるが・・・)

さてさて、来年の今頃はどうなっていることやら。

ピーチにとって一番よい道へ進んでくれることを祈りつつ、もらったハンドクリームを塗っている。




 


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朝日

2014-01-21 13:49:10 | 日記
会えば不平不満の愚痴ばかりを口にする人がいる。

不平不満の原因は実の親の事だったり、お姑さんのことだったり、旦那さんのことだったりする。

私は、彼女がなぜそんなことに腹を立てるのか分からない。

お姑さんや実の親と同居しているわけではないし、旦那さんは働き者で仕事一筋だが、家庭も大切にしていることは彼女の話から伝わってくる。

広々とした庭付きのステキな自分の家に住み、旦那さんが働いててくれるおかげでお金の心配もなく、素直で健康で成績優秀な子供達がいる。

「一体これ以上何を望んでいるの?」と言いたくなるが、それでも不平不満は尽きないようだ。

彼女とは長い付き合いで、たまに会って話を聞いているが、思うに全て自分の思うとおりになっていかないと、それが不満になるようだ。

例えば、お姑さんに対しては拒否反応を持っているので、はなからお姑さんの言葉を悪く受け取ってしまい、そのたびに腹を立てている。

そして、それをかばった旦那さんには、もっと腹を立てる。

「そうは言っても、それはあなたのせいでもあるよ」

一度そう言ったら、物凄い勢いで怒りの反論が返ってきた。(苦笑)

彼女の口からは感謝の言葉が出てこない。

多分、彼女に言っても無理だろうと分かった上で、私が毎日、先祖供養をして自分が存在していることを感謝していると話したら、「部屋の中が、お線香臭くなるから嫌だ」と言われた。

あぁ、やっぱりね。

分かっていたけど、思ったとおりの答えが返ってきた。

先祖ではなく、自分のことを考えているうちは無理だ。

たとえ先祖供養を始めてみる気になったとしても、自分のご利益目的ならご先祖に対して失礼だから止めたほうがいい。

人は、ともすれば自分がたくさん与えられているのに、それを当たり前のことだと誤解して、感謝どころか不平不満を持ってしまうことがある。

もっと、もっとと、不平不満はどこまで行っても終ることがない。

今のままでも十分幸せ、生きているだけでありがたい・・・そう自分自身が気づかなければ、幸せを感じて安心した心で過ごせることは、これからも決してないだろうと思う。

まさに、それが地獄というものかもしれない。

忘れているけれど、自分が望んで生まれてきたのだ。

今回は、こういう課題にチャレンジするぞと思って・・・

生きていれば、誰しも大波小波と様々な問題に直面する。

でも、まさにそれが今生で自分の乗り越えるべく課題なのかもしれない。

「よし、乗り越えてやろうじゃないの!」

いつもそう思う。

自分の中に不平や不満、悲しみ、そして怒りの感情が湧きあがってきたら、「これが私の課題」と思う。

しかし、人間はそう思えるほど強くなれない時もある。

そんな時は、ただひたすら感謝の言葉をつぶやく。

心から感謝できなくても、感謝するような気分じゃなくても、感謝の言葉を繰り返す。

すると、徐々に心が静まってくる。

そしてまた、いつものように太陽や大自然、そして先祖供養をしている時、心の中に生きている喜びが湧き上がってくる。

自分の課題をひとつ乗り越えつつあると感じる。

もしも先祖供養をすることを知らなかったら、私は今でも彼女と同じように不平不満の愚痴地獄から逃れられていなかったのではないかと思う。

人のため(先祖の為)に何かをする喜び。

生かされているだけでありがたいと思えること。

毎日の先祖供養と大自然に対する感謝が、それを教えてくれたと思う。

それらを知ることができた私は幸運だった。



毎朝7時過ぎに朝日が昇ってくる。

オレンジ色から黄色に変わってくる光はとても綺麗。

この日の朝は氷点下10度の気温だったが、空気中の水蒸気が凍ってキラキラと輝くように見えるダイアモンドダストを見ることができた。


写真に写らなかったのが残念でした・・・









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静かな海の中に居続けたい

2014-01-16 18:10:25 | 日記
20代から30代の頃、人の死期がわかった時期があった。

何も考えずに目を通していた新聞のお悔やみ欄に、突然そこには書かれていない知人の名前が見えてくる。

何気なく見かけた別の知人に対して「もうあまり時間が残されていない」との言葉が無意識に浮かんでくることがあった。

また50代で亡くなった母の時は、リアルな映像として何度も死期が迫っているとの知らせを受け取った。

その時はまさか亡くなるなんて、本人はもちろんのこと、周囲の誰もが信じられないことだったと思うが、悲しいかな一年を待たずに現実となっていった。

50代前半の若さで亡くなった母を始め、私が分かったのは、みんな寿命と言うには若すぎる方ばかりで、病院に行った時にはすでに手遅れという状態だった。

なぜ、こんなことがわかってしまうのか?

まさか直接、本人にそんなことを言うわけにはいかないし、他の誰にも言うわけにはいかない。

これは単なる思い過ごしだと自分に言い聞かせて、見なかったことにしようとしたが、それがやがて現実になり・・・

特に母の時には、なぜ私が分かった時に、すぐに病院に行くように勧めなかったのかと、とても自分を責めた。

しかし、私が分かった時には、もう亡くなる事が決まっていたのだ。

だから、何をしても無駄だったのだ。

ずっとそう思ってきた。

でも、もしもそうだとしたら、事前にそんなことが分かっても何の意味もない。

それが現実になっても、嬉しいどころか悲しすぎる。

こんなことは知らなくてもいいと思った。

しかし、そんなことも40代に入ってからは次第に無くなっていき、今は誰の死期も分からなくなった。

ところで、最近よく思うのは、人の死ぬ時期は変えることができるのではないかということ。

特に癌などの場合、心の持ち方を変えれば治るのではないかと思う。

母は癌が分かる前、大きな悩みを抱えていた。

それは母の実家のことだったが、実家から電話がある度に、母の機嫌が悪くなり、深いため息をついていた。

私も時々、母からそれについての話を聞かされたが、若かった私は母の相談相手になれるほど大人ではなく、いつも聞き流していたように思う。

ずっと悩んだり心配をすること、それから怒りは、自分自身を傷つける行為だと、あの頃に分かっていて、それを母に伝えることができていたら、もしかしたら母の寿命はすこし伸びていたのではないだろうか。

しかし、エラそうなことを書いている私も、心配する気持ちや悩む気持ち、時には怒りが大きくなりそうな時がある。

そんな時は胸が重苦しくなり、まさに自分を傷つけているという感覚になる。

自分自身を傷つけるようなことをしてはいけない。

そう思いなおして、何度も何度も感謝の言葉を心の中でつぶやく。

すると時間はかかっても、必ずまた平常心を取り戻すことができる。

強風と荒れ狂う波の海から、また静かで穏やかな海に戻ってきたような気持ちになる。

感謝をすること。不平不満を言わない、考えないこと。

そんなことはきれいごとだと思う人もいるかもしれないが、こんなことが、もしかしたら決まっていた死期さえも変えることになるのではないだろうかと思ったりする。













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歩こう

2014-01-14 15:50:43 | 介護
お正月に高齢者住宅にいる父には会ったが、また顔を見に行こうと思った。

妹の話では、相変わらず日中も寝てばかりで、ほとんど歩かずにいるので、足がさらに弱っていると言っていた。

それで私は、父の顔を見れば「廊下を歩いたほうがいいよ。歩かないでいたら、足が弱って歩けなくなるよ」といい続けていた。

このままでは寝たきりになってしまうかもしれないと言う危機感があった。

しかし、父には、そんな危機感も歩こうという気力も、ほとんどない。

内臓的には健康なのだが、気力のなさは認知症の症状なのかもしれない。

父の足を鍛えるべく、できるだけ父を外へ連れ出すようにしてきたが、今は雪が積もり、外での散歩は難しくなった。

しかし、先日「どう、たまに外出する?」と電話で聞くと、なんと父は「行きたい」と答えた。

そこで、一緒にスーパーで買い物をして、その帰りに、昔、父がよく行ったというおすし屋さんで食事をする計画を立てた。

ところが、父と出かける約束をした日は、なんと猛吹雪になってしまった。

吹雪の中、雪が積もった道を、父を歩かせるのは、駐車場からお店までの短い距離とはいえ大変だ。

そこで、スーパーは中止にして、お寿司を食べるだけにしたのだが、ここで事件が起こってしまった。

そのおすし屋さんは、父が高齢者住宅に入る前に、よく通っていたお店だったが、父はお店に来ると、必ずビールの中ジョッキを1~2杯飲んでいたそうだ。

今回も父は、いつものように中ジョッキーを頼み、そして美味しそうに最後まで飲み干したのだったが、帰り際、お店の出口で具合が悪くなってしまった。

顔面は蒼白で、とても帰れるような状況ではなく、しばらくお店で休ませて頂いた後、なんとか車に乗せて高齢者住宅へ帰ることができた。

当たり前だが、年を取り、もう昔のようにビールを飲むことはできないのだと思った。

その日の夕方、父の所から帰ってきた私は、すこし寡黙になっていた。

すると、夫が「お父さん、内臓は丈夫だから長生きするって」と、私を元気づけようとして、そう言ってくれた。

そんな夫の気持ちはとても嬉しかったが、実は別の事を考えていた。

父は会うたびに、弱っているように思えた。

一ヶ月と言ってられないくらい、あっという間にできないことが多くなっていく。

そんな父のお尻を叩くかのように「歩け、歩け」と言う事は、はたして良いのだろうかと考えていたのだった。

ずっと寝ていたいのなら、もうそうして好きなようにさせてあげたほうが、父の幸せなのかな・・・とか。

いやいや、でもやはり最後まで自分で動ける方がいいだろう。

今まで寝たきりになった老人を何人も見てきたが、手足の硬直や床ずれなど、本当にかわいそうだった。

「歩け、歩け、歩かないと足が弱るぞぉ~」

顔を見るたびにそう言う口うるさい娘が、一人くらい居てもいいだろうと思う。





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ヘルパーのお仕事

2014-01-10 13:14:39 | 日記
急用の為に休むことになった同僚に代わって、仕事で70代後半の女性宅へ行くことになった。

すこし鬱の傾向がある方だと聞いていた。

さっそくお宅へ行くと、生気のない声と表情でドアを開けてくれた。

女性に促されて室内に入ってみたら、部屋はかなり汚れていた。

部屋のすみの方には綿ぼこりが積もり、干からびたミカンの皮など食べこぼしが落ちている。

また布団や衣服も散乱していた。

ヘルパーは週に一回入ることになっているが、女性の精神状態がよろしくない時は、断りの電話が来るので、実際はあまり入入れず、なかなか掃除をすることができなかった。

急に代理の私が行くことになって、よく断られなかったなぁと思ったら、あとから女性が「本当は断りたかったんだけど、事務所の電話番号が見つからなかった」とおっしゃった。

これだけ物が散乱していたら、電話番号の書いた紙も見当たらなくなるだろう。

本当は来て欲しくはなかったと言いたそうな女性だったが、来てしまったからには少しでも快適に暮らせるようにしてあげたい。

散乱している布団や衣服をたたみ、掃除機をかけていたら、女性が話しかけてきた。

「実は昨年、旦那が死んで・・・」

ご主人は長く病気を患っていたが、昨年、老衰もあって亡くなったのだそうだ。

亡くなってしばらくは大丈夫だったが、最近、身体も精神ともに、とても辛くなってきたのだそうだ。

「そうですか、それはおつらいですね」と女性の話を聞いて相槌を打ちながら、私は黙々と掃除を続けていた。

その時、私は猛烈に「掃除をしたい!」という衝動にかられていた。

あまりの汚さを前にして戦意さえ湧いていた。

「布団はどこへ片付けますか?」

「服は?」

女性に指示をしてもらうようにお願いして、女性の言う場所に布団や服を片付けていたら、なんと女性も一緒に掃除を始めてくれた。

はたきをかけ、雑巾をもって、あちこちを拭き始めた。

「ありがとうございます。じゃあ、拭き掃除はお任せしてもよろしいでしょうか」と言うと、女性は「本当は私は掃除好きなの。具合が悪くなってからやる気が出なかったんだけどね」と言いながら、せっせと掃除をしていた。

女性が手伝ってくれたせいで、一時間が経つ頃には部屋の中はずいぶん綺麗になり、明るくなったような気がした。

「やっぱり綺麗になるといいねぇ」と言いながら、女性は冷蔵庫からジュースを取り出し、美味しそうに飲み始める。

汗ばむくらい身体を動かして掃除をしたので、のどが渇いたのだろう。

そして、私にもコップに注いだジュースを勧めてくれた。

本当はお客様のお宅では、お茶も頂いてはいけないことになっているのだけれど、せっかく入れてくれたので、ありがたくご馳走になることにした。

向かい合ってジュースを飲みながら、女性の口からは話が途切れることなく続いていた。

最初はずっと亡くなったご主人の悪口だった。

若い頃に、旦那のせいでどれほど自分が苦労したかという話を、怒りの感情のこもった声で話しまくる。

まったくこちらが口を挟む暇はない。

「うんうん」と相槌を打って聞いていたが、途中、すこし女性が沈黙をした時に「でも、いい所もあったんじゃないですか?」と聞くと、「うん、子煩悩な人だった」と言われた。

そこから、ご主人の悪口が徐々に良い思い出の話に変わって行った。

ふと時計を見たら、仕事の時間が終ってから一時間近く経っている。

「事務所に戻らなければいけないので」と言って帰ろうとしたら、「今日はなんだかすっきりした。胸のつかえがひとつ取れたような気がした」とおっしゃった。

多分、女性は誰かと話したかったのだと思う。

そして、掃除をしてすこし身体を動かしたら、気持ちが明るくなれたのかもしれない。

私はヘルパーでカウンセラーではないので、女性の話をずっと聴く事はできないが、一緒に掃除ができたことは良かったと思う。

ヘルパーの仕事では、リハビリの為にできることはお年寄りにも手伝ってもらうということにはなっているが、実際はヘルパー任せで、なかなか一緒に掃除をしようとするお年寄りは少ない。

しかし、こうして掃除をしようと思う気力が湧いてくるくらいなら、その女性はまだ大丈夫と思った。

帰り際、「あんたはもう来ないんでしょ?だったら、電話番号を教えて」と女性に言われた。

「それは難しいです」と言うと「お願いだから。あまり頻繁にかけないから」と言われたが、やはりそれは出来ない。

「また交代で来ます」と言って、ドアを閉めようとしたら、外まで出てきて見送ってくださった。

空いている時間にお小遣い稼ぎくらいの軽い気持ちで始めたヘルパーの仕事だったが、なかなか奥が深い仕事だわと思う。







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お・も・て・な・し

2014-01-07 14:34:05 | 日記
お正月、一年ぶりに友人のケイコさんとビルさん夫婦が訪ねてきてくれた。

友人夫婦が住んでいるのはアメリカで、ご主人はアメリカ人。

私の友人が里帰りの為、年に1~2度日本に帰ってくるのだが、その時には、いつも我が家へ遊びに来てくれる。

そして、うちへ来てくれた時には必ず食事をしてもらうのだけれど、いつもながら頭を悩ませるのは食事のメニュー。

友人は日本人なので、いつものうちの献立でもいいか・・・と思えるのだが、はたしてアメリカ人のご主人には何を出したら喜んでもらえるだろうかと頭を悩ませる。

友人曰く「納豆と梅干以外なら何でも食べるから、何だっていいよ」と言ってくれるのだけど、やはり「美味しかった」と思って帰ってもらいたい。

今回は、どんな料理を作っておもてなしをしようか。

ご主人はアメリカ人とは言え、普段は肉類はあまり食べず、妻が日本人の為か、野菜やシーフードが多いと聞いていた。

そこで野菜たっぷりでシーフードを入れたお好み焼きを作ることにした。

お好み焼きは大阪出身の義弟に作り方を聞いて以来、うちの定番料理にまでなっている自信作?だ。

やはり作り慣れているものを出すのが一番かもしれない。

他にもいなり寿司を作った。

いなり寿司にはスモークサーモンや錦糸卵などをのせて、ちょっと豪華にした。

それから野菜料理を2品ほど作り、デザートにはかぼちゃのチーズケーキを焼いた。

飲み物は地酒とビールとコーク(ビルさんはコーラの事をコークと言う)

これが大正解で、特にお好み焼きは好評だった。

ソースとマヨネーズの味がとても気に入ったらしく、何枚もおかわりをしてくれた。

ところで、ビルさんには日本語が全く通じない。英語オンリー。

そして、私たち夫婦は相手の話す英語はなんとなく分かるものの、話したいことは英語では無理。

中学一年生で初めて英語を習い、その後、何年英語をやってきても結局話せなかった。

もっと話せる英語教育をやってもらいたかったわ・・・とかなんとか、学校教育のせいにしてしたりね。

やはり英語をもっと真剣に勉強してこなかったのが悪かった。

パインには「中国語勉強するより、英語やったほうがいいよ」と言われ、確かにその通りだと思った。

そこで、込み入った話はいつもケイコさんに通訳をお願いしていたのだが、なんと今年は心強い「通訳」が2名もデビューした。

それは長男パインと次女ピーチ。

ピーチは高校で英語の成績(だけが)良かったと豪語するし、パインに関しては今春、大学の語学研修で、カナダへ一ヶ月間行ってくる事になっている。

よ~し、今回は英語だけで話そう!

そう決めて、さっそく友人夫婦の前で「トーク イン イングリッシュ~」と子供たちに向かって高らかに宣言すると、ビルさんはとっても喜んでくれた。

ケイコさんによると、ビルさんは日本人が英語で必死に話をしようとしてくれると、すごく喜ぶのだとか。

しか~し、結果は残念なことに。

ピーチは恥ずかしがって話そうとしないし、パインについては「それでホントにカナダに行く?」と不安を覚えるほどの英語力だったことが判明した。

それはさておき、ビルさんの「日本の不思議発見」話は面白かった。

「なぜ日本のスタチューはマフラーや帽子をつけているのか?アメリカでは、スタチューに服は着せない」

スタチューとは、ビルさんが見たお地蔵様のことを言ってるらしく、並んでいたお地蔵様が、前掛けをして帽子をかぶっているのがとても不思議だったそうだ。

日本にいると、お地蔵様が前掛けをつけていたり、帽子をかぶる姿に違和感はないが、あらためてそう言われると、そういえばそうかもしれないと思う。

思うに、あれはただの彫像ではなく、特別なものだからだと思うが、それをうまく説明することができなかった。

ビルさんとは、もっとたくさん話がしたいという願望があるのだが、言葉の壁が立ちふさがって、細部まで語り合うことができない歯がゆさもある。

しかし帰り際、ビルさんには「とても楽しかった」と言ってもらえた。

もちろん、私たちもすごく楽しかったので、「お・も・て・な・し」は、うまくいったのではないかと思う。

そして、私は今年の目標が見つかった。

もっと英語が話せるようになろう。


















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年賀状

2014-01-05 20:56:27 | 日記
お正月にもらった年賀状を一枚ずつ読んでいたら、その中に「親の介護が終わり、今度は孫の世話で忙しくしています」と書かれた年賀状があった。

「誰からだろう?」と宛名を見ると、30年前(あゎゎ、もうそんな昔!?)、短大卒業と同時に就職した会社の先輩だった女性からだった。

私より6歳年上だった彼女は、社内でも評判の美女で、当時全国的にかなり人気があった某ミュージシャンが時々職場まで彼女に会いに来るほどだった。

見た目は美しすぎて近寄りがたいのだけど、後輩である私には気さくに声をかけてくれる優しい先輩だった。

退職した後は、もうお会いすることはなくなってしまったが、今でも年賀状のやり取りだけは続けている。

それにしても、あの先輩にお孫さんができたとは・・・

私の記憶の中では、まだ若くて綺麗なお姉さんのままの先輩だが、もう年齢的には孫がいても、おかしくはないお歳なんだな~と、なんだか感慨深いものがある。

ずっと年賀状のやり取りを続けてきた、当時の会社の上司が数年前に亡くなり、同じく毎年、年賀状で近況を知らせてきた高校時代の担任の先生も、昨年お亡くなりになったと知らせがきた。

時の流れと共に、こうして年賀状の数が減ってくるのは仕方がないことなのだろうな。

もっとも、うちの子供は年賀状は書かないし、年賀状は来ない。

唯一、長女チェリーに高等養護時代の友達や先生から数枚の年賀状が来たくらいだろうか。

今は年賀状ではなく、メールで新年の挨拶をするのだそうだ。

リアルタイムで挨拶ができるし、いちいち年賀状を書く手間がなくて、それはそれで合理的でいいかもしれない。

でも、葉書と違って昔勤めていた会社の上司だとか、学生時代の恩師だとかにはメールで新年の挨拶はできないだろうなぁ。

目上の方じゃなくても、しばらく会っていない人に、いきなりメールで新年の挨拶は難しいような気がする。

ずっと会っていないけれど、どうしているだろうか・・・と、たまにふと思い出すような人たちから届く年に一度の年賀状は、彼らの存在を唯一身近に感じることができるものになっている。

そんなわけで、年賀状を見て、みかんを食べながらのんびりとしたお正月を過ごしていました・・・と書きたかったところですが、なんだか毎日忙しかった。

長男パインが今日、大学のある町へと戻っていったのだが、急にがっくりと疲れが出たような気がしている。

思えば、毎日、毎日、ご飯作りのお正月だった。

たまに帰ってきた息子に、あれもこれも食べさせてあげたいという想いだけで、お正月もごはんを作り続けた。

そして、今日パインが帰って行き、冷蔵庫の中を見たら、あれだけぎゅうぎゅうに食料品が詰まっていた冷蔵庫がスカスカになっていた。

孫ができて、家族そろって子供達がやってきて、帰って行ったあとって、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。

寂しいような、ホッとした様な、そして疲労感とかね。

孫の世話で忙しくなりました・・・

いつか、そんな年賀状を書く日が来るのだろうか。









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