ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

今年最後に

2013-12-31 15:41:17 | 日記
昨日、パートでホームヘルパーの仕事をさせて頂いている事業所から電話があり、「明日、大晦日だけど仕事に出られますか?」と言われた。

私が担当している80代の男性が、ここ1ヶ月あまり入院をしていた為、ずっとヘルパーの仕事が休みになっていたのだが、年末に退院できたため、担当のヘルパーである私に来て欲しいとのことだった。

うちの掃除や料理はおおかた終らせてあるので、1軒くらいのお仕事なら大晦日でも大丈夫。

なにより、久しくお会いしていなかったおじいさんの様子が気になっていたので、すぐに「行けます」と返事をした。

そして今日、一ヶ月ぶりにおじいさんの家へ行ってきた。

チャイムを押すと奥様が出てこられ、ご主人であるおじいさんが肺炎を起こして大変な状況だったと話してくださった。

居間に入ると、おじいさんはいつもの椅子に腰掛けていたが、ずいぶん痩せてしまったように見えた。

「おはようございます」と声をかけると、振り返って「おぉ、あんたか。逢いたかったよ」と言って、笑顔で両手を差し出してこられた。

すぐにその手を握ってあげると、「もうだめかと思った。あんたにも、もう会えないかと思ったよ」とおっしゃって涙を浮かべられた。

その後、入院中のことや体調のことなどお話をされ、そのあとは、私の父や家族のことを聞きたがった。

もちろん、おじいさんは私の父にも家族にも会った事はない。

なぜ、私の父や家族の話を聞きたがるのかと言うと、多分、娘や孫がいたらどのような暮らしをしていたのか、私の父を自分に置き換えて、想像しているのではないかと思う。

おじいさんは私の父と同じ年齢だった。

それを知ったおじいさんは、よく「お父さんはどうしてる?元気か?」と聞いてくれるようになった。

そして、私の子どもたちの事も「元気か?」と聞いてくれるようになった。

おじいさんは、2度の結婚をしたが、結局お子さんには恵まれなかったそうだ。

だから、私を見ると、もしも娘がいたらこんな感じだったのかと思っているのだと思う。

また私の子どもの事も、もしも孫がいたら、これくらいの大きさになっているのかと思っているのかもしれない。

仕事を終えて挨拶をすると、おじいさんはとても優しい笑顔で見送ってくれる。

だから、仕事の帰り道は、私の方まで優しい気持ちになれるような気がする。

帰宅途中、事務所に寄ると「喜んでくれたでしょ?」と同僚に言われた。

「おじいさん、ずっとあなたに逢いたいと言っていたそうよ。やっと逢えて、きっとすごく喜んだんじゃない?」

そう言われて、先ほどのおじいさんの涙ぐんだ顔が目に浮かんだ。

週に一時間だけの短い時間だが、そんな風に待っていてくれる人がいるというのは、仕事をさせて頂く上で、最高の贈り物かもしれない。

それと同時に、私などにそう思っていただけるとは・・・と、もったいなさもある。

そして、やはり物やお金じゃないんだよなあ~と思う。

もちろん仕事で頂くお金は嬉しいが、その嬉しさもずっと続くことはない。

お金や物は、いざ自分の手に入ってしまうと、その嬉しさが徐々に薄れていってしまう。

だから、いくらあってもキリがないのだと思う。

でも、他人から受けた優しさや温かい心は、その嬉しさがずっと続く。

ずっと、ずっと私の心の奥が喜んでいる。

こんな風に嬉しい気持ちで、今年を終えることができて本当に幸せだと思う。

家族を始め、周囲の多くの人たちに感謝して、新しい年を迎えたいと思います。






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ジャズ クリスマスライヴへ行く

2013-12-25 15:11:11 | 日記
夫がよく行く喫茶店でジャズのクリスマスライヴがあるということで、二人分のチケットを買ってきてくれたのは先月11月のことだった。

まだまだ先だわ・・・と思っていたら、あっという間にその日が来てしまった。

そして先日23日、さっそく夫と二人で聴きに行った。

場所はレンガ造りの古い倉庫を改装した喫茶店。

そこはレンガと木材を使った趣のある内装で、とても落ち着ける店内になっていた。

午後6時半開場で7時開演ということだったので、6時過ぎに着いたのだが、すでにステージがよく見える席は満席状態。

どうしようか・・・と思ったら、高い壁に遮られて気がつきにくい場所に並ぶ席を発見した。

そして、並んだ席の一番端の席からは、ステージがよく見えた。

もちろん、よく見えるほうの席は夫に譲ることにする。

なんといってもジャズが好きで、このライヴを楽しみにしていたのは夫なので、お付き合いで来た私とは期待感が違う。

「あとで席を替わってあげるから」

そういいながら、よく見える席についた夫だったが、ライブが始まると、もうそんなことは忘れたように真剣にステージを見つめている。

仕事で大変な毎日を送っている夫だから、たまにはこうして自分の好きな音楽を聴くのもリラックスできていいのだろう。

さて席についてから、あらためて周囲を見渡してみると、お客さんの年代の高さに驚いた。

若くて30代くらいの人がちらほら。

あとは40代から70代くらいまで人たちだろうか。

男性も女性も年代が高いのに驚いた。

まぁ、私たちも50代夫婦なので、まさに本日の客層にぴったりだったようだ。



北海道で活動しているジャズバンド「NEW WAVE」

サザンと矢沢永吉のバックバンドをやっていた方もいて、思わず引き込まれてしまうくらい素晴らしい演奏だった。

そして、次に登場したのが、やはり北海道で活動するコーラスグループ「Honey Vee」



写真がぶれてしまって分かりにくいのだが、女性二人と男性一人のユニットで、その歌声は本当に素晴らしい!

まるで、いまニューオリンズにいるのだろうか?と思うくらい。(行ったことないですけど)

お客さんは静かに珈琲やビールを飲みながら、身体を揺らしたり、足でリズムを取ったりと盛り上がり、静かな中にもノリノリの大人的なライブだった。

それにしても、クリスマスイヴの前夜にこんなジャズライヴを聴きに行くというのは、今まで知らなかった楽しみ方かもしれない。

最初は夫のお供で来たつもりだったが、一緒に大いに楽しむことができた。

クリスマスはクリスチャンじゃなくても、なんとなく心が浮き立つ。

夫と二人でジャズライヴへ行ったので、我が家のクリスマスパーティは本日行う予定になっている。

今日は長男パインも帰省してくるので、久しぶりに家族そろってにぎやかにやろうと思う。

朝食の片付けが終ってからケーキを焼き、チキンを香草に漬けた。

あとは子供達が楽しみにしているパイシチューを作ろう。

さ~て、準備に取り掛かるとしようかなぁ。










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滑らない靴

2013-12-24 16:21:54 | 日記
来年のお札を頂きに神社へ行って来た。



札幌市内にある相馬神社です。

氏神様ではないのだが、私はこの神社がとても好きで、数年前からこちらの神社のお札を頂いて祀っている。

この日の道路は、降った雪が凍ってつるつるだった。

境内までは、かなり急な勾配のある坂道を登って行かなければならない。

のぼる時には、前傾姿勢になるくらい急な坂道なのだが、毎年この時期にお参りに来ると、つるつるの坂道にかなり苦戦しながら登っていくことになる。

(降りるときは、もっと怖いのだが。。。)

みなさん、参道にそって張ってあるロープをつかんで上がっていくのだが、それでも足を滑らせている方がちらほらいて、一緒に行った夫も同様に途中で足を滑らせて転びそうになっていた。

しかし、今年の私は滑らずに登る自信があった。

なぜかというと、新しく買った靴を履いていったから~

毎年、冬になると一度は転ぶか、もしくは転びそうになっても奇跡的に体勢を立て直して転ばずに済むかという、ひやひやの体験を一冬に何度か経験する。

どちらにしても非常に危険なので、絶対に滑らない靴というのが欲しかった。

たまたま作業用の道具や衣服が売っているお店に入ったところ、「滑りに強力な力を発揮する」というキャッチコピーで靴がたくさん店頭に並んでいた。

ひっくり返して靴底を見てみると、金属のピンがたくさん刺さっている。

このピンが凍った雪道に刺さり、滑らない秘訣になっているようだ。

さっそく購入して、相馬神社へ履いていったのだが、これが本当にまったく滑ら~ずですいすい登っていける。

ただ難点は、靴底のピンに落ち葉がくっついてしまうこと・・・

もう少し雪が降れば落ち葉も隠れてしまうのだろうが、今はまだすこし雪の上に落ち葉が残っていた。

神社のものは、たとえ葉っぱ一枚でも持ち帰ってはいけないそうなので、帰るときには足の裏に落ち葉がついていないか、よく確認した。

さて、今回は滑ることを気にせず、足取りも軽く参道を登っていったのだが、私の心も足取りと同様に、とても軽くうきうきしていた。

相馬神社へ来るときは、何故かとても嬉しい気持ちになる。

これは、前にも感じた気持ちと同じだな~と思ったら、青森県の一宮「岩木山神社」へ参拝に行くときと同じ気持ちだった。

建物に歴史があり、大きさも相馬神社よりずっと大きい岩木山神社。

かたやこじんまりと小さな相馬神社。

しかし、神社の大きさも古さも関係はないのだと思った。

この場所の作り出す神聖な雰囲気というか・・・空気のような目には見えない何かが大切なのだろう。

それが何なのかと問われると、やはり神様の存在なのだろうか。

ところで、相馬神社には「厳しさ」を感じる。

これは岩木山神社よりもそう思う。

また氏神様である家の近くの神社は、穏やかさは感じるが厳しさは感じない。

神社によって感じが違うのが不思議であり、おもしろいと思う。

相馬神社は、冬の参道の過酷さが、厳しさを感じさせるのだろうかと思ったが、そればかりではないように思う。

帰り際、名残惜しむかのように相馬神社を振り返って見たとき、まるで昔の父親像のように、厳しくも愛情の深さを感じた。

だから、相馬神社が好きなのかもしれない。

また来ようと思った。

おっかなびっくり転ばないようにゆっくりと降りていく夫を横目に、私はまた足取りも軽く参道をスタスタと降りて行くことができた。

さて、雪道では絶対に滑らない靴だが、なんと大変なことが分かってしまった。

スーパーなどの床では、普通の靴よりずっと滑りやすいという事が判明してしまったのだ!!

金属のピンは雪道では威力を発揮するが、フローリングなどの人口の床では、まるで氷の上を歩いている状態になる。

特に靴底が濡れている場合は最悪・・・

いつものようにスーパーに入り、鼻歌交じりでカートを押していたら、思いっきり足が滑ってしまい、思わず押していたカートにしがみついてしまうという失態をおかしてしまった。

今度から店内用の靴を持って歩こうか・・・

いやいや、そんなこと面倒でできん!

あ~ぁ、いいもの見つけたと思ったんだけどなぁ。。。ちょっとショック








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すりすりすりすり・・・

2013-12-20 15:15:53 | 日記
お弁当や朝食を作り、慌しく家族を送り出した朝、一人でコーヒーを飲みながらオカメインコのP太郎を遊ばせる時間が好きだ。

用事のある時以外は、毎朝決まった時間にP太郎をかごから出して遊ばせている。

「Pた~ん、あそぼ~」

つい鳥だという事を忘れ、まるで幼い子どもに語りかけるように声をかけると、Pたん・・・いえP太郎は、かごの中からこちらを見て「にっこり」と笑ってくれる。

そう、にっこりと笑うのだ!

これは飼い主にしか理解不能かもしれないが、小鳥も嬉しいと笑うという事を、P太郎を飼ってみて初めて知った。

ところで、オカメインコは野生では集団生活をしているとか。

そのためかP太郎は、かごから出している時は、そばに人間がいないと不安になるようだ。

独りにすると遊びをやめて、ピーピーと大声で人を呼び始める。

それがかなりうるさいので、最初は仕方なくP太郎の近くに座っていたのだが、今では、P太郎の遊ぶ姿を見ながら癒されている。

気がつくと、1時間以上もP太郎を見ていたりして、大慌てて仕事をし始めることもある。



さて、もっかP太郎の好きな遊びは、ダンボール箱で作った「家」を壊すこと。

カジカジして入り口を大きく広げてしまいました。

さらに只今、家の中もカジカジと改装中(破壊中)





オカメインコはとても臆病な鳥なのだけど、こうして地道な交流を重ねた結果、P太郎はずいぶん人間を怖がらなくなってきた。

例えば、以前は背中を触られるのを非常に嫌がっていたが、今では、頬ですりすりしても嫌がらずにじ~っとしているまでになった。

そして、これがまたとっても気持ちいいの~

すべすべで、しっとりで・・・P太郎の背中に頬をつけている時は、まさに至福のひととき。

すりすりすりすりすりすり・・・ずっと頬をつけていたい。

それにしても、P太郎の背中は羨ましいくらいにすべすべ。

年々、油分が抜けてきた自分の頬を撫でながら、どうしたらこんなしっとりすべすべになれるのだろうかと考えていた。

いろいろと化粧品を試してみたが、年齢と共に肌質が変わってきたせいか、どんな化粧品でもOKというわけにはいかなくなって来た。

そんななかで、最近使ってみて「これはいい!!」と思ったヒット商品がある。

それはニベアクリーム。

青色の缶にニベアと白い文字が入った昔からあるアレです。

ちまたではもう有名な話なのだそうだが、ニベアクリームの成分というのが、一個数万円という米国の超高級クリームと、ほぼ同じなのだそうだ。

一個400円ほどのニベアが数万円のクリームと同じ!?

ホントかいなと疑いつつ、しばらく買うのをためらっていたのだが、別に顔に塗らなくても手に塗ればいいじゃないかと買ってみたところ、これが以外と肌に合った。

べたつくクリームを顔に塗るのは嫌だと思ったが、べたつくのは最初だけで、時間が経つうちに肌に吸収されるのか、べたつかずしっとりすべすべの肌になる。

また、今のところ肌に異常は出ていないので、敏感肌の私にも大丈夫のようだ。

今や、次女もお風呂上りにニベアを顔に塗るようになり、ニベアの青缶は洗面化粧台の一番目立つ場所にででーんと鎮座している。

P太郎の背中のような肌になりますように・・・と思いつつ、今日もニベアを顔と手にすりすりすりしている。

すりすりすりすり・・・










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事情聴取

2013-12-16 12:51:14 | 日記
夕方、長女が「あー気持ち悪かった」と言いながら帰ってきた。

「どうしたの?」と聞くと、長女がバス停でバスを待っていたら、目の前に停まった車から、知らないおじさんが降りてきて「送ってあげるから車に乗らないか?」と言われたそうだ。

長女は軽度の知的障害があるため、この手のことには、親も非常に気をつけていて、長女には、いつも口をすっぱくして「知らない人の車には絶対に乗ってはいけない。例え、お父さんやお母さんから頼まれたと言っても、それは嘘だから、ぜ~ったいに乗ってはいけない!」といい続けていた。

それが分かっていた長女は「バスで帰りますからいいです」と断ったらしい。

すると、その男は自分の携帯電話を出して、娘に「アドレスを交換しよう」と言ったとか。

実は、娘はメールアドレスを持っていない。

「メールはできません」と娘が断わったが、男はしつこくアドレスを教えろと迫ったらしい。

そうこうしているうちにバスが来て、娘はそのバスに乗り込んで事なきを得たのだが、私は娘からこの話を聞いて、どうすべきか考えた。

警察に知らせる?

いやいや、これくらいなら知らせなくてもいいのかな?

すこし考えて、とりあえず警察には知らせず、すぐに娘の通う作業所には連絡を入れた。

作業所のスタッフの方も驚いて、明日からはもう少し早い時間に帰宅させてくれることや、しばらくは離れた場所から娘を見守ってくれることなどの対応をとって下さる事になった。

作業所のスタッフの話によると、娘が声をかけられた付近では、以前も何件か同じようなことがあったそうだ。

翌日、作業所から電話があり「一応、警察に連絡をしましたが、警察の人が直接、娘さんに詳しくお話を聞きたいそうなので、警察に電話をしてください」と言われた。

長女は、初めての人と話すのが苦手なので、警察の人に聞かれて、状況をちゃんと答えられるか心配だった。

まして、制服を着たおまわりさんなら余計怖がるのではないだろうか・・・

長女に事情を話し「おまわりさんに聞かれたことを答えられる?」と聞くと、娘は「できる」と答えたので、警察に電話をして家に来てもらうことにした。

電話を切ってまもなく、赤色灯をピカピカさせながらパトカーがやってきた。

警察官は、娘に不審な男の人相と服装を聞いて「似顔絵」を描いていった。

警察官の質問に、以外と冷静に答えていく娘。

「顔の形は?」

「丸です」

「髪の毛は?」

「ないです。ハゲです」

「眉毛は?」

「ふつうです」

・・・・・・・・・

「上はどんな服装でしたか?」

「紺色の作業服。胸には、たぶん会社の名前だと思うけど、刺繍で字が書いてありました」

ええー!!ホント?

娘から聞いていなかったことが出てきてびっくり。

「なんと言う字が書いてあったか覚えていますか?」とおまわりさんに聞かれたが、娘は「覚えていません」と答えていた。

質問に答えている娘をみて、知らない人と話すことも大丈夫になってきたんだなぁ、大人になってきたなぁ・・・と嬉しく思っていた。

さて、出来上がった似顔絵を前に、おまわりさんは「これは何パーセントくらいの割合で、その男に似ていると思いますか?」と娘に聞いた。

「50パーセントくらい?70パーセントくらい?」とおまわりさんに聞かれて、娘は困った顔をしている。

そういう聞き方では、娘が答えるのは難しい。

娘は数字の概念というものが欠落しているのだ。

だから割合を聞かれても分からない。

「あの・・・何パーセントと聞かれても理解できないです」と私が横から話すと、おまわりさんは「分かった」という顔をされて「じゃあ。。。この絵にそっくりなのが100として、まったく似ていないのが0としたら、この絵は、どれくらいだと思う?」と言った。

「だから、そういう聞き方じゃ分からないんですってば」と言いたかったが、それは口には出さず、娘に「全然似ていない?すこし似ている?それともすごく似ている?」と聞いてみた。

娘から帰ってきた答えは「すごく似ている」だった。

他にも乗っていた車の色や特徴を聞かれ、おまわりさん達は事細かにメモを取っていかれた。

そして、この情報は近隣の小中学校にも流しますとのことだった。

不審者が出ると、熊が出たのと同じくらいの早さで近隣住民に知らさせる。

やはりこういう情報を知っておくと、子供を持つ親は注意をするので、事件を防ぐためには大切だと思う。

「これだけで捕まえることはできませんが、事件を未然に防ぐために、万が一またこのようなことがあれば、すぐに知らせててもらえると、我々も助かります」

おまわりさんは、そうおっしゃって帰っていかれた。

もう二度とこのようなことに遭わないことを祈っているが、とりあえず娘には防犯ブザーを持たせようと思っている。








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ふっかーつ!

2013-12-13 14:36:07 | 介護
朝方、夢を見た。

私は、ひとりで薄暗い部屋の中にいた。

部屋の扉は、はめ込みの曇りガラスになっていた。

突然、曇りガラスの向こう側に人の顔が映った。

曇りガラスなので、顔の細部などは分からない。

てっきり誰かが来たのかと思ったが、すぐにそれが違うことに気がついた。

なぜなら、人間にしては顔がずいぶん上の方に付いていたから。

それはとても不気味な感じで、なんだか宮崎映画に出てくる妖怪の「カオナシ」に似ていると思った。

その不気味なものを見ていたら、急に涙が出そうになった。

涙が出そうになったのは、恐ろしくて・・・ではない。

自分のふがいなさに腹が立ったからだ。

毎日、感謝想起をして、先祖供養をしているのに、まだこのようなものが寄って来て、それが見えてしまうとは・・・

そう思うと、自分が情けなくて泣きたくなってしまったのだ。

その不気味な顔は、私が見つめていると、すっと消えてしまった。

急いで扉を開けたが、やはりそこには誰も居らず、ただ暗い地下へと降りていく階段だけがあった。

思わず階段の先にある暗い地下に向かって感謝想起の言葉をつぶやいたが、思い直して「エイッ!!」と声を出した。

一刻も早く、あの不気味なものを払いたかったから。

それにしても、我ながら気合の入ったよい声がでたなぁと思ったら、突然耳元で「払ってくれたのか?」という声がした。

「父の声だ」

そう思った途端、目が覚めた。

なぜこんな変な夢を見たのだろう。

実は心当たりがあった。

先日、病院で検診を受けた父だったが、腎臓に異常が見つかってしまった。

医師からは、大きな病院でもう一度診てもらうように告げられた。

さっそく紹介された総合病院の中にある泌尿器科で、造影剤を入れて写真を撮ったところ、右側の腎臓から出ている管が、内部にできている何かによって、とても狭くなっている事が分かった。

父に付き添った妹によると、医師からは「このような場合、ほぼ腎臓の全摘出になります」と言われたそうだ。

驚いた妹が「薬でなんとかならないのですか?」と聞いたところ、「薬だけでは無理でしょう」とのことだった。

高齢で体力が落ちている父に手術とは・・・

手術なんてしたら、このまま寝たきりになってしまうかもしれない。

認知症の悪化も心配だ。

とりあえず後日カメラを入れて、さらに詳しく調べることになった。

「何かできてるって、それって癌のことかな・・・」

そういう妹の言葉に「そうかもしれない」と思った。

そして、父に全身麻酔をかけての検査が行われる日、私は夢を見たのだった。

「このままにしておくことはお勧めしません。手術したほうがいいです」という医師の言葉を、遠く離れている弟にも伝え、そして兄妹で相談した結果、それに従おうということになっていたので、腎臓摘出も覚悟していた。

高齢だから仕方がない。

医師におまかせするしかない。

そう腹をくくり、普段はなるべくそのことは考えていないつもりだったが、やはり心の中に父の事が鉛のように沈んでいた。

だから、あんな変な夢を見たのかもしれない。

ところが、結果はまさかの大どんでん返しだった。

詳しい検査の結果、腎臓の管の中にはナニもなかった。

ただ昔、炎症を起したような跡があったこと、隣に太い血管があることと、前立腺肥大もあって、それによって管が圧迫されて狭くなっていたことが分かった。

だから腎臓の手術はしなくてもよくなり、飲み薬だけで治療をすることになった。

もちろん、すぐに退院もできることになった。

麻酔から冷めた父が、病院のベッドの中で、ピースサインをしている写真が、付き添っていた妹から送られてきた。

「ふっかーつッ!!」

笑顔でピースサインをした父の写メに添えられた言葉が、嬉しくも可笑しかった。










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生かすも殺すも自分しだい

2013-12-08 11:17:34 | 日記
私がまだ子どもだった頃、両親が突然いなくなってしまったらどうしよう・・・と考えることがよくあった。

そして、それを考えていると不安でいっぱいになり、どうしようもない怖さを感じたものだった。

特に母に対しては「どうして私を置いていったの?」という恨みの感情が湧き上がって来ることがあり、それとは逆にどうしようもなく母が恋しいという気持ちも強く感じることがあった。

子供の頃はもちろんのこと、成長してからも、なぜそのような感情が湧きあがってくるのか分からなかった。

現実生活では両親が自分を置いていなくなるかもしれないという状況では決してなく、わりと恵まれた家庭環境で育ったはずだったから。

ところが、数年前になぜか同じ映像を繰り返し見るようになり、そこからどうしてそのような感情が出てくるのか理由が分かったような気がした。

それは、過去世で自分が抱いていた感情だった。

過去世では、親が何らかの理由で私を育てることができず、修道院がやっていた孤児院に預けられ、そこで育てられた。

まったくこんな事を書くと、妄想で頭がおかしいのではないかと思われるかもしれないが、それでもいいと思って書くが・・・

とにかく、その時の感情が未だに昇華されず、今世に持ち越してきてしまったのだろう。

それが分かってから、母への憎しみや親がいなくなるかもしれないという不安や恐怖は、きれいさっぱり消えてしまった。

ただ時の経過と共に、母親が病気で亡くなり、また父も老齢で残された時間はもうそれほど長くはないかもしれないという、子供の頃に恐怖を覚えていた「両親がいなくなる」ということが現実になってきている。

しかし、今はもう子供の頃のように「親がいなくなったら・・・」という不安や恐怖心はない。

残された父親には、自分ができることは何でもやってあげたいという気持ちになっている。

時々、父の行動や言動にカチンと来ることもあるが、やはり父に対する愛には変わりがない。

年老いて認知症の父の介護や障害を持った長女の子育てなど、傍から見ると、とても不幸で大変そうに思われるかもしれないが、それは全く違う。

そのような経験をさせてくれる彼らを通して、私は多くのことを学ばせて頂いていると思う。

だから、彼らには感謝している。

私の学びに協力してくれてありがとう。

52年間生きてきて、それなりに難問にも直面してきて、そして今、はっきりと分かったことがある。

人が何度も何度も生まれ変わってくる理由のひとつは、愛や慈悲の心を、他人はもちろん、地球上のあらゆる動植物にも、かけることができるようになることだったのだ。

どんなひどい仕打ちをされた相手にも慈悲の心を持てるのか、また、どうしようもなく手がかかる相手にも愛を持ち続けることができるのか、試されているのだ・・・いや、正確に言うと、自分で試しているのだ。

その課題がひとつクリアできた時、心の中には言いようのない喜びが満ち溢れ、そしてとても安らかな気持ちになる。

まだまだ全てをクリアすることは難しいが、一つずつ歩みはゆっくりでも自分の課題をクリアしていきたいと、今とても強く思っている。

ところで、テレビを観ていたら、昔ヒット曲を出して、その後結婚して芸能界を去った元歌手の女性が出演していた。

彼女は結婚後、子どもを授かるが、生まれてきた子はダウン症だったそうだ。

ただせさえ初めての子育ては大変だと言うのに、ダウン症を持った子どもの世話は、本当に大変な苦労があったそうだ。

また、わが子に障害があったということは、精神的にも非常につらかった。

そんなことで、夫との仲がぎくしゃくし始め、ついに夫は家を出て行ってしまう。

夫がいなくなり、彼女はダウン症の息子さんを女手ひとつで必死に育てられたそうだ。

経済的に困窮し、歌手時代の持ち物を売り払い、それでも足りなくなって親戚や知人に頭を下げて借金をしたそうだ。

そして現在、数々の難問を乗り越えて、成長した息子さんと二人で力を合わせて暮らしている彼女の顔からは、愛と慈悲が滲み出ているように思った。

「人生に保障はない。誰も難問に直面する。直面することによって学ぶことができるのだ。

生まれた瞬間から難問に直面する人たちは一番大きなケアと慈しみを必要としているが、命の唯一の目的が愛であることを思い出させてくれるのも、その人たちなのだ」


これは、米国の精神病医キュプラー・ロス女史の言葉だが、「生まれた瞬間から難問に直面する人たち」・・・つまりダウン症を持って生まれてきた息子さんのような人たちが、周囲の人々・・・特に両親に愛を出すことを思い出させてくれるというのはよく分かる。

だから、価値のない人はいない。

犯罪者も自分自身を嫌っている人も、命あるものはすべてに価値があり、その与えられた価値(命)を、どう生かすかが個人個人に与えられている選択の自由なのだと思う。













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いつか行く道

2013-12-04 12:46:38 | 介護
高齢者住宅に住んでいる父の所へは、週に一度は様子を見に行くようにしている。

今回は隣の病院で診察もあった為、事前に何度も父に電話を入れておいた。

「今日は病院だからね。あとで行くから用意しててね」

何度もしつこく電話したら、父は「わかった、わかった」と面倒くさそうに言って電話を切られた。

実は、前に同じように診察があった時、「今、そっちに向ってる」と電話をしたのだが、父はそれを忘れてしまって、のんびりお風呂に入っていたということがあった。

そのときは、結局、予約した時間に間に合わなかったのだが、これからは、そういう事態はなるべく避けたい・・・

しかも今回は病院が終わったら、妹も連れて、人生初の「ねこカフェ」に行くことになっていた。

最近は日が短くなったので、あっという間に暗くなるし、気温の下がる夕方は道路の凍結も怖いので、できるだけ早い時間に帰りたい。

そのためにも、早め早めに動こうと思っていた。

しか~し・・・

これがまた、思うように事は進まずで、まず父がゆっくりとしか動けなくなってきた。

足が弱ってきたので仕方がないのだが、歩く速度も段差を上がるのも、まるでスローモーションを見ているようだ。

特に雪が降って道が凍っている場所などは、私が父の腕を組んで転ばないようにゆっくりと歩いたのだが、身体の大きな父がもしも転びそうになったら、私は支えられるだろうかという不安があるので、よりゆっくりと慎重になる。

父娘で一緒に転ばないように、慎重に歩いて行ったため、わずか数十メートルの場所にある病院だが、かなりの時間がかかった。

さて、やっと病院に着き、名前を呼ばれるのを待つ間も、父は頻繁にトイレに行きたがる。

義父もそうだったが、歳を取ると尿の出が悪くなって、すぐにトイレに行きたくなるようだった。

そして、その度に父をトイレまで送り届けるのだが、そうこうしているうちに、診察室から名前を呼ばれてしまったので、父をトイレに迎えに行き、荷物を抱えながら、あたふたと診察室に入った。

なんとか病院が終わり、今度は父を車に乗せて妹を迎えに行かなければいけないのだが、車に乗るという動作も、歳を取ると難しくなってくる。

段差がそれほど高くない車でも、筋肉の落ちた足を上げることが難しい。

車のシートに座っても、腰をずらして奥へ入ることが難しい。

父を介護しながら、数年前に無くなった義父の姿と重なっていた。

義父は同居する前からずいぶん弱っていたと思うが、それでも最後まで自分の足で歩いていた。

やはり超スローモーション的な動きで、義父が一歩進んでいる横を、私がまるで映画の早送りのように動き回っていた。

同居し始めた頃、歳を取るとどうなるのかよく分からなかった私は、「どうしてこんなにゆっくりなのだろうか?」と思っていた。

しかし、同じなのだ。

遅かれ早かれ、歳を取るとみんなそうなっていくのだ。

そして身体の衰えもそうだが、脳も老化してくる。

昔のことは覚えていても、今のことは覚えられなくなる。

「この前話したのに、どうして分からないの?」と怒っても、それは仕方がないことなのだ。

だって忘れちゃうんだから・・・

母が亡くなる前、当時80歳を過ぎていた母の母(私の祖母)が、娘の看病をしたいと行って、わざわざ遠方から来て、私と一緒に母の病室に泊まりこんでくれた。

80歳を過ぎていた祖母は、やはり身体が若い頃のように動かないし、物忘れもひどかったが、それでもできる限りのことはやってくれていた。

ところが、父はそんな祖母に冷たかった。

母がもう助からないと分ったショックもあったのだと思うが、いつもの父ではなくなっていた。

祖母がトンチンカンな質問をしたりすると、「なんだぁ?」と言ってにらみつける。

祖母に対する一言、一言にとげがあり、その度に祖母がオドオドしているのが分かった。

「もっと、おばあちゃんに優しくしてあげたら」と言うと、「そうだな。わざわざ来てくれたんだもんな」と言っていたが、まだ若くて元気だった父は、歳をとって物忘れをしたり、動きが悪くなった祖母にイライラしていたのだろう。

母が亡くなるまで、そばで看病してくれた祖母には、「ありがとう」の言葉をかけることはなかったと思う。

でも、今の父は、そんなことも忘れちゃってるんだろうな~

夫の年老いた両親と同居して、多少なりとも介護をして、また今、実父の介護をしてよかったと思えることは、いずれ自分も行く道だとはっきり認識できたことかもしれない。

いつか自分も同じようになるのだから、老人に対しては、けっして辛く当たったり、バカにしたりしてはいけないという事なのだ。

・・・というわけで、話は変わるが、人生初の「ねこカフェ」に行ってきました。



父が無類の動物好きなので、ねこと触れ合える「ねこカフェ」に連れて行ったら喜ぶのではないかと思ったのだ。

もちろん、父は喜んでくれたが、それ以上に喜んでいたのは、私と妹だったかもしれない。

妹など「心拍数あがる~~~っ!!」と言って興奮していた。

しかし、あれですね・・・

ねこちゃんっていうのは、寝ていることが多いんですね。

犬と同じような気分で迫っていくと、するりと逃げられて、高い棚の上とかで眠ってしまう。

「前にうちで飼っていたのと同じ毛色だ」と父は言うが、ねこを飼っていたのは、私が乳児の頃でほとんど記憶がない。

なので、ねこ慣れしていない私と妹は、どうもうまく猫ちゃんとコミュニケーションが取れず、ただただ寝姿を眺めていた。

そして、どうしても我慢できず、時々肉球などを触っては猫に嫌がられていた。

今度行く時は、もっと上手に交流を深めたいと思いながら、写してきた猫の写真を見て「やっぱり可愛い~」と興奮している。









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大きなプレゼント

2013-12-01 20:37:53 | 日記
先日、美容整形外科に行き、顔のしみをレーザーで消してもらったのだが、また同じ病院で残っていたしみにもレーザーをかけてもらった。

今回のレーザー治療は、顔の広範囲に渡った為、今は片側のほっぺに大きなガーゼが貼られ、他にも小さな絆創膏が顔中にぺたぺた貼られている。

「まるでフランケンシュタインだな」と、夫から言われるほどの状態になっている。

最初の診察では、まず気になるしみだけをやって頂き、それが気に入ったら他もやりましょうと言われていた。

私の場合、しみの数が多いせいか、両頬すべてをやった場合、10万円ほどかかるというお話だったが、最初の治療は気になったしみだけをいくつかやって3万円ほどだった。

それにしても、最初にやった部分は、すこし赤みが残るものの跡形もなくしみが消えた。

けっこうな大きさで、自分ではとても気になっていたのだが、それが無くなっただけでもう大満足だった。

他にも小さなしみはあるが、あと7万円をかけてやらなくても、これで十分かなと思っていた。

ところが・・・

なんと先生が、わたしの顔のしみを診察しながら「この辺のしみも気になるね。いいよ、残りは1万円でやってあげましょう」とおっしゃってくれた。

「ひぇー!たった1万円でいいんですか!?」

びっくりして聞き返すと「いいですよ。10万なんて高すぎるでしょ?」と先生。

7万円が1万円になるなんて、ずいぶんアバウトな価格設定だと思ったが、こちらの病院はべつに怪しい闇の病院と言うわけではなく、他の皮膚科から紹介された正真正銘の病院。

もちろん、きちんとした機械を使って治療をしている。

レーザーは他の美容整形でも大体10万くらいはかかると言われていたので、10万と言う治療費もけっしてボッタクリではないと思う。
(しみの治療は保険が利かず、全額自費負担なので・・・)

「1万でやってあげます」とおっしゃって下さったのは、とてもありがたく、また嬉しいのだが、あまり安いと逆に気兼ねをしてしまう。

思わず「先生、もっと払います」と言ったのだが、先生からは「そんなこと気にしなくていいです」と言っていただき、横でにこにこしていた看護師さんからも「気にしなくてもいいですよ」と言われた。

そして、「気になるしみ全部に貼ってきてください」と麻酔薬のテープを渡された。

気になるしみ全部と言われると、あちこちに貼りたくなってしまうが、やはり1万円にしてもらった手前、そんなに数多く貼るのはマズイだろう・・・

あっちにもこっちにも貼りたい気持ちを抑えて、すこし遠慮して数箇所だけ貼って行った。

ところが、医師はレーザーをかけ始めると、麻酔テープを貼っていかなかった部分のしみにも「すこし痛いですが・・・」と言いながらばんばんかけてくれて、終った顔を鏡で見たら、ほぼ全てのしみにレーザーが当たっていた。

長年、気にしていたしみが一気に無くなるなんて舞い上がるくらい嬉しい。

まるで夢のよう~

しかし、こんなにレーザーをかけてもらいながら一万円しか払わなくていいとは本当に申し訳ない。

「ありがとうございます」と「すみません」ばかりを繰り返していたら、先生は大らかに、にこにこ笑いながら「いいです、いいです」とおっしゃってくれた。

それにしても、なぜ治療費をまけてくれたのだろう?

最初のレーザー治療の時、あまりにも私が喜んでいたせいだろうか。

それとも、この病院を紹介してくれた皮膚科の先生とよほど親しい間柄で、「今度、うちの患者が行くからよろしく」と言われたのか?(これはないか・・・)

はたまた、普通の主婦に10万は高額過ぎるだろうとのお心遣いだったのか・・・

どちらにしろ、本当にありがたく嬉しかったので、せめてもと、その医院で売っている日焼け止めクリームを購入してきた。

そして、もう二度としみは作らせないぞ!!と固く心に誓った。

レーザー治療の後は、しばらく日に当たることは厳禁なので、日差しの弱くなった今の時期も日焼け止めクリームは必須だ。

また、レーザーを当てた部分は、外出する際は、紫外線を浴びないように、必ずガーゼで覆わなければいけない。

毎日通勤しなければいけない人は、長い休みの時じゃないと、きっと難しいのではないだろうかと思う。

今回の治療は、あまりにも広範囲にやって顔半分がガーゼで覆われている為、仕方なくマスクをして外出しているが、それでも覆いきれないのが難点だ。

それを妹に話すと「めざし帽かぶったら」と言われた。

めざし帽と言ったら、目と口だけ穴が空いてて、強盗がよくかぶってるやつ!?

でも、あれなら日に当たることもない。

うん、いいかもしれない・・・なんて、本気で思うほど紫外線対策に戦々恐々としている。

それにしても、長年の夢だった「しみ取り」が、こんな風に実現できてとっても幸せ・・・

今年最後に大きなプレゼントをもらった気分になっている。








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