ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

年の瀬

2023-12-30 17:55:35 | 日記

年の瀬を迎えて、今日から年末年始に食べる料理の作り置きをしている。

毎年作るものはだいたい決まっていて、黒豆を煮て、なますと煮物、焼き豚か煮豚を作る。

あとは普段の食事を作るように、その都度作ろうと思っている。

義父母が生きていた頃は、頑張ってたくさん作っていたが、今は年始に長男夫婦をもてなすくらいなので気が楽だ。

ところで年の暮れになると、母がお正月料理を作っていたことを思い出す。

実家ではお正月に親戚が何組も来て食事をして行くので、母はたくさんの種類の料理を作っていたが、今考えると本当に大変だっただろうと思う。

あの頃の私は、母の大変さなど微塵もわからなかった。

母が亡くなって35年も経ってから、忙しい母を手伝わずにいた自分に呆れ、今の自分なら何でも手伝ってあげたのにと思って、ちょっとウルっとしている。

ところで最近涙もろさに拍車がかかってきて、ちょっとしたことにウルッとしてしまう。

テレビを見てうるうるするのは当たり前で、X(ツイッター)で「可愛がっていたペットが死にました」なんてのを読んだだけで涙が止まらなくなる。

若い頃は、こんなことでは泣かなかったはずなのに。

でもこういったことは自分が経験してきたからこそ、相手の気持ちがわかるようになったのかもしれない。

戦場カメラマンの方が書かれていた。

「少年兵の方が簡単に人を殺す」そうだ。

大人は敵兵とはいえ、その人の背景にあるものを想像して憐れみの気持ちが多少湧くが、子どもは経験が少ないので、そう言ったことが少ないのだとか。

これも人によるとは思うが、、、

子どもであっても慈悲の心を持っている人は多くいるし、大人になっても慈悲心がない人もいる。

でもやはり自分が経験してきたというのは大きいと思う。

大人は、生きた年数分たくさんの経験を重ねてきた。

自分にとってよいこともあれば、そうじゃないこともたくさん経験してきた。

大人になると、いろんなことをもういっぱい背負っているから、何かを見ても自分の中で経験したものと重ね合わせて、こみあげてくるものがあるのかもしれない。

そういう意味では、いろんな経験をしていろんな感情を味わうことはよいことなのだろう。

それを経験するために人は生まれてくるのかもしれない。

これからもまだまだ多くの経験をして、いろいろな感情を味わって生きたいものです。

今年最後のブログ更新ですが、このような読者の少ないブログを探しあてて読んで下さった皆さま、ありがとうございました。

読んでくださる方がいることが、ブログを続ける原動力になっていると、あらためて感じています。

また来年もぼちぼち書いていきたいと思っています。

どうぞ良いお年をお過ごしください。


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お札を頂きにいく

2023-12-25 16:05:58 | 日記

先週のことだが、崇敬する神社と氏神さまへ新しいお札を頂きに行ってきた。

まず崇敬する相馬神社へ。

しばらく雪が降っていないので、路面がスケートリンクのように滑る。

幹線道路はアスファルトが出て車は走りやすいのだけど、中道に入ると危険極まりない。

相馬神社の参道もツルツルのスケートリンクになっていて、かなり傾斜のある道なので超危険だった。

そこで参道を行くのは諦めて、少しなだらかな傾斜の別の道から登って行くと、原生林の趣きを残した場所に出た。

こちらもまた気持ちの良い場所だった。

ところで年末のせいか、相馬神社も氏神さまも参拝に来ている方が多かったが、今回は氏神さまである神社の空気が少し変わったことが印象的だった。

自宅近くの神社なので写真は載せられないが、何だかとてもパワフルになったような気がした。

相馬神社は厳格な雰囲気を感じるが、それとは対照的に氏神さまの神社は柔らかく優しい感じがする。

これはお祀りしている御祭神の違いなのかと思うが、それぞれの御祭神のことを知らなくてもそのように感じる。不思議だなぁと思う。

ちなみに相馬神社の御祭神は天之御中主大神で、氏神さまの御祭神は天照太大神だが、氏神さまの柔らかく優しい感じは変わらなかったが、今回は、それが更に力強くなっていて、私の目の錯覚かもしれないが神社全体が光に包まれているように見えた。(多分、目の錯覚)

ところで相馬神社の参拝を終えて、参道を降りていたら鳥居の前を通りかかった年配の男性が、鳥居の前で立ち止まろうとしているのが見えた。

道が滑り、更にでこぼこしているので、足元が安定せず危ない。

大丈夫かなと思いながら見ていると、おじいさんは足元を気をつけながらもなんとか神社の方に向くことができた。

すると被っていた毛糸の帽子を脱ぎ、姿勢を正すと深々と一礼した。

神社の前を通る時は一礼すると聞いたことはあったが、実際にやっていらっしゃる方を見たのは初めてで、恥ずかしいながら私もほとんどやったことがない。

何だかとても清々しいものを見せて頂いた様な気がした。

おじいさんは参拝せずにそのまま去って行かれたが、特に冬は歳を取ると、相馬神社の参拝は厳しいだろうなと思う。

というわけで、毎年の恒例の新しいお札を頂きに神社へ行く行事も無事に終わった。

神棚を掃除して新しいお札をお祀りして、新しい年を迎える準備をしている。


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よくないことは終わりにしよう

2023-12-19 16:13:40 | 日記

次女が一人暮らしを始めるというので、持って行く布団を出していた。

我が家は、布団だけはたくさんある。

義父母と同居する際、義父母たちが旅館でも始めるのかと思うくらい大量の布団を持って来たのだ。

戦後の物のない時代を経験した世代の家は、実家もそうだったが、なぜか布団をたくさん持っている。

昔は親戚などがよく泊まりに来たので、布団もある程度は必要だったのだろうが、どう見ても多すぎる数で、夫が「こんなに持ってきて押し入れに入らない。捨てるぞ」と言ったが、義母が「もったいない。絶対に捨てない」と言い張った。

結局、親戚に声をかけて欲しい人に持って行ってもらったが、それでも押し入れに入り切らなかった布団が、ずーっとロフトに入れっぱなしになっていた。

今回は「新しい布団を自分で買う」という次女に見てもらって、あわよくば買わずにウチにある布団を持って行ってほしいと思っていた。

で、半年ぶりに(いや一年ぶりかも)ロフトへ行ってみた。

布団は湿り気や見た目にカビは無さそうだが、広げるとやっぱりカビくさく古い物特有の臭いが鼻をつく。

これは次女が持っていくとは言わないもしれない。

もったいないので(今になって義母の気持ちがわかる)比較的きれいな布団は私たちが使い、もう使わない布団は処分して行こうと夫と話していた。

ところで最近の夫の口ぐせが「俺たちの世代で終わりにしよう」なのだが、これは昭和を生きた親世代の慣習を、自分たちの世代で終わりにしようということで、まだたくさんある古い布団を前にして、また口ぐせの「俺たちの世代で終わりにしよう」と言った。

これは何も布団ばかりのことではない。

長男夫婦は親の面倒を見なければいけないとか、自分たちの大切なものはきっと子どもたちにも大切で必要なものだろうと言った我よしな考えなど、私たちが「これはおかしい」と思いながらも従ってきたことを、もう私たちの世代で終わりにしようということだった。

ところで捨てるという行為は、私が貧乏性のせいか精神的にとても負担に感じる。

特にまだ使える物を捨てるのは心が痛む。

これは自分のものじゃなくても同じで、実家や義父母が亡くなったあとの家の整理は「もったいない、でも取っておいてどうする?」という葛藤の連続でとても疲れた。

ほしいと言ってくれる人がいたら喜んで差し上げたいが、人にあげられるようなものばかりとは限らない。

自分がこの世から居なくなった時には、捨てようが燃やそうがかまわないのだが、自分がやりたくないことを子どもたちにさせることの方が心が痛い。

元気なうちに少しでも処分しておこうと思う。

ところで家電販売店に行ったら電子ジャーが売っていた。

懐かしいーーー!

この形、この絵柄。まさに昭和の時代、子供の頃にウチにもあった電子ジャーだ。

令和になって、また目にすることになるとは面白い、、、

 

 


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体温が少し上がる

2023-12-14 22:34:25 | 健康

毎日寒い日が続いている。

最高気温は0度とか1度くらいだが、肌に当たる風が痛いくらい寒い。

最も寒くなる1〜2月になると、この気温だと暖かいと思うだけど、今の時期はまだ寒さに身体が慣れていないせいかとても寒く感じる。

ところで今年の春から始めた四枚の重ねばきは今も続けている。

最近では四枚重ねでは寒く感じて、厚手のカバーをさらに重ねて履いた。

夏の暑い時期は靴下の重ねばきも辛かったけれど、暑い時期を過ぎると、重ねばきをしないともう寒くて仕方がない。

で、現在の平均体温だが36.4まで上がった。

靴下の重ねばきをする前は36度くらい。時には35度台になることもあった。

そして前回靴下の重ねばきについて書いた七月の記事を読み返してみると、七月時点で36.2度だったので、また少し上がったようだ。

低体温だと免疫力が下がるので、これからも靴下重ねばきは続けようと思っているが、自分が足を温めているせいか家族の足が気になる。

特に娘たちは、冬でも室内では靴下を履かず素足のままで過ごす。

「寒くないの?」と聞くと「全然寒くない」という。

「靴下履いたら?」と言うと「裸足のままがいい」そうだ。

これは幼児の頃からの習慣ではないかと思う。

子どもたちが歩き始めてから、室内では滑って転ぶかもしれないと、いつも靴下を脱がせて遊ばせていたのが、いつしかそれが習慣になってしまった。

今思い返すと失敗だったと思う。遊ぶ時以外は靴下を履かせるようにすればよかった。

「身体を冷やすのは良くないよ」と靴下を履くように言うのだが、履いたり履かなかったり。これはもう根気よく言い続けるしかない、、、

ところで靴下の重ねばきをするようになってから、自分の身体に対する意識が変わった。

前は思わなかったが、今は自分の足がとても愛おしいと思う。

靴下を脱いだ時、絹の靴下を履くせいかすべすべになった足の裏を撫ぜながら「ありがとうね」という気持ちが湧き上がってくる。

ちょっと人には見せられない光景かもしれないけど、足が愛おしいのと同じく、自分の身体全体が愛おしい。

毎日、毎日ちゃんと動いてくれることに感謝しかなく、大切にしてあげないといけないと思う。

身体を温かくして、適度に運動して、良い睡眠をとって、出来るだけ自然のものを頂いて、これからも大事に使わせて頂こうと思う。

散歩に行ったら山に鹿がたくさんいた。

冬はエサが少なくなるから動物たちも大変だろう。

 


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九州の旅

2023-12-10 14:41:02 | 旅行

旅行の続きです。

熊本の次に行ったのは長崎で、長崎はオランダや中国の文化が混ざり合う異国情緒ある街と知っていたので、一度は行ってみたいと思っていたが、一方で行きたくない、見たくないと思う気持ちがずっとあった。

これは長崎だけではなく広島も同じで、昨年広島の尾道には行ったが、原爆の落とされた広島市には行きたくなかった。

理由は多くの方が亡くなったから。

それを言えば、広島や長崎以上に多くの方が亡くなった東京大空襲の東京や民間人を巻き込んだ沖縄も同じなのだけど、東京に行く時は、華やかな大都会に心が躍り大空襲があったことを忘れている(申し訳ないです、、)

また沖縄については、行くたびにここで多くの方が亡くなったことを思い出すが、あまりに深く悲しい心を持つのはよくないことだと、美しい海を見て切り替えることができる。

でもテレビなどで何度も見た原爆を落とされた長崎と広島だけは、悲惨な映像を何度も見てきたせいか行きたいという気持ちになれなかった。

今回、長崎に行くに当たって原爆資料館は行くのはやめようと思ったが、長崎に着いたら気持ちが変わり行くことにした。

資料館も平和祈念公園も、平日にも関わらず多くの方が訪れていて、今もたくさんのお花が手向けられていた。

歩いてみて驚いたのは、どこも明るいことだった。

それは悲惨な資料が展示されている原爆資料館の中も同じで、亡くなった方はみなさん成仏されたのだなと思った。

次に向かったのは、やはりあまり行きたくなかった(ごめんなさい)大浦天主堂。

長崎から始まったキリシタン弾圧もまた気持ちが暗くなるもので、その当時の弾圧しなければいけない事情はあったにしろ、10代前半の子どもまで処刑されたことは、とても悲しい出来事だったと思う。

島原の乱が起こった島原で玄関先にしめ縄を飾っているお宅があった。

地元の方にお話を聞くと「うちはキリシタンではないですよ」という意味で、昔から一年中しめ縄を玄関に飾る習慣があったそうだ。

人が人の命を奪うことは、もう二度としてはいけないのだと強く思った。

ところで長崎はまだ暖かくて花が咲いていた。雪の降る札幌から行くとまるで時間が逆もどりしたようで、何だか得した気分で嬉しくなる。

ちゃんぽんに皿うどんもカステラもしっかり食べて、地元の方々ともおしゃべりして大満足の旅になった。

歳をとって良かったことは、知らない人とでも喋れることで、これはおばちゃんの特権かもしれない。

そして旅行最後の夜は、どうしても行きたかったお店に行ってきた。

前に福岡に来た時に初めて入ったお店で、そこの料理がとても美味しくて、必ずまた来ようと思っていた。

どれを食べてもみんな美味しいのだけど、やはりモツ煮が一番のおすすめで、残った汁にご飯とチーズを入れたリゾットの様な雑炊が最高に美味しい。

「前に来て美味しかったから是非もう一度来たかった」とお店の方に話したら、とても喜びながらも驚いた表情で「間に合って良かったです」と仰った。

間に合ってとはどういう意味かと思ったら、なんと今月いっぱいで閉店するそうだ。

閉店前に来ることができて嬉しい一方で、もう福岡に来てもお店が無いんだという残念な気持ちもする。

ただもしかしたら店主は変わっても別の人が続けてくれるかもしれないそうで、そうなったらまた来ようと思う。

というわけで、盛り沢山で楽しかった九州の旅でした。

 


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くまモンが可愛かった熊本

2023-12-08 14:15:34 | 旅行

九州へ行って来た。熊本と長崎、そして福岡。

熊本と長崎は初めて行く土地で、テレビや本などで知っていたことを実際に観ることができてよかった。

実際に観るのと、テレビや本を通して観るのとでは、また違った印象があったりする。

とても良い印象に変わったのが「くまモン」で、くまモンは熊本に入るとどこに行ってもいるのだが、これまでは失礼ながら、それほど可愛いとは思っていなかった。

むしろ黒目が小さくて怖いとさえ思っていたのに、本場で見るくまモンがとても可愛くて、思わず孫にくまモンの靴下を買ってしまったほど。

何なら自分用にも欲しいと思ったが、さすがに六十代には無理があるだろうと買うのをやめた。

くまモンの幼児体型が可愛い。。

くまモンはさておき、熊本では熊本城や阿蘇山の雄大な山並みと迫力ある噴火口を見たりしたのだけど、行く前には知らなかった神社を途中で見つけてたので寄ってみた。

 

上色見熊野座(かみしきみくまのざ)神社

多分車がないと行けない神社ではないかと思うが、外国人をはじめ若い人が多く来られていて、後で映画のロケ地だったことを知った。

さっそく参拝をさせて頂こうと両脇を高い木々に囲まれた参道に入ると、突然空気が変わったように感じる。

ひんやりして澄んだ空気の中、長くて急な階段をひたすら上っていくと、御神殿には伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が御神祭として祀られている。

九州にまた来ることができたこと、熊本に来ることができたことを感謝して手を合わせてきた。

というわけで、まだ長崎や福岡のことも書きたいのだけど、今回はこれまで以上に疲れが取れないため、今日はここまでにします。

 


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新しい一日の始まり

2023-12-02 21:10:57 | 日記

これまで何度も読んでいるのに、時々読みたくなって本棚から出してくるのが辻麻里子さんの本。

何冊かある辻麻里子さんの本の中から「22を超えてゆけ」を読んでいた。

内容は一人の少女が夢の世界に入って、宇宙図書館(アカシックレコード)で様々な体験をしていくというもので、難解な部分はあるものの、どちらかというとファンタジーな小説かもしれない。

ところで主人公の少女とは辻麻里子さんご本人であり、宇宙図書館での体験は実際にあったことを元に書かれているのではないかと思う。

確かどこかでそのようなことが書かれてあった気がするし、何度も読むうちにきっとそうに違いないと思うようになった。

この本を初めて読んだのは20年近く前だが、その時にはただ不思議で面白いストーリーだと思った。

難しいので何回か読み返すうちに、最初に読んだ時にはわからなかったことや気がつかなかったことなど新たな発見があって、何度読んでもおもしろく読むことができる。

そんな発見の一つで、前に読んだ時には引っ掛からなかったのに、今回はとても心に響いた文章がある。

(略)過去が変わることもある。

物理的な出来事が変更されることは少ないが、その出来事に対する感情部分は、後からでもじゅうぶん修正が可能なのである。

記憶が好きなように再構築されるというよりは、過去に超えられなかった感情パターンを、現在においてクリアすると、過去にあった同じパターンのものが、いっせいに裏返るのである。

現在を変えれば過去も変わらずにいられない。

いうなれば、過去も未来も、すべてが同時進行しているのだ。

過去の苦しんでいる自分に「大丈夫。今は苦しいけど必ず良くなるから」と未来の自分が励まして来たという話は、複数の方が体験談としておっしゃっている。

ということは、やはり過去も未来も同時進行しているということなのだろう。

最近、過去に怒ったり落ち込んだりした出来事に対して、思い出しても何の感情も湧いて来なくなった。

まったくの平常心か、あるいはその出来事があったからこそ学ぶことができたという気持ちにさえなる。

でも少なくなって来たとはいえ、去年くらいまではふとした時に過去の出来事を思い出しては、その当時の感情を生々しく思い出して、当時抱いた感情がよみがえってきて嫌な気持ちになっていた。

それは忘れない限り、何年経っても自分を苦しめる。

でも過去にあった出来事に対する感情を、嫌な思い出から、それがあったからこそ今があるに変わったら、他にもあったかもしれない嫌な思い出もほとんどがきれいに消えてしまった。

辻さんの本にあるように、現在においてクリアすると、過去にあった同じパターンのものが一斉に裏返ったかのようだ。

「許すこと」というのは、とても難しい。

でも許すことによって、自分も自分に許されて楽になれるのだと思う。

御本には書かれていないが、現在においてクリアするとは、「許すこと」なのかなと思う。

前夜に雪が降ったある日の早朝、部屋の窓から朝日が昇ってくるのが見えた。また新しい一日の始まり。

 


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