ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

みんなチャレンジャー

2019-08-30 16:21:04 | 日記

いつものように夕食の支度をしていた時のことだった。

「ここは時間限定で滞在している仮の世界。今は、こうして自分が望んできた役割をしているが、肉体の寿命が来たら、元の世界に戻るのだ」

突拍子もないようなことだが、突然、そのような言葉が浮かんだ。

浮かんだ・・・というより、突然、スコーンと腑に落ちたというのか、なぜ急にそのように思ったのか分からず、自分でも不思議な気持ちになった。

ところで、仏教の輪廻転生という説からすると、この世は仮の世界であるという。そして、前世にやり残してきたことや償わなければならないことなど、魂の修行をするために、自分で望んで再び転生して来たのが、この世であるそうだ。

では、元の世界とはどこなのか。

輪廻転生を説いている仏教でも、ここは仮の世界で本当の世界は他にあると言っている。

浄土真宗であれば「極楽浄土」という所なのかもしれないが、生まれる前にいた場所の記憶はまったく無いので、なんとも想像がつかない。

しかし、その前の、この世で、今とは別の人間として生きていた頃の記憶はあって、断片的だがいくつかの過去生を憶えている。

ちなみに一番近い前世では、子どもを持ちたいと思ったが、それが叶わない人生を送った。

いや、叶わない人生というのは違う。

その時は、それが自分で選んだ人生であり、自分の望みが叶った人生だった。

結婚して家族を持つことより、神さまに仕えること、自分の人生のすべてを神さまに祈ることに使いたかった。

しかし、その時の過去生を終える時、自分の子どもが欲しかったという想いが強い心残りになってしまった。

その強い想いを叶えるために、また生まれ変わって来た。

まさしく今の私がやっている主婦の生活は、その時の人生では、やりたくてもできなかったことだった。

ちゃんと来世(今)で、その時にやりたかったこと、心残りだったことをやっているというのは、考えてみればすごいことだと思う。

もう二度と経験したくないと思った長くて苦しいつわりも、気づけば3回も経験したし、子どもはお人形のように可愛いがっていればいいだけのものじゃない、子育てはそんなに甘いもんじゃなかったということも、この人生を通して、よくわかった。

そして、(やったことはないが)滝に打たれる修行の何白倍も大変な修行の子育てと同じくらい、やってみてこれは大変な修行だとわかった結婚もまた、私が過去生ではできなかったことで(ありがたいことに)今世でチャレンジできている。

ところで私が転生してまでやりたかったことは、ほかにもあるが、最近までそれが何なのかわからなかった。

でも、ようやくそれが何だったのか、わかってきた。

それは今もやっているし、この先も、人生最後までやり続けることになるだろう。いくらやってもやり切ったと思えるかはどうかわからないが、もうこれで十分満足した、やり切ったと思えるくらいまで、この人生を生きたいと思う。

だから、元の世界に戻るのは、まだまだ先でいい。この仮の世界の中で、自分の望んできた人生を生き切りたい。

それにしても、傍から見れば、専業主婦の私の人生、平凡きわまりない。

もしかしたら多くの人もまた、自分の人生は平凡と思っているかもしれないし、平凡どころか苦しみに満ちていると思っている人もいるだろう。

でも、忘れているかもしれないが、本当は、自分が望んで生まれて来たこと、過去生でやり残して来たことにもう一度チャレンジするチャンスをもらえたのだ。

それを思うと、多少の困難も乗り越えられる気がするし、本当の自分が、やれる、やりたい、と思って来ているのだから、喜んでチャレンジしてやろうじゃないかと思う。

なにも人に注目されるような特別な人生を送る必要は全くない。

人生は人それぞれ、課題も人それぞれ・・・他人の生活を羨んだり、比較して落ち込む必要はない。

自分が望んで選んできた課題をやれるのだから、再び生まれて来れたことは、本当に幸せなことだと思う。

そして、最後に忘れてはいけない事。

この世界にいる間に、少しでも多くの自分の良心に沿った善行を行うことなのだと思う。

「過去の自分の行いが、今の自分の状況を創り、今の自分の行いが、未来の自分を形創る」

これは、今世のことだけではなく、過去生の自分の行いが今世の自分の状況を創り、今世の行いもまた来世の自分の状況を創るということ。

ひとりひとりが善き行いをして、この世界に善い未来を残すことは、今を生きる私たちが未来に生きて行く子どもたちの為にしなければいけない義務であり責任なのだと思う。

いつか元の世界に帰る日まで、みんなチャレンジャー。






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サイクリング

2019-08-28 15:09:21 | 日記

出かける用事があって、いつもは車で行くのだが、足のケガも治ったことだし、天気も良いしということで、電動自転車で行くことにした。

車で行くと片道20分くらいなのだが、はたして自転車では、どれくらいかかるだろう。夫に聞いたら「大体50分くらいじゃないか?」という。

50分とはけっこうな長さ・・・これまでの中で最長距離かもしれない。

途中で水分補給をするために、水は持って行くべきか。

かばんは、前かごに入れるよりリュックがいいだろう。

そうだ、汗を拭くタオルも持って行こう・・・などなど、前夜から準備をして、いざ出発。

幹線道路に出るまでは、見慣れた住宅街を走る。

車なら一瞬にして通り過ぎてしまう街並みも、自転車でのんびり行くと、道路沿いに植えられた花々や美しく手入れされた庭など、今まで気づかなかった景色に出会えて、見慣れた風景も新鮮に感じる。

住宅街は、歩道の幅が狭くなっている場所も多いので、車道を走って行ったのだが、幹線道路に出てからは、車の交通量が多いので歩道を行くことにした。

ちなみに道路交通法では、基本的に自転車は車道を通ることになっているが、歩道でも自転車が通行してよい場所がわりとたくさんあるし、車道を走るより身の危険を感じずにすむ。

もちろん歩行者の安全には十分に気をつけてゆっくりと走るのだが、北海道の歩道は、積雪の関係で広く作られているので自転車でも走りやすかった。

それにしても自転車より車に乗り慣れているせいか、自転車に乗っていてもつい車目線になってしまう。

たとえば、車を運転していて「危ないなぁ」と思うのが左折をする時で、歩行者がいないか当然確認しているつもりだが、時々、左から猛スピードで自転車が渡ってくることがあってヒヤリとする。

こんな時、自転車の人は「車は絶対に止まってくれる」と思い込んでいるのだろうかと思う。

車を運転するようになって長いが、交差点で曲がってくる車(特に左折してくる車)は、歩行者を見落としている可能性があるということは、いつも頭の中にある。

特に自転車はスピードが速いせいか、タイミングが悪ければぶつかる可能性もあって、車を運転している人にとっては気をつけなければいけない。

というわけで、自分が自転車に乗っている時は、左折しようとしている車がいる場合は止まって、車が先に行ってから渡るようにしている。しかし、たまに車の人も私が行くのを待っていてくれる時があって、しばし見つめ合いになる。

そのような時、大抵は会釈してから自転車の私が先に行かせてもらっているのだが、これを夫に話したら「それは絶対に車の人は、早く行けっと思っているぞ」と言われた。

そりゃそうかもしれないけど・・・やはりお互いの幸せのために、できるだけ安全を心がけた方がいい。

なんてことを話していた翌日、たまたま夫が運転する車で出かけたら、交通事故の現場に遭遇するという出来事があった。

何台かのパトカーが止まっていて、横を通り過ぎる時にちらりと見たら、まさしく左折しようとした車と横断しようとしていた自転車の接触事故だった。

あぶないあぶない・・・やはり自転車に乗る時も気をつけなければと思った。

自転車で出かけた話を書き始めたのに、話が逸れてしまった。

どこまで書いたっけ。そうだ、幹線道路に出たところまでだったわ・・・

では、つづき。

幹線道路に出てからも、ゆっくりと周囲の景色を見ながら、「あら、こんな所にこんなお店があったのね、今度来てみよう」とかなんとか考えながらサイクリングを楽しみ、無事に目的地に着いて用事を済ませてくることができた。

しかし、問題はやはり帰り道。帰り道は、幹線道路からして、ゆるやかな上り坂が続く・・・

行きの50分でかなり体力を消耗していたせいか、いくら電動とは言え、帰り道はきつかった。

もはや周囲の景色など目に入らず、時間と共に上昇してきた気温に汗をダラダラかきながら、ひたすらペダルをこぎ続け、なんと40分で帰って来た。

帰宅後は、膝が笑うとでもいうのでしょうか。膝に力が入らないという初めての経験をした。

でも、サイクリング楽しかった~!歩行者と車に気をつけて、また行ってこようと思う。



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あいさつ

2019-08-23 15:21:12 | 日記

妹と話をしていた時のこと。

妹がすこし憂鬱そうな顔をして話してくれた。

「家の前にあった空き地に、今度、新しく家を建てて引っ越して来た40歳前後くらいのご夫婦がいるんだけど、こちらから挨拶をしても全く挨拶を返してくれないの。それも夫婦揃って、どちらも挨拶しないのよね。

・・・で、最初は、聞こえなかったのかなと思って、聞こえるように大きな声で挨拶をしてみたんだけど、完全に無視されたわ。

絶対に聞こえていたと思うけど、なんだか、無視された自分が透明人間になった気分だったわ。とってもバツが悪くて、外に用事があったんだけど、家の中に入っちゃった。

あ~あ、この先、ずっと向かい合って暮らさなければいけないのに、顔を合わせるのが嫌になっちゃった。なんだかゆうーつ・・・」

妹によると、このご夫婦が挨拶を返してくれなかったのは、一度だけではなく何度もだそうで、この先、長く暮らさなければならないことを考えると、憂鬱になるそうだ。

この話を聞いて、私も同じようなことがあったことを思い出した。

また、このようなことは私や妹だけではなく、どこにでもありがちなことだと思った。

こちらからあいさつをしても、あいさつを返してこない人というのは、ある一定数いる。

向こう側に、何か気に入らない理由があるとか、はたまた極度の恥ずかしがり屋さんだとかで、挨拶を返さない場合も中にはあるだろう。

しかし、そのほとんどは、特に理由はなく、ただあいさつをする習慣がない人なのではないかと思う。

そして、挨拶を返さないのは、私だけにではなく、きっと他の人にもそうなのだろう。

私も引っ越して来た頃、ご近所で、こちらが挨拶をしても決して挨拶を返さない人が二名ほどいた。(どちらも40~50代男性)

二人とも、いつもぶすっとした顔で、挨拶をしても無言で横を通り過ぎていく・・・

この辺りは、散歩で歩いている見ず知らずの人同士でも「こんにちは」と挨拶をしあって、よい所だな~と思っていたので、挨拶を決して返してこない男性二人は、ちょっと意外に思えた。

ちゃんと家庭を持ち、毎朝、背広姿で出かけて行くのに、挨拶ができないというのは、社会人としてありなのか?という気持ちにもなった。

ここで、私には二つの選択肢があると思った。

私も二人のことは無視し続けるか、それとも返事は期待せず挨拶を続けるか・・・

私は、後者を選んだ。

今後、返事は一切期待せず、自分が挨拶をしたいからするだけと決めた。

相手が聞こえていようがいまいが構わない。(でも、できるだけ聞こえるように大きな声で挨拶をしていたが・・・)

最初は、ずっと無視されていたが、そのうち軽く会釈だけしてくれるようになった。

さらに、声は聞こえないが口の形が「おはようございます」と言っているようになり、最後は、向こうから挨拶をしてくれた時には、本当にうれしかった。

もちろん、今でも挨拶を返してくれないことはよくあるが、それはこの人たちの習慣なのだと思うようになったら、全く気にならなくなった。

そんなことを妹に話したら、「でも、そのご夫婦は、私より年下だから、あんまりこちらが挨拶をして、ウザイと思われないかな」と言った。

「そう思うのなら、答えは簡単。こちらも挨拶はしないと決めたら?」

そう言うと、「挨拶は必ずしなさい」と親に言われて育ってきた妹には、すこし受け入れがたいようだったが、最後は「そうしようかな」と言った。

でも、やっぱりあいさつは大切。

見知らぬ人同士が、散歩途中に道で挨拶をしているのを見るだけでも気持ちいい。

私も、嫌がられていなければ、挨拶は続けようと思う。

でも、相手が挨拶を返してこない場合は、無理に挨拶をしなくてもいいのではないかと思う。

そんなことを気に病むのは、もったいない。

人生は短い。すこしでも自分が気分よく過ごすことを考えた方がいい・・・妹と話しながら思っていた


 

 


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大きな木のそばで

2019-08-20 15:16:43 | 日記

先日、家の窓に小鳥(ルリビタキだった)がぶつかって絶命してしまった。

家の前に大きな樹木があって、そこに野鳥がたくさん来るので、年に一度は必ずといってもいいくらい窓にぶつかっていく。

たまに無傷で飛んで行く鳥もいるが、こうして亡くなってしまったり、前に保護したスズメのようにしばらく飛べない子もいる。

そこで小鳥が窓に突進してこないように、窓辺に風でくるくる回る飾り物をつけてみた。

これは、子どもが小さかった頃に、お祭りの露店で「買って、買って」とせがまれてしぶしぶ買ったものだが、案の定、子どもはすぐに飽きて、ずっと子供部屋でほこりをかぶっていた。

いつもこれを見るたびに「捨てたい」思っていたが、捨てなくてよかった。

やっと出番よ~

 

ちょっと目障りだが仕方がない・・・もうひとつピンク色のもあるので、それもつけようと思っている。

青々とした樹木の葉が茂った森だが、ここにはいろいろな動物や昆虫、そして植物たちが生息している。

ご近所の方が、歩きやすいようにと草を刈って道をつけてくれたので、この森の中を歩くことはできるのだが、夏場の今、森林を歩くことは危険が伴う。

まずダニ。草むらを歩くと、ダニに咬まれる危険がある。特にマダニに咬まれると、時に脳炎を発症することがあるので注意しなければいけない。

それから蛇。毒を持ったものがいるので、歩くときは踏まないようにしなければいけない。

私は、万が一、蛇を間違って踏んづけて、咬まれても大丈夫なように、長靴を履いていく。(でも、絶対に踏みたくな~~い!!蛇が一番苦手・・・)

そして、最も怖いのはヒグマ。こちらは最近よく出没しているという話を耳にするので、できる限り会いそうな場所(森)には行かないようにしている。

そんなわけで森の中を散歩したいのは山々だが、しばらくは行かずに自宅窓から森林を眺め、野鳥の姿を探している毎日。

でも、こうして樹木を見ているだけで十分に癒されている。

ところで植物が近くにあったり、それを目にしていると、健康に良いという話はよく聞く。

では、大きな木のある場所と草地では、どちらの方が健康に良いのか。

そのような研究をしたオーストラリアの研究者がいるそうだ。

研究対象となったのは、オーストラリアの都市に暮らす45歳以上の成人4万7000名で、どのような場所に住んでいるか(大きな樹木が見える場所か、草地の見える場所か)ということから、健康やメンタルヘルスの状態などのアンケートを6年をかけて2回とったそうだ。

すると、草地よりも葉を茂らせた大きな木の方が、健康に好ましい影響を与えるのではないかという事がわかったそうだ。

森林浴をすることで、心拍数や血圧、ストレスの低下などが見られることはすでに実証されているが、森林浴とまではいかなくても、大きな木のそばにいることで、心理的ストレスが減り、全体的な健康状態も良くなるのではないかという結果になったそうだ。

しかし、草地の方に変化は見られなかったそうだ。

これは、大きな木がないと、歩道の温度が上がることや、住民が騒音や大気汚染にさらされやすくなること、また、樹木は草地に比べて、複雑で刺激に富んでいるため、人々を幸せな気持ちにさせやすいのではないかと言われている。

私自身も大きな樹木を見ているだけで、心が落ち着くので、上記のアンケートはかなり正しいのではないだろうかと思っている。

大きな樹木のそばで人間も動物も虫も、一緒に仲良く暮らす・・・なんて、子どもの頃に読んだ幸せな童話の世界のようだ。

とはいえ、やはりダニも蛇もヒグマも怖いので、秋になるまで森の中を散歩はせずに、もうしばらくは樹木を眺める日々を続けようと思っている。

家のそばに大きな木が無くても公園など樹木のある場所で過ごすことも良いそうです。



 


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道しるべ・・・つづき

2019-08-15 16:12:45 | 日記

これで完結と思って書いた昨日のブログ記事だったのに、今日はその続きが書きたくなってしまった。

亡き友だちが「書いてほしい」と言っているのかも・・・

友だちが家庭的に恵まれていなかったということは、昨日書いた。

詳しいことは書けないが、両親が家に居ない日もあったようだった。

小学校高学年だったとは言え、まだまだ子ども。

しっかり者の友だちでも、小学校低学年の弟と幼稚園児くらいの歳だった妹の世話をして、子どもだけで何日も暮らすのは無理だったと思う。

今ならば、児童相談所へ通報されると思うが、昭和40年代当時は、まだ人情味があふれていたというのか、見かねた近所の方が子どもの世話を引き受けてくれた。

「坂田(仮名)のおばちゃん」と、友だちが呼んでいた60代くらいの近所の方が、姉弟の親が帰って来るまで、自分の家に姉弟3人をしばらく預かっていた。

坂田のおばちゃんの家は、六畳二間で共同の台所と共同のトイレがある長屋だった。

そこに社会人の息子さんとおばちゃんは、二人で暮らしていたが、二人暮らしでも家具を置けば、決して広いとは言えない家だった。(なぜ私が間取りを知っているのかと言えば、その長屋に別の友だちが住んでいて、よく遊びに行っていたから)

それにしても息子さんと二人暮らしの広くはない部屋に、孫でも親戚でもない近所の子ども3人をずっと預かるなんて、できるものではない。

友だちと弟と妹は、坂田のおばちゃんにご飯を食べさせてもらって、坂田のおばちゃんの家から学校へ通って、また坂田のおばちゃんの家に帰って行っていた。

ある時、坂田のおばちゃんの家で暮らしていた友だちが、笑いながら教えてくれたことがある。

「昨日ね、お父さんが坂田のおばちゃんに叱られてたんだ。酒ばっかり飲んでないで働けー!って言われてた。お父さん、しょんぼりしてた」

それを聞いて、二人で笑い合った。

自分の生活も大変なのに他人の子を預かり、そして、その親を心から叱る。

どこまでも愛情深い人だったんだなぁ、坂田のおばちゃんは・・・

白髪交じりの髪を後ろでおだんごにして、ふくよかな体形で、まるで優しい仏像のような人だった。

そして、どれくらい友だちが坂田のおばちゃんの家にお世話になっていたのかは知らないが、友だちを思い出すときには、必ず、坂田のおばちゃんのことも思い出す。

それにしても、こうして、私がこの友だちのことを時々思い出すのは、私の消化しきれていない想いがあるからなのだと思う。

「もっと一緒に帰ってあげればよかった。嫌がらずにもっと手を繋いであげればよかった」

そんな後悔が、普段は忘れていても、どこか私の中にあるのかもしれない。

でも、あの頃の私にはそれができなかった。他の子とも遊びたかったし、ずっとくっついているのは苦痛だった。

そして、それはそれで仕方がなかったこと・・・(と、自分自身をなぐさめてみる)

こうして友だちのことを書いているうちに、次第に友だちとの悲しかったことや嫌だった思い出より楽しかった思い出の方が、より多く思い出されてきた。

私にとってブログ記事に書くことは、過去に自分の消化しきれていなかった想いを、過去に戻って今に連れてきて、ここで消化させるというような作業なのかもしれない。

過去の想いをひとつ消化できた今、身心がまた少し軽くなったような気がする。

長い文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。




 


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道しるべ

2019-08-14 14:08:59 | 日記

たまたま読んでいた小説の中に「蝋燭の灯りが続く道を(死者が)歩いて行く」というような文章があって、この文章を読んだ時に、ある風景が脳裏に鮮明に蘇ってきた。

それは、もうずっと昔、私がまだ19歳だった頃に見た夢だが、友だちと手をつないで、どこまでも続く一本道を歩いている夢だった。

周囲は真っ暗で何も見えず、自分の歩いている道だけがはっきりと浮かび上がって見えた。

なぜなら、道の両脇に道しるべのように、灯りのついた蝋燭が並んでいたから。

どこまで続いているのか分からない蝋燭のともった道を、私はある友だちと二人、手を繋いで歩いていた。

友だちの手は、まるで氷のように冷たくて、私はその手を離したいと思っていた。

そこで友だちに「忘れ物したから戻るね」と言って、手を離したところで目が覚めた。

あまりにも冷たかった友だちの手。夢から目覚めた後も冷たい手の感触が残っているような気がした。

その友だちとは、小学校の高学年で仲良くなった女の子で、小さい頃から苦労をしてきた為か、とてもしっかり者でやさしくて、いつも両親の代わりになって小さな弟と妹の世話をしていた。

私とは、家の方向が同じだったので一緒に帰ることが多かったのだが、ある時から、なぜかその子は私と二人だけで帰りたがるようになった。

その子は、二人の中に他の子が入ることを嫌がって、いつも私の手をしっかりと握って離さなかった。

両親の愛情にあまり恵まれていなかったからなのか、もしかしたら、そうした不安やさびしさもあって、仲良くなった友だち(私)とべったりくっついていたかったのかもしれない。

大人になった今ならば、その友だちのことを、もう少し思いやれたかもしれない。もっとそばにいてあげれたかもしれない。

でも、そんなことなど一ミリも考えないほど子どもだった私は、あまりにべったりとされることに苦痛を感じ、たまには他の友だちと帰りたいと思ったり、用事もないのに学校に残って、待っていると言う友だちに先に帰ってもらったりしていた。

でも、そんな友だちとの関係も中学へ入ると、ぷっつりと切れた。

それぞれ別の友だちができて、一緒に帰ることも無くなり、廊下ですれ違った時にちょっと挨拶をするくらいになった。

高校へ入った頃には、もう滅多に会うことは無くなっていたのだが、まれ見かけると、彼女の姿は、私が知っている面影は何もないほど変わっていた。

長い髪を金髪に染め上げ、ロック歌手かと思うほどの濃い化粧。当時の不良と言えば、このスタイルと言うほどの定番の不良高校生になっていた。

でも、そんな怖い姿の彼女が、道で偶然会った時に、にっこりと笑って手をふってくれた。その笑顔を見ると「やっぱり何も変わってないや」と安心したのに・・・

高校3年生の秋に、風のうわさで彼女が亡くなったと聞いた。

事故だったが、それも不良になって、そんなことをしなければ死なずに済んだのに、と言うようなものだった。とてもショックだった。

そして、彼女が亡くなって一年が過ぎた頃、彼女に手をつながれて歩く夢を見た。

彼女のことは、その頃にはもうほとんど思い出すこともなかったが、あまりにも彼女の存在が感じられた夢だったので、40年近く経った今もまた思い出している。

ところで今年のお盆は、恥ずかしながら初めて迎え火を焚いた。

地域的なものなのか、お盆の時に迎え火を焚くという習慣がなかったので、今までやったことがなかったのだが、今年はどうしてもやりたくなった。

この小さな灯りを頼りに、ご縁のある亡き人たちが家にいらしてくれたら、こんなに嬉しいことはない。どうして今までやらなかったのか、我ながら不思議に思うほど、嬉しい気持ちになった。

迎え火にしたお線香の小さな灯りが、私が夢の中で歩いた道のように、大きな道しるべになって、家に続く道を照らしているのだろうか。

迷わないように、迎え入れることができただろうか。

お盆の終わりには、ちゃんと送り火をして送ってあげよう。

なんて、お盆になって友だちと歩いた道のことを、ちょっと思い出していた。


 


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スベリヒユ

2019-08-07 15:45:13 | 日記

今年は収穫するのが遅すぎて、春先に植えた家庭菜園の野菜のほとんどが食べられなかった。

ラディッシュは、あっという間にとうが立って、ゴボウのように固くなってしまったし、ネギも見た目は柔らかそうだったが、触ると明らかに固くて食べられそうになくてあきらめた。

今年の春は、なんとなくあまり野菜を植えたくないなあと思って、毎年植えていたトマトやナスなんかを止めたのだが、足の骨折で野菜の世話がおざなりになってしまったので、結果、植えなくてよかったということになった。

足が治って、やっと庭の畑に出てみたら、(あきらめていたけど)植えたラディッシュやネギは食べられないほど成長し、庭の雑草も、めきめきと成長していた。

それにしても植物の生命力はすごい。特に雑草、雑木たるや、放って置いたら家が飲み込まれてしまうのではないかと思うくらい力強くめきめきと生育する。

欲しくて買ってきた鉢植えは、超過保護に大切にしていても、枯れる時には枯れるのに、なぜにして雑草と言われる植物たちは、厳しい自然の中でもこんなに強いのだろうか。

庭に出て、一本一本雑草を抜きながら、そういえば毎年、同じ種類の雑草が生えてくるなぁと思っていた。

それにしても、同じ市内であっても、場所によって生えてくる雑草の種類が違うのはなぜなのだろう。

本州と北海道で違うと言うのならわかるが、同じ市内なのだ。

車で50分くらい離れた実家では、ドクダミがよく生えていたが、ここではドクダミを見たことがないし、やはり車で小一時間走った公園では、名前は分からないが、ちょっと持ち帰って庭に植えたいと思うような綺麗な花を咲かせた植物が、子どもたちに踏まれ放題になって、ベンチのそばに群生していた。

気候は、ほとんど同じだとしたら、やはり土の成分なのだろうか。

ところで、我が家の庭に生える雑草で繁殖して困っているもので、畑の常連の雑草がある。

調べた所、スベリヒユという植物だとわかった。

ちなみに、この植物は実家の近辺ではあまり見たことがなかった。

そして、このスベリヒユ、食べられるらしい。

生でサラダにしても、茹でてお浸しにしても、油で揚げて天ぷらでも美味しいらしく、干して煮物にもよしと書いてあった。

すごい!今までは、畑で繁殖して迷惑な雑草だと思っていたのが、実は万能野菜だったとは知らなかった。

というわけで、まだ試してはいないが、一度たべてみようかしらと思っている・・・

野草のことを書いていたら、野鳥が今、窓に激突してしまった(涙)

見て来たら、綺麗な青色をした小鳥だった。すでに絶命していて、本当に、こんな場所に家を建てて申し訳ない気持ちになる。

これから埋葬してきます・・・はぁぁ

 

 


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相棒は圧力鍋

2019-08-05 16:08:58 | 日記

食事作りで火を使うと室温がますます上がるので、夕食の準備はできるだけ午前中に済ませておくようにしている。

今日は、夕食の煮豚とポテトサラダを朝のうちに作った。

煮豚なんて煮る時間がかかって、部屋が暑くなるのではないかとお思いでしょうが、私は圧力鍋で作る。

圧力鍋だと、普通のお鍋で煮る時間の半分くらいの時間(約20分)煮るだけで、お肉に火が通るので、それほど室温は上がらずにすむ。

(ただし、肉に火が通るだけで味が染みないので、事前に肉にフォークで穴をあけておき、煮あがった肉はビニール袋にタレと一緒につけておく)

それからポテトサラダのジャガイモを茹でるのも圧力鍋を使う。こちらも丸ごとのジャガイモまとめて数個が、7分くらいで茹で上がる。

この圧力鍋は、結婚した頃にお姑さんからもらったもので、かれこれ30年くらい使っている。

お姑さんが、圧力鍋が出始めた頃に買ったものだそうだが、結局、使いこなせず戸棚にずっと仕舞ってあったそうで、きっと40年くらい前のお鍋だと思う。

しかし、お姑さんにもらってからというもの、豆やお芋を茹でたり、肉や魚を煮たり、それから茶碗蒸しや蒸しパンを作ったりと、かなりの頻度で使っていて、もう圧力鍋なしでの料理は、不便過ぎて考えられないほど愛用している。

この圧力鍋に欠点があるとすれば、かなり重たいことで、洗う時に苦労することだろうか。

今は、もっと扱いやすい圧力鍋が売られているので、新しいものを買おうかと思ったこともあったが、「まだ使えるのにもったいない、もう少し使ってからにしよう」と思っているうちに、ここまで来てしまった。

ここまで来たら、歳をとって重たい鍋が持てなくなる時まで、使い続けようと思っている。

しかし考えてみると、私が主婦になってから今も使い続けている鍋は、今はもうこれしか残っていない。

他の鍋は、すべて買い替えをしてきた。

毎週のように出番があって、今も現役で働いてくれる圧力鍋だが、家族の健康と笑顔のために、一緒に頑張ってくれる「相棒」みたいだなぁと思う。

今日は、煮豚とポテトサラダを作ったが、今週は、また圧力鍋を使って作ろうと思っている献立があるので、まだまだ圧力鍋くんには活躍してもらわねばならない。

でも、本当はね、自分の好きな献立しか作らなくていいと言われたら、圧力鍋の出番はもちろん、他の鍋の出番もほとんど無い。

とろろ芋に生卵を混ぜて、そこにお醤油をたらしたものをご飯にかけて食べるのが一番好き。

毎日、それさえあれば他のものは無くてもいいくらい、とろろご飯が好きなんですよ。わたし・・・


 


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映画

2019-08-02 17:04:13 | 日記

連日30度を越える暑さだが、やっと少し身体が暑さに慣れてきたような感じがある。

とは言え、家にはクーラーが無いので(道内の家庭ではクーラーのある方が珍しいかもしれない)頼みの綱は、開け放した窓から入ってくる自然の風と扇風機とうちわのみ。

風向きによっては、30度を越えていても、それほど暑くは感じないが、一旦風が止まるや否や家の中はサウナと化す。

4年間を群馬で過ごした次女が「家の中は群馬の方が涼しかった」と言うほどで、この状態が毎年続くようならクーラー必要かなぁとも思う。

そんなわけで、暑さが続くここ数日は、家事はまだ涼しい午前中に済ませて、気温が上がってくる午後は、できるだけ涼しい部屋を探して昼寝をしている。

こんな感じで↓ 専業主婦でよかったと思う時。

今は日本中どこへ行っても暑いが、よくよく考えてみれば、涼しい場所がいろいろとあった。

そこで休暇をとった次女と一緒に、涼しい場所のひとつ、映画館へ行ってきた。

観た映画は、次女が観たいと言った「トイストーリー4」

母はできれば「天気の子」の方が観たかったのだけど、次女が「私がお金を出すからトイストーリー観てこよう」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。

ポップコーン代と飲み物代は私が出したが、娘が働いたお金で映画に連れて行ってくれるなんて夢のようだなぁなんて、ちょっと感激している。

さてトイストーリーは、これまでの1から3までを、子どもたちと一緒に映画館で観てきた映画だが、今回は椅子が揺れたり雨や風を実際に感じられるという4DXの方を次女が選んだ。

映画の始まりから雨と風が吹きつけ、映画館に入るまで暑かった身体には心地よかった。

内容はネタバレになるので書きませんが、思わずウルッと涙腺がゆるむ場面あり、笑いあり感動ありで、いつもながらおもしろい映画で映画の余韻に浸りながら帰って来た。

・・・しかし帰ってきたら、閉め切っていた室内は高温サウナになっていた。

窓という窓はぜんぶ開けたが、やはりサウナには変わりなく、現在サウナの中で扇風機を回しながら、これを書いている。

どうか皆様も熱中症にならないようにお気をつけくださいませ。


 


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大きな声で言ってみて~

2019-08-01 14:52:07 | 日記

しばらく話していなかった友人と、一年ぶりくらいに電話で話をした。

彼女とは学生時代からのつきあいなので、一年くらい開いていても、すぐに昔のように話が弾む。

一年間の色々なことを話していたのだが、突然彼女から「ちょっと大祓祝詞を言ってみてよ」と言われて驚いた。

実は、彼女も私が毎日行っている神祀りと先祖供養をしている。

元はと言えば、彼女が先に先祖供養をやっていた。

そして彼女からそれを聞いたことがきっかけで、私も始めたという経緯があって、彼女は言わば先祖供養を教えてくれた恩人とも言える。

そんな友人は、もちろん今も毎日欠かさずに神祀りと先祖供養を続けているそうで、このようなことを話せるのは、友人の中でただひとり、彼女だけなので話していても楽しい。

私が毎朝、神祀りの時に大祓祝詞をあげていることを話したら、彼女が突然「大祓祝詞を言ってみて」となった。

「ここで?電話で?」と驚いて聞くと、彼女は「そう。言ってみて」という。

「もう~恥ずかしいけど、そんなに聞きたいのならやるわよ~」と、電話口で大祓祝詞をあげた。

大祓祝詞を全部あげるのは長いし、電話なので小さな声で祝詞のさわりだけをあげたら、彼女が「もっと大きな声で、お腹から声を出した方がいいわよ」と言う。

彼女曰く「お腹から大きな声を出して、周りにいるかもしれない見えない方々にも、よく分かるようにあげた方がいい」とアドバイスをくれた。

実は、彼女は「声」を使う仕事を長くやっていて、このように文章を読み上げることには、ちょっと、いや、かなりうるさい。

大祓祝詞の内容より、私のあげる声を聞きたかったようだ。

とは言え、私はしろうとだし、これでいいのではないだろうかと思ったのだが、「お腹から毎日声を出していると、元気になるし若返るわよ」とのことだった。

ところで、彼女の言葉を聞いて思い出したことがある。

それは、先日、知人にチケットを頂いて行ってきたコンサートでのことだった。

詳しい内容は省略するが、そのコンサートに出演されていたのが、歌手の五木ひろしさんで、昔と変わらぬ歌声で観客を魅了していた。

私は昔からのファンというわけではなかったが、知っている曲の数々に思わず聴き入ってしまうほど、五木ひろしさんの歌は上手だった。

後ろの席に座っていた女性が「五木ひろしは、やっぱりうまいねぇ」と独り言を言っていたが、そんな風に言いたくなるのも分かるくらい歌がうまかった。

歌手なので、歌が上手なのは当たり前かもしれないが、五木ひろしさんの年代(71歳だそう)で、こんなに声量があって、昔とほぼ変わらない歌声というのは、すごいと思った。

そして、何曲か唄った後の五木さんのお話が印象的だった。

「みなさん、体のどこから一番先に老化してくるか知っていますか?」

一番先に老化する場所?足かな?・・・と思っていたら、五木さんが「喉なんです」とおっしゃった。

そう言われてみると、私自身も若い頃より咳込みやすくなったし、亡き父や義母は、話す時に声がかすれる様になったと思っていた。

「私は毎日、喉を鍛えているんです」と五木さんはおっしゃった。

「だから昔と変わらずに、ワタシいい声してるでしょ?」と茶目っ気たっぷりに笑った。

残念ながら、どのようにして喉を鍛えているのかというお話はされなかったが、さすがはプロの歌手、きっと毎日鍛錬されているのだろうと思った。

というわけで、友人からもアドバイスをもらったし、今は家族がいない時に限って、大きな声で大祓祝詞をあげている。

たまに咳込んで中断してしまうけど・・・





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