ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

花粉症!?

2014-04-28 14:56:31 | 日記
やっと待ちに待った「春」がやってきた~♪

昨日、久しぶりに参拝に行った相馬神社の帰り道、隣接している天神山緑地を散歩していたら桜の花が一輪咲いているのを見つけた。

数日前に道南の松前に桜前線到着とニュースでやっていたが、もうあちらこちらで桜が開き始めているのかもしれない。

長かった冬が終わり、新緑の季節がまたやってきたかと思うとなんとなく心が弾む。

しか~し今年は、いつものように浮かれ気分だけの春ではない。

実は、雪どけと共に目がしょぼしょぼするようになってきた。

ひどくなると目が痛くて涙がとまらない。

その症状が起こったのは、かれこれ一ヶ月近くも前からなのだが、最初は「もしやPM2・5のせいかも!?」と思っていた。

札幌からわりと近い室蘭ではPM2.5の濃度が上がっていると言っていた時期だったので、きっとそのせいだと思った。

しかしPM2・5の話題が出なくなっても一向に目の症状は治らない。

しかも、目の調子が悪くなるのは決まった時間帯だけ。

大体、朝7時頃から午後3時頃までで、それ以降はほとんど気にならないくらいに治ってしまうので病院へ行くほどでもないかと思っていたが、実はこれが花粉症かもしれないことに最近気づいてしまった。

思えば、毎朝ゴミを出すために外へ出た直後から症状が出始める。

その後、掃除の為に窓をすこし開けるのだが、この頃から急に目の痛みが強くなり、涙で目が開けていられなくなることもある。

涙が出ると鼻水も出てきて辛いのだが、それより一番困るのは車の運転ができないこと。

目が痛いので、しっかりと目を開けていられないのだ。

今まで花粉症にはなったことがなかったので、まさか自分が花粉症だとは思っていなかったが、実は今年は札幌で20年に一度のシラカバ花粉の大発生が予想されているそうだ。

シラカバの花粉の量は、前年6月の日照時間の長さと関係するそうで、昨年はその日照時間が長かったらしい。

テレビニュースでシラカバ花粉が大発生するかもしれないと言っているのを聞いて、あらためて窓から外を眺めてみたら、なんとうちの裏山はシラカバだらけだった。

やっぱりこれは花粉症だわ・・・

花粉は窓を閉め切っていても隙間から入ってくるらしく、シラカバが乱立している森林に面した部屋にいると目の痛みが強くなるので、できるだけ反対側の部屋にいるようにしている・・・が、ずっとその部屋に閉じこもっているわけにもいかず、涙と鼻水を拭き拭き日中を過ごす日々だ。

長年、花粉症に悩まされている知人に話したら「そのうち目玉の皮がむけるかもよ」と脅かされた。

知人は花粉症がひどい年には、本当に目玉の皮がむけたそうだ。

ひえ~恐ろしや・・・

そこでこれ以上、花粉症がひどくならないように乳酸菌たっぷりの手作りヨーグルトを毎日食べている。

ヨーグルトが効くかどうかは分からないが、目玉の皮がむけることだけはなんとしても避けたい。










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未来は今この瞬間も作っている

2014-04-25 17:48:46 | 日記
ここ最近、ブログを書いてきて思うことがある。

妹と感情の行き違いから妹と距離を置いていた時期に、私の変化する感情を自分のことでありながら興味深く感じていたことをブログに書いた。

また、とある会でそこの幹部と口論をした時の私の感情もブログを書きながら思い出していた。

人はある出来事に遭遇すると、喜びであったり悲しみであったり、怒りであったりと、様々な感情が湧きあがってくるものだ。

そして、それは同じ出来事であっても、人によって出てくる感情が違う。

ある人には悲しみの感情が、またある人には怒りの感情かもしれない。

そして、それがどのような感情であっても、それを自分が気づいているかどうかということが、とても大切なのだと思う。

私は、妹と感情の行き違いがいずれ起きるだろうことは予測していた。

私が自分の怒りの感情を抑えずに行動を起こせば、妹との仲が気まずくなることも分かっていた。

ずっと言ってはいけないと自制をしている自分がいたが、それが徐々に小さくなっていき、ある日怒りの感情を出してしまった。

案の定、妹との仲は気まずくなったが、それがきっかけでお互いを思いやる気持ちが生まれ、前よりももっと妹との仲は良くなったと思う。

あのまま私が自分の感情を押し殺し続けていたら、このようなお互いの理解はまだ生まれていなかった思う。

そしてある会をやめる時、幹部に言われた言葉に対する私の感情「自分はそんな人間ではない」と思ったことも、今の自分にとってとても必要だったということがわかる。

あの時の悔しさが今の私に大きな影響を与えている。

起こった出来事に対して、自分のネガティブな感情に飲み込まれて翻弄されるのに任せるのではなく、自分の感情が今どうなのかということを理解できたら、人は困難な状況に置かれたときに、その外的な状況を変える事はできなくても、自分の内面の感情を変える事はできると思う。

怒りや悲しみの感情を、相手がいるなら相手に対する思いやりや哀れみに、また悔しさは自分の力にすることができる。

そして、自分の内面が変わるといずれ外的な状況も変わっていくのだと思う。

だから未来は決まっていないというのは、その時々に自分が選ぶ感情や反応によって変わっていくものだから。

どんなときも思いやりの心を忘れずに、よりよい未来を作っていきたいと思う。






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卵が先かニワトリが先か

2014-04-21 14:45:03 | 日記
「これからは、どうぞ家族だけでお幸せに」

7年前「会をやめます」と伝えた時、口論をした会の幹部から言われた言葉だ。

「皮肉だな」と思ったが、「はい。そうさせて頂きます」と私は答えた。

しかし、この言葉だけはずっと私の心の中に引っかかっていた。

会では「世界平和」ということが盛んに言われていた。

そのため実践的な活動もしていたし、会員には「祈ってください」とのお達しもよくあった。

世界平和・・・もちろんこれは大切なことで究極的にはそうならなければいけないと思う。

が、世界平和の前にひとりひとりの個人が幸せにならなければいけないんじゃないの?と私はずっと思っていた。

子供のことや家庭の事で悩んでいる人たちに、いきなり世界平和だと言っても「そーだ!その通りだ!」と立ち上がる人が一体何人いるだろうか。

会では個人的な悩みに対処するため、ある長い文を唱えさせられた。

しかし、それは愛のある言葉ではない。

どちらかというと上から目線で相手に言い聞かせるというような文だった。

そして、それを唱えれば唱えるほど、私には奇異なことが起こった。

魔物を見る、暗い地下へ降りていくような夢や感覚、実際に家が壊れるのではないかと思うほど大きな音が鳴り止まない「家鳴り」(これは何故か私が一人の時しか鳴らなかった)

会員の一部の人たちから私に対する批判の中に「自分のことしか考えていない。自分さえ良ければそれでいいのか」という意見があった。

自分の本心は、まったくそんなことはないと思っていたので、そのような批判にはびくともしなかったが、最後に「家族だけでどうぞお幸せに」と言われたことは、ずっと引っかかっていた。

家族の幸せは私の幸せ。

その家族が幸せでいる為には日本という国が平和でなければいけない。

そして、日本が平和でいる為には世界も平和じゃなければいけない。

個人の幸せが世界を平和にするのか、世界の平和が個人を幸せにするのか・・・

まるで卵が先かニワトリが先かみたいだが、私はやっぱり個人の幸せが先だと思った。

ひとりひとりが幸せを感じるようになれば、もっと世界は平和に近づくのではないかと・・・

かといって、何をしたらいいのか、その時の私には分からなかった。

風水を本格的に勉強し始めたのも、個人の悩みがそれで解決できるのではないかと思ったからだった。

そして、その頃からほとんど毎日、朝日に向かって手を合わせるようになった。

まずは感謝の「ありがとうございます」という気持ちで手を合わせ、その時に「どうぞ私を神の道具として使ってください」との願いをしていた。

そのようなことを願ったのは「私はけっして自分さえよければそれでいいとは思っていない」という反発心があったからだと思う。

ところで、こうして会をやめたにもかかわらず、色々な会員さんからの電話や訪問は相変わらず続いていた。

会員さんの話によると私のように会をやめた後、ひとりで悩みを抱えていく不安から再び会に戻ってくる人が多いのだそうだ。

その話を聞きながら、そのように一旦やめて戻る人や、会を続ける人は「誰かに何とかして欲しい」という気持ちが強い人なのだろうと思った。

かつての自分もそうだったから、その気持ちはよく分かる。

結局は風水も同じことだという事が分かりやめたのだが、誰かに、風水や占い師に、なんとかしてくれるのではないか、なんとかしてほしいという他力本願の気持ちがあるのだ。

他力本願の気持ちがあるうちは、ずっと苦しさから逃れることはできないことは、私が経験済みなので間違いはない。

でも今、自分を救えるのは自分だけだということがわかる。

ただし病気になったら医師にお任せするしかないが、その時も自分の心は自分で救うしかないと思う。

他人は救う手助けはできるかもしれないが、最後に自分を救うのは自分自身しかいない。

自分が救われるというのは、今までの悩みがぱっと消えて無くなるという事ではない。

その状況は変わらないかもしれないが、自分の心が変わるとそれが大した悩みではなくなるのだ。

むしろ自分を成長させてくれるありがたいものだと思えることもある。

そういう気持ちの変化が「奇跡」さえ起こすのかもしれない。

そういう事が分かるようになったのは、先祖供養を始めたからだと思う。

苦しんでいるご先祖がいるなら何とか救ってあげたいと、その一心で続けている先祖供養だが、それが気づかないうちに自分自身をも救っていた。

我が家へ来た会員さんが、部屋に置かれた先祖供養の短冊と香炉を見て「これは何?」と聞いてこられた。

私が簡単に説明をすると「ふーん、こんな紙切れに手を合わせて何になるの?」と馬鹿にしたように言った。

それに対して、私は何も反論はしなかった。するのも馬鹿らしいというのが本音だった。

ところが会をやめてから2年近く、あれだけ頻繁に私に接触をしてきた会員さんたちが、それ以降ぴたりとそろって来なくなったことは不思議でならない。













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写真を見ながら認知症改善作戦

2014-04-18 16:58:55 | 介護
高齢者住宅にいる父が認知症と診断されてから一年。

「投薬は認知症を遅らせるだけであって治すことはできません。ゆっくりですが徐々に進行していくでしょう」

そう医師からは言われていた。

あれから一年がたち、父の認知症は「進んだかな」と感じる時と「良くなっている?」と思う時が混在している状態だ。

冬の間はボーっとした顔で反応が鈍く、認知症が進んでいるように思えたが、最近の父は話すことの辻褄が合っていて、けっこうしっかりとしている様に思える。

これは気候が良くなってきたせいか、最近やっているという自転車こぎマシーンの運動の成果か、はたまた職員さんたちの話しかけ等の手厚い介護のおかげか。

多分、そのどれもが良かったのだろう。

特に職員さんや看護師さんなど毎日必ず誰かと顔を合わせて会話をしているということが、よい刺激になっているのだろうと思う。

ひとり暮らしだった頃は、他人と会話をすることなどあまりなかった父だったので、あのままひとり暮らしを続けていたら、今頃はもっと認知症が進んでいたかもしれないと思う。

ところで、父の部屋にある冷蔵庫の扉には孫達や父のペットのオカメインコの写真がたくさん貼られている。

それらは父が寂しくないようにと、私や妹が貼った写真だ。

父が言うには、部屋に来る職員さんたちがよく写真を見て行くのだそうだ。

そして、それをきっかけに父と会話が弾むらしい。

それで思い出したことがあった。

以前、テレビでやっていたのだが、ある老人施設では認知症を改善させるために「写真」を使った取り組みをしているそうだ。

それは患者自身が写した写真でもよいし、患者の昔の写真でもよいのだが、それを見ながら他の人と話をするというものだった。

周囲の人がその写真について質問をして、認知症の患者さんが答えていた。

写真を見ながら、そのときの事を思い出して言葉に出すというのが、認知症の改善に効果があったという内容だったと思う。

妹にそのことを話したところ「じゃあ、写真付きの家系図を作って部屋に貼ってあげよう」と妹が言う。

「それはいい考え!」ということで、実家の古いアルバムから写真を持ってきたり、私たち子供の家族写真などを集めて家系図を作った。

家系図と言っても、父の方は私の祖父の時に北海道へ渡ってきたので、父も私たちも先祖のことはほとんど知らない。

私の祖父は20歳の時に家出をして来たそうで、その後ふるさとには帰らなかったため、本州にいる親戚とは付き合いもなく、今ではまったく分からなくなっている。

かろうじて父の祖父母に当たる方々の写真が一枚と、その息子達つまり父の二人の叔父の写真が一枚ずつ見つかった。

父にそれらの写真を見せると、父は祖父母には会ったことがないと言った。

これは祖父がふるさとに帰らなかったということから、父が忘れているのではなく本当の事だろうと思う。

祖父は故郷には帰らなかったが、両親が写ったたった一枚の写真は大切に持っていたのだろう。

父の話によると、祖父母は訪ねて来る事はなかったが、祖父の二人の弟である叔父達は遊びに来たそうだ。

父が子供だった頃、二人の叔父に会ったことを父はよく覚えていて話をしてくれた。

私と妹も初めて聞く話だった。

また父は叔父たちの名前もちゃんと覚えていて、叔父達の写真の下にその名を書き込むことができた。

出来上がった家系図を見ながら、父と妹、そして私の3人でしばらく話が盛り上がったのだが、「ところで・・・」と父が言った。

「ところで、○○(私の弟)の娘の名前は○子と言うんだったか?」

「違うよ、お父さん。それはお嫁さんの名前だよ」

どうやら父は昔1~2度しか会ったことのない叔父さんたちの名前は覚えているが、自分の孫の名前は忘れているようだ。

でも、これでしばらくは職員さんたちとも話題に事欠かないかな~

孫の名前も忘れないようにねと願いながら、出来上がった家系図を父の部屋の壁に貼った。








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忘れていたこと

2014-04-15 15:31:22 | 日記
戸棚の整理をしていたら、昔の手帳が出てきた。

あ~これ、このキラキラとした綺麗なブルーの表紙が気に入って買ったんだよなぁ。

懐かしく思いながらパラパラと手帳をめくっていたら、7年前に私が書いた文章が残っていた。

「わかった。自分も神の一部、そしてすべての人はみんな神の一部なのだ」と書き記してあった。

そんなことを書いていたとは我ながらびっくりだった。

すっかり忘れていたことだったが、その文面からは喜びの気持ちが溢れているようだった。

なぜこのようなことを書いたのかと思ってさらに読むと、どうやら当時入っていた会の人から「この会をやめることが正しいことなのか、どうなのか、自分の守護霊に聞いてみて」と言われた・・・とある。

そして「もうやめると言う自分の意思は変わらないのに、なぜこうも延々と説得に来るのか」とも書いてある。

当時は自分の心の奥にある神聖なものの存在を知らなかったが、そんなに言うのなら、やめる気持ちは絶対に変わらないが自分の守護霊(自分の心の神様)に聞いてみることにしようと思った。

その会は宗教ではなかったが、今思うと限りなく宗教に近い会だった。

そして一年近く入っていたが色々な違和感を感じ、もうやめますと会の人に伝えていた。

入って間もなくから、その会に対して違和感を感じるようになっていたが、決定的だったのは会の幹部の男性と多くの会員がいる場で口論になったことだった。

ずっと違和感を抱いていたことを私が質問したことから、徐々にエスカレートしていった様に思うが、いつもポーカーフェイスのその方がかなり本気で怒っていた。

また、周囲で私たちの話を聞いていた会員の中からも私に対する批判の声が上がり、会場は激高して私を批難する数人の会員と息を飲んだまま無言で口論を聞いているその他多数の会員たちで異様な気配になっていた。

その時は不思議と何も怖くなく、誰に何を言われようがまったく平気だった。

最後は「ではやめさせて頂きますッ!」と捨て台詞を残して会場を後にしたのだが、その後は会に残るように入れ替わり立ち代り会員が来て説得の嵐が続いた。

自分が信じていること、特に宗教的なことはお互いに違った考えを持つ者同士で口論をするほど不毛なことはない。

まったく疲れるだけ・・・

「悪かったと言っていましたよ」と後からあの男性会員のことを聞かされても、私は彼に対してわだかまりがあるのではなく、会に対する不信感からやめようと決心しただけだったので、彼には何の悪感情もなかったし、彼が謝るうんぬんで会に残るということにはならなかった。

「わかった。自分も神の一部、そしてすべての人はみんな神の一部なのだ」

そう思ったのは、「守護霊に聞いてみて」と言われたことからやってみようと思い、布団の中でリラックスしていた時に見えてきた文字からだった。

「人間 神」

たったこれだけの文字だったが、その時は「わかった」と心躍るような気持ちがしたものだった。

ただしこれが本当に自分の神聖な所から見えてきたものだったのかは、今となっては正直わからない。

ただ、その時の喜びは手帳に書かれた文からも分かるくらい大きかったのだと思う。

あとから「何か分かったか?」と聞きに来た会の人に「人間 神」を伝えると「???」と言う顔をしていた。

ところで会に入っていた頃に「これが魔物というものなのか」と思うような恐ろしい映像を何度か見たことがあった。

それを会の人に言うと、その度に「それはあなたに憑いているものです」と言われていた。

(だから私は今でも魔物は本当に存在すると思っている!)

当時は「そうか、それならもっとここで精進して取り払わなければ」と思ったが、今考えると会自体が魔物の巣窟だったのかもしれないと思う。

「自分に憑いている魔物は自分でとるのです。そのために自分の内面を見つめ正しい行いをしましょう」

たしかに「その通り」と思える部分もあったが、やはり根本的にどこか違う。

会員が定期的に皆で集まって、お互いにどれくらい成長したかなんてことを指摘(批判)し合うなんてのは間違っている。

幹部に褒められた人は、自分は他の人より先を行ってると勘違いをする。

言葉に出さなくても心の中では優越感やら嫉妬心やらが渦巻く。

誰が幹部になるのか腹の探りあい。

現在もその会は存在しているらしいが、かつての勢いはもうないと思う。

これからは一人ひとりが自分の中に存在する神聖なものに気づけば、そういった宗教的な集合体は消えていくのだろうと思う。

また、消えなければいけないのだと思う。











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仲直り

2014-04-10 17:48:55 | 介護
久しぶりに妹と二人で食事をした。

妹とは2月始めに父の介護をめぐって意見の相違があり、抑えていた怒りを私が妹にぶつけたことから、お互いになんとなく気まずい感じになり、それ以来ずっと会っていなかった。

その間まったく連絡はしていなかったのかというとそうではなかった。

このままの状態ではよくないと思った私は、なぜあの時、私が怒ったのかをきちんと話さなければと思っていた。

そこで2~3度電話をしたのだが、妹は用事があったのか分からないが、その時にすぐに電話に出ることは無く、いつもあとから電話がかかってきた。

しかも、いつも出先からかけてくる電話だった。

妹が自宅からの電話じゃないので、こちらも込み入った話などできない。

「もしかしたら妹は、この前のことを蒸し返されたくないのかもしれない。だから用事だけ話して電話を切りたいのかも・・」

そう思ったら、あえてそのことには触れなくてもいいか・・・と言う気持ちになり、父についての事務的な話だけをして電話を切った。

その後は、用事も無かったのでこちらから連絡をするということはせず、もちろん妹から連絡が来ることはなかった。

あれほど頻繁に長電話をし合っていたのに・・・と思うと、なんだか悲しかった。

しかし一方で、妹の言葉を思い出しては怒りの感情が湧きあがってくるのも事実だった。

自分はまだとても怒っているのだと分かった。

そして、この怒りの感情が湧きあがってくる間は、やはり妹と距離を置こうと思った。

姉妹や兄弟というのは、成人してお互いに家庭を持ったりすると、限りなく他人に近くなってしまうものなのだろうか。

一つ屋根の下に暮らしていた頃は、喧嘩をしてもしばらくするとなんとなく仲直りができたものだったが、お互いに家庭を持って離れて暮らすようになると、頻繁に顔を合わさない分、なかなか仲直りをするきっかけがつかめない。

こうして妹と距離をとるようになると、今までの妹との出来事などをよく考えるようになった。

そんな時は、喧嘩の原因となった妹との会話が思い出されてきて怒りの感情が湧いてきたり、悲しみの感情が湧いてきたりした。

また時には、今まで妹がしてくれたことを思い出して後悔する気持ちが湧いてきたりもした。

妹とぎくしゃくしてからしばらくは、妹のことを考えると怒り、悲しみ、後悔と言ったネガティブな感情が現れてきて苦しかったが、妹のこと以外では、普段の生活の中には喜びや嬉しさの感情も感じた。

日々、自分の中に色々な感情が湧いてきては消えていった。

人はこうして自らの中に色々な感情を作り上げて生きているものだったのかと、あらためて考えていた。

そうか、この感情を作り上げているのは他でもない自分自身だったのだ。

その出来事は出来事として起っただけのこと。

しかし、その出来事に対する私の感情や解釈の仕方で、自分の感情はこんなにくるくると変わるものなのだ。

昔、読んだ詩集の一遍が思い出された。

自分の感受性くらい

自分で守れよ

ばかものめ


詩人、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩の一文だが、ネガティブな感情が湧きあがってきそうになると、なぜかいつもこの詩が思い出された。

この前、本当に久しぶりに妹から父の事で電話があり、その時にゆっくりお互いの気持ちを話し合うことができた。

まるで冷たい氷が解けていくような気がした。

そして二人で食事に行った。

妹の話も聞き、妹に対する思いやりが私には足りなかったと反省した。

数ヶ月間の妹との関係は辛かったが、今回は自分自身を見つめるよい機会になったと思っている。







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野鳥の観察

2014-04-07 18:13:36 | 日記
庭に野鳥の餌台を置き始めて7年ほど経つが、この冬に初めて見る小鳥がいる。

大きさはスズメよりも小さく、身体全体の色は茶系。

チョット見はかなり地味な色の鳥なのだが、特徴的なのは頭のてっぺんにある赤い毛。

また同じ種類の小鳥だが、頭だけではなく胸の毛も赤いのがいる。

最初は一羽だけが来ていたのだが、しばらくすると二羽で来るようになり、「パートナーも連れて来たのな?」と微笑ましく観察していが、そのうちにだんだん数が増えてきて、今や多いときには15羽くらいの団体さんでやってくるようになった。

小さな小鳥とは言え、毎日集団でしかも何度も来るので餌台の餌はあっという間に消えてしまう。

買ってあった野鳥の餌が少なくなり、今はP太郎の餌も足しているが、P太郎の餌の方が美味しいのかP太郎の餌ばかりが無くなるのが早い。

しかし、夢中で餌をついばんでいる姿の可愛らしいこと!

この鳥は一体なんという名前の鳥なのかと調べてみたところ、「ベニヒワ」というらしい。

頭だけが赤いのが雌で、胸毛も赤いのがオスだそうだ。

他にまだ頭の毛が赤くなっていない子も沢山混ざっているのだが、それは多分幼鳥なのだろう。

うちに来るのは圧倒的に雌と幼鳥が多く、雄はあまりいない。

ベニヒワは極寒の地でも生きていくことができるそうで、もともとの繁殖地は高緯度地域のツンドラ地帯という寒い土地なのだとか。

そして日本にベニヒワがやってくるのは、餌が不足している年だそうで、こうしてベニヒワを見ることができない年もあるそうだ。

どうりで初めて見た小鳥だと思ったわけだが、エジプトやアメリカでも大きな被害を出した強力な寒波のせいで、餌が不足したため、今年は日本に南下してきたという話だ。

それにしても、やはりこの冬はいつもより寒さが厳しくなかなか雪が溶けず、木々の新芽が出るのが遅いような気がする。

その為、餌が少ないのか、いつもなら餌台には来ないアカゲラまでが来ている。

そして、ヤマゲラやシジュウカラ、ゴジュウカラといったいつもの常連メンバーも相変わらず来てくれる。

・・・というわけで、我が家の庭は毎日、鳥だらけの超しあわせな状態(私にとってだが)になっている。

ただし餌やりは、もう少しで止めるつもりだ。

生態系を崩してはいけないので、まいとし新芽が出てきて鳥たちが餌をたくさん見つけられるようになったら、餌やりは終了することにしている。

野鳥観察の楽しみが無くなるが仕方がない。

ところで、せっかく撮った鳥たちの写真をブログに載せようと思ったのだが、PCの調子が悪く載せることができなかった。

午前中は、それをなんとかしようとパソコンと向かい合って悪戦苦闘していたが、やっぱりダメだった(涙)

調子の悪いパソコンに向かうほど疲れることはない!

あ~疲れたと思いながら窓の外を見て鳥たちに癒され、写真の無いままでいいかと、またパソコンに向かってこれを書いている。。。










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ゴミを拾いながら

2014-04-03 21:44:46 | 日記
朝、介護の仕事で利用者さん宅があるマンションに行くと、いつも清掃員の女性が一生懸命にそうじをしている場面に出会う。

年齢は70代くらいだろうか。すこし腰が曲がった小柄な人だ。

私が見かける時は、ガラスのドアを拭いていたり、廊下にモップをかけていたりと、とにかくいつも黙々と掃除をされている。

そして、私はその清掃員の方の横を通り過ぎる時は、必ず「おはようございます」と挨拶をするようにしている。

・・・が、その方は顔を少しだけ上げて、わずかに口元を動かすと、すぐに下を向いて掃除を続ける。

多分、私に挨拶を返してくれているのだと思うが、その声は何を言っているのかほとんど聞き取れないくらい小さくて、しかも顔はニコリともせず仏頂面のままなので、なんだか愛想のない人だな~といつも思っていた。

ところで、先日私はそのマンションにすこし早い時間に着いてしまい、仕事の時間になるまで車の中で待つことにした。

エンジンを切った車中でぼ~っとしていると、車の横をあの清掃員のおばさんが通り過ぎていくのが見えた。

おばさんも今、通勤してきたところのようだった。

ところで、おばさんは両手に飲みかけのジュースが入ったペットボトルと何も入っていないカラのペットボトルを1本ずつ持っていた。

両方ともまるでどこかに落ちていたのを拾ってきたかのように汚れている。

マンションのゴミ捨て場に着いたおばさんは、そのペットボトルの中に入っている飲み物を捨て、2本ともキャップやラベルを剥がすと、きちんとゴミを分別してペットボトルをゴミ箱に捨てた。

その光景を見て、なんだかとてもいいものを見せてもらったような気持ちになった。

きっと、そのおばさんは仕事に来る途中、道路に落ちていたペットボトルを拾ってきたのだろうと思う。

人は見かけではない。

無愛想に見えたおばさんだけど、いいトコあるわ~と思った。

雪が溶けて、地面が見え始めた路上にはゴミが目立つようになってきた。

雪が降る前からあったゴミや、どこかから飛ばされてきて雪の下になっていたゴミなどが、あちらこちらに落ちていて、それがまた泥まみれになってとても汚く見える。

そんなゴミのペットボトルを、おばさんは拾ってきたのだ。

そして、ゴミ箱に捨てたのだ。

たまにこのおばさんのように、ゴミを拾って歩く人を見かけることがある。

大体、男女問わず中年以上の高齢者に多いのだけど、散歩をしながらなのか、ゴミ袋を片手に路上に落ちているゴミを拾いながら歩いて行く。

そのような人を見ると、いつもえらいな~と思っていた。

私もゴミが落ちている!とは思うのだが、近くにゴミ箱が無かったり、ゴミ袋を持っていなかったりすると、そのゴミを拾って家に持ち帰ることはなかなかできない。

そして、自分にはできないゴミ拾いをしている人を見ると、とても尊敬してしまう。

でも、目に付いたゴミを一つか二つでもいいから拾って捨てたら、汚れた道路がすこしは綺麗になるかもしれない。

そこで、今朝はゴミステーションにゴミを捨てに行く道すがら、目に付いたゴミを拾うことにした。

泥水に濡れて路面に張り付いたゴミを素手で拾うのは躊躇するので、火バサミを持って行くことにした。

小さなビニール袋やお菓子の包み紙など、ゴミステーションまでの短い距離でもゴミはかなり落ちていた。

一つずつ拾って我が家のゴミ袋の中に入れ、最後にゴミステーションに出した。

なんだかとてもすっきりとしたよい気持ちになった。

ゴミを拾って、道路を綺麗にすることがこんなに気持ちの良いことだとは思ってもいなかった。

あの清掃員のおばさんに、良いことを教えていただいたような気がする。

またゴミ拾いをしよう~と思う。







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当たり~

2014-04-01 15:10:36 | 日記
週末、大型ショッピングセンターへ行った。

ここは食品スーパーをはじめ、飲食店や電器店、ドラッグストア、ホームセンターと多くの店が入った大型の複合店。

先月、この店にあるメガネ店でメガネを買ったのだが、その時に店員さんから「レシートは大切に取っておいてくださいね。3月中に購入した全ての店のレシートで、月末に抽選ができますから・・・」と言われた。

「そうなんですか。でも私はくじで当たったためしがないから、今度もだめだわ」と言うと、店員さんは「今度は分かりませんよ。やってみてください」と笑顔を返してくれた。

「そうか・・・今度はわからないか」と店員さんがかけてくれた言葉がずっと頭の中に残っていた。

その後も何度かこのショッピングセンターで買い物をする機会があり、そのたびに「抽選、抽選」と思いながら、もらったレシートは捨てずに大切に取っておいた。

そして、いよいよ抽選の日が来た。

3月末の土日だけ開かれる抽選会。

この日は必ず抽選に行こう!とず~っと思っていた。

根拠はまったくないのだけれど、なぜか当たりそうな予感がしていた。

実は数日前にも、私が応募しておいたプロ野球の観戦チケットが当たったことが分かった。

私自身は野球がそれほど好きなわけではないが、次女ピーチが物凄い野球好き。

特にごひいきなのは北海道日本ハムでファンクラブにも入っている。

ピーチは札幌で行われる日ハムの試合をたまに観戦に行くが、自分のお小遣いの中からチケットを買っているので、そう頻繁に行けるものではない。

しかしいざ観戦となると、ピーチの姿がすごいことになる。

日ハムのユニフォームを着て、首からは日ハムマスコットの熊(B・Bくんと言うらしい)をぶら下げ、背中に背負ったリュックサックからは、応援時に叩きまくるバット型をしたプラスチック製のヌンチャクが飛び出している。

とても今時のオシャレな女子高生とは思えない・・・

これはもう絶対に野球を見に行く以外はないだろうと思うような姿で出かけていくので「恥ずかしくないの?」と聞いたところ、札幌ドームに向かう人たちは、みんな似たような姿なので恥ずかしくないそうだ。

そんな野球大好き少女ピーチにチケットをあげたら喜ぶだろうなぁと思って、野球チケットのプレゼントに応募していたのだった。

そしてめでたくペアチケットが当たったことが分かり、ピーチに教えると予想通り大喜びしてくれた。

ピーチと同じく野球が大好きな友だちと一緒に行ってもいいか?と言うので「どーぞ、どーぞ」と言うと、嬉しそうに友だちに誘いのメールをしていた。

2匹めのどじょう狙い。。。とは思っていなかったが、やはりどうしてもショッピングセンターの抽選は行かなくてはという気持ちは強く、いつも運転手として買い物についてきてくれる夫にも「抽選したいから、向こうの店へ行くんだろう」と言われる始末だった。

いつもの週末は食品だけの買い物なら近所のスーパーで済ませていた。

しかし今回は「抽選くじ」を引くという大きな?目的があったので、足を伸ばしてわざわざ大型ショッピングセンターに行った。

抽選会が開かれている場所をちらりと覗くと長~い列ができていた。

夫が「買ったものを車に積んでいるから、抽選をやっといで」と言ってくれたので、今まで集めていたレシートを握り締めて列に並んだ。

一緒にいた長女チェリーも私のあとについて来た。

レシートの合計金額によって引けるくじの数が決まっているそうだが、私の場合10回くらい引けそうだった。

それにしても、今の時代は抽選もタブレットなんですね~

くじがたくさんぐるぐる回っている画面にタッチすると、一枚のくじがピックアップされて、さらにタッチするとそれが開いてアタリだとかはずれだとかが分かるという仕組み。

昔ながらのガラガラまわす福引が懐かしい・・・なんてね。

さていよいよ私たちの番になり、最初は私がくじを引いていったのだが、ずっとハズレばかりが続いた。

そこで、私にぴったりくっついて画面を見ていたチェリーに「やってごらん」と言うと、チェリーは恥ずかしそうにタブレットの画面をタッチした。

「これでいいの?」と言いながらタッチし続けるチェリーに「そうそう、上手」と声をかけていたのだが、突然いままで見たこともないような画面が現れた。

 「特賞」

担当のお姉さんが「おぉー」と声を上げ、金色のベルを手にとってちゃりんちゃりん鳴らした。

当たるとベルをふるというのは、タブレット式のくじに比べるとずいぶんレトロね・・・と思いつつ、一瞬何が起きたのか分からないでいたら、「おめでとうございます!特賞当たりました」と言われた。

当ててしまったチェリーも何が起こったのか分かっていない様子だったが、一番いい賞を当てたと分かったら、にこにこして喜んでいた。

さて、その賞品ですが・・・

実は私はずっと「抽選、抽選」と言いながら、一体どのような賞品が当たるのか知らなかった。

あらためて貼ってあったポスターを見ると、「特賞 1万円商品券 10名様」と書いてあった。

担当のお姉さんが商品券一万円分を手渡してくれた。

なんだか、すご~く嬉しかった。

この商品券で、くじを当てたチェリーに可愛い洋服か靴を買ってあげようと思う。

一体、特賞なんてどんな人が当てるんだろう?と、ハズレのくじばかりを引く度にいつも思っていたが、幸運はある日突然やってくるものなのかもしれない。









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