毎年この時期になると、新しいお札を頂きに神社へ行く。
今日も行ってきた。
まず最初に行ったのは、崇敬する神社である相馬神社。
最初の鳥居から参道を見上げれば、真っ白に雪が積もった急な坂道が続いているのが見える。
その参道をゆっくりと一歩ずつ登っていく。滑らないように、そして荒くなった呼吸を整えながら。
あと何年この坂道の参道を上って行けるだろうか?
あと10年くらいは大丈夫かな。
でも降りてくるのが難しくなるかもしれない。
滑って転んでしまったら・・・と考えるとちょっと怖い。
以前、やはり年末に相馬神社の参拝の後、下りの参道で自分の両足が見えるくらい派手に転んだことがある。
転ぶ瞬間というのは時間にするとほんの一瞬だと思うのだけど、その時は転びながらいろんな事が頭に浮かんだ。
真っ先に頭に浮かんだのは、もらったばかりのお札を汚してはいけないということで、お札を持っている手を地面に着かないようにしようと思った。
結果、両手でお札を胸に抱えこむようにして転んだ。
それから転びながら、これだけ大きく転んだらさぞかし痛いだろうなという事も浮かんだ。
その痛さを想像しながら派手に仰向けに転んだら、全くと言っていいほど痛くなかった。
参道はコチコチに凍っていたのに、身体がフワッと地面に落ちたように思えたくらい不思議とどこにも痛みがなく、後から痛むことも無かった。
手をつかずに転んだことがよかったのか、はたまた神さまのお陰なのか、、、私としては、神さまのお陰だと思っているのだけれど。
というわけで、相馬神社の凍った参道を下ってくることが心配になったあなた。大丈夫です。安心してください。
この参道の他になだらかな坂道があります。
もっと歳をとって下ることが難しくなったら無理をせずに、こちらの道を降りてこようと思う。
ところで今年最後の参拝もまた、いつものように感謝だけをしてきた。
ただし例年とすこしだけ違ったのは、「またここへお詣りに来ることができました、ありがとうございます」という感謝の想いが強く湧き上がってきたことで、これは自分でもすこし意外だった。
今年はたくさんの人が、寿命というには短すぎる年齢でお亡くなりになるというニュースが多くあった。
その多くの人が、まさか自分が死ぬとは思っていなかっただろうと思う。
そして、昨年までの自分もまた同じで、いつか必ず死ぬことは分かっていても、それはまだまだずっと先のことだと何の確信もなく思っていた。
だから神社の参拝に来ることは、いつでもできると昨年までは思っていた。
でも今は違う。いつ寿命が来てもおかしくないのだと思うようになった。
だからいつでも、後悔しないように生きていきたいと益々強く思うようになった。
明日、寿命が尽きても後悔はないだろうかと自問自答する。
残していく家族のことは心配だけど、この世に生まれてきてやりたかった事は、この世的には良いことも良くないこともほぼ叶った。
良くないことが叶ったというのはちょっとおかしな言い方だけど、自分の学びとしてはそれらもすべて良いことだったと思う。
だから、大きな後悔はしないかもしれない。
でも欲を言えば、もっと生きて、もっと真我に近づきたい。
(訳の分からないことを書いてしまいましたが・・・)とりあえずできることは、日常生活を丁寧に生きることで、限りある生命を存分に活かして後悔の無い人生を送って行きたいと思う。
なんてことを、年末の参拝で思った次第です。
このあと、氏神様である神社にも参拝をしてお札を頂いてきた。
掃除をしてきれいになったマイ神棚は気持ちがよいものです~