ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

味噌作り

2019-09-27 16:18:47 | 日記

2015年に初めて自分で味噌を作ってから、毎年味噌を作るようになり、それ以来、市販の味噌を買わなくなって久しい。

自分で作る味噌は、買ってきたものよりずっと美味しい気がするので(手前味噌)大変だが毎年作っている。

さて味噌づくりの準備は前日から始まる。

まず1・2キロの大豆を水に漬けておく。大体18時間くらい浸しておくと、翌日には大豆が水を吸って3倍近い量になっている。

 さらに前日は、夕食にも気をつけている。

普段、夕食に納豆は欠かさないのだが、味噌作りの前日だけは納豆を食べないことにしている。

納豆菌はなかなか強力で、翌日も空中に浮遊しているかもしれないそうで、そんな浮遊納豆菌が、麹菌より先に大豆に取(憑)りついてしまうこともあるとか。

味噌を作ろうとして大量の納豆ができてしまっては大変なので、前日は家族そろって納豆断ちする。

そして、いよいよ味噌作り当日の準備。

麹(普通の麹1キロと麦の麹200g)、塩500g、消毒用の焼酎、漬物用のビニール袋とビニール手袋を用意する。

いままで毎年、大豆や塩、そして麹の種類をあれこれと変えて作ってみたのだが、その結果わかったことは、美味しさの決め手は何と言っても「麹」だということ。

以前も書いた小樽で買った麹も美味しくできたのだが、小樽まで行くのは少し大変なので、去年は札幌市内の麹の専門店で買ってみたところ、これが素晴らしく美味しい味噌になった。

普段は、あまり美味しいとかマズいとか言わない家族が、味噌汁を一口飲んで「美味しい。味噌変わった?」と言ったくらいで、本当に一口食べただけで、その違いが分かるほど美味しくできた。

そこで今年もまた去年買った店で麹を買ってきた。

お店はこちら→糀factory 市内近郊の方はどうぞ。おすすめです。

さて味噌作り。

一番時間がかかるのが、大豆を柔らかく煮ることで、私は圧力鍋で二回にわけて煮るのだが、それでも煮る時間15分と放置時間15分×2回で、鍋を洗う時間も含めると、合計一時間以上はたっぷりと時間がかかる。

大豆を煮ている間に麹の粒をばらばらにほぐして塩を混ぜる作業(塩切り)をしておく。

塩切りに入れる塩の量は500gのうちの400gだけで、残りの100gは最後に味噌の上に載せる為に取っておく。

大豆が煮あがったらよく潰して、すこし冷ましてから塩切りした麹を混ぜる。

この時、漬物用のビニール袋を使うと、大豆を潰す作業から麹を混ぜる作業までできるので便利。

どうやって大豆を潰すのかと?

足よ、足。袋の上から踏むのでごじゃるよ。

踏みつぶした大豆の袋に塩切麹を入れて、今度は袋の上から手でよく混ぜ合わせたら味噌玉を作る。

ここまで来たら、もうゴールは近い!

次に私が一番好きな作業。

容器の中に力いっぱい味噌玉を投げ入れて、空気を抜きながら詰めて行くという作業をする。

しか~し、この時、注意をしなければいけないことは、くれぐれもマト(容器)を外さないように味噌玉を投げるということで、失敗すると悲惨なことになります。このように・・・↓

これでも少し片づけた後の写真だが、投げた味噌玉が容器の縁に当たって、見事に砕け散った(泣)

気を取り直して、空気が入らないようにしっかりと味噌玉を詰めたら、最後に残っていた塩100gをのせ、ラップをしてから内蓋をして重しをのせる。(書き忘れていたが、途中で度々、スプレー瓶に入れた焼酎で消毒した。カビ対策はしっかりせねば)

最後に紙袋をかぶせて、今日の日付を書いたら完成。

このまま涼しい場所で半年以上寝かせます

おつかれさまでした。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動物園

2019-09-25 16:13:24 | 日記

何年ぶりかで円山動物園へ行ってきた。

最後に動物園へ行ったのは、確か父と一緒に行った三年ほど前だっただろうか。

認知症が進んできた父が「へびを見たい」というので、父の乗った車いすを押して行ったことがあった。

なぜ、へび?と思ったが、父の頭の中で、へびにまつわる昔の記憶が甦っていたのだと思う。

父は若い頃に仕事で山奥へ行くことがよくあって、その時しばしば蛇に遭遇したという話を聞いたことがある。

ところが、父はあんなに「へびが見たい」と言っていた割には、へびを見てもさほどの関心を示さず、ちらっと見ただけで「もう疲れた。帰る」と言い出す始末だった。

子どものように「帰る」と言う父を、「せっかく来たのだからもう少し見よう」と説得して、少し休めば気も変わるだろうかと、アイスクリームを食べに入ったお店も当時のままだった。

結局アイスクリームを食べて、そのまま帰宅という事になったが、あの時の父はまだ体格が良くて、車いすが重かったな・・・なんてことを思い出してしまった。

それにしても三年ぶりに動物園に来て驚いのは、昔(子どもと一緒に来た十数年前)と比べてずいぶん変わったことだった。

もしかして父と来た時ともあまり変わっていないのかもしれないが、なんせあの時は蛇しか見ていない為、こんなに変わっている事が分からなかった。

どう変わったかと言うと、より自然に近い状態にいる動物の姿を見ることができる展示が増えていた。

レッサーパンダは、お客さんが自由に出入りする部屋の天井に張り巡らせたレールの上で昼寝をしているし、オットセイが水の中を気持ち良さそうに泳ぐ姿を、水中に作られた透明トンネルから見ることができる。(ホッキョクグマも時間が合えば泳ぐ姿を見られるとか)

また植物園かと思うような緑豊かな室内には、熱帯の鳥がいた。

 ぬいぐるみ?と思ったら本物だった、レールの上で昼寝をするレッサーパンダ

レッサーパンダのすぐ下には見物客がいて、飛び降りて脱走しないのかと思うけど、きっと大丈夫なのでしょう。

の展示では、他のレッサーパンダが木の上をお散歩中。

レッサーパンダも可愛らしかったが、それ以上に「萌え~」と目がハートになってしまったのがこちら。↓

この足といい、顔といい、どこかオカメインコのP太郎に似ている。

イグアナって鳥とそっくりだわ

同じ爬虫類でもへびは大の苦手だが、こちらはペットとして家に居てもぜんぜん問題はない。いや、むしろ家にいてほしい可愛さ。

それにしても、徐々に展示されている動物たちに同情心が湧いてくるのはなぜなのか。

動物園に居れば安全と食べ物は保証されているが(そう思うのは人間だからなのかもしれないが・・・)やはり自然の中にいる方が幸せなんじゃないかと思う。

気持ちよさそうに泳いでいるオットセイは幸せそうだったが、そうじゃない動物たちもいた。

特にそう思ったのは、ホッキョクグマ。

この子はとてもイライラしていた。今日がたまたま機嫌が悪かっただけなのかもしれないが、見ているうちにつらくなってしまった。

動物園を見学しながら、最後はちょっと複雑な心境になってしまったものの、思っていたよりもずっと動物園は楽しいかもしれない。年間パスポートを持って足繁く通う人の気持ちが分かるような気がした。

動物が大好きだった父が元気な時に来ていたら、きっともっと楽しんだろうと思う。

動物園は小さな子どもを連れた家族が多かったが、高齢者も行くといいのではないかと思った。動物たちの仕草に癒されて楽しめる。

こうして半日を動物園で楽しんで過ごしてきたが、最後に人間に癒しと喜びを与えてくれる動物たちに感謝したいと思う。

 



 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーラ

2019-09-20 14:07:54 | 日記

人や動植物などの周りには「オーラ」と呼ばれる光があるという。

そして、この光は人によって色が違い、また同じ人でも健康状態や思考の変化によって色が変わるのだとか。

すこし前のブログ記事に、自分の指先から白い煙のようなものが上がっているのが見えることを書いた。

これが一体どのように見えるのかと言うと、左右それぞれの指のある一点から噴き出すように白い煙が出ている。

もわっというよりシューっと感じで出ているのが見える。

それは誰の指先からも出ていると思う。(実際に他人のは見たことはないが・・・)

詳しいことはよくわからないが、これは「気」というものなのだろうと思う。

指先から出ている白い煙は、息を吹きかけるとふわっと揺れ動く、まさに煙そのものなのだが、一時期、風で揺れる白い煙がおもしろくて、暇な時によく自分の指先を見ていたことがあった。

しかし、あまり見過ぎたせいですっかり飽きてしまい、その後ぱったりと見ることをやめてから数年がたった。

ところが、先日ソファで横になってリラックスしていた時、何気なく自分の指先を見て、ふと白い煙のことを思い出した。

「どれどれ、今でも煙は元気に噴き出しているかな?」

そんな軽い気持ちで久しぶりに自分の指先を見たのだったが、今回はいつも見える白い煙じゃないものが手の周囲に見えた。

それは光の色。

それがオーラと呼ばれるものなのだろうか。

これは、昔も薄暗い部屋で鏡を見た時、鏡に映った自分の身体の周りに発光する光が見えることがあったのだが、不思議なのは、昔みた自分のオーラの色と今回見た色が明らかに違うことだった。

見た時は、黄色の混ざった淡い緑色をしていたのだが、今回は緑ではなく鮮やかな紫色だった。

また、昔のように薄暗い部屋ではなく、昼間の明るい部屋にいるのに、自分の手の周囲に紫色の光の層がはっきりと見える。

目がおかしくなったのかと何度も見直してみたのだが、やはり紫色の光が自分の手の周囲を取り巻いていた。

鮮やかな紫色の光。

しかし、じっとみていると、その紫に青みが混ざったり、また紫に戻ったりと、一定の色で固定されるのではなく、短い時間でも微妙に色が変化することがわかった。

色によって性格だとか考え方だとか、意味があるらしいことはネットで検索するとたくさん出てくるが、それについてはあまり興味がない。

それよりも、なぜ色のついた光が身体の周囲にあるのか?

なぜ光の色は、昔の淡い緑から鮮やかな紫色へと、こんなにもはっきりと変わったのか?・・・健康や思考の変化だとしたら、それがどうして色の変化になるのか?

そして、指先から出ている白い煙との関係性は?・・・などなど、そのようなことに興味がある。

 その日の晩、テレビを観ていた夫にオーラのことを話したら、夫がテレビを観ながら自分のオーラも見て欲しいと言った。と言っても、テレビから目を離さず、全く真剣さは感じられないのだが。

「じゃあ、見る?」というわけで、夫の手を取った。

そういえば、昔も鏡に映った自分の身体の周りに緑色の光があることを夫に話したら、「自分のも見て欲しい」と言うので見たことがあった。

たしか、その時には夫の周囲の色が銀色をしていたのだが、はたして色に変化はあったかな?

夫の手をじ~っと見る。

じ~っ、じ~っ、じ~っ・・・

「まだ?」と夫がテレビを観ながら聞いてくる。

「待って、まだ」と答えながら、夫の手を見つめる。

じぃ~っと、じぃ~っと見つめる。

「まだ?」と、再び夫が聞く。

「まだっ!」

 しばらく夫の手をじ~っと見続けたのだが、見えない。

 もしかして透明色とか?

やはりリラックスしていないからだろうか。夫の「まだまだ攻撃」で緊張感と焦りが高まって集中できない。

結局、夫の色は見えなかった。

テレビを観ながら、手だけを私に預けていた夫は、すっかり飽きたようで「やっぱりいいわ」と言って手を引っ込めた。(←その程度の興味しか持っていない)

自分の色は、はっきりと見えるのに、どうも人のは見えにくい。

多少なりとも緊張するせいかもしれない。

しかし何色だったとしても、それ以上のことは私にはわからないので「だからどうした」という話なのだが・・・

というわけで、自分のオーラを見るのも、白い煙同様そのうち飽きることは、我ながら明らか。

人体の周囲を取り巻く色のついた光(オーラ)が、不思議で面白かったので、ちょっと書いてみました

 

 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドライブ

2019-09-17 15:59:23 | 日記

三連休は、夫が運転する車でドライブへ行った。

目的地は決めず、とりあえず南へ向かって車を走らせた。

千歳を抜けた辺りで、今まで行ったことがなかった厚真町・安平町へ向かうことにした。

厚真町といえば、昨年9月の地震で震度7の揺れがあった場所で、隣町の安平町も震度6と、どちらも非常に強い揺れがあった場所だ。

地震によって、上空から見ると、まるで規則正しく並んだ模様のように山が崩れた。その映像は、当時何度もニュースで流れていたが、一年が経った今も、山肌がむき出しになった場所が数多く見られる。

そして、あちこちで今も工事が続けられている。

ところで地震から一年が経ち、色々なことが分かってきたそうだ。

多くの山崩れは、雪崩のように表層3メートルが崩れ落ちたケースがほとんどだったが、厚真町幌内地区では、なんと巨大な「山」そのものが、そのまま南へ400メートルも移動していたことが判明したそうだ。

山がそのまま動く・・・一体、どれほどの力で動いたのか想像もつかないが、実は一万年近く安定していた地層が、今回の地震で崩れたという、縄文期からここに住む人間が、初めて経験するような地震だったということだ。

過去にさかのぼると、一万~一万五千年ほど前にも、今回と同規模の地震が起こった可能性があるそうだが、とにかく一万年くらい安定していた場所が、今回動いたということだ。

ところで余談だが、実は我が家も地震後、南に向かって土が盛り上がっていた。

すごい力で南へ押されたかのようで、家ごと移動していなくて本当によかったと思う・・・

「地球は生きている」というのはわかっているつもりだったが、このようなことを知ると、まさに地球は生きているのだと実感する。

さて、初めて訪れた町、厚真では、ちょうど厚真神社のお祭りで、昨年地震で中止になった子ども神輿が出ていた。

また厚真や安平は、お蕎麦も美味しいとのことで、町内の老舗そば店でお蕎麦を頂いた。休日のお昼時だったせいか、店内は満席。しばらく待ってから食べたお蕎麦は格別においしかった。

隣町の安平では、今年の春に新しく道の駅がオープンして、こちらも大勢の人でにぎわっていた。

何事もなかったように笑顔で神輿を担ぐ子どもたち、美味しそうにお蕎麦をすする人たち、道の駅で幸せそうにアイスクリームを食べる人たち。

人間は、遠い昔から、こうして何度も立ち上がって生きてきたんだなぁと思う。

どうか今回の台風災害で苦しまれている方々にも、早く笑顔が戻りますようにと願ってやまない。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れない時

2019-09-12 16:19:20 | 健康

めずらしく高齢者住宅にいるお姑さんから電話がきた。

お姑さんから電話がくると、まず間違わずにウチへ電話がかけられたことに驚く。

そして、(認知症は)まだ大丈夫だと安心する。

前回、電話があった時は、「職員さんから高齢者住宅を出るように言われているけど、どうしよう」という電話だったが、今回は「眠れないんだけど、どうしよう」という電話だった。

「眠れないって、布団に入ってどれくらい眠れないんですか?」と聞くと、「ずっと朝まで。職員さんが睡眠薬をくれないから眠れないんだわ。睡眠薬を出すように言ってちょうだい」とのことだった。

そして「眠れない、どうしよう」と、何度もお姑さんは言った。

お姑さんの声は元気で、とても寝不足の人のようには思えず、朝まで一睡もできないと言うが、絶対にどこかで寝ているはずだと思った。

しかし、お姑さんからの「眠れない」という電話は、それから数日間続いた。

歳をとると若い頃のようにすぐに眠りにつくのが難しくなるし、まして日中、それほど身体を動かしていないとなれば眠れないこともあるだろう。

私も、たまに眠れないことがある。

昔は「どうしよう、早く寝ないと、寝不足で明日に差し障る~」と思って布団の中で悶々としていたが、今は「眠れなければ、無理に眠らなくてもいいか」と思うようになったら、あっさりと眠れるようになった。

要は、どうしても眠らなければ・・・と思わないことなのかもしれない。

ところで、お姑さんは睡眠薬を飲んでいないから眠れないと言う。

実際は、お姑さんが飲んでいないと思い込んでいるだけで、毎日職員さんが持って来て飲んでいたのだが、何度そう言っても納得しない。

そこで、往診の時に主治医の先生から「ちゃんとお薬を出していますよ」と説明してもらうことにした。

すると、あら不思議!眠れるようになったではありませんか!

あれほど「眠れない」と言っていたお姑さんからの電話がぴたりと来なくなった。

これぞ睡眠薬の威力・・・いや、主治医の威力は絶大だった。

お姑さん、医師の言うことなら間違いないと思ったのだろう。

めでたし、めでたし。

ところでお姑さんのように、本当はどこかで眠っているにも関わらず、自分では眠れていないと思うことを不眠ノイローゼというらしい。

実は、不眠症のほとんどは、この不眠ノイローゼの可能性が高いとか。

眠れないことに神経質になり過ぎて、さらに眠れなくなってしまう悪循環に陥るそうだ。

眠らなければいけないと思えば思うほど、交感神経が高ぶってますます眠れなくなるのが、不眠ノイローゼだそうだ。

お姑さんのように信頼する第三者からの助言で眠れるようになることもあるが、「眠れないなら眠らなくてもいいや」と割り切ってしまうと、意外と眠れたりするものだと思う。

でも、そうじゃない場合、布団の中で行う(別に布団の中じゃなくてもいいが)簡単な体操がある。

まず、おへその真裏に枕を置き、仰向けに大の字でねる。

次に思い切り腰をあげ、息を大きく吐きながら腰をストンと落とすこと20回。これだけ・・・

こうすると、頭部に集まっていた血液が腹部に集中して、ぐっすりと眠れるようになる・・・らしい。

実際に私も寝る前に何度か試してみたのだが、たしかにすぐに深い睡眠に入ることができた。

眠れずに悶々としている方、どうぞお試しください。

信じるか信じないか(効くか効かないか)は、あなた次第ですが・・・



 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレイがマグロになる日

2019-09-09 16:58:59 | 日記

常に動き回っている人のことを「マグロのような人だ」と言うのを聞いたことがある。

なんでもマグロという魚は、ずっと泳ぎ続けていないと酸欠を起こして死んでしまうのだそうだ。

逆にじっとしたまま動かない人は、何というのだろう?カレイとかヒラメなんて言うのかな?こちらはあまり聞いたことがないが・・・

それはさておき、夫は典型的なマグロだと思う。

平日は仕事で忙しく、帰宅すると「疲れた」と言うことが多い夫だが、疲れているのなら、休日くらいは家でゆっくり休めばいいのにと思っても、家でじっとしていることができない。

夫曰く「疲れているからこそ、外出してリフレッシュしたい」のだそうだ。

たしかに、その考えも分かる。

分かるが、私はどちらかというと、家でじっとしているのが好きなカレイもしくはヒラメタイプなので、夫につきあって、休日のほとんどを動き回るのは、なかなか疲れる。

とはいえ、休日にいつも出かけるのは、一人では遊びに行けない長女のためでもあることは分かっているので、ありがたいことだと思う。

もちろん私自身も楽しんでいるので、苦ではない。

「明日はどこへ行く?何がしたい?」

そう聞く夫を囲んで、金曜日の夜は、家族で(夫と私と長女)土日に何をするか計画を練る。

天気が良ければドライブで遠出をしたり、遠出するにはちょっと。。。と言う時には近郊の公園や行楽地へ行ったりする。

日帰りで行ける所なので、本当にお手軽な場所ばかりなのだが、これが毎週となると、ほとんどを行きつくした感があって、最近は行く場所選びに難航することが多い。

そんなわけで、今週は何をしたかというと、土曜日は長女の要望で映画を観に行き、日曜日は私の要望で北海道大学へ行ってきた。

土曜日に行った映画は、観たかった「天気の子」

私はとても面白かったのだが、夫は前作「君の名は。」に比べてつまらなかったと言っていた。口コミをみると、面白かったという人と、そうでもなかったという人に別れるようだが・・・私はもう一度観たいと思う。

長女にはすこし難しい所もあったが、映像の美しさを楽しんでくれたようだった。そしてポップコーンも。(長女の楽しみは、映画よりどちらかというとポップコーンの方かもしれない)

そして、次の日の日曜日は、北大構内の散歩に行った。

大学というのは、どこも緑が多くて気持ち良い所が多いが、特に北海道大学は広大なキャンパスの中に自然がいっぱいで散歩をするには最適だと思う。

大学の敷地にある池。

ハスの花がとてもきれいでした。

池の周りでは、ベンチに座ってハスの花を眺めたり、絵を描いたり、写真を撮ったりしている人たちの姿があった。

こちらは有名なポプラ並木↓

平成16年の台風により 51本あったポプラ並木のうち19本が倒れたそうで、現在も倒木の危険があるので、並木道は歩くことができず、横にある遊歩道を歩くようになっている。

この重厚な建物は、総合博物館です↓

博物館の中は無料で見学することができる。

素人が見るには難しすぎる展示が多かったが、美しい鉱物やマンモスの模型など、単純に「きれい!」とか「すごい」と言って楽しむことができた。

そして歩き疲れて、ちょっと休みたいなと思った時に入ったのが、こちらのコンビニ↓

とてもコンビニとは思えない建物でおどろいた。

一階は店舗、そして二階は買ったものを食べることができる椅子席になっている。

二階は、外の景色が楽しめるようにカウンター席があり、外のテラス席もあって、私たちのような散歩中、もしくは観光客の方々が、下で買ったアイスクリームなどを食べながらくつろいでいた。

しかし日曜日にもかかわらず、ここで勉強中の学生さんもいるので、自ずと話し声が小さめになる・・・

ちょうどお昼を挟んだので学食で冷やし担々麵を食べたが、安くて味も良く、学食も大満足だった。

というような土日を過ごしていたのだが、実は、マグロの夫は当然これだけでは満足できず、帰宅後、再びジョギングに出かけて行った。今度はひとりで・・・(私と長女は、とてもつき合い切れないので自宅待機)

そんなわけで、今日からまた平日が始まったわけだが、カレイ・ヒラメタイプの私は、思う存分、じっと自宅の中にいて、家事その他をしている。

カレイがマグロになる土日の為にも、平日は体力を蓄えておかなければ・・・


 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農産物の直売所

2019-09-06 16:33:05 | 日記

今の時期は、色々な所で農産物の直売所が開かれているが、この直売所というのが大好きで、直売所を見つけたら必ず入る。

以前、旅行先(本州)で直売所に入ったのだが、もう欲しいもの(野菜)だらけで、買いたくて買いたくて仕方がなかったが、家に持ち帰るには時間がかかり過ぎるので、後ろ髪ひかれながら何も買わずに直売所をあとにしたことがあった。

あの時の名残惜しさと言ったら・・・キクイモとかというおイモ、珍しいので食べてみたかったわ。

今は、すぐに帰ることができる直売所なので、好きなだけ買うことができて嬉しい。

だから「そんなに買ってど~するの」と、家族が心配するほど買う。

でも農産物の値段は知れているし、しかも普通のスーパーより3割くらい安いので山ほど買っても、お財布に響かないのがまた嬉しい。

先日も野菜を山のように買ってきた。

 農産物の直売所は、新鮮で美味しい農産物を買えるとあって、週末はいつも大勢の人でにぎわっている。

特に今の時期は、とうきびが美味しい。

横文字の名前の付いた(正式な名を忘れてしまいました)とうきびを買ってみた所、味が濃くて甘くて本当においしかった。

また、柔らかそうな葉が、とてもおいしそうだった春菊は、スーパーではほとんど売られていない「白い玉ねぎ」と合わせてサラダで食べたら、やっぱりおいしかった。

すばらしい香りを漂わせ、その香りに釣られて買ってしまったバジルは、大好きなバジルのパスタにした。

バジルソースがすこし余ったので、焼いたチキンにかけて食べたら、これがまたおいしかった。

さらに、お店の人に選んでもらったかぼちゃも、甘くてホクホクで本当においしかった。

いつも通り煮たのだが、普段はかぼちゃの煮物を好まない夫も大絶賛で食べてくれたのには、びっくりだった。料理の腕は変わらないので、やはり素材って大切なのだと思う。

ほかにも色々な野菜や果物を買ってきたのだが、やはり買い過ぎたようで、一度に食べきれない野菜は、干したり冷凍保存したりしておくことにした。

特に干した野菜は、うま味が凝縮されるというのか、そのまま生を調理するのとはまた違った味わいになる。

もしかしたら干しシイタケのように栄養価も高くなるんじゃないかと思うのだが・・・

干している大根↓

畑から掘り出したばかりのような土付き大根は、いちょう切りと乱切りで切り方を変えて干した。

いちょう切りの大根は、鶏肉ときのこを入れて味噌味の煮物で、乱切りの大根は、がんもやこんにゃくなどと醤油味の煮物にしようと思っている。

お日様に干された大根を見ながら、幸せを感じるひととき。

料理が好きなので、直売所で山のように野菜を買ってきて、どうやって食べようかと考える時間がしあわせ。

幸せは、何気ない日常の中にたくさん隠れているということを、人生を折り返しを過ぎてからやっとわかってきた。

ザルの上に並んだ大根を見ながら、そんなことを思っていた。


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

災害に備えて

2019-09-03 15:56:21 | 日記

今日は、P太郎の命日。P太郎がいなくなって、ちょうど一年が経った。

あれから早一年。あっという間の一年だった。

P太郎の死は本当に悲しい出来事だったが、そんな悲しみも忘れるような大きな災害・東部胆振地震が起こったのも、また一年前の9月6日のことだった。

かつて経験したことのないような揺れとそのあとに起こったブラックアウトは、「いつか災害がくるかもしれない」と思っていても、どこか現実味を感じず呑気に構えていた私(たち)に大きな衝撃を与えた。

揺れが収まって、食器や家具、家電製品が散乱する家の中を呆然と眺めながら、P太郎がいなくて本当に良かったと思っていた。

あのような状況の中では、臆病なP太郎のことだから生きていられなかったかもしれない。

「P太郎を怖い目に遭わせないように、神さまがすこし早く連れて行ってくれたんだ」と、長男が私をなぐさめるつもりで言ってくれたのだが、その通りだなと思ったものだった。

それにしても、家財道具に多少の被害はあったものの、命を失くされた方々や、まだ仮設住宅で暮らしている方たちのことを思えば、この程度で済んだのは本当にありがたいことだと思う。

被害を受けた町では、いまだに傾いたままの家が残されていて、あらためて自然の力の怖さを思い知らされる。

ところで今回の災害で、もっとも不便だったのは、やはりブラックアウトによる停電が続いたことだろうか。

信号機も消えたため、長女の通っている作業所は休みになったが、仕事に行かなければならない夫は、公共交通がストップしたため、自家用車で出勤した。

夫によると、街の通りは、お互いにゆずりあいをしながらゆっくりと車を走らせていたそうだが、それでも事故がいつも以上に多かったそうだ。

一方、家庭生活では、冷蔵庫の電源が切れた為、中に入っている食料品を消費するのに必死だった。

スーパーでは食品があっという間に品薄になったというのに、私は冷蔵庫の中の食材をひとつも無駄にしたくない一心で料理を作りまくり、その結果、いつもよりずっと豪華な食卓になった。

「食料、買い過ぎじゃない?」といつも家族に言われていたが、やはり食品の備蓄はしておくべきと再認識したことだった。

ろうそくやランタンの灯りで食べた夕食は、生涯忘れられない思い出になったが、気分が落ち込みそうになる災害時で、いつも通りの食事ができたということは、大きな安心につながった。

今回はガスが使えたことが良かった。オール電化の方は調理ができず困ったという話をされていたので、やはりカセットコンロは準備しておいた方がいいのではないかと思う。

それにしても、家庭生活で不便なのは、電気もさることながら水道が止まることではないだろうか。

水が出ないのは、本当に困る。

その最たることはトイレであり、トイレの水をどうやって確保するかということが大問題だと思う。(簡易トイレも必要かも・・・)

日頃からお風呂の水は、すぐに抜かずにためておくのがいいのだろうが、今回は、水道が止まった時のことを考えて、給水用のポリタンクを新たに購入した。

もともと一つは持っていたのだが、それだけでは災害時にとても足りないので、大きいサイズを二つ買い足した。

果たしてこれで足りるとは思えないが、飲料水は取りあえず6日分くらいを買い置きしてある。(1日3リットル×家族の人数×3日分だが、北海道は支援物資がくるのが遅くなるので7日分あった方がよいそう)

今は、地震だけではなく水害でも大きな被害が出ているが、災害はけっして他人事ではないということを肝に銘じて、いま一度災害に備えなければと思っている。

とりあえず乾電池とスリッパが足りなかったので買ってきます・・・


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする