ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

人生初のもの

2022-09-30 16:50:31 | 旅行

福岡と山口県下関へ行ってきた。

本当は別の地域を旅行する予定で、ずいぶん前から宿を予約していたのだけど、直前になって急遽九州へ変更した。

最近、航空券とホテルがセットになったお得な旅のパックは、注射をうっていないとだめという場合が多い。

検査をして陰性なら良いそうだが、わざわざ検査をするのも億劫だし、もうこうなったら旅行は正規料金で行こうと腹を括ったら、未接種者でもOKというお得なパックが見つかった。

福岡は二十年くらい前に行ったことがあるが、その時は街の中を歩いたくらいでほとんど記憶にない。

「九州に変更しない?」と一緒に旅行する予定の夫に言ったら、あっさりOKが出た。(夫はどこでもよかったらしい)

さて今回はドライバー(夫)がいるので、レンタカーで少し遠出をすることができた。

まず福岡へ到着した日は、市内観光と食べ歩きを楽しんだ。屋台でのごはんも初挑戦。活気があって楽しかった。

博多、天神地区は人が多くてとても賑やかだが、歩きまわっているとなぜか地元の札幌にいるような気分になる。

どちらも大通り公園があることが似ている名古屋は、物理的には似ているのだけど空気感が違うと思う。

でも福岡は物理的にはぜんぜん似ていないのに、どこか空気感が似ているような気がするのは何故なのだろう。

不思議だけど、街にも独自の個性があるのだなあと思う。

さて二日目はレンタカーで若者に人気の糸島を周り、佐賀県唐津市まで足を伸ばした。

特に糸島は、いわゆるインスタ映えする場所が沢山ある。

そこでインスタはやらないけど、それっぽく写真を撮ってみた。

昔ながらの塩作りをしている糸島「またいちの塩」の塩プリンを食べた。

お、おいしいーー!塩の旨味がプリンの甘さを引き立てている。

そして三日目。

一度行ってみたかった九州と本州をつなぐトンネルへ行ってきた。

トンネルは北九州市門司区と下関市を繋いでおり、関門海峡の海底下に造られたトンネルの長さは780メートルで、人が歩いて渡ることができるそうだ。

こちらが福岡と山口の県境。

ちなみに健康のために、このトンネル内をウォーキングする人もいらっしゃるとか。

そして海上はどうなっているのかというと、吊り橋の上を車がたくさん行き交っていた。もちろん船もたくさん通っている。

さて歩いて下関に渡ったら、ちょうどお昼時。

お昼ごはんはどこで食べようかとお店を探していたら、ある写真に目が止まった。

安倍元総理もいらしたことがあるというお店。

偶然にも前日は安倍元総理の国葬が行われた日であり、弔意を表すつもりで、そのお店に決めた。

日替わり定食で、お値段700円という安さ。

下関で獲れたというタコのお刺身は、柔らかくて新鮮でとても美味しかった。きっと元総理も下関のタコを食べたのでしょうね。

旅は人生で初めての場所を訪れることが多いが、そこで食べる物、見るものもまた人生初ということがよくある。

それが旅の醍醐味なのだが、終わりに今回出逢った初めてのものを二つほど載せておきたい。

人生初、その一は「いちじく」

ドライブ途中のお店で見かけて購入。

いちじくは道内のスーパーではあまり見かけることがない果物で、もちろん食べたこともなかった。

お店の人に食べ方や保存期間を質問した。

「札幌まで持ち帰れるかって?無理無理。いちじくは痛みやすいから今日中に食べて」とお店の人は言われた。

写真のいちじくは、長く持ち歩いて少しくたびれてしまっているが、買った当初はとても新鮮だった。やはり痛むのが早いのかもしれない。

でも味は甘くて美味しくて幾つでも食べられそうで、これでいちじくともお別れかと思うと名残惜しくて、翌日もまた買いに行ってしまった。

人生初、その二は彼岸花。

前日にテレビで九州地方のニュース番組を観ていなかったら、これが彼岸花だとは分からなかったかもしれない。

たまたま彼岸花が咲いている話題が放送されていたので、この植物が彼岸花だとわかった。

鮮やかな赤がきれい。ちなみに黄色の彼岸花もあった。

線路脇に彼岸花が咲いた風景は、北海道から行くととても新鮮に見える。

なかなかこのような景色を見ることがない。

この風景も人生初かな。

 


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夢枕

2022-09-25 16:05:43 | 日記

実家を売ったという記事の続きです。

記事を書いたあと、弟から実家が売れたという報告のメールが届いた。

てっきりもう売れたとばかり思っていたが、正式な売買契約を済ませたのは、先日のことだそうだ。

売買契約が成立した日は、ちょうど私が父の夢を見た翌日だった。

そして弟からのメールには興味深いことが書かれていた。

弟がいよいよ実家を売る決意をして動き始めた夏のある晩、父が夢枕に立ったのだという。

夢枕に立った父は「家を売るのか」と言ったそうだ。

そこで弟は「なぜ売ってはだめなの?」とやや強い口調で言い返してしまったところ、父は怒ることなくスッと消えていったのだという。

最後に弟は、父の愛着が強かった家を売ることが申し訳なく思うと書いていた。

弟からのメールを読んで、先日見た夢と話が繋がった気がした。

夢に出てきた父は、契約の前日まで家への執着を断ち切るきっかけが欲しかったのではないかと思う。

だから「仕方ないよ」と言ったら、父は納得したような感じがしたのだと思う。

弟への返事は「大丈夫、お父さんは納得しているよ」と書いて送った。

それにしても亡くなった人たちは、一体どこにいるのだろうとあらためて思ってしまう。

とても近いところに居るのだろうか。

弟が家を売ると決めたこと、いつが契約なのかなど全てのことを父は知っているかのようだった

それとも一瞬で来ることができるから距離なんて関係ないのかもしれない。

どちらにしろ親しい人がそばでいつも見守ってくれていると思うと、なんだか心が温かくなる。

今日は父に「ありがとう」という感謝の想いを込めてお線香をあげた。

明日でお彼岸が明ける。

 


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実家を売る

2022-09-22 16:27:01 | 日記

久しぶりに実家と亡くなった父の夢を見た。

今は誰も住んでいない実家のリビングで父と話をしている夢だった。

「車を業者に見せたら廃車だと言われた」という父に「まだ乗れそうなのにもったいないね。でも仕方ないね」と答えると、父も納得したようだった。

ここで目が覚めて、時計を見たら丁度起きる時間になっていた。

慌ただしく朝の支度や家事をして、午前11時頃にホッと一息。

椅子に腰掛けたら今朝の夢を思い出した。

そういえば父も夢の中で椅子に座っていたなあ。実家も懐かしかったなあ、、なんて思っていたのだけど、そこでふと思い出したことがあった。

つい先日、妹から実家が売れたようだと聞いた。

これから家を壊して更地にするらしい。

実家は弟の名義になったが、妹がすぐ近くに住んで時々空き家になった実家の様子を見に行ってくれていたので、弟から連絡があったのかもしれない。

それを聞いてよかったと思った。

「この土地は、入植したおじいちゃんとおばあちゃんが苦労して手に入れた場所だから絶対に売りたくない」と言っていた父。

父は亡くなる前に土地の名義を弟に変更して、そのことを弟に伝えていた。

父の意向を聞いた弟も受け継いだ土地は売らずに維持する方法を色々と考えていたのだが、借家にするにも大規模なリフォームが必要だったり、たとえお金をかけて綺麗にしても、広い家なので需要が無いのでは、、、と不動産屋に言われたりと、どちらかにしろ維持していくはなかなか難しそうだった。

しかも弟は本州で暮らしていて、もう帰って来ることは無い。

ということなら尚更売ったほうがいいのでは無いかと、お節介だが以前銀行の人から聞いた情報を弟に伝えていた。

「札幌の地価は令和4年夏までは確実に上がります」

ということは、その後は下がるのだろうかと聞いたら、それは分かりませんとのことだった。

その時の弟はまだ売るつもりは無さそうだったが、今年の夏についに売ったそうだ。

実家が無くなってしまうのは寂しいけど、弟のことを考えたら売ってよかったと思う。

でも父がそれを知ったらどう思うだろうかと、妹から話を聞いた時に少し思った。

あんなに売らないと言っていたのに、ガッカリしていなければいいけど、、、なんて思ったが、夢の中の父の様子では、きっと父も納得してくれているだろうなと思う

還る時には、土地も家もお金も持っていけないのだから。

 


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宿題

2022-09-16 16:19:20 | 日記

5歳下の妹に孫ができた。

妹の娘が無事に男の子を出産したのだ。

妹から送られてきた赤ちゃんの写真を見ては、あまりの可愛さに頬が緩みっぱなしになってしまう。

私がこんなに可愛いと思うくらいだから、妹なんてデレデレになって溶けかけているのではないだろうかと思いきや、なんと寝込んでいるという。

妹の娘は、出産の2ヶ月前に実家へ帰ってきたそうだ。

さらに出産1ヶ月前になると、お婿さんもやって来た。

今はリモートワークなので、奥さんの実家で出産を待ちながら仕事ができるのは、コロナになって唯一良かったことじゃないかと思う。

ところが、これまで別に暮らしていた二人がやって来た妹の負担は、かなり大きかった。

連日の家事に加えて、娘と一緒に出産準備も頑張っていた。

それだけでも疲れただろうと思うが、いよいよ赤ちゃんが産まれると、今度は赤ちゃんの世話も始まった。

母親になった娘はマタニティブルーになるし、お婿さんは使えないし(と妹が言った)、おじいちゃんになった夫は仕事に行くのでやっぱり使えないので、妹が一人奮闘していた。

結果、妹は疲れから喘息の症状が出てダウンしてしまった。

しばらく休んでから、また娘夫婦と赤ちゃんの世話をするそうだ。

こんな時「娘夫婦に任せてみたら?そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?」と言いたいところだけど、それは言っても無駄なので言わずにいる。

家族のために身を粉にして頑張るのは、妹の性分。

昔から文句を言いながらも家族の世話を焼いてきた。

前は妹から愚痴を聞かされるたびに、「少し手を抜けば」と言ってみたが、一切聞き入れることなく頑張ってきた。

妹が頑張れば頑張るほど家族から頼りにされて、やる仕事が増えていく。

きっと妹はやらずにはいられない、家族のために働きたいのだなあと思う。

もちろん私も家族のために出来ることはやりたいと思っているが、妹と違うのはぐうたらでいい加減なところがあるということだろうか。

もうこれ以上は無理だと思ったら、手伝ってほしいと周りに言うか、はたまた手を抜けるところは抜くかもしれない。

、、、ここまで書いて思ったが、これまで家族の世話で、もうこれ以上無理と思うほどの大変なことがないことに気がついた。

そのわけの一つは、何でもやってあげようと思うか思わないかの違いだと思う。

自分が手伝ってあげた方がいいか、本人に任せた方がいいのかと考えて、本人に任せることが多い。(やっぱりぐうたら)

当たり前だけど、同じ環境で育ってきた姉妹でも考え方や性格が違う。

妹にとってストレスになるようなことであっても、私はストレスに感じないとか、その逆もまたあるかもしれない。

それは生まれてくる前に決めてきた宿題の違いなのかなと思っている。

もちろんストレスに感じる出来事の方が宿題で、嫌なことをクリアしていくほど宿題も片付く、、、

何回生まれ変わってもクリア出来なかったことに、今また挑戦しているんだなと思う。

私には私の宿題がある。

こうして再び挑戦できるなんて、考えてみればありがたいことだ。この身体が無くなったら挑戦したくてもできないのだから、、、と考えて、毎日を生きていこうと思っている。

 


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父子キャンプ

2022-09-10 18:05:42 | 日記

今、夫と長男が二人でキャンプに行っている。

二人だけでキャンプへ行くのは今回が初めてだが、お嫁さんが用事でいないということで、長男から夫に誘いがあった。

誘われた夫は、ずっと前からキャンプ場を予約をし、持って行く物リストを作り、買い物に行き準備をしていた。それはそれは嬉しそうだった。

そしてキャンプ場から送られてきた写真は、二人揃って笑顔でとても楽しそうだ。

よかったなあと思う。

初めての子どもだった長男が生まれた時、子どもには絶対に夫の悪口や愚痴を言わないようにしようと思った。

また「お父さんが褒めてたよ」などと、良いことを息子に伝えるようにした。

母親がお父さんのことを悪く言っていたら、いつの間にか子どもも同じように思うはず。

そうではなくて、お父さんが大好きな子に育てようと思った。

実はこれは私の作戦でもあって、お父さんが大好きにしておけば、子どもはお父さんに懐くので私の負担が減る=育児が楽になると考えた。

その作戦は見事に成功。

小さかった頃から大人になった今も長男はお父さんが好きで、今回のキャンプのお誘いがあったというわけだ。

じゃあ、お母さんのことは好きになってもらわなくていいの?と聞かれるかもしれないが、これについてはまったく心配していなかった。

なんでだろう、、、なぜか揺るぎない自信があった。

でも結婚した今、長男が一番好きで大切な人はお嫁さんであり、これから産まれてくる子どもになる。

親の役目は、もう終わり。

夫を誘ってくれたのは、お父さん大好きというよりお父さんを楽しませたいという長男の優しさのように思う。

いつの間にか立場が逆転したなーと思いながら、送られてきた写真を嬉しい気持ちで見ている。

 


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見える世界と見えない世界

2022-09-06 17:10:41 | 日記

少し気になることがあり、数日前から「床供養」をしている。

床供養は、これまで家の中の気になる場所で行ってきたのだが、最近はずっとやっていなかった。

今回、床供養しているのはリビング。

リビングは神棚を祀っていることもあって、今まで気になったことはないのだけれど、少し前からリビングに何者かの気配を感じることがあった。

それと関係するのかわからないが、神棚に祀った榊がたった1日で枯れた。

特に暑かったというわけではなく、むしろ最近は涼しすぎるくらいの気温で、榊立てに水を入れて生けたのもいつも通りに行っていた。

これまで何年も神棚に榊をあげているが、こんなに早く、たった1日で枯れたのは初めてだった。

さて床供養を始めて三日目。

床供養をしながら、リビングの椅子でウトウトしていたら耳元で男性の大きなうめき声が聞こえて飛び起きた。

気配はこの方だったと思ったが、なんせ見えない世界のこと。

ブログには書くが、実生活では家族にも言えないことが多い。

ところで子どもの頃から不思議な体験はしてきたが、これまでは、いつものことだとやり過ごしたり、唯一身体を掴まれるなどした時だけは恐怖に震えたが、どちらにしろすべてはそれだけのことだった。

それ以上のことを考えたり、ましてや供養しようなどとは微塵も考えたことはなかった。

若さというのは、見えない世界のことより見える世界の方に重きを置く傾向がある。(それもまた長い人生では必要なことだと思うが)

私自身も見えない世界のことを考えるより、見える世界の方がずっと重要だった。

40代後半までは、神仏に手を合わせるのは年に数回程度で、それも自分の希望を叶えて欲しいとお願いするだけで、神さまに対する畏敬の念など持っていなかったし、亡くなってもまだ彷徨っている方々に対しては無関心か恐怖心しかなかった。

それが先祖供養を始めてから徐々に変わって行き、今は神さまというのか大いなる存在があることを信じているし、人は死んでも魂は永遠に生き続けると思っている。

そして気がつけば、見えない心の世界(それは宗教に入るとかではなくて)について考え始めてから、見える世界にばかり重きを置いていた頃よりずっと生きやすくなっていた。

神の存在に懐疑的だった頃からすると自分でも信じられないが、大いなる存在を身近に感じられるというのはとても幸せなことだなと思う。

ところで大いなる存在は、目で見ることもできる。

それは大自然。

初日の出に思わず手を合わせるのは、まさに大自然の中に大いなる存在を見ているからだろう。

小樽へ行ってきた。オタモイ海岸の絶景。

天狗山のリス。

 

 


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怒りのコントロール

2022-09-01 18:14:29 | 日記

テレビを観ていたら、「自分は滅多に怒ることがない」と歌手の若い男性が話していた。怒りが湧いてこないのだそうだ。

まだ若いのにすごいなーと感心して聞いていた。

もちろんこの男性歌手さんのように怒りが湧いてこないという人もいるだろうが、怒り心頭ということは滅多にないとしてもムッとしたりカチンとくるのは、誰しもよくある?のではないかと思う。

でも、その怒りをいつまでも持ち続けていたり、憎しみを持つことは、やめた方がいいということは、最近よく思う。

私自身に関していえば、元々とても短気なタチで、カッとなると言わなくてもいいことを言い返したり、顔や態度に分かりやすく表れてしまったりした。

しかし自分が出した怒りは、自分に還ってくるというのは本当で、若い頃は、それで痛い目に遭ったり後悔したりということも多かった。

さすがに最近は、歳をとって怒りの導火線がかなり長くなったのか、はたまた湿って火がつかなくなってしまったのか分からないが、一瞬ムッとなることはあっても、昔のように言い返したくなるほどの怒りを覚えることはあまり無くなった。

昔なら間違いなく怒りをおぼえたであろう相手に対しては、今は怒りよりも憐れみをおぼえることが多い。

ところで本を読んでいたら、仏教における怒りについてが書かれていた。

仏教では、怒りの念を抱くことが、一番悪いことだとされているそうだ。

それはとても厳しい教えで、たとえ相手が悪くても、決して怒りに心身を囚われてはいけないという。

その理由は先にも書いた通りで、人を恨むことや怒りの感情は、やがて自分に返ってきて、自分が苦しまなければならない結果を生むからなのだという。

これは生きている人間だけではなくて、地縛霊となって現世を彷徨っている人にも言えることで、死後も誰かを怨み、呪っていることで成仏出来ずに苦しむ霊がいる。

産まれてから成人過ぎまで住んでいた家には、まさにそんな霊がいた。

それを感じていたのは私だけではなく、母と弟も感じていたようだ。

弟が感じていたなんて全く知らず、大人になって、弟から実際に話を聞いた時には、とても意外で驚いた。

それにしても、もうずいぶん前に亡くなったであろう霊からは、強い憎しみの感情が伝わってきた。

詳しいことは書かないが、大人になってもその霊は居座り続け、一度はっきりと足元が見えた時に、私が思わず怒りの感情を向けたことで、さらに強い憎しみや怒りの感情がかえってきたことがあった。

その後、何年も経ってからやっと、何があったのか知らないが、何十年もの間ずっと怒りや恨みの念に囚われて気の毒な人だと思えるようになったのだが、それからある時を境に急にいなくなった。

果たして成仏されたのか、火の車が迎えにきたのかわからない。

生きているうちに自分の出したものが返ってくるのは、まだ幸い。

死んでからも自分の出した悪い念に囚われて苦しむことだけはしたくない。

自分が怒りにまかせて仕返しを考えなくても、いずれ相手も自分がやったことを受け取ることになるのだと思えば、恨んだり呪ったりすることがバカらしく思える。

というわけで怒りをコントロールする練習。

まだまだだなぁと思う。

 


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