小説「君の膵臓をたべたい」を読んだ。
この本が出版された2015年に、当時高校生だった甥からすごく面白かったと聞いていた。
甥が勧めてくれた本だったが、本のタイトルがカニバリズムを連想させてどうも読んでみたいという気が起きなかった。
そのあと本がヒットして映画化もされたらしいが、特に興味を持たず、本の内容も知らないまま今日まで来てしまった。
ところが、先日本屋さんでたまたま見つけて、そういえば甥が面白いと言っていたなと思い、読んでみようかなという気になった。
早速読み始めると、膵臓の病に冒されて余命幾ばくもないが、明るく生きているように見える女子高生と、他人には興味がなくて友だちが一人もいない引きこもり男子高生との物語だった。
これは高校生の甥なら、同年代の主人公たちに感情移入ができて面白かっただろうと思うが、還暦を迎えたおばさんには、ちょっとミスチョイスだったかしら、、、という感じで、前半しばらくは、飽きてしまって本を閉じたくなるのを我慢しながら読んでいた。
ところが物語が進むに連れてどんどん面白くなってきて、後半は引き込まれるように一気に読んでしまった。
自分の余命があとどれくらいなのか知りながらも、明るくていつもクラスで人気者の女子高生の桜良(さくら)。
その反対に本を読むことばかりで人との関わりを持たず、クラスメイトからは名前も覚えてもらえないような名無しの男子高校生。
そんな正反対の二人が出会って、徐々に名無しの男子高校生が変わっていく。そして桜良もまた、、、
物語の所々で桜良の言葉が胸に沁みた。
こういう時「本っていいなあ」と心から思う。
映画もいいが、本は自分の頭の中で映像を作り上げながら読むのがいい。
自分だけの脳内で作った映画。
そして、読み終わった後は良い映画を見終わったような心地良さがある。
またよく理解できない部分を、わかるまで何度も読み返すことができるのも本のいいところ。
文章は読む側の心境によって、いろんな意味合いにとらえることができて「これはちょっと理解できないな」と思われた箇所も、あとから読み返すと、あ〜こういう気持ちで言ったのかもしれないと、また違った意味を気づかされる事がある。
その一つがこの部分だった。
「君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?」と名無しの男子に聞かれた桜良は答える。
「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグする、誰かとすれ違う。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。
生きるってのはね、、、きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるっていうんだよ」
一見、その通りかもしれないと思うが、私には違和感があった。
「じゃあ、たった一人で生きている人や一人で生きたいと思っている人は、生きると言わないの?」と思ったのだが、その答えは最後の方にあった。
これは、ぜひ読んでみることをおすすめしたい。
そして、もう一箇所。
こちらも桜良の言葉で、その通りだなと深く同意した部分だった。
「私たちは皆、自分で選んでここに来たの。偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今まで選んできた選択と、私が今までしてきた選択が私たちを会わせたの。私たちは自分の意思で出会ったんだよ」
引き寄せの法則じゃないけど、すべては偶然ではなくて、自分で選んで此処まで来たのではないだろうかと、最近私もよく思っていた。
でもそれを言ってしまうと、じゃあ、通り魔に何の理由もなく殺されたり、突然、横から飛び出してきた車にぶつかられて亡くなってしまうような悲惨な出来事も、自分で選んだのかという話になるのだけど。
でも、、、やはりそうなのかもしれないと思う。
これまで何度も生まれ変わって、違った人生を生きてきたということが前提なら、それはあるかもしれないと思う。
ただ、これも自分が選ぶことで変えられるように思う。
というわけで、6年も前に甥に勧められた本をやっと読んだのだけど、読んで良かった。
「おすすめしてくれた本、面白かったよ」と甥に言ってみようかな。
社会人になった甥は、きっと「?」という顔をするだろうけど。