ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

甥に勧められた本

2021-10-31 21:41:08 | 日記

小説「君の膵臓をたべたい」を読んだ。

この本が出版された2015年に、当時高校生だった甥からすごく面白かったと聞いていた。

甥が勧めてくれた本だったが、本のタイトルがカニバリズムを連想させてどうも読んでみたいという気が起きなかった。

そのあと本がヒットして映画化もされたらしいが、特に興味を持たず、本の内容も知らないまま今日まで来てしまった。

ところが、先日本屋さんでたまたま見つけて、そういえば甥が面白いと言っていたなと思い、読んでみようかなという気になった。

早速読み始めると、膵臓の病に冒されて余命幾ばくもないが、明るく生きているように見える女子高生と、他人には興味がなくて友だちが一人もいない引きこもり男子高生との物語だった。

これは高校生の甥なら、同年代の主人公たちに感情移入ができて面白かっただろうと思うが、還暦を迎えたおばさんには、ちょっとミスチョイスだったかしら、、、という感じで、前半しばらくは、飽きてしまって本を閉じたくなるのを我慢しながら読んでいた。

ところが物語が進むに連れてどんどん面白くなってきて、後半は引き込まれるように一気に読んでしまった。

自分の余命があとどれくらいなのか知りながらも、明るくていつもクラスで人気者の女子高生の桜良(さくら)。

その反対に本を読むことばかりで人との関わりを持たず、クラスメイトからは名前も覚えてもらえないような名無しの男子高校生。

そんな正反対の二人が出会って、徐々に名無しの男子高校生が変わっていく。そして桜良もまた、、、

物語の所々で桜良の言葉が胸に沁みた。

こういう時「本っていいなあ」と心から思う。

映画もいいが、本は自分の頭の中で映像を作り上げながら読むのがいい。

自分だけの脳内で作った映画。

そして、読み終わった後は良い映画を見終わったような心地良さがある。

またよく理解できない部分を、わかるまで何度も読み返すことができるのも本のいいところ。

文章は読む側の心境によって、いろんな意味合いにとらえることができて「これはちょっと理解できないな」と思われた箇所も、あとから読み返すと、あ〜こういう気持ちで言ったのかもしれないと、また違った意味を気づかされる事がある。

その一つがこの部分だった。

「君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?」と名無しの男子に聞かれた桜良は答える。

「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグする、誰かとすれ違う。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。

生きるってのはね、、、きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるっていうんだよ」

一見、その通りかもしれないと思うが、私には違和感があった。

「じゃあ、たった一人で生きている人や一人で生きたいと思っている人は、生きると言わないの?」と思ったのだが、その答えは最後の方にあった。

これは、ぜひ読んでみることをおすすめしたい。 

そして、もう一箇所。

こちらも桜良の言葉で、その通りだなと深く同意した部分だった。

「私たちは皆、自分で選んでここに来たの。偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今まで選んできた選択と、私が今までしてきた選択が私たちを会わせたの。私たちは自分の意思で出会ったんだよ」

引き寄せの法則じゃないけど、すべては偶然ではなくて、自分で選んで此処まで来たのではないだろうかと、最近私もよく思っていた。

でもそれを言ってしまうと、じゃあ、通り魔に何の理由もなく殺されたり、突然、横から飛び出してきた車にぶつかられて亡くなってしまうような悲惨な出来事も、自分で選んだのかという話になるのだけど。

でも、、、やはりそうなのかもしれないと思う。

これまで何度も生まれ変わって、違った人生を生きてきたということが前提なら、それはあるかもしれないと思う。

ただ、これも自分が選ぶことで変えられるように思う。

というわけで、6年も前に甥に勧められた本をやっと読んだのだけど、読んで良かった。

「おすすめしてくれた本、面白かったよ」と甥に言ってみようかな。

社会人になった甥は、きっと「?」という顔をするだろうけど。

 

 


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無駄なく食す

2021-10-29 13:55:53 | 日記

最近、食後の食器洗いを(手洗いで)長女がやってくれることが多くて、すっかり食器洗浄機の出番が無くなっていた。

でも電化製品だからたまには動かさないといけないかもしれないと、夕食後に食器洗浄機を使うことにした。

ところが久しぶりに使うので、食器がうまく入らない。

食器洗浄機に食器や鍋を入れるのはパズルに似ていると思う。

いかにたくさんの食器やお鍋を入れられるか、頭をひねる。

前はもっとたくさん入った筈なのになあと、まだ余裕のある食洗機を見ながら、「面倒だ、もうこれでいいか」と、最後に横に置いてあった炊飯ジャーの内釜をパカンとひっくり返して入れると、開始のボタンを押した。

手洗いに比べて時間はかかるが、やはり食洗機は楽だ。

特に寒くなってくると手荒れも気になるし、何より冷たい水を触りたくないので、食洗機を使い始めた頃は、まるで救世主のようだと思った。

洗浄が終わったら食器を食器棚に片付けるという仕事が残っているが、それも長女が手伝ってくれるので本当に楽になった。

食器洗いを食洗機に任せて、その間にほかの家事をやっていたら食器洗い終了のブザーが鳴った。

いつものように長女が食器を片付けに台所に走っていく足音がする。

すると長女の大声が聞こえた。

「大変!食洗機の中がご飯だらけになってる」

どうしたのかと急いで行ってみたら、本当に食洗機の中の食器類にご飯がたくさんくっついていた。

長女と二人で食器を取り出して、くっついたご飯粒を全部洗い流した。

「あ〜もったいないことをしてしまった」

もう罪悪感しかない。

食べ物を捨てるのは、ほんとに嫌。罪悪感に苛まれる。

だから、いつも食品を無駄にしないように気をつけていたのに、、、

特にお米は子どもの頃に「一粒も残さず食べなさい」と言われて育ったせいか、こんなにもご飯を捨てるなんて胸が痛すぎた。

それにしても、なぜこんな事になってしまったのか、よく考えてみたら思い出したことがあった!そうだ、炊飯器の中にはご飯が余っていたのだ。

あとで別容器に移そうと思って、ご飯の残っている内釜を置いていたのだ。

よりによって中を確認せずにパカンとひっくり返して食洗機に入れてしまうなんて、、、もうバカバカバカ、私のバカ。

後悔しても仕方がない。今度は気をつけようと思う。

ところで最近また外資系のスーパーの会員になった。(コストコですが)

ここはなんでも大容量で売っているので、特に食品は子どもが家を出てから食べ切れない恐れが出てきたため、会員になることを辞めていたのだが、家に帰ってきた次女が会員になった。

家族の誰かが会員になると、家族会員として利用することができる為、久しぶりにコストコへ買い物に行っている。

コストコへ行って思うのは、やはり量が多過ぎるということ。(多いじゃなくて、多すぎる)

腐らないもの、日用品や乾物などはまだいいが、そうじゃないものはよくよく考えてからじゃないと買わない。

美味しそうなパンやお菓子にお惣菜、お肉や魚などつい手が伸びるが、果たして残さず食べ切れるか、はたまた長男夫婦が近々来る予定だったか(長男夫婦に持たせる、、、)を考えて買うようにしないと、後から無駄にしてしまったと罪悪感に苛まれるかもしれない。

それにしても豊かだなぁと、倉庫のような広い店舗に大量の商品が積まれたコストコへ行く度に思う。

これは今後も続くのだろうかと考えると、そうではないような気になる。

世界的な気候変動などによって、もしかしたら食料が不足する時代が来るのかもしれない。

だから、今はどんなものも無駄にする事なく頂きたいと思う。

それから残り物も忘れないようにしなければと思う、、、

 


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高齢者とはいくつから?

2021-10-26 11:12:05 | 健康

高齢者と呼ばれるのは何歳からなのだろうか?

調べてみたら国連の世界保健機関(WHO)の定義では、65歳以上の人のことを高齢者としているそうだ。

これは今から半世紀以上も前の1965年に、WHOが65歳以上の人口が全人口の7%を超えると「高齢化社会と呼ぶ」と発表した事が始まりだったという。

これには医学的、生物学的根拠はない。

当時の欧米諸国の平均寿命が、男性66歳前後、女性72歳前後で、日本は男性が63歳前後、女性が67歳前後だったことから、このようになったらしい。

そういえば、その頃に亡くなった祖父が75歳で、今なら亡くなるにはまだ早い年齢だが、当時はもう十分生きたという感じで老衰だった。

また祖母にいたっては82歳と当時の長寿でこの世を去ったが、晩年の姿は、現代の90歳代かと思われほどやはり老けていた。

それもそのはずで、日本老年学会と日本老年医学会が高齢者の心身の様々な老化現象のデータを調べたところ、現在の高齢者は体力や若々しさが1965年当時と大きく異なり若返っていることが分かったそうだ。

これはデータを聞かなくても、周りを見ればずいぶんと若返っていることはわかるのだが。

つまり今の75歳が当時の65歳とお相撲しても負けないということだと聞いても納得できた。

それにしても、なぜ高齢者が何歳からなのか気になったかというと、戸別に配られた市民広報誌を読んだことからだった。

それによると市内にある公共の老人センターを利用できるのが60歳以上となっていた。

ということは、私も利用できる資格があるということだ。

老人センターでは格安でお風呂を利用できたり、様々な習い事などもやっているそうだ。

面白そうだ。一瞬、行ってみようかなと思ったが、夫に「行ったら職員さんと間違われるだろう」と、思わずニターッとするような嬉しいことを言われて思いとどまった。

そういえば同級生の友人らの顔を思い浮かべても、老人センターを利用するようには見えないくらい若い。

やっぱり行くのはまだ先にしよう、、、

とはいえ、身体は年齢とともに徐々に衰えてきたと実感している。

衰えたと思うことはいろいろあるが、一番困ったのはトイレが近くなったこと。

これは昼間より夜の方が感じる。

昔は夜間にトイレに起きても一回くらいで、あとは朝までぐっすりだったが、今は普通で二回、多い時は三回から四回も起きる。

たま〜に温泉でよく温まった日は、朝まで一度も起きなかったという日が年に二回くらいあるが、基本的には毎晩トイレに起きている。

それで何が困ったかというと、トイレに行くと寝つくのに時間がかかることで、寝不足になることがある。

ところで、長男の結婚式でお嫁さんのお母さんに会った時、「キャンプへは行かれていますか?」と聞かれた。

そういえば昨年の顔合わせの食事会で、キャンプへ行った事を話したのだった。

「今年は行きませんでした。夜なんどもトイレに起きるので、、、キャンプ場のトイレって遠いでしょう?寒い中、トイレまで歩くとすっかり目が覚めて、そのあと眠れなくなるんです」

そう言ったら、お嫁さんのお母さんが、よーくわかりますとでも言うかのように、何度もうなずきながらおっしゃった。

「夜のトイレ、わかります。そう、眠れなくなりますよね」

お嫁さんのお母さんはまだ50代後半、、、私だけではなかったとちょっと安心した。

 


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ほしいもの

2021-10-21 16:26:18 | 日記

「(自分の)部屋の箪笥にズボン残っていなかった?」と長男から電話があり、探してみると2本のズボンが残っていた。

「あったよ」と連絡したら「今度取りに行く」と言っていたが、昨日ズボンを取りに長男夫婦が来た。

ズボンを渡したら長男が「よかった。ズボンが足りなくて困っていたんだ」と言い、お嫁さんが笑いながら「この前、屈んだ姿を後ろから見たら、ズボンのお尻の生地が薄くなって下着が見えていたんですよ」と教えてくれた。

生地が薄くなるまで履くってすごいんじゃないかい?

そこまで履き倒すってなかなかできない。さぞかしズボンも喜んでいることだろう。

私が小学生低学年の頃は、私もそうだったが穴の空いたズボンの膝に継ぎ当てをしている子がよくいた。

終戦直後ではなく昭和40年代初めだが、世の中がまだ貧しかったと言うこともあるが、多分その頃は衣料品が高かったから、みんな修繕しながら大切に着ていたのだと思う。

しかし今は驚くほど安く洋服が手に入るようになった。(それが良い事なのかわからないが)

ズボンくらい買えるだろうに・・・と思ったら、「最近、全く洋服買っていないんだ。洋服より欲しいものがあるからお金貯めてる」と、お尻が薄くなったズボンを履いていた言い訳のように長男が言った。

長男夫婦が欲しいもの。それは車なのだとか。

長男夫婦の趣味はキャンプだが、最近は寒くなってきたこともあって、車中泊の旅をするようになったそうだ。

ところが長男の車がプリウスで、これは夫のお古を格安で譲ったのだが、プリウスは車中泊をするには不便で、次は天井が高い車にしたいと思っているそうだ。

「不便なのは仕方ないけど、それよりあちこちガタがきて、もう買い替えた方がいいと思うんだ。修理代の方が高くなりそうだから」という長男は、新車は高くて手が出ないので中古車を探していると言う。

「でも中古車もいいなと思うのは高いわ。あとはいかにプリウスを高く買い取ってもらうかだけどね」と言いながら、買い取り業者さんに来てもらう話など冗談を交えながら語っていった。

長男夫婦が帰ったあとに、夫が「少し援助してやろうか」と言った。

夫のその言葉に思わず「そうだね」と言いそうになったが、踏みとどまった。

夫もそうだが私も過保護の親バカなので、できれば援助してあげたいと思うのだが、それが長男にとって良いことなのかと考えると疑問が湧く。

結婚して一人前になったのだから、自分の力で買うべきだと思った。お金が足りなければ、グレードを下げた車にするとかすればいい。

ズボンのお尻が擦り切れても新しいものを買わずに頑張っている長男に、あっけなくお金を出してあげるのはよくない、、、と夫に言ったら、夫も「そうだな」とわかってくれた。

苦労してほしかった車を手に入れた時は、きっと嬉しいことだろう。

お金はないけど節約しながら楽しそうにしているしている若い二人が、微笑ましかった。

もう私や夫にはできないことかも・・・というか、その前に欲しいものが無い。

若いってすばらしい~♪・・・と思った。

 


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不思議なこと

2021-10-17 22:00:18 | 日記

久しぶりに妹とライン。

実は妹に知らせたいことがあってラインをしたのだけど、用事は一瞬で済み、あとは近況報告など他愛もない話をした。

その中で妹が気になることを言った。

「そういえばお彼岸に不思議な事があってね、、、旦那さんと二人で、亡くなったお父さん(私と妹の父)のことを話していたら、突然お父さんの匂いがし始めたんだよ。これは旦那さんも感じて、びっくりしたー。お父さんのことを話していたから、きっと来たんだね」

この話を聞いて思い出したのは、お盆の時に義父母のいた部屋でご飯を炊く香りがしたことで、それを話したら妹が言った。

「やっぱりさ、霊界体験ツアーみたいなのがあったとして、え〜こんな感じの所だったの?悲しんで損した〜!みたいな所に死んだら行くのかもね」

霊界体験ツアーって、、、思わず笑ってしまったけど、悲しんで損した〜っていう所っていうのは、あながち間違いではないのかもしれない。

魂は生き通しだから、特にまだ死んで間もない魂なんかは、現世に近くて、現世と似たような場所にいるのかもしれない。

ただそこはゴールではなくて、その先まだ行かなければならない場所があるような気がするのだが、、、

でも、とりあえず霊界と呼ばれる場所まで行った魂はまだいいと思う。

そこまで行っていない魂は、どうしているのか。

先日の旅行で、夕方の高速バスに乗った時のことだった。

高速バスなので、ほとんどノンストップで走り続ける。

途中で一度だけ、トイレ休憩でパーキングエリアに停まった。

パーキングエリアに着いた時にはもう辺りは真っ暗で、そこは期待していたお土産屋さんのある大きなパーキングエリアではなくて、トイレと飲み物の自動販売機があるだけのちょっと寂しいパーキングだった。

「10分間、停車します」という運転手さんの言葉に急いでトイレへ行き、また急いでバスに戻った。

席に座って出発を待っていたら、すぐ横の通路を人が通った。

バス前方の乗車口から入って、後ろの方の席へ歩いて行ったその人を見て、とても違和感を感じた。

年の頃は20代か30代くらいの女性。

チャック柄の襟のあるシャツを着てズボンを履いていた。

ここまでは何もおかしくないのだけど、違和感を感じたのは、女性の身体がまるで透けて向こうが見えるくらい薄かったことで、例えるなら、映写機で空中に映像を映したような薄さだった。

もちろん、この世の方ではないことはすぐにわかった。

あの女性は、いつもこうして停車したバスに乗ってくるのだろうか?

バスに乗って、どこへ行こうとしているのか?

いつまで繰り返すつもりなのだろうか、、、そんなことを考えてしまった。

肉体が無くなったことも分からず、この世にとどまることは苦しいだろうと思う。

だから、生きている間に出来るだけ執着を無くす努力をしなければいけないのではないかと思う。

そして、一日一日を悔いなく生きる。

毎日はできなくても、せめてそう思って生きているだけでも、少なくとも幽霊にはならないような気がする。

「コロナが怖くて、あんまり外に出ていない」という妹に「出来るだけやりたいことをやろうよ。楽しもうね」と話した。

そういう私も、他人の迷惑にならない限り、やりたいことはやろうと思う。人生は短い、、、

帰ってから、バスの女性にはお線香をあげさせて頂いた。

どうか行くべき場所へ行けますように。

 


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簡単にできるアップルパイ

2021-10-14 16:35:55 | グルメ

日曜日に気温が下がると、天気予報で言っていたので、今日は庭の片付けをした。

春に植えた野菜の苗を片付けて、同じく春に庭に植えた越冬できない花やハーブを、家の中に入れる為に鉢に植え替えた。

もう何年も同じことをやっているので、手順はすっかり頭に入っている。

土を触っていると時間を忘れる。やっぱり自然はいい。落ち着く。

毎年同じことをしているが、考えてみればこの植物たちは去年のものとは違うのだなと思う。

同じ種類の花やハーブだけど、去年咲いていた花は散り、今は新しい花が咲いているし、ハーブは新しい枝が伸びている。

そして、私自身も去年の私とは違う。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)にあるように、自然は止まる事なく変化し続けて、自然の一部である人間もまた日々新しく生まれ変わっている。

毎日同じことの繰り返しのようでも、実は日々新しく生まれ変わっているということを、自然は教えてくれる。

庭仕事をしていたら、いつものカラスがやって来てこちらを見ていた。

「きみも毎日生まれ変わっているんだね、、、」と心の中で話しかけた。

さて話は変わるが、秋が深まってきて思い出したのか、次女にアップルパイを作ってほしいと頼まれた。

そこで早速、作ってみた。

私がいつも作るのは、りんごを煮ないで作るお手軽なアップルパイ。

煮たりんごを使うより、さっぱりとした味のアップルパイになるので、家族にはこちらの方が喜ばれる。

毎年秋にしか作らないので、レシピを探すのが大変。

そこで自分の覚書として、レシピを書いておこうと思う。

材料

りんご(あかねとか紅玉とか酸っぱい方がいいです) 小さめなら4個、大きければ3個。

冷凍のパイシート1袋(4枚入り)

グラニュー糖か、あればてんさい糖を大さじ6。塩を少々。強力粉と薄力粉をそれぞれ大さじ1強ずつ。シナモンを小さじ4分の一くらい。あればナツメグも小さじ4分の一入れると本格的な味わいになるが、ウチには無いのでいつも入れない。

作り方

1. 大きめのボウルに砂糖以下、粉類を全部混ぜ合わせておく。

2. りんごは皮をむいて12等分に切り、1のボウルに入れていく。ボウルを揺すって、りんごの全部の面にまんべんなく粉がつくようにする。

3. 解凍したパイシート2枚を型に敷く。空気穴をフォークで開けておく。

4. 3に2のりんごを隙間ができないように詰めて、上から残っているパイシート2枚をかぶせ、艶出し用の溶き卵を塗って(卵が残ってしまうので、私は塗りませんが)、200度に予熱したオーブンで35〜40分焼く。焦げる時は、途中でアルミ箔をかぶせて。

型は21センチくらいのガラス容器を使いましたが、25センチくらいまでのパイ皿で作るとちょうど良いかと思います。

秋になると、毎年作っているアップルパイ。今年も美味しくできました(笑)

 


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高松、神戸

2021-10-11 17:06:59 | 旅行

前回の続きです。

夕陽に感動した小豆島をあとにして、次に向かったのが高松市。

団体旅行では観光名所だけを周ったのだが、できれば町の中を歩いて地元の人が行くお店を見たいと思っていた。

そこで高松では、混み合う時間は避けて、地元の人が行くお店でご飯を食べたりスーパーマーケットへ行ったりした。

特に興味があったのがスーパーマーケットで、地元ならではの珍しい食材があるのではないかと期待して行ったのだが、結論から言うと、スーパーマーケットはどこも同じだった。

いくつか北海道では見ることができないメーカーの調味料があったが、基本的には変わらず、あらためて日本の流通の素晴らしさを認識した。

それにしても野菜売り場で、北海道産と書かれたじゃがいも、玉ねぎ、人参、ブロッコリーを見た時には、思わず懐かしさが込み上げてきてしまった、、、

というわけで、高松での滞在時間は一日限りだったので、早速レンタカーで観光に出かけた。

まず最初に行ったのが栗林公園。

観光ミシュランで三つ星をとったそうで、特に松の木が、まるで大きな盆栽のように美しく形作られていて素晴らしかった。

この庭園では14人の庭師さんがいて、毎日たくさんある松の木のどこかしらの世話をしているのだそうだ。やはり美しい庭園を保つには、それなりの管理が必要なのだろう。

そして次に向かったのが、金毘羅宮。実は、ここがもう一度来たかった場所だった。

金毘羅宮といえば785段の長い階段が有名だが、昨年はこの長い階段を82歳のガイドさんの後に付いて駆け上がるかのように一気に登った。

ガイドさん曰く「これくらいの人数だと、大抵10人は脱落しますなあ」と最初に言っていたが、ガイドさんの足の速いことと言ったらなかった。

とても82歳とは思えない健脚。さすが毎日、金毘羅さんの階段を登り降りをしていらっしゃるだけのことはあると思った。

もうガイドさんの後に付いて行くのが精一杯で、ゆっくり参道のお店を見るどころか、せっかく御本宮でのお参りも汗びっしょりになって、肩で息をしながらの、ちょっと神さまに失礼ではなかったかと思われるような参拝になってしまい後悔が残った。

というわけで、今回はゆっくりと周りを見ながら登って行こうと思っていた。

昨年もコロナの渦中だったが、今回は昨年とは違い、参拝客がとても少なかった。

昨年来た時の10分の1くらいの少なさで、参道に並ぶお店も閉まっている所が多かったが、お陰で静かにゆっくりとお参りをしてくることができた。

そして最終日は神戸。

神戸は三宮にホテルを取ったので、賑やかな街を見て歩くことができた。

それにしても街を行く女性のおしゃれなこと!

若い子はもちろんだけど、お年を召した方もおしゃれな人が多くて、とても参考になった。

こうして神戸市内を街歩きをして、その後、有馬温泉で日帰り入浴をして、さらに神戸市内に戻ってまた街歩きをした。

唯一、観光したのが生田神社。

女性的でとても美しい神社だった。

ところでここで参拝していたら、同じく参拝をされていた年配の男性から声をかけられた。

「どこから(来たの)?」と聞かれたので「札幌です」と答えたら、「ほお〜そんな遠い所から。北海道なつかしいわ〜。昔よく出張で行きましたわ」とおっしゃった。

今回は被ってこなかったが、その方が被っていた帽子が夫の持っている帽子と同じで、夫もそれで親近感が湧いたのか(そんな訳はないか、、、)その方と夫で話が盛り上がっていた。

街の歴史など知らなかったことを教えて頂き、思わぬところで良い出会いがあるのも旅の醍醐味だと思う。

そんな訳で、初めて万歩計が一日で二万歩を越えるという、私にとっては実にハードな一日になったが、やりたかったこと、見たかった所をすべてクリアできて、本当に満足な旅だった。

なんだか帰って来たばかりなのに、もう旅に出たくなっている。

 


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小豆島

2021-10-09 22:50:46 | 旅行

クレジットカードで貯まっていたマイルの有効期限が迫っていた為、旅行へ行ってきた。

行った先は四国と神戸。

四国は一年前にも行ったので二回目になる。

前回は初めて団体旅行に参加して四国を周ったのだけど、もっとゆっくり観たかったと思う旅だった。

団体旅行は自分で決めなくても名所に連れて行ってくれるので楽ちんだが、そのかわり時間に追われるように観光地を周る。

時間が決められているので、観光地に着いたら急いで写真を撮って、駆け足で観てと、とにかく忙しかった。

四国旅行の終わりに「いつかもう一度来よう、次は個人で来よう」と思ったのだが、思いがけず早くに願いが叶った。

昨年の旅では、四国をぐるりと駆け足で周ったのだが、今回は飛行機が到着する神戸と、時間の関係で香川県だけの観光にした。

香川では、どうしてももう一度行きたい所があった。

さて神戸空港に着き、すぐにフェリーに乗って向ったのは小豆島。

小豆島は長男のお嫁さんオススメの場所で、一度は行ってみたかったのだけど、ここは若い女性やカップルに人気があると知って、60代の夫婦が行くのは場違いなのではないかと思った。

でも若い女性である長女も一緒だったので、思い切って行くことに決めた。

でも行って本当に良かった。

海に沈む夕陽の美しかったこと、、、いつか命が尽きるときが来た時、この夕陽の風景を思い出すかもしれないと思うほどだった。

夕陽の写真ではないが、高台から見た景色もまた素晴らしかった。

そしてこちらも、、、

干潮時に海に道が現れて小島と繋がるというエンジェルロード。

なんでも大切な人と手を繋いで渡ると願いが叶うとかで、若いカップルが多かった場所。

だから私たち夫婦も、、、もちろん離れて歩きましたとも。(笑)

ところで小豆島の町を歩いている時、どこからか笛や太鼓のお囃子が聞こえてきた。

音の鳴る方へ行ってみると、商店の前で獅子舞をしていた。

休んでいた関係者の方がいらしたので、「今日はお祭りですか?」と聞いてみると、「伊勢大神楽です」と教えてくれた。

伊勢大神楽とは室町時代から続いている風習だそうで、かつては伊勢神宮のお札を配って歩き、厄祓いをしたのだとか。

ほかにも色々とご丁寧に教えていただき、とても良い旅の思い出になった。

そして小豆島の旅の思い出と言えば、もうひとつ。

若い女性が小豆島で必ずと言ってもいい程、行く場所がある。

それは映画「魔女の宅急便」の実写版でロケ地になった小豆島オリーブ公園。

ここで無料で貸してくれる箒にまたがって飛び上がって写真を撮ると、まるで本当に飛んでいるように映るそうで、たしかに飾ってある写真は、みんな箒で飛んでいるかのよう。

若い女性たちが、箒にまたがって飛んでいる写真がずらりと並んでいた。

早速、長女にもやってみるよう促し、夫がカメラをかまえたのだが、どうもうまくいかない。

長女の飛び方がいけないようだ。

「ちょっと箒、貸してごらん。こうやって両足一緒に飛び上がるんだよ」

長女から箒を借りてお手本を見せたら、夫が写真を撮ってくれた。

写真は大成功で、本当に箒で飛んでいるように見えた。

「それにしても(歳が)60で、箒にまたがって飛んでる人っていないんじゃないか」と夫が笑いをこらえながら言った。

たしかに映画では可愛らしい女の子だったっけ。

でも魔女というイメージでは、若い女の子より合っているのではないかと思うが、、、

同年代の女性も若い娘に負けず、どんどん箒にまたがって飛んでみてほしいと思う。

でも、きっと嫌だろうなあ。。。

                続きます

 

 

 


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運転の練習

2021-10-04 15:11:19 | 日記

「左折するんだから、スピード緩めて!なんで60キロも出してるの?」

「いきなり曲がらない!自転車、歩行者がいないか確認して!特に自転車は速いから気をつけて!」

「車間距離もっとあけて!前が急ブレーキかけたら追突するよ!」

私は早口でまくし立てる。自分でも今の言い方、ちょっときつかったかなと思うくらいの口調になっている。

いや、決して怒っているのではない。

緊張しているのだ。

そして車はあっという間に状況が変わるので、つい早口になってしまう。

私の手のひらは汗でびっしょり。

足に力が入っているせいか、さっきから足がつりそうになっている。

横で運転しているのは、次女。

運転歴だけは長いが、決して運転が得意という訳ではない私が、今日はいつもの夫に代わって次女に運転指南することになった。

運転は慣れだと分かっていても、次女の運転する車に乗っていると、これから大丈夫かな?とどんどん心配になってくる。

運転免許を取ってすでに5年になる次女だが、これまで実際に車を運転したのは10回くらいだろうか。

大学生で免許を取ったものの運転する車が無かった為、帰省した時に夫の車で5回くらい近所を走って練習をした。

就職が決まって、車を運転しなければいけないかもしれないと言うので、さらに5回くらい練習したが、結局仕事で車に乗らなくてよくなったとのことで、それ以降、次女はまったく車の運転をしなくなった。

ところが、このままペーパードライバーかと思っていたら、いきなり車を買うと言い出した。

「やっぱり仕事で車が使えないと不便なんだよね。車なら時間の節約になるのに、徒歩か自転車で行くしかないんだけど、自転車は数が少ないから、いつも争奪戦で使えないことが多いんだよね」という次女。

「じゃあ、車を買わなくても家の車で練習したら」と言ったら、「仕事で使うのは軽自動車だから、自分の車が欲しい。貯金で軽の中古車を買おうと思ってる」と言った。

考えてみれば私も20代の頃から運転しているし、特に北海道は車が必要なことが多いので、いつかは買うことになるかもしれない。

自分で買うと言っているし、、、

というわけで、免許取得以来、運転回数10回の次女は車を買った。

そして、仕事が休みの週末ごとに夫が運転を教えていたのだが、夫が用事で教えることができなくなったという日に、「代わりに乗ってあげて」と頼まれてしまった。

「もうそろそろ一人で乗ってみたら?最初は怖いけど、みんな一人で乗って慣れるんだよ」と次女に言ってみたものの「無理無理。一緒に乗って」と言われて乗ることになった。

仕方なく次女の運転する車で、次女が行きたいという洋服屋さん(土日は駐車場が無いほど混む、、、)へ行き、そのあとやはり次女が行きたいと言った総合スーパー(ここも混んでいる)へ行った。

以下、車の中での会話。

「お母さん、それ言うの遅い!早く言わないから曲がらないで通り過ぎちゃった!」

「そんなの一瞬なんだから、自分で見なさい!あっー止まって!横から車来てるって!!混んでる駐車場では、気をつけないとーっ!」

ああ、、、疲れた。

帰って来てからソファに座り込んでいたら、夫がにやにやしながらやって来て言った。

「疲れただろう?精神的に」

そう、精神的にね、、、これまでの夫の苦労がやっと分かった。

それにしても次女に一人で運転させるのはやっぱり怖い。

まだ付き合わないといけないかもなあ、、、とつった足をさすりながら思っている。

 

 

 

 


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