ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

孫の誕生日に思ったこと

2023-10-30 16:47:47 | 日記

初孫が一歳になり、お嫁さんのご両親も来て、我が家で誕生会を開いた。

当日は部屋に簡単な飾り付けをして、料理は持ち寄ってくれると言うので、簡単な料理ばかり数品作って楽しみにしていた。

お嫁さんのご両親と会うのは、息子夫婦の結婚式以来で二年ぶりだが、共通に閲覧できる孫の写真アプリに、(私が)おバカなコメントを入れまくっていて、それを毎回読んで頂いているせいか、それほど長く会っていないような気がしなかった。

そして、これまでは共通点はほとんどなかったが、今は孫ができたことで共通の話題もある。

お嫁さんのご両親にとっても初孫で「孫ってどうしてこんなに可愛いんでしょうね」とおっしゃるほどの可愛がりようで、それを聞いて深く同意する夫と私が、親バカならぬジジババ馬鹿の共通点。

息子夫婦の住むマンションとお嫁さんの実家が、すぐ近くということもあって、毎日のように会っているせいか、孫も向こうのご両親にはとても懐いている。

ハイハイしながら、お嫁さんのお父さんの膝の中に入っていく姿がとても可愛らしくて、思わず笑みが溢れる。

すると向こうのご両親がとても気を使われて、申し訳なさそうにしながら、孫を懐かせる極意を教えてくれた。

それは次のようなこと。

「泣いても気にせず抱っこし続けるべし。親がにこにこ笑っていれば安心して、そのうちに慣れる」

孫は最近とても人見知りで、何度会っても最初に大泣きされてしまうので、慣れるまでは抱っこどころか、近くにも寄らないようにしている。

しばらくすると慣れてきて、笑顔で抱っこもさせてくれるので、それまで寄らず触らずで待っていたのだが、泣いても気にせず抱っこすべしとは、意外なアドバイスだった。

今度やってみるかな、、、

なんて言うような話から、最近の自分の健康状態のことまで、ご両親とは2年ぶりの再会だったが、孫を愛でながら祖父、祖母同士の話は尽きず、楽しい誕生会だった。

ところで息子夫婦は、誕生会で色々な催しものを用意していた。

一升餅を背負わせるメインイベントから始まって、たくさんの職業を書いたカードを並べて、孫がどのカードを最初に手に取るのか、将来どんな職業につくのかを占うゲームとか、絵の具を白いパネルにたくさんのせて、孫に自由にペタペタ触らせて作るファーストアートとか、孫が誕生してからの一年をスライドにまとめた映像を流したりとか、「よく頑張りました」と息子夫婦を誉めてあげたいくらい誕生会を盛り上げてくれた。

三つの家族、全員の目は孫に注がれて、孫の一挙一動に大喜びしながら願いは同じだった。

「この子が元気に成長しますように。この子の未来が明るいものになります様に」

世の中は戦争や気象変動など、暗い気分になるような話題ばかりで、夫曰く「このような世界に、新たに子どもを生み出すのは、子どもにとってかわいそうだと思う」そうだ。

そう思う気持ちもわからなくは無いが、生まれようとする魂は、決意と期待と希望を持って生まれてくるのではないかと思う。

魂の望みはもっともっと進化することであり、このような混沌とした世界で、色々な欲望がある地球人に生まれることは、魂が進化するには最適なのだろう。

そして光の道を進むのか、暗い道に迷い込んでしまうのかは、それぞれが自由に選べる。

未来が明るいものになります様にと願うことはよくあるが、これはすなわち光の道を進みます様にということで、私たちは無意識に光の方へ進みたい、魂を進化させたいと思っているのだろう。

初孫にもこれからもっともっと進化して行ってほしいと思う。

でも、、まずは自分であって、時にはもがきながら、時には楽しみながら、肉体の終わりが来るまで、魂を進化させるべく歩いて行きたいと思う。

 


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思い出す人

2023-10-25 17:53:32 | 日記

信州から帰って来て何日か過ぎたが、身体の疲れもすっかりとれて、またいつもの日常生活に戻った。

こうして日常生活に戻ると、よく思い出すこと(人)がある。

それは今から一年前、奈良の東大寺で出会った人。(過去記事→大仏殿で出会った人)

過去記事で書いたが、大仏さまに手を合わせていた時、横に人の気配を感じ、横を見ると私にぴったりと寄り添うように、とても近い距離に若い女性が立っていた。

その距離は、お互いの身体が触れ合うくらいの近さで、あまりにも近くに立っていたのでちょっと驚いたのだが、あまりじろじろ見るのも失礼かと一瞬視線を逸らした瞬間に消えてしまった。

本当に驚いた。

周囲を見回して探しても彼女の姿はどこにもなく、ましてほんの1〜2秒の間に居なくなるなんて不可能だった。

一瞬で消えるなんて幽霊か生き霊だろうか、それにしても生きている人と寸分違わず見えていたなと思っていた。

ところで、あんなに近くで姿も顔もはっきりと見たのに、彼女が消えた瞬間からどんどん忘れていった。

どんな服を着ていたのか(着物とかではなくて洋服だった)

それから、どんな髪型だったのかもまったく思い出せない。

ただその時の印象は、日本人(東洋人)で、年齢は30歳前後と思われる若い人で、色白でクールビューティという言葉がぴったりな女性だった。

そして前の記事でも書いたが、覚えているのは特徴的な目と微笑んだ口元だけという、なぜ他は全部忘れてしまったのか自分でも不思議になる。

ところで特徴的な目というのは、前の記事では書かなかったが、いつも思い出すので書こうと思う。

東大寺で見た彼女の目は、とても吊り上がった目をしていた。

彼女を見た第一印象は、背が高いこと以外に「ずいぶん吊り上がった目をしている」というものだった。

吊り上がった目というと、細いキツネ目を想像するかもしれないが、決して細くはなく、普通に美しく吊り上がった大きな目をしていた。

あのように吊り上がった目の人に、今まで一度も会ったことがないが、決しておかしくはなくて、むしろ美しい顔だと思った。

そして目が吊り上がっていても、怒りの感情はまったく感じず、むしろ穏やかさを感じる人だった。

あれから一年が経とうとしているが、時々自分の隣が気になって、つい横を見る癖がついてしまった。

もしかしたらまた横に立っているかもしれない、、なんて思う。

でももしまた突然そんなことが起こったら、今度は前回よりもずっと驚くのではないかと思う。

だったら出てきて欲しくないと思ったりもするのだけど、一方でいつかもう一度会うだろうという根拠のない予感がしたりもする。

ところで、これは書くことにとても勇気が必要だったのだけど、思い切って書きますと、、(間違っているかもしれないけど)彼女は人間にそっくりな宇宙人だったのではないかと思う。

と言うのは、宇宙人とコンタクトをとっているという、ある有名な海外の女性の記事を読み、彼女が紹介している異星人の絵の中に、大仏殿で会った女性と特徴がそっくりな人たちを見つけたからで、そこには男性も女性も目が吊り上がったクールビューティーで、東洋人に似た異星人の姿が描かれていた。

果たして真実はどうなのか?生きている間にわかるのだろうか。ちょっと楽しみでもある。

なんて、今日は夢物語のような記事になってしまいましたが、どうか軽い気持ちで読み飛ばしてくださいね。

 


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長野旅行

2023-10-20 16:47:07 | 旅行

長野へ行って来た。

直行便で信州まつもと空港まで一時間半のフライト。

さらに松本空港から高速バスに乗って三十分ほどで松本市内に着く。車で八時間かけて行く道東よりずっと早い。

これなら何度でも行きたい、、なんて思うほど、今回の旅は(も)よかった。

今回の旅の目的は「山」で、日本アルプスの美しい景色を見ることが最大の目的だった。

と言っても登山は無理なので、普通に観光として散策して来たのだけど、想像していた以上に素晴らしい景色だった。

まず最初に訪れたのが上高地。

レンタカーで沢渡駐車場まで行ってから、シャトルバスで上高地へ向かった。

途中の大正池でバスを下車し、そこから歩くこと三時間あまり、約10キロと少しを歩いて上高地の景色を堪能して来た。

切り立った山々、川辺の白い石と澄んだきれいな水、そして青い空のすべてが本当に美しい。

北海道でも、高い山脈と川は数多く見ることができるが、このような景色は見たことがない。

北海道の自然はもっと荒々しい感じがするが、ここは完璧に美しく整っているように見えて、ただただ感嘆するばかり、、、

山道を歩いていたら、目の前を一頭の大きなお猿が通過して行った。

お猿さんなんて動物園でしか見たことないが(ニホンザルの北限は下北半島)、こんな間近で野生のお猿を見られるなんてすごい。

もっとよく見たいと近づいたら、後ろの女性が「襲ってくるから近づかないで!」と教えてくれた。

そう言えば、お猿に襲われたというニュースを聞いたことがある。

女性は、そんな場面にあったことがあるのかもしれない。

後ろからやって来る人たちにも「近づかないで」と声がけをされていたが、当のお猿さんは、人間のことなど気にもかけず、実に堂々とした姿で消えて行った。

さて上高地は本当に素晴らしい場所だったが、次に行った白馬村の岩岳も負けず劣らず美しい景色だった。

岩岳では、ただ座って景色を見ていただけだが、気がつけば二時間も経っていて驚いた。

時間を忘れるほどの美しい自然。魅せられてしまった。

他にも松本市内観光を楽しんだり、諏訪神社の参拝をしたが、実は日本アルプスの美しい景色の印象があまりにも強過ぎて、思い出すのはこの大自然の風景ばかり。

帰りの飛行機では、窓から景色を見て、旅行に行って初めて帰るのが寂しいという気持ちになったのが、我ながら意外だった。

そんなわけで、旅から帰ったばかりだが、またいつか行こうと思っている。

 


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散歩の楽しみ

2023-10-14 15:26:54 | 日記

趣味と健康維持を兼ねて、よく散歩をする。

散歩途中にあるパークゴルフ場は、いつもたくさんの方で賑わっている。

こちらのパークゴルフ場は、少し前にご親切に誘って頂き、お試しもさせてもらったのに、実はそのあとまだ行っていない。

まわるのが遅い初心者は、人が少ない時の方がいいのではないかと思っているうちに、時間だけがどんどん過ぎてしまった。

でも見る限り混んでいない日は無いんじゃないかと思う賑わいで、空いている日を待っていたら、行く前に雪が降ってパークゴルフも今季終了となってしまうのかもしれない。

とはいえ、趣味と健康維持にパークゴルフはもってこいだと思っていた当初の熱意が、冷めて来てしまったのも事実。

もう来年でもいいかとトーンダウン気味で、通りすがりに眺めて満足している。

ところで雪といえば、今日は散歩中に雪虫を見た。

お尻に白い綿毛を付けた雪虫が飛ぶと、初雪が近いと言われているが、あと二ヶ月もすれば雪の季節がやって来るのかと思うと、季節のうつろいの速さに驚いてしまう。

しかし通りに面した家々の庭には、まだポツポツと花が咲いている。

植物好きなので、きれいな花だなあと思ったら、すぐにスマホで写真を撮って調べている。(道路に面して撮れそうな時だけ、、、)

今日見た紫色の花が美しい植物は「友禅菊」というのだとか。

小ぶりの花が可愛らしく、またどことなく風情があってとてもいい。

洋服とかブランド品とかは、見ても欲しいと思わないのだけど、植物だけは見ると欲しくなってしまう。

友禅菊、欲しいな〜と思う。

「もう植える場所がないでしょ」と頭の中で言ってる自分が居て、横からもう一人の自分が「いやいや探せばある」と言う。

「探せばある」と言った自分に一票で、帰ったら早速園芸店へ行ってこようと、心はすっかり友禅菊一色になった。

ルンルンした気分で歩いていたら、今度は森林の方にきれいな紅葉を見つけた。

「なんてきれいな紅葉だろう」と、しばらく見惚れているうちに、さっきの友禅菊が欲しい気持ちはクールダウン。

園芸店へ行こうという気持ちもすっかり無くなって、それより紅葉を見に行きたい気持ちになった。

まったくもうブレブレの揺れる心だと、我ながら苦笑してしまう。

ところで賭け麻雀の裏プロとして活躍していた桜井章一さんが、「揺れない心」について書かれている。

「運を支配する」より

人の心は、絶え間なく動く。

問題は、いい揺れ方をするか、あるいは悪い揺れ方をするかである。

結局、どんな揺れ方をするか、どんな動きや変化をするということが大事であって、いい揺れ方をし、いい動きをし、いい変化をしていれば、それこそが「揺れない心」と呼べるだろう。

たとえば、感情に曇りがなく穏やかな気分でいるときなどは、心が揺れていない状態である。

心が激しく揺れている人は、何かに強く囚われていたり、リズムが一定していない揺れ方をしている。つまり悪い揺れ方をしている。

私の今回の揺れる心など大した話ではないが、著者がいう「悪い揺れ方」と言うのはよくわかる。

私自身これまで何度、悪い揺れ方をしてきたことか。

もちろん今でも悪い揺れ方をしているなと思うことがあって、苦しい想いをする。

ただ悪い揺れをいい揺れに改善はできると書かれている。

考え方なり、行動なりを意識して変えていけば、「いい揺れ」に近づいていくことは可能だ。

つまり、なにもないところから「いい揺れ」を目指すより、「悪い揺れ」が起こる原因を理解し、それを取り除いていけば、心は自然と「いい揺れ」になっていくものである。

まさに私が悪い揺れ方になるのは、一つのものごとに囚われてしまった時。

これに気づけばよいのだけど、それが出来ずに悪い揺れ方を続けているということがある。

長い時間をかけて習慣になってしまったものを、すぐに変えることは難しいものだが、少しずつ気をつけていい揺れ方にしていきたいなと思ってはいる、、、

というわけで還暦すぎても、まだまだ学ぶばかり。

この世にやっと生まれて来た魂は、人生という長い道を散歩するかの様に、あちこち寄り道しながら、学んで行くものなのだろうなと思う。

そう思ったら、これからの人生の散歩も楽しみになってきた。

 

 


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とある法則

2023-10-09 21:11:43 | 日記

お天気に恵まれた三連休。

ずっと行きたいと思っていた相馬神社へ行って来た。

神社の鳥居をくぐると、樹木のよい香りがする。

まるで今にも動き出しそうな御神木の横を過ぎると、小さな本殿がある。

久しぶりに参拝ができて、嬉しい気持ちが湧き上がってきた。

ところで、いつもはどこの神社でも個人的な願いはせずに感謝だけを思って参拝するのだけど、今回はつい無意識に日本の平和を願ってしまった。

平和に過ごしていた日常生活が、突然恐怖に変わる戦争。

人類は、一体いつまでこんなことを続けるのだろうかと、ここ数日思っていたからかもしれない。

さて参拝のあとは、相馬神社から続く天神山緑地を散歩してきた。

小さな庭園もあって、樹木が多く気持ちがいい。

紅葉している樹木もあった。

さて参拝と散歩をした帰り道、買い物をしようとスーパーに寄った。

休日とあって、スーパーはレジに列ができるほど混んでいた。

こんな時、どこの列に並ぼうか、どこが早そうかと考える。

以前は、そのような事はあまり考えず、適当なところに並んでいたが、夫と一緒に買い物するようになってから、夫に合わせて少しでも早そうな列を探す癖がついてしまった。

夫はせっかちな所があって、レジでもなんでも並んで待つのが嫌いときている。

しかし、、、大体夫が選んだ列は隣よりも遅くなることが多い。

レジの列は、人が少ないから早いとは限らない。

並んでいる人数に格段の差があるのなら、人が少ない方が早い確率は高いが、多少の差なら最後までわからない。

店員さんのレジを通す早さによるのは当然だが、並んでいるお客さんの買った商品の量によるのが大きい。

カゴいっぱいに品物を買っている人が多い列は、出来るだけ避けるようにする。

しかし、これだけでレジが早いとは限らず、お客さんの支払い方の早い遅いもあれば、商品に値札が付いていないなどで、店員さんが途中で値段を見に行くという突然のアクシデントもある。

結局はどこに並んでも一緒かもしれない。それならどこが早そうとか、あー隣の方が早かったか残念、、、なんてイライラせず、ゆったりとした気持ちで居られる。

最近はセルフレジも多くなったので、急ぐ場合は、そちらの方が待たないかもしれない。

ところで同じことを考える人は多いようで、自分が並んだレジが遅くなるという法則があるのだとか。

マーフィーの法則というもので、それによると自分が並んだ列が遅くなる法則というのがあるそうだ。

その解説については、ここでは書かないので、ご興味のある方は調べてみて下さい。

しかし最近、もう一つ法則を見つけてしまった。

これは私だけかもしれないが、、、それは「銭湯で自分の使ったロッカーの周りだけが混雑する」という法則。

お風呂から出て着替えをする為にロッカーへ行くと、自分のロッカーの上下、左右のロッカーを使う人々が、同時に使っている確率が非常に高いことに気づいた。

離れた他のロッカーは、使っている人が全然いないのに、なぜここだけ人口密度が高いのか?

しかも、なぜこうも揃って同時にお風呂から出てくるのか?

不思議だ。

大体五回に三回くらいは、この法則が発動するのだが、あまり続くので最近では「今日はどうかな?」と楽しみにさえなった。

そうなると不思議なもので、五回に三回が、一回あるかないかになった。

レジ待ちにしても、自分の周りだけロッカー混雑にしても、イライラした精神状態になることは、出来るだけ避けた方がよいのだろう。

一人ひとりの心の平和が、この世の中に現れているというのは、多分そうなのだろうなと思う。

 

 


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いいね!

2023-10-04 14:14:00 | 日記

最近、登録しているX(旧Twitter)のフォロワーが増えてきた。

一週間に一度か、頑張ってもせいぜい二度の投稿がいいところのブログと違って、毎日数回は投稿、、、と言っても、Xは自分がいいなと思った記事のリスポストをしているだけで、ほとんど自分の意見の発信はしていない。

もともと他の人の記事を読みたいから始めたので、フォロワーを増やしたいとか、たくさんのいいねが欲しいとか、まったく思っていなかった。

最初は読むだけで投稿はしていなかったが、他の方にもぜひ読んでもらいたいと思うようないい文章や写真や動画があって、リスポストするようになった。

そんな他力本願の私のXに、最近急にフォロワーが増えてきて、ちょっと驚いている。

それも最初の頃によくあったアダルト系の怪しいフォロワーは、すっかりいなくなり、今はなぜか海外の女子からのフォローが多いというのが不思議。

自然、動物、暮らしの知恵的なものを多く載せるので、多分女子向きなのかもしれない。

そんな中で、ある方から「肉食についてどう思いますか」というメッセージを頂いた。

メッセージ自体、来るものとは思ってもいなかっただけに驚いたが、どうやら私が載せた動画を見て、私の意見を聞きたくなったようだ。

その時に載せたのは海外の動画で、小さな女の子が肉料理が載った皿を前に「動物を食べたくない」と言って泣く動画だった。

自分がその動画がいいなと思ったのは、動物の肉を食べないと言うことではなくて、女の子の動物に対する優しい気持ちと、彼女の両親が叱ることなく「無理に食べなくていいのよ。ゆっくり考えましょう」と、彼女の気持ちを汲みとって話をしているところだった。

もらったメッセージには「自分も魚介は食べるが、動物は食べません」と書かれていて、私がベジタリアンなのかどうか、動物の肉を食べることについて知りたかったみたいだ。

私自身はベジタリアンではなくてお肉も食べる。

どちらかと言えば肉より野菜の方が好きなのは事実だけど、自分や家族の健康と、肉を使った方が美味しい料理も多くあることを考えて食べていると返信した。

相手がどう思ったかはわからないが、ありがとう代わりのいいねが送られてきた。

それからしばらくして、今度は虐待されていた動物が、人間に優しくされて涙を流すという動画を載せた。

こちらの動画がいいと思ったのは、動画の最後に書かれていた「動物の虐待はやめましょう」というメッセージだった。

その動物が、人間の優しさに触れて本当に涙を流したかどうかは、重要ではなくて、最後のメッセージこそがいいね!と思った。

すると、またメッセージをくれた同じ方が、その動画をリスポストして「動物が涙を流したのはただの目の病気です」と呟いた。

さらに「Xに載せているものは、偽物が多すぎる。見栄っ張りや偽善者ばかり、、云々」と書かれていた。

Twitterを始めた初期の頃、たまたま目に入った彼女のつぶやきが、多くの方の批判の的になっていたことがあった。

彼女を援護しようとは思っていなかったが、私には彼女が間違っていることは言っていないと思えたので、そのコメントを載せたら、以来いつもいいねをくれるようになり、私もいいねを押すことが多くなった。

でも今回はいいねが押せなかった。

もちろん私のことを言っているかどうかはわからない、と言うかそれはどうでもいいことだが、先にも書いたように、動物が涙を流した理由は、大したことではなくて、心に響いたのは最後のメッセージだということだ。

だから作られたCMだったとしても、いいねと思う。

いいねを押さなかったせいなのか、今度は同じメッセージを私個人に送って来た。

きっといいねと思って欲しいのだろうなと思った。

SNSで見ているだけで、彼女のことはわからないが、最初からのつぶやきを見ていると、きっと優しい子なのだろうと思う。

何かSNS上で嫌なことがあったのかなと思ったり、動画を載せた理由を返信しようかと思ったりもしたが、それはやめていいねだけを返した。

実際の人間同士のつきあいや、それは、たとえ肉親であっても、個人が考えている本心は、なかなか分かり合えないものだなと思う。

ましてやSNSでしか繋がっていない相手であれば尚更だと思う。

そして、それが無意識に相手に依存している場合、自分が思っていた人と違った面を見せられた時には、怒りが湧いてくることがあるかもしれず、それ以上に自分の心が傷ついてしまう。

だからなるべく自分で考えて、自分で決めることが大切ではないかと思う。もちろん助言をもらうことはいいことだと思うが、、、

なんてことを、自分に言い聞かせつつ「これでいいのだ〜」と、私は今日も生きている。

 

 


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