ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

父、手術をする

2016-09-30 17:24:43 | 介護
腸の一部が腸の中に入り込んでしまうということで入院することになった父だったが、つけられた病名は「腸重積」だった。

これは赤ちゃんによく見られる病気だそうだが、成人がこれになった場合、ほとんどは腸の中に腫瘍ができている可能性があるそうだ。

そして手術で中に入り込んだ腸を切り取らない限り、再発する可能性はほぼ確実で、遅くても3か月以内に再発するそうだ。

身体が弱ってきている父なので、できればお腹を切る事は避けたかった。

ほかにも方法がないかと医師に聞いてみたところ、内視鏡で切るという方法もあるが、それには患者の負担が大きくなるので勧められないとのことだった。

内視鏡手術の場合、まずお腹を膨らませてから手術を始めるそうで、開腹手術の2倍の時間がかかってしまうとのこと。
父のように高齢で身体が弱っている場合は、開腹手術をして早く手術を終わらせたほうが良いという医師のお話だった。

「このまま様子を見ていても悪化するだけ。最悪、命を失うかもしれない。
一時的に腸を引っ張り出しても近いうちに必ず再発する。
また、内視鏡手術は身体に負担が大きい」などと言った医師からの説明に、もう選択肢は開腹手術しかなかった。

ただ手術自体はそれほど難しいものではなく、問題は手術で切った腸の接合部分から食べ物が漏れないかということと、高齢なので今後食べ物を飲み込むことができるようになるかということだそうだ。

また高齢者の場合、心筋梗塞や脳梗塞を起こしてしまうこともリスクとしてはあるそうだった。

開腹手術をお願いして、その場ですぐに手術日が決められた。

予定では手術は午後からのはずだったが、朝、突然病院から電話があり「午前に手術をすることになったので、なるべく早く病院へ来てください」と言われた。

そして私が病院へ着くと、看護師さんが待っていたかのように「11時半から手術を始めます」と言った。

手術まで、あと20分くらいしかなかった。

父の様子を見ようと急いで父の病室へ行ったら、父はベッドの中で起きていた。

相変わらず手には卓球用ラケットのようなミトンをはめられていたが、もう「とってくれ」とは言わなかった。

目を開けている父に「お父さん、これから手術だよ。簡単な手術だから頑張ってね」と声をかけると、急に父の目に力が入り「大丈夫だ、大丈夫だ」とはっきりとした声で何度も答えた。

それを見て「あぁ大丈夫だな。父はまた復活する」そんな気がした。

そう父はこれまで何度も復活してきた。

右側の腎臓に何か腫瘍があるということで、最悪「腎臓の摘出」とも言われた時には覚悟を決めたが見事復活を遂げた。→ふっかーつ!

またペースメーカーを入れることになった時も父は乗り越えた→危機脱出

だから今回も大丈夫。また復活する。なんだかそんな気がしていた。

結局、手術は3時間半かかったが順調だったそうだ。

そして手術後に摘出した腸を医師から見せてもらったが、そこには小さい子供のこぶし大くらいの大きさの腫瘍があった。

やはり腫瘍があったことが原因で腸重積を起こしていたらしい。

腫瘍が悪性かどうか調べるのに1週間以上かかるそうだ。

しかし、たとえ悪性だったとしても、もう治療はせずこのまま高齢者住宅に連れて帰ろうと思っている。

何より食べることが好きな父なので、あとは好きなものを食べさせてやりたい。

だから接合部分の状態と飲み込むことができるかどうかが、いま一番気になることだ。








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変化

2016-09-27 15:48:14 | 日記
毎朝、必ずしていること。

それはもうここに何度も書いたが、神仏と大自然への感謝の祈りで、毎朝これをやらないと一日が始まらない。

毎朝、心静かに手を合わせと言いたいところなのだが、日々流れていく暮らしの中ではそれができないこともよくある。実は昨日もそうだった。

朝9時頃に父が入院する病院の看護師さんから電話がきた。

「今日はできるだけ早く来てください」とのことだった。

詳しいことは今度また書くが、とにかく早く病院へ来いという。

病院までは家から自家用車で1時間弱かかる。

しかも私は朝食を食べ終えたばかりで、歯も磨いていなければ出かけるための身支度もしていなかった。

「わかりました」と答えたものの、それからが大忙しだった。

とりあえず神棚だけお参りをしようか。

大自然への感謝は時間がないから今日は止めようかな、ご先祖さまへの供養はどうしよう、帰ってからにしようか・・・などと目まぐるしく考えていた。

結局、神棚と先祖への祈りは終わらせてから出発したのだが、時間の関係で大自然への祈りは省かせて頂くことにした。

ところでこの大自然の祈りはもう何年も前からやっていることだが、我家の裏に広がる広大な森林と空に輝く太陽に向かって手を合わせている。

そして、これは私の心身にとても良い効果をもたらしているような気がする。

本当は手を合わせて感謝するだけでも十分なのだと思うが、この時、私は一本の光の柱が体の上下両方から自分の体に入ってくるような気がしている。

手を合わせて感謝の言葉を心の中で呟いているうち徐々に呼吸が深く、そしてゆっくりとなり、体の中が光で満たされるのを感じる。

そして、それはそれは、とても安心した気持ちになれる。

しばらくそのままでいた後、今度は自分の中に満たされた光に感謝の想いを乗せて、入ってきた場所から、つまり体の上下からその光を天上と地中に向けて帰していく。

このような一連の流れの中「この地球上に奇跡的に生かされている。なんてありがたいこと。ありがとうございます、ありがとうございます」という想いが沸き上がってきて、言葉では言い表せないくらい安らかな気持ちになる。

昨日は急いでいたとはいえ、このような大自然への祈りを省略するのは非常に残念なことだったと思う。

しかし今朝はゆっくりと昨日できなかった分もするような気持で、祈りのフルコース?をすることができた。

ところで今朝はまた気になる映像が見えた。

それは大自然への祈りを終えて、先祖供養に移ってからのことだった。

先祖供養をするときは、いつもどの方々も、すべての皆様が成仏されていきますようにという気持ちでお線香を焚き、そして手を合わせているのだが、最後の言葉を繰り返しつぶやきながら手を合わせている時だった。

非常に安らかな気持ちでいたのだが、突然目の前に丸くて黒い穴がぽっかりと見えてきた。

これはいつも映像が見える前に見えてくるものなので驚くようなことではなく、そのままにしておいた。

黒い穴に自分がどんどん近づていく。そしてついには自分の視線が穴の中を通って急降下していく。

私の視線がものすごい速さで穴の中を通り抜けていく間に、小さかった穴はどんどん広がっていき、ついに穴の向こう側に開けた空間が見えてきた。

そこにあったものは、山脈だった。

富士山のような一つの山ではなくて山脈。白い雪が山肌の所々に積もっている。

「きれいだなぁ、ずっと見ていたい」と思ったが、それはつぶやく言葉を止めた途端に消えてしまった。

山脈を見ていた時間はきっと数秒くらいだったと思う。もう少し見ていたかった。

そういえば、大人になってからまた子供の時のように映像が見えるきっかけになったのも山脈だった。

当時、何を血迷ったかある会に入っていた私は数名の方々とやはりある言葉(先祖供養で使う言葉ではありません)を暗唱していた時、山脈が鮮明に見えてきたことがある。

それは杉なのかヒノキなのか、まっすぐに伸びた木々が風に揺れている山脈で、この時もあまりの美しさに圧倒された。
思わず「山が見える!きれい!きれい!」と叫んでしまい、ほかの方を驚かせてしまった。

思えばあの時からかもしれない。私の人生が大きく変わったのは・・・

生活では子供の成長や親が老いるといった変化は当然あるのだが、そういうことではなく何かが大きく変わった。

今わたしはとても幸せだと感じることができる。

もちろん人生にはいろいろな苦難と言われるようなことが起きるが、それでも私は幸せだと心の底で叫び続けることができる。
これは以前は考えられなかったことだった。

あれれ、なんだか今日は(いつもか・・・)まとまりのない文章になってしまいました。

自分が一体何を書こうとしていたのやら分からなくなってしまったので、今日はここで終わりにしたいと思います。







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父、入院する

2016-09-23 16:49:25 | 介護
父が嘔吐した為に一時帰宅が中止になったことを書いたが、その後、なんと父が入院することになってしまった。

嘔吐した日、父は熱が出て高齢者住宅に隣接する病院へ行くことになったのだが、熱が出た原因は嘔吐した物が肺に入ったことによる「肺炎」だった。

しかし、問題は肺炎ではなかった。

MRIで調べたところ、腸の一部が腸の中に入り込んでしまっていることが判明した。

このままでは食べ物や飲み物を摂るができないのはもちろんだが、腸の中に入り込んだ部分が壊死して最悪には一瞬にして死に至るという怖い病気だった。

隣接する病院ではこれ以上の処置はできないとのことで、すぐに設備のそろった大きな病院へ救急搬送された。

そこでは今後どのようにするか医師から話があった。

休日だったため、腸専門の医師が不在で内科の医師からの説明だったが、このような場合、普通は開腹手術をするそうだ。

ただ高齢なので開腹手術をすると、衰弱するかもしれないとのこと。

内視鏡で入り込んだ腸を引っ張り出すこともできるが、いずれまた同じように繰り返すことになるだろうとのこと。

そしてこのままにして置いた場合、先にも書いたが一瞬にして死に至ることもあるとのことだった。

さて、どうしたらいいものか・・・

とりあえず後日、専門の医師が来てからまた説明を受けることになった。

そして入院した父はと言えば・・・元気なのだ!

腹痛があるわけでもなく声をかけるとニコニコ笑っていたのだが、それからの処置で父から笑顔が消えていった。

食事ができないので鼻から栄養チューブを入れられ、ほかにも点滴などの管が何本か身体につけられた。

さらに父が最も嫌がったのが、管を自分で抜かないように両手にミトンをはめられたことだった。

父は今より認知症が軽かった時の入院でも、つけられた管を無意識に引き抜いてしまうことがあり、ミトンをはめられていた。

その時も少し嫌がってはいたのだが、この病院のミトンは今までのとは違って非常にごつかった。

まるで厚さのある固い卓球ラケットを手に付けられているかのようだ。

この手で殴られたら怪我をするかもしれないというくらいの、ちょっとした凶器になりそうなミトンだった。

これでは、かゆいところも掻けないだろう。私もこんなミトンをはめるのはいやだ。

「とってくれ、とってくれ」と両手を差し出して頼む父を見るのはつらかった。

看護師さんにお願いして、私たち家族がいる間はミトンを外してもらうことにしたが、帰った後はまたつけることになるとのことだった。

見た目はこんなに元気なのに、なんともやるせなかった。

あとどれくらい生きられるか分からないが、もうそれほど長くないのならできるだけ苦しくない方法を選んであげたい。

本当は高齢者住宅で今まで通りの生活を送らせてあげたいのだが、このままにしておくと一瞬で死に至るなんて言われると気持ちが揺らぐ。

後日の説明で、なにか良い方法が提案されるとよいのだけれど・・・










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父の一時帰宅

2016-09-21 16:19:44 | 介護
現在86歳の父は、住み慣れた自宅からサービス付き高齢者住宅に移り住み、今年で3年が経った。

高齢者住宅に移ろうと決めたきっかけは、父に認知症の症状が見られたことだった。

排泄の感覚がわからなくなり、たまに大小便を漏らすことがあった。

これ以上は家族で支えることは難しいと判断したのだが、その当時はまだ普通に会話をすることができていたし、自分一人で歩くこともできていた。

だから父の気が向けば、自宅に戻ることもできていたのだが、今はほぼ全介助の状態になってしまった為、自宅に戻ることが難しくなってしまった。

現在の父は日中ずっと車いすで過ごし、移動も排泄もすべて人の手を借りなければならない。

また言葉はほとんど発せず、うなづくことで意思を表す。

しかし、まれに本当にめったにないことだが、まるで数年前の父に戻ったかのように元気におしゃべりすることがあって、そんな時はこのまま元気になるのではと錯覚してしまう。

ただ、それもほんのひと時のことで、悲しいかな、次に行った時にはまた力なくうなづく父に戻っているのだが。

父の病気はレビー小体型認知症だが、体調の良い時、悪い時を繰り返しながら、こうして徐々に進行していくのだろうと思う。

さて、久しぶりに元気におしゃべりができた日、父に行きたいところはないかと聞いてみた。

すると「ない。ここに居るのが一番いい。ここは天国だ」と言う返事だった。

それはそれでよかったのだが、家に戻ってみるというのはどうだろうか?

そこで「家に帰ってみたくない?」と聞いてみると、「もうどんな家だったか忘れてしまったな。でも帰ってみたいな」と言う。

父の衰えた脳を刺激するためにも、住み慣れた場所を見せてあげたいと思い、さっそくケアマネジャーさんに相談すると、「今は体調がよいので、短い時間の外出ならばいいですよ」とのことだった。

そして父を家に連れてきてあげたいと思うのは妹も同じで、妹はできることなら父を家の中に入れてあげたいと言った。

しかし、家の中に入るのは難しいのではないかと思った。

実家は一階が車庫で二階が玄関という作りになっている。

だから玄関を入るには階段を昇らなければいけないのだ。

車いすで階段は上がれないし、体の大きな父を抱えて上がるのも無理がある。

福祉用品レンタルの会社の方に相談してみると、長い外階段を上がるためには電動式の昇降機というものがあるそうだが、このレンタル料が恐ろしく高額なため、一般家庭でレンタルする人はいないとのことだった。(ちなみに10万以上するとか・・・)

だったら家の庭や近所を散歩するだけでもいい。

父が家にいた頃に、よく歩いていた場所を見るだけでも良いかもしれない。

というわけで、今日は朝からよく晴れて暖かだったため、さっそく父を実家に連れてくることにした。

高齢者住宅の職員さんからは、父の体調が良いとのことで外出許可をもらった。

介護タクシーを予約し、実家では妹が父が可愛がっていた小鳥のかごを庭に出して、父の好物の甘酒を作って、父を迎える準備をしていたのだったが・・・

今まさに、父を迎えに行こうとしていたその時だった。

電話が鳴り出てみると、高齢者住宅からだった。

なんと「お父さんが嘔吐しました。今日の外出はやめてください」とのこと。

ここ最近はずっと父の嘔吐は起こっていなかったのだが、なぜか今日に限って嘔吐するとはツイていない。

幸いそれ以上は悪化していないが、大事をとって今日の帰宅は中止にした。

寒くなる前に、父に実家や可愛がっていた鳥を見せてあげたいと思っているのだが・・・

さて、次はいつにしようか。






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雪降る前に

2016-09-20 17:43:00 | 日記
秋が深まってくるこの時期、私はにわかに病院通いに忙しくなる。

そう、雪が降る前に気になる所は全て病院で診てもらおうと思うのだ。

冬になってから雪道を運転して行くことはできるだけ避けたい。

車なしは考えられない生活で、雪道の運転をしなければならないのは変わらないのだが、リスクはできるだけ減らしたい。

30年近くも運転してきたが、やっぱり冬道は怖いと思う。

つるつる路面でブレーキを踏んでも止まらない時の恐怖と言ったら・・・ぶるぶる。

さて、何の話だったかしら。

そうそう病院へ行く話だった。

そんなわけで雪が降る前にと、最近は眼科と歯科医院へ行き、久しぶりに産婦人科へも行った。

そして、今日はかねてから予約を入れていた美容整形外科に行ってきた。

美容整形外科は何年か前に顔のシミを取ってもらいに行って以来なのだが、今日はシミではなくてイボらしきものを診てもらう為に行ってきた。

それは今年になってから頬にできた。

最初はすこし痒みがあり、そのうちに盛り上がってきてしまった。

ごく小さな盛り上がりでお化粧をしてしまえばわからないので、しばらくそのままにしていたら、今度は二個目ができてしまった。

このままどんどん増えていったらどうしよう~と思った。

いろいろ調べてみると、それはどうやらイボではないかと思った。

そこでさっそく病院へ行くことにしたのだが、診断はやはりイボで、ちなみにウイルス性ではないというので安心したのだが、一つ気になっていたことを思いきって医師に聞いてみた。

「老人性のイボですか??」

すると私のは老人性のイボではなく、体の免疫力が落ちてきた時などにできるものだったらしい。

ちょっとホッとした気持ちにもなったのだが、若いころはできなかったようなイボができるなんて、やはり加齢も関係しているのだろう。

また紫外線の影響なんてこともあるのかもしれない。

病院ではレーザーでイボを切除したのだが、小さなものだったのであっという間に終わった。

病院はできることなら行きたくない場所だが、やはり気になった時にはそのまま放置せずに行きたいと思う。

これは母が病院へ行かずに手遅れになってしまったことが教訓になっている。

あちこち病院通いをしている私を見て、夫は「どれも命にかかわるようなものじゃないから良いじゃないか」と言う。

そうだね、本当にそう思う。

こんなことは全然大したことではない。

今日も健康で暮らせることは決して当たり前ではなく、本当にありがたいことだったなぁと絆創膏を貼ったほっぺを撫ぜながら思っている。








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メイク

2016-09-15 15:00:54 | 日記
先日、次女ピーチが3週間の英国の短期留学を終えて帰ってきた。

ピーチはと言えば、よほど留学が楽しかったのか、帰国してからずっと英国の話をしている。

いろいろな場所へ行った事、美術館を見たこと、ホストファミリーのこと、留学で来ていた他大学の日本人学生や海外からの学生たちとの交流があったことなどなど土産話は終わることがない。

ピーチ曰く「最初の三日間は来てしまったことを激しく後悔していた。(言葉がわからなくて)毎日生きていくのに精一杯だったけど、そのうちどんどん楽しくなっていった」そうだ。

たくさんの写真を見ながら訪れた場所の話もしてくれたが、やはり一番は人との出会いや交流の話だろうか。

意外なことに英国では、お店のレジの人を始め、現地の人からたくさん日本語で話しかけられたそうだ。

「こんにちは」という挨拶だけの人もいれば、流暢に日本語を話せる人もいて、ピーチはなぜ自分たちが韓国人でもなく、中国人でもなく、日本人だとわかったのかが不思議で聞いてみたそうだ。

すると、その英国人は「違いはすぐわかる」と言って、その違いを教えてくれたそうだ。

「まず身なりが違う。日本人は身なりがきれい。髪もきれいに整えている。韓国人も身なりは奇麗だが、服装の感じが違うし、顔も違う。日本人女性はほっぺが赤い」とのことだった。
(余談だが、韓国人Boyも髪型と眼鏡ですぐにそうだとわかるらしい)

「ほっぺが赤い!?」と聞いて、最近の若い女性タレントさんのメイクを思い出した。

赤いチークを頬骨の上、目の下あたりにしっかりと入れている人を最近おおく見かけるようになったと思う。

50を過ぎたおばさんにはなかなかできないメイクだが、それはそれで可愛いいじゃないかと思っていた。

ちなみに目に下すぐに赤いチークを入れるというのは海外ではあまり見られない日本独自のメイクだそうで、昔から花嫁さんや舞妓さんがしているメイクと似ているのだとか。

伝統的なメイクに近くて、見慣れている(?)せいか、わりと違和感がないことから、そのようなメイクが流行ったのかもしれない。

そういえば普段はほとんどお化粧をしないピーチだが、留学前に英国帰りのいとこから「子どもに見られないようにきっちりとお化粧しなさい」と言われていたためか、英国では目の下をしっかりと赤く染めて歩いていたそうだ。

ただ、このメイクなら余計に子供っぽく見えたのではないかと思うのだが、幸いなことに危険なことに巻き込まれることなく帰ってくることができてよかったと思う。

そんなわけで、まだまだ英国熱が続いているピーチだが、帰ってきてからは赤いほっぺになることはもう無い。
今日もすっぴんで外出しようとしたので「せめて日焼け止めは塗っていきなさーい!!」と叫んでしまった。
(最近の太陽は狂暴なので、日焼け止めは必需品)

そういえば・・・

この子のほっぺも赤いチークを入れたようだわ。

オカメインコのP太郎












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走れる

2016-09-11 14:49:07 | 日記
今朝もいつものように先祖供養を済ませてから部屋の掃除をしていたのだが、掃除機をかけながら、普段は思い出すことなどなかった一人の男の子の顔を思い出していた。

それは私が6歳で、ある病気のために入院していた時のことだった。

その大きな総合病院の小児病棟には、様々な病気の子供たちがたくさん入院していた。

面会謝絶の札がかかっているような重たい病状の子もいれば、見た目はわりと元気そうな子もいて、治療のおかげで熱や痛みが無くなった私は元気そうに見える子どもの部類だったと思う。

しかし元気そうに見えても病気が治ったわけではないので、できるだけ安静にしてベッドの中で過ごさなければならず、病状が安定している時はとても退屈だった。

入院中の楽しみといえば、本を読むことと夜に病室の窓からキラキラとネオンが変わる電飾看板を見ることで、あとは小児病棟のロビーに備えられているテレビをほかの子供たちと一緒に観ることくらいだった。
(当時はまだ病室にテレビが普及していなかったので、大勢の入院患者さんと一緒にロビーで観ていた)

その男の子は私と同じく小児病棟に入院していた。年齢は同じくらいだったかと思う。

むくんでパンパンに膨らんだ顔をしていて、病状はあまり良くないようだったが、たまにロビーに来てテレビをみることがあった。

ある日、どのような経緯だったか忘れたが、入院している子供たちが大勢ロビーに集まっていた時、なぜかみんなで一斉に走りまわるということがあった。

特にルールのある遊びをしていたわけではなかったが、小さな子供たちがよくするように、ただ意味もなく走り回りまわることが楽しかった。

みんな大きな声で笑い、そしてキャーキャー言いながら走った。

世の中にこんな楽しいことがあったのかと思った。

あのひと時は今思い出してみても、今までの人生の中で体験した「楽しい出来事」の「ナンバーワン」と言ってもいいほど楽しかったと思う。

そして、その中に顔がむくんでしまった男の子がいたのだが、その子も一緒に笑顔で走っていた。

しかし、そんな楽しい時間も一瞬の出来事で、慌てて飛んできた看護婦さんから「早く自分のベッドに戻りなさい!」と叱られて解散となった。

そして、それ以来その子を見かけることは無かったのだが、ある日見舞いに来た母から、その子が亡くなったという話を聞かされた。

「かわいそうにね」と涙ぐむ母を見ながら、もうあの子とは遊べないんだなと思った記憶がある。

なぜ今、急にその子の顔を思い出したのだろうか。

もしかしたら、塾で当時の自分と同じ年頃の子供たちを見ているからかもしれない。

塾ではどの子もはしゃぐことなく、みんな静かに勉強をしている。

学校で疲れたのか、こっくりこっくりと鉛筆を握ったまま居眠りをしている子もいて、そんな姿を見ながら「この子たちも元気いっぱい走ったり、はしゃいだりするのだろうなあ、そんな姿も見たいなあ」と思っていた。

世の中には走り回りたくても走れない人は大勢いる。

病院で一緒だったあの子も、きっともっともっと走りたかっただろうと思う。

中学生になる頃に病は完治し、今は走りたければいつでも走ることができるようになった私。

いつでも走れるということが当たり前になり、走ることは今の私にとって楽しいことでもなんでもなくなってしまった。

今朝はその子のことを思い出したことで、また走れることのありがたさを思い起こさせてもらえました。

感謝






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未来に生きる人のために

2016-09-06 16:31:36 | 日記
猿人が果たして本当に今の人類の祖先なのかどうなのかわからないが、仮にそうだとして人類の祖と言われる最初の猿人が現れたのが、今から五百万年前のことと言われている。

それから直立歩行をするホモハビリンスが現れたが150万年で絶滅、次にジャワ原人とも呼ばれているピテカントロプスが現れて60万年で絶滅した。

さらに次に現れたネアンデルタール人は20万年で絶滅し、そのあとのクロマニヨン人は10万年で絶滅した。

こうして人類は出現と絶滅を繰り返し、そして現代人へと続いてきたのだが、不思議なことに脳の重さが大きくなればなるほど絶滅のスピードが早くなっているそうだ。

これは、より脳の重たい新人種が脳の軽い人種を滅ぼしたということがあるのだが、それ以外に厳しい自然界で生き残ることが難しかったともいわれている。

しかしここで疑問なのだが、なぜ脳が大きくなればなればなるほど絶滅のスピードが早くなっているのかということであり、それはもしかしたら自然界と調和できたかできなかったかの違いなのではないかという説がある。

人類の脳が重くなればなるほど(知能が高くなればなるほど)食料を確保する力が高くなり、それによって人口も増えていく。

人口が増えると、そこには社会が生まれ、文明が生まれる。(争いも増える)

しかし、自然と調和できない文明はガン細胞のように自然を破壊しながら増殖し、最後は滅亡の道を辿る。

そして究極の自然破壊が現代なのだろうと思う。

今回は大きな台風が何度も来た。

台風はめったに来ないと言われている、ここ北海道でも大きな被害に見舞われた。

特に川の氾濫によって町も畑も泥にまみれてしまった。

しかし川の氾濫も自然の摂理であり、古代から川が氾濫することによって陸地に豊かな土が供給されてきたのだ。

現代は堤防や護岸工事によって豊かな土が供給されなくなり、その結果土地が荒れてしまうということが起きている。

自然の脅威に対しての策をとることは、もちろん必要なことだが、自然と調和できない対抗策は環境破壊につながるのかもしれない。

今日も朝から強い雨が降っている。

すでに冠水している町も出ているようだ。

大きな被害が出ないことを祈るばかり。

そして今までの人類の絶滅のサイクル通りであれば、そろそろ現代人もタイムリミットが迫っているのだが、そのサイクルが一発逆転で変えられることを祈らずにはいられない。

未来に生きる子どもたちのために。








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ひとりでできるもん!?

2016-09-05 14:18:51 | 日記
英国に行っている次女ピーチからたまにメールが届くのだが、同じ留学生の友だちがたくさんできたらしい。

留学生の国籍は様々なのだそうだが、特にアジアの国から来ている学生は同国人同士で固まる習性があるらしく、それは日本人も同じなのだとか。

留学へ行く前は「英語の勉強に行くのだから、向こうでは日本語は話さない!もちろん日本人とも話さない!」と言っていたピーチだが、メールを読むと、語学学校で知り合いになった日本人の女の子たち4~5人で行動することが多いと書いてあった。

休日の自由行動で、観光や買い物など一緒に行動しているという。

初めて生活する海外で心細さの中、言葉が通じるというだけで何か安心感が生まれるのだろう。

親としては、せっかく英語の勉強に行ったのに日本人同士で固まってもったいない・・・と思うのはじつは二の次で、女の子が一人だけで外国を観光して歩くより集団で歩くほうが安心だという気持ちになっていた。

ところがピーチはそれがストレスになっているそうだ。

「みんなと買い物へ行くと、なにか物を見てはかわいい~!かわいい~!を連呼しなくちゃいけなくて嫌だ!一人で自由に歩き回りたい」
そのように書かれたメールを読んで笑ってしまった。

20歳くらいの女の子たちが、ショッピングしながら「かわいい~!」「かわいい~!!」と言っているのが目に浮かぶようだ。

実際に買い物で高校生の女子たちが「かわいい~」を連呼し合っている現場を見たことがある。

どこがどう可愛いのかを語るでもなく、ただひたすら「これ、かわいい~」「うん、かわいい~」を言い合っていたが、きっとあんな感じなのだろう。

「無理して、一緒にかわいい~なんて言わなくていいんじゃないか?いつものように(?)ブスっとした顔をしていれば・・・」
そう言ったのは夫だったが、それは男の意見だろう。

女同士、波風を立てず円満な人間関係を築くには、嘘でも一緒に「かわいい~!」を連呼しなければならない時もある。

ただ、私は無理だが・・・

私は女同士の円満な人間関係より、ストレスのない一人での行動を選びたい。

だからピーチの言うことはよくわかった。

「ひとりで行動する時はじゅうぶん気をつけてね」と返信しておいたが、数日後「友だちには悪いけど、一緒に行けないって言って、ひとりで行動してきた」というピーチからのメールが来た。

文面からピーチの心が弾んでいるのが読み取れた。

さて、そんなわけで帰国まで残りわずかとなってきたが、ピーチには安全にじゅうぶん注意して、実りある留学生活を送ってほしいと願うばかりだ。








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