毎週、父の顔を見に行ってる。
父は体調の良いときもあれば悪いときもあり、良い日は生き生きと饒舌にしゃべるのだが、悪い日は深いため息をつき、うなだれて今にも死んでしまいそうなくらいに見える。
そして最近の父は、調子がいまいちと言う日のほうが多く、先日訪ねた時も精気のない顔で座っていた。
「具合はどう?」と聞くと小さな声で「よくないな・・・」という返事が返ってきた。
父の元気がなくて、なかなか話も弾まなかったのだが、ある話題をきっかけに父は元気を取り戻した。
それは「お父さん、今度久しぶりに家に帰ってみようか」と言う妹の言葉だった。
歩けなくなってから、もうずいぶん父は家に帰っていない。
実家は階段があって、歩けない父を連れて帰るには難しいからだった。
「じゃあ、頑張ってもう少し歩く練習をしようね!」と言うと、明るい顔になった父は急に元気にしゃべり始め、その後もずっと生き生きとしていた。
「生きる目標」と言ったら大げさかもしれないが、生きる目標を持つことによって人は信じられないような奇跡を起こすことさえあるのかもしれないと思う。
ある本で東日本大震災での出来事を読んだ。
福島県のある小学校の話です。
あの日、2011年3月11日の三日前にも大きな地震があったそうだ。
いつも訓練をしていたように、6年生が1年生全員の手を引いて、学校の裏山に避難した。
裏山は二つあったのだが、片方は昔、津波に襲われたという言い伝えがあり、もう片方は安全な山と言われていたそうだ。
その日は、もちろん安全な山に避難して、何事もなく終わったそうだ。
そして、それから三日後。今までに経験したことがない揺れだった。
すぐに6年生は1年生の手を引き、避難を始めることになった。
先生は、6年生に「一人も欠けることなく、全員が助かること。全員が生き延びること。それが大事な目標です。先に行きなさい。先生はすべてを見回ってから追いつきます」と言って大急ぎで子どもたちを送り出した。
先生は残っている生徒がいないか校内を確認したあと、急ぎ飛び出し追いつこうと、子供たちが向かっているはずの山を見上げたところ、なんと子どもたちは、行ってはいけないほうの山に向かっていた。
「そっちじゃない!戻って、戻って」と叫んだが、必死に逃げている子どもたちにその声は届かず、先生はどちらへ行くべきか一瞬迷ったが、自分ひとり助かっても仕方ないと、子供たちのあとを必死で追いかけたそうだ。
「早く、上まで登って!」
そう言いながら後ろを振り返った瞬間、津波はもう足元まで来ていたそうだ。
(津波というのは音もなくやってくるそうだ)
そして、ようやく山の頂上に辿り着き、もう一方の山を見ると、なんと安全なはずだった山が津波に飲まれていたそうだ。
何が子供たちにこちらの山を選ばせたのか?
「全員が助かること」という生きる目標が、子供たちの潜在意識に働きかけ、火事場の馬鹿力的判断力を生んだのかもしれないと、本では結ばれている。
今、病気であっても、健康であっても、生きる目標を持つことによって、もしかしたら無意識から働きかける判断力や回復力が現れることがあるのかもしれない。
また、災害の場合にも備えて、できるだけ良い選択をするには、今どうすればよいのか、何をすればよいのかと日ごろから考えておくことも大切かもしれない。
父は体調の良いときもあれば悪いときもあり、良い日は生き生きと饒舌にしゃべるのだが、悪い日は深いため息をつき、うなだれて今にも死んでしまいそうなくらいに見える。
そして最近の父は、調子がいまいちと言う日のほうが多く、先日訪ねた時も精気のない顔で座っていた。
「具合はどう?」と聞くと小さな声で「よくないな・・・」という返事が返ってきた。
父の元気がなくて、なかなか話も弾まなかったのだが、ある話題をきっかけに父は元気を取り戻した。
それは「お父さん、今度久しぶりに家に帰ってみようか」と言う妹の言葉だった。
歩けなくなってから、もうずいぶん父は家に帰っていない。
実家は階段があって、歩けない父を連れて帰るには難しいからだった。
「じゃあ、頑張ってもう少し歩く練習をしようね!」と言うと、明るい顔になった父は急に元気にしゃべり始め、その後もずっと生き生きとしていた。
「生きる目標」と言ったら大げさかもしれないが、生きる目標を持つことによって人は信じられないような奇跡を起こすことさえあるのかもしれないと思う。
ある本で東日本大震災での出来事を読んだ。
福島県のある小学校の話です。
あの日、2011年3月11日の三日前にも大きな地震があったそうだ。
いつも訓練をしていたように、6年生が1年生全員の手を引いて、学校の裏山に避難した。
裏山は二つあったのだが、片方は昔、津波に襲われたという言い伝えがあり、もう片方は安全な山と言われていたそうだ。
その日は、もちろん安全な山に避難して、何事もなく終わったそうだ。
そして、それから三日後。今までに経験したことがない揺れだった。
すぐに6年生は1年生の手を引き、避難を始めることになった。
先生は、6年生に「一人も欠けることなく、全員が助かること。全員が生き延びること。それが大事な目標です。先に行きなさい。先生はすべてを見回ってから追いつきます」と言って大急ぎで子どもたちを送り出した。
先生は残っている生徒がいないか校内を確認したあと、急ぎ飛び出し追いつこうと、子供たちが向かっているはずの山を見上げたところ、なんと子どもたちは、行ってはいけないほうの山に向かっていた。
「そっちじゃない!戻って、戻って」と叫んだが、必死に逃げている子どもたちにその声は届かず、先生はどちらへ行くべきか一瞬迷ったが、自分ひとり助かっても仕方ないと、子供たちのあとを必死で追いかけたそうだ。
「早く、上まで登って!」
そう言いながら後ろを振り返った瞬間、津波はもう足元まで来ていたそうだ。
(津波というのは音もなくやってくるそうだ)
そして、ようやく山の頂上に辿り着き、もう一方の山を見ると、なんと安全なはずだった山が津波に飲まれていたそうだ。
何が子供たちにこちらの山を選ばせたのか?
「全員が助かること」という生きる目標が、子供たちの潜在意識に働きかけ、火事場の馬鹿力的判断力を生んだのかもしれないと、本では結ばれている。
今、病気であっても、健康であっても、生きる目標を持つことによって、もしかしたら無意識から働きかける判断力や回復力が現れることがあるのかもしれない。
また、災害の場合にも備えて、できるだけ良い選択をするには、今どうすればよいのか、何をすればよいのかと日ごろから考えておくことも大切かもしれない。