ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

愛の力・・・?

2015-04-27 15:53:13 | 介護
最近、高齢者住宅に入居している父の所へ行くと、帰りは自分の気持ちが沈んでいることが多い。

それは行く度に父が弱ってきているということが感じられるから。

今回は部屋に入ると、いつもはいるはずのベッドの中に父の姿はなく、どうしたのかとトイレを覗くと父はトイレの中にいた。

病気のせいもあって失禁があるため、普段から紙パンツをはいているのだが、まだ自分でトイレに行こうとしてくれる。

ただ見る限り、つらそうにやっと便器に座っているという感じがする。

案の定、トイレから出てきた父は荒い息遣いをして、ベッドに入って横になってしまった。

トイレからベッドまでの距離はわずか2メートルといったところだが、それでも身体がつらいという。

最近では、父が起き上がっているということはなく、いつもベッドに横たわったままで会話をしている。

そして去年までのように、話好きな父が一方的に延々としゃべって話が終らないということはもうない。

話題も少なくなってきたし、口数も少なくなってきた。

こちらが話さないと、沈黙が続くこともある。

これは、今までの父には考えられなかったことだ。

「明日、○○(弟)たちが来るよ。覚えている?」

そう父に言うと「そうだったかな?何時ごろ来るんだ?」と父が言った。

この会話は、これでもう何回目になるだろう。

本州に住む弟一家が遊びに来ることが決まってから、父には妹からも含めると、もう10回以上は伝えているが、父の脳には「弟たちが来る」ということがなかなか定着しないようだ。

そんな会話をしていたら、職員さんが「食事ですよ」と言いに来てくれた。

ベッドの中の父は、下着姿なので、食事に行く為には洋服を着なければいけない。

そこで、父の洋服を持ってきて着替えを手伝おうとしたら、父はようやくベッドの縁に腰掛けていたが、頭を下げたまま、深いため息をついていた。

「あぁ、身体がこわい(つらい)、食欲もないし、行きたくないなぁ」

その様子を見る限り、父は本当に心底つらそうだった。

よほど身体がつらいのだろうということは、見ていても分かった。・・・が、自分でできる限り体を動かしてくださいと医師にも言われているので、なんとか服を着替えて食堂まで行かなければならない。

父も意を決したように「じゃあ、行くか・・・」と言いながら、時間をかけて洋服を着替え、体を支えて起き上がらせて、食堂まで一緒に歩いていった。

それにしても、あんなに身体がつらそうな父を見ていると、もう肉体を脱ぎ捨てたいだろうなぁなんて父の気持ちを想像してしまう。

父が本当にそう思っているかどうかは分からないが、私が父ならそう思う。

以前、まだ父が元気だった頃、父に聞いたことがある。

「もしもお父さんが意識が無くなって、病院でチューブに繋がれることになったら、それでも延命治療はしてもらいたい?」

父はもう歳なので、万が一の時に父の希望通りにしてあげようと思って父に聞いたのだった。

「チューブに繋がれて生きるのは嫌だから、延命治療はしない」
父はきっとそう言うだろうと思って聞いたのだが、返ってきた答えは意外にも「チューブに繋がれても生きたいから延命治療をしてくれ」とのことだった。

父は今もそう思っているのだろうか・・・

103歳で現役の美術家の女性が「長く生きたいと思うのは、生き物としての本能。年老いるとそうなる」と書かれていたことを思い出した。

もう父にはそれは聞かないが、万が一の時は最初に父が希望したとおりにしてあげようと思っている。

さて、弟一家が父の所に一年ぶりにやってきた!

父と一年ぶりに会ってきた弟に「お父さん、寝たきりだったでしょう?すいぶん弱ったでしょう?」と聞くと「いいや、お父さんはちゃんと洋服を着て、起きて待っていてくれた」と言ったのでビックリ仰天だった。

「洋服を着て、起きて待っていたの?
・・・ってことは、来ることを知っていたってこと?」と聞くと「そうみたいだ」と弟が言った。

弟が父に会いに行った前日に、私が「明日、○時に弟が来るよ」と父に伝えたことを、父は覚えていたんだ。

今まで何度言っても忘れていたのに・・・

弟と一緒に行った妹によると、「お父さん、すっかり元気になって、よくしゃべるし、頭もしっかりして見違えちゃった。まるで一年前のお父さんに戻ったみたいだったよ」とのこと。

きっと父は息子である弟が来ることをとても楽しみにしていたのだ。

息子の前ではしっかりとした父親でいたかったのだろう。

だから頑張って洋服を着替えて、ベッドから起きて弟を待っていたのだ。

人間の気力、精神力たるやすごいものがある。

今にも死にそうだった老人がこれほどしゃっきりするとは、愛する息子の力はすごい。

弟が帰った後、父はへなへなとベッドに倒れこんだかもしれないと思いつつ、父はまだ大丈夫かとすこし気持ちが明るくなった。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心配はいらない

2015-04-20 18:14:13 | 日記
次女ピーチを進学した大学のある街に残してきてから、早2週間が経った。

今の時代は便利なもので、携帯電話で手軽に話すこともできるし、スカイプでお互いの顔を見ながら話すことだってできる。

夫も今から30数年前に関東地方で4年間の学生生活を送ったそうだが、当時は携帯電話もなく、部屋には固定電話もなかったので、ほとんど家に電話をすることはなかったそうだ。

しかも関東から北海道への電話料金は恐ろしく高かったそうで、話は手短に「○日に帰る。金送って」だけだったとか。

さぞや親は心配していただろう。

その話をすると、夫の親であるお姑さんは懐かしそうに言う。

「遠いから行けなかったけど、心配だったさ。
一度だけ息子(わたしの夫)のアパートに行ったことがあるんだけどね、一人で買い物に出たら迷ってしまって、アパートに帰れなくなったんだ。
どうしようかと思っていたら、ちょうど交番があったので、おまわりさんに頼んで家まで連れて来てもらったさ」

あら~お姑さんも私と同じように迷ったんだね。

ところで、いまや携帯電話でメールも電話もし放題。

・・・で、今は一日に一度は必ずピーチにメールをしている(過保護な親ですが・・・)

書くことは大体いつも同じようなことばかりで、まさにこんな感じ↓

「元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る」

さだまさしさんの案山子より


子を想う親の心を見事に表現した名曲ですねぇ。

ところで、ピーチの住むアパート近くの小さな神社にお参りすることはできたが、実はもう一箇所、ぜひ行きたかった神社があった。

こちらは残念ながら時間が無くて行けなかったのだが、ピーチがいる間に必ず行こうと思っている。

「心配はいらない」

そんな声が自分の中から聞こえてくる。ピーチは大丈夫だと思える。

行きたかった神社の代わりにではないが、久しぶりに相馬神社へ参拝に行ってきた。

こちらも年末に行ったきりで、その後ずっとまた行きたいと思い続けていた。



桜の花はまだまだだが、なんとなく春の装いで気持ちがよかった。

もちろん神社では願い事ではなく感謝のみを捧げているのだが、相馬神社へ行くと、つい無意識の中で「原発の終息」を願っている自分がいる。

相馬神社は福島県の神社からの御分霊なので、手を合わせるたびに原発事故が頭に浮かぶ。

こちらも「心配はいらない」と言ってほしい。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チリメンアオジソがアルツハイマーに効く!?

2015-04-16 17:03:02 | 介護
昨日、父の認知症について書いたが、今朝の新聞を開いたら、なんと認知症(アルツハイマー型)の発症や進行を抑える可能性がひとつ見つかったという記事が載っていた。

なんとよいタイミングなんざんしょう。

4月16日付、北海道新聞に載っていた記事

「シソに抑制効果か」

室蘭工業大大学院工学研究科のチームは、シソ科の植物に含まれる化学成分が、アルツハイマー病の発症や進行を抑える可能性を突き止め、昨年末に国内特許を出願した。

特に有用性が見込まれるのがチリメンアオジソ。

特許を出願したのは徳楽清孝准教授、上井孝司准教授のチーム。

アルツハイマー病は認知症の一種で、タンパク質「アミロイドベータ」が脳内で凝集し、蓄積することで発症するとされる。

チームは、アミロイドベータの凝集を抑える物質を効率的に探す顕微鏡システム「MSHTS法」を開発。(この論文は2013年8月、米科学誌プロスワンに掲載された)

MSHTS法で香辛料や海藻など生活に密着した約200種類の植物を調査し、シソ科のハーブで凝集阻害効果が高いことを突き止めた。

中でもチリメンアオジソの葉は、次に効果の高いスペアミントの約40倍の効き目があった。

徳楽准教授は「今のところ、チリメンアオジソに匹敵する効果の植物はない」と語る。

今後は他大学や企業と連携して生物への効能を確かめ、海外特許の出願と海外専門誌への論文投稿も行っていく。


私は、みょうがやネギなど香りの強い野菜が好きで、シソももちろん好きなので、これが事実ならばアルツハイマーの予防の為に、シソをどんどん食べようかなと思う。

今年は畑にたくさんアオジソを植えよう。

そして、シソジュースを作って父に飲んでもらおう。

父はアルツハイマー型ではないけど・・・まぁいいでしょう。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症

2015-04-15 14:52:05 | 介護
しばらく会いに行っていなかった父の所へ行ってきた。

久しぶりに会うので、もしや父に忘れられていないだろうかと心配だった。

部屋に行くと、父は昼間だというのに相変わらずベッドの中にいたが、私の顔を見ると「おぉ来たのか」と言ってくれた。

よかった、忘れられていなかった。

とはいえ、父の認知症である「レビー小体型認知症」は、物忘れという症状があまり無いのが特徴なので、私たち家族のことを忘れてしまうということは無いのかもしれない。

レビー小体型認知症・・・これは最近になってやっと色々なところで目にするようになってきた。

それまで認知症というと「アルツハイマー」というイメージがあったが、これはアルツハイマーとは症状がぜんぜん違う。

物忘れから始まるのがアルツハイマーに対して、レビー小体型は物忘れが合図ではなく、そこにいないはずの人や動物や虫などが見える幻視が特徴的だそうだ。

父の場合も、最近は薬で幻視を見なくなったが、夜中に他人が部屋に入ってきたと言うことがよくあった。

他の症状としては、認知の変動といって、頭がハッキリしているときとボーっとしている時がある。

また、めまいや尿失禁、頑固な便秘などの自律神経障害から始まることも少なくないそうだ。

このような症状は、父の場合、今にして思えば10年くらい前からあった。

10年前と言うと、父は70代前半でまだ体力もあり、自発的にウォーキングをしたり、車を運転してどこでも出かけていた頃だったが、「不思議なんだ。仏壇でお参りをしていたら、時々小さな白い蝶が自分の周りを飛ぶんだ」などと話すことがあった。

これは多分、幻視と言われるレビー小体型の症状だったのだと思う。

また、立ち上がった時などにめまいもよく起こしていたようだし、いつも頑固な便秘に悩まされていた。

この時レビー小体型認知症のことを知っていたら、すぐに治療を始めていただろうし、そうすれば今はもう少し進行が遅れていたかもしれない。

認知症といえば物忘れというイメージがあり、物忘れなどもせず、しっかりとしているように見える父が、まさか認知症に罹っているとは当時は思いもよらなかった。

レビー小体型はアルツハイマーと違って、まだまだ認知症の専門医でさえ診断がつかないことが多いそうだ。

認知症の第一人者である横浜市立大学の小阪氏が多くの認知症患者を診察をしてきた結果、現在、認知症と診断される患者のうち、アルツハイマー型が半数を占め、レビー小体型が20パーセント、15パーセントが血管性認知症だったそうだ。

しかし厚生労働省の発表では、アルツハイマー型が70パーセント、血管性が20パーセント、レビー小体型はたった4パーセント強となっている。

これは、いかにレビー小体型が専門医でさえも診断することができていないかということを表している。

医師が知らないために、うつ病や統合失調症、老年期精神病、アルツハイマー型などと誤診されることがあり、抗精神病薬が処方されて非常に攻撃性が高くなるといった副作用を起こしていたという事例もあるそうだ。

しかし、ここ最近はレビー小体型認知症というものをよく目にするようになってきた。

それは、レビー型がアルツハイマー型に次いで多く、最近では増加傾向にあるという事が知られるようになってきたからかもしれない。

現在の認知症高齢者は推定462万人、10年後にはそれがなんと700万人になるという。

早く効果的な治療法が確立されてほしいと願う一方で、自分も認知症にならないように、食べ物などを気をつけようと思う。

父がどんどん寝たきりに近くなっていくのを目にする度に、何とかしたいという歯がゆい気持ちとあきらめの気持ちが交差する。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もの思う鳥

2015-04-13 15:57:27 | 日記
ピーチと一緒に関東へ行くために4日間ほど家を空けたのだが、帰ってきってみたらオカメインコのP太郎の様子がいつもと違っていた。

鳥かごの側面に張り付いたまま、切れ間なく人を呼ぶ鳴き声をあげている。

夫に私たちが居なかった時のP太郎の様子を聞くと、特にいつもと変わったところはなかったそうだ。

ただ夫も長女チェリーもお姑さんも、普段はP太郎をかごから出して遊んであげるということはしないので、いつも出して遊んでいる私とピーチが居なくなってから、P太郎はずっと鳥かごの中に入りっぱなしだったそうだ。

「きっと出たかったんだ」

そう思ってP太郎をかごから出して、しばらく遊ばせてあげたのだが、かごの中に入れるとまた鳴き続ける。

「よほどかごから出たかったんだねぇ。かわいそうに」と、それからできるだけ一日に何度もP太郎をかごの外に出して遊ばせたのだが、P太郎が普段の落ち着きを取り戻すまで3日ほどかかってしまった。

オカメインコは野生では集団で行動するとか。

野生の中で仲間からはぐれてしまう事は死を意味する。

P太郎とは1~2を争うくらいふれあっていたピーチと私、P太郎にすれば急に「仲間」がいなくなったので落ち着かなくなってしまったのかもしれない。

やっと落ち着きを取り戻したP太郎だったが、一番好きな次女ピーチの姿がないので、ピーチが居た頃のように、甘えた声でピーチを呼ぶこともなく、笑うこともなくなってしまった。

P太郎にとって2番手の私ではピーチの代わりにはなれないのだろう。

鳥にも感情がある。

そう思ったのは、P太郎を飼うようになってからだった。

嬉しいときはうれしそうな顔をして、時には人間のモノマネでおぼえた笑い声をあげる。

一番なついているピーチに甘えるときは、普段は聞いた事もないような、まるで親鳥に餌をねだるヒナのように甲高い声でピイーピイー鳴き、自ら首を下げて頭を掻いて貰うことを要求してくる。

しかしピーチが大学進学で家を離れた今、P太郎は前のようなはしゃぎ方をせず、どこか寂しそうに見える。

「もの思う鳥たち  鳥類の知られざる人間性」 セオドア・ゼノフォン・バーバー著は、多くの動物学者が鳥を実際に飼ったり、観察したりした結果わかった鳥たちのことが書かれている。

それは今までほとんどの人間が考えたことも無かったこと、鳥たちも物を考えて、感情もあるということが書かれている。

この本を読むと、鳥もまるで人間のように個性があり、恋をしてペアになり愛をささやき合っていたり、喜びの感情や悲しみの感情を持ち、時には踊ったり、歌ったりと、驚くほど豊かな感情を持って生活していることが分かる。

実はこの本を読むのは二度目だが、以前読んだときより今の方が理解できる部分が多かった。

それはP太郎との生活が長くなり(7年目)、前より鳥のことが分かるようになったせいかもしれない。

また、毎年冬になると庭にやって来る野鳥達を見ていて気がついたことも本の中に書かれていた。

それは、野鳥は集団で来る種類もあるが、大体どの種類もペアで来る事が多いのだが、お互いに言葉を交わしているかのように交互にさえずる様子が見られることだった。

けっして同時にピーピー鳴くのではなく、交互に鳴くのだ。

著者やその他の研究者たちが長年鳥を観察した結果、やはり鳥たちはこのようにして会話のキャッチボールをしてコミュニケーションをとっていることが分かったそうだ。

そう思うと、いつも私たちが食べているニワトリだって、同じように感情があるはずだし、牛や豚なども当然のように感情を持っているだろう。

そのようなことを知ってしまうと、お肉を食べることができなくなりそうだが、肉を食べることを長い間の習慣としてきた私たちが、今すぐに肉食を止める事は難しい。

いずれ肉に代わる様な栄養素を持つ食品ができて、動物達の命を奪わずに済む時代がやってくるのかもしれないが、今は命を与えてくれた動物達に感謝して頂かなければいけないと、本を読んでまた強く思う。

ところで、前に「カラス」という題で、カラスの数が減っていることを書いたが、世界中では今カラスだけではない多くの動植物が絶滅の危機に瀕しているそうだ。

特に鳥類は空を飛ぶため、空気汚染の影響を大きく受ける。

また9000種ほどの鳥類の約半数が暮らす熱帯雨林も人間によってどんどん破壊され続けているという。

「鳥や他の動植物の健康や生活を破壊することを通じて、人間は、自分達の健康や環境も破壊している」

そう書かれた本の一文が非常に心に残った。まったくその通りだと思う。



今朝のP太郎。

笑顔はなくどこか寂しげ!?

何を思っているのかな?もの思う鳥でした。。。











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

求めよ、さらば与えられん

2015-04-10 16:03:53 | 日記
前の記事でピーチの入学の為に関東地方へ行った時、たくさんの方に親切にして頂いたことを書いたが、私はたくさんの神様から助けて頂いたと思っている。

神様と書くと、なにか宗教的で迷信じみて聞こえるかもしれないが、私が思っている神様とは誰もがみんな繋がっている神様のことだ。

それはたとえ悪人であっても、全ての人の中にいらっしゃる。

ただ自分の中に神様がいらっしゃることを理解していなかったり、信じていなかったり、エゴが大きすぎて神様が隠れてしまったりしているだけなのだ。

今回逢った方々も、神様が自分の中にいることを意識している人はいなかったと思う。

・・・が、道が分からずに困っているおばさん(私)を気の毒に思って、なんの見返りも期待せず親切にしてくれたのは、まさに各人の中にある良心(神様)がそうさせたのだと思う。

昔は、私も神様の存在どころか自分が神様と繋がっているなんて考えたことも無かった。

もしかしたら子供の頃は純粋にそう信じていたのかもしれないが、普通の人は話題にしないようなこんな話をすると、母があきれた様な口調で「まったく子どものくせに、この子は変なことばかり言う。一体だれに似たんだろうね」と言われた。

母のことは大好きだったが、このように言われることは大嫌いだったし、いつの間にか神様だとか、そんな話をするのは恥かしいことなのだと思うようになった。

もちろん今も本当に分かってくれる人(ほとんどいませんが・・・)にしか話せないことだが、こうしてブログというものができて、このようなことを好きに書くことができるのは本当に嬉しい。

ところで、旅先で出逢ったたくさんの善意の人たちがどのような生活をしていらっしゃるのか、私には知るよしもないが、私もそうであり、普通の人間ならほとんどの人々がそうであるように日々いろいろな悩みや困難に遭遇していることだろうと思う。

もしも自分の中の神様といつでも繋がっている事を知って、それを意識して生活し、エゴを少なくするような生活を心がけたら、きっともっともっと生きやすくなるだろうと思う。

それどころか争いや残虐な行為が繰り返されているこの地球もまた変わっていくのではないかと思う。

(エゴを少なくすること、これは私自身も心がけなければいけないといつも思っている事で、私もまだまだできていないと思っていることなので、自分自身に言い聞かせるように書いています)

聖書の中にこのような文章がある。

「そこで、あなたがたに言う。
求めよ、さらば与えられん。捜せよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求める者は得、捜す者は見出し、門を叩く者には開かれるであろう。

このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い物を与えることを知っているのだ。
とすれば、あなたがたの天の父はなおのこと、どうして求める者にに聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカによる福音書11章9-13節)

誤解されないように書くが、私はキリスト教信者でもその他の宗教の信者でもないが、これはとても真実を現していると思う。

思えば何年か前に悩みを解決したい一心である会に入ったが、入ってまもなく違和感を感じ、それを会の人に言うと「あなたは自分のことしか考えていない。自分さえよければいいのか」と罵倒されたことがあった。

その時「自分はそうではない」と心の中で強く思ったが、「自分のことしか考えていない」と言われたことに対して反論することはできなかった。

さらに「会をやめる」と言った私に「ここをやめてしまえば、絶対にあなたはこの先も救われることはない」と言われたことも、私の心に火をつけた。

「ひとりで道を見つけよう。絶対に心から幸せだと思う道を見つけよう」と決心した。

これは正解だったし、今ではそのように罵倒してくれたことを感謝している。

あの時、会のみなさんに罵倒してもらえていなければ、私は今でも悩みの中にいたかもしれない。

もしも今よりもっと心の安定がほしいと思うなら、既存の宗教に入ったり、浄化の方法だとかアセッションだとか、そんなことをお金を取って教えるような所へ行く必要はない。

これは自分の意思でやることだし、また自分自身にしかできないことなのだ。

だから逆に、このようなことにはまったく興味を持っていない人にあえて勧めたりする必要もないと思っている。

準備ができた人から、心から道を求める人から、やればいいのだ。

聖書にも書かれているように、純粋に神を、そして平安な心を求めれば、必ず必要な人が現われ、そして道は開かれていくと確信している。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あったかいんだからぁ~♪

2015-04-08 15:10:55 | 日記
昨夜、やっと次女ピーチがこれから4年間住むことになる関東地方から帰ってきた。
行きはピーチと二人で、そして帰りは私一人で。

ピーチの住まいを整えて入学式に出てきた。

あとはピーチが新しい環境に早く慣れて、大学生活を充実したものにしてくれることを祈るのみだ。

今回は札幌を出発してから帰宅まで、ずっと雨・雨・雨。
雨ばかりが降っていた。

まず出発当日は、前日までの良いお天気とはがらりと変わって、朝から雷鳴が鳴り響いていた。

厚い雲に覆われた空から冷たい雨がパラパラと落ちてきて、それまで考えないようにしていた見知らぬ遠い土地へ行くことの不安が少しずつ胸の中に広がっていくようだった。

たぶんそれはピーチも同じだったようで、いつもより口数が少なくなっていたが、お互いに口には出さず飛行機に乗った。

羽田までのフライトは思っていたほど揺れが少なく快適だった。

さて羽田についてから、詳しくは書けませんが、いろいろ乗り継いで目的地まで行かなければいけない。

一度アパートを探しに来たことがあるピーチに付いていけばいいと思っていたら「う~ん、これでよかったと思うけど自信ない」と言う。

今日はピーチがいるから大丈夫だと思っていたが、なんとも頼りない言葉に愕然となる。

「えっ、お母さんだって分からないのにどーすんのっ?」と焦ってしまった。

羽田には過去に何度か降りたことはあるが、いつも夫や友人がいてくれたので、私はついて行けばよかった。

だから、ピーチを連れて初めての土地まで辿り着くことができるのか自信がない。

「方向音痴」と辞書で引けば、私の顔写真が出てくるかも知れないというほどの方向音痴の私だが、ここは母親の自分がしっかりしなければいけない。

上からぶら下がっている案内板を頼りに進んでいくしかない。

覚悟を決めて案内板を頼りに、ずっと上ばかり見ていたので首が痛くなったが、「これでいいのか」と何度も確認しながら進んでいったら、なんとかこれからピーチの住むことになる街に着いた。

さ~て、ここからピーチの借りたアパートの部屋まで行かなければならない。

これがまた大変で、バスがあまり通っていない街だとか・・・

バスはあることはあるので、まあなんとかなるでしょと思っていたら電話が鳴った。

アパートを仲介してくれた不動産屋さんだった。

「分かりにくいでしょうから、車でお迎えに上がります」とのことだった。

まさに渡りに船!

即答で「お願いしますっ」と遠慮もせずに乗せてもらうことにした。

ところで、この渡りに船の不動産屋さんもそうだが、今回は本当にたくさんの見知らぬ方に助けられた旅だった。

この街は狭い道が多く、道が入り組んでいて、単純で分かりやすい道路が多い北海道から行くと「ここは巨大迷路か?」と思うくらい分かりにくかった。

一応、簡単な地図は持っていたが、なんせ方向音痴なので、地図を見てもよく分からないことが多く、道行く地元の人を呼び止めて教えてもらうことにした。

するとこんなに親切に教えてもらって申し訳ないというくらい、どの方もみんな親切丁寧に教えて下さった。

中にはわざわざ家から地図まで持ってきて、地図を広げて丁寧に教えてくれた。

そして「その地図をあげるから持って行きなさい」とおっしゃってくれる。

驚いたことに、そうやって地図を見せて教えてくれる方々が一人ではなく何人もいて、せっかくのご厚意なのですべて頂いていたら、カバンの中は街の地図で一杯になった。

他にも道を教えて下さった上にオススメのお店まで教えてくれた方がいた。

「女の子(ピーチのこと)が一人で入って、安心してご飯食べられる店があるの。食事も美味しいし、パンも売っていて美味しいの。私パンを買うことにするから教えてあげる」と言って、本当はパンを買う予定が無かったのにお店まで連れて行ってくれた年配の女性がいた。

犬を散歩させていた若い女性は、わざわざ犬の散歩コースを変えて私と一緒に歩いて道を教えてくれた。

ご近所に住んでいる老夫婦にゴミの捨て方を聞いたら、丁寧に教えてくれた上に「なにか困ったことがあったら、いつでもうちにおいで」とピーチに向かっておっしゃってくださった。

社交辞令だとしても、そのように言って頂けるのはなんとうれしい事か。

地元の神社にご挨拶のお参りをして帰ろうとしたら、向かいの家のおじいさんがにこにこしながら立っていて、ご挨拶をしたら、この辺りの歴史など興味深い昔のお話を聞かせて頂く事ができた。

それから犬を連れた私と同年代の女性と出逢い、犬のことから話が弾んでわずかな時間の立ち話だったが楽しい時間をすごす事ができた。

そして、もうひとつ、「渡りに船」ならぬ「地獄に仏」の救われたような気持ちになった出来事があった。

それは先に不動産屋さんが渡りの船を出してくれたことを書いたが、まるで天の助けと思われるようなタイミングでタクシーが現れるという出来事だった。

ピーチを学校に残し、ひとりで大学からアパートへ帰ることにしたのだが、また迷路のような道に迷い込んでしまった。

周囲は畑が続き、車一台がやっと通れるくらいの細い道。歩いている人もいない。

新しい靴が痛いと言うピーチと靴を交換してきたのだが、やはりものすごく足が痛い。
じんじんとした痛みが襲ってくる。

悪いことに、また雨が降り出してきてしまったが、私は傘を持ってきていなかった。

どうしよう、こんなに足が痛いんじゃアパートを探しながら帰るなんてできないかもしれない。

足は痛いし、雨は降ってくるしで、泣きたくなるような気持ちでよく分からない道を歩いていたら、なんと突然向かい側からタクシーが現れた!

これは嘘みたいだが、本当のはなし。

まさかこんな田舎の細い道に空車のタクシーが来るなんて信じられなかった。

タクシーに乗り込んで住所を言うと、実はアパートはもう近かったらしいのだが、運転手さんは嫌な顔一つせず笑顔で送って下さった。

この街にいる間、天候が悪く雨が降って、思っていたよりずっと寒くて震えていたのだが、出逢った人の心はみんな暖かかった。

そして、見知らぬ人に親切にして頂くたびにいつも心の中に歌のフレーズが浮かんだ。

「あったかいんだからぁ~♪」

札幌を出発する時に胸の中に広がっていた不安な気持ちが、どんどん無くなっていく様な気がした。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする