ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

縁はあったか、なかったか・・・

2013-09-30 12:22:33 | 日記
関東に住む弟が、一年ぶりに家族と一緒に帰省してきた。

父が高齢者住宅に転居したことや、徐々に弱ってきていることなどを電話で知らせてあったので、父の様子を見る為に忙しい仕事の合間を縫って会いに来てくれたのだった。

今回は父も交えて、父の所有する不動産など財産の処遇などを家族だけで話し合おうということになっていた。

父の認知症は、薬で進行を遅らせているとはいえ、やはり日々進んでいるように思う。

だから今、父の理解力があるうちに、父の希望を聞いて、できるだけ父の望みに叶うようにしてあげたいというのが、私達兄妹の一致した考えでもあった。

私は朝早くに高齢者住宅の方へ行き、弟達の到着を待っていた。

しばらくして、到着した弟たちを父の部屋へ案内して、それからよもやま話に花を咲かせた。

歓談の後、弟の家族には観光に行ってもらって、弟と私と妹、そして父の4人で、実家に戻って話し合うことにした。

実家で久しぶりに揃った元の家族。

子供の頃に戻ったようで、なんだかとても懐かしかった。

ここに母も居れば・・・なんて、口には出さなかったけれど、そこにいた家族みんながそう思っていたに違いない。

さて、私や妹はいつも帰っている実家なので珍しくも無いのだけど、年に1度ほどしか帰ってこない弟は懐かしそうに家の中を見回していた。

そして仏壇の置いてある和室に入ると、「どこで音がしていたの?」と、突然聞いてきた。

私は正直「えっ、そんなこと気になっていたの?」と思った。

実は実家へ戻る前、移動の車の中で雑談として、先日書いた「家鳴り」のことを妹が弟に話したのだった。

そして、「お姉ちゃん(私のこと)が祈祷したら、それ以来全然音が鳴らなくなったんだよ」と妹が兄である弟に話していた。

その時、弟はただ黙ってうなずいて、それを聞いていただけだった。

私は妹に「祈祷して・・・」言われて、それはちょっとニュアンスが違うと思いつつ何も言わなかった。

多分、弟はそんな「非科学的な話」には興味がないだろうと思っていたから。

弟は子供の頃から、私や妹と違って勉強熱心だった。

物静かな弟は、いつも机に向かって勉強していたという印象がある。

某国立大を出て大学院へ進み、勉強好きな弟ならそのまま大学に残るだろうと思っていたら、「勉強するのに飽きたから就職する」と言って、とある大手企業に就職した。

そして、そこで薬品の研究をしているのだが、科学的な仕事をしている弟だからこそ尚更、そのような目に見えない世界の話には興味がないだろうと思い込んでいた。

「このあたりだよ」と天井を指差して教えると、「そうか。そうだと思っていた」と意外な言葉が弟の口から出てきた。

「この部屋は向こうに住んでいても、時々思い出して、すごく気になっていたんだ。この家に何かが居ることは、子供の頃から分かっていた。昔から、ずっと感じていたんだ」

そんなことを言い出した弟に、妹も私もすっかり驚いてしまった。

弟によると「自分は他人が見えないものを見ることがあり、それは子供の頃からずっとだった」という事だった。

今まで弟から、そんな話を聞いたことがなかった。

もちろん私も自分が経験したことを弟に話したことがなかったので、お互い様なのだけど・・・

そして、弟が私に「何をした?」と聞いてきた。

何をしたかって?

あぁ、祈祷のことね・・・と思った。

そこで、「それは祈祷ではなく、ただ毎日かかさず先祖供養をしていること。そして、その時、一緒にこの家にいる方の為にお線香をあげて祈ったこと」を教えた。

それについては、私がいつも参考にさせて頂いているブログ名を教えた。

弟とその話は、それっきりで終わり、その後は本題であった父の諸々の問題について話し合いをした。

そして、それから延々と父と兄妹で3時間近く話し合い、これからやらなければならないことが明確になったところで解散することになった。

私が帰り支度を始めていると、弟がメモを手に「さっき言ってたこと、もう一度教えて」と言ってきた。

さっき言ったことって何だろうと思ったら、私が先祖供養の参考にさせて頂いているブログについてだった。

「ブログもいいけれど、たくさん本も書かれているから読んだらいいよ」と教えてあげると、弟はメモを取っていた。

なんだか、ものすごく嬉しかった。

これを機に弟が先祖供養や神祭りを始めてくれたら、こんな嬉しい事はない。

たまにしか帰ってこない弟たちで、帰ってきても仏壇にお線香をあげるわけでもないので、実家のご先祖たちが可哀そうだと思っていた。

もちろん私も実家の方の供養は意識してやっているが、なにより直系の子孫である弟が供養するほうがいいのに決まっている。

弟が熱心にメモをしている姿を見て、それまであまり興味を示さなかった妹までがメモをし始めて「読んでみる」と言ってくれた。

こういうことは、ずっと弟や妹にやってもらいたいと思っていても、なかなか口に出すことは難しいものだ。

特に近しい間柄だからこそ、難しいのではないかと思う。

伝え方によっては「お姉ちゃんが怪しい宗教にハマッた」と心配されるかもしれない。

だから、それをやるもやらないも、本人の縁というものにお任せするしかない。

無理強いをしても、それに見合っただけ拒否されるのが目に見えてる。

でも、多分、弟はやるだろう。

勉強熱心な弟だから、何冊も本を読んで納得してやると思う。

実家からの帰り道、朝からの疲れも心地よく感じながらハンドルを握っていた。








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ドライブ・・・登別方面

2013-09-25 16:44:50 | 旅行
連休最後の日、天気予報では晴天だとのことで、登別方面へドライブに行って来た。

登別はもう何度も行っているが、今回は3つの目的があった。

まず一つ目は、地獄谷のそばの自然の中を散策することだった。

地獄谷は観光地として有名な場所だが、そこから山の方に上がっていくと眼下に白煙をあげる沼が見えてくる。



ここは大湯沼と言い、直径1キロほどの沼になっている。

沼底から高温の硫黄泉が噴出しているそうで、表面のお湯の温度は40~50度あるそうだ。

まさに大自然が作り出した巨大露天風呂と言う感じ・・・
(ちなみにこちらで入浴はできません。あしからず)

そして、この沼へ行く途中、森の中へ入っていく遊歩道がある。

今回、登別へ来た一番の目的は、この遊歩道を歩くことだった。

自宅の周囲もじゅうぶん自然なのだが、時々こうして大自然の中に身を置きたくてたまらない衝動にかられる。

自然の中を歩けるように運動靴を用意してきた。

川に入るためにタオルも用意してきた。

準備万端整えて登別まで来たのだが、なんという事でしょう~

みるみるうちに真っ黒い雲が現れて、雨が降り出してしまった。

しばらく待ってみたが、雨は止むどころか、ますます強くなるばかりで、残念ながら自然の中を歩くことをあきらめ、今回のドライブ2つ目の目的であった温泉に入ることにした。

登別は温泉地なのでホテルや旅館が立ち並び、宿泊しなくても日帰り入浴はたいていどこの宿でもやっている。

しかし、今回は宿の温泉ではなく登別の町内にある銭湯へ入りたいと思っていた。



「さぎり湯」です。

そして、これはさぎり湯の裏口の写真。

なぜ裏口の写真なのかと言うと、これが正面玄関だと思い、間違って裏口から入ってしまったから・・・正面入り口の方はもっと立派でした。

銭湯なので料金は大人390円とお安くなっていますが、ホテルの日帰り入浴のようにシャンプーや石鹸類は付いていませんので、タオルも含めて自分で持参しなければいけません。

さぎり湯の中は、露天はないものの泡風呂をはじめ、源泉かけ流しの3つの浴槽、サウナや水風呂が設置されており、洗い場もじゅうぶんな数がありました。

何より常に流れ出ている源泉賭け流しのお湯が素晴らしいです!

硫黄の匂いがぷんぷん漂う、いかにも身体の効きそうな温泉だった。

こんな銭湯が家の近くにあれば毎日通いたいなぁ。。。

さて入浴後、町内でかるく昼食を済ませ、次に向かったのは本日3つ目の目的地である虎杖浜の干物店。

太平洋が目の前にせまる道路沿いに建つ老夫婦が営む小さなお店。

ここでぜひ魚の干物を買いたいと思っていた。

このお店のおばあさんが作っている魚の干物が絶品!すごく美味しい!

店の軒先には、おばあさんが干した魚がたくさんぶら下がり、美味しいと言う評判が広まってか、休日に行くと魚を買いにきたお客さんの車がいつも何台か停まっている。

ところがなんという事でしょう~

車がいない!魚もいない!

あのおばあちゃん、ずいぶんお歳に見えたから、まさかお店をたたんでしまったのだろうか・・・

おそるおそる店の中を覗くと、閉店したようには見えなかったので、どうやらお休みだったらしい。



目の前に広がる太平洋を眺めながら、しばし呆然。

天気が悪かったのは登別だけだったようで、こちらは晴天だった。

というわけで、ドライブの目的3つのうち叶えられたのは1つだけという残念な結果になってしまった。

でも、久しぶりのドライブは楽しかったです~
















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家の中で音!?

2013-09-20 23:09:30 | 日記
父がいなくなった実家は、ふだんは空き家になっているのだが、時々父が戻ってくるので、近くに住む妹がたまに行って換気をしたり掃除をしたりしている。

そんな妹から「あの家怖いんだけど・・・」と言われたのは1ヶ月くらい前のことだった。

どうして怖いのか聞いてみると、仏壇のある和室で、仏壇に灯明をつけてお線香を焚き手を合わせると、いつも必ずその部屋の天井の同じ場所でミシミシという家鳴りが始まるのだと言う。

妹は知らないのだけど、実は、それはずっと昔からあったことだった。

それは、まだ私が20代で実家に居た頃から分かっていた。

ただ、なぜ仏壇にお参りをすると同じ場所から音が聞こえてくるのかは分からなかった。

単なる自然現象なのか、はたまた心霊現象なのか・・・しかし、そんなことも慣れてくると気にはならなかったし、それ以上考えることもしないまま、結婚で実家を出てからはすっかり忘れていた。

ただ、その当時、私は何度かこの家で怖い経験をしている。

私が見た人とずっと続く家鳴りに関係あるのかどうか、私には分からないのだけど・・・

そのうち父もそのことに気づき、「お参りをすると必ず同じ場所が家鳴りするんだよなぁ」と不思議そうに言っていた。

それにしても、あれから30年近く同じことが続いているとは・・・

妹に「それは昔からだよ」と教えてあげると、妹もなんとなくそうだと分かっていたけど、それが心霊現象だと思うと怖いので、ただの自然現象だと信じようと思っていたそうだ。

ところが、ちょうど1ヶ月くらい前、父が家を出て高齢者住宅へ移って日も浅い頃、妹がまた誰もいない実家で仏壇に手を合わせていると、今度は今までと違う音がし始めたというのだ。

ズシン、ズシンとまるで誰かが一歩ずつゆっくりと地面を踏みしめながら歩いているような音だったそうだ。

ちょうど妹の高校生の息子も一緒にいたそうだが、二人で「一体、何だろう」と震えたそうだ。

ちなみに、その部屋の上は屋根になっていて人が歩けるような場所ではない。

その話を聞いて、私はあることを思いついていた。

そして、妹には「ちょっとやってみたいことがあるから、もう少し待っていて」と伝え、さっそく翌朝から先祖供養の時に一緒に供養を始めた。

実家にいまだにいらっしゃる方に、心をこめてお線香を手向け感謝の気持ちを送った。

始めてみると、今まで30年以上、気にしていなかったのに、実家のそれが急に気になりだした。

何をしていても、そのことが頭に浮かんでくる。

しかし、その度に感謝の言葉をかけ続けた。

そして供養を始めてから二週間が過ぎた時、やっと気にならなくなってきた。

今は思い出したときにだけ祈っているが、先日もそれをしていたところ、心の中に喜びが湧き上がってきた。

もう大丈夫かもしれない。

妹にその後、家鳴りがするか聞いてみたところ「そういえば二週間くらい前から音がしなくなった」ということだった。

二週間前と言えば、気にならなくなった頃と一致する。

「何したの?まさか除霊とか?」と妹が聞く。

「除霊なんて可哀そうなことはしないし、できないよ。ただ感謝の気持ちでお線香をあげただけ」と言うと、妹は不思議そうな顔をしていた。

それは私じゃなくても、妹がやってもよかったと思うが、妹はまだそれをする準備ができていない。

難しいことは何もないのだけど。

だから、妹が言った「除霊」なんてことはしなくてもいいし、仮に除霊をしたとしても、また同じようなことが起こるかもしれない。

ましてやお金を出して、そんなことを他人にお願いするのは愚の骨頂だと思う。

縁のある者が、心を込めて供養してあげることが一番喜んでもらえることであり、効果があるのだと思う。









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親孝行とは

2013-09-17 15:46:58 | 日記
先日は高齢者住宅に入っている父の病院の診察日だったので、一緒に行ってきた。

父の通う病院は高齢者住宅のすぐ隣にあり、その距離わずか200メートルほどの近さなのだが、認知症になってから、父はそんな近い場所であっても迷う恐れがある。

昔から行っている場所ならまだ分かるのだろうが、最近通うようになった所は、何度行ってもまず覚えられないようだ。

そして、病院まで迷って辿り着けないというのも心配だったが、ここ最近また身体がずいぶん弱ったように見えるので、とても一人で行くのは無理だろうということもあった。

午後2時に診察の予約を入れてあったので、すこし余裕を持って家を出ようと思っていた。

ところが、家を出る間際に急用ができてしまい、ようやく用事を済ませて、急いで車で父の元へ向かったが、時間の余裕がなくなってしまった。

でも、このまま行けば2時には間に合うだろうと思っていたら、今度はなんと途中で渋滞になってしまった。

この道は、平日の午後は営業車がたくさん走っていることを忘れていた。

父が待っているかもしれないと思うと気持ちは焦るばかりだが、車が進まないので仕方が無い。

そこで、進まない車の中から父に電話をした。

「お父さん、今そっちに向かっているから待ってて。必ず行くから」と言うと、「分かった」との父の声にすこしホッとして、なんとか父の部屋に1時50分に着くことができた。

病院は隣なので10分あれば間に合う!

それに、さっき父に電話をかけたから、きっと父はすぐ出発できるように準備して待っているはずだと思って、父の部屋に入ったが、まさか・・・部屋には父の姿がなかった。

待ちきれず、一人で行っちゃったんだろうか?

いやいや、高齢者住宅の職員さんがいるのだから、そんなハズは無い。

大慌てで、トイレや食堂などを探し回っていたら、お風呂場から父の声が聞こえてきた。

まさかとお風呂をのぞくと職員さんが、父をお風呂に入れてくれている最中だった。

2時から病院だというのに、お風呂に入ってるとは・・・

あぁ、もう間に合わない・・・

そう諦めたら、不思議なもので、さっきまで焦っていた気持ちが静まった。

お風呂の介助をしてくれていた職員さんは、父がこれから病院だということを知らなかったようで、父もまた病院へ行くことを知ってか知らずか、職員さんに言われるままにのんきにお風呂に浸かっていたらしい。

とりあえず急いでくれるようにお願いして待っていると、父がさっぱりした顔で部屋に戻ってきた。

「お父さん、急いで用意して」とせかしたが、お風呂からあがったばかりの父は、すっかり疲れていて、しばらく休みたいと言う。

そこで父が休んでいる間に、病院に遅れることを伝えに行き、また父の所へ戻り、行く準備を手伝い、やっと住宅の玄関まで降りた(父の部屋は3階なので)ところで、父はまたひと休みしたいと言う。

ずいぶん弱ったなぁと感じつつ、父のペースに合わせる。

休んでからゆっくり歩いて、ようやく隣の病院に着いた。

予約した時間より大幅に遅れたせいか、それから診察までずいぶん待たなければいけなくなった。

しかし、待っている時間は、父と久しぶりにゆっくり話すことができた。

父は上機嫌で色々な話をしてくれた。

そんな嬉しそうに話す父といると、なんだか私も嬉しくなってきた。

「親孝行」なんていうのは、何かしなければいけないと構えてするものではなかった。

ただ、話を聞くだけで親は喜んでくれるものなのだなぁ。

そういう意味では、親を喜ばせることは、そんなに難しいことではない。

たまに話を聞いてあげるとか、離れているなら心配させないように電話やメールでこまめに「元気です」と伝えるとか、普通に当たり前の事でも、親はすごく喜ぶものだ。

自分も親になってみると、そんなことがとても嬉しい。

子供の立場でもっと親を喜ばせたい。

長い待ち時間に父と会話しながら考えていたことだった。










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幸せは自分の心が決めるもの

2013-09-09 18:38:57 | 日記
若い女性の話を聞く機会があった。

家庭的に恵まれていない彼女は、いつも幸せになることを願い、彼女の言葉を借りれば、どこかにあるかもしれない幸せをずっと追い求めているのだそうだ。

かつての私も同じようなことを考えていたので、彼女の気持ちはよく分かった。

あれがこうなりさえすれば、幸せになれる(かもしれない)

もっとお金があれば、幸せになれる(かもしれない)・・・などなど、人間の欲望にはきりがない。

確かにその願いが叶ったら、ひと時の間、幸せを感じられるのかもしれない。

でも、それは所詮つかの間のもの。

また新たな悩みが出てきて、きっと同じように悩むことになる。

その繰り返し・・・

気づかない限り、ずっとその苦しみの輪から抜け出ることはできない。

悩んで、苦しんで、走り回って、疲れ果てて、やっとそれが分かった。

幸せ、不幸せは他人が決めるものではなく、それは自分の心が決めていたものだった。

そして、気づきさえすれば本当の幸せは自分のすぐ近くにある。

その若い女性のことを考えていた時、ある本の中に書かれた一遍の詩がとても心に響いた。

まさに、幸せを追い求めた者がうたった詩だった。

バーリという人の詩だそうです。

私は幸せを自分のものにしたくて追いつづけた

そそり立つ樫の木や揺れるブドウの藪を横目に

丘を越え 谷を渡り 野を走り 草原を抜け

彼女は逃げ 私は追った


私は幸せを追い 急流を必死で渡り

鷲が金切り声を上げる断崖をよじ登り

あらゆる大地と海を旅して歩いた

しかし私は いつも彼女をとり逃がした


疲れ果て めまいがし わたしはもはや追えなかった

うらぶれた岸辺に腰をおろし、私は体をやすめた

ある者が食べ物を ある者がお金を求めてやって来た

彼らの痩せた手のひらに 私はパンをのせ 金貨をのせた


ある者が思いやりを ある者が休息を求めてやって来た

私は彼らに可能なかぎり分け与えた すると見よ!

愛しい幸せが神々しい姿で私のそばに立ち つぶやいた

私はあなたのものです 



作者バーリは次のように語ったそうです。

「善良な思いとともに第一歩を踏み出し、善良な言葉とともに第二歩を踏み出し、善良な行いとともに第三歩を踏み出すことで、私は楽園に入った」

大いなる存在、自然、宇宙すべてに感謝すること、そして先祖供養をすることで、私は苦しみの輪から抜け出すことができた。

まさにその中に、バーリが言う善良な思い、善良な言葉、善良な行いのすべてが含まれる。

その若い女性が早く苦しみの輪から抜け出せますようにと願っている。




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アルバイトしよう

2013-09-05 16:45:23 | 日記
夏休み中の長男パインが二日間のアルバイトに行って来た。

本当は一週間のバイトの予定だったのだが、バイト前日にパインが指を骨折してしまい二日間しかできなくなってしまった。

ふだん大学のある時は忙しくて継続したアルバイトができないとかで、唯一の稼ぎ時?である夏休みのバイトにかけていただけに、パインはとても残念がっていた。

さて、そのバイトというのは某ミュージシャンのコンサート会場の設営と当日の警備だった。

上手くいけばステージを見れるかもしれないと甘い考えもあったようだ。

ところが現場に行って驚いたそうだ。

そこは罵声と怒号が飛び交う修羅場のような現場だったとか。

仕事場であるコンサート会場はステージを作るためにクレーン車が入り、作業をする人たちが忙しそうに動き回っていたそうだ。

そして、そこではアルバイトであるパインたちに容赦ない罵声が浴びせかけられるのだそうだ。

「おい、そこのバイト!バカ野郎!ぼーっとしてんな!」

「何やってんだ!アホタレ!」

バカ、アホと言われ、怒鳴られ続けた二日間だったそうだ。

パインはできるだけ罵声を浴びないように、とにかく仕事を探して(作って?)必死に動き回っていたそうだが、他の人が怒鳴られているのを聞いているだけで、まるで自分が怒られているような気分になって気が滅入ったそうだ。

また、入場するお客さんの持ち物検査も担当し、お客さんにカメラは禁止なので一時預かりますと言う説明をしたところ、「何でなんだよっ!」とすごい剣幕で詰め寄られ困ったそうだ。

もちろん、あわよくばコンサートも見られるかもしれないという期待は打ち砕かれ、コンサートの最中も音楽など聴いている余裕はなかったとか。

パインは怪我の為、たった二日間のバイトだったが、今回は肉体的なことよりも精神的にかなりきついバイトになったようだ。

そして、一緒にバイトに申し込み一週間働いたパインの友人も「あの罵声を浴び続けるのはきつかった。精神的にきつい。これ以上は無理だった」と言っていたそうだ。

そんなバイトを終えたパインから話を聞いた夫は、にやっと笑って「いい経験をしたんじゃないか。バイトってのは、色んな仕事を見てくるということに意味があるんだ」と言っていた。

世の中にはいろんな仕事場があり、そこでいろんな人たちが働いているのだあるのだと知ることは、とてもいい勉強になったと思う。

自由な学生時代にたくさんのバイトをやってみるのはいいことだと思う。

さて、次のバイトの予定を立てているパインが「秋の収穫時に、今度は農家の手伝いのアルバイトに行ってくる」と言う。

そして、その横で「私も早くアルバイトやりたい~!」と叫ぶ次女ピーチがいて(ピーチの学校はアルバイト禁止)、さらにそれを聞いていた長女チェリーが「わたしは毎日働いてる」と言った。

そう、チェリーは毎日作業所から色々な職場に派遣されて働いているのだった。

一番幼かったチェリーが、一番多く働く経験を積んでいるね。




















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荷物は少なめに

2013-09-02 22:53:03 | 日記
今日はいつもの部屋の掃除の前に、不要なものの整理(廃棄)をした。

まず子供部屋のおもちゃ類。

子供達が大きくなるにつれ、ほとんどのおもちゃは処分してきたのだけど、まだすこし残っていた。

まだ遊ぶからと言って残しておいたゲーム類、それからもらいものの大きなぬいぐるみ。

いつか遊ぶと思っていたけど、もうずっと遊ばずに埃をかぶっているので、そろそろ捨ててもいいだろうと思った。

それから、ついでに食器棚の中も整理したくなり、使っていなかった食器もすこし処分することにする。

大きなゴミ袋一杯の不用品を片付けたら、部屋の中がすっきりしたような気がした。

まだ使えるものなので、もったいないと言えばそうなのだが、もらってくれる人の心当たりも無いので、来週のゴミの日に出すことにした。

しかし・・・

来週まで、その不用品の入ったゴミ袋を保管しておく場所が問題なのだ。

それは、けっしてお姑さんの目にふれない場所に置かなければいけない・・・

80代のお姑さんは、多分 その年代の多くの人は同じかと思うが、物の無い時代を生きてきたせいか、簡単に物を捨てることをしない。

たとえ子供が大きくなって、ぜったいに遊ばないだろうと思われるおもちゃであっても「いつか使うときが来るかもしれないから取っておきなさい」と言う。

まして使っていないという理由だけで割れていない食器を捨てると知ったら・・・あぁ恐ろしいや。

だから、うちのお姑さんを含めて今の老人の方々の荷物は非常に多い!

特に女性の方が溜め込みやすい傾向にあるような気がする。

今回、一人暮らしをしていた父が高齢者住宅に入り、実家の荷物を整理しようとして、あまりの荷物の多さにびっくりした。

これは今は亡き母が溜め込んだものだった。

頂き物の食器類やシーツやタオルなどなど、昭和のレトロなデザインの品物が出てくるわ、出てくるわ。。。

新しいまま箱に入ったシーツなどでも、長い年月が経つと黄ばみが出るものなのだ。

せっかくこんなにたくさん新しいものを持っていながら、自分達はずっと古いシーツを敷いて寝ていたことを思い出す。

もったいないと仕舞っておいたのかもしれないが、使わなければ、それこそ本当にもったいない。

だから、私は新しいものでもどんどん使ってしまう。

でも、次々と新しいものは買わないと決めている。

自分に必要な量以上の物は増やさない。

50代になった時、これから自分の身の回りを少しずつ軽くして行こうと思った。

年老いて自分が死んだ時、ほんのわずかな荷物だけしかないというのが私の理想なんだよなぁ。

わずかな衣類と必要最低限の家具だけで、子供達に後始末の負担をかけないというのが理想。

ところで、以前ヘルパーで担当した90代のおばあさんのことが思い出される。

息子さんはお医者さんだとおっしゃっていたが、子供に負担をかけたくないからと、自ら高齢者住宅に入所した方だった。

そして、その方の荷物はほんの少しだった。

タンスとベッド、椅子とテーブルくらい。

テレビは持っていなくて、小さなラジオを持っていた。

それから、90代のおばあさんには不釣合いなカメラを一台持っていた。

そのカメラで毎日、朝日を撮るのだと教えてくれた。

「同じように見える朝日でも、こうして写真に撮ると、毎日違うのよ」とたくさんの朝日の写真を見せて頂いた。

「かっこいいー!!」

その時、そのおばあさんのことを、すごくかっこいいと思った。

多分、あの時のおばあさんのかっこよさにも影響されていると思う。














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