ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

日課の散歩

2020-04-28 15:57:31 | 日記

雨じゃない限り毎日散歩をしているのだが、いつも家の周辺ばかりだと飽きてくるので、たまには少し遠出をしてみる。

昨日は、相馬神社へ行ってきた。

相馬神社は大好きな神社で、自分の神棚(夫も自分の神棚を持っている)にも相馬神社の神札をお祀りしている。

昨年の年末に来て以来だから、4か月ぶりの参拝だった。

変わらずにご神木の大きなクリの木が迎えてくれる。

気のせいか参拝客がいつもより多く、皆さん散歩しながら参拝に来たといった感じだろうか・・・

さて相馬神社で参拝を済ませると、今度は神社の右横にある道から天神山緑地へ行った。

天神山緑地は、緑地という名の通り豊かな自然が残っていて、周囲の開発された町並みの中にある「緑のオアシス」といった場所。

散歩をする人やベンチでくつろぐ人、遊具のある公園もあるので小さな子供連れの方も多い。

そして天神山からは、市内の一部が見渡せる。

お地蔵さんが並ぶ山で、気軽な登山ができる円山が見えている。

緑地内には桜の木も多いのだが、開花はまだのようだった。

つぼみが膨らんでいるので、今週末くらいには咲くかもしれません。

というわけで、久しぶりに相馬神社の参拝をして、天神山緑地を散歩してスッキリとした気分で帰って来た。

ところで自粛が始まってから散歩をするのが日課となり、毎日の楽しみになった。

最近は自宅周辺ばかりでは飽き足らず、たまにはこうして市内の自然のある場所へ行ったりするのだが、ふと東京を散歩してみたいと思うことがある。

というのは、東京在住の方々が書くブログをよく読んでいるのだが、そこには行って見たいと思うようなお店や銭湯などがたくさん出ていた。(今は自粛をしているのであまり紹介されていませんが・・・)

私が行ってみたいのは、おしゃれで高級なお店ではなく庶民が気楽に立ち寄れるお店や銭湯などだ。

読んでいるブログには、そのようなお店や銭湯がよく出てくる。

昭和感あふれるレトロな喫茶店や八百屋さん、懐かしい富士山の壁画がありそうな銭湯など、札幌ではもうあまり見られないような風景が残っていて面白い。

散歩をしたら、きっと面白い発見がたくさんありそうだ。

というわけで、この自粛が終ったらぜひとも東京に(東京以外でもいいのだが)散歩に行きたいと思っている・・・

 

 


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ちょっと思ったこと

2020-04-26 16:59:52 | 日記

コロナウイルスが流行り始めた3月末ころから、長女の仕事が減っていたのだが、ついに来月は休みを言い渡された。

休みになるのは長女だけではないが、とりあえず5月いっぱいを休むことになった。

今後の仕事は、コロナの状況次第だそうだ。

今はまだ解雇ということは無いと思うが、このまま自粛が長引けばどうなるかわからない。

「休暇中は給与の8割を保障します。すみません・・・」そう言って、問い合わせに応対してくれた会社の女性社員さんには、こちらの方こそ申し訳なく思った。

だれが悪いわけでもない。これはもう仕方がないことだ。

社会も自然と同様に循環している。

だからコロナの流行とは直接関係がない仕事でも、長女の会社のように回りまわっていずれ影響を受けることになる。

昨年11月から契約社員として初めて社会に出て働き始めた長女だが、やっと仕事にも職場にも慣れてきて楽しそうに通っていたので、ここで長期間休まなければいけなくなったことはとても残念だ。

また長女と違って、このお給料だけで生活している人にとっては、今後の生活の不安は計り知れないものがあるだろうと思う。そして、このような不安をかかえている方が、今も増え続けている。

それにしても一体いつまで続くのだろうか。

ところで最近この雰囲気、第二次世界大戦の時の雰囲気にすこし似ているのではないかと思うことがある。

といっても私は戦後生まれなので、その当時のことはテレビや義母たちの話からしか知らないのだが、なんとなく、なんとなく、そう思う。

例えば、戦時中は「(物を)欲しがりません、勝つまでは」だったが、今は「(外に)出たがりません。勝つまでは」になった。

そして、それを守らない者は非国民と呼ばれて批難の的になる(なった)。

75年近くが過ぎて、敵は連合軍からコロナウイルスに変わったが、社会の雰囲気はあまり変わっていないのかな。。。なんてふと思ったりする。

第一線で戦う兵隊さんたち(今は医療従事者の方々)のためにも、これ以上の戦死者(コロナによる死者)を出さないように国民ひとりひとりが一致協力、団結して戦っていかなければいけないのであります!

↑の文を書きながら、頭にハチマキをきりりと締めて、モンペ姿にタスキをかけたおばちゃんになった自分を想像してしまったわ・・・はぁぁぁ~~

コロナの流行によって、マイナスな事ばかりではなく、他人の為にという気持ちを持った人たちが現れてきたことは非常に素敵なことだ。

しかし、しかし・・・

とにかく早く終息することを願うばかりだ。

 

 


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海辺で海辺のカフカを読んできた

2020-04-23 14:33:20 | 日記

海へ行ってきた。

ここは苫小牧のふるさと海岸。

砂浜の一部に歩道が作られている。

苫小牧は港町だが、今まで海水浴ができる海岸がなかった為、こうして海岸を整備して人が集える海岸にしたそうだ。

小さな子どもを連れて来たら喜びそうだが、やはり海水浴シーズンは駐車場に車が止められないほど混むそうな。

でも今はまだ人の姿はまばらで、ジョギングをしている人が一人と、猫を散歩させている?人がいるだけだった。

今の時期、海のそばはとにかく寒い。

寒くて外に長くは居られない。(猫と一緒にずっと海辺にいた方は、ダウンジャケットを着ていた)

この日の気温は8度だったが、海風が強くて凍えるほど寒く、私はダウンを着ていなかったので長く外にいることができず、車の中から海を見ていた。

さてちょうどお昼時だったので、暖かい車内でまずは腹ごしらえ。

海を見ながら、途中で買ってきたお弁当を食べた。

お弁当は苫小牧にある老舗のお弁当屋さん「甚べい」で購入。

ここの天ぷらは、揚げたてが入るので熱々サクサクしていてとても美味しい。

お弁当を食べながら、ふと隣に止まっていた車を見たら、同じように車の中で女性がひとり、お弁当を食べていた。

彼女も海を見に来たのかな?

それとも仕事の途中で、お昼タイムなのかも、、、と思いながら家から持ってきたお茶を飲む。

お腹がいっぱいになったら読書タイムで、持ってきた本は、久しぶりに読む村上春樹さんの「海辺のカフカ」

ちなみに「海辺のカフカ」を読むために、わざわざ海辺に行ったのではなくて、たまたま夫が苫小牧に用事があってついて行ったのだが、おかげでかなり集中して読むことができた。

ところで「海辺のカフカ」、この本もまた相変わらずの摩訶不思議な村上ワールドだった。

しばらく訳のわからない内容が続き、読み始めてから何度挫折しそうになったことか・・・

しかし、村上春樹さんの他の作品もそうだったように、後半になるにしたがって面白くなってきた。

今はラストスパートをかけて夢中で読んでいる。

というわけで村上春樹作品に限らず、家で本を読むのも良いのだが、たまには場所を変えて読書をするのもおすすめかもしれない。意外と集中できる。

とは言え、外出自粛のこの時期は行く場所も限られていますが、、、

 

 

 


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パヨカカムイ

2020-04-19 16:15:30 | 日記

先週、久しぶりに北海道神宮へ行ってきた。

平日だったこともあり、またコロナの影響で外国人の観光客がまったくいなくなったこともあって、最近では見たことがないほど人が少なかった。

神宮の敷地内に足を踏み入れると、漂ってくる樹木の香り。つけていたマスクをとって胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

いつもと変わらず、ただ静かにそこにある神宮。

普段のお気楽な散歩と違って、境内を歩く時はとても神聖な気持ちになるが、それ以上にここに来ると胸の奥底から喜びが湧き上がってくる。

今回もまたそうだった。

いつものように感謝の祈りを捧げてから、久しぶりに感じた嬉しくてたまらない気持ちで、神宮から続く円山の原生林を歩いてきた。

ところで昨日は、道東の弟子屈町でアイヌ民族によるコロナの早期終息を願う儀式が行われたそうだ。

この地域のアイヌ民族には古くから感染症に対して「パヨカカムイ」という考え方があるのだとか。

パヨカカムイとは「旅する病気の神様」という意味で、儀式ではアイヌ語でお祓いをして「コロナウイルスよ、人間に悪さをしないでください、どうか鎮まってください」という祈りを捧げたそうだ。

このような古くから伝わる先住民族の儀式を非科学的、迷信と片付けてしまうのは間違いなのではないかと思う。

現代の科学では、その効果が証明されるような根拠が無くても、古くから伝わる儀式や知恵には、真実が隠されていることもあるような気がする。

目に見えている世界だけが存在しているのではないという事を、ますます強く感じる今日この頃。

ところで今は三密を避けて、できるだけ自宅にいるしかない。

お客さんが全く乗っていない長距離バス、シャッターを下ろした商店などを目にする度に、どれほどの人が困っているだろうかと思う。(うちの長女も仕事が減ってしまったし、、、)

でもマイナスなことばかりではない、きっと新しい何かが生まれると信じたい。

そんなことを考えながら、今日は過ごしている。

 

 


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運動不足の解消

2020-04-14 13:41:52 | 日記

引きこもり生活に入って一ケ月半。

引きこもっているのは嫌いじゃないので、まだそれほど苦にはなっていないが、それでもずっと家に居ると運動不足になる。

そこでいつも以上に意識して身体を動かすようにしている。

まず家事が終ったら散歩に行く。

歩くのは家の周辺だが、色々なお宅の外観や庭を眺めながら歩くのは楽しい。

モダンな横長の窓にそっておしゃれなお酒の瓶が並んでいる家の住人は、BARが好きな人だろうか?家の中にカウンターがあったりして・・と想像はふくらむ。

物置小屋の横にカヌーが置いてある家の人は、きっとアウトドアが好きなのだろうな。

この家は玄関に薪がたくさん積んである。家の中に暖炉があるのだろうか?いいなぁ、火を見ながら冬を過ごすなんて憧れちゃう。。。

なんてことを思いながら歩いている。

それから散歩途中に、公園に寄ることもある。

小中学校は休みだが、午前中の公園には子どもたちの姿はなく、歩いている人もほとんどいないのをいいことに鉄棒にぶら下がっている。

スクワットで足の筋トレはしているが、上半身はほとんどやっていないので、最近すっかり腕の力が無くなったと感じていた。

そこで公園の鉄棒で鍛えようと思ったのだが、これがなかなか難しい。

すぐに手が痛くなって、ぶら下がっていられない。

鉄棒ですいすい逆上がりをしたり、うんていでおサルのようにぶら下がりながら進めた小学生の頃の自分が信じられない。

今となっては10秒ぶら下がるだけで精いっぱいだ。(来年還暦なので仕方ないか。。。)

というわけで、これじゃぁ、いかん、上半身を鍛えようと、最近はスクワットに加えて腕立て伏せも始めた。

足を伸ばしたままでする腕立て伏せはきついので、膝を床につけた状態での腕立て伏せワンセット15回を三セットと決めた。

腕の力がないので、しばらく休んでからじゃないと次のセットにいけないが、それでもがんばってやっていたら、腕と胸周りの筋肉痛が今、非常につらいことになっている。

でも身体を動かすと、とても気分がよくなる。

不安や恐怖など薄れる。気持ちが前向きになってくる。

この引きこもり生活が終ったら、お腹が割れた身体になっていたりして~と有り得ないような夢を見つつ散歩と筋トレをしている。

 

 


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閉じこもり生活

2020-04-12 11:53:58 | 日記

しばらく話していなかった妹と久しぶりに電話で話した。

妹は二月末に出された非常事態宣言以来、極力外出を減らしていると言った。

今まで週一で通っていたスポーツクラブは、コロナの流行が収まるまで休むことにしたが、買い物は行かなければならないので、週に一度だけ店内を急ぎ足で回って帰って来るのだとか。

当然、外食や美容室は行かず、散歩にも行かず、ただひたすらこの一ケ月半近くを家の中で過ごしているという。

「大変だね・・・ストレスたまらない?」

私も妹と同じ状況ではあるのだが、妹のあまりにストイックな生活を聞いて、思わず口から出てしまった。

「うん、たまってる。というか、家から出ないから太ってしまって、最近ひざや股関節が痛くなってきた」という。

そこで「家の周りを散歩するくらいなら大丈夫じゃない?私も毎日散歩してるけど、気分転換にもなるし運動不足も解消されるよ」と言ったのだが、妹は「え~外に出て歩き回るなんて、すごく怖いことじゃない?」と言った。

聞けば、妹の旦那さんの会社は食品を扱っているのだが「(風評被害がでるから)絶対にうちの会社からコロナの感染者を出さない!!」と言われているのだとか。

感染者を絶対に出さないぞという強い意思は、とても良いことだし必要なことだとは思うが、食中毒などと違ってコロナの場合、気をつけていても罹ってしまうことがあるのではないだろうか。

その時に怖いのは、重篤な症状になることや他の人たちにうつしてしまうことだが、それらと同じくらい怖いのは、周囲の目なのではないかと思う。

実際にコロナで亡くなった家族を持つ人に対する差別があると聞いた。

家族がコロナで亡くなって、(風評被害で)職場に迷惑をかけてしまうのではないかと仕事を辞めざるを得なかった人、退職はしなくても休職を続けて経済的な困窮に陥ってしまった人、近所や親せきに知れ渡り「しばらくお宅へは行けない」と言われてから、一歩も家から出られなくなってしまった人など、本来なら身内を亡くして悲しみにくれている時期に、周囲からの差別的な目や発言を気にしながら暮らさなければならないというのはどれほど辛いことか。

そういえば妹も同じようなことを言っていた。

「コロナに罹ったと言えば、今はテレビで何度も放送されるし、勤めている職場によっては、コロナ感染者が出たと速報まで流れるでしょ。あれ嫌だよね。周りにすぐわかるでしょ・・・もしも自分だったらと思うと、すごく怖い」

たしかに妹のいうのはその通りだと思った。

テレビをつければ朝から晩までコロナのことばかり。

海外ではこんなに人が亡くなって悲惨な状況にあるという情報を毎日浴び続けていたら、恐怖心で一杯になってもおかしくない。

コロナにならない為にどうすべきか、もしもコロナかなと思ったらどうすべきかなど、必要な情報だけがあればだけいいのではないかと思う。

というか、あまりそのような番組を観なければいいだけなのだが・・・

 

 


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マスク

2020-04-09 15:55:13 | 日記

昨日は、北海道のコロナウイルス感染者が10名と多かったが、それまでは感染者数が少なくなって比較的落ち着いていた為、ちょっと遠出をして温泉に入ってきた。

久しぶりの温泉!

いつも行く温泉は市内近郊にあって、普段から人が多いため、コロナが流行り始めてからは行っていない。

だから温泉に行くのは、本当に久しぶりだった。

行った先は、札幌市内から車で2時間ほどの小さな町。

コロナだからではなく、道内の多くの町がそうであるように、この町は、いつも人の姿がまばらだ。

「あぁ、いいなぁ。ここはまるでコロナとは無関係の世界のようだ」と言ったのは最近すこしコロナ疲れの夫で、今は人が少ないというだけでちょっと安心する。

(以前なら人の姿が無いと、さびれた過疎の町といった印象が強かったが、今は人が少ないのがいいなんて変わったものだ・・・)

ところで、温泉に入る前に町内のお店に寄って買い物をした。

買い物に行って驚いた。お店の人も買い物客も全員マスク着用だった。

札幌のマスク着用率は70~80パーセントくらいだが、この小さな町はほぼ100パーセントの着用率だ。

冷たい風がぴゅーぴゅー吹き込んでも店の扉は全開で、買い物客は少なく、お金を払う以外は近くで会話をするような場面が無いにもかかわらず全員マスク着用。

みなさん、きっちりと予防されていた。

このあと町内の温泉に行ったのだが、ここでも来る人は全員マスク着用で、夫が言うようなコロナとは無関係の世界ではなかった。

温泉施設は思った通り人が少なく安心だったが、脱衣所などでふれた手は念のために洗面台で洗ってから出てきた。

それにしても北海道はすこし落ち着いたかのように見えたが、昨日は感染者が増えたし、まだまだ油断はできないということだろう。

ところで、どこもそうだがマスクが品薄でお店に行っても売り切れが続いている。

家にいることが多い私はいいのだけれど、毎日仕事に出かけて多くの人と会う家族の為にマスクを買いたいのだが、これがない・・・

店頭にマスクが並ぶこともあるようだが、私は見たことがなくて、マスクを求めて開店前から並ぶというのを聞くと、どうしてその日にマスクが売られることが分かるのだろうかと不思議になる。

もう買うことはあきらめて、残りのマスクを洗って大切に使おうと思っている。

ところでこのように今や貴重品になってしまったマスクだが、新聞で読者からの投稿にとても心温まる話が載っていた。

投稿したのは80代の男性だった。

「マスクを買う為に朝から店の前に並んでいましたが、ちょうど自分の前でマスクが品切れになってしまいました。がっかりして、店の横に座って家で待つ妻に、マスクが買えなかったと電話をしていたら、50代くらいの女性がかけよって来て、これを使ってくださいと5枚入りのマスクをくれました。ご親切に感動しました」

たしかこのような内容だった。

これを読み世の中にはまだまだ心優しい方がたくさんいらっしゃるのだなぁと思った。

コロナの流行は計り知れないほどの打撃があったが、一方でこのような人の優しさに触れる機会もまた増えたのではないかと思ったりもする。

 

 


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いつも通り

2020-04-04 15:03:51 | 日記

道路にあった雪はすっかり融け、今は日陰部分にわずかに雪が残っている程度になった。

そして、あんなに毎日庭に来ていたシロハラも北に向けて旅立ったようでもう姿を見せなくなった。

最近では、シロハラだけではなく他の野鳥たちも姿を見せることが少なくなっていたが、庭にこぼれた餌を食べにスズメはまだたくさん来ていた。

スズメもまた可愛らしくて家の中から見ていたら、わたし以外にもひとり(一匹)スズメを見ていることに気づいた。

それは猫。

雪が降る前も度々うちの庭で昼寝をしていた猫ちゃんで、毛並みがいいのでどこかで飼われているのかもしれない。

猫は、暖かな春の日差しの中でじ~っとスズメたちを見ている。

なんてのどかな風景だ・・・と思っていたが、ちがうちがう。猫は狩りの真っ最中だった。

幸いスズメは猫に気づいて飛び立って行き、猫は特にがっかりする風でもなく、その場で昼寝を始めた。

動物たちはいつも通りに餌を探して飛び回り、いつも通りに陽だまりで昼寝をしている。

そして、植物たちも暖かくなればいつも通りに芽を出す。

人間以外は、みんないつも通りだ。

ところで家族の者が「ランニングシューズが欲しい」と言うので、久しぶりにアウトレットモールへ行ってきた。

ここは、いつも外国人客(特に中国人)が多くてとても混雑しているのだが、今回はさすがに外国人の姿はなく、平日だったこともあってお客さんの姿はまばらだった。

いつも通りの混雑ではなくてがらがらに空いていると、買い物はしやすいもののお店はやっていけるのだろうかと心配になる。

やはりここは少しお金を使うべきか・・・と思い、家族のだけではなく自分の靴も買ってしまった。

ちょうど古くなった靴を捨てたばかりだったので、安くて良いものが見つかってよかった。

いつもなら混んでいるので行かないお店だが、いつも通りじゃないから買えた靴だった。

とはいえ、この状態が長引けば困る人がたくさんいる。

早く終息して、いつも通りの生活が戻ればいいのだけれど。

早く温泉にも行きたい・・・

 

 


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大河の一滴

2020-04-01 18:37:22 | 日記

最近少し忙しくてブログを書くことができなかった。

忙しかったのは、新年度になって家族の生活スタイルに変化があったからで、家族の生活が変わると、それに合わせて主婦の仕事も変わり、生活の変化に慣れるまで少し戸惑いがあった。

今もまだ変化に慣れていないのでなんだか落ち着かないが、そのうち慣れてくるでしょう・・・ということで、この変化の中で感じたことなど書こうと思う。

人生の中で、誰でも大きく変化する時期が幾度か訪れる。

それは家庭や学校、職場など自分の周囲の環境だったり、更に言えば世の中だったりするわけだが、私自身これまで経験してきた何度もの変化の中で、なんとなく流れに身をまかせているうちに、いつの間にかここまで来たなという感じがしている。

過ぎてみれば、どんな変化も無駄ではなかったと思えるが、それらも今となっては、すべては夢の如し。よい思い出だけが残っている。

人生とは流れる川のようだと、最近よく思う。

この世に生まれて様々なことを体験して、老いて死んでいく。

その長い長い川は、時にはさらさらと穏やかな流れであり、時には激しい激流であり、川の形もくねくねと曲がりくねっている時もあればまっすぐに流れて行く時もある。

この川の源流は、一体どこなのだろうかと思っていた。

また私の川はどこから始まって、どこに繋がっているのだろうかと考えた。

しかし、ここで違和感を感じたのが、「私の川」ということだった。

そもそも個人の川だと考えることが違うのではないか。

この川は個人の川ではなく、人類全体のひとつの大きな意識の流れなのではないか。

そして私は、私の人生は、大河をながれる水の一滴。

たった一滴の水だけでは、大河にはなんの影響も与えないが、多くの一滴が集まって大河になって行く。だから一人一人の人生は、とても大切な一滴。

けっして濁った泥水の一滴にはならないようにしよう。

、、、なんて、そんなことを考えていた春の一日。

 


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