ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

歯医者さんを探し求めて

2017-10-31 14:49:06 | 日記
私の口の中には、もうず~っと昔に治した歯が何本もある。

特に痛いとかは無いのだが、なんとなく歯茎がうずくような気がしなくもない。

歯医者さんには今年の初めまで通っていた。

そこでこのことを聞いてみると「症状がないのならば触らない方がいい」と言われてそのままになった。
古い治療なので、下手にいじると大がかりなことになることもあるそうな。

「それもそうだ」と思って、そのまま治療を終えたのだけど、考えてみるとそこの歯医者さんは別な理由もあってそう言ったのかもしれない。

つまり・・・「緊急じゃなければ、これで治療は終了!次の人が大勢待ってるかんね」と言いたかったのだと思う。

私が通っていた歯医者さんは大きな総合病院の中の歯科だった。

そこは歯医者さんはたくさんいるのだが、それ以上に患者さんが多く、予約して行っても大抵一時間は待たされる。

また私は古くからの患者なので紹介状は必要なかったが、聞くところでは今や紹介状がなければ診てもらえないらしい。
総合病院なので、ちょっとした虫歯を治しにくるという患者さんは少なく(たぶん)、治療が難しい患者さんが他の歯科医院から回されてくるのだと思う。

そんなわけで、そこは混みすぎて予約がなかなか取れない為、治療は一か月に一ぺんのペースになり治療期間がとても長くなる。

私がそこへ初めて行ったのはやはり難しい歯の治療の為だったが、それ以降はなにかあると家の近くの歯科医院に通っていた。

ところが歯医者さんというのは身体の不調を診てもらう病院と違って、合う合わないというのがあると思う。

それは歯科医師と自分の相性の良し悪しではなくて、歯の微調整がしっくりくるかこないかといった感じ。

なんど調整してもらってもしっくりこないというのは、口の中だから余計感じるのかもしれない。

「人柄はとてもいい先生なのだけど、歯の調整がどうもしっくりしない」と言うパターンが今まで何度かあった。

何か所か歯科医院を変えて、さらに他の人に評判を聞いてから行っても、私には合わなかったということがあって、歯科医院だけは実際に行って見ないことにはわからないというのが、何軒も歯科医院巡りをした結果わかったことだ。

というわけで、時間はかかるが総合病院の歯科にしばらく通っていたのだが、気になっている箇所は触らない方がよいと言われて治療が終わってしまった。

しかし最近、気になっていた歯がもしかしたら根が割れているかも、早く診てもらわないとまずいかも~と思い始めた。
これはいよいよ歯医者さんを探さなければと思った時、たまたま見つけた歯医者さんが気になった。

ネットで調べてみると、なかなかよさげであり車で行けば通えない距離ではない。

さっそく予約をして、先日行ってきた。

すぐに診察かと思いきや、まず歯科衛生士さんによるカウンセリングがたっぷり一時間あった。

歯垢をルーペにとって、その中にうごめく菌たちも見せてくれた。

この菌たちは歯周病菌で、口の中はとても汚いのだということを教えてもらった(←これ、私だけじゃないですよ~。みんなそうらしいです)

また金属のかぶせ物はアレルギーなどもあるが、それより驚いたのはなんと耐用年数は5~7年くらいのものだということ。

金属はセラミックに比べて耐用年数も短いし、また中の歯が虫歯にもなりやすいのだとか。

虫歯になって金属をかぶせ直すということを繰り返すうちに自分の歯を失うことになるそうだ。

さて初日はウンセリングを受けて終了となり、次の診察でついに気になっていた歯を診て頂いた。

レントゲンを撮っても根が割れているかは分からなかったが、先生曰く「歯茎が一部だけ赤くなっているということは、割れている可能性が高い」とのことだった。

割れていたとしたら抜歯の可能性もあるが、なんとかリカバリーできるかもしれないという先生の言葉を信じてかぶせていたものを取ってもらった。

結果は予感通り歯の根元が割れていた。

治療はまだ始まったばかり。でも、なんとなくいい感じがする。

これでやっと私の歯科医院探しの旅は終了になるだろうか。

ここが最後の歯医者さんであってほしいと切に願いつつ、しばらく治療に通うことになった。









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毎日ストレッチ

2017-10-27 15:17:37 | 日記
先月行ってきた人間ドッグの結果が届いた。

幸いなことに検査結果に問題点はなかったが、嬉しいことがあった。

それは、体力測定の結果が例年よりも良くなっていたことだった!

体力測定は自転車のような器具をこぐ心肺持久力測定、握力の測定、腹筋を鍛える時に使う器具での上体おこし、そして柔軟性を測る前屈の4種目が行われる。

腹筋はなぜか昔からある方で年齢別の平均値を大きく越えているのだが、心肺持久力と柔軟性が無い。

今は図太いほどにすっかり健康になったが、中学生頃までは具合が悪くもないのに「真っ青な顔をしているけど大丈夫か?」と心配されるほど、いかにも体力の無さそうな(実際になかったが)子どもだった。

大人になってから始めた水泳で、自分ではずいぶん体力がついたと思っているのだが、それでも心肺持久力は平均を下回っていたし柔軟性もなかった。

ところがです!
なんと今年は心肺持久力が上がって全国平均を上回っていた。

柔軟性は相変わらず無いのだが、昨年までと比べるとすこし良くなっていたし、握力も今までより上がって、心肺持久力と同じく平均値を越えていた。

なぜ今年は体力測定の値が良くなったのだろう?と考えてみると、ひとつ思い当たることがあった。

それは毎日ストレッチ運動をやるようになったこと。

これまでもたまにストレッチをやったり、スロージョギングをしたりしていたのだが、今年のように毎日続けるということはなかった。

毎日ストレッチをするようになったのは、昨年秋から続いていた肩の痛みがきっかけだった。

そのうち治るだろうと、長く放っておいたのがよくなかった。

どんどん痛みがひどくなって、ついには痛さの限界がきて病院へ行くと「かなりの重症です」と診断されてしまった。

治療のために肩のリハビリに毎週通うことになったのが今年の2月のことだったが、以来、早く治したい一心でほとんど毎日家でストレッチを続けてきた。

家事の合間にほんの15分から20分程度、時間の無い時は5~10分ずつの細切れでしか行っていないのだが、とにかく肩を治すために毎日続けようと決めた。

まず最初は肩を中心にしたストレッチをする。

次に股関節を伸ばすストレッチをする。

股関節を伸ばすストレッチをするのは、肩が痛む場合、肩だけではなく股関節を伸ばす運動を組み合わせた方がよいと本で読んだからだった。

ちなみにストレッチ運動は自分で調べたりして、無理なくできるものをやっている。

このストレッチ終了後、まだ時間や余力があればスクワットと腹筋もやっている。

歯を食いしばって頑張るような運動ではなく、家事の合間にちょっとストレッチというような簡単なものだが、意外とこれがよかったのかもしれない。

きつい、つらいと思うような運動を自分に課していたならば、途中で挫折するか毎日は続けられなかったと思う。

治療のおかげと毎日のストレッチで、肩の方は先日やっと治療終了を宣言して頂いたのだが、ストレッチは今後も続けるようにとお医者さんに言われた。

ええ、ええ、もちろん毎日続けますとも。。。

こんなわずかな時間の簡単ストレッチで体力がつくのなら、是非やり続けたいと思う。

「重症です」と言われた時にはがっくりしたものだったが、肩を悪くしたおかげで毎日ストレッチをするという習慣がつき、おまけに体力もついてきた。

一見悪い出来事のように思えても、それが起こったからこそ良くなっていくということが、この世の中にはたくさんあるのかもしれない。








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運転は慎重に

2017-10-23 16:06:53 | 日記
台風の影響なのか今日は朝からとても寒く、ついに雪が降ってきた。

札幌は、今日が初雪かもしれない。

午前8時過ぎに降り始めた雪は、その後も止むどころかますます強く降りだして、外はあっという間に雪景色になった。



車のタイヤは先週スタットレスに変えてきたので、雪道でも運転することはできるのだが、今日は無理に外出せず大人しく家に居ることにした。

それにしても長男パインは大丈夫かと思う。

毎日仕事で車を運転しているパインだが、学生時代に運転免許を取って以来3年間ペーパードライバーだった。

入社後、運転が必要になり会社からお金を出してもらって、ペーパードライバーの講習会を受けてきた。

自動車学校の教官に「なかなかうまいね」と言われてまんざらでもない気持ちになり、さらに毎日の運転で「運転はもうすっかり慣れた」と言うのだが、運転は慣れた頃に気のゆるみが出て一番危ないと思う。

30年間毎日のように運転をしてきて、何度かヒヤッとする経験をしてそう思う。

だから、私はいつも「自分は運転が下手だ」と思うようにしている。

下手だと自覚しているからおのずと慎重な運転になる。
抜かされたとしても腹も立たない。

ただしノロノロ運転は逆に危険なので、他の車の速度に合わせて流れに乗るようにしているが。

しかし雪道は、夏の道路と違ってブレーキを踏んでもすぐには止まれない。

スピードを出したままだと、尚更止まれず操作不能で雪の上を滑って行く。(きゃー!!)

早めにブレーキを踏んでスピードを落とすことだが、何度経験しても毎年雪道の始まりは緊張する。
(下手なので)

パインは冬道の講習会も受ける予定になっているのだが、冬道講習を受ける前に冬道になっちゃって、今日はパインの雪道運転初デビューかな・・・

25歳にもなった息子の運転の心配をする私は過保護な親だなぁ・・・と思ったら、もう一人過保護な親がいた!

それは90歳になる、うちのお姑さん。

先日、オートバイが趣味の夫がひとりで今年最後のツーリングに出掛け、そのままオートバイをバイク屋さんへ預けて帰宅した。

バイクはいつも春になるまで預けているのだが、それを知らないお姑さんは、夜になってもバイクが無いのでずっと心配していたらしい。

夜、車で帰宅した夫を見た途端、「あ~よかった!オートバイがずっとないから、まさか事故でも起こしたんじゃないかと思った」と言い、「よかった、よかった」と何度も繰り返した。

息子がオートバイに乗ることについて、今まで何も言ったことがないお姑さんだが、内心は心配しているのだろうと思う。

親は、子供がいくつになっても心配なのかもしれない。特に車やバイクは・・・

「おばあちゃんが心配しているから、もうそろそろバイクやめたら?」と言ってみたが、まだやめる気配はない。

そんなに楽しいものなのだろうか?

実は車の運転があまり好きではない私には「バイクは、車とは全然違う」と説明されても、あまりピンとこないのだが・・・






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日常のあれこれ

2017-10-18 17:03:33 | 日記
最近やりたいことが多すぎて、一日の時間が足りないと思うことがある。

やりたいこととは、例えば掃除、料理、アイロンがけ、パソコン、読書、ストレッチ、ウォーキング、庭仕事、温泉、塾のバイトなど・・・

温泉を除いてはどれも特別なことではなく、毎日習慣的に行っていることで、特に掃除や料理、アイロンがけなどは、主婦になってから当たり前にやってきた・・・というか、以前の私は楽しむどころか、やらなければならないという義務感だけでやっていたのだが、今はそれらができることがとても嬉しくて楽しい。

人間だから、疲れている時はやりたくないと思うこともあるのだが、基本的に家事もその他のことも楽しんでやっている自分がいて、我ながらこの心境の変化が不思議でもある。

というわけで、今日は味噌づくりをしようと思っていた。

大豆も昨日から水に漬けてあるし、麹もわざわざ遠くまで行って買ってあった。

さぁ、味噌を作ろう!と思って材料を出してみたら、なんと買ってあったはずの塩がない。

塩が無ければ味噌が作れないので、急いで近所のスーパーまで塩を買いに行った。

塩を買って家に帰ろうと思ったら、店の外の植物コーナーで寂しげに風に揺れている、売れ残りの花の苗と目が合ってしまった。

それがこちら↓



シュウメイギクですね。
ピンクのシュウメイギクは欲しかったので買うことにした。
「味噌を作り終えたら庭に植えよう」と思いながら・・・

味噌作りは今回4回目。
もうほとんどレシピを見ることなく作れるようになったので、いつもよりも手早くできたと思ったが、それでも大豆をゆでたりしていたら2時間以上の時間がかかってしまった。

しかし時間や手間はかかっても、やっぱり自分で作った味噌は、気のせいか市販の味噌よりずっと美味しく感じる。

これを食べられるのは来年・・・たのしみです。

さて味噌を作り終えたら、次は買ってきた苗を庭に植える。

苗は一つだけなので簡単に終わり、昨日から気になっていたものを見に行った。

気になっていたものとは、両方の後ろ足が無い昆虫のバッタだった。

昨日はとても寒い日だったが、バッタはできるだけ暖かい場所を選んだのだろう。
日が当たって温められた家の周りの砂利の上にいた。

しかし昨夜は気温が低く雨も降ったので、あのバッタはどうしていただろうと思っていた。

昨日バッタがいた辺りを探したのだが、もういなかった。

どこかまた暖かい場所に移動したのかもしれないと思って、何気なく木の枝を見ると・・・

イターッ!!!



まるで日向ぼっこをしているように、日差しをあびて気持ちよさそうにしているバッタ君を発見した。

あらためてまじまじと眺めてみたら、ずいぶん大きなバッタ君だった。

天敵に食べられることなく、足が無くなるまで生きられてよかったね。

しばらくバッタを眺めてから、こうしてカメラにおさめて・・・

そうか、私が時間が足りないと思っているのは、こんなことをしているからだった・・・と今気づいた。






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脚本家兼主人公は自分

2017-10-16 16:41:45 | 日記
朝起きてきた夫が「昨夜はよく眠れなかった」と言う。

なぜ眠れなかったのかと言うと、寝る前に映画を観たからだそうだ。

どんな映画を観ていたのか知らないが、夫が好きな映画は社会派のテーマが重い映画なので、きっとそのような映画を観ていたのだろうと思う。

用事があって夫が映画を観ている部屋に入った時、ちらりと見た画面が暗くて重そうな感じだったので間違いない。。。

夫とは映画の趣味が合わないので、最近は一緒に観ることは少なくなった。

私はどちらかというとコメディ映画が好き。

「単純な思考回路」と言われようとも、ワハハと笑って、あ~面白かった!で終わる映画が好きだ。

まぁ、好みは人それぞれなので、どのような映画を観ようとかまわないのだが、映画を観た後に眠れなくなるというのはちょっと困るかもしれない。

映画というのは真剣に見れば見るほど、そしてそれが映画の醍醐味でもあるのかもしれないが、ストーリーの中に自分が入ってしまうことがある。

それは余韻となってしばらく続く。

話は変わるが、先日も実家の片付けに行ってきた。

今回でひとまず終了できそうなくらい片づけが進んだのだが、今回の片づけでは、母が仕舞いこんでいたモノの数々を処分してきた。

母が亡くなって30年あまり・・・その前から母がため込んでいたモノたちなので、私たちが小中学生時代の洋服や使わずに仕舞われていた昭和時代の食器や小物家具などがたくさん出てきた。

それらの品々を眺めていたら、まるでその当時にタイムスリップしたような気がした。

今回は妹も一緒に片付けていたのだが、ひとつひとつのモノに思い出があり、それらを使っていた日のことが思い出される。

「あんなことがあった」「こんなこともあった」と妹と話をして帰ってきたのだが、その日の夜、夫じゃないが私もなかなか眠れなくなってしまった。

昼間に実家で処分したモノにくっついた思い出(過去)が、私の身体にまとわりついて離れないような感覚がした。

目をつぶれば、昼間に処分した服を着た子供の頃の私がいる。

子どもの私が、今はもう壊されて存在しない家で過ごしている場面が、まるで古い映画のように鮮明に脳裏に流れていく。

懐かしくはあったが、そのような映像を見たいわけでもないのに、私の身体にまとわりついた古い時代の思い出がなかなか離れず、眠ることができなかった。

子ども時代は貧しかったが、けっしてそれが不幸だと思ったことは無く、むしろ両親の愛に育まれて幸せだったと思う。

しかし、その頃に戻りたいか?と聞かれたら、もう戻りたくはない。

また同じ「私」としての人生をやり直すことは、ごめんこうむりたい。

振り返った自分の人生の中で、あの時こうしていれば・・・ということは無くはないが、あの時はあれで仕方がなかったのだと、今は思える。

眠れないまま子供の頃の映像を眺めながら、そのようなことを思っていた。

そして、やはり私たちはみんな映画のような人生の中で、それぞれの舞台で、それぞれのテーマに沿って演じている役者なのだと思った。

本物の映画と違うのは、映画のあらすじを脚本家さんが書いてくれるのではなく、自分自身で書いているということかな・・・

私が演じる「私の人生」という映画は、これから先もまだ続くはず・・・

だからこれからも暗く重たいテーマの映画ではなく、私の好きなワハハと笑って終われる映画を作り続けていきたいと思う。

そして、「あ~楽しかった」と言って最期を締めくくりたいものだと思う。








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円山登山

2017-10-11 16:07:16 | 旅行
三連休最後の日に市内にある円山へ登ってきた。

円山は標高225mの小さな山で、登山と言うよりハイキングのような感覚で小さなお子さんでも登ることができる。

とはいえ、途中は急こう配になっていて道が滑るので、靴はしっかりとしたものを履いていくことがおススメです。
(以前ハイヒールで登って行く、つわもの女性を見かけましたが・・・)

さて円山の登山道入口は二か所あり、円山動物園側から登るルートと円山八十八ヶ所大師堂の横から登るルートがある。

私がいつも登るのは円山八十八ヶ所大師堂からで、こちらのコースは頂上まで約2キロで約50分ほどで登ることができた。



大正時代初期に四国八十八ヶ所にちなんで作られたという円山八十八ヶ所は、八十八体のお地蔵さまが登山道に沿って並んでいる。



ハイキングのような感覚で・・・と書いたが、しばらく円山に登っていなかったせいか、はたまた体力の無さか、徐々に足があがらなくなって息も荒くなってくる。

この日の気温は21度だったが、額から汗が流れる。

山を下りてくる人たちから次々に「こんにちは!」と声をかけられ、最初は余裕の笑顔で元気に挨拶を返せていたのが、徐々にひきつった笑顔になり、しまいには息も絶え絶えの挨拶になった。

ところで山登りなどでは、すれ違う時に挨拶を交わすのだが、なぜそのようにするのかという事を聞いたことがある。

それは、お互いの体調を確認するためだとか。

挨拶をしあって「この人、息が上がっているけど大丈夫かな?」とか、相手を気に掛けることができるからだそうだ。

そういえば「頂上まであと少し!」と教えて下さった方もいた。

よほどきつそうに見えたのかもしれない・・・

登山途中で立ち止まって少し休憩する。

深呼吸すると森林と土の香りがして気持ちがいい。

残念ながら写真は撮れなかったが、リスも見ることができた。



そしてついにゴール!頂上から見た札幌市内。絶景でした。



お昼時だったこともあって、頂上の岩場でおにぎりを食べている方が何人もいた。

山の頂上では、おにぎりが無性に食べたくなるのはなぜだろう・・・

おにぎりを持ってこなかったことをかなり後悔して、次回は必ずおにぎり持参で来ようと決めて山を下りた。

えっ、昼ごはんはどうしたのかって?

並んでも食べたい人気のうどん屋さんで、冷たいぶっかけうどんを食べました。

おにぎりに負けず劣らず美味しかったです!





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なるようになるさ

2017-10-06 16:39:30 | 介護
今年になってから義母がトイレを汚すようになったと夏に書いたことがある⇒(母と娘の介護

「どうしてこんなところに?」と首をかしげたくなるような場所に便がついていたり落ちていることがあったのだが、やっと理由がわかった。

便をもらしていたからだった。

高齢になると筋肉が弱って、便を漏らすことがよくあると聞く。

ヘルパーの仕事をしていた時にそういった高齢者の方はたくさん見ているし、父もそうだった。

父が高齢者住宅に入る前、まだ自分で歩いて普通にトイレにも行けたのだが、本人も気づかぬうちに漏らしてしまうということが度重なるようになっていた。

ズボンはすっかり汚れているのに、父はまるで気づかないように普通に過ごしているので、慌てて下着とズボンを替えることが何度もあった。

父は一人暮らしだったので、いつも気づいて取り替えてあげることができず、また頑固に紙パンツを拒否していたので、これが父に高齢者住宅へ入ってもらうことの大きな理由の一つになった。

義母も90歳を越えているので、そうなってきてもおかしくはない。

義母が便を漏らしていることが分かったのは、浴室前で義母と会ったからだった。

義母は手に何か持っていたのだが、私の顔を見た途端、それを後ろに隠した。

さりげなく「どうしました?」と聞くと、義母は照れくさそうに「おしっこをもらしちゃったから、下着を洗おうと思って」と言った。

「あらそうですか。じゃあ、これ使ってくださいね」と洗剤とタライを渡したのだが、義母が下着を洗っているのを何気なくのぞくと、かなりの量の大便がついていた。

さらに同じ日、また浴室で大便のついた下着を洗っている義母の姿があった。

多分、ずっと前から時々こうして便を漏らしていたのかもしれない。

自分で処理をしようとして、手に大便がついた状態で壁を触ったり落としてしまったりしたことで、なぜここにうんちが?ということになっていたのだろう。

さて、どうしようか・・・

便は出てしまっているが毎回ではないようだし、オシッコでは下着は汚すが床を汚すようなことはまだ無い。

いきなり紙パンツでは父の時のように義母の抵抗があるだろうから、まずは下着につけるパッドを勧めてみることにした。

最初は「パッドなんてしない」と抵抗していた義母だったが、「これで下着も汚れませんよ」「大丈夫!薄くてつけていても全然気になりませんから」とか、まるでおむつ会社の人のように、パッドをするといかに快適に過ごせるかということを、あることないこと話して、なんとかパッドをしてくれることに成功した。

パッドをするようになってから、「どうです、快適ですか?」と義母に感想を聞いたところ、「少しゴワゴワして気持ちが悪い」とのことだった。

もう少し小さめの方がいいのかな?と、小さめのものを買ってくると、今度は大丈夫だったようで、以来ちゃんとしてくれているみたいだ。

パッドをつけるようになってからは、トイレが汚れることもなく義母がこっそり下着を洗う姿も無くなった。

義母も年々歳をとり、これから悪くなっていくことはあっても良くなることは無いだろうし、他にも色々なことが起こるだろう。

進化していく介護用品と、夫や義理の姉たちに助けてもらいながら、日々明るく過ごしていきたいものだと思う。

なるようになるとお気楽な気持ちは、いつも持っていたいと思う。





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変わったことと変わらないこと

2017-10-02 13:12:45 | 日記
長女チェリーが、私が留守の間に部屋の掃除と食器の片づけをやってくれたことは、前回書いたが、あれからまた同じように私がいない間にチェリーが家事を済ませてくれるということがあった。

それは先日のこと。

休日だったので遅い朝食を済ませた後、家事をする前に買い物へ行くことになった。

まだベッドの中にいたチェリーにも一緒に行こうと誘ったのだが「眠いから行かない」と断られた。

そこで私と夫、そしてお姑さんの三人で買い物へ出かけたのだが、帰りの車の中で、夫が「今日もチェリーが片づけをやっておいてくれたりしてね」と言った。

「うん、どうだろうね。でも眠そうだったから、まだ寝てるかも」と私は答えた。

本当にまたチェリーが片づけをやってくれていたら嬉しいけど、前回より外出時間は短いし、チェリーはかなり眠そうだったし、起きてから用意した朝ごはんを食べてだとしたら、時間が無くて無理かも・・・と思った。

そんなことを話している間に家に到着した。

家のカギを開けて、たくさん買ってきた食料品を玄関に置きながら、二階で起きている気配のするチェリーに声をかけた。
「荷物を二階へ運ぶのを手伝ってー!!」

「は~い!」という元気の良い声がして階段を降りてきたチェリーはニコニコしながら言った。
「部屋を見てね!」

まさか・・・と思いながら二階のリビングへ上がってみると、なんとまたまたきれいに掃除がされていた。

「こっちもだよ」と言われて台所へ行って見ると、前回と同じく食器までも片付いていた。

「すごいねー!また片付けをしてくれていたの?ありがとう~」と言ってチェリーを抱きしめると、チェリーは嬉しそうにぴょんぴょんと飛びはねた。

いない間に家事をしてくれるというのは、今までのチェリーと変わった事だけど、コレは変わっていない。

私が抱きしめると、嬉しくなってぴょんぴょん飛び跳ねるチェリーの癖は、23歳になっても変わっていなかった。

チェリーが小さかった頃、抱きしめるといつもぴょんぴょんと飛び跳ねるので、用心しないとチェリーの頭が私の下あごにガーンと当たって痛かったことを思い出した。

頭が当たらないように避けつつ「飛ばない、飛ばない」とチェリーに言いながら、やっぱり私は嬉しかった。

私たちが外出していた短い時間の間に、よくこんなにできたものだと思う。

多分、チェリーは私たちが出かけるや否やベッドから出てきて、大急ぎで片づけを始めたに違いなかった。
チェリーが大急ぎで支度をしている姿を想像して可笑しかった。

しかしこれがきっかけになったように、チェリーの様子が変わった。

なんというのか、自分で気づいて行動を起こすようになった。

例えば、我が家では夕食の後片付けは食器洗浄機を使っているのだが、食器洗浄機が終了した後は、食器洗浄機の中にある食器を食器棚に戻さなければいけない。

しかし食器洗浄機が終了する時間帯は、私がお風呂掃除や洗濯などをしていることが多くて、終わってもすぐにできないことがある。

すると、今までなかったことなのだが、チェリーが自ら進んで食器を片付けてくれているようになった。
驚きだったが、私としてはすごく助かっている。

「掃除をすると気持ちがいい!」というのは最近のチェリーの言葉で、私は「そうだよ。掃除をすると気持ちがいいんだよね~」と答えた。

今までは頼まないと(頼んでも!?)なかなか家事をしてくれなかったチェリーだったが、ここ数日のチェリーはずいぶん変わってきて、なんだか大人っぽくさえなったような気がする。
(ぴょんぴょん飛び跳ねる癖は残っているが・・・)

今日は一週間の始まりで、チェリーはまた作業所へ出かけて行ったが、来年は一般就労を目指して就職活動をさせてもらえるように職員さんにお願いしてみようかなぁ・・・なんて思ったりしている。

このチェリーの嬉しい変化がずっと定着するといいなぁ。







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