ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

お墓参り

2024-05-28 15:49:40 | 日記

朝方に夢を見ていた。

夢の内容はまったく覚えていないのだが、最後に父の顔がドアップで出てきたので驚いて目を覚ました。

久しぶりに父を見たなぁ、、なんて父のことを寝ぼけたまま思い出していたが、ふと気づいた。

「そういえばお父さんの命日ってもうすぐじゃなかったけ?もしかしたら過ぎてしまったかもしれない」

起きてからすぐに確認すると、父の命日は翌日だとわかった。

さらに今年が七回忌だということもすっかり忘れていた。

本州に住んでいる弟が、法要をやってくれる筈なので、私はいつも通りの先祖供養で、父を想って長いお線香をあげることにした。

命日にも長いお線香をあげて供養しようと思っていたら、久しぶりにまた鐘の音が聞こえた。

隣に夫が座っていたが、今回は聞こえなかったようだ。

「また聞こえたね」と言ったら、「やっぱりお墓参りに行くべきだ」と夫が言った。

実は夫に父の命日だったことを伝えて、お墓には行かずにいつものように自宅で供養すると言ったのだが、夫はお墓参りも行った方がいいのではないかと言っていたのだった。

「鐘を鳴らして墓参りにもこ〜いと、お父さんが言ってるんだよ」という夫の言葉に思わず笑ってしまった。

鐘と父とは無関係だ。確証はないが、なんとなくそう思う、、、

でもやっぱり夫の言う通り、お墓へ行くことにした。

掃除をするためにお墓を囲む敷地に入ったら、突然実家の家に帰ったような気がした。

脳裏に今はもう無い実家のリビングが浮かんできて、何とも言えない懐かしい気持ちになった。

実家のお墓は市内の平岸霊園にある。

街の中にあって豊かな緑に囲まれた、まるで公園のような霊園で、子どもの頃は、お墓参りに来ると、お墓の前の芝生にシートを広げて、お供えしたものや持ってきたお弁当を食べるのが恒例行事だった。

「亡くなった人と一緒にご飯を食べるんだよ」という母の言葉にちょっと怖い気持ちもしたが、お墓の前でお弁当を食べるのは、ピクニック気分がして楽しみでもあった。

今よりずっと娯楽の少ない時代だったから、お墓参りに来る多くの人たちが、まるで行楽地に来たかのように、お墓の前でお弁当を食べていたと思う。

でも今では人が多いお盆の時でも、お墓の前でお弁当を食べている人はほとんど見かけない。

これも時代の流れなのだなぁと思う。

時代の流れといえば、ここへお墓参りに来るのも、あとわずかかもしれない。

というのも弟がここは墓じまいをして、住まいのある街に移したいという。

もうすっかり本州の人になった弟が、自分の近くに移したいというのももっともなことなので、まったく異論はないが、また一つ帰る実家が無くなったようで少し寂しいかな、、、

なんて言っている間に、気がつけば実家の立場になっていた。

すべては諸行無常だな〜としみじみ思う。


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耳を澄ませば

2024-05-23 14:02:55 | 日記

子どもの頃、夜中に目を覚ますと、よく女性たちの歌声が聞こえることがあった。

家族全員でひとつの部屋に布団を並べて寝ていた時だから、5〜6歳の頃だったと思う。

夜中にふと目が覚めると、女の人たちの歌声が聞こえてくる。

何人かが合唱しているような、美しい高音の歌声。

家の中ではなく外から聞こえてくるように思われたが定かではない。

真夜中に外で合唱していたら、苦情が来そうなものだが、歌は一向に止む気配もなく、夜中に目を覚ますとよく歌声が聞こえてきたものだった。

小さな歌声だったので何を言っているのか歌詞はわからなかったが、何か西洋のメロディのような、今思い出すと讃美歌のようにも聞こえた。

隣に寝ていた母にもきっと聞こえていると思ったので「夜、歌声がするけど、あれは誰が歌っているの?」と聞いたことがある。

すると、母は不思議そうな顔をして「知らない」と言った。

それを聞いて、母は眠っていて聞こえていないのだと思ったが、相変わらず夜中になると歌声がしていた。

この歌声のことは怖いと思ったことはない。

むしろ眠りを誘うようで、歌声を聴きながら、どこで誰が歌っているのだろうと、ぼんやり考えているうちに眠ってしまうことが常だった。

しかし、それも少し大きくなり子ども部屋をもらって弟と一緒に寝るようになってからは、もう聞こえなくなってしまった。

その代わりによく聞くようになったのは、以前にこのブログでも少し書いたことがあるが、低い声でお経を読む男性の声だった。

こちらは一緒に寝ていた弟もよく聞いていたそうで、後日、大人になってから同じことを言っていた。

弟も話していたが、お経の声は間違いなく家の中から聞こえていた。

場所もわかる。家の二階へ続く階段を上ると、壁の陰に隠れるように僅かなスペースがあった。

ここは昼間でも暗かったので、物置スペースとして使っていたのだが、お経を読む声はこの場所から聞こえていた。

そして、この声は先ほどの歌声とは違って、とても怖いと思っていた。

お経を読む男性は、それから長い間ずっと家にいた。

この男性の気配は、大人になってからも度々感じていたし、この人が自分のことをとても嫌っていることも感じていた。

その後色々あって、男性は家からいなくなったのだが、なぜうちに居たのかは、先ほどの歌声と同様に今でも謎のままだ。

ところで話は変わるが、世界的に有名な切り絵作家、柴田あゆみさんの展覧会に行ってきた。

柴田さんの繊細な切り絵は、ただただ感嘆するほど素晴らしいものだった。

四つの御魂を表現した作品

 

小さなガラスケースの中に紙で街が作られていた。太陽もある!

私の写真では作品の良さが伝わり切れないので、お借りしてきた写真も。

手のひらに乗るくらい小さな作品だが、幾重にも紙を重ねて精巧に作られている。

会場では柴田あゆみさんのビデオが流されていて、自然と人間との調和の大切さ、自然の声に耳を傾ける大切さなどを語っていらっしゃった。

耳を澄ませば自然の声も、御魂の声も、私たちが気づかないだけで、周りには声なき声が溢れているのかもしれない。

 


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山菜を食べる

2024-05-17 21:57:28 | 日記

ちょっと時期が遅くなったが、近くにふきを採りに行って来た。

ふき採りは、待ちに待った春の恒例行事になっている。

と言っても一回食べるだけの量なので、あっという間に採り終わるのだけれど、苦味のあるふきやふきのとうを食べると、身体から余計なものが抜けていくような気がする。

実際にふきなどの山菜には、解毒作用があるそうだ。

ただ山菜は毒素があるものが多く、ふきにもピロリジジンアルカロイドという天然毒があるため、採ってきたふきは下茹でをしてから、水に浸けてよくアク抜きをしなければならない。

それからさつま揚げや豚肉などと一緒に炒めて、甘辛く味付けをすると、これだけでご飯がたくさん食べられるくらい美味しい。

一ヶ月くらい前に採ってきたふきのとうも、同じようにアク抜きをして、ふきのとう味噌にして食べた。

こちらもご飯がすすんで困るくらい美味しかった。

でもこうして毎年楽しみにしている割には、採りに行くのはそれぞれ一回ずつくらい。

美味しくて食べすぎると、解毒し過ぎるのかお腹が下るので、私には一回食べるくらいがちょうど良いのだと思う。

山の中に入ることなく、近場に散歩のついでに採ってくる程度なのだけど、今の時期、山菜を採るために、山の中へ入って行く方をよく見かける。

ふきを採っている時にも、お一人が入って行った。

一人で大丈夫なのかと心配になった。

この辺りの山でも山菜を採りに山に入って、そのまま行方不明になる人が何年かおきにいる。

道に迷ったのか、熊に出会ってしまったのかわからないが、見つかっていない方もいると聞いた。

これくらいなら大丈夫とは思わないで、山菜を採る時には、どうか気をつけてください、、、と思う。

そして、いよいよ家庭菜園の季節がやってきた。

上の写真は、先週苗を買いに行った時に撮った写真。

これから植えるのか、はたまた既に植え終わった後なのか、素人にはさっぱりわからないけど、これからまた野菜がたくさん食べられる季節がやってくるかと思うと嬉しい。

この穏やかな日常が続きますようにと願う。

 


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六の宮の姫君

2024-05-12 14:28:24 | 日記

芥川龍之介の短編小説「六の宮の姫君」を読んだ。

あらすじはこんな感じ。

京の都に高い身分の家に生まれた姫君が暮らしていた。

父母の寵愛を受け、大切に育てられた姫君は、単調な毎日の暮らしだったが、それに不満を持つことなく日々を過ごしていた。

ところが、姫君が年頃になったころ、両親が相次いで他界してしまい、姫君が頼れるのは乳母ひとりだけになってしまった。

乳母は姫君のために骨身を惜しまず働き続けたが、次第に生活は苦しくなり、豪華な家財は売り払らわれ、召使いたちも次々にいなくなっていった。

姫君は乳母が生活のために苦労して奔走しているのを知っていたが、自分ではどうすることもできず、これまで通りに琴を弾いたり、歌を詠んだりして過ごしていた。

そんな時、身分が高く姫君のことを気に入っているという男性が現れる。

姫君は乳母に言われた通り、男性を受け入れるのだが、心根が優しく顔かたちもみやびな男性に心を寄せることなく、ただ言われた通りに男性と会うようになる。

そして姫君の生活もまた以前のように、経済的に安定した暮らしになるのだが、ある日、男性が遠方に赴任することになり、姫君に五年後に戻ってくると言い残して去っていく。

姫君は泣き伏すが、それは男性を恋しく思って泣いたのではなく、経済的な安定が無くなることへの不安からだった。

それから五年経っても男性は姫君の元に戻ってくることはなく、生活はどんどん苦しくなり、その間も姫君は男を待ちながら、琴と歌で気を晴らして暮らしていた。

男が京へ帰ってきたのは、丁度九年目の晩秋だった。

京へ戻った男は急いで姫君の屋敷へ行ったが、すでに屋敷は無く姫君の行方もわからなくなっていた。

それから何日も姫君を探して歩き回っていたある日の夕暮れ、雨宿りのために朱雀門の軒下に立ったところ、物乞いらしき法師も雨宿りしていた。

ふと人の気配を感じて窓から中を覗くと、そこには貧しい身なりの尼僧がむしろに横たわる一人の痩せ細った女を介抱しているのが見えた。

その女こそ探し求めていた姫君だった。

男は、急いで姫君の元に駆け寄ったが、姫君はすでに虫の息。

男は外に立つ法師を呼び、姫君のために念仏を唱えてくれるように頼む。

しかし法師は経文を唱える代わりに「往生は人手にできるものではござらぬ。ただご自身怠らずに、阿弥陀仏をお唱えなされ」と姫君に声をかける。

姫君は男に抱かれながら、細々と仏名を唱え出したが、すぐにやめて「何も見えませぬ、暗い中に風ばかり、冷たい風が吹いて参りまする」と繰り返し言って亡くなった。

それから朱雀門のほとりで女の泣き声が聞こえるようになった。

「この頃この朱雀者のほとりに、女の泣き声がするそうではないか?」と、一人の侍が朱雀門の前で座っていた貧しい身なりの法師に声をかけた。

すると法師は言った。

「あれは極楽も地獄も知らぬ、ふがいない女の魂でござる。御仏を念じておやりなされ」

これは何度も何度も繰り返して読んでしまった。

この短い小説の中には、多くの考えさせられることがあった。

自分では何一つ動こうとせず、とても自分の意思で自分の人生を生きているとは思えない人生を送ってきた姫君に、法師(実は高僧)は「ふがいない魂」と言われた。

また、この小説を題材にした漫画を描いた山岸凉子さんは、作中の中で姫君のことをこのように言っている。

「たとえ、その時代のお姫さまだとしても、そういった人間(姫君)は自分の生(せい)を満足に生きていないのと同じよ。生きるということは、生活の苦しみや楽しみ、人と人とのふれあいを知るということだもの」

なるほど、、と思った。現代の人間でも当てはまることがあるかもしれない。

が一方で、安定した何不自由のない暮らしからドン底の極貧生活まで、不満も言わずに味わった姫君は、決してふがいない魂などではないという考えも浮かぶ。

今は後者の考えの方が強いが、また時間をおいて読んだら違った考えが浮かんでくるのかもしれない。

昔の小説は、何か敷居が高くて読むのを避けていたが、久しぶりに考えさせられる小説で、しばらく余韻に浸っている。

こちらの小説は、ネットでも読むことができるようです。

ご興味のある方はどうぞ➡︎六の宮の姫君

 


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増える脳細胞

2024-05-06 15:45:28 | 日記

長男夫婦が孫を連れて遊びに来てくれた。

孫に会うのは一ヶ月ぶりだが、今も人見知りは相変わらずで、知らない場所へ行ったり、知らない人が目の前に来ると大泣きするそうだ。

何度も会っているジジババ達であっても、しばらくは泣いて大変なので、今回もあまり近づかない様にしようと思っていた。

ところが、今回は家に入って少し泣いたものの、そのあとは全く泣かない。

それどころか笑顔まで見せてくれて、自分のおもちゃを手渡しに来てくれるではないの!

もうびっくりするやらうれしいやらで、思わず「ありがとう」と言って頭を撫ぜた。

撫ぜてから泣くかなと思いきや笑顔のままで、ギャン泣きしていた先月までと比べてすごい進歩だと思った。

「今脳みそがすごいスピードで進化してるんだよね。先月までは思い出すのに時間がかかっていたけど、今はすぐに思い出してるみたいだ」と長男が言った。

一歳半になり、確かにいろいろなことがわかっているなぁと感じる。

まだ数少ない単語しか話せないが、大人が話していることはずいぶん理解している様に見える。

「一歳前より今の方が話が通じるので、楽になりました」というお嫁さんの言葉に頷いてしまった。

脳の神経細胞が最も進化する時期が0歳から2、3歳だそうで、その説の通りだとすると、今ものすごい速さで孫の頭の中が進化しているのかもしれない。

脳細胞が減る一方のジジババからすると、うらやましい、、というより未来への希望を感じた。

ところで歳をとると減るばかりだと思っていた脳の神経細胞だが、歳をとっても増えると聞いて、ちょっぴり希望の光が見えた。➡︎脳細胞はいくつになっても増える

なんと脳細胞は70歳になっても増えるのだとか。

どうしたら脳細胞を増やすことができるのかというと、①散歩や楽器を演奏するなどして身体を動かすこと②講演会や催事があったらなるべく出てみること③勉強するなどして頭を使うことの3点だそうだ。

①の散歩や楽器演奏はなんとかクリアしているので、今後は機会があれば講演会に出たり、何か勉強をしてみたいなぁと思う。

それにしても脳は面白いものだと思う。

例えばテレパシーというものがある。

これも脳の活動によるものだと言われているが、似ているもの同士はテレパシーが伝わりやすいそうだ。

生き別れになった双子が成人して再会してみたら、配偶者の名前や住所の番地などたくさんの共通点があったという話もある。

もしもテレパシーが普通に使えたら、難病で声や身体が使えなくても意思を伝えることができるのかもしれない。

孫の時代には、テレパシーが普通に存在している世界になっているかな、なんて未来への希望は膨らむ。

 

 


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