朝方に夢を見ていた。
夢の内容はまったく覚えていないのだが、最後に父の顔がドアップで出てきたので驚いて目を覚ました。
久しぶりに父を見たなぁ、、なんて父のことを寝ぼけたまま思い出していたが、ふと気づいた。
「そういえばお父さんの命日ってもうすぐじゃなかったけ?もしかしたら過ぎてしまったかもしれない」
起きてからすぐに確認すると、父の命日は翌日だとわかった。
さらに今年が七回忌だということもすっかり忘れていた。
本州に住んでいる弟が、法要をやってくれる筈なので、私はいつも通りの先祖供養で、父を想って長いお線香をあげることにした。
命日にも長いお線香をあげて供養しようと思っていたら、久しぶりにまた鐘の音が聞こえた。
隣に夫が座っていたが、今回は聞こえなかったようだ。
「また聞こえたね」と言ったら、「やっぱりお墓参りに行くべきだ」と夫が言った。
実は夫に父の命日だったことを伝えて、お墓には行かずにいつものように自宅で供養すると言ったのだが、夫はお墓参りも行った方がいいのではないかと言っていたのだった。
「鐘を鳴らして墓参りにもこ〜いと、お父さんが言ってるんだよ」という夫の言葉に思わず笑ってしまった。
鐘と父とは無関係だ。確証はないが、なんとなくそう思う、、、
でもやっぱり夫の言う通り、お墓へ行くことにした。
掃除をするためにお墓を囲む敷地に入ったら、突然実家の家に帰ったような気がした。
脳裏に今はもう無い実家のリビングが浮かんできて、何とも言えない懐かしい気持ちになった。
実家のお墓は市内の平岸霊園にある。
街の中にあって豊かな緑に囲まれた、まるで公園のような霊園で、子どもの頃は、お墓参りに来ると、お墓の前の芝生にシートを広げて、お供えしたものや持ってきたお弁当を食べるのが恒例行事だった。
「亡くなった人と一緒にご飯を食べるんだよ」という母の言葉にちょっと怖い気持ちもしたが、お墓の前でお弁当を食べるのは、ピクニック気分がして楽しみでもあった。
今よりずっと娯楽の少ない時代だったから、お墓参りに来る多くの人たちが、まるで行楽地に来たかのように、お墓の前でお弁当を食べていたと思う。
でも今では人が多いお盆の時でも、お墓の前でお弁当を食べている人はほとんど見かけない。
これも時代の流れなのだなぁと思う。
時代の流れといえば、ここへお墓参りに来るのも、あとわずかかもしれない。
というのも弟がここは墓じまいをして、住まいのある街に移したいという。
もうすっかり本州の人になった弟が、自分の近くに移したいというのももっともなことなので、まったく異論はないが、また一つ帰る実家が無くなったようで少し寂しいかな、、、
なんて言っている間に、気がつけば実家の立場になっていた。
すべては諸行無常だな〜としみじみ思う。