家族をみんな送り出して、一人でゆっくり朝食をとろうと思ったら電話が鳴った。
こんな早くに誰かなと出てみると、なんと高齢者住宅にいるお姑さんだった。
私がお姑さんに会いに行かなくなってから半年がたつが、声を聞くのも半年ぶりだった。
認知症が進んでいるので、私のことは忘れたかなと思っていたのだが、お姑さんの第一声は「お母さんかい?」だった。
そう、お母さんとは私のことで、お姑さんからいつもそう呼ばれていた。
お姑さんから突然電話がきたことよりも、私のことを憶えていたことに驚きつつ「そうですよ」と答えると、お姑さんは長らく会っていなかったことなど気にもしていないように、うろたえた声で話し出した。
「今朝、施設の職員さんから今月中に施設を出てくださいって言われたんだけど。急に出てくれって言われたってねえ。今月中って言ったら、もうあと少しでしょ?そんなこと言うもんだから困っちゃって。だからよろしくお願いね。じゃあ、もう職員さんが迎えに来るから」
ガシャン(電話を切る音)
自分の話したいことだけ話すと、電話は切れた。
長く会っていないので、私はすこし話したかったのだが、本当にあっさりとした電話だった。
きっとお姑さんは、職員さんに言われたことを何か勘違いしているのだろう。
「施設から出てほしい」などと職員さんが言うはずがないし、もしそれが本当であっても、まず先に家族に連絡がある。ましてや「今月中に出てください」なんて言うわけがない。
お姑さんが不安そうに話す合間に「わかりました、施設に聞いてみますね」と何度か言ったのだが、お姑さんがそれで納得したとは思えなかった。
お姑さんはひとつのことが気になると、ずっとそればかりにこだわる。
お姑さんの声は、まだ納得できていない声だった。
そして思った通り、翌朝もまた電話が鳴った。
お姑さんは、前日と同じようにうろたえた声で「施設から今月中に出てくれと言われた」と、同じことを訴えた。
ただ前日と違うのは、出て欲しい理由が明らかになったことで「どこも(身体に)悪い所がないから出て欲しいと言われた」とのことだった。
お姑さん、完全に病院と間違えている。
ところで前日は、私の応対の仕方が良くなかったと、電話を切ってから反省していた。
「わかりました。施設に聞いてみますね」と言ってしまったのだが、それだと施設に居られるのか居られないのかわからないので、お姑さんが不安のままなのは仕方がなかった。
ちゃんと安心させるような受け答えをするべきだったと反省した、
今回は、施設に居ることができることを話し、「大丈夫、安心して」と繰り返し言ったのだが、それを聞いたお姑さんは「安心していいんだね、安心していいんだね」と「安心」という言葉を繰り返していた。
お姑さんの、この声を聞いて、私も一安心。すこし納得してくれたかな。
そして三日目の今朝。もしもまたお姑さんから同じ電話があれば、今度こそ施設に電話をして、施設の職員さんから「施設を出なくてもいい。ここに居られる」と、しっかり言ってもらおうと思っていたのだが、今朝はお姑さんから電話がくることはなかった。
歳をとって身体が若い頃のように動かなくなり、耳も聞こえにくくなり、記憶もおぼろげになって、まして自分の意思に反して自分の家ではない場所に住まいを移して、不安にかられることがあっても仕方がない。
「人間、年老いて人生の最期のステージというのは悲しいものだなあ」と言ったのは夫だった。
年老いてますます強くなる頑固さや猜疑心。子どもとして、親の嫌な面に向き合わなければいけない夫のやるせない心の内なのだと思う。
でも、親が身をもって子供に最後の教育をしてくれている、年老いていく姿を見せてくれていると、亡き父やお姑さんをそばで見ていて思う。
年老いて行く親たちを見て、こういう風にはならないようにしようとか、ここは見習おうとか、若くして亡くなった実母の時には私もまだ20代と若かったせいか思わなかったが、自分も老年期が目の前に見えてきた今はそう思う。
久しぶりに聞いたお姑さんの声は、懐かしいというにはまだ早いが、嫌な気持ちは不思議なほど消えて、むしろ元気でよかったと安心した。