映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」を観た。
子どもの頃は、テレビの前でゲゲゲの鬼太郎が始まるのを、楽しみに待っていたものだったが、あれから五十年以上が経ち、再び新しい鬼太郎を観ることができるとは嬉しいことだ。
映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」は、鬼太郎がメインではなく、主に鬼太郎の父がストーリーの中心になっている。
鬼太郎の父と言えば「目玉おやじ」
その目玉おやじが、まだ目玉じゃなかった頃の話だが、この映画はとても考えさせられる内容だった。
子どもの頃は、人間に対して悪事を働く妖怪がただ怖くて、妖怪を退治する鬼太郎や仲間の妖怪たちをかっこいいと思って観ていたが、ではなぜ妖怪は人間に悪事を働くのか、人間の側にも問題があったのではないかという事は考えたこともなかった。
でも今回は、それをとても考えさせられた。
映画の舞台は昭和31年。
日本が敗戦から高度成長期へと変貌を遂げた時代だが、南方の戦場からやっと帰ってきたもう一人の主人公の水木が、鬼太郎の父と出会って変わっていく姿が興味深かった。
出世してお金持ちになりたい、人生で大切なものは地位や名誉、そしてお金。
最初は水木もそうだったが、鬼太郎の父と行動するうちに変わっていく。
金品や地位をチラつかせて命乞いをする金持ちに「くだらない」と吐き捨てるように言う水木。
作者の水木しげるさんの言いたかったことが、よく表れている部分だと思った。
人間の欲望は果てしなく、自然を始めとして大切なものを、どんどん破壊していった。
その自然の中にいたのが妖怪で、もっと可愛らしい言葉を使えば、妖精ともいうが、そうした妖精たちも自然破壊とともに数を減らしていったのではないかと思う。
そして今、妖怪や妖精、動植物だけではなく、自らも数を減らすために地球環境を破壊している。
つくづく愚かで非道だと思う。
ところで妖怪や妖精は、実際にいると思いますか?
すでにいると言う前提で、この記事を書いてしまっているので、今更言うこともないですが、私は間違いなくいると思っている。
もう何年前のことだが、自宅のお風呂に浸かっている時に、浴槽の角に20センチくらいのキツネを見たことがあった。
和服で袴をはき、上半身には武士が着けるようなカミシモを着ていた。
かしこまった姿で正座をして、ちょこんと座っているキツネに、驚いたと言うより興味があって、マジマジと見てしまった。
見ているうちに、それはすぐに消えてしまったが、今思えばあれは妖怪、、いや妖精と言われるものだったのではないだろうか。
太古の頃は、こうした妖精もよく現れていたのかもしれない。
その頃のようにもう一度、美しい地球に戻すことはできるだろうか。
それはきっと個人でも、力が無くてもできる。
一人一人が意識を変えること、本当に大切なものを、思い出すことなのではないか、、などと鬼太郎の映画を見ながら考えていた。