ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

ゲゲゲの鬼太郎

2024-06-28 17:43:36 | 日記

映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」を観た。

子どもの頃は、テレビの前でゲゲゲの鬼太郎が始まるのを、楽しみに待っていたものだったが、あれから五十年以上が経ち、再び新しい鬼太郎を観ることができるとは嬉しいことだ。

映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」は、鬼太郎がメインではなく、主に鬼太郎の父がストーリーの中心になっている。

鬼太郎の父と言えば「目玉おやじ」

その目玉おやじが、まだ目玉じゃなかった頃の話だが、この映画はとても考えさせられる内容だった。

子どもの頃は、人間に対して悪事を働く妖怪がただ怖くて、妖怪を退治する鬼太郎や仲間の妖怪たちをかっこいいと思って観ていたが、ではなぜ妖怪は人間に悪事を働くのか、人間の側にも問題があったのではないかという事は考えたこともなかった。

でも今回は、それをとても考えさせられた。

映画の舞台は昭和31年。

日本が敗戦から高度成長期へと変貌を遂げた時代だが、南方の戦場からやっと帰ってきたもう一人の主人公の水木が、鬼太郎の父と出会って変わっていく姿が興味深かった。

出世してお金持ちになりたい、人生で大切なものは地位や名誉、そしてお金。

最初は水木もそうだったが、鬼太郎の父と行動するうちに変わっていく。

金品や地位をチラつかせて命乞いをする金持ちに「くだらない」と吐き捨てるように言う水木。

作者の水木しげるさんの言いたかったことが、よく表れている部分だと思った。

人間の欲望は果てしなく、自然を始めとして大切なものを、どんどん破壊していった。

その自然の中にいたのが妖怪で、もっと可愛らしい言葉を使えば、妖精ともいうが、そうした妖精たちも自然破壊とともに数を減らしていったのではないかと思う。

そして今、妖怪や妖精、動植物だけではなく、自らも数を減らすために地球環境を破壊している。

つくづく愚かで非道だと思う。

ところで妖怪や妖精は、実際にいると思いますか?

すでにいると言う前提で、この記事を書いてしまっているので、今更言うこともないですが、私は間違いなくいると思っている。

もう何年前のことだが、自宅のお風呂に浸かっている時に、浴槽の角に20センチくらいのキツネを見たことがあった。

和服で袴をはき、上半身には武士が着けるようなカミシモを着ていた。

かしこまった姿で正座をして、ちょこんと座っているキツネに、驚いたと言うより興味があって、マジマジと見てしまった。

見ているうちに、それはすぐに消えてしまったが、今思えばあれは妖怪、、いや妖精と言われるものだったのではないだろうか。

太古の頃は、こうした妖精もよく現れていたのかもしれない。

その頃のようにもう一度、美しい地球に戻すことはできるだろうか。

それはきっと個人でも、力が無くてもできる。

一人一人が意識を変えること、本当に大切なものを、思い出すことなのではないか、、などと鬼太郎の映画を見ながら考えていた。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盛り上がる話題

2024-06-22 21:55:33 | 日記

学生時代の友だちから電話をもらい、本当に久しぶりに話をした。

なんと三時間も話していた。

話している最中に何度か電話が途切れて、三時間経った頃に完全に切れてしまった。

長電話もういい加減にしなさいと、電話会社から強制的に切られたのかと思ったが、多分うちの電波が悪いせいだろう。

電話の声が、途中で聞こえなくなるのはよくあることで、森林の中に家があるからなのかと思うが定かではない。

とにかく途切れ途切れになったが、久しぶりの友だちとの話は楽しかった。

ところで一番盛り上がったのが、宇宙人とか霊とか、もう怪しい話ばかり(笑)で、よくこの話題だけで三時間も喋れるものだと感心するほど盛り上がる。

実は、こんな話で盛り上がれるのは彼女しかいないので本当に楽しい。

興味がある事が似ているのか、私が振った話題は、たいてい彼女も興味があり、彼女が振る話題は私も興味がある。

これは学生時代から変わっていない。

そんな人と10代の頃に出会い、ずっと友だちでいられて、本当に幸せだと思う。

ところでワクチンから始まった孤独感から抜け出せないでいた頃、だれか同じ価値観の人と話したくて仕方がなかった。

頭に浮かんだのは彼女だったが、あの時はどうしても電話をする事ができなかった。

彼女は結婚して家庭を持ち、そして毎日仕事をしている身。

暇な私が、自分の孤独を癒すためだけに電話をしては申し訳ないと思ったからだが、今になれば、それでよかったと思う。

そのお陰で自分の中へ入って行くことを覚え、自分自身を客観的に見る時間が取れた。

そこでわかったことは、孤独だと思っていた自分が、実はみんなと、全てと繋がっていたということ。

これは知識としてはわかっていたが、心からの理解はしていなかった。

それが少しわかるようになったことで、自分の中の何かが大きく変わったように思う。

だから数年続いた孤独感も悪くはなかった。

今はもう前のようなひりひりするような孤独感を感じることは無くなり、色々なことが知りたくてたまらない。

もっともっと魂を向上させたいと思っている。

このことも彼女と話せばよかったなと、後から思っていた。

彼女ならきっと理解してくれただろう。

宇宙人とオバケの話しかしなかったことが悔やまれる、、、

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義理の親子

2024-06-17 11:59:25 | 日記

夫が沈痛な表情を浮かべて言った。

「親父とお袋から、いつまでここに置いとくつもりだと言われた。もうそろそろ迎えに行かないといけないな」

それを聞いて動揺しながら考えていた。

「うちから向こうの実家へ戻って、まだ何年も経っていないのに、また戻りたいとは、、、引越しが大変だなぁ。でもそんなことより、自分はまた義父母と一緒に暮らしていけるだろうか。いやもう無理だ。でもそんなことを言ったら夫が困るだろうな、、でも戻ると言っているなら戻るのだろう。できるかな?わたし、、、」

とかなんとか、色々考えて動揺していたら目が覚めた。

義父が亡くなって13年、そして義母が亡くなって4年が経ったが、いまだにこんな夢を見るとは、義父母と暮らした15年は、これほど私の人生で記憶に残り、そして学ぶことが多い年月だったのかと思う。

義父母と暮らしてみて、これまで気づかなかった自分の欠点がよくわかったし、もちろん色々な葛藤もあった。

また、良い意味でも悪い意味でも義父母から学んだことは多かった。

結婚して、突然知らないおじさんとおばさんが親になり、「お父さん、お母さん」と呼んで、義理ではあるけど家族になり親子になるのだから、これはもう衝撃的な出来事だ。

ずっと昔から世界中?で行われて来たことだけど、よく考えてみると、すごいことだと思う。みんなよくやってるわと、今更思ったりする。

ところで息子夫婦から「一緒に公園へ行かないか」と誘われた。

たまには孫と遊びたいだろうと思ってくれる息子夫婦の優しさに、喜んで出かけて行った。

孫は可愛くて、最初は人見知りで隠れていたが、慣れてくると両手を広げて抱っこをせがむ姿に、じじもばばも顔のパーツすべてが下がりっぱなしになる。

孫がかわいいのは、世界共通なのかな?

でもお嫁さんはどうなのだろう?

嫁姑問題はずっと昔からあるし、こちらも世界共通ではないかと思うくらい、他国(数カ国)の人に聞いたところによれば、嫁姑問題はやはりあるそうだ。

ただどこでも例外はあって、嫁姑がとても仲良しという関係もあるだろう。

私は実母を早く亡くしたので義理の母と仲良しになりたいとずっと思っていた。

できれば二人で旅行もしたかった。

義母は海外へ行ったことがないから、行くならシンガポールがいいかな(なぜシンガポールなのか、今となっては謎だが)と思い、夫にもそれを話してOKをもらっていたのに、いつの間にかそんなことも頭の中から消えていた。

日常の些細な出来事が、心の殻をどんどん硬くして行ったように思う。

今思うことは、上辺だけではなく、もっと心の中から優しくできたらよかったのにということだが、当時の私にはそれができなかった。

だから、とてもよい勉強になったと義父母には感謝している。

というわけで、そんな反省を踏まえて、今度は姑となってお嫁さんに接して行こうと、息子が結婚する時に思ったものだった。

まずは第一に自分が言われて嫌だったことを、お嫁さんには言わないように気をつけようと思った。

例えば自分の知ってる育児法など、決して押しつけるように言わないことだが、ただお嫁さんの近くには実のお母さんがいるから、何かあればお母さんに聞くでしょうと思うので、これは私が口を挟むまでもなかったが。

さて息子夫婦と行った公園は、孫を見ているだけでも幸せで楽しかったが、今回はお嫁さんとたくさんお話しできたことが楽しかった。

家の中で話しているのとは違って、自然の中でのおしゃべりは、心が解放されるのか、普段は話さないようなことも話すことができた。

そして楽しくおしゃべりしながら、はたと気がついた。

今まで自分が嫁だとか姑だとか思っていたから、うまく接しているようでどこか無理をしていたのかもしれないと、、

だから義母についても、心から相手を受け入れることができなかった。

いつもどこかで緊張していることが、きっと相手にも伝わるのだ。

だから、これからは嫁とか姑だとかは考えず、久しぶりに会う友だちのように、自分が楽しくなるようにおしゃべりをしてつきあえばよいのだと思った。

まだまだ緊張感が伝わってくるお嫁さんだが、その緊張感を解いてあげようなんてことさえ思わなくていいのかなと思う。

無理をせず自然体で自分が楽しい気持ちになって、礼儀として相手が嫌がることはしないように気をつけていれば、それでいいのかもしれない。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅仕事

2024-06-13 17:23:52 | 日記

今年は気象の影響で梅が少ないらしく、南高梅はこの10年でもっとも少ないそうだ。

春に市内の平岡梅園に行ったが、今年は1割くらいしか梅の花が咲いていなかった。

梅の不作は、全国的なのかもしれない。

例年なら七月になってからでも梅を買えるが、今年は店先に「今年は梅が少なく、売り切れたら入ってきません」という貼り紙がされていたのでさっそく買ってきた。

全部で7キロ。本当はもう少し欲しかったかな、、、

そのうち4キロは、赤しそを入れた梅干しにすることにした。

4キロの梅を塩漬けしたところ。

塩辛いのが苦手で、毎年塩分10%の減塩で梅干しを作っていたが、これはカビとの戦いで、昨年は二つの樽で作ったうちの一つにカビが発生してしまい、後からカビを取ったり消毒したりとけっこうな手間がかかった。

そこで今年は塩の量を14%にしてみた。たった4%の違いだが、防カビのための焼酎も入れなくて良いそうだ。

漬けて二日目。梅酢が上がって来たので、重しを半分にした。

重しは、もう乗せなくていいかもしれない。。。

そして残りの3キロは、「さしす梅干し」を初めて作ってみた。

「さしす梅干し」とは、さ(砂糖)、し(塩)、す(酢)で漬ける梅干しのことで、失敗が少なくて、お茶うけにもできるほんのり甘い梅干しだそうだ。

作りながら「えっ、こんなに砂糖と酢を使うの?」と思うほど、たくさんの砂糖と酢を使うが、残った液はピクルス作りや、すし酢としても使えるそうなので、来年はせっせと残り液を消費しようと思う。

甘いので子どもでもパクパク食べられるそうで、孫にも食べさせたいという下心有り。

さしす梅干し、どんな風に仕上がるのか、とても楽しみだ。

ちなみにこの写真では、梅がしっかり液体に浸かっていない為、後から二枚重ねにしたビニール袋に水を入れて梅に乗せた。

すると梅がしっかり液に浸かって安心。(水が漏れないかは心配だけど、、)

さしす梅干しのレシピです➡︎きょうの料理レシピ

梅仕事は、梅をよーく洗ったり、一つずつ竹串でヘタを取ったりと、数が多いほど手間がかかる。

時には「梅ジャムが食べたい」という家族の声もあると、更にたくさんの梅が必要になり、そのぶん手間もかかって面倒だと思うことも無きにしも非ずだが、基本的に梅仕事が好きなのかもしれない。

梅を見ると、手に取らずにはいられない。

来年はもっと少なくしようと思うのに、梅を見るとつい買ってしまい、家族から「梅ばばぁ」という失礼な名前をつけられてしまった。

梅は良しとして「ばばぁ」はやめて欲しいわ。ホントに、、、

せめて「梅おばさん」にして欲しい。

というわけで天日干しの時期まで、この状態で置いておきます。(普通の梅干しの方は、途中で塩で揉んだ赤紫蘇を加えます)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台、山形

2024-06-08 16:42:34 | 旅行

今週は旅行に行っていた。

行った先は仙台と山形。

山形は初めてで、宮城県は今回で三回目だが、仙台に行くのは初めてだった。

久しぶりの東北旅行だが、距離的に近いからなのか、言葉に共通点があるからなのか、なぜか東北はとても落ち着く。

まずは朝市へ行った。

市場好きなので、ここでは目の色が変わった(らしい)

観光客が多いので、高めの価格設定なのかと思ったら、そんなことはなくてむしろ安いくらい。

最近、価格が高騰していた野菜類がお買い得だし、いちごも安くて美味しそうだし、三陸産の塩蔵わかめもお買い得価格で美味しそうだった。

「これ持ち歩きで何日くらい大丈夫でしょう?」

わかめが欲しくて店員さんに聞いたら「この気温なら三日くらいですね」とのことだった。

あぁ仙台市内観光が最終日だったら、全部背負って帰ったのに、、、

後ろ髪をひかれながら、仙台を観光した翌日は山形へ向かった。

本当は出羽三山へ行く予定だったが、急遽予定を変更して熊野大社へ行った。

あらゆる命を生み出し育む「むすひ」の神様がいらっしゃる熊野大社。

1200年以上もの歴史があり、東北の伊勢とも言われているそうだ。

参拝者が奉納した風鈴が涼やかな音をかなで、とても気持ちの良い神社だった。

気持ちが良いと言えば、こちらも、、、蔵王温泉の大露天風呂。

硫黄の香り漂う長い階段を降って行くと、自然の中に大露天風呂がある。

掛け湯だけで洗い場はないが、強酸性の硫黄泉が皮脂も洗い流してくれるそうだ。

頭に手ぬぐいをのせてお湯に浸かっていたら、旅の疲れも吹き飛ぶようだった。

まだまだ良かった場所はたくさんあるのだけど、長くなるのでこの辺にして、、、

ところで最終日、飛行機の時間には少し間があったので、空港近くの名取市へ行って来た。

名取市は、東日本大震災の時の津波で、大きな被害を受けた町。住民の一割が、犠牲になられたという。

メモリアル公園にある慰霊碑に刻まれたお名前を一つ一つ見ていたら、どんなに怖かったことだろうと思う。

今一度、あらためて防災を考えなければいけないのかもしれない。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海が見える店

2024-06-02 12:39:44 | 日記

長男夫婦おすすめのお店に行ってきた。

ピザが美味しくて海が見えるお店「リップル」石狩市の厚田にある。

あっさりとしたピザが美味しい。

そして店内も落ち着いていておしゃれ。

しかし、ここに一歳半の子を連れて長男夫婦は来たのかと思うと、果たして落ち着いて食べられたのだろうか、、、

孫は、長男が赤ちゃんだった頃に比べてずっとおとなしく、太めの切り干し大根さえ与えておけば、しばらくは静かに座っていられるのだが、それでも長い時間は無理ではないだろうか。

長男が、これくらいの頃にどうしても食べてみたくて、夫と二人でスープカレーの有名な店に行ったことがある。

ちょうどいい具合に寝てくれたので、その間に食べてしまおうと思ったら、途中で起きてぐずり出し、泣かせないように抱っこしながら、呑み込むように食べて、早々に退散して来たことがある。

もちろんその時のスープカレーの味は、まったく覚えていない。でも今となっては、いい思い出。

とはいえ、もうそのような心配さえ無用なのだ。

長男夫婦は、自分たちで考えて上手に子育てをしている。

特にお嫁さんは、本当に手をかけて愛情深く子どもに接していることがよくわかる。

だから黙って見守るだけでいいのだ。助けを求められたら、いつでも駆けつける気持ちだけは持ちながら。

そして、今日も長男夫婦からたくさんの写真が送られて来た。

泣いたり笑ったりしている幸せそうな家族写真を見ているだけで、こちらも幸せになる。

親はいつまでたっても親であり、子どもが幸せで居てくれることが、自分の幸せでもあるのだなぁとつくづく思う。

神さまがいらっしゃるのなら、きっと同じ気持ちで私たちのことを見て下さっているのだろう。

だから子どもである私たちは、人生でいろいろあっても自分の心の幸せだけは守らなければいけない。

なんてことを今朝思いながら、世の中が激しく変わっていく世界に立ち会うことができる幸せを感じている。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする