ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

懸賞に当たる

2021-11-26 16:16:21 | 日記

応募していたことを忘れていた懸賞が当たって、500円の図書券が送られてきた。

すっかり忘れていたが、そういえば2ヶ月くらい前に、ある金融機関の情報誌のクイズに応募したことがあった。

送られてきた図書券を見て、当選は500円の図書券だったのかと初めてわかった。

何が当たるのかさえ覚えていなかったが、こうして「当選しました」と華々しく送られてくると、じわじわと嬉しさが込み上げてくる。

実は今年になってこれが4回目の当選で、他の三回は何が当たったのかと言うと、ミネラルウオーター24本、2,000円の商品券、そして国産牛の豪華焼き肉セットだった。

このような事を書くと、懸賞マニアなのかと思われるかもしれないが、実際は滅多に懸賞に応募することはない。

以前、ネットの懸賞に応募して迷惑メールがたくさん送られてきたのでやめたのだが、今回のように普段使っている金融機関など身元がはっきりしている所のものには気が向けば応募するくらいのものだった。

そして今年当たった四回は、すべてたまたま目に入った情報誌に載っていた懸賞で、特に当たりたいという強い気持ちがあった訳でもなく、気軽に応募してあとはすっかり忘れていた。

それにしても応募した回数は四回だったが、当たった回数も四回だった。

ということは100%の当選率だったわけで、我ながら今年のくじ運は最強だったと思う反面、こんな所で運を使ってしまっていいのかと、ちょっと複雑な心境もしている。

とはいえ当選するというのは嬉しいものだ。

百発百中なんてもう無いだろうと思うので、こうしてブログに書いてしまっている。

ところで、なぜこんなに当たったのかと振り返ってみると、ある共通点があった。

それはすべての応募に感想や意見を書く欄があったことで、そのすべてに時間をかけて、これを読んだ人はどんな意見、感想を貰ったら嬉しいだろうかと考えながら、自分なりに丁寧に書いたつもりだった。(ひま人だということもあるが)

それにしても長くブログは書いているが、いまだに文章が下手で、一つの記事を書くにもずいぶん時間がかかるのだが、自分は読むことと同じくらい文章を書くことが好きだったんだなぁとは、最近やっとわかったことだ。

とはいえ、それが本当に当選の要因だったかは不明で、もしかしたらガラガラポンと、偶然に当たったのかもしれない。

そうそう、そういえばもう一つ心当たりがあった。

実は私、風水が好きで、昔、地元の風水師さんのところへ習いに行っていたことがあるのだが、習うことをやめた今でも家に風水を取り入れている。

一番大切な事は掃除と整理整頓なのだが、それができてから初めて色を使ったり、植物や物を置いたりする(と聞いた)

で、去年までやっていなくて、今年やってみた風水がある。

それは、玄関に赤色と黄色の紐やリボンを置くこと。

赤色は財運、黄色は楽しいことを運んでくるということで、色々なものが入ってくる玄関にそれを置くと良いそうだ。

物でも良いかもしれないが、できれば紐やリボンを玄関の扉に結びつけると良いそうだ。

私は玄関扉の上にあった鈴にリボンをつけてみた。

で、結果は前述の通り。

信じるか、信じないかはアナタ次第。

なんて事を書いていたら、くじ運の悪かった亡き母の言葉を思い出した。

「くじには当たらないけど、罰(バチ)も当たらないからいいの」

そうね、、、バチが当たらないのが一番かもしれない。

 


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十勝、根室(続き)

2021-11-21 15:43:15 | 旅行

60年、北海道に住んでいても行ったことが無い場所がまだまだある。

根室市もその一つ。

根室の近くの知床は何度も行ったのだけど、根室は行ったことがなかった。

そこで今回は初めて根室へ行ってみることにした。

その前に中標津町で有名な観光スポット「開陽台」へ寄り道。

開陽台(かいようだい)が有名になったのは、「振り返れば地平線」という佐々木譲氏の小説で、北海道をバイクでツーリングする話だそうだが、その中で開陽台が登場するのだとか。

見渡せばぐるりと330度の大平原が広がる雄大な眺望が、ライダーの口コミで広まり、北海道を旅するライダーに聖地と呼ばれた所だそうだ。

それにしてもつい数年前までライダーをやっていた夫が、この小説を読んだことがあるのか無いのか、、、開陽台へ行っても何のコメントも無かったので、多分読んだことが無いのかもしれない。

せっかく夫自らバイクをやめる決断をしたので、小説の話はしないでおこうと思う。

焼けぼっくいに火がついてはいけないので(笑)

開陽台の展望台から見た景色。

地平線が見える雄大な景色を見ていると、日常生活の悩みなど、ほんの小さなことに思える。

ところで開陽台近くの道路に立っている標識が珍しかった。

動物に注意の「牛」の絵はまだわかるとして、馬に乗った人の絵というのは初めて見た。

開陽台付近には、ライダーのほかにカウボーイもいるのだろうか、、、

というわけで、開陽台を後にすると根室へ向かった。

根室に入って感じたのは、北方領土返還という看板がやけに多いことで、同じ北海道でも、他の地域では北方領土返還をあまり目にすることが無い。

根室がこれほど多いのは、北方領土が肉眼でも見えるくらい近くて、国境の海では漁船がロシアに拿捕されるなどの事件が相次いでいることもあるのだろうか。

本土最東端の「納沙布岬」

納沙布岬からは、北方領土である歯舞群島の貝殻島や水晶島がすぐ近くに見える。

望遠鏡を使って見ると、水晶島にロシアの監視塔やレーダー施設を確認できて不気味さを感じる。

写真には映らなかったが、この海の先に水晶島が見える。

「北方領土モニュメント四島(しま)の架け橋」

アーチ状のモニュメントの向こう側に見える塔火台には、昭和47年5月に祖国復帰を実現した沖縄県波照間島で自然発火し、青年団体によるキャラバン隊により太平洋、日本海の両コースを通って各都道府県庁に立ち寄って根室納沙布岬まで運ばれた「祈りの火」が「北方領土返還運動の火を絶やすな」という合言葉のもとに、現在も燃え続けている。

モニュメントを見学している時に、見回りに来た地元の方とお話することができた。

今年になって二度も、モニュメントに「奪還」と大きく落書きをされて、監視カメラを付けるのと同時に見回りもしているそうだ。

これは大きなニュースになったので知っていたが、地元の方は大変怒っていらした。

まったくどういうつもりで二回も同じ落書きをするのかと思うが。

「祈りの火は、四島すべてが戻って来るまで燃やし続けるんだ」と、地元の方が話しておられた。

北方領土はいつの日か戻ってくるのだろうか?

先祖が北方領土に住んでいた人は特に、北方領土の返還が悲願であろうと想像できる。北方領土は、あまりに不条理にロシアに奪われた。

そして私も返して欲しいと思うが、それと同時にアイヌ民族のことが頭に浮かんだ。

北海道開拓のために、アイヌ民族が住んでいた土地を奪うことがあっただろう。

また言語も明治政府の同化政策によって、それまで使っていたアイヌ語から日本語にしたという経緯がある。

そのような事を思いながら、最東端から海を眺めてきた。

この後、帯広へ行き美味しいスイーツをお土産買ったのだけど、それを書きだすとブログ記事が終わらないので、この辺にしておきます。。。

 


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お風呂とサウナ

2021-11-17 14:37:40 | 健康

市内中心部でサウナのイベントが行われているとニュースで知ったが、街の中心部には滅多に行かないので、どんなイベントなのかよく知らなかった。

ところが、先日帰ってきた長男が、サウナイベントへ行ってきたことを教えてくれた。

長男によると、サウナはビルの屋上などに設置されて、サウナと共に夜景も楽しむことができるそうだ。

入場料が千円と手ごろなこともあって、仕事帰りの会社員や若い人にも人気を集めているのだという。

ビルの屋上などに簡易に設置されたサウナなので、一度に入れる人数が4人くらいのテント型やバレルサウナと言った小型のサウナなのだそうだ。

そこでお客さんは、水着やTシャツ、ガウンを羽織るなどしてサウナに入り、サウナから出たらシャワーで水を浴びて、外のイスに腰掛けて夜景を見ながら「ととのえる」そうだ。

長男のオススメは樽型のバレルサウナだそうで、木の香りがリラックスできてすごく良かったという。

サウナといえば、おじさんやおばさん達の集う場所というイメージがあったが、今サウナは若い人たちにも人気があって、若い女性が一人で来ていたというのを聞いて驚いた。

遠い昔、私がOLだった頃は、若い女性の仕事終わりのアフターファイブは、ショッピングや習い事、はたまた飲みに行くというのが定番だったが、今はサウナという選択肢もあるのか、、、と少し羨ましくなった。

「試しに行ってみたら」と長男に勧められたが、う〜ん、私はやっぱり温泉の方がいいなぁ。そこでサウナがあったら入りたいが、主役はやっぱり温泉の方だなぁ。

というわけで、暇があれば温泉通い。昨日も初めての温泉へ行ってきた。

実は温泉特集をやっている雑誌を買ったら、道内のいろいろな温泉の割引クーポンが付いていたので、最近クーポンを使って、初めての温泉へ日帰り入浴に行くのを楽しんでいる。

でも、行くのに八時間もかかる日帰り温泉には行けない。

道内全域のクーポンが付いていたが、市内か市内近郊の温泉施設に限って行っている。

そして、昨日行ったのも近郊の町にあるホテルの温泉。

周囲は山ばかりだし、ホテルの温泉なので料金設定が少し高めと言うこともあって、きっと空いているだろうと思って行ってみたのだが、予想に反して激混みだった。

洗い場が無いほどの混みようで、こんなに混んでいる温泉は、子どもの頃に行った銭湯以来だと思った。

まさか全員が雑誌のクーポンを使って来ているとは思えないが、寒さが厳しくなってきたせいか、市内や近郊の温泉や銭湯は混んでいることが多くなった。

あまり混んでいる温泉は避けたいが、それでもお湯に浸かる魅力は捨てがたい。

お湯に浸かった瞬間に思わず出る「はあ〜」というため息。ここに幸せ〜という想いのすべてが集約されていると思う。

この「はあ〜」は、いきなりサウナに入っても(私は)出ない。やっぱりお湯だ。温泉だ。

ちなみにお風呂に浸かる回数と幸福感は比例していると、何かの本で読んだことがある。

これは自分の実体験から言って、間違っていないだろうと思う。

お風呂、、、できれば源泉掛け流しの温泉に入って、サウナにも入って、最後は水風呂で締めるというゴールデンコースが、私の幸福感を押し上げてくれていると思う。

あ〜書いているうちに思い出してきた。

「はあ〜〜〜」

 


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十勝、根室

2021-11-14 15:57:00 | 旅行

十勝と根室へ行ってきた。

前日は大雨だったが、天気予報では道東は午後から晴れるとのことだった。

たしかに雨は小降りになっていたので、何の心配もなく出発した。

ところが前日の大雨で高速道路が使えず、途中で通り抜ける予定の町では、河川の氾濫で避難警報が出されたというのを、行く途中のカーラジオで知った。

また河川の氾濫以外にも土砂崩れが起きているという情報も聞いて慌てた。

よほど引き返そうかと思ったが、家人が行くだけ行ってみようというので、いつでも引き返せるように心の準備はして向かった。

結局、河川の氾濫も土砂崩れもそれほど大ごとではなく行くことができたが、一般道を通って行った為、目的地の中標津町まで八時間近くかかってしまった。(高速道路だと5時間弱くらいで行ける予定だった)

でも途中からお天気も良くなって、一般道を通ったお陰で観光をしながら行くことができた。

途中で寄ったのは、釧路湿原国立公園にある温根内ビジターセンター。

ここでは釧路湿原について知ることができるほか休憩もできる。

また木道も設置されていて、釧路湿原の中を少しだけ散策できるようになっている。

木々と枯草の野原にしか見えないが、よく見ると水が溜まっている場所があって、足を踏み入れるのはとても危険。

「やちまなこ」と呼ばれる場所は、見た目には小さな水たまりに見えるが、地中は壺のように広がって水深が2メートル以上もあり、馬が落ちるともう引き上げられないそうだ(湿原そばに住んでいたことがある義母情報ですが)

間違っても木道から降りませんように。

そして八時間かけて辿り着いたのが、中標津町の養老牛温泉。

養老牛温泉は、400年ほど前からアイヌの人々が利用していたそうで、私たちも利用できるようになったのは100年くらい前からだとか。

自然に囲まれた場所にあって、川のせせらぎを聴きながら入る温泉は最高。また野鳥の宝庫でもあって、鳥好きとしては一度行って見たかった。

もしかしたらシマフクロウも見ることができるかもしれないと期待して行ったのだが、残念ながらシマフクロウは見ることができなかったものの、たくさんの野鳥を見ることができた。

また中標津町は酪農の町でもあるが、さすが牛乳の美味しさと言ったらなかった。

宿で瓶に入った牛乳が出たのだが、蓋と外して飲もうと口をつけても牛乳がでてこない。

なんと牛乳が濃すぎて、上の方が生クリームのように固まっていたのにはびっくりだった。とにかく生クリームか牛乳かというくらい甘くて美味しい。

特に牛乳好きというわけではないが、中標津の牛乳は何度でも飲みたくなる味で、この牛乳を飲むために養老牛温泉まで行く価値はあると思う。

そして、もちろん野鳥と温泉と料理もおすすめ。

昔は北海道の宿の料理は、素材で勝負というだけで工夫がないと言われていたが、今はどこも工夫があって食事が美味しい宿が本当に多いと思う。

というわけで、まだ書きたいことはありますが、長くなるのでまた後日にしたいと思います。

 


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味噌を作るということ

2021-11-09 21:39:33 | 日記

今年二回目の味噌作りをした。

一度に仕込む量は、大豆が1キロで麹1・2~キロくらい。

この量で作ると大体4キロ弱の味噌ができるが、半年も経たない間に食べてしまうので、少なくても年に二回は作らなければいけない。

味噌はこれまで何度も作っている。

作り始めた頃に比べればずいぶん手早くなったと思うが、大豆を茹でたり潰したりと、味噌作りは時間はかかるし手間もかかる。

大げさだが、作ろうと覚悟を決めなければ、すぐには取り掛かれない。

いよいよ作る覚悟を決めて「よし!明日、作ろう」となったら、前日の朝から大豆を水に浸して、家族に対しては納豆禁止令を発令する。

なんでも納豆菌は強力なので、味噌作りの前日は食べてはいけないのだとか。

「え~納豆食べられないの?」と、悲しそうな顔をする納豆好きな家族には「明日は味噌を作るからだめ」と情け容赦なく宣言する。

「わざわざ作らなくても、買ってきた味噌でいいよ。いや、むしろたまには買ってきた味噌が食べたい、納豆食べたい」という家族の声は無視して「一回くらい納豆は我慢しなさい。味噌作りが終ったら好きなだけ食べていいから」と言う。(どれだけ納豆が好きなんだと思うが)

納豆好きな家族に納豆を我慢させ、時間と手間をかけてまで、私はなぜ味噌を作るのか?

それは手作りした味噌の方が、身体に良さそうだと思うからかもしれない。

材料を自分で選んで作るので、添加物も入っておらず、そういうものを家族に食べさせたいと思っている。

手作りをすると、生きた麹によって味噌が変化していくのが見えるのだが、それも身体に良さそうに思われる。

あとは・・・そう、やっぱり手作りの方が美味しいと思うからだ。

でもこれは、自分が手間ひまかけて作ったからであり、作った自分が一番美味しいと感じるということだと思う。

実際、家族はたまに買ってきた味噌が食べたいと言う。

実は、味噌作りで大変な作業の一つが、茹で上がった大豆を潰すということで、少量の大豆で作ればまだ楽なのだろうけど、一キロの大豆となると潰すにも時間がかかる。

量が多いという事もあって、どうしてもなめらかな状態までならず、つぶつぶ感の残った味噌ができ上がる。

私はつぶつぶ感のある味噌の方が好きなのだけど、家族は市販のさらっとした食感の味噌が好きだと言うので、たまには市販の味噌を使った味噌汁が飲みたくなるのだろう。

家族の健康を考えて作っているのに、家族は市販の味噌でもいいと言う。

わざわざ大変な作業をしてまで味噌を作り、手作りの方が身体に良さそう、美味しそうと思っているのは私だけだったのだろうか?

・・・ということを、味噌を作りながら思い至った時には軽いショックをおぼえた。

でも、本当にそうなのだろうか。家族のため、健康のために作っているのか?

違う、という声が心の底から湧き上がってきた。

「楽しいから作るんだ」という自分の声が聞こえたような気がした。

家族の健康を考えてというのは、理由の順位の一番ではない。

手間ひまかけて味噌を作ることも、出来上がった味噌の変化を見ているのも、味噌を作る前の材料を選ぶことも、毎回配合を変えてどれが好みの味になるのか試すことも、家族の健康ではなくて、自分が楽しいからやっている。

だから、私は味噌を作る。もしもこれらが楽しいと思わなくなった時は、味噌を作ることをやめるだろうと思う。

なんて、味噌作りから大げさな話になってしまったけど・・・

私は専業主婦なので、主な仕事は料理や掃除などの家事だが、味噌作りに限らず好きで楽しいからやっているということは案外多い。

掃除などけっこう好きだし、料理も嫌いではない。

でもお裁縫は苦手なので、手作り服や手作り小物なんてもってのほか。

子どもの幼稚園が「カバン類は手作りでお願いします」という、とんでもない幼稚園(笑)だったため、四苦八苦しながら何とかそれらしき物を作って以来、ボタンつけと靴下の小さな穴の繕いくらいしかやったことがない。

とはいえ、いくら好きでもたまに嫌になることもあるし、さぼりたくなることもある。

そんな時はできる範囲で休んだり、買ってくるなりすれば良いのだ。気楽に行こうと思う。

そうそう、たまには市販の味噌も使おう。

とかなんとか、そんなことを考えながら味噌を作っていたのだが、いつぞやのように、味噌玉を容器に投げ入れる手元が狂って、床が大変なことになることもなく無事に終了。作り終えた達成感に浸っている、、、なんちゃって。

マト(容器)を外した時の様子↓ これでもかなりきれいに掃除をした後だが、これはかなり絶望的な気分になる。

さてさて、今回のお味噌、出来上がりが楽しみです。

待つのもまた楽しい。

 

 


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安易な注射

2021-11-04 22:03:35 | 日記

11月4日の北海道新聞に「忘れられた薬害」今も公的支援なくという記事が載っていた。

忘れられた薬害とは、1960年代、70年代に風邪の治療などとして脚や腕の筋肉に大量、かつ多数回にわたって、抗生物質などを注射した子どもが「筋拘縮症」(または筋短縮症)を発症した薬害のことだ。

筋萎縮症とは、太腿の大腿四頭筋や腕の三角筋などが伸縮しなくなる病気で、これが表に出たのは、1973年、山梨県内で脚に異常のある子どもが多数いると報告されたことがきっかけだった。

その後の調べで国内には少なくとも一万人から三万人の患者がいると推定され、日本小児学会は76年、安易な注射を避けるよう求める提言を発表し、発症事例は激減したのだという。

しかし、1970年代後半から全国各地で裁判が起こされ、注射が原因の「大腿四頭筋短縮症」の症例が報告されていることが明らかになったそうだ。

当時、3地裁の一審判決では製薬会社の責任を認めたものの、国の責任は認定されず、製薬会社は裁判を起こした患者とその家族に和解金を支払ったが、国は責任を負わない内容で和解が進んで全訴訟が終了した。

そして、薬害被害者の子どもたちは筋拘縮症の症状の悩みを抱えたまま成長した。

乳児の頃、脚に筋肉注射をうけた人は、幼児期には膝が曲がらず、体育座りや走ることもできず、10歳で筋短縮症と診断され11歳で手術を受け、走ることはできるようになったが、動きにぎこちなさが残り、いじめのターゲットになったのだという。

また高卒後にバスガイドを目指して入ったバス会社では、役員から「体が不自由な人はいらない」という信じがたい言葉を投げられたりもした。

ほかにも小学校1〜2年生の頃、小児科で肩に少なくとも10回以上注射された事を覚えている女性は、10年前に46歳で手術を受けるまで脇を締めることも、両腕を前に伸ばすこともできなかった。

20代で出産した時は、赤ちゃんを抱くことができなかったそうだ。

当時の薬害被害者の子どもたちは、現在50代から60代になっているが、年をとるにつれて脚が上がらず、つまずきやすいなど、症状が悪化しているケースが増えているそうだ。

しかし、先にも書いたが、国は責任を負わない内容で和解したため、筋拘縮症が薬害であると認められたにもかかわらず、現在も公的な医療保障や相談窓口もない。

また自分が筋拘縮症だと知らずに生活している人が多くいると思われるのと同時に、医療機関でも筋拘縮症に関する知識が共有されておらず、適切な治療が受けられないまま不自由な生活をしている人が多数いるはずだということだ。

実は、夫も子どもの頃の注射によって、お尻の注射された部分がへこんでいる。

これは臀筋拘縮症と呼ばれるものだが、幸い夫はそのこと以外に自覚症状はなく普通の生活が送れているのでいいが、年と共にますます体の自由が利かなくなってきた方がいるのが気の毒だ。

夫によると、風邪で病院へ行くとよくお尻に注射をされたそうだが、同じく私も記憶がある。

風邪をひいて病院へ行くと、よく痛い注射(筋肉にうつので痛かった)を打たれたものだった。

たまに注射をしない医師がいると、親は「あの先生はだめだ。注射をしてくれない」と言っていた。

注射を、ありがたがっていた親世代。

小さな子どもには、注射をする、しないという選択はできない。

だから親は安易に注射を打ってはいけない。

現在、薬害筋短縮症の会というのがあるが、会に加わっている患者は、全国で約70人にとどまっているそうで、会では運営に携わってもらえる人の参加を呼びかけている。(薬害筋短縮症の会はネットで調べるとあります)

 

 

 


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