ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

散歩いろいろ

2020-09-26 17:23:36 | 日記

朝夕が寒くなったなぁと思っていたら、あっという間に日中の気温が低くなってきた。

もうじき雪の季節がやってくると思うと寂しい。

でも気温が低くなってきたこの時期は、暑い時に比べて散歩するにはちょうど良い。

最近は、見知らぬ町の散歩にハマっている。

ちょっと車で足を伸ばして、見知らぬ町を歩くのが楽しい。

先日も車で市内の行ったことのない町へ行ってきた。

車はお金を支払って駐車場に停める。(駐禁で取り締まりをされるより安心で安上がりかもしれないので)

さて車を降りたら、お散歩開始。

事前に大体の町の様子や行きたい場所を調べておくので、あまり迷うことはないのだが、思わぬところですてきなお店などを発見するとわくわくする。

札幌市内には「緑地」と呼ばれる普通の公園とはまた違った自然豊かな場所が多くあるのだが、まずはミニ登山とでも言うような起伏のある緑地を歩いた。

しばらく緑地を歩いた所で、見えてきたのは小さな美術館。

実は散歩の一番の目的が、この美術館へ行くことだった。

早速入館料を払って見学する。

玄関を入ると、ちょうど見学し終えて帰る方とすれ違い、美術館は貸し切り状態になってしまった。

美術館の中は余計な装飾が一切なく、静寂そのものだった。

静かで白い壁だけのシンプルな室内で、スポットライトを浴びた作品がまるで華やかなステージに立っているかのように見えた。

美術館というのは非日常を体験できる場所だと思う。

日常を離れ、しばし作家さんの世界に浸る。

さて美術館を出ると、今度は住宅街を歩いてみた。

この辺りは大きな家が多い。

庭も広くて、家も庭もさぞや素敵なんだろうな~と思わず覗いてみたくなったが、高い塀が巡らせてあるお宅ばかりで、不審者だと思われる恐れがあるので、横目でチラ見しながら通り過ぎた。

お庭見学と思っていたのだけど、ちょっと残念。

そうこうしているうちに時間は、ちょうどお昼時。

あらかじめ調べておいたお店で昼ご飯を食べてから、また歩き始めた。

歩いていると、いろいろな発見があって楽しい。

しばらく歩いて行くと、よく知っている場所に着いた。

行こうと思っていた神社に行き参拝をする。

手を合わせていると、ふわっと樹木の良い香りがした。

参拝後は、近くのカフェで一休みをする。

歩き疲れて身体が糖分を求めていた為、いつもはあまり食べないケーキセットにした。

ケーキで体力を回復したあとは、いつも行くお店で買い物を済ませ、車を停めてある駐車場まで歩いて戻り、約3時間ちょっとのお散歩終了。

疲れたけど、歩いたことのなかった場所の散歩は楽しかった。

しかし、いつもというわけにもいかないので、やはり基本は近所の散歩がメインになる。

今日は、近所の散歩で栗をたくさん拾ってきた!今は、栗がたわわに実っている。

まだ青いのでしばらくこのまま追熟かな~

いやいや、慣れた近所の散歩もまた新たな発見があるものです。

 


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顔合わせ

2020-09-22 15:50:37 | 日記

長男の結婚が決まって、初めてお相手のご両親と顔合わせをした。

顔合わせ場所は、息子たちが決めたホテルのレストランだったが、どんな服装で行ったらいいのか迷う。

息子は「カジュアルでいいよ」と言っていたが、カジュアルとはどの程度なのか。

とりあえず持っている服の中から選ぶことに、、、と言ってもそんなに持っているわけではない為、これはという服を2パターン選んだ。

一つは、ジョーゼットのブラウスに細身のパンツの組み合わせ。

もう一つはワンピース。スカート部分の水玉模様がカジュアル感を出しているが、茶系なのでカジュアル過ぎず落ち着いた印象になるかもしれない。

個人的には、ブラウスにパンツというスタイルの方が気に入っているのだが、一応夫にどっちがいいかと聞いてみる。

「どっちがいい?」と聞くと、チラッと見てからワンピースを指さした。その後「いや、どっちでもいい。お好きな方を」と言う。

なんだか気もそぞろと言った感じで真剣に選んでくれていないなと思ったら「それより俺の方はどれがいい思う?」と反対に質問されてしまった。

夫も緊張しているようで人の服装より自分の服装、何を着て行くべきか迷っているらしかった。

そこで夫の服は真剣に選んで(←ここ重要)あげてから、自分はワンピースを着て行くことにした。

それから、最近あまりやっていなかったヘアアイロンで念入りに髪を整え、コロナが流行してからというもの、どうせマスクをするのだからとチャチャっと済ませていた化粧も気合いを入れる。

目元に少しラメ入りのホワイトを入れた方がいいか、入れない方がいいかと鏡を見ながら悩んでいたら、なんだか急に可笑しくなってきた。

何で自分はこんなに一生懸命になって身繕いをしているのだろうか。

自分のお見合いじゃあるまいし、いつも以上に良く見せる必要はないのではないか。

普段通りのうちの家庭の雰囲気を見てもらえれば良いのだと思ったら、気が楽になった。

自分が思うほど他人は気にしていないということは、歳を取るごとに分かってきたことで、前の記事でも書いたが、高校生の頃に自分の服装が恥ずかしかったのは、まだ若かったからとも言える。

ネットを検索していたら面白い記事が載っていた。

「18-40-60の法則」と言うもので、アメリカの精神科医の言葉だそうだ。

18-40-60の法則
18歳では、他人が自分をどう思っているかを気にする。
40歳では、他人が自分をどう思っていても気にしない。
60歳では、誰も自分のことなんて気にしてはいないと気付く。

私は59歳なので、誰も自分のことなど気にしてはいないのだと気づく年齢。

確かにそう、、、みんな自分のことで精一杯なのだ。他人のことを見ているような暇はない。

という訳で、それを思うと気楽になって顔合わせに行ってきた。

さて顔合わせだが結論からいうと、とても楽しい会だった。

息子たちが、お互いの両親の趣味などを書いたしおりを用意してくれたので、それぞれの趣味の話などで場が和んだ。

お相手のご両親は思っていた通り、我が家の雰囲気と似ている方々で、気楽にお話しすることができた。

これから長いお付き合いになるかもしれない。ぜひそうなってほしいと願っている。

 

 


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独り言

2020-09-18 20:42:37 | 日記

車でラジオを聴いていたらリスナーさんからの投稿で、この様な内容の手紙があった。

「私の母が学生だった頃、家が貧しくて修学旅行へ行くことができなかったそうです。その時に母は、自分に子どもができたら、必ず修学旅行に行かせてあげようと思ったそうです。だから私は修学旅行に行けて、とても楽しい思い出を作ることができました」

自分が行きたくても行けなかった修学旅行。

娘さんから修学旅行の楽しかった話を聞いて、お母さんはどんなに嬉しかっただろうと思う。

家庭の事情で自分が出来なかったことを、子どもにはさせてあげたいと思う親の気持ちはよくわかる。

私が育った家も父が仕事を変わるまでずっと貧しかった。

母も毎日パートに出て働いていたが、暮らしは大変だったと思う。

そんな中で両親は教育にはお金をかけてくれたが、やはりそれ以上は難しく私たち兄妹は親からお小遣いなどをもらったことがない。

そのような家庭は昔も今も多いだろうし、特別珍しいことでもない。また私自身もそれは当たり前のことだと思っていた。

ところが、高校生になってお小遣いを貰っている友だちがいるという事を知ってしまった。

友だちはお小遣いで自分の好きな物を買うのだが、それが羨ましいと思うようになった。

高校生くらいになると、友だちと私服で出かけることが増える。

友だちはお小遣いで買った流行りの服を着てくるのに、私はいつも同じ古い服で行くしかない。でも親に買ってとは言えない。

いつも同じ服で恥ずかしい、おしゃれがしたい。そんな想いがずっと心の中にあった。

就職してからは、自分で働いたお金で何枚でも服を買うことができたが、心の奥底には高校生の時のこの想いがずっと残っていたのだと思う。

子どもが生まれて、娘達には着たい服を買ってあげたい、自分のように恥ずかしいと思うことがないように、、、と思って、できるかぎり欲しいという服などは買い与えていた。

幸い洋服の値段は昔に比べると、ずっと手に入りやすい価格になったが、今となっては果たしてこれが良かったのかと思う。

次女なんぞは、クローゼットに入りきらないくらい洋服を持っている。多分、着ていない物もたくさんあるのではないかと思う。

幸か不幸か、娘は生まれてからあまり我慢するという経験がないので、新しい服を買っても嬉しくて仕方がないという感覚が薄い。

このようなことを見ると、果たして我慢せずになんでも手に入ることは幸せなのだろうかと思う。

ひと昔前なら、幸せとは欲しい物が手に入ることだと迷わず答えたかもしれないが、今はそうとは言えない。

というか、お金を含めて物質的なものが幸せにしてくれるということを信じている人は、ずいぶん少なくなってきたと思う。

また私も年齢のせいか、もはや欲しい物が無くなってきたので余計にそう思うのかもしれない。

自分が欲しい物を手に入れるより、子どもや夫や周りの人たちが喜んでくれることの方が幸せを感じられる。

だからラジオのお母さんも、娘さんが楽しかったと帰ってきてくれて嬉しくて仕方がなかったのではないだろうかと思う。

人は本来、他人が喜んでくれることをすることに幸せを感じる生き物であるとは、どこかで読んだような気がするし、これは正しいと思う。

だから近い将来、仕事は生活の為に仕方なくするのではなくて、他人が喜んでくれるのが嬉しいから嬉々として働くというように、意識が変わっていくような気がする。また、そうなって欲しいものだと思う。

というわけで、最初に書こうと思っていたことから、ずいぶん変わってしまったのだが、思ったことをつらつらと書き連ねてしまいました。

どうかよい週末をお過ごしください。

 


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ちょっと怖い話

2020-09-14 16:42:04 | 日記

昨日と今日は気温が低くて、暖房が欲しいくらい寒い。

ほんの少し前までの暑い日々がまるで夢のよう。

季節はすっかり秋になり、怪談話をするには時期外れになってしまったが、先日知人からちょっと怖い話を聞いてしまった。

それは知人が仕事で、一人暮らしをしている男性の住むアパートを訪ねた時のことだそうだ。

男性が住んでいるのは、6部屋あるアパートなのだが、今はそのうちの2部屋しか人は住んでいない。

知人の話によると、そこはいわくつきのアパートで、知人が知るここ1~2年の間に二人が孤独死をしているそうだ。

亡くなった二人は、どちらも身寄りのない男性だったが、お一人の方は精神を病んでいて被害妄想がひどく、知人に対しては亡くなる直前まで、思い当たる事もないことに対して、恨みつらみを延々と書いた手紙を何度も送りつけていたそうだ。

ところが、お二人が孤独死をされてから他の部屋では不思議なことが色々と起こるようになったとか。

そこでアパートに住んでいた人は「こんな怖いところに住んでいられない」と、2世帯がアパートを出て行ったが、知人が今回訪問した男は、そこがいわくつきだということは知らずに引っ越ししてきて間もない方だったそうだ。

「ところで最近、部屋に居ると、どこからか線香のような匂いが漂ってくるんですよ」と、知人に対して男性が話し始めたそうだ。

その男性は精神疾患で通院しているのだが、そのことを医師に話すと「それは幻臭ですね」と言われたそうだ。

男性は幻聴というのは知っていたが、幻臭というのもあるのかと思って帰宅したが、その後もたびたび幻臭というにはやけにはっきりとした、お線香の匂いが部屋の中でするという。

そこまで話していたところで、突然、部屋にあったテレビがついて、大音量で音が鳴り出したそうだ。

テレビ画面は何も映っていない砂嵐状態。そして、ざーっという大音響で、まるで貞子が出てきそうだったと知人は言った。

「それまでテレビのスイッチは入っていなかったから、もう驚いたのなんのって。なんで急にテレビがつくんだと思って、全身鳥肌が立った」と知人が言った。

その部屋の住人男性も驚いていたが、「うちのテレビは古いから誤作動を起こしたのかもしれない」とおっしゃっていたそうだ。(繰り返しになるが、その方は、アパートがいわくつきの物件だということを知らない・・・)

知人はあまりの恐怖で「ちょっと急用があるので」と嘘をついてすぐに部屋を出たそうだが、被害妄想とはいえ自分に恨みの手紙を書いて亡くなった人がいるので怖くて仕方がないといった。

その現象は、単なる幻臭と古いテレビのせいなのか、それとも心霊現象なのか。他にも怪奇現象によってアパートを出た方々がいるので、多分後者ではないかと思う。

それにしてもこのような話を聞いたり経験すると、人は肉体は無くなっても消滅することはないということをあらためて確信する。

とは言え、何に未練が有るのか知らないが、いつまでもこの世に居て、生きている人に迷惑をかけるのは頂けない。自分もさぞ苦しいことだろう。

いつかは自分もいなくなるが、できれば「やれやれ、やっと逝ける日がきたか」と、スキップしながらこの世をあとにしたいというのが望みだ。(できるかな〜)

水のように流し、風のように軽やかに、、、キャンプで見た川の流れと風の音を思い出している。

 

 


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2度目のキャンプ

2020-09-10 15:34:22 | 旅行

還暦を目前にして新しくテントを買ってしまい、二十数年ぶりにキャンプを再開したのだが、先日2度目のキャンプへ行ってきた。

行ったのは、札幌からも近いオートリゾート苫小牧アルテン

ここは二十数年前に子どもたちを連れて初めて行ったキャンプ場で、言うならば我が家のキャンプ生活スタートの地。(というほどキャンプには行っていないけど)

穂別町営キャンプ場も中々よかったのだが、こちらの方はもっと規模が大きくて乗馬やカヌーなどの遊びもできるらしい。

しかし、なんと言っても良いのは、すぐ隣の歩いて行けるくらいの距離に温泉があること。ちなみにキャンパーは、大人600円で二日間は何度でも入浴することができる。

穂別も近くに温泉があることはあるのだが、歩いて行くには少し遠くて、久しぶりのキャンプで色々と忙しかったこともあり、結局お風呂に入らなかった。

そのせいか眠りが非常に浅くて、翌日ひどい寝不足だったので、こうして近くにお風呂があるというのはとても嬉しい。

また車で10分くらいのところに大型のスーパーもあるので、足りない食材などの買い物ができる。

そして、なんといっても良いのはトイレがきれいなことで、洗面台に虫が死んでいるのは仕方がないが、温水シャワー付きトイレがあってトイレットペーパーも十分に揃っている。

またトイレは一晩中煌々と灯りがついているので、深夜のトイレも恐れずに行くことができる。

そんな訳でキャンプはやってみたいが、いきなり山奥の不便な場所でのキャンプはちょっと、、、という人には苫小牧アルテンはおすすめのキャンプ場だと思う

と、ここまで書いて思ったのだけど、つくづく私(たち)の身体は便利な都会的生活に慣らされていたことを思い知らされる。

蛇口を捻ればキレイな水やお湯が出てきて、お尻まで洗ってくれるし、薪を焼べてススで顔を真っ黒にしなくても、お風呂に入ることができる。

スイッチひとつで夜でも昼間のように明るい部屋で読書をすることができるし、小腹が空けば夜中でも開いている店がある。

だからなのだろうか。あえて不便な自然的生活に身を置きたくなるのは。

電気の灯りのない夜は、漆黒と言えるほどに暗い。そして長い。

キャンプをすると、時間の感覚が無くなる。

時間が止まったような長い夜にする事もなく暇を持て余して空を見上げる。

すると、そこには満天の星空が広がっている。

本当はどこでもこんな星空が広がっているのだが、昼間のように明るくなってしまった都会では見ることが難しい。

このように星空を眺め、焚き火の炎を見つめ、川の音や風の音に耳を澄まして一夜を過ごすことが、キャンプの醍醐味じゃないかと思ったりする。

そして、日頃いかに便利で恵まれた生活をしていたかということを身に染みて感じ、感謝の念を強くして、また都会的生活に戻ってくるというのもまたキャンプの醍醐味?かもしれないと思う。

夕暮れ時、周りのテントでは夕飯の準備が始まった。

 

 


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レジ袋

2020-09-06 13:03:22 | 日記

今年7月からレジ袋の有料化が始まって二か月あまり。

有料化になるずっと前から、家に溜まり続けるレジ袋を消費すべく、買い物袋を持参してレジ袋を断ってきた。

早めに「袋は要りません」と言っておかないと、あっという間にレジ袋の中に入れられるので気が抜けない。

つくづく日本は、包装に関しては完璧な国だと思う。

ところが、断っても断っても溜まる一方だと思っていたレジ袋が、気がつけば残りあと数枚というところまでになっていた。

いつの間にこんなに無くなったのだろうと、我ながら驚く。

しかし、意外とレジ袋って便利で使うのだ。

有料袋ではないゴミを出すときや、ちょっとしたものを入れる時にレジ袋の登場となる。

仕方ない。今度からレジ袋を買おうかななんて、プラスチックごみ削減とは真逆の方向へ行きそうになったが、何かレジ袋に代わるものはないだろうかと、周囲を見渡してみた。

すると、今までゴミとして捨てていたプラスチックの袋が使えるということに気づいた。

そういえば買った商品のほとんどが、プラスチック製の袋の中にきれいに納まっている。

通販で届いた商品もここまでするかと思うほど、丁寧にプラスチックでくるまれていることがある。

考えてみれば、それらもゴミ袋などとして再利用しない手はない。

例えば食パンの入った袋なんて、しっかりして大きさもそこそこで使い勝手がいいし、野菜の入っていた袋は、台所で出る少しの生ごみを入れるのに使える。

今までプラスチックごみは、かさばってすぐにゴミ袋いっぱいになっていたのだけど、こうして使える袋をより分けると多少減ったように思う。

そう・・・多少は減ったかのように見える。

しかし、相変わらずプラスチックごみは多い。

プラスチックごみの日には、町内のゴミ捨て場に大きな山ができカラスに荒らされて道路のあちこちにプラスチックの袋が飛んでいる。

それにしても環境の為にレジ袋を有料にしたのは良いことだと思うが、そもそもレジ袋を有料にしたことで、どれほど効果があるのだろうと疑問に思う。

レジ袋は少なくなったかもしれないが、プラスチックの袋に入った商品の数々が巷にあふれている。またトレーや容器などを含めると、大部分がプラスチックじゃないかと思う。

プラスチックの袋を便利に使っていると書いておきながら矛盾しているが、必要じゃない物までプラスチック製の袋に入れるのは疑問がわく。

丈夫で軽くて便利なプラスチックだが、これからはもっと減らして、必要なものだけに使う社会になって行けるといいなと思う。

未来を生きる子どもたちの為に、地球に住んでいる動植物の為に、ひとりひとりの意識がとても大切だと思った朝だった。

 

 


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笑う

2020-09-01 21:47:47 | 日記

家族で行った温泉でのこと。

温泉に入って、美味しいご飯を食べて、温泉宿で用意してくれた作務衣風の部屋着に着替えて、クラッシックが流れるロビーの椅子でくつろいでいたら次女が写真を撮ってくれた。

撮った写真をチェックしていた次女が「あーっ」と声をあげたのでどうしたのかと思って写真をのぞき込んだら、写っている私に髭が生えていた!?

よく見たら眉毛も太くなっていて、一瞬では誰なのかわからない、、、というか、男にしか見えないじゃないの。

次女が変身するアプリを入れていて、外すのを忘れたらしい。

その日は長男だけが用事で来ていなかったので、普通に撮った家族の写真と男に変身した私の写真を次女がラインで長男に送ったのだが、返ってきた長男の返事に大笑いした。

「ウポポイにいるの?」

ウポポイとは今年オープンしたアイヌ民族の博物館で、いつか行こうと思っているのだが、残念ながらまだ行ったことがない。

そして長男も行ったことは無いはずなのだが、どうしてこの写真を見てウポポイにいると思ったのか。

すると、次女が言った。

「お母さんの変身した写真見て、そう思ったんじゃない?アイヌ民族に見えるかもしれない」

そう言われると、確かにそう見えなくもない。

太い眉毛と立派な髭がアイヌ民族の男性のようだし、作務衣風の部屋着が益々そう見える。

さらに長男から返信がきた。

「ガイドさんに案内してもらってるの?」

この言葉で家族みんな大爆笑!

夫と娘たちはお腹を抱えて笑っているし、私も笑いが止まらない。

やっぱりそう思ったんだ。私をアイヌのガイドさんだと間違えている。

笑いすぎて苦しくなりながら、こんなに笑ったのは久しぶりだなと思っていた。

もちろん普段も笑うことはあるが、ここまで笑いが止まらないことは久しぶりだった。

これほど笑ったのは、短大の時以来かもしれない。(40年も前!)

あの時も苦しくなるほど笑いが止まらないかった。

今思い出すと大したことではなく、何故あんなに可笑しかったのかと思うのだけど、箸が転がっても可笑しい年頃だったからかもしれない。

それにしても、まだこんなに笑うことができた自分にちょっと驚いた。

そして笑ったあとの爽快感。

変な写真を撮ってくれた次女に感謝しないと。

私同様、大笑いした家族もこれがきっかけになって空気が変わった。

なんだかみんな明るくなった。

特に次女は、最近仕事疲れで心配していたのだが、以来吹っ切れたようにも見える。

笑うことの大切さをあらためて思い知った。

そして、私が男になると中々のイケメンになるということもまた知った、、、、(なんちゃって〜)

 


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