ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

掃除

2024-10-30 15:08:47 | 日記

ここ数日とてもよく眠れる。

いつもなら夜中に二回くらいトイレに起きて、そのあとしばらく眠れず、やっと眠れたと思ったら、朝4時半ごろにはもう目を覚ましてしまうというパターンだった。

それがどうしたことか、ここ最近トイレは一回あるかないかで、トイレに行っても、そのあとすぐに眠ることができる。

さらに翌朝は7時までぐっすりと眠れる。

長女の仕事がある日は、食事の準備のために遅くても7時前に起きなければいけないのに、それが7時だと少し慌てるが、「よく寝た」という満足感は、ここ最近感じたことがない心地よさ。

なぜこんなによく眠れるのだろうと、前日の行動を振り返ってみれば「掃除」じゃないかという結論に達した。

家の中の掃除は毎日しているが、ここ数日は普段の掃除以外の掃除もやっていた。

例えば庭の掃除に建具や家具の掃除。

庭の掃除は落ち葉を掃き、野草を抜いて増えた花の苗を移植した。

しゃがんで長い時間作業をしていた為、足の筋肉痛が今も治っていない。

そして建具と家具。

乾燥でカサカサになっていた建具(木製ドア)と家具を、家具用オイルをつけてぴかぴかに磨いた。

こちらも長い時間をかけて、伸ばした腕を大きく動かしていたので上半身のいい運動になった。

掃除というのは、きれいになることと運動不足の解消になるのが良いところだけど、もう一つ良いことがある。

それは知らないうちに「無」になれることだと思う。

日常の短い時間の掃除では、なかなかそこまで感じることができなかったが、一心不乱に目の前の作業に集中して体を動かしていると、頭の中がいつの間か空っぽになっている。

掃除に没頭すればするほど、頭の中からも心の中からも、いろいろな考えや思いが消えていく。

ほんの短い時間だけど座って毎日行う瞑想では、いろいろな考えが頭を巡って無になることが難しい、というかなれないのだけど、いとも簡単に無になれるというのが、掃除のすごいところだと思う。

禅寺のお坊さんが、掃除をとても大事にしているというのは、ただ汚れをきれいにすることだけではないのだとあらためてよくわかる。

というわけで最近よく眠れるのは、無になれたから、、ではなくただ単に運動不足が解消したからだと思う。

日中家に居ることが多くなった夫が、掃除を手伝ってくれるようになり、すっかり楽をしていたけど、これが運動不足になっていたのかもしれないという贅沢な悩み。

幸いにもまだやろうと思っている場所の掃除が残っているのでいいが、それが終わったら、また眠れないかも?それは困るなぁ、、、

ちなみに禅寺のお坊さんは、掃除を一番大切な作務と考え、行として取り組んでいるので、「汚れていようがいまいが掃除をする」のだとか。

そうか、また同じ場所の掃除を繰り返せば良いのだと閃いたが、掃除を行だと思っていなかった者(私)には、これを継続するのはなかなか難しいかもしれない。

とはいえ今日も普段の掃除しました。

部屋のほこりを払って掃除機をかける、トイレを掃除する、台所の壁が汚れていたので拭く、玄関のたたきに塩を撒いて掃き出すなど。

数日前の掃除に比べれば、ほとんど疲れはないが、とりあえず今日の掃除は終了で、これからウォーキングへ行って読書をしようと思う。

好きなことができる幸せ。ありがたいことです。


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二歳の誕生日会

2024-10-24 22:48:50 | 日記

初孫の二歳の誕生日会があり、お嫁さんの実家に集まることになった。

一歳の誕生会は我が家に集まったので、お嫁さんのご両親が「次はうちで」と言って下さったのだが、食事の用意などで忙しくさせてしまうのが申し訳ない。

昨年はお寿司を持って来て頂いたので、今回はウチでお寿司を買って行くことにしたが、ほかに何か作って持って行った方がいいのか、でもそんなことをすると、余計に気を使わせてしまうのではないだろうかなどと悩んだ。

でもうちへ来て頂いた時は、お寿司だけをお願いしたので、私もお寿司だけにして、あとはささやかなご両親への手土産だけ持って行くことにした。

これが気心の知れた友人や古い付き合いの親戚であれば、ざっくばらんに持ってきて欲しいものを聞けるのだが、まだつきあいの浅い長男の伴侶のご両親というと非常に気を使う。

でもこれは向こうも同じだと思う。きっと気を使って準備されているのではないだろうか、、などとまたまた申し訳ない気持ちになる。

とはいえ初孫の二歳の誕生日会はとても楽しみだった。

長女と次女もお祝いしたいというので、大勢で申し訳なかったが我が家からは四人で参加し、総勢九人の誕生日会になった。

向こうのご両親と会うのは、一歳のお誕生会以来なので一年ぶりで、お会いした回数はまだ四回目。

週に一回は送られてくる孫の写真の数々に、毎回おバカなコメントを入れている私だが、これは向こうのご両親にも笑ってもらおうと思う(一方的な)コミュニケーションのつもりだったが、逆効果にはなっていなかっただろうか、、、(バカなお母さんねと思われているとか)

なんて少し、いや、かなり緊張してお宅に伺ったが、本当にあたたかく迎えて頂いて嬉しかった。

会ではみんなでハッピーバースデーを歌い、用意して下さった美味しい料理を食べ、二歳になった孫を中心に話に花が咲いた。

そして話題は、孫の将来のことになった。

誕生プレゼントにもらったバスのおもちゃに夢中になる孫を見て「将来はバスの運転手になるのかな」と夫が言うと、「でも将来は自動運転になっているかもしれませんよ」と向こうのお父さんが言う。

一同「それもそうだ」と納得し、今度はおもちゃのピアノに夢中になる孫を見て「将来はピアニストだろうか」と向こうのお父さんが言う。

すると「いやピアノに限らないかもよ。もしかすると音楽家になるんじゃない?」と向こうのお母さん。

「音楽家というと、ギター抱えてストリートミュージシャンになったりしてね」

「そうそう。狸小路(札幌の古いアーケードの商店街)で歌ってたりして」

「そうなったら聴きに行かないとね」

「でも聴いている人、ここにいる家族だけだったら悲しいね。そうなったら拍手喝采して盛り上げないと」

あちこちからそんな声が聞こえてきて大笑いだった。

この時、とても心地よく温かい気が周囲に満ちたような感じがした。

ほんの2〜3年前は、まったく知らない他人同士だったのに、同じ血が流れている小さな孫を中心にして、家族のようになっているってすごいことだ。

もしかすると、縄文時代ってこんな感じだったのだろうか。

そうだとしたら、きっと生きやすくてよい時代だったのだろう。

初孫の二歳の誕生日会、最初の緊張感はすっかり溶けて無くなり、向こうのご両親や長男夫婦のおかげで、思い出に残る楽しい時間になった。

 


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捨てられないもの

2024-10-18 22:01:29 | 日記

今、断捨離の真最中、、、と言うほどではないのだけど、少し前に古い布団のほとんどを捨てたのをきっかけに、家の中や物置小屋にある不用品の処分をしている。

使わなくなった植木鉢や一本しかないバドミントンのラケットは迷わず捨てることにした。

また古い大工道具が出てきたが、なんと五十年前に夫が中学の技術家庭で使ったもので、夫に聞くと「捨てていい」とのことだったので捨てることにする。

さらに着なくなった洋服や着物の反物(義母の持ち物)や木材、古い家具なども処分。

まだ使えそうなものはリサイクル店に買い取ってもらい、買い取りできなかったものでリサイクルできるものは、無料で引き取ってもらった。

そして残った不用品は、市のごみ処分場へ持って行った。

ごみの処分場は初めて行ったのだけど、車に不用品を積んだまま計量し、捨てた後、また車を計量して料金を支払うシステムになっている。

ゴミ袋に詰めてちまちまと出すより、一気に終わるのでとても便利だった。

というわけで、ずいぶん家の中がすっきりとしてきたのだけど、まだ大量に残っているものがある。

それは本。

夫も本好きなので、二人合わせるとかなりの量になる。

読みたい本だけを残して市立図書館へ寄贈したが、まだ残すべきか否かで悩んでいる本が多く残っている。

迷って残した本に森村桂さんの本がある。

また読みたい日がくるはずと思うと、どうしても手放せない。

森村桂さんの本を初めて読んだのは小学生の時だった。

やはり50年以上前、、、

小学校の図書館で借りて大ファンになり、以来、本が発売される度に買って二十代まで読み続けた。

だから森村桂さんの本はほとんど持っているのだけど、実はいつか読み返そうと思いながらずっと読んでいない。

子どもの頃は、わくわくしながら読んだ本も、森村桂さんが離婚をしてから書かれたものは、森村桂さんの苦しさが伝わってくるようで、私も読むのが苦しかった。

さらに自死という衝撃的な結末になってしまい、あんなに好きだったのにすっかり読まなくなってしまった。

でもどうしても手放すことができなかった本たち。

もう手放そうかな、、と思っていたら、ある女性作家さんが森村桂さんのことを書かれているものを読む機会があった。

お元気だった頃の森村桂さんとの交流のエピソードが書かれていて、久しぶりに元気で明るい森村桂さんに会ったような気がして嬉しかった。

そして、その中に書かれた一文に思わず涙してしまった。

「ちょっと変わってはいるけれど、決して人の悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりしない無邪気で可愛い桂さん。私はそんな桂さんが大好きだったのです」(みつはしちかこさんのエッセイより)

まるで私の気持ちをそのまま書いてくださったような文章。

やっぱり残そう、、、本棚から出した本をまた戻した。

どうしても捨てられないもの、ありますね。


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男の道楽

2024-10-14 18:11:53 | 日記

「飲む」「打つ」「買う」といえば、ほとんどの女性たちがまゆをひそめる男の道楽。

ちなみに「飲む」はお酒で「打つ」はギャンブル、「買う」は女遊びのことだが、これらは昔々のお話で現代では死語に近い言葉になっている。

ところが、死語となった「飲む」「打つ」「買う」を友人の口から聞くとは思わなかった。

二十年ぶりに友人二人と三人で会うことになった。

長らく会っていないので、お互いに顔がわからないのではないかと心配したが、みんな変わっていなかったのが嬉しかった。

これまでの会わなかった年月にあった出来事など、話に花が咲いたのだが、話題は家族のことになり「ご主人はお元気?」という流れになった。

昔は配偶者同伴で集まったことがあり、安否確認の意味で話題に出たのだが、友人二人のご主人はみな定年を迎えていて、今は自宅に居ることが多いとか。

一人の友人のご主人は、自転車や山登りなどをして定年ライフを楽しんでいるそうだ。

それを聞いていた別の友人が、急に恥ずかしそうになって「充実していていいねぇ」と言った。

そして「うちの夫の趣味は、飲むと打つだよ」と教えてくれた。

元々、お酒を飲むことが好きな人だと知っていたので、飲む事は驚かなかったが、「打つ」話を聞いて驚いた。

なんと奥さんが知らないうちにギャンブルで大金を失くしたのだという。

その金額は、高級外車が買えるほどだというから驚く。

「もう貯金通帳みて、その場に座り込んじゃったわよ。盗まれたんじゃないかと思ったけど、帰ってきた夫に聞いたら、(すみません、私です)って謝られて、、、でもそれは夫が義父から貰ったお金だから、私のお金じゃないから何も言わなかったの。ただお金をくれたおじいちゃんには申し訳ないなぁと思った」

友人の嫁いだ家はかなりの資産家で、大金が消えても生活には支障はないようだけど、それでも私が妻ならきっと怒る。

いくら自分のお金じゃなくても、そんな大金をギャンブルで使い果たすってどーゆう事?と詰め寄りそうだが、友人はそうではなかった。

おおらかに笑い話にして、逆にご主人の良いところに目を向けている。

友人の話を聞くと、ご主人は本当にいい人で、自分が損をしても相手の得になるように考える人だそうだ。

これまで騙されたことも多々あったのではないかと思うが、家庭が修羅場にならず、子どもたちも健やかに育っているのは、ご主人の人柄と友人の力ではないかと思う。

ご主人がギャンブルで大金を失くしてから、今はお小遣い制にして、そこからギャンブル代を出してもらうようにしているそうだ。

「まだギャンブルするのかい?」とは決して言わず、笑顔で送り出すなんて妻の鏡、、、

それを聞いていたもう一人の友人が「私には真似できないし、我慢できないと思う」と言った。

いつも真っ直ぐできちんとした性格の友人なら、きっとそう思うだろうなと思った。

好きなギャンブルができるのも、資金力があるからこそだと思うが、幸せなご主人だと思う。

そして友人もまたとても幸せそうだった。

大酒飲みでギャンブル好きな夫との暮らしというと、不幸な結婚生活を想像するが、視点を変えればとても幸せで穏やかな気持ちで暮らせるのだと思った。

ところで最後の「買う」だが、友人曰く「ギャンブルするくらいお金はあるのに、それだけは無いのよね〜きっとモテないんだと思う」とのことだが、それは違うと思う。

きっとおおらかで包容力のある奥さん一筋だからなのだろう。

 

 


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長男の不思議な体験

2024-10-07 15:54:34 | 日記

長男と電話で話すことがあり、ひと通り用件を話し終えた時、なぜか急に声を小さくした長男が言った。

「この間、不思議なことがあったんだ。心霊現象じゃないかと思う」

長男によると、家族で公園に遊びに行った帰り道、ランチを食べようと長男とお嫁さん、そして一歳の息子の三人で焼肉屋さんへ行ったそうだ。

通された席は窓側で、窓を横に向かいあって長男とお嫁さんが座り、窓を正面に見るかたちで取り付けたベビーチェアに息子が座ったそうだ。

料理がくるのを待っていると、しきりに息子が窓に向かって手を振る。

「何してるの?誰に手を振ってるの?」と聞いても手を振り続けるので、息子が見ている方向(窓)を見たところ、そこには誰もいない。

そして窓は引き戸で、換気のためか少し開いていたそうだ。

「そしたらさ、向こう側には誰もいないのに、開いていた窓が急に閉まったんだよ。これめっちゃ怖くない?」

息子は本当に怖そうだった。

「その窓、自動開閉式だったとか」と言ってみたが、息子曰く、普通の引き戸だったそうだ。

「で、これがどこかの幽霊だったと思ったらすごく怖いから、亡くなったひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが、ひ孫に会いに来てくれたんだねと、、、奥さんとそういうことにしておこうと話したんだ」

その後、お店を出るまで一歳の孫は窓に向かって手を振ることはしなかったそうだ。(幽霊さん、いなくなったのかな?)

怖がる息子には言わなかったが、曽祖父母ではなくて、多分その辺りを彷徨っていらっしゃる御霊だったのではないだろうかと思う。

彷徨っている途中で、お店をふと覗き込んだら、かわいい幼児がいて、思わず手を振ってみたら、自分が見えているのか手を振りかえしてくれたという感じだろうか。

では窓が急に閉まったのはなぜだろう。

親たちが一斉に見たので、慌てて閉めたのかな?

そうなら身体がないのにすごいなと思う。

でもまさかとは思うが、孫が念力で閉めたのではないよね、、なんてことも浮かんだ。

お嫁さんによると、家はマンションの八階なのに、孫は誰もいないベランダに向かって手を振ることがよくあるそうだ。

長男も赤ちゃんだった頃、誰もいない方を見て、まるで誰かにあやされているかの様に手足をバタバタさせながら笑っていることがあったが、孫のように二歳近くになってからは、そのようなことはなかった。

でも孫もそのうち自我が芽生えると、見なくなるのかもしれないと思う。いつまでも見えていたら可哀想だしね。

ところでこのようなことは、今や超常現象ではなくて、当たり前に起こりうる事というように、世の中の意識が変わって来ているような気がしている。

不思議な体験談など昭和の時代であれば変人と思われるのではないかと、とても人前で口に出せなかったことが、今はYouTubeなどでたくさん出てくる。

良い時代になったなぁと思う。

そしてこれから将来は、超常現象(心霊現象)と言われるものも科学的に解明できる部分が出てくるのではないかと思う。

とはいえ、人はなぜ存在するのかとか、人生の意味とは?などは、もはや哲学なので、すべてが科学で明らかになることはないだろうが、このような面白い時代に生きることができたことは幸せだと思う。

 


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孫と遊ぶ

2024-09-23 22:41:13 | 日記

約二ヶ月ぶりに息子一家が遊びに来て、庭でバーベキューをした。

一歳の孫と久しぶりに会うのを楽しみにしていた。

前は人見知りがひどくて、会うなり泣き出してしまったのに、今回は親の陰に隠れながらも照れたような笑顔を見せてくれた。

孫の写真はたくさん送られてきていたけど、実際に会うとずいぶん大きくなっていて、子どもの成長の速さに驚いてしまう。

とはいえバーベキューはまだ食べられないので、孫のごはんは、持参のおじやとスルメ。

食事はまだ柔らかく煮た薄味のものを与えていて、大人の食事とは分けているとお嫁さんが教えてくれた。

孫がおじやを食べ終わると、次はスルメ。

スルメは大人が食べている間に与えて、おとなしくしていてもらおうというお嫁さんの作戦のようだ。

前に来た時は切り干し大根を食べていたが、今回はスルメに変わっていたのは、スルメの方が長く保つからかな?

お嫁さんの工夫がうかがえる。

しかしスルメが長く保つとはいえ、じきに食べ終わった孫は、飽きたのかモゾモゾし始めた。

お嫁さんは孫の世話で、まだよく食べていない様子だったので、ここは婆やの出番とばかり孫と一緒に遊ぶことにした。

もうすぐ二歳になる孫は、好奇心いっぱいで見るものすべてに興味がある。

道端に咲く草や花を触っていたかと思ったら、歩いているアリをしゃがんでジーッと見ている。

一緒にしゃがんでアリさんを見ようと思ったら、今度は落ちている小石が気になるご様子。

こんな具合に興味の対象がくるくると変わっていく。

赤い木の実を採って、手でぐちゃぐちゃに潰したので、手を洗ってあげようと家に入ることにした。

さて手を洗ってから「お外に行こうか」と言うと、「うん」と言わない。

お嫁さんから「嫌な時は、絶対にうんと言わないんです」と聞いていたので家で遊びたいのかなと思い「お家で遊ぶ?」と聞くと、「うん」という返事。

孫がお気に入りの部屋が仏間で、「お家で遊ぼうね」と言うと、一目散に仏間へ駆けて行った。

仏壇のおりんを鳴らすのが好きなので、経机からおりんを下ろして遊ばせようと思ったら、おりんには目もくれずロウソクに手を伸ばした。

あっという間にロウソク立てが大きな音を立てて転がり落ちた。

急いで転がったロウソクを拾おうと思った途端、止める間もなく今度は香炉の中に手を入れていた。

仏壇の下はこぼれた灰で真っ白、、、

でも孫の素早い動きについて行くためには、灰を片付けている場合ではない。

再び手をきれいにしてから、やっとおりんで遊んでくれたが、それもすぐに別の興味の対象を見つけて走って行く。

仏壇の扉を開けたり閉めたりしてみたり、ピアノを鳴らしてみたり、あっちの部屋、こっちの部屋と走り回り、私も一緒に孫の側について走り回った。

実はこの後もバーベキューに戻ることなく二人で公園に行ったのだが、ここでも孫は走り回って、興味のあるものを触ったり見つめたりをして遊んでいた。

「忘れちゃったけど、自分の子どももこうだったかな?」と思いながら、孫の興味のあるものが面白くて一緒に見ていた。

あまりに帰ってくるのが遅いと心配して、長男が探しに来たほど孫とたくさん遊んだ。

とても疲れたけど、楽しかったなぁ。

近くにいて、いつも孫と遊べるお嫁さんのお母さんがうらやましい。

、、、と思ったら、お母さん「リハビリだと思って遊んでいる」とおっしゃっているとか。

お母さんはまだ50代だが、一歳児と遊ぶのはかなりの体力が必要と、今回初めて遊んで思った。

だって60代の私は、翌日死んでましたから。。。

 


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正しい判断

2024-09-19 17:23:51 | 日記

ご主人のお通夜以来、一年近く会っていなかった知人から突然メールが来た。

メールのタイトルには「ワクチン接種されていますか」と書かれていた。

一体何かとメールを読むと、内容は昨年亡くなった知人のご主人のことから始まっていた。

知人とは、お通夜の席で少し話しをすることができたが、ご主人の死因は確か心筋梗塞だったと聞いている。

その時、知人は涙ながらに話してくれた。

もともと心臓に持病があって病院へ通っていたのだけれど、一ヶ月くらい前に検査の結果を聞きに病院へ行ったら、ずいぶん良くなっているから、次回からお薬を止めましょう(もしかすると変えましょうだったかも、、、記憶が曖昧)とお医者さまに言われたの。それで二人で喜んでいたのに、突然亡くなるなんて信じられない」

亡くなる直前までとても元気で、いつものように家族でご飯を食べ、おしゃべりをしていたが、その後、お風呂に入ってあっけなく亡くなったそうだ。

メールには、それについて書かれていた。

あんなに元気だったのになぜ突然死んでしまったのか、ずっと疑問でした。

そこで主人が亡くなったあと、コロナワクチンのことを調べ始めました。

調べれば調べるほど、もしかするととんでもないものをうってしまったのかもしれないと思いました

知人は、ご夫婦で三回接種したそうだ。

これについて副作用はあったのかなど、詳しい説明はされていなかったが、確信したように文章が綴られていた。

更にメールには、来月から始まる新しいお注射について書かれていた。

レプリコンに対する疑念が綴られ、問題を提起する動画や資料も添付されていた。

そしてメールの最後は「もしも接種しようと思っていらっしゃるなら、これらを読んで判断されても遅くはないと思います。夫のようにならないために、どうか正しい判断をされる事を望んでいます。皆さまのご健康を祈っています」と結ばれていた。

このメールは、私にだけではなくて交流のある方々に、同じ内容で送っているそうだ。

知人の行動力には、いつも感心する。

そしてワクチンのせいかどうかはまだわかっていないが、実際に身内を亡くした人の言葉はとても重い。

今、周囲では以前よりも気づいた人が増えているという感じがする。

そして何かの形で行動に移そうとする人が、増えているような気がする。

もうアレを止めることはできないだろうと思う。

でも止めることはできないが、自分の判断で、そして自分では判断できない人も、周囲の正しい判断で、うたないことを選ぶことができる。

多くの方が正しい判断をしますように、、、と願っている。

 


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答えを探すが、、、

2024-09-13 22:01:10 | 日記

知り合いが、大きな病気に罹ったという話は、昨年あたりからちらほらと耳に入ってきていたが、今年に入ってもそれは続いている。

特に多いのが間質性肺炎。

間質性肺炎は昨年知人が罹り、その方は現在も療養中だが、また他の知人が同じ病になった聞いた。

間質性肺炎という病気になると、息がしづらくなって日常生活で酸素ボンベが必要になるそうだ。

知人も酸素ボンベが手放せないが、それでも息切れで辛そうだ。

もう外出することもできず、家事は全てヘルパーさんにお願いしている。

話しをすると息が苦しいので、ほとんど会話もしない。

一日中、部屋で横になっている。

こうやって徐々に悪くなっていくのを待つだけなんて、あんまりでは無いかと思うのだが、今の医学では治療法は無いそうだ。

まだ60代。

やりたいこともあるだろうし、かわいい盛りの孫とも会っておしゃべりしたいだろう。

そして何より、これから自分がどうなって行くのかという不安でいっぱいになると思う。

でも彼女の本当の心の内はわからないが、意外と淡々と病気を受け止めているように見える。

知人は、ご主人を亡くしてから急に元気が無くなった。

仲の良いご夫婦だったから、本当にショックだったと思う。

ご主人が亡くなって何年か経ってからも、冗談っぽく「もういつ死んでもいいの」と言うことがあったが、それは本心なのかもしれないと感じていた。

今、知人の周りには手助けをしようとする人たちがたくさんいる。

でも一番大切なのは、自分が生きたいと思うかどうかなのではないかと思う。

ここまで書いてきて、私は、生きることを良しとし、死ぬことを悪と考えていることに気づいた。

もし自分が同じ立場であれば、もっと生きたいと思うに違いないから、知人にもそう思ってもらいたいと思うのだ。

でも淡々として、病を受け止めているかのように見える知人は、知人なりの考えに到達しているのかもしれない。

何が正解なのかわからなくなった。

一人一人で答えは違うのかもしれないし、そもそも正解なんてないのかもしれない。

文章を書きながら、あらためて自分の傲慢さに気づかされたような、そんな気がしている。

 

 


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英語ができない

2024-09-09 11:41:43 | 日記

普段よく温泉のあるお風呂に行くのだけど、久しぶりに以前行ったことがあるお風呂に行ってきた。

ここは色々な種類のお風呂があって、岩盤浴もあるし、広い食事処や休憩所もあるしで本当に楽しい。

特に好きなのが岩盤浴で、いつも三種類の温度がある岩盤浴を渡り歩いている。

そして熱った身体を涼ませてくれるのが、室温14度のクールダウン室。

今回も「あち、あち」言いながらクールダウン室に行くと、中はいつもより人が多かった。

空いている椅子に座って周りを見回すと、なんと全員白人の外人さん。

どうやら二組の家族同士で来ているようで、みなさん背は高いし、男性は横幅もあるしで、かなりの圧迫感がある。(私も大きい方なので、人のことは言えないが)

空いていた椅子に座ったら、すぐ近くに座っていた大柄で金髪のマダムがにっこりと笑いかけてくれた。

私と同年代くらいだろうか。

スキンヘッドだけど優しそうなご主人と美しい娘さんとの旅行みたい。

私もにっこりと笑い返したのだが、そのあとが問題で金髪のマダムが、何度も視線を送ってくるのだ。

何か話しかけたそうな視線だとは思ったが、英語がわからない私としては、話しかけられたらマズイという気持ちがあって、絶対に視線は合わせないぞと、金髪マダムの視線を感じながら思っていた。

やっぱり英会話勉強しようかなぁ。こんな時、会話ができたらきっと楽しいだろうなぁ、、、とも思いつつ。

クールダウン室に居るのに、マダムの視線を感じながら話しかけられたらどうしようという冷や汗をかき、リラックスどころか固まった状態で椅子に座ること五分。

スキンヘッドの男性が「もう時間だ、出よう」(これくらいはわかった)と言い、全員が立ち上がってドアに向かって歩き出した時、金髪マダムが振り返ると、私に向かって笑顔で手を振ってくれた。

もちろん私も笑顔で手を振りかえした。

それにしても数年前にも何度か来ているお風呂だが、こんなに外国人が居るのは初めて。

この日は、金髪マダムのグループ以外にも何組かの外国人旅行者を見かけた。

少し前のブログに「札幌に来てどこを観光するのだろうか」と書いたが、まさかお風呂に来ていたとは驚きだった。

でもGood choiceよ〜

お風呂大好きなので心からそう思う。

ところでいよいよ来月から新しい液体を体内に注入する取り組みが始まるのだとか。

サウナ好きの長男が「今のうちに行っておかないと、来月からはもうサウナに行けなくなる」と言っていた。

たしかにそうかもしれないが、お風呂に行けなくなるのは悲し過ぎる。

高齢者のデイサービスを使っていたり、高齢者施設などにいらっしゃる方々は、もしかすると半強制的にうたれるのかもしれないが、一般の人では、どれくらいうつのかは未知数。

でもうったところでコロナに感染するのは変わりなく、それどころか罹りやすくなるかもしれないということが徐々に広まったせいで、打とうと思う人は意外と少ないかもしれない。

ちなみに周囲ではコロナはもう過去の話で、新しい液体についても誰も話題にしない。

これから公衆浴場に行けるかどうかは、外国人がお風呂から消えたかどうかが目安かもしれない。

外国人が消えたらマズイことになっているのかもしれない。

なーんて、こういう話を陰謀論と呼ぶのかしらね(笑)

 


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布団を新しくする

2024-09-04 15:22:47 | 日記

もうそろそろ布団を新しくしたいと思いながら、なかなか実行に移せていなかったのだが、今回義父母から受け継いだものを始め、ほとんどの布団を処分した。

実はあることを目撃したことで、一刻も早く処分しようという気持ちになった。

それは、次女の布団を天日干ししようと思って、布団の上に敷いたシーツと汗取り用マットを外した時のことだった。

布団の上に小さな虫の死骸がついているのを発見した。

これ一匹だけなら捕っておしまいだったのだが、なんと一匹だけでは済まず、布団の上にはまだ数匹の死骸と虫の卵らしきものまであった。

多分ダニ、、、(怖)

こんなにダニがいるのを見たのは初めてだった。

次女は職場近くにアパートを借りているので、うちへ帰ってきて布団に寝るのは一週間に一度程度。

とはいえよく刺されなかったものだと思うが、今まで布団綿の中に隠れていたのが、布団に重さがかからないので表面に出てきたのだろうか?

毎年夏には何度も天日に干しているし、ダニを取るべく布団用ヘッドを付けた掃除機で掃除もしているが、クリーニングに出さない限り、全てきれいにするのは無理なのだろう。

でもダニまみれの布団、家族が使っている他の布団も同じだろうと想像すると、一刻も早く取り替えたいと思った。

ということで、まず新しい布団をどのようなものにするか調べることにした。

ネットの検索に「防ダニ布団」と入れてみた。

おっ出てくる。

ついでに「腰痛防止」というワードも入れた方がいいかな。

すると出てくる、出てくる。ダニじゃないですよ(汗)

お値段は色々だが、敷布団一枚で8000円前後から20000円くらいの間を考えた。

環境には悪いが、数年の短い期間で取り替えていくことを考えると、高いものじゃなくてもいいかもしれないと思った。

布団の種類だが、防ダニ加工がされている布団から、中が綿ではなくてポリエチレンの網状で、シャワーで洗い流せるという布団まである。

あとは寝心地で、やはり実際に寝てみたい。

ということで、さっそく某有名布団店に行ってみたら、予想通りの高価格帯のお布団ばかりで、考えていた値段の布団は見当たらなかった。

そこで帰る途中にあったニトリに行ってみると、さすがお値段以上、防ダニ布団も洗える布団もあって、予算通りの商品が取り揃えられていた。

そこで目を引いたのが、点で支える耐圧分散敷布団という商品。

凹凸のある硬めのマットで、ウレタンフォームでできている。

実は同じような布団を旅行先の宿で使ったことがあって「これいいなぁ」と思ったことがあったので、さっそく寝てみたところ寝やすい。

防ダニ加工はされていないが、自分用に購入を決め、家族もこれがいいと言うので二枚買った。

更に防ダニ加工の敷布団も二枚買った。

購入以上の数の布団を処分したので、押入れがすっきりと片付いたのが良かった。

義母が生きていたら、きっと布団の処分を目をむいて反対しただろうと思う。

「スンマセン」と手を合わせ、新しくなった布団に寝て一週間が過ぎた。

感想は「やっぱり寝やすい」

これまで夜中に目が覚めることがよくあって、その後なかなか寝つけなかったのが、今は目が覚める回数も減って、目が覚めてもすぐに眠れるようになった。

ただ寝心地は、味の好みと一緒で人それぞれなので、できれば実際に寝てみるのが良いのだろうと思う。

 


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米不足

2024-08-30 15:11:24 | 日記

新聞にこんな記事が載っていた。

札幌市内のお店でも米が品薄になっているという記事。

お米って、今こんなに買えないのかと驚いてしまった記事だった。

一部を抜粋します。

複数店舗をまわっても米が買えなかったという札幌市清田区の○○○さんは「コンビニのおにぎりやレトルト品を買おうと思う」と疲れた表情をみせた。

記事によると、市内の店舗では「一家族一袋限り」という断り書きが米売り場に貼られていたが、それでも店には、購入を求める客から次の入荷の問い合わせの電話が相次ぐという。

「うっそ〜っ」

記事を読んで思わず出てしまった。

だってつい10日くらい前にお米を買ったが、その時は棚に米が山積みになっていたのだから。もちろん断り書きもなかった。

これは別の街の話?いや同じ市内のはずだ。

その時は20キロ買おうかとも思ったけど、もうすぐ新米が出るからいいや、、と10キロにしたのだった。

記事を読んで、やっぱり20キロにしておけば良かったかなと少し思ったが、でもこのような不安感が、米の品薄にさらに拍車をかけているのだろう。

これから手に入らなくなるかもしれないと思うと、多くの人が買いだめに走る➡︎ますます品薄になるという悪循環か、、、

ところで明るいニュースも出ていた。

今年のお米の出来は平年並み以上になるそうだ。

みなさーん、美味しい新米がもうすぐ食べられますよ〜


ところで普段、お米を買う時にしか立ち寄らない米売り場に、果たして本当にお米が無いのだろうかと行ってみた。

するとありゃりゃ、本当に何もない!

空っぽになった棚の前でボー然と立ち尽くしていたら、ガラガラという台車の音が近づいて来た。

見ると、店員さんが台車にお米を山積みにして運んで来た。(まだあった、、、)

新聞記事に載っていた「コンビニおにぎりかレトルトを食べるしかない」と言っていた○○○さんに教えてあげたい。

店員さんに聞いたところによると、日にちは確定ではないが、9月7日くらいから新米が出るそうだ。

 

 


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散歩、、、その2

2024-08-26 22:22:09 | 日記

昨日も散歩してきました。

行ったのは旭山記念公園。

市民は、この公園の記念を取って旭山公園という人が多いが、昼間は園内の自然の中に作った散策路を歩いたり、夜は夜景を見たりと人気のある公園。

また標高約138メートルの展望台からは、札幌の街が一望できることもあって海外からの観光客も多い。

昨日も周りから韓国語がたくさん聞こえてきて、韓国からの観光客が多く来ていた。

ところで次女の知り合いで、日本の企業で働く若い韓国人の女性から聞いた話だが、札幌は韓国人にとても人気があるのだとか。

でも札幌に住んでいると、札幌のどこがそんなに人気なのだろうと思う。

本州と違って古い歴史的価値がある建造物があるわけでもなく、たまに(滅多にないけど)案内することがあると、どこを見せようかと困ることが多い。

思いつくのは、この旭山記念公園とか、大倉山ジャンプ競技場とか、定山渓だろうか。

どれも自然の景観だけで勝負している感じだが、、、

ところが知り合いの韓国人女子によると、韓国では男性が好みの女性に対して、ここ一番の口説き文句というのが「一緒に札幌へ行きましょうか」なのだという。

これはどういうことかというと、札幌の冬は大雪が降るため飛行機が欠航になることが多い(と思っている)らしく、雪で帰れずずっと一緒に長くいられるからだとか。

たしかに冬の欠航率は高いかもしれないが、それが口説き文句になるとは奥が深い。。。

それはさておき、昨日は公園内を散策してきた。

ところが、あちこちにこんな看板があってちょっと緊張した。

やっぱりいるよね。だって熊さんの住んでいる場所に、お邪魔しているようなものなのだから。

逆に「人間出没注意」という熊さん向けの看板があった方が良いくらいかもしれない。

というわけで、昨日は熊さんに遠慮しながら散策路を歩いてきた。

自然が自然のままに残っている散策路の散歩は、植物の良い香りがして身体も健康になったような気がした。

歩くのは、身も心もすっきりして楽しい。

 


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散歩

2024-08-21 12:53:12 | 日記

長女と恒例の街歩き散歩へ行ってきた。

何もせずにぶらぶら歩くのも良いのだけど、何か目的があった方がいいかなということで、また道立近代美術館へ行くことにした。

今にも雨が降り出しそうな天気だったが、天気予報では晴れるということだったので、傘は持たずに出てきた。

さて美術館では定期的に展示物の入れ替えがある。

今展示されているのは、「国宝鳥獣戯画 京都高山寺展」でなんと北海道初公開。

そしてもう一つは、「浮世絵のヒロインたち展」で、今の期間は浮世絵師の歌川国芳の代表作「江戸名所百人美女」の浮世絵百枚、すべてが展示されている。

美術館に入ると、ちょうど浮世絵展でボランティアのガイドさんによる説明があるとの放送が流れた。

せっかくだからガイドさんの説明を聞きながら鑑賞したいと思い、浮世絵展から見学することにした。

これが大正解で、ガイドさんの説明を聞かなければ、さらっと流し見して終わったかもしれない浮世絵の世界が、とても面白くて興味深いものになった。

まず浮世絵の左右の上のどちらかに、小さなコマ絵と言われるものが描かれているのだが、東京をよく知らない私でも聞いたことがある江戸時代(東京)の地名の絵がそれぞれに描かれている。

これは、この浮世絵に描かれた美女が、その場所で描かれたことを表しているそうだ。

「これが神田川です。今とはずいぶん違いますね」とコマ絵を説明するガイドさんに、見学者たちから「ほぉ〜違うね」という声が上がる。

私は実際に神田川を見たことはないが、自然豊かな場所に流れる神田川の絵を見て、皆さんと一緒に「ほぉ」とうなづいてきた。

とても現代の東京だとは思えないほど、江戸時代の風景は、自然豊かなどこかの田舎の景色を思わせる。

江戸時代の人に、今の東京を見せたら、どれほど驚くだろう、、、

コマ絵を観るだけでも東京に詳しい人ならきっとおもしろいだろうなと思うが、詳しくない私でも十分おもしろかった。

そして主役である江戸時代の美女たちについても、いくつかの絵を解説して頂いたが、こちらもとても面白かった。

例えば江戸時代の庶民は、一生のうちに着物を三着しか作れなかったそうだ。

普段着も含めての三着なので、現代のミニマリストも負けるかもしれない。

しかも、その三着は新品ではなくて、古着屋から買っていたのだという。

「この女性は新しい着物を作ろうと思っている絵です。きっと身分の高い家の娘なのでしょう」と説明してくれた浮世絵は、越後屋呉服店(今の三越百貨店)で、着物の反物を品定めしている美女の姿が描かれていた。

さて浮世絵展を堪能した後は、いよいよ北海道初公開の「国宝鳥獣戯画 京都高山寺展」を観に行った。

ところが入った途端、すごい数の人に圧倒されてしまった。

鳥獣戯画を観るために長い列が続いていて、一応並んでみたものの、ほとんど進まない。

鳥獣戯画は観たいが、長女もいるし、私もずっと進まない列に並んでいられない(意外とせっかちなので)

先に空いている他の展示物を観て周り、最後に他人の頭越しから鳥獣戯画を観て帰ってきた。

でも最初に観た浮世絵展がとても良く、というかガイドさんの説明が本当に良かったのでもう十二分に満足だった。

ボランティアのガイドさんは七十代くらいの女性の方だったが、何を見ることなく流れるように浮世絵の説明をしてくださる。

とても聴きやすくて面白くて、これだけの量の説明をすべて暗記しているということは、どれほど努力したのかと思う。

またガイドさんの説明を聴きに行ってみたい。

さて帰ろうかと時計を見たら、美術館に入ってから二時間も経っていて驚いた。

外に出ると、雨は降っていなかったようで、長女が楽しみにしているランチを食べにまたぶらぶら歩き。

今回は長女の要望でオムライスを食べてきた。

ボリュームがあって、最後は食べ切ることに努力が必要だったが、卵がトロトロのオムライスは美味しかった。

というわけで、以上は長女と行く散歩だが、普段はいつも一人で散歩している。

最近では秋の気配を感じるようになって、トンボも見かける。

の写真は、散歩途中で見つけた栗とどんぐりの木。

今年は豊作になるのかな?

この辺りでよく見るエゾリスや鹿、それから見かけはしないが、きっといるヒグマが、どうか飢えませんようにと願う。

 


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子の後ろ姿

2024-08-14 16:23:37 | 日記

次女が初めての海外出張から帰ってきた。

家へ帰ってくるたびに「きつい、もう仕事を辞める」と言い、新たな仕事を探していた次女が、今も辞めずに公務員を続けている。

前に次女から聞いた時には「もう辞めなさい」と言ってしまったほどの仕事の忙しさで、次女曰く「過労死寸前の時間外労働」だったらしいが、最近なぜか「辞める」という言葉を聞かなくなった。

仕事に慣れてきたせいもあるのかもしれないが、次女を見ていると、楽しそうにも見える。

相変わらず時間外労働は多そうだけど、次女から仕事に対する不満や愚痴が聞かれなくなった。

今回は他国を訪問する、とある地位のある人物について行き、向こうで交流のお膳立てをする仕事だったらしい。

とても気を使う大変な仕事で、自分なら無理だわと思うのだが、次女は苦にならないようだ。

「時間があったら、少し観光とかできないの?」と聞いたら、「できるわけないでしょ。税金で出張しているんだから遊んでたらダメでしょ。お土産を買う時間が少し取れるくらいで、あとは全部仕事」

つくづく次女は公務員という職種が好きなんだなぁと思う。

次女は、学生時代からずっと公務員希望だった。

周りから「民間会社の方が待遇が良いのに」と言われても、公務員志望を変えなかった。

「国のために働きたいから公務員になる」と次女の口から聞いた時には、感心するよりも「若いのになんという時代錯誤なことをいう娘だろう」と思ったものだった。

公務員になることが、国を守ることになるのかどうかは置いておいても、そう思う若い人は、案外この国には多いのかもしれない。

そうであってほしいという私の希望的観測かもしれないが。

でも、もしもまた次女が辞めたいと思う時が来たとしたら、やはり引き止めることはしない。次女の人生なのだから、好きなように生きていけば良いと思う。

出張から帰ってきた日の夜、休日もまったく休んでいないのに、翌日から仕事に行くという次女が、すきま時間に買ったお土産を小袋に分けていた。職場の方々に渡すのだとか。

鼻歌交じりに楽しそうにお土産を分けている次女のうしろ姿を見たら、なんだか嬉しくなった。

どんな仕事でも嬉しそうに働きに行く子どもの姿を見ることが、こんなにも嬉しいことだったとは知らなかったなぁ。

 


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針のない時計

2024-08-09 14:27:01 | 日記

朝方に夢を見た。

どこかの室内らしき場所に大勢の人がいた。

どちらかというと若い人より高齢者のほうが多く、不思議と子どもの姿はなかったが、男女とも幅広い年代で、みんなぼーっとした顔で座っていた。

最初は、私もその中で一緒に座っていたのだけど、ふと我に帰り「そうだ、こんなことしていられない。早く帰らないと、、」と思い、近くに座っていた若い男性に「今、何時ですか?」と声をかけてみた。

すると、その男性はどこから取り出したのか、手に大きな時計を持って見せてくれた。

まるで壁から外してきたのかと思うような大きな時計で、文字盤を見ると、なんとも不思議な文字盤だった。

まず時計の針がない。それから数字がたくさん書いてある。

普通は1から順番に12まで書いてあるが、数字と数字の間には、さらに数字がびっしりと書かれていて、一見すると文字盤のすべてに数字が書かれているような時計を見ながら、どうやって読むのだろうと考えたが、さっぱりわからない。

とにかく急がないといけないことだけは確かで、急いでその場から出て歩き始めた。

気がつけば、周囲には多くの人が同じ方向に向かって歩いていた。

すると、前を歩いていた白髪の髪が薄くなった高齢の男性が、歩きながら大きな声で泣き始めた。

「妻がいない。寂しい」

もしかすると、この方の奥さんは亡くなったのだろうか?

お気の毒にと思いながら進んでいくと、今度は道の両側の至る所で、お葬式をやっていた。

そこで行われているというより、お葬式をしている場面が、あちこちに見えてくるという方が正しいかもしれない。

幾つものお葬式の場面を見ながら、さらに歩いていくと、ずっと前方に背が高くてひときわ大きな男性を見つけた。

見覚えのある後ろ姿で、それは亡き父に間違いなかった。

急いでそばまで行って声をかけると、振り向いた父の顔が、あまりに若いことに驚いてしまった。

「お父さん、ずいぶん若返ったね。○○(長男の名前)とあんまり変わらないんじゃない?三十代に見える」と言ったら、父は照れくさそうに笑った。

、、、ここで目覚めた。

目覚めてからも最後に見た若くなった父の笑顔がしばらく頭から離れず、久しぶりに見た変な夢を反芻していた。

もしかすると、あれは死者の世界なのだろうか。

みんなぼーっとしていたのは、もしかして亡くなったばかりだから?

妻がいなくて寂しいと泣いていた男性は、奥さんが亡くなったのではなくて、その男性本人が亡くなっていた?

単なる夢であったが、しばし自分なりの考察をしてから、着替えて台所へ行くと、すでに夫がいた。

今見たばかりの夢の話をすると、「そうだ。今日、墓参りに行って来ないか?お盆に入ると渋滞するから」というではないか。

そうだった。もうすぐお盆だった。

一週間くらい前は覚えていたが、ここ数日忙しくてすっかり忘れていた。

明日土曜日になると、お墓周辺は渋滞で大変になる。だから行くなら今日しかない。

というわけで、ちょっと早いがお墓参りに行ってきた。

霊園周辺は、すでに混み始めていたが、まだ渋滞まではいかず大丈夫だった。

昔はお盆と言っても何も思わなかったが、今はご先祖や縁ある方々をお迎えして、久しぶりのこの世で、くつろいで行ってもらいたいと思うようになった。

ご飯を食べる時も「みなさまもどうぞご一緒に」と心の中で声をかける。

すると大勢の方が、笑顔になって一緒に食べているように思われる。

今回忘れていたが(汗)、年々お盆が楽しみになってきたのは、果たして良いことなのかどうなのかと、ちょっと複雑な気持ちにもなるのだけど。

 

 

 


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