ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

小さな美容室

2025-03-08 14:29:18 | 日記

ずっと髪を切ってもらっていた美容室が、店を閉じると聞いたのが昨年の11月で、それから次の美容室をどこにするか決められないまま髪の毛が伸び放題になっていた。

美容室へ行くと髪だけでは無くて、心の中もすっきりとするので、美容室選びは、私にとってはとても重要になる。

独身で働いていた若い頃は、美容室に行くのが仕事のストレス解消になっていて、ストレスが溜まってくると、月一を待たずに美容室へ駆け込んでいた。

お金に糸目はつけず高級な美容室に行って、出された紅茶などを飲みながら髪を整えてもらうと、身も心もスッキリした。

しか〜し結婚して子どもができると、そうも言ってられない。

できるだけリーズナブルで、しかも技術が自分の好みに合う美容室を探して行くようになった。

そんな長年培われた習慣のためか、多少の余裕ができた今でも若い頃に行っていた紅茶が出てくるような美容室は入り難くい。

リーズナブルで、自分好みの美容室は無いものかと、昨年から探し続けていた。

ところが、遂に見つけてしまった!

よく車で通る道に、小さな美容室があったとは、どうして今まで気がつかなかったのだろう。

いつも車で通り過ぎてしまうので目に入らなかったのか、それともあまりにひっそりと建っているので気づかなかったのだろうか。

たまたま家族がその近くに用事があって送っていた時、家族を待つ間に車の中から外を見ていて発見した。

特に看板があるわけでもなく、理容店の赤と青のクルクルがあるわけでもなく、最初は美容室だとわからなかったのだが、扉に美容室の名前が書かれていてやっとわかった。

そして店名の下に小さくメニューも書かれていた。

ひときわ目をひいたのが「カット2000円シャンプー付き」の文字

カットが速くて安いチェーン店はあるが、今どきカット2000円でシャンプーつきなんていう美容室は見たことがない。

その場でホームページを探したが、ネットには出ていないようだった。

さらに電話番号が書かれていて、こちらから予約してくださいとあった。

店構えを見ながら「ここが探していた美容室かもしれない」と、なんとなく思った。

孤独のグルメの主人公「井之頭五郎」が気になる飲食店の前に立ち「こういう店は美味いはずだ」と言いながら入るシーンがある。

入って食べて大正解だったというオチになるが、飲食店と同じく美容室もずっと探し求めていると、なんとなく「ここだ」という感覚になるものなのだ、、、と思う。

早速電話予約をしてカットをしてもらいに行ってきた。

開店時間ちょうどに行ったのだが、美容室の中はしばらく前から部屋を温めていたかの様な快適な暖かさだった。

五十代くらいのちょっと寡黙で綺麗な女性の美容師さんが迎えてくださって、早速カットをしてくれた。

とにかく丁寧なカットと、思っていた通りの仕上がりで大変満足し、さらに丁寧なシャンプーとマッサージまでしてくれて2000円とは安すぎる。

「これで2000円なんて申し訳ないです」というと、ニコニコしながら「とんでもないです。よろしいんですよ」と、あくまでも謙虚で素敵な美容師さん。

最後に名刺をいただき「次もお願いします、また来ます」と言って帰ってきた。

次に行くのがとても楽しみになった。

でも次に行ったら店は無くて、そこは何年も前から空き地でしたってことはないよね、、、なんてふと思う。

もらった名刺は、まだ木の葉っぱになっていないので、きっと大丈夫だと思うが、、、

 


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変わらない日常は幸せ

2025-03-04 17:10:52 | 日記

今日はなにか楽しいことを書こうと思ったが、やっぱり無理かもしれない。

先月六十代の知人が亡くなったが、今度は友人の娘さんがお亡くなりになった。

正確な年齢は聞いていないが、まだ若いはず、、、二十代か三十代前半。

卵巣と子宮の癌を患っていたとは、まったく知らなかった。

癌が見つかってからわずか三ヶ月で旅立たれてしまったと聞いて、友人の悲しみはいかばかりかと心が痛い。

友人は「朝起きると、今まで悪い夢を見ていたのではないかと思う」と言っていた。

気持ちはよくわかる、、、母が亡くなった時は、友人と同じように「これは夢じゃないか」と何度も思った。

ましてや、それが自分の子どもならどれほどの悲しみだろう。想像するのも怖い。

毎日、同じような日常生活が続いて行くことに飽きて、つまらないと思うことがあるかもしれないが、変わらない日常というものが、どれほど幸福なことだったのかと、人はそれを失ってから気づく。

必ず来ると思っている明日は、来ないかもしれない。

失ってから、あの退屈で変わらない日常をもっと繰り返したかったと思っても、もう戻っては来ない。

今日一日を精一杯生きること。

後悔しないように家族や大切な人に愛情を持って接すること。

使い古された言葉だけど、やはりこれなのだろうと思う。

 


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カラス

2025-02-26 14:48:33 | 日記

朝起きて窓の外を見ると、雪の上に動物の足あとがたくさんついている。

きつねかあらいぐまの足あとかもしれない。

家の周りには、たくさんの動物がやって来るので、新雪の積もった朝は、動物がどこを歩いたのかがわかって楽しい。

日中はあまり見ないもののエゾシカやウサギなどもいる。

エゾシカの足あとが庭についていた時には、鉢合わせしなくてよかったと胸を撫で下ろした。

エゾシカはかなり大きいので、近くで見ると怖く感じる。体当たりされたら飛んで行くかも、、、

また庭の餌台には野鳥も来る。

いつも餌台に置くのはお米で、この度は鳥用のクズ米が例年の三倍くらいの値に上がっていてびっくりだった。

このままの値段なら、これからは普通の鳥の餌を買った方がいいのかなぁと思ったりする。

とはいえ餌台に来る小鳥たちに癒されている毎日。

そんな小鳥たちに混ざって、たまにやってくるのがカラスで、大きな体を屈めて小さな餌台に乗り、一生懸命にお米を食べようとしている。

でもくちばしも大きいので、小さなお米は食べ難いようだ。

しばらくすると、あきらめて飛んでいってしまう。

ところでカラスにも縄張りというのか、生息地が決まっているようで、庭に来るのはいつも同じカラス。

カラスはみんな同じように黒いが、毎日見ていると微妙な違いがわかるようになった。

そして時々裏の木に止まって休んでいたりするが、私が外に出ると飛んできてくれるし、散歩に出かける時は、途中まで着いて来るので、だんだんと愛着が湧いてきた。

いつも餌台にお米をあげているのを知っていて、何かもらえるのではないかと来るのだと思う。

「ごめんね、食べるものは無いよ」と話しかけると、わかっているのか、いないのか、小首を傾げて聞いているような仕草をするのもまたかわいい。

「最近のゴミ置き場は、ほとんどが金網でできたものになったから、ゴミの中から食べ物を見つけることができなくなっちゃったよね」

なんてことをカラスに向かって話しかけている。

ちなみに今やって来るカラスは、ここに暮らし始めて、カラスと話す?ようになってから代替わりした若いカラス。

カラスは何年くらい生きるのだろう。

三年目くらい前まで懐いていたカラスは、いつの間にか姿を見せなくなり、今はこの若めのカラスがよく来てくれるようになった。

このようにカラスに話しかけているつもりで、亡くなったオカメインコのP太郎にその姿を重ねている自分がいる。

 


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いつか行く道

2025-02-21 15:46:34 | 日記

まだ暗い朝方に夢を見た。

夢の中で葬儀に参列していた。とても悲しくて涙が止まらない。

誰の葬儀なのだろうと、涙を流しながら夢の中の祭壇を見ると、先日お見舞いに行った知人の葬儀なのだとわかった。

ところがその日の朝、夢を見ていた時間に知人が亡くなったと知らせを受けた。

気になっていたから夢を見たのだろうか。

知人はその後、体調がさらに良くなり、帰宅するためのリハビリも始めたと聞いていたが、容態が急変したらしい。

最期は眠るように亡くなられたそうだ。

ご遺体はすぐに葬儀場に運ばれたと聞いて、家族と一緒に駆けつけたが、夢の中と同じように悲しくて涙が止まらなかった。

私たちと同じように駆けつけた方々の中で、ほかにもお二人が「今朝、夢に出てきた」とおっしゃっていたので、朝の夢は最後の挨拶に来てくれたのかもしれない。

間質性肺炎になってから今年で三年目。

最後の時期は、喋ることも食べることもつらそうだったので、家族には悲しさはあるものの、やっと楽になれたねと思う気持ちの方が大きい。

そして「たられば」の話は、意味がないとわかっていても悔しい。

さてお通夜が終わってからの会食は、久しぶりに懐かしい顔が揃った。

コロナが起こってから会っていなかった人ばかりで、久しぶりの再会で話は弾み、弾みすぎて大きな笑い声があちこちから聞こえてきた。

賑やかな会になって、きっと故人も喜んでいるだろうと思う。

会食に参加していた医師をしている方が「亡くなった人は、人と人を結んでくれる」とおっしゃっていた。

お医者さんの話ではなくて、お坊さんの法話を聞いているような気分になりながら、その通りだなぁと思っていた。

その方は昔から知っているが、これまでは論理的に物事を語り、そのようなことを言うような人ではなかったが、職業柄たくさんの人の死に出会ってきて、いろいろと思うことがあったのかもしれない。

というわけで、もう知人の姿を見ることも声を聞くこともできないことはとても寂しいが、今頃は思いっきり深呼吸をしているのではないかと思うと、少し気持ちが楽になる。

誰もがいつか必ず行く道。

今という時を懸命に生きようと思う。

 


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眠るための方法

2025-02-16 12:26:17 | 日記

前は夜に布団に入ってから眠るまで、とても時間がかかっていた。

ちなみに80%近くの人は、布団に入ってから眠るまでにかかる時間は三十分未満だが、残り20%以上の人は三十分以上かかっているとか。

私もその20%に入っていて、三十分くらいで眠れたらラッキーで、一時間以上眠れないのは当たり前だった。

ひどい時は二時間も三時間も眠れない時があり、これは年齢が上がると共に増えていった。

若い頃は直ぐに眠れたと思うのだが、年齢と共に眠れなくなってきたのは、眠ることにもエネルギーがいるのだろうかと思う。

とはいえ私より年上の夫は、五分くらいか長くても二十分で気を失うというので、エネルギーの有無はあまり関係ないのかな?本当にうらやましい。

寝る一時間以上前からスマホなどは見ないようにしているし、夕方お風呂にゆっくり浸かって、寝る前は軽くストレッチをしたり瞑想をしたり、心が落ち着く本を読んだりして過ごす。

そして「もう我慢できない、眠い!」という状態になってから布団に入るのに、布団に入ると一気に眠気が覚めるのは何故なのだろう。

そこで、布団の中で本を読んでみることにした。

すると一時間くらいで眠れることが多くなったが、寝るために部屋の灯りを消しに布団を出ると、また覚醒してしまうということも有って、まだ満足の入眠には至らなかった。

では布団の中で瞑想をしたらどうだろう。

瞑想なら暗い部屋でもできるから、部屋の灯りを消しに行くこともないし、そもそもいろいろな考えが頭に浮かぶから眠れなくなるので、瞑想で頭の中をできるだけ空っぽにすれば良いのではないだろうか、、、と思った。

そうしたらビンゴ!

五分から長くても二十分くらいで眠れるようになった。

すぐに寝てしまうので、瞑想という点では意味がないと思うが、すぐに眠れて、さらに何度も起きていた夜中のトイレも、朝方まで起きなくなったというおまけまで付いて本当に嬉しい。

ただちょっと気になることがある。

それは鮮明に覚えている夢をしばしば見るようになったこと。

前に眠れなかった時は、見た夢をあまり覚えていなかったが、瞑想してから眠るようにしたら、見た夢をよく覚えているようになった。

その夢というのが面白くて、昔関わりのあった人たちの夢を見ることが多い。

今ではもう関わりが無くなった人たちで、普段はほとんど思い出すことが無くなった人たちの夢を見る。

それもどんどん時間をさかのぼっているかのように、関わりがあった年代が、新しい順から古い時代へと移っている。

最初の頃は、現在も関わりがある人たちの夢だったが、それが会社員だった頃に関わりがあった人たちになり、短大へ通っていた頃の人たちになり、高校時代になり、、、と、すっかり忘れていた人や当時の出来事が夢に現れてくる。

このまま行くと、どこまでさかのぼるのだろうと、楽しみのような怖いような気がするが、ぐっすり眠れたという心地よさには変えられない。

とはいえ、それも瞑想で寝るからなのかも分からないので、しばらくはこの眠り方で行ってみようと思っている。

昨夜もよく眠ったのでスッキリの日曜の昼下がりです。

 


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時代は巡る

2025-02-10 21:45:43 | 日記

用事があって街の中心部へ出かけた時のこと。

とあるビルで用事を済ませて時計を見ると、時間はちょうどお昼になっていた。

ビルで働いているスーツ姿の人たちが、お昼ご飯に行くためにたくさん出てきた。

横を通り過ぎて行ったのは、上司と思われる年配の男性と、その後ろを小走りで着いて行く部下らしき若い男性。

大股で歩いて行く上司らしき男性を見て、気分は一気にOL(古いかな)をしていた頃にタイムスリップした。

「あぁ、この人にそっくりな上司がいたなぁ。厳しい人で仕事の報告する時はもう緊張したわ、、」

その方が、後ろから横を通り過ぎて行ったからよかったものの、前から歩いてきたらもっと緊張したかもしれない、というくらい雰囲気が似ていた。

その二人を見ている自分は、もう完全に後ろを小走りで着いて行く若い人になっていた。

一瞬、会社員をしていた二十代に戻ってしまったが、よく考えてみれば、その上司っぽい男性は多分、、いや間違いなく、自分より年下だと言うことに気づいてしまった。

あの人もこの人も、ビルから出てきたビジネスマンたちは、もうみんな自分より年下なのだという事実にちょっと愕然とした。

当時の厳しかった上司は、自分より二十と数歳くらい歳上だったので、今は八十代後半か、、、

と言うことは、上司は当時まだ四十代だったのだという事実にも驚く。

今は四十代はまだ若いと思っているが、自分が二十代の頃は、立派なおじさんに見えていた。

「めぐるーめぐるーよ、時代は巡るー」

そんな歌が頭の中に流れた時間だった。

ところで昨日は、長男夫婦が二歳になる孫を連れて遊びに来てくれた。

玄関に入っただけで大泣きして、人見知りがひどかった孫も、今はすっかり慣れてニコニコの笑顔で家に入ってくる。

そして直ぐに私の手を掴んで、部屋の探検が始まる。

「ばぁば、こっち」「これナニ?」「あれとって」

お昼ご飯の用意をしなければいけないのに、なかなか解放してもらえず、お嫁さんが気づいて連れて行ってくれたので、やっと台所に戻ることができた。

お昼ご飯を食べ終えた後は、孫とたっぷり遊んでへとへとに。

やっぱり自分が子育てをしていた頃とは違う、、、気力も体力も衰えている。

(やっと)帰る時間になった時、孫が「ばばも行こう」と何度も言ってくれた。

「ばぁば」じゃなくて「ばば」と呼ばれたのは、ちょっと気になったけど、「ばばぁ」じゃないからいいや、、なんて。

でも一緒に行こうと言ってくれるなんて嬉しかった!ばばぁでも良いと思える。

二十代の会社員だった頃から四十年が経って、お姉さんから婆婆になった。

四十年ってすごく長いようだけど、歳を取ってみれば、あっという間だったように感じる。

嬉しかったことも悲しかったことも、今となってはすべて良い思い出。

めぐるーめぐるーよ、時代は巡る

 


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天才と凡人

2025-02-06 16:36:09 | 日記

見るからに聡明そうな一人の男の子がいる。

年は10〜11歳くらいだろうか。

何にでも興味を持ち、植物が好きみたい。

そして私にはよくわからないが、物理や化学にとても興味があるようだ。

そばにお父さん?がいて男の子の質問に丁寧に答えている。

「わかった!」という男の子の元気な声がした。

この子以外にも聡明な赤ちゃんが、今産まれて来ているようだ。

信じられないくらい言葉が早い。

早いと言うのは話すスピードではなくて、言葉を覚えて話し始める時期という意味。

この子たちが20代、30代の大人になったら、どんな風に世界は変わるのだろう。

あと15〜20年くらい?とても楽しみだ。

これは夢物語ではなくて現実になる(と思う)。なって欲しいと願う。

ところで言葉と言えば、私の英語学習のその後。

相変わらず熱中しているのは変わりはないのだけど、やめたことがある。

それは、レースに参加しないこと。

duoligoでは、自分のアバターを作って、一週間ごとに順位が出る仕組みになっている。

この順位によって、さらに上のレベルに上がれるか、同じレベルに留まれるのか、または降格するのかが決まるのだが、最初はよく分からず、なんとなく上がっていっているなぁくらいにしか思っていなかった。

ところが仕組みがわかってくると、レベルを上げるためについつい頑張るようになってしまった。

レベルが上がるにつれて、参加している人たちが、めちゃくちゃ頑張って順位を上げようとして、ものすごい速さで点数を稼いでいる。

自分より上の順位の人を抜くと、すぐに抜き返してくるという、、私もまんまとこの学習サイトの戦略にハマり、点数を稼ぐために無理をして勉強してしまった。

でも何のために英語学習をしているのか、楽しみで始めた英語なのに、ストレスになっていることに疑問を抱くようになった。

点数を稼ぐことだけを目的にすると、表面だけをなぞるだけの勉強になりがちだったが、実は基本的なことがあやふやな状態のままで終わっているということに気づいた。

というわけで、自分自身の脳に少しでも刻み込まれるように、これからは時間をかけてゆっくりやって行こうと思った。

ところでそんな母を見かねて、次女が本を貸してくれた。

「参考書は読む気がしなーい、だって難しいんだもーん」と心の中で思ったが、せっかくの次女の好意だ、仕方がない、最初の数ページくらいは読もうと思って読み始めてみれば、これが意外と面白い。

参考書というより、読み物として普通に面白かった。

というわけで、最初の話題から何の関係もない私の趣味の話になってしまった。

あえて関係付けるとすれば、次世代を生きる天才くん達と、人生の半分以上を終えてしまった凡人の違いというお話でした。

 


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友人とのメール

2025-02-01 21:22:24 | 日記

出会って三十三年になる長い付き合いのママ友からメールをもらった。

彼女とは誕生日が近いので、数日を挟んでお互いにおめでとうメールのやりとりをする。

まず先に私の誕生日に来た彼女からのメールの近況報告に「親の介護で少し疲れています」と書かれていた。

ちょうど一年前、隣り町で一人暮らしをする彼女のお母さんが大腿骨を骨折をされた。

彼女は母親を札幌の病院に入院させると、毎日のように病院へ通っていた。

九十歳を越えているので、一時はこのまま寝たきりかと思われたが、お母さんの頑張りと彼女の献身的な介護によって、また自宅に帰って一人暮らしを続けることができた。

ところが、やはり骨折前と同じには戻らなかった。

身体が不自由になったお母さんのサポートをするために、片道一時間半をかけて、数日おきに実家に通っていると聞いていたが、それが今でも続いていたとは知らなかった。

それは「少し疲れている」くらいではないのかもしれない。

数日後、彼女の誕生日だったので、今度はこちらからメールをした。

さりげなくお母さんの様子を尋ねてみたのだが、思ったとおり以前の彼女と違ってとても暗かった。

「少し認知症も出てきたようで、理不尽なことを言われてつらい、でもそれは病気だから仕方がないと思って、笑顔を作って受け流している」とあった。

他人は「もう一人暮らしは無理だから、施設に入ってもらったら良いのでは?」と思うのだが、優しい彼女は「家でずっと暮らしたい」というお母さんの願い通りにしてあげたいと思っている。

でも彼女のメールの最後が気になった。

「私はとても90歳以上まで生きる気がしないし、生きたくない。子どもに迷惑はかけたくないです」

私たちがまだ31歳で、それぞれ赤ちゃんを抱えて、慣れない育児と家事をあたふたしながらやっていた頃、お母さんから食べ物の入った小包が届いたことや、たまに手伝いにも来てくれることを、彼女から聞いたことがある。

すでに母が居なかった私は、羨ましいなぁと思いながら、本当にいいお母さんだなぁと思っていた。

だから彼女も今、頑張って介護をしているのだと思う。

子どもに迷惑をかけたいと思う親はいない。

でも歳を取れば、いくら迷惑をかけないようにしたいと思っていても、必ず多少なりとも誰かのお世話にならなければいけない。

彼女もそれをわかっているから「生きたくない」という言葉になったのだろう。

他にも彼女と同じことを言いながら、親の介護をしている知人が二人いて、二人とも自分の時間がほとんど持てないくらい大変そう。

自分を産み育ててくれた親には、精一杯のことをしたいと思いながらも、現実では介護の過酷さがある。

悲しいなぁと思う。

 


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確信したこと

2025-01-27 21:54:35 | 日記

旅行に行っている時を除いて毎日行う先祖供養だが、多くのご先祖たちが、私たち子孫を守るように背後にいらっしゃること、そしてこちらから話しかけることは、しっかり届いていることをとても感じる。

たとえば亡くなって三十年以上が経った母。

今はもうあまり存在を感じなくなってしまったが、前は亡くなった母に弟や妹のことを相談すると、数日後に二人から「お母さんが夢に出てきた」と言われることが何度かあった。

夢の中で、まさしく私が母に相談していたことを母から言われたという。

弟と妹には、亡き母に相談していたことはもちろん言っていなくて、「ヘェ〜そうなんだ」と言いながら、初めて知ったように平静を装っていたが、内心では「ホントに伝わってる!」と驚いていた。

それは母だけではなくて父も、それから血のつながりはなくても供養をしているご縁のある方々も、夢や気配や額に映る映像などを使って、言いたかった事を伝えてきた。

だから人は亡くなっても身体が無いだけで、生きている時と同じように伝え合うことができるのだと思えるようになった。

でもご先祖様というのは、自分の知っている方ばかりではない。

むしろ知らない方のほうが、大半を占めている。

直接は知らなくても、昔その人がたしかに存在していたことを知っているなら、こちらから意識を向けるとちゃんとそれを受け取ってもらえることを感じる。

そして自分がまったく知らない大勢の方々にも、もちろん供養はしっかり届いている。

私は自分のことを祈ることは、ほとんど無いのだけど、いざという時には背後に大勢の方々が、勢揃いして下さることを感じる。

だから病気に苦しむ知人が、少しでも楽になるように祈る。

知人に縁がある方が、力になってくれるように。

もしかすると、その病気は自身が選んできたものなのかもしれないが、現実に苦しんでいるのを聞くのは辛い。

ところで数日前に知人の家族から「病状が少し回復して食事が摂れるようになった」と連絡をもらった。

そして転院して面会ができるようになったと聞いて病院に行ってきた。

回復したと言っても病気が治るわけではないので、まだとても苦しそうに息をしていたが、「少し太ったの」と言って細い腕を見せてくれた。

少しであっても良くなって本当によかった。

自分の祈りが通じたからとは思わないが、知人にご縁のある方々が、力を貸してくださったのではないだろうかと思う。

私たちが子どもや孫を心配するように、ご先祖たちも同じような気持ちで見ていらっしゃる。

最近それをますます確信している。


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雪の少ない日に

2025-01-22 14:38:10 | 日記

最近よく話題にのぼる事と言えば、雪の少なさについて。

こんなに雪が少ない年は、初めてじゃないかというくらい積雪量が少ない。

例年の一月と言えば、道の両脇に1メートルを越える雪が積まれ、三車線の道路は、雪によって二車線になっているのが当たり前だったが、今は三車線のままでアスファルトの路面まで出ている。

気温も高く、一月とは思えないプラスの気温になる日もあって、まるで春のようだ。

人に会えば「雪が少なくてありがたいねぇ」と、挨拶代わりに何回言っただろう。

そして「でもいつも帳尻が合うんだよね。またきっと大雪が来るんじゃないかい」と、何度聞いただろう。

北海道に住んでいるから、雪が降るのは当たり前。

だからいつ大雪が来てもいいように、朝晩の体操に腕立て伏せも加えてみたりして、、、

でもやっぱり、雪が少ないのは楽だなぁと思う。

ところで用事があって朝に出かけたら、歩道を車椅子に乗っていく若い娘さんに会った。

例年なら雪があって、車椅子で外を歩くというのは無理だが、今年は雪が少ないので、車椅子でも大丈夫なのだろう。

車椅子を押しているのはヘルパーさん?やはり若い女性が、黙々と押していた。

そして車椅子に乗っている女性の顔、、、なんて嬉しそうな顔をしているのだろうと思った。

身体は硬直しているのか、手を動かすのも大変そうだったが、お顔は朝の日差しを浴びて、キラキラ輝いて見えたほど、喜びに溢れたいいお顔をされていた。

「もしかすると身体の不自由な人は、こうしてたまに外出できることが、ものすごく嬉しいのかもしれないな」と、私と同じように娘さんが嬉しそうだと感じた家族が言った。

を歩くなんていつも当たり前のようにしているし、プラス気温とは言え、真冬は寒いからできるだけ外は歩きたくない。

これで「つまらない毎日だ」なんて文句まで言っていたら、バチが当たるかもしれない。

いろいろなことはあるが、こうして平和な日本で暮らせることに感謝したいと、あらためて思った出来事だった。

そして最近よく感じていることは、日常生活の中には、お手本や学びがたくさんあるのだということ。

どこへ行かなくても学ぶことはたくさんあると思う。

 


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祈る

2025-01-18 17:35:25 | 日記

間質性肺炎を患っている知人が、入院したと連絡をもらった。

間質性肺炎と診断されてから、あっという間に酸素ボンベなしでは暮らせなくなってしまった。

酸素を吸いながら、なんとか簡単な料理を作っていると聞いていたが、それがついにできなくなり、そして寝たきりになってしまった。

とても我慢強くて、苦しくてもそれを周囲に言わない知人が「息が苦しい」と、近くに住む家族に連絡したと言うから、余程だったのではないかと思う。

病院は今も面会ができないため、家族から病状を伝え聞いているだけだが、あまり良くないようだ。

まだ六十代。まだまだ平均寿命には時間があるのに、なんの治療もなくて徐々に苦しさが増していくのを耐えるだけ、ただ死が訪れるのを待つしかないとは、なんて残酷な病気なのだろう。

そして、それを近くで見守るしかできない家族の辛さを思うと、気の毒で仕方がない。

前回体より心という記事を書いたが、こうして知人の病いを聞くと、なんとかして身体が楽になる方法は無いものだろうかと思う。

でも私にできることは祈ることしかない。

知人の苦しみが、少しでも癒されますようにと毎日祈る。

ところで昨年出版されたちょっと古い「暮らしの手帖」という雑誌を読んでいたら、とても心に響く文章が書かれていたので書き写しておこうと思う。

新雪を一歩一歩、踏みしめて歩くように、新しいこの一年を、この日々を、歩んでいこう。

いのちをいただいて、料理を拵え(こしらえ)、たべること。

暖かい寝床で、体を伸ばして眠ること。

大切なあの人と、おしゃべりをして笑い合うこと。

そんな何げない行為の一つひとつが、じつはとてもかけがえのないものだと、胸に落ちるようになった、いまだからこそ。

自分の手の中に「暮らし」を引き寄せて、何が大事で、何が不要か、見極めていこう。

他者の痛みを想像し、できることを考えよう。

この世界がどうあったら心地よいか、そのためには、いったい何を選んでいけばいいか。

考え続けることを、あきらめないでいこう。

 


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「心」の態度

2025-01-13 20:59:04 | 日記

我が家では家族全員に一斉に同じ内容が送信される家族ラインと、個人同士で連絡を取り合うラインの二つを利用している。

ラインは情報が漏れるので、重要なことは書かない方がよいと聞いたが、家族ラインも個人ラインも、書く内容は、どこの店の何という料理が美味しかったとか、いつ帰るコールとか、わりとどうでもよい内容のため、あまり心配せずに使っている。

そんな家族ラインに長男からメッセージがきた。

それは本の紹介で「中村天風さんの本を読んだけれど良かったから、読んでみて」とのことで、特に私と夫に向けてのメッセージだったみたいだ。

長男からのラインには「運命を拓く」という本の中から抜粋した中村天風氏の言葉が書かれていた。

自然の摂理として、本来人間は一生自己向上し続ける生き物であり、齢は関係ない。その摂理に反するのであれば急速に老衰を早める。

先日長男と会った時に、私が英語に夢中になっていることと、夫が友だちと旅行に行く計画を立てているということを話したことから、この言葉を送ろうと思ったようだ。

メッセージの最後に「英語をやったり、旅行に行ったりするのはいいことだよ」と書かれていた。

夫の方はどうかはわからないが、私は英語を始めて約二ヶ月近く、毎日時間を見つけては、せっせと学習に励む日々を送っていて、英語学習が楽しくて仕方がない。

学生時代にこの情熱があったなら、今頃もうちょっと英語がマシになっていただろうとさえ思う。

本来、凝り性なのと語学の勉強が嫌いじゃなかったので、齢(よわい)63歳にして英語にハマってしまった。

「今はスマホがあれば、言葉がわからない外国人とも会話できる」と聞いた時には、「えーー!じゃあ外国語の勉強しなくてもいいじゃないの」とがっくりしたが、いやいや、スマホを持っていないサウナの中で話しかけられた時は、やっぱり英語が話せた方がいいと気を取り直した。

(果たしてサウナで外国人に会うかはわからないが)

本当は少し習ったことがある中国語もまた始めたいのだけれど、これ以上語学の学習に時間を取ることは難しい。

英語ひとつでも、つい夢中になって時間を忘れ、気がつけば食事の支度をする時間が過ぎていて大慌てなのに、中国語も始めたら完全にご飯が作れないことになると思う。

読みたい本もあるし、観たい動画もあるしで、今はいくら時間があっても足りないなんて感じる。

でも、このように感じることができることはとてもありがたいことと思う。

ところで中村天風さんの御本は、一時期ずいぶん読んでいて勉強になることが多かった。

今は長男が読んでいると聞いて感慨深い。

感銘を受けた中村天風さんの言葉をもうひとつ。

生命の生存を確保する生き方は、第一に『心』の態度を終始一貫、いかなる場合があろうとも積極的であらしめることです。

およそこのことぐらい人生および生命に対して大事なことはないのであります。

人間が生きるということは、生命の存続を維持することだが、生命の存続というと、たいていの人は肉体が健康で生きられることを考えてしまう。

どんな食事がいいとか、どんな薬がいいとか、肉体本位にばかり考えて、それが健康になる唯一の手段だと思っている(健康オタクとして深く反省、、、)

しかし「それよりも大事なことは心だよ」と中村天風さんはおっしゃっる。

たとえ身体に病があろうと、心が満たされていれば幸せな人生が送れるということだろう。

歳を重ねるに従って、新しいことを始めるのが、どんどん億劫になってきたのだが、中村天風さんが言われるように積極的に何かをやってみることは、心の健康に大切なことであったと、今とても実感している。

 


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今年、最初に買ったもの

2025-01-08 15:56:54 | 日記

年末に冷蔵庫が壊れてしまった。

ドアについているネジが取れてしまい、ドアがスムーズに閉まらない。

自然に閉じるはずのドアの部品が開いたままで、それがぶつかってドアが閉じないのだが、手動で閉めるとなんとか閉まる。

「次に調子が悪くなった時には寿命ですね」と、一昨年みてもらった修理の人に言われていたので、この冷蔵庫はあきらめて年が明けたらゆっくり新しい冷蔵庫を探そうと思っていた。

ところが、、、

毎日使うものなので、いろいろな冷蔵庫を見比べてからと思っていたのに、なんと15分で最初にみた冷蔵庫に決めてしまった。

見比べるも何も見たのはそれだけで、、、

2025年の元日は、長男一家とイオンで待ち合わせをしていた。

一緒に食事をすることになっていて、待ち合わせ時間は午前11時半だったが、早めにイオンに着いたので、売り場をぶらぶらして時間を潰し、時計を見たら午前11時10分になっていた。

「じゃあ、そろそろ待ち合わせた店に向かおう」と歩いていたら、ちょうど家電売り場があった。

「せっかくだからちょっと寄ってみよう」と夫が言うので、「ここで冷蔵庫を買うことはないだろうけれど、参考のために」くらいの気持ちで寄ってみたところ、なんと、ほぼ希望通りの冷蔵庫が売られていた。

しかも初売り価格で安い。限定二十台限り。

メーカーは第一候補だった日立で(夫が日立好きなため、うちの家電はほとんどが日立製)、500リットル以上の大きさも希望通り、しかも前の冷蔵庫も当然ながら日立だったため、形が同じで違和感なし。

そして、それより何より売られていた価格の安さに驚いた。

ちなみにイオンに行く前に、大型家電販売店の初売りのチラシを見ていたのだが、そちらは全然値段が高かった。

とはいえ同じ商品ではなくて、家電販売店は2024年製、イオンのものは2023年製なので安くしていたのだろう。

でも2023年製でも全然問題はない。

ただ見てから10分足らずのうちに、即決することはためらわれた。

「いいと思うけど、今は時間がないし、他も見たいから明日にしようよ」

そう夫に言っていたら、横にいたイオンの人が「こちらは限定二十台となっておりますので、明日はもう無いのではないかと思われます」とおっしゃる。

一応、11時過ぎ現在で二十台のうち何台が残っているのか調べてもらったら、調べてくれたイオンの人が「あと七台でございます」と教えてくれた。

「残り七台ですので、おそらく明日には無いかと、、、」

「買います」

夫と声を揃えて言ったのは、言うまでもない。

その時点で時計は11時25分を過ぎており、購入手続きのために、あと20分はかかると言うので、夫を残して私だけが待ち合わせ場所に向かった。

数分遅れで待ち合わせの店に着くと、ちょうど長男一家も到着したところだった。

「お父さんは?」と聞かれたので、「うん、冷蔵庫買ってる」と答えたら驚いていた。

驚くのも無理はない。

私だって驚いた。

大型家電って割と時間をかけて選ぶものかと思っていたら、大根を買うように簡単に買ってしまった。

と言うわけで、ついに新しい冷蔵庫が届いた。

前の冷蔵庫とドアの位置は変わっていないものの、全体的にスリムになって背が高くなった。

しかもシルバーの色合いが、まるで業務用のようでとってもCOOL(←すみません、勉強中の英語で出てきたので使ってみたかった)

ということで、今年最初に買ったものでした。

余談ですが、、、

古い冷蔵庫から食品を出す時、そして運び出されてトラックに乗せられる時、最近どうも歳のせいか、家電であってもさびしさや悲しさを感じる。

今までありがとう、ありがとうと心の中で声をかけながら古い冷蔵庫を見送った。

追記

購入した冷蔵庫が2023年製だと思っていたが、それは展示品で家に届いた冷蔵庫は2024年製だった。

イオン太っ腹です。


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あけましておめでとうございます

2025-01-04 21:01:49 | 日記

お正月も四日となり、今日はやっとのんびりしている。

暮れから昨日までは、なんだかんだと忙しかった。

料理を作ったり、帰ってきた長男一家や次女のおもてなしをしたり、懐かしい友人たちから届いた新年の挨拶のメールに返信したりと、忙しくも嬉しいお正月を過ごしていた。

でも一番嬉しかったのが、高校時代の友だちからもらった電話で、一年近く話していなかったので、気づいたらなんと二時間半もおしゃべりしてしまった。

この友だちとは興味のあることが似ているため、話していてとても楽しい。

前にこの友だちと話した時は、私の方から電話をかけた。

その時は、どうしようもない孤独感から「わかってくれる人と話したい」気持ちが募り、真っ先に思い浮かんだのが彼女だった。

都合の良い日にちを聞いて電話をかけて、いつものように共通の話題で盛り上がって、スッキリした気持ちになって電話を切った。

自分の抱えていたネガティブなことは、結局ほとんど話さずだったが、それでよかったと思う。

仲の良い友だちだからこそ、愚痴や不満話はせずに、なるべく楽しい話をしたい。

そうしようと決めたのは、若い頃に失敗した苦い思い出があるからで、昔、別の仲のよかった友だちに、会えば愚痴ばかり話していたことがあった。

その友だちも最初は「うんうん」と、親身になって話しを聞いてくれたが、そのうちふと嫌な顔をしていることに気がついた。

それを見た時に、自分はなんてことをしていたのかとすごく反省した。

友だちに甘えて、ゴミ箱にゴミを投げ入れるかのように愚痴ばかり言ってしまったことが恥ずかしくて、友だちに申し訳なくて、もう二度と言わないでおこうと決めたのが、今から四十年近く前のこと。

その後もその友だちは普通につきあってくれたが、私の方が良心の呵責に耐えられず、数年後に「あの時はごめんなさい」と謝ったことがあった。

「そんなこと忘れてた」と笑ってくれたのがとてもありがたくて、私の心の中にずっとあった重石が、やっと降りた瞬間だった。

あれは長い一生の中で、とてもよい勉強になった出来事だったと思う。(その友だちとは、今でも続いている、、)

悩んだ時や落ち込んだ時、友だちに話を聞いてもらいたいと思うのは自然なことで、聞いてもらっただけで気が楽になる。

でもできれば愚痴を聞いてもらうのは一回限りにして、最後は楽しい話をして終わりにしたい。

友だちをゴミ箱代わりにしてはいけないと、心から思った若き日の思い出。

というわけで、年の初めから友だちと長電話をしてしまったが、今回もお互いに興味がある共通の話題で盛り上がり「また電話で話そうね」と約束して電話を切った。

友だちは関東に住んでいるので、なかなか会えないのがさびしいが、唯一マニアックな話で盛り上がれる友人がいることは、とても幸せだと思う。

ところで心配なこともあり、メールをくれた同世代の人たちの中で、身体の具合が悪いという方がずいぶん多かった。

昨年のお正月では、そのようなことはなかったが、今年はとても多い。

なかにはigg4関連疾患と呼ばれる難病に罹ってしまった人もいて、心配している。

なんとか元気になって、みんなで生き残ろうと話しあった2025年の初春。

穏やかな年でありますように。

 


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みなさまに素晴らしい年が訪れますように

2024-12-31 14:58:43 | 日記

早いもので、あと一つ寝ると新しい年。

「来年の抱負は?」と夫に聞かれて、「新しいことを始めたい」と即答した。

新しくやろうと思っている事はもう決まっていて、年が明けてから始めようと思っている。

とはいえ、ほんのささやかなことなので宣言するほどのことではなかったが、今から楽しみで仕方がない。

楽しみと言えば、前にブログでも載せた英語学習が毎日もう楽しくて、楽しくて、、、暇を見つけては、一日に二〜三時間くらいやっている。

もっとやりたいと思っても、途中で集中力が切れて、ミスばかりするようになったらやめるが、英語学習にこんなに夢中になるとは、自分でも意外だった。

まだ初級レベルだが、やっていくうちに中学校で習った記憶がどんどん蘇ってくる。

そう言えばそうだったと思う部分がいっぱいで、まだこの辺りは大丈夫というレベルの為、わりとすらすら解けるのも楽しい。

でも、どうしても記憶が蘇ってこない部分もある。

例えば前置詞の使い分け。

atとinの使い分けがわからん、、、

きっと中学生の時もあやふやで、あやふやなまま還暦過ぎまで来てしまったのだろう(笑)

それから初めて見る単語もあった。

Awesome  ネットの英語学習サイトでは、「最高」とか「すごい」という意味で使われている。

同世代の夫に聞いたところ、夫も初めて知ったと言うので、私たちが中学生の時には習わなかったのだろう。

というわけで、最近かなり充実した日々を送っている。

これは数ヶ月前には考えられなかったことだが、やはり少しでも気になるものがあったなら、思い切ってチャレンジしてみるべきだと、今更ながらに思う。

これからも、そしてこの混沌とした時代であっても、自分なりのささやかな楽しみを見つけて、逞しく生きていきたいと思う。

今年もこうしておばちゃんの書いた文章を、読みに来て下さってありがとうございました。

Have an awesome year!

 

 


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