ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

孫と遊ぶ

2024-09-23 22:41:13 | 日記

約二ヶ月ぶりに息子一家が遊びに来て、庭でバーベキューをした。

一歳の孫と久しぶりに会うのを楽しみにしていた。

前は人見知りがひどくて、会うなり泣き出してしまったのに、今回は親の陰に隠れながらも照れたような笑顔を見せてくれた。

孫の写真はたくさん送られてきていたけど、実際に会うとずいぶん大きくなっていて、子どもの成長の速さに驚いてしまう。

とはいえバーベキューはまだ食べられないので、孫のごはんは、持参のおじやとスルメ。

食事はまだ柔らかく煮た薄味のものを与えていて、大人の食事とは分けているとお嫁さんが教えてくれた。

孫がおじやを食べ終わると、次はスルメ。

スルメは大人が食べている間に与えて、おとなしくしていてもらおうというお嫁さんの作戦のようだ。

前に来た時は切り干し大根を食べていたが、今回はスルメに変わっていたのは、スルメの方が長く保つからかな?

お嫁さんの工夫がうかがえる。

しかしスルメが長く保つとはいえ、じきに食べ終わった孫は、飽きたのかモゾモゾし始めた。

お嫁さんは孫の世話で、まだよく食べていない様子だったので、ここは婆やの出番とばかり孫と一緒に遊ぶことにした。

もうすぐ二歳になる孫は、好奇心いっぱいで見るものすべてに興味がある。

道端に咲く草や花を触っていたかと思ったら、歩いているアリをしゃがんでジーッと見ている。

一緒にしゃがんでアリさんを見ようと思ったら、今度は落ちている小石が気になるご様子。

こんな具合に興味の対象がくるくると変わっていく。

赤い木の実を採って、手でぐちゃぐちゃに潰したので、手を洗ってあげようと家に入ることにした。

さて手を洗ってから「お外に行こうか」と言うと、「うん」と言わない。

お嫁さんから「嫌な時は、絶対にうんと言わないんです」と聞いていたので家で遊びたいのかなと思い「お家で遊ぶ?」と聞くと、「うん」という返事。

孫がお気に入りの部屋が仏間で、「お家で遊ぼうね」と言うと、一目散に仏間へ駆けて行った。

仏壇のおりんを鳴らすのが好きなので、経机からおりんを下ろして遊ばせようと思ったら、おりんには目もくれずロウソクに手を伸ばした。

あっという間にロウソク立てが大きな音を立てて転がり落ちた。

急いで転がったロウソクを拾おうと思った途端、止める間もなく今度は香炉の中に手を入れていた。

仏壇の下はこぼれた灰で真っ白、、、

でも孫の素早い動きについて行くためには、灰を片付けている場合ではない。

再び手をきれいにしてから、やっとおりんで遊んでくれたが、それもすぐに別の興味の対象を見つけて走って行く。

仏壇の扉を開けたり閉めたりしてみたり、ピアノを鳴らしてみたり、あっちの部屋、こっちの部屋と走り回り、私も一緒に孫の側について走り回った。

実はこの後もバーベキューに戻ることなく二人で公園に行ったのだが、ここでも孫は走り回って、興味のあるものを触ったり見つめたりをして遊んでいた。

「忘れちゃったけど、自分の子どももこうだったかな?」と思いながら、孫の興味のあるものが面白くて一緒に見ていた。

あまりに帰ってくるのが遅いと心配して、長男が探しに来たほど孫とたくさん遊んだ。

とても疲れたけど、楽しかったなぁ。

近くにいて、いつも孫と遊べるお嫁さんのお母さんがうらやましい。

、、、と思ったら、お母さん「リハビリだと思って遊んでいる」とおっしゃっているとか。

お母さんはまだ50代だが、一歳児と遊ぶのはかなりの体力が必要と、今回初めて遊んで思った。

だって60代の私は、翌日死んでましたから。。。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい判断

2024-09-19 17:23:51 | 日記

ご主人のお通夜以来、一年近く会っていなかった知人から突然メールが来た。

メールのタイトルには「ワクチン接種されていますか」と書かれていた。

一体何かとメールを読むと、内容は昨年亡くなった知人のご主人のことから始まっていた。

知人とは、お通夜の席で少し話しをすることができたが、ご主人の死因は確か心筋梗塞だったと聞いている。

その時、知人は涙ながらに話してくれた。

もともと心臓に持病があって病院へ通っていたのだけれど、一ヶ月くらい前に検査の結果を聞きに病院へ行ったら、ずいぶん良くなっているから、次回からお薬を止めましょう(もしかすると変えましょうだったかも、、、記憶が曖昧)とお医者さまに言われたの。それで二人で喜んでいたのに、突然亡くなるなんて信じられない」

亡くなる直前までとても元気で、いつものように家族でご飯を食べ、おしゃべりをしていたが、その後、お風呂に入ってあっけなく亡くなったそうだ。

メールには、それについて書かれていた。

あんなに元気だったのになぜ突然死んでしまったのか、ずっと疑問でした。

そこで主人が亡くなったあと、コロナワクチンのことを調べ始めました。

調べれば調べるほど、もしかするととんでもないものをうってしまったのかもしれないと思いました

知人は、ご夫婦で三回接種したそうだ。

これについて副作用はあったのかなど、詳しい説明はされていなかったが、確信したように文章が綴られていた。

更にメールには、来月から始まる新しいお注射について書かれていた。

レプリコンに対する疑念が綴られ、問題を提起する動画や資料も添付されていた。

そしてメールの最後は「もしも接種しようと思っていらっしゃるなら、これらを読んで判断されても遅くはないと思います。夫のようにならないために、どうか正しい判断をされる事を望んでいます。皆さまのご健康を祈っています」と結ばれていた。

このメールは、私にだけではなくて交流のある方々に、同じ内容で送っているそうだ。

知人の行動力には、いつも感心する。

そしてワクチンのせいかどうかはまだわかっていないが、実際に身内を亡くした人の言葉はとても重い。

今、周囲では以前よりも気づいた人が増えているという感じがする。

そして何かの形で行動に移そうとする人が、増えているような気がする。

もうアレを止めることはできないだろうと思う。

でも止めることはできないが、自分の判断で、そして自分では判断できない人も、周囲の正しい判断で、うたないことを選ぶことができる。

多くの方が正しい判断をしますように、、、と願っている。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

答えを探すが、、、

2024-09-13 22:01:10 | 日記

知り合いが、大きな病気に罹ったという話は、昨年あたりからちらほらと耳に入ってきていたが、今年に入ってもそれは続いている。

特に多いのが間質性肺炎。

間質性肺炎は昨年知人が罹り、その方は現在も療養中だが、また他の知人が同じ病になった聞いた。

間質性肺炎という病気になると、息がしづらくなって日常生活で酸素ボンベが必要になるそうだ。

知人も酸素ボンベが手放せないが、それでも息切れで辛そうだ。

もう外出することもできず、家事は全てヘルパーさんにお願いしている。

話しをすると息が苦しいので、ほとんど会話もしない。

一日中、部屋で横になっている。

こうやって徐々に悪くなっていくのを待つだけなんて、あんまりでは無いかと思うのだが、今の医学では治療法は無いそうだ。

まだ60代。

やりたいこともあるだろうし、かわいい盛りの孫とも会っておしゃべりしたいだろう。

そして何より、これから自分がどうなって行くのかという不安でいっぱいになると思う。

でも彼女の本当の心の内はわからないが、意外と淡々と病気を受け止めているように見える。

知人は、ご主人を亡くしてから急に元気が無くなった。

仲の良いご夫婦だったから、本当にショックだったと思う。

ご主人が亡くなって何年か経ってからも、冗談っぽく「もういつ死んでもいいの」と言うことがあったが、それは本心なのかもしれないと感じていた。

今、知人の周りには手助けをしようとする人たちがたくさんいる。

でも一番大切なのは、自分が生きたいと思うかどうかなのではないかと思う。

ここまで書いてきて、私は、生きることを良しとし、死ぬことを悪と考えていることに気づいた。

もし自分が同じ立場であれば、もっと生きたいと思うに違いないから、知人にもそう思ってもらいたいと思うのだ。

でも淡々として、病を受け止めているかのように見える知人は、知人なりの考えに到達しているのかもしれない。

何が正解なのかわからなくなった。

一人一人で答えは違うのかもしれないし、そもそも正解なんてないのかもしれない。

文章を書きながら、あらためて自分の傲慢さに気づかされたような、そんな気がしている。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英語ができない

2024-09-09 11:41:43 | 日記

普段よく温泉のあるお風呂に行くのだけど、久しぶりに以前行ったことがあるお風呂に行ってきた。

ここは色々な種類のお風呂があって、岩盤浴もあるし、広い食事処や休憩所もあるしで本当に楽しい。

特に好きなのが岩盤浴で、いつも三種類の温度がある岩盤浴を渡り歩いている。

そして熱った身体を涼ませてくれるのが、室温14度のクールダウン室。

今回も「あち、あち」言いながらクールダウン室に行くと、中はいつもより人が多かった。

空いている椅子に座って周りを見回すと、なんと全員白人の外人さん。

どうやら二組の家族同士で来ているようで、みなさん背は高いし、男性は横幅もあるしで、かなりの圧迫感がある。(私も大きい方なので、人のことは言えないが)

空いていた椅子に座ったら、すぐ近くに座っていた大柄で金髪のマダムがにっこりと笑いかけてくれた。

私と同年代くらいだろうか。

スキンヘッドだけど優しそうなご主人と美しい娘さんとの旅行みたい。

私もにっこりと笑い返したのだが、そのあとが問題で金髪のマダムが、何度も視線を送ってくるのだ。

何か話しかけたそうな視線だとは思ったが、英語がわからない私としては、話しかけられたらマズイという気持ちがあって、絶対に視線は合わせないぞと、金髪マダムの視線を感じながら思っていた。

やっぱり英会話勉強しようかなぁ。こんな時、会話ができたらきっと楽しいだろうなぁ、、、とも思いつつ。

クールダウン室に居るのに、マダムの視線を感じながら話しかけられたらどうしようという冷や汗をかき、リラックスどころか固まった状態で椅子に座ること五分。

スキンヘッドの男性が「もう時間だ、出よう」(これくらいはわかった)と言い、全員が立ち上がってドアに向かって歩き出した時、金髪マダムが振り返ると、私に向かって笑顔で手を振ってくれた。

もちろん私も笑顔で手を振りかえした。

それにしても数年前にも何度か来ているお風呂だが、こんなに外国人が居るのは初めて。

この日は、金髪マダムのグループ以外にも何組かの外国人旅行者を見かけた。

少し前のブログに「札幌に来てどこを観光するのだろうか」と書いたが、まさかお風呂に来ていたとは驚きだった。

でもGood choiceよ〜

お風呂大好きなので心からそう思う。

ところでいよいよ来月から新しい液体を体内に注入する取り組みが始まるのだとか。

サウナ好きの長男が「今のうちに行っておかないと、来月からはもうサウナに行けなくなる」と言っていた。

たしかにそうかもしれないが、お風呂に行けなくなるのは悲し過ぎる。

高齢者のデイサービスを使っていたり、高齢者施設などにいらっしゃる方々は、もしかすると半強制的にうたれるのかもしれないが、一般の人では、どれくらいうつのかは未知数。

でもうったところでコロナに感染するのは変わりなく、それどころか罹りやすくなるかもしれないということが徐々に広まったせいで、打とうと思う人は意外と少ないかもしれない。

ちなみに周囲ではコロナはもう過去の話で、新しい液体についても誰も話題にしない。

これから公衆浴場に行けるかどうかは、外国人がお風呂から消えたかどうかが目安かもしれない。

外国人が消えたらマズイことになっているのかもしれない。

なーんて、こういう話を陰謀論と呼ぶのかしらね(笑)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

布団を新しくする

2024-09-04 15:22:47 | 日記

もうそろそろ布団を新しくしたいと思いながら、なかなか実行に移せていなかったのだが、今回義父母から受け継いだものを始め、ほとんどの布団を処分した。

実はあることを目撃したことで、一刻も早く処分しようという気持ちになった。

それは、次女の布団を天日干ししようと思って、布団の上に敷いたシーツと汗取り用マットを外した時のことだった。

布団の上に小さな虫の死骸がついているのを発見した。

これ一匹だけなら捕っておしまいだったのだが、なんと一匹だけでは済まず、布団の上にはまだ数匹の死骸と虫の卵らしきものまであった。

多分ダニ、、、(怖)

こんなにダニがいるのを見たのは初めてだった。

次女は職場近くにアパートを借りているので、うちへ帰ってきて布団に寝るのは一週間に一度程度。

とはいえよく刺されなかったものだと思うが、今まで布団綿の中に隠れていたのが、布団に重さがかからないので表面に出てきたのだろうか?

毎年夏には何度も天日に干しているし、ダニを取るべく布団用ヘッドを付けた掃除機で掃除もしているが、クリーニングに出さない限り、全てきれいにするのは無理なのだろう。

でもダニまみれの布団、家族が使っている他の布団も同じだろうと想像すると、一刻も早く取り替えたいと思った。

ということで、まず新しい布団をどのようなものにするか調べることにした。

ネットの検索に「防ダニ布団」と入れてみた。

おっ出てくる。

ついでに「腰痛防止」というワードも入れた方がいいかな。

すると出てくる、出てくる。ダニじゃないですよ(汗)

お値段は色々だが、敷布団一枚で8000円前後から20000円くらいの間を考えた。

環境には悪いが、数年の短い期間で取り替えていくことを考えると、高いものじゃなくてもいいかもしれないと思った。

布団の種類だが、防ダニ加工がされている布団から、中が綿ではなくてポリエチレンの網状で、シャワーで洗い流せるという布団まである。

あとは寝心地で、やはり実際に寝てみたい。

ということで、さっそく某有名布団店に行ってみたら、予想通りの高価格帯のお布団ばかりで、考えていた値段の布団は見当たらなかった。

そこで帰る途中にあったニトリに行ってみると、さすがお値段以上、防ダニ布団も洗える布団もあって、予算通りの商品が取り揃えられていた。

そこで目を引いたのが、点で支える耐圧分散敷布団という商品。

凹凸のある硬めのマットで、ウレタンフォームでできている。

実は同じような布団を旅行先の宿で使ったことがあって「これいいなぁ」と思ったことがあったので、さっそく寝てみたところ寝やすい。

防ダニ加工はされていないが、自分用に購入を決め、家族もこれがいいと言うので二枚買った。

更に防ダニ加工の敷布団も二枚買った。

購入以上の数の布団を処分したので、押入れがすっきりと片付いたのが良かった。

義母が生きていたら、きっと布団の処分を目をむいて反対しただろうと思う。

「スンマセン」と手を合わせ、新しくなった布団に寝て一週間が過ぎた。

感想は「やっぱり寝やすい」

これまで夜中に目が覚めることがよくあって、その後なかなか寝つけなかったのが、今は目が覚める回数も減って、目が覚めてもすぐに眠れるようになった。

ただ寝心地は、味の好みと一緒で人それぞれなので、できれば実際に寝てみるのが良いのだろうと思う。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米不足

2024-08-30 15:11:24 | 日記

新聞にこんな記事が載っていた。

札幌市内のお店でも米が品薄になっているという記事。

お米って、今こんなに買えないのかと驚いてしまった記事だった。

一部を抜粋します。

複数店舗をまわっても米が買えなかったという札幌市清田区の○○○さんは「コンビニのおにぎりやレトルト品を買おうと思う」と疲れた表情をみせた。

記事によると、市内の店舗では「一家族一袋限り」という断り書きが米売り場に貼られていたが、それでも店には、購入を求める客から次の入荷の問い合わせの電話が相次ぐという。

「うっそ〜っ」

記事を読んで思わず出てしまった。

だってつい10日くらい前にお米を買ったが、その時は棚に米が山積みになっていたのだから。もちろん断り書きもなかった。

これは別の街の話?いや同じ市内のはずだ。

その時は20キロ買おうかとも思ったけど、もうすぐ新米が出るからいいや、、と10キロにしたのだった。

記事を読んで、やっぱり20キロにしておけば良かったかなと少し思ったが、でもこのような不安感が、米の品薄にさらに拍車をかけているのだろう。

これから手に入らなくなるかもしれないと思うと、多くの人が買いだめに走る➡︎ますます品薄になるという悪循環か、、、

ところで明るいニュースも出ていた。

今年のお米の出来は平年並み以上になるそうだ。

みなさーん、美味しい新米がもうすぐ食べられますよ〜


ところで普段、お米を買う時にしか立ち寄らない米売り場に、果たして本当にお米が無いのだろうかと行ってみた。

するとありゃりゃ、本当に何もない!

空っぽになった棚の前でボー然と立ち尽くしていたら、ガラガラという台車の音が近づいて来た。

見ると、店員さんが台車にお米を山積みにして運んで来た。(まだあった、、、)

新聞記事に載っていた「コンビニおにぎりかレトルトを食べるしかない」と言っていた○○○さんに教えてあげたい。

店員さんに聞いたところによると、日にちは確定ではないが、9月7日くらいから新米が出るそうだ。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩、、、その2

2024-08-26 22:22:09 | 日記

昨日も散歩してきました。

行ったのは旭山記念公園。

市民は、この公園の記念を取って旭山公園という人が多いが、昼間は園内の自然の中に作った散策路を歩いたり、夜は夜景を見たりと人気のある公園。

また標高約138メートルの展望台からは、札幌の街が一望できることもあって海外からの観光客も多い。

昨日も周りから韓国語がたくさん聞こえてきて、韓国からの観光客が多く来ていた。

ところで次女の知り合いで、日本の企業で働く若い韓国人の女性から聞いた話だが、札幌は韓国人にとても人気があるのだとか。

でも札幌に住んでいると、札幌のどこがそんなに人気なのだろうと思う。

本州と違って古い歴史的価値がある建造物があるわけでもなく、たまに(滅多にないけど)案内することがあると、どこを見せようかと困ることが多い。

思いつくのは、この旭山記念公園とか、大倉山ジャンプ競技場とか、定山渓だろうか。

どれも自然の景観だけで勝負している感じだが、、、

ところが知り合いの韓国人女子によると、韓国では男性が好みの女性に対して、ここ一番の口説き文句というのが「一緒に札幌へ行きましょうか」なのだという。

これはどういうことかというと、札幌の冬は大雪が降るため飛行機が欠航になることが多い(と思っている)らしく、雪で帰れずずっと一緒に長くいられるからだとか。

たしかに冬の欠航率は高いかもしれないが、それが口説き文句になるとは奥が深い。。。

それはさておき、昨日は公園内を散策してきた。

ところが、あちこちにこんな看板があってちょっと緊張した。

やっぱりいるよね。だって熊さんの住んでいる場所に、お邪魔しているようなものなのだから。

逆に「人間出没注意」という熊さん向けの看板があった方が良いくらいかもしれない。

というわけで、昨日は熊さんに遠慮しながら散策路を歩いてきた。

自然が自然のままに残っている散策路の散歩は、植物の良い香りがして身体も健康になったような気がした。

歩くのは、身も心もすっきりして楽しい。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩

2024-08-21 12:53:12 | 日記

長女と恒例の街歩き散歩へ行ってきた。

何もせずにぶらぶら歩くのも良いのだけど、何か目的があった方がいいかなということで、また道立近代美術館へ行くことにした。

今にも雨が降り出しそうな天気だったが、天気予報では晴れるということだったので、傘は持たずに出てきた。

さて美術館では定期的に展示物の入れ替えがある。

今展示されているのは、「国宝鳥獣戯画 京都高山寺展」でなんと北海道初公開。

そしてもう一つは、「浮世絵のヒロインたち展」で、今の期間は浮世絵師の歌川国芳の代表作「江戸名所百人美女」の浮世絵百枚、すべてが展示されている。

美術館に入ると、ちょうど浮世絵展でボランティアのガイドさんによる説明があるとの放送が流れた。

せっかくだからガイドさんの説明を聞きながら鑑賞したいと思い、浮世絵展から見学することにした。

これが大正解で、ガイドさんの説明を聞かなければ、さらっと流し見して終わったかもしれない浮世絵の世界が、とても面白くて興味深いものになった。

まず浮世絵の左右の上のどちらかに、小さなコマ絵と言われるものが描かれているのだが、東京をよく知らない私でも聞いたことがある江戸時代(東京)の地名の絵がそれぞれに描かれている。

これは、この浮世絵に描かれた美女が、その場所で描かれたことを表しているそうだ。

「これが神田川です。今とはずいぶん違いますね」とコマ絵を説明するガイドさんに、見学者たちから「ほぉ〜違うね」という声が上がる。

私は実際に神田川を見たことはないが、自然豊かな場所に流れる神田川の絵を見て、皆さんと一緒に「ほぉ」とうなづいてきた。

とても現代の東京だとは思えないほど、江戸時代の風景は、自然豊かなどこかの田舎の景色を思わせる。

江戸時代の人に、今の東京を見せたら、どれほど驚くだろう、、、

コマ絵を観るだけでも東京に詳しい人ならきっとおもしろいだろうなと思うが、詳しくない私でも十分おもしろかった。

そして主役である江戸時代の美女たちについても、いくつかの絵を解説して頂いたが、こちらもとても面白かった。

例えば江戸時代の庶民は、一生のうちに着物を三着しか作れなかったそうだ。

普段着も含めての三着なので、現代のミニマリストも負けるかもしれない。

しかも、その三着は新品ではなくて、古着屋から買っていたのだという。

「この女性は新しい着物を作ろうと思っている絵です。きっと身分の高い家の娘なのでしょう」と説明してくれた浮世絵は、越後屋呉服店(今の三越百貨店)で、着物の反物を品定めしている美女の姿が描かれていた。

さて浮世絵展を堪能した後は、いよいよ北海道初公開の「国宝鳥獣戯画 京都高山寺展」を観に行った。

ところが入った途端、すごい数の人に圧倒されてしまった。

鳥獣戯画を観るために長い列が続いていて、一応並んでみたものの、ほとんど進まない。

鳥獣戯画は観たいが、長女もいるし、私もずっと進まない列に並んでいられない(意外とせっかちなので)

先に空いている他の展示物を観て周り、最後に他人の頭越しから鳥獣戯画を観て帰ってきた。

でも最初に観た浮世絵展がとても良く、というかガイドさんの説明が本当に良かったのでもう十二分に満足だった。

ボランティアのガイドさんは七十代くらいの女性の方だったが、何を見ることなく流れるように浮世絵の説明をしてくださる。

とても聴きやすくて面白くて、これだけの量の説明をすべて暗記しているということは、どれほど努力したのかと思う。

またガイドさんの説明を聴きに行ってみたい。

さて帰ろうかと時計を見たら、美術館に入ってから二時間も経っていて驚いた。

外に出ると、雨は降っていなかったようで、長女が楽しみにしているランチを食べにまたぶらぶら歩き。

今回は長女の要望でオムライスを食べてきた。

ボリュームがあって、最後は食べ切ることに努力が必要だったが、卵がトロトロのオムライスは美味しかった。

というわけで、以上は長女と行く散歩だが、普段はいつも一人で散歩している。

最近では秋の気配を感じるようになって、トンボも見かける。

の写真は、散歩途中で見つけた栗とどんぐりの木。

今年は豊作になるのかな?

この辺りでよく見るエゾリスや鹿、それから見かけはしないが、きっといるヒグマが、どうか飢えませんようにと願う。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子の後ろ姿

2024-08-14 16:23:37 | 日記

次女が初めての海外出張から帰ってきた。

家へ帰ってくるたびに「きつい、もう仕事を辞める」と言い、新たな仕事を探していた次女が、今も辞めずに公務員を続けている。

前に次女から聞いた時には「もう辞めなさい」と言ってしまったほどの仕事の忙しさで、次女曰く「過労死寸前の時間外労働」だったらしいが、最近なぜか「辞める」という言葉を聞かなくなった。

仕事に慣れてきたせいもあるのかもしれないが、次女を見ていると、楽しそうにも見える。

相変わらず時間外労働は多そうだけど、次女から仕事に対する不満や愚痴が聞かれなくなった。

今回は他国を訪問する、とある地位のある人物について行き、向こうで交流のお膳立てをする仕事だったらしい。

とても気を使う大変な仕事で、自分なら無理だわと思うのだが、次女は苦にならないようだ。

「時間があったら、少し観光とかできないの?」と聞いたら、「できるわけないでしょ。税金で出張しているんだから遊んでたらダメでしょ。お土産を買う時間が少し取れるくらいで、あとは全部仕事」

つくづく次女は公務員という職種が好きなんだなぁと思う。

次女は、学生時代からずっと公務員希望だった。

周りから「民間会社の方が待遇が良いのに」と言われても、公務員志望を変えなかった。

「国のために働きたいから公務員になる」と次女の口から聞いた時には、感心するよりも「若いのになんという時代錯誤なことをいう娘だろう」と思ったものだった。

公務員になることが、国を守ることになるのかどうかは置いておいても、そう思う若い人は、案外この国には多いのかもしれない。

そうであってほしいという私の希望的観測かもしれないが。

でも、もしもまた次女が辞めたいと思う時が来たとしたら、やはり引き止めることはしない。次女の人生なのだから、好きなように生きていけば良いと思う。

出張から帰ってきた日の夜、休日もまったく休んでいないのに、翌日から仕事に行くという次女が、すきま時間に買ったお土産を小袋に分けていた。職場の方々に渡すのだとか。

鼻歌交じりに楽しそうにお土産を分けている次女のうしろ姿を見たら、なんだか嬉しくなった。

どんな仕事でも嬉しそうに働きに行く子どもの姿を見ることが、こんなにも嬉しいことだったとは知らなかったなぁ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

針のない時計

2024-08-09 14:27:01 | 日記

朝方に夢を見た。

どこかの室内らしき場所に大勢の人がいた。

どちらかというと若い人より高齢者のほうが多く、不思議と子どもの姿はなかったが、男女とも幅広い年代で、みんなぼーっとした顔で座っていた。

最初は、私もその中で一緒に座っていたのだけど、ふと我に帰り「そうだ、こんなことしていられない。早く帰らないと、、」と思い、近くに座っていた若い男性に「今、何時ですか?」と声をかけてみた。

すると、その男性はどこから取り出したのか、手に大きな時計を持って見せてくれた。

まるで壁から外してきたのかと思うような大きな時計で、文字盤を見ると、なんとも不思議な文字盤だった。

まず時計の針がない。それから数字がたくさん書いてある。

普通は1から順番に12まで書いてあるが、数字と数字の間には、さらに数字がびっしりと書かれていて、一見すると文字盤のすべてに数字が書かれているような時計を見ながら、どうやって読むのだろうと考えたが、さっぱりわからない。

とにかく急がないといけないことだけは確かで、急いでその場から出て歩き始めた。

気がつけば、周囲には多くの人が同じ方向に向かって歩いていた。

すると、前を歩いていた白髪の髪が薄くなった高齢の男性が、歩きながら大きな声で泣き始めた。

「妻がいない。寂しい」

もしかすると、この方の奥さんは亡くなったのだろうか?

お気の毒にと思いながら進んでいくと、今度は道の両側の至る所で、お葬式をやっていた。

そこで行われているというより、お葬式をしている場面が、あちこちに見えてくるという方が正しいかもしれない。

幾つものお葬式の場面を見ながら、さらに歩いていくと、ずっと前方に背が高くてひときわ大きな男性を見つけた。

見覚えのある後ろ姿で、それは亡き父に間違いなかった。

急いでそばまで行って声をかけると、振り向いた父の顔が、あまりに若いことに驚いてしまった。

「お父さん、ずいぶん若返ったね。○○(長男の名前)とあんまり変わらないんじゃない?三十代に見える」と言ったら、父は照れくさそうに笑った。

、、、ここで目覚めた。

目覚めてからも最後に見た若くなった父の笑顔がしばらく頭から離れず、久しぶりに見た変な夢を反芻していた。

もしかすると、あれは死者の世界なのだろうか。

みんなぼーっとしていたのは、もしかして亡くなったばかりだから?

妻がいなくて寂しいと泣いていた男性は、奥さんが亡くなったのではなくて、その男性本人が亡くなっていた?

単なる夢であったが、しばし自分なりの考察をしてから、着替えて台所へ行くと、すでに夫がいた。

今見たばかりの夢の話をすると、「そうだ。今日、墓参りに行って来ないか?お盆に入ると渋滞するから」というではないか。

そうだった。もうすぐお盆だった。

一週間くらい前は覚えていたが、ここ数日忙しくてすっかり忘れていた。

明日土曜日になると、お墓周辺は渋滞で大変になる。だから行くなら今日しかない。

というわけで、ちょっと早いがお墓参りに行ってきた。

霊園周辺は、すでに混み始めていたが、まだ渋滞まではいかず大丈夫だった。

昔はお盆と言っても何も思わなかったが、今はご先祖や縁ある方々をお迎えして、久しぶりのこの世で、くつろいで行ってもらいたいと思うようになった。

ご飯を食べる時も「みなさまもどうぞご一緒に」と心の中で声をかける。

すると大勢の方が、笑顔になって一緒に食べているように思われる。

今回忘れていたが(汗)、年々お盆が楽しみになってきたのは、果たして良いことなのかどうなのかと、ちょっと複雑な気持ちにもなるのだけど。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も明日も、、、

2024-08-05 22:02:56 | 日記

土日ともなると、あちらこちらで地域のお祭りが開催されている。

うちの町内でも恒例のお祭りがあって行ってきた。

町内のお祭りは、すべてその年の町内会役員さんらによって運営されている。

町内会の役員になると、いろいろな仕事がまわってくるのだが、その中で最も大きな仕事が町内会のお祭りになる。

月に一度の町内会の会議では、準備のために何ヶ月も前から何度も話し合いがされる。

そして当日は、各自が役割分担された仕事をする。

私は過去にジュースの販売や車の誘導係をやったが、思った以上に忙しくて(ジュースが飛ぶように売れる、、、)もらっていたジュースや焼き鳥の引換券を使う暇もなく、気がつけばすべて売り切って、自分の分が無くなっていたという思い出がある。

でも終わってみれば、ジュースや焼き鳥がもらえなくても、みなさんに楽しんでもらえてよかったという気持ちになる。

これは多分、他の役員になった方々も同じだろうと思う。

今年は役員ではないので、家族と飲み物や食べ物を買ってゆっくりしたが、今年の役員さんたちが、一生懸命に盛り上げてくれようと頑張っているのがよくわかった。

そして、会場に集まる町内の方々の楽しそうなこと。

同じ町内でも、普段は顔を合わせることがなく、初めて見る方ばかりだが、子どもたちが楽しそうにはしゃぎ回り、大人たちも笑顔で飲んだり食べたりする姿に、なんと平和で良い時代かと思った。

世の中は今、いろいろとネガティブなことが起こっているが、少なくとも町内の小さなお祭りの会場の中は、笑い声や歌声に包まれて幸せな時間が流れていた。

世の中のネガティブな出来事を見たくないと言って、目を逸らしていることは、家族や自分の身を守る為にも良くないが、自分の心の中をネガティブで不安な気持ちにするくらいなら、少し情報から離れてみるのも手なのかもしれない。

なーんて偉そうなことを書いたが、これは自分自身にいつも言い聞かせている。

北海道開拓時代、寒さやひもじさに耐え、過酷な労働に明け暮れた先人たちの苦労を思えば、今の暮らしはまるで天国のようだし、御家のために自分の意思に関係なく、あちこちに嫁がされたり、売られたりした江戸時代の女性たちを思えば、自由でこんなによい時代に生まれてくることができたことに感謝したくなる。

夫の言葉を借りれば、今日も美味しくご飯が食べられた。幸せだなぁかな?

明日もきっといい日だー!

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せだなぁ

2024-07-24 16:12:08 | 日記

夫がよく口にする言葉がある。

それは「幸せだなぁ〜」

昔「幸せだなぁ〜僕は君といる時が一番幸せなんだ」という言葉が入った歌が流行ったが、夫の場合は「幸せだなぁ」というだけで、そのあとの「僕は君と、、」という続きは無い。

今そんな事を言われたら、頭は大丈夫かと心配になるので、逆に無かったことにホッとしているが、それにしても以前は、そんな言葉は言ったことがなかったのに、どうしたのだろうと思う。

例えばどんな時に「幸せだなぁ」と言うのかというと、食事をしている時に「毎日ごはんが食べられて幸せだなぁ」と言い、窓からきれいな夕陽を見た時に「きれいな景色が見られて幸せだなぁ」と言う。

歯科検診に行って「きれいな歯です」と褒めたれた時に「歯が丈夫で幸せだなぁ」と言い、朝起きてきて「よく眠れた、幸せだなぁ」と言う。

更にトイレから出てきて「今日も気持ち良くうんちが出て幸せだなぁ」などと言う。

このように夫は、日々のささやかな出来事に幸せを感じているようだ。

毎日忙しく働いている時は、そのようなことを言うのは聞いたことがなかった。

どちらかと言うと何か考え込んでいて、声をかけにくい事がよくあったが、定年退職して三年が過ぎ、その様なことは無くなった。

毎日のんびりと暮らすうちに、何か心に変化があったのだろうか。

それにしても日常の細やかなことに幸せを感じることができて、それを口にできるなんて、ずいぶん変わったと思う。

ところで夫の友人たちはまだ働いている人が多く、忙しく飛びまわっていると聞いた。

すでに企業のトップの方の地位についている友人たちから、セレブ?な話を聞いても、夫はにこにこと笑っている。

友人たちが、どれほど苦労したのかわかっているから、友人の経済的な成功を喜んでも羨むことはない。

これは、私もよくわかる。

幸せとは何だろうと、10年以上前になるが、よく考えていたことがある。

実は十数年も前にブログを始めたのも、それが知りたかったということがあった。(ブログ記事を書くことは、自分の内面を探ることができると思う)

今はもうそのブログは消してしまったが、当時のブログタイトルには「幸せ」という言葉を入れた。

若い頃は裕福な暮らしをしているとか、子どもの出来がいいとか、そんなことが幸せの基準のように思っていたが、それらは全部、自分以外のことばかりだと気づいたのは、いつの頃だっただろう。

幸せとは自分の中にあること、自分がそれに気づくこと。

他人と同じように成る必要はなく、幸せは他人と比べることでもない。

自分が幸せだと想れば、それが幸せなのだ、と今は思う。

ところで夫からピアノを弾きたい、教えてほしいと頼まれた。

夫はまったくのピアノ初心者で、最初は片手で弾くのもたどたどしかったが、今は両手を使って、まだたどたどしくはあるものの、短い曲を弾けるようになった。

毎日、暇を見つけては、ピアノの練習をしていることに感心する。

「ピアノが弾けて幸せだなぁ」

いつか夫の口から、その言葉を聞くことができるかな?

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エアコン初稼働

2024-07-18 18:06:45 | 日記

今年の春、我が家でもやっとエアコンをつけた。

これでいつ暑くなっても大丈夫。

もう昨年の夏のような暑さが来ても怖くはない。

ところが、、、暑くなるのを今か今かと待っていたが、一向に暑くならない。

いや、暑くはなっている。

七月になって30度を越えた日が、三日くらいあったと思う。

ところが昨年のような暑さではない。

窓を開ければ涼しい風が入ってくるので、それほど暑さを感じない。

ところで昨年から今年にかけて、エアコンの売れ行きが異例とも言えるくらい多かったらしい。

昨年の夏は、大型家電店に行くと、エアコン売り場が一目でわかるほど、人だかりができていた。それは秋になっても続いていた。

「今、注文されても来年の夏に間に合うかどうか」なんて脅す店員さんもいて、一刻も早く注文しなければと焦る気持ちになったが、蓋を開けてみれば、今年春の注文で、四月にはエアコンがついた。

実はエアコンの台数は十分足りていたが、取り付けてくれる業者さんの数が足りなかったらしい。

しかし、それも本州から応援が来てくれたので、それほど待たずにつけることができたとか。

というわけで、今年エアコンを初めて稼働させるのを楽しみにしていたが、(暑い地域の方には申し訳ないが)エアコンをつけたいと思うほどの暑さが感じられなかった。

ところが、今日はいつもより暑く感じた。

室内の温度計を見ると29.6°となっている。

エアコンは、室温が30°以上になったらつけようと思っていたが、早く使ってみたくてうずうずしていたので早速つけてみた。

とりあえず26°に温度を設定して、説明書を読みながらスイッチオン。

涼しい風が出てきて汗が引いていく。

ところが、しばらくは涼しくてよかったのだが、だんだん寒くなってきて、温度を1°ずつ上げて行った。

しかし29°にしてもまだ寒く、ドアを開けて他の部屋にも冷風を送るようにしてみたが、じっとしているともう寒くて仕方がない。

エアコンをつける前の室温より高い30°に設定するのは、ちょっと違うような気がして、29°で我慢していたのだけど、あまりに寒くてエアコンが効いていない部屋に避難すると、もわっと暖かくてホッとした。

しばらくそこで温まってから、またエアコンがかかっている部屋に戻り、寒くなったら、また暖かい部屋に行って暖をとるということをやっていたが、「もしかして間違っていることをしているのではないだろうか」ということに気づいた。

寒ければエアコンを切ればいいだけと気がつき、エアコンを切って室温が上がってきたところで、窓を全部開け放った。

外から暖かい風が入ってきて気持ちがいい。

それほどの冷え性というわけではないが、今回はエアコンの風に当たると軽く頭痛がした。

昨年のようにもっと気温が上がると、より効力を発揮してくれるだろうと思うが、まだエアコンをつけるのは早かったようだ。

ちなみに家族は、扇風機もエアコンのない部屋で、外からの風だけで過ごしていた。

我慢できないほどの暑さになるまで、しばらくは自然からのクーラーでいいのかもしれない。

森林が近いので、より涼しいかも、、、

ちなみに今日の道内は気温が高く、熱中症になった方もいたようなので、これから気をつけて夏を過ごしたいと思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆる〜く生きて

2024-07-09 21:21:59 | 日記

6月に漬けた梅干しの様子を久しぶりにみたら、なんと白カビが点々と出ていた。

塩分14%にしたのに、なぜカビが出たのだろう?

シソを入れるまでは大丈夫だったから、シソを入れた時にしっかり梅酢に漬け込まなかったのが原因かな、、、とりあえずカビが広がらないうちになんとかしなければと焦る。

取れるカビは全部スプーンで取り除き、梅とシソを全部出して焼酎で消毒し、梅酢の方は鍋に入れて煮立たせた。

そして終了したのが、写真左側の瓶に入った梅干し。

もしもまたカビが出たらすぐに対応できるように、いつでも目に入る場所に置いた。

そして右の瓶は、砂糖と塩と酢に漬け込んだ「さしす梅」、こちらは梅が程よくシワシワになり順調にできているようすで一安心。

これでも十分に食べられそうなのだけど、毎年外に梅を干しているので、今年も良い天気が続く日に干そうと思う。もうひと頑張りだな〜

さて今日は、この梅干しのカビ取り作業のほかに庭の手入れもした。

咲き終わった花殻を摘んだり、混み合ってきた枝を切ったりと、庭仕事は、やり始めると次々とやることを思い出すのでキリがなく、やり過ぎて腰が痛くなることもある。

でもこちらも好きな仕事。終わったあとは、気分爽快になれる。

というわけで、今日も平和な一日を送ることができたことに感謝したい。

最近は、歳のせいか?こうした当たり前の日を送れることに、感謝したくなることが多い。

いつもと同じような番組がテレビから流れているのを観て、今日も平和でよかった、ありがたいと思うし、スーパーでたくさんの食材が並んでいるのを見て嬉しいと思う。

そして、それらを買うことができて、ガスや水道が使えて調理ができて、今日も美味しいご飯を食べられることに、感謝の気持ちが湧いてくる。

どんなに辛いことがあっても、心配事があっても、そればかりに囚われているのはもったいないと思う。

人生は思っているよりずっと短く、せっかく命を頂いたのだから、楽しまないともったいない。

そして楽しむというのは、別に仲の良い人たちとワイワイ騒ぐことではなくて、一人でもできることなのだと、この歳になってやっとわかった。

好きな本を読んだり、散歩をしたり、もちろん好きな仕事に打ち込むことでもいいし、楽しいと感じるならお金をたくさん稼ぐことでもいい。

考え方ひとつで見える景色が変わる。

時には心配事や体の不調に心乱されたとしても、そんなみっともない自分がいることも受け入れて、ひとつのことに執着せず、ゆる〜く生きていきたいと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲゲゲの鬼太郎

2024-06-28 17:43:36 | 日記

映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」を観た。

子どもの頃は、テレビの前でゲゲゲの鬼太郎が始まるのを、楽しみに待っていたものだったが、あれから五十年以上が経ち、再び新しい鬼太郎を観ることができるとは嬉しいことだ。

映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」は、鬼太郎がメインではなく、主に鬼太郎の父がストーリーの中心になっている。

鬼太郎の父と言えば「目玉おやじ」

その目玉おやじが、まだ目玉じゃなかった頃の話だが、この映画はとても考えさせられる内容だった。

子どもの頃は、人間に対して悪事を働く妖怪がただ怖くて、妖怪を退治する鬼太郎や仲間の妖怪たちをかっこいいと思って観ていたが、ではなぜ妖怪は人間に悪事を働くのか、人間の側にも問題があったのではないかという事は考えたこともなかった。

でも今回は、それをとても考えさせられた。

映画の舞台は昭和31年。

日本が敗戦から高度成長期へと変貌を遂げた時代だが、南方の戦場からやっと帰ってきたもう一人の主人公の水木が、鬼太郎の父と出会って変わっていく姿が興味深かった。

出世してお金持ちになりたい、人生で大切なものは地位や名誉、そしてお金。

最初は水木もそうだったが、鬼太郎の父と行動するうちに変わっていく。

金品や地位をチラつかせて命乞いをする金持ちに「くだらない」と吐き捨てるように言う水木。

作者の水木しげるさんの言いたかったことが、よく表れている部分だと思った。

人間の欲望は果てしなく、自然を始めとして大切なものを、どんどん破壊していった。

その自然の中にいたのが妖怪で、もっと可愛らしい言葉を使えば、妖精ともいうが、そうした妖精たちも自然破壊とともに数を減らしていったのではないかと思う。

そして今、妖怪や妖精、動植物だけではなく、自らも数を減らすために地球環境を破壊している。

つくづく愚かで非道だと思う。

ところで妖怪や妖精は、実際にいると思いますか?

すでにいると言う前提で、この記事を書いてしまっているので、今更言うこともないですが、私は間違いなくいると思っている。

もう何年前のことだが、自宅のお風呂に浸かっている時に、浴槽の角に20センチくらいのキツネを見たことがあった。

和服で袴をはき、上半身には武士が着けるようなカミシモを着ていた。

かしこまった姿で正座をして、ちょこんと座っているキツネに、驚いたと言うより興味があって、マジマジと見てしまった。

見ているうちに、それはすぐに消えてしまったが、今思えばあれは妖怪、、いや妖精と言われるものだったのではないだろうか。

太古の頃は、こうした妖精もよく現れていたのかもしれない。

その頃のようにもう一度、美しい地球に戻すことはできるだろうか。

それはきっと個人でも、力が無くてもできる。

一人一人が意識を変えること、本当に大切なものを、思い出すことなのではないか、、などと鬼太郎の映画を見ながら考えていた。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする