ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

そうだ!京都へ行こう

2024-12-07 15:02:44 | 旅行

京都へ行ってきた。

航空会社のマイルが貯まっていたので、それを使ってどこかへ行こうということになり、家族で相談した結果「そうだ!京都へ行こう」となった。

京都といえば外国からの観光客が多すぎてオーバーツーリズムと聞いていたので迷ったが、紅葉も見頃を過ぎて、観光客も少し落ち着いたのではないだろうかという希望的観測で行くことにした。

混んでいそうな嵐山や清水寺、東福寺などの観光スポットは避けたものの、やはりそれなりに京都は混んでいた。

特にバス。

長蛇の列ができているバス停もあって、特に人気の観光スポットが途中にある便は、行きも帰りもだいたいが満員御礼だった。

乗っているのは、自分も含めて(外国人の)観光客が多く、バスを使う地元の方は、さぞ不便だろうと気の毒に思った。

その一方で札幌市内を走るバスも、これくらいとは言わないまでも、この半分くらいの人が乗ってくれたら、バス料金の値上げも減便もしなくて済むのにねと家族と話していた。

観光客がほとんど乗ることがない札幌市内を走るバスは、だんだん不便になっているように思うが、何か良い知恵は無いものだろうか、、、なんてことをバス会社の関係者では無いけれど、京都の満員バスに乗りながら考えていた。

ところで京都は、紅葉の時期は終わりかけていたものの、まだまだ美しい紅葉を見ることができた。

禅林寺の紅葉は本当に美しかった!ただし人気のスポットのため混雑はしていました、、、

あまり混んでいなくてゆっくりとできたのが、こちらの青蓮院(しょうれんいん)。

実は今回の旅で一番行きたかったのが、ここ青蓮院でキーヤンこと木村英輝さんの描かれた襖絵を見ることができる。

絵手ぬぐいが好きで、ネットでたまに絵手ぬぐいを見ているが、ある日、青い蓮の描かれた木村英輝さんの絵手ぬぐいを見つけた時には、もう一目で気に入ってしまった。

すぐに買おうと思ったのだけど、なんとか思いとどまったのは、実際に京都へ行って青蓮院で襖絵を見て、木村さんのお店(キーヤンスタジオ)へ行って買いたいと思ったからで、それまでの楽しみにしようと思っていた。

そしてついにその日がきたーー!

青蓮院は、もともと皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶が門主を務めてきた寺院だそうだが、襖絵だけではなくお庭も素晴らしかった。

何より混雑していないのが良い。

今回はゆっくりお座敷に座って、お庭を堪能することができた。

そして買ってきた絵手ぬぐいをさっそく飾りました。

他にも買ったのだけど、これが一番欲しかった絵手ぬぐい。

青い蓮はとても珍しくて、実際に見たことはないが、前回行った高野山で青い蓮のことを知って益々好きになった。

青い蓮とは、仏教では仏の半眼を指していて、海のように深くものごとを見る目のことであり、慈悲の心を形容する言葉として仏教界では青い蓮が使われるそうだ。

この絵手ぬぐいを見るたびに、それを思い出したいものだと思う。


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高野山と大阪のおばちゃん

2024-11-19 15:25:07 | 旅行

お祭りのようなユニバーサルスタジオを楽しんだ翌日は、高野山へ行って来た。

高野山はもちろん初めてで、テレビで観た高野山は、凛とした静寂さが漂っていて、決してお祭り気分で行ってはいけない場所に思っていた。

当日の朝ホテルを早く出て、なんば駅から電車に乗ったのだが、高野山へ向かう電車はすでに混んでいた。

途中で降りて人が少なくなることはなく、混み合ったまま極楽橋駅に着き、電車を降りると一斉にケーブルカー乗り場へ向かった。

人波に流されるように止まっていたケーブルカーに乗り込んだら、四人掛けの席のうち二席が空いていたので、先に座っていた二人の女性に「ここ、いいですか?」と聞いて座らせてもらった。

「今日は混んどるね」

「せやね、紅葉やからとちゃう?」

先に座っていた女性二人が、そんな会話をし始めたので、「高野山は紅葉の時期なんですか?」と、つい口を挟んで質問してしまった。

そこから話が弾んだ。

「どこから?」と聞かれたので「札幌です」と答えると、二人とも大げさに驚いてくれて「札幌は雪が降ってるやろ?」と言われた。

札幌を発つ日は、まだ道路に雪が残っていたと言うと、またまた大げさに驚いてくれたので、大阪の暖かさには「夏?」と思ったくらい驚いたと話した。

お天気の話から始まって、ユニバーサルスタジオの話から住んでいる場所の話まで、ケーブルカーに乗っていた短い時間に、せっかくの外の景色も見ずに、三人で楽しくおしゃべりした。

私よりも少し年上の二人のおばちゃん達は、堺市に住んでいて、新緑の時期と紅葉の時期に、毎年高野山へ来るそうだ。

ところで「さかい」と聞いて、すぐに思い浮かんだのは引越しのサカイ。

あそこの引越し屋さんは、二度ほど頼んだことがあるけど、丁寧な仕事で良かったわ、、などと考えているうちに、ケーブルカーは高野山駅に着いた。

大阪のおばちゃんたちともここでお別れ。

ケーブルカーを降りて、また人の波に押されるように歩いていると、先に行ったおばちゃんの一人が、波をかき分けるようにして戻って来てくれた。

そして「まだあんまり知られてないけど、あそこにエレベーターがあるねん。乗ったら便利やで」というと、また人の波をかき分けるようにして友だちのところへ戻って行かれた。

わざわざ戻って来てくれたご親切に感激して、教えてもらったエレベーターに乗ろうと思ったが、意思に反して人波に押されて階段へ向かってしまった。おばちゃんに申し訳ない、、、

さて高野山。

やはり人が多くて、とにかく外国人ばかりで、ユニバーサルスタジオとはまた違った賑やかさだった。

上の写真は、人がいない奇跡的な瞬間。

賑やか過ぎてイメージとは少し違ったが、一度は行ってみたいと思っていた高野山にお詣りができてよかったと思う。

そして親切な大阪のおばちゃんたちと、楽しくおしゃべりができてよかった。大阪が好きになった。。。

なんばの商店街を歩いていたら、とても珍しい光景を見つけた。

外の道に並んだ洗濯機!まさかのコインランドリー!

外に洗濯機を置くのは、北海道では考えられない(冬は水道管が凍結する)のでちょっと驚いた。

なんばも人が多くて、そのほとんどが外国人で、こちらもまるでお祭りのようだった。

「堺は日本人の方が多いわ」と、おばちゃんが教えてくれたのを思い出して、堺に行ってみようかと思ったが、時間がなくて行くことができなかった。残念、次に取っておこう。

そうそう、帰ってから引越しのサカイを調べたら、やっぱり本社が堺市となっていた。

それが何か?という話だが、引越しのサカイが堺市だったことが、個人的になんだかとても嬉しかった。

 


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ユニバーサルスタジオの続き

2024-11-17 14:46:07 | 旅行

ユニバーサルスタジオでとても感心したことがある。

それはクルーと呼ばれる従業員さんが、皆さん笑顔で挨拶をしてくれること。

そして時には、笑顔で話しかけてくれる。

「何かお困りのことございませんか?」と声をかけてくれた時、ちょうどトイレを探していた時だったのですごく助かった。(なぜトイレを探していることが分かったのかしらん?)

会社の方針として、お客様には笑顔で挨拶をする決まりになっているのだと思うが、時には挨拶をしても無視して目の前を通り過ぎるお客もいる。

ちょうど私の前を歩いていた人がそうだった。

「かわいそうに、、会釈くらいしてあげればいいのに」と思ったが、若い女性のクルーは無視されても笑顔を崩さず、次に通った私たちに何事もなかった様に手を振って挨拶をしてくれた。

だからユニバーサルスタジオにいる間は、移動中もけっこう忙しかった。

挨拶をしてくれたクルーには、こちらも笑顔で手を振るか会釈をするか、時には上のような質問に答えなければいけなかったから、、

でも挨拶をされると、たとえそれが仕事だと分かっていても嫌な気持ちにはならない。

ユニバーサルスタジオの外でも、このようにみんなが笑顔で挨拶する世界だったら、戦争や些細な争いごとも起こらないだろうに、、、

ユニバーサルスタジオだけではなくディズニーランドもそうだが、それが夢の国と言われる所以なのかもしれない。

日が暮れて帰るために駅へ行くと、頭にユニバーサルスタジオで買った帽子やヘアバンドを付けた若い人がたくさんいた。

園内では色鮮やかに見えたグッズが、一歩外へ出たらとてもくすんでいるように見えた。

夢の世界から現実の世界へ戻って来たと思った瞬間だった。

 

 


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ユニバーサルスタジオへ行ってきました

2024-11-16 14:45:18 | 旅行

一週間ぶりに散歩に行って来た。

歩数を稼ぐために、いつもは車で行くスーパーまで歩くことにした。

普段の日なら道ですれ違う人は五人以下だが、今日はなんと二十人近くの人とすれ違った。

もうこれだけで、今日はどこかで催しでも開かれているのだろうかと思う。

そして、つい数日前にいた大阪と和歌山の高野山を思い出してしまった。

どちらも人がものすごく多くて、まるでお祭りのようだった。

大阪に行った主な目的はユニバーサルスタジオ。

長女が行きたがっているから仕方なく、、というのは口実で、実は私も行きたかった。

「ユニバーサル〜」とウキウキの長女と私を横目に、夫が「60過ぎたじいさんは絶対にいないな、、」と言いながら渋々着いて来た。

行ってみたら本当に若い人ばかりで、夫が言う通りじいさんも居なければばあさんだっていなかった。

話題のニンテンドーワールドにも行って来た。

乗りたかったハリポッターや鬼滅の刃のアトラクションも乗った。

どれも80分くらい待って一瞬で終わってしまったけど、これ以上乗っていたらひどい乗り物酔いになっていた(最後は吐きそうだった)ので、これくらいの短さでよかったと思う。

ユニバーサルスタジオにいた時間のほとんどは列に並んでいたが、夜までねばって、乗りたかったアトラクションはすべて制覇した。

さすがに年齢的にも体力的にも、これが最後のユニバーサルスタジオだろうと思って来たので、後悔のないように昼食も食べずに遊んだが、意外と足が痛くなることもなく、疲れ果てて動けなくなることもなくて、絶叫系アトラクションを楽しんできた。

これも日々行っているスワイショウと真向法、かかと落としの賜物だろうか、、、なんて思ったが、帰って来たらどっと疲れが〜〜

今日の散歩だけでヘトヘトのため、続きは次回にします。

 


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函館トラピスチヌ修道院

2024-10-01 16:36:13 | 旅行

函館の旅の続きです。

函館の街を歩いていておもしろいなと思うのが住宅の形で、和洋折衷になった住宅を見かけることがある。

こちらの建物も和風建築の一部が洋館になっている。

函館は横浜、長崎と同じ時期に開港したことで、外国の文化が入ったのだが、他都市のように外国人遺留地がかたまっておらず、市中に混在したため、至る所でこうした住宅が見られるようだ。

でもこれが函館らしい風景なのかもしれない。

というわけで函館では主に神社仏閣巡りや街歩き少々をしたが、最後に修道院に行ってきた。

女性の修道院で聖トラピスチヌ修道院。

修道院の門をくぐると、大天使聖ミカエル像が迎えてくれる。

ドラゴンに向けて槍を振り下ろそうとする大天使ミカエル像。とても強そうですね。

 

さらに進むと両手を広げた慈しみの聖母マリア像が迎えてくださる。

マリアさまを見るとき、いつも遠い昔のことを思い出す。

 

そして聖テレジア像。

テレジアは実在した修道女で24歳という短い生涯を閉じるまで、神を信じて祈りの生活をされたそうだ。1925年に聖人として認定されている。

 

 

ところでほとんどの人は、これまで幾つもの人生を生きてきている。

それらのことを前世と呼ぶのだが、前世のことはほとんどは忘れて生まれてくるらしい。

たしかに新しい人生を始めるにあたって、過去の人生の思い出は邪魔になる。

でも私は、なぜか二つの前世を憶えている。

そのうちの一つが、修道院で生活していた人生で、これは物心ついた子どもの頃には今よりもずっと多く、しばしば思い出していた。

修道院の孤児院にいた頃のわたし、修道女となったわたし。

断片的ではあるが、脳内に鮮やかにその時の映像が浮かぶことがあり、現実でも偶然マリアさまの像を見かけると、いつまでも見入ってしまう。

マリアさまを見る時の感情は、なかなか言葉では言い表せないものがあり、懐かしさとか、悲しみとか、訳のわからない感情で胸がいっぱいになる。

今回もマリアさまの前に行ったら、そのような感情が湧き上がるのかもしれない思ったが、不思議と平常心だった。

前世のことが、今やっと自分の中から浄化されたなと思った。

それが嬉しかった。

でももう一度修道女として生活してみなさいと言われたら、今でも喜んでやれるだろうと思う。

祈りと労働と読書の日々。

トラピスチヌ修道院のホームページには「神を探し求める生活」と書かれている。

これは今の人生でも同じようなことをやっていると思う。

でも当時と決定的に違うのは、今は市井の中で自由に暮らしていることで、自由というと何かポジティブに思うが、規律のある中で決められたことを規則正しく行うよりも、自由に暮らす方が私にとっては難しい。

(自分にとって)難しいことにチャレンジしている今の人生は、レベルが一段階上がってるのかも?

実は、この記事を書くのは二回目で、一回目は前世のことをもっと詳しく書いていたのだが、ちょっと目を離した隙に全部消えてしまっていた。

変な操作もしていないのに、そしてせっかく苦労して書いたのになぜ消える?と残念に思ったが、もしかすると書いてはいけないことを書いたのかもしれない。

というわけで、投稿ボタンを押すまで記事が消えないことを祈つつ終わりにしたいと思います。

 

 


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函館の神社仏閣巡り

2024-09-28 14:33:17 | 旅行

一泊で函館へ行って来た。

函館はもう数えきれないほど行き、観光スポットと言われている所もほとんど行ったが、実はまだ行ったことがない場所があった。

それは神社仏閣。

これまで函館といえば五稜郭公園や函館山からの夜景、そして歴史のある洋建築といった場所ばかりを観てきたが、神社やお寺は一度も行ったことがなかった。

調べてみると、函館にも行ってみたい神社やお寺が多く、これまで気づかなかったが、特に神社の数は、札幌とは比べ物にならないくらい多いように思う。

まず訪れたのがこちら。1963年に建てられた函館で最も古い高龍寺。

山門をはじめとして、繊細な彫刻が見事だった。

さらに高龍寺には「傷心惨目の碑」と呼ばれる石碑が建てられている。

箱館戦争の時、旧幕府軍の野戦病院が高龍寺に設けられていたが、高龍寺に新政府軍が乱入し、傷病兵らを惨殺し寺に放火するという事件が起きた。

この時、多くの会津遊撃隊の者が犠牲になったそうだ。

寺の敷地内の石碑、これは旧会津藩士の有志が鎮魂のために建てたそうで、石碑に書かれた「傷心惨目」とは、中国の文人李華による言葉で古戦場を弔うという文からとったものだそうだ。

また石碑横にある写真の高松凌雲氏は医師であり、旧幕府軍に参加して渡道し、箱館戦争が始まると箱館病院の頭取となって、敵味方区別することなく負傷兵の治療に力を尽くした方だそうだ。

強い意志の中にも優しさが感じられるお顔をされていらっしゃる。

現代でもたまにこのようなお顔の方をネットでも見かけるが、きっと強い意志と優しさを持って、信じた自分の道を進んでいらっしゃるのだろう。

そしてもう一つ、行ってみたかったのが北海道最古の神社、船魂神社で、ここには義経伝説が残っている。

1190年、義経一行が津軽海峡を渡る時、遭難して船が沈没しかけた際、船魂明神のご守護によって無事に蝦夷地に着くことができたそうだ。

また一行が飲み水を探していたところ、童子が現れて、湧水のある場所を指差して教えてくれたということで、童子の現れた岩が「童子岩」として祀られている。

立待岬から津軽半島が見えた。

また青森へ行きたいな。

続く


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富良野

2024-07-14 15:33:24 | 旅行

日帰りで富良野へ行ってきた。

そろそろラベンダーも終盤だが、とてもきれいだった。

写真の場所は、ラベンダー畑で有名な「ファーム富田

平日にも関わらず、多くの人で賑わっていたが、今はそのほとんどが海外からの観光客。

多くはアジア系の方だが、日本人より外国人の方が多いほどで、あちこちから韓国語や中国語が聞こえてきて、園内のお土産店も飲食店も混んでいるし、ラベンダー色のアイスクリームを販売している店の前にも長い行列ができていた。

行列に並んで買ったアイスクリームを食べながら、ツレと話をした。

「ほとんどが外国人だね」

「そうだなぁ、でも外国から観光客が来ないと、こういう観光施設はやっていけないんじゃないか?」とツレが言った。

たしかに、ここから外国人観光客がいなくなった事を想像してみたら、園内は、がらがらに空いているだろうと思う。

見学する側からすれば、その方が良いのだけど、お店のことを考えると、それでは経営が成り立たなくなるのかもしれない。

それにしても円安だからなのか、久しぶりに行った富良野は、これまでにないくらい外国からの観光客が多かった。

この後、富良野のとある町でお昼ご飯を食べようと、小さな食堂に入ったのだけど、いきなり英語で話しかけられて驚いた。

話しかけてきたのは、日本人の店員さん。

返す言葉に詰まっていたら「あ、日本人のお客さんね」と言われて、日本語での応対をしてもらったのだが、席についてから英語で話しかけられた意味がわかった。

そこは、とにかく外国人観光客が多い店だった。(もしかすると、海外のガイドブックに紹介されているのかも?)

入ってくるお客さんの半数以上が外国人観光客で、日本人の店員さんは皆カタコトの英語で接客していた。

こんな小さな町の小さな食堂でも、外国人観光客がいることにちょっとびっくりだったが、やはり外国人観光客が来てくれることで、ずいぶん助かっているのかもしれない。

「外国から観光に来てくれるのは、ありがたいことだね」と話していたが、良いことばかりではないらしい。

オーバーツーリズム(観光公害)と言うそうで、京都でも問題になっていたが、函館では観光客が多すぎて、市民の足である市電が大混雑しているのだとか。

外国人の団体客が市電になだれ込み、身動きができないほど混雑して、後方に押し込められた人が、降りられない事態になったこともあるそうだ。

「降りまーす、通してくださーい」と声を張りあげても、周囲に日本語が通じず、運転士さんが気づいて後方の扉を開けてくれたため、やっと降りることができたとか。

また立ち入り禁止の場所に入るというマナー違反も問題になっているそうだ。

外国からたくさん観光に来て欲しいけど、来過ぎるのもまた問題というので、なかなか難しい問題だと思う。

とはいえ北海道を観光するなら、個人的には今が一番よい季節ではないかと思う。

富良野では、ラベンダー以外にも美しい景色をみてきました。

まるで黄色の絨毯のような菜の花畑。

 

新富良野プリンスホテルのニングルテラス。


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オベリベリ(帯広)

2024-07-04 15:41:07 | 旅行

用事があって一泊二日で帯広へ行って来た。

十勝地方は毎年一度は行くので、十勝の中心都市である帯広も毎年のように訪れている。

食料自給率1200%以上という日本最大の食料基地 十勝地方は、広大な大地に豊かな大地の恵みが感じられる土地で、札幌で森林そばに住んでいると言うのに、帯広の方が自然を身近に感じられるのは何故なのだろうと思う。

さて朝に家を出て、帯広に着いたのがお昼を過ぎだったため、有名なインディアンカレーで遅い昼食を摂り、次にどこへ行こうかと連れと相談した。

用事があるのは夕方で、時間はたっぷりあると言うので、帯広市内の銭湯へ行くことにした。

オベリベリ温泉 水光園。

源泉掛け流しの茶褐色のモール温泉で、驚いたことに洗い場のシャワーや蛇口から出てくるのも茶褐色の温泉水。

お湯から上がった後は、お肌がツルツルになり、これで入浴料が480円とは、帯広の人がうらやましい。

ちなみにオベリベリとは「おびひろ」の意味で、元々はアイヌ語の「オペレペレケプ」がなまって「オベリベリ」になり、最終的に帯広となったのだそうだ。

そして翌日。朝食はホテルで摂らず、車でパン屋さん「麦音」へ行った。

こちらはすべて十勝産小麦粉を使ったパンで、他の食材も十勝でとれた食材を使っている。

有名なのか外国人の方もいらしていて、皆さん外で朝ごはんを食べていた。

私も小麦畑を眺めながら、美味しいパンを頂いて来ました。

さて帯広最後は、行きたかった六花亭の施設で「六花の森」

六花亭が好きで、どこへ行っても六花亭があると、必ず入るほどの六花亭ファン。

ちょっとした贈り物は六花亭でお菓子を買うし、自宅でたまに食べるおやつも六花亭。お茶を飲みに行くのも六花亭のカフェが多い。

このように六花亭はほとんど行ったが、唯一行ったことがなかったのが「六花の森」だった。

100,000平方メートルの広大な土地に、六花亭の包装紙に描かれている山野草が植えられていて、坂本直行さんの絵が飾られたギャラリーが点在している。

坂本直行さんといえば坂本龍馬の子孫であるが、それよりも画家というイメージの方が強い。

北大農学部を卒業後、一旦は就職したものの開拓農民となって十勝の原野に入った。

その後三十年あまりの開拓者としての生活は、想像を絶する厳しさで離農。晩年は画業に専念したそうだ。

坂本直行さんの絵は、山野草と日高山脈が多い。

「自然というものは 人間を簡単に殺しもするし 生かすこともある。また暖かく抱いてもくれるし 冷酷極まる圧力で迫ってくるが 要はそれを受けとめる 人間の考え方次第である」

野原に咲く草花と山。

どちらもちょっこうさんが愛したものだったことが、絵からもその言葉からも伝わってくる。

ちょっこうさんの絵を鑑賞しながら六花の森を歩き、どうしてこんなに六花亭が好きなのか、わかった様な気がした。

お菓子の包装紙から、六花亭の各店舗の庭から、自然が感じられるからだった。

妖精が居そうな六花の森でした。

 


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仙台、山形

2024-06-08 16:42:34 | 旅行

今週は旅行に行っていた。

行った先は仙台と山形。

山形は初めてで、宮城県は今回で三回目だが、仙台に行くのは初めてだった。

久しぶりの東北旅行だが、距離的に近いからなのか、言葉に共通点があるからなのか、なぜか東北はとても落ち着く。

まずは朝市へ行った。

市場好きなので、ここでは目の色が変わった(らしい)

観光客が多いので、高めの価格設定なのかと思ったら、そんなことはなくてむしろ安いくらい。

最近、価格が高騰していた野菜類がお買い得だし、いちごも安くて美味しそうだし、三陸産の塩蔵わかめもお買い得価格で美味しそうだった。

「これ持ち歩きで何日くらい大丈夫でしょう?」

わかめが欲しくて店員さんに聞いたら「この気温なら三日くらいですね」とのことだった。

あぁ仙台市内観光が最終日だったら、全部背負って帰ったのに、、、

後ろ髪をひかれながら、仙台を観光した翌日は山形へ向かった。

本当は出羽三山へ行く予定だったが、急遽予定を変更して熊野大社へ行った。

あらゆる命を生み出し育む「むすひ」の神様がいらっしゃる熊野大社。

1200年以上もの歴史があり、東北の伊勢とも言われているそうだ。

参拝者が奉納した風鈴が涼やかな音をかなで、とても気持ちの良い神社だった。

気持ちが良いと言えば、こちらも、、、蔵王温泉の大露天風呂。

硫黄の香り漂う長い階段を降って行くと、自然の中に大露天風呂がある。

掛け湯だけで洗い場はないが、強酸性の硫黄泉が皮脂も洗い流してくれるそうだ。

頭に手ぬぐいをのせてお湯に浸かっていたら、旅の疲れも吹き飛ぶようだった。

まだまだ良かった場所はたくさんあるのだけど、長くなるのでこの辺にして、、、

ところで最終日、飛行機の時間には少し間があったので、空港近くの名取市へ行って来た。

名取市は、東日本大震災の時の津波で、大きな被害を受けた町。住民の一割が、犠牲になられたという。

メモリアル公園にある慰霊碑に刻まれたお名前を一つ一つ見ていたら、どんなに怖かったことだろうと思う。

今一度、あらためて防災を考えなければいけないのかもしれない。

 

 


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宮崎と鹿児島へ(続き)

2024-04-15 21:50:11 | 旅行

レンタカーで次に向かったのは鹿児島県指宿市。

ところで「指宿」という名前、何と読むかわかりますか?

「ゆびやど?」「ゆびしゅく?」などと思っていたら、正解は「いぶすき」と読むそうだ。

それは絶対に読めないわと思ったら、やっぱり正しく読める人は半数もいないと地元ガイドさんが仰っていた。

指宿の名前の由来だが、第三十八代の天智天皇が行幸の折「今夜の宿はあの湯煙の立つ場所にしよう」と指をさしたのが由来になったとか。

「本当かどうかはわかりませんけど」と、由来を教えてくれたガイドさん。

それにしても古い歴史がある町なのだなぁと思う。

和人が住み始めてからの歴史が新しい北海道から行くと、日本各地の古い歴史に驚かされる。歴史で習った人名や地名がたくさん出てきて興味深い。

それはさておき指宿に行ったのは目的があった。

それは砂風呂に入ることで、砂風呂にはデトックス効果があるそうで、ぜひ一度体験してみたいと思っていた。

その前に少し時間があったので、夫が途中で調べて見つけた「鹿屋航空基地資料館」へ行ってみることにした。

こちらは海上自衛隊の航空基地にある海軍航空の歴史資料館で、「自衛隊の飛行機が見られるようだ」と夫が言った。

夫の言う通り資料館の前には、たくさんの古い飛行機が並んでいた。

さっそく資料館の中へ入ると、係の方がまず最初にビデオを観るように案内してくれる。

しかしビデオを見始めて思った。「まずい場所へ来てしまった、、、」と。

てっきり海上自衛隊の紹介がメインの資料館だとばかり思っていたら、特攻隊の話が始まってしまった。

実はここ指宿は、海軍の特攻隊が飛び立つ場所であったと、ビデオを観て初めてわかった。

若い人たちが片道だけの燃料を積んで、次々に飛び立ってゆく映像に涙が溢れそうになる。

泣いてはいけないと涙を必死にこらえてビデオをやっと観終わると、次は資料を見学。

資料館は一階と二階になっているのだが、一階は航空機についての資料などが展示されている。

ところが二階へ上がった途端に空気がガラッと変わった。

室温が一階より1〜2度下がったような冷んやりとした部屋の中に、かすかにユリの花の香りが漂ってくる。

たくさんの千羽鶴が飾られ、特攻隊で飛び立って行った若者たちの遺書が展示されていた。

どの手紙も達筆ばかり。このような美しい文字を書く優秀な若い人たちが、むざむざと命を落としたのかと思うと、とても悲しくて悔しい。

本当はじっくりと遺書を読んだ方が良かったのかもしれないが、感情が乱れて、また彼らに同調するのが怖くてできなかった。

さらに奥に進むと、ここから飛び立っていった若者たちの遺影がずらりと並んでいた。

とても近くへ行って観ることができず、離れた所から見ることしかできなかった。

鹿児島で有名な特攻隊の資料館は、知覧特攻平和会館だが、知覧は陸軍の特攻隊で、指宿は海軍の特攻隊だそうだ。

戦時中、女学生など多くの人に見送られて飛び立って行った知覧の特攻隊比べて、指宿は滑走路が海沿いに造られたため、見送りは僅か数名の関係者だけだったそうだ。

単純に見送りの数が多い方が良いかと言われると違うのかもしれないが、それでも命をかけて国を守ろうとした若者たちの最期にしては、寂しいものだったのではないかと思う。

ところで指宿に薩摩富士と呼ばれる開聞岳という美しい山がある。

指宿の基地から飛んだ特攻隊の飛行機は、必ず開聞岳の上を飛んだそうで、ここが祖国で最後に見る山だったそうだ。

開聞岳の標高は924メートル。

若者たちは、924に語呂合わせをして「国よ(924)さらば」と言って飛んで行ったという。

こうして書いているだけで胸が痛く、鼻の奥がつーんとなる。

戦争は絶対にだめだ。もう二度としてはいけない。

「繰り返しません、過ちは」というスローガンがあったが、今の時代すっかり聞くことは無くなった。

この国が同じ過ちを二度とおかすことがないように、私たちはしっかり目を見開いていなければいけないと思う。

というわけで話は戻るが、砂風呂について。

砂風呂はとても良かった。

温かい砂に埋もれているとじわじわと汗をかく。

15分ほど入ってから出たら汗の匂いが違っていて、初めて嗅ぐような酸っぱい?臭いがした。これはデトックスしたかも〜

鹿児島では桜島や霧島神宮など他にも良い所を見てきたのだけど、長くなるのでこの辺で終わります。

宮崎と鹿児島、とても良い所でした。。。

 


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宮崎と鹿児島へ

2024-04-13 22:07:25 | 旅行

月曜日から九州へ行っていた。

今回行ったのは宮崎県と鹿児島県。どちらも初めての土地なのでとても楽しみにしていた。

飛行機は福岡空港で宮崎行きに乗り継ぐことになったのだが、福岡に飛行機が到着してスマホの電源を入れたら、宮崎県日南市で地震というニュースが飛び込んできた。

日南市は翌日行く予定だったので心配だったが、さらに心配なことが起きてしまった。

当時の九州のお天気は風をともなう雨。

天候が悪いため、乗り継いだ飛行機が宮崎空港に降りられない可能性があり、出発はするが福岡へ引き返すかもしれないとのアナウンスがあった。

すでに宮崎ではホテルやレンタカーを予約していたので、どうしても行きたい、、、飛行機がだめなら新幹線。そう思うと気が重かった。

飛行機の中で祈るような気持ちでいたが、なんとか宮崎に着陸することができた。

到着後は雨の中、靴もびしょびしょになって宮崎市内を観光したが、ブーゲンビリアの花やヤシの木が、気分を一気に明るくさせてくれた。

翌日は雨が上がり、予定していた青島神社と鵜戸神社の参拝に行った。

どちらの神社でも参拝をすると、嬉しさが湧き上がってくる。

また九州に来ることができたことが嬉しいのか、飛行機が無事着いて嬉しいのか、はたまた参拝できたことが嬉しいのか、何が嬉しくてこんな気持ちになるのか自分でもよくわからないのだけど、嬉しさでいっぱいになりながら参拝をした。

上の写真の鵜戸神社は、洞窟の中に御本殿がある珍しい神社だった。

ところで宮崎はフルーツが豊富というイメージがあって、フルーツを食べることも楽しみだった。

特に皮ごと食べられる金柑というものを食べてみたいと思っていた。

ところが、どこのお店をのぞいてもない、、、

諦めかけた時に通りがかったお土産さんで偶然見つけることできたのだけど、なんと最後の一袋だった。

実は金柑の旬はもう終わりだそうで、食べることができるギリギリだったとお店のお姉さんが教えてくれた。

お姉さんがとても嬉しそうに金柑の美味しさや果物のことを教えてくれるので、最後の一袋を握りしめながら私も嬉しくなってしまった。

ホテルに戻って食べた金柑は、食べたことがないくらい甘くて美味しかった。

お店のお姉さんはもちろん、工事現場で交通整理をしていたおじさんも親切丁寧に観光案内をして下さって、宮崎は嬉しさいっぱいの旅になった。

というわけで、次は鹿児島へ向かいました。

 


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九州の旅

2023-12-10 14:41:02 | 旅行

旅行の続きです。

熊本の次に行ったのは長崎で、長崎はオランダや中国の文化が混ざり合う異国情緒ある街と知っていたので、一度は行ってみたいと思っていたが、一方で行きたくない、見たくないと思う気持ちがずっとあった。

これは長崎だけではなく広島も同じで、昨年広島の尾道には行ったが、原爆の落とされた広島市には行きたくなかった。

理由は多くの方が亡くなったから。

それを言えば、広島や長崎以上に多くの方が亡くなった東京大空襲の東京や民間人を巻き込んだ沖縄も同じなのだけど、東京に行く時は、華やかな大都会に心が躍り大空襲があったことを忘れている(申し訳ないです、、)

また沖縄については、行くたびにここで多くの方が亡くなったことを思い出すが、あまりに深く悲しい心を持つのはよくないことだと、美しい海を見て切り替えることができる。

でもテレビなどで何度も見た原爆を落とされた長崎と広島だけは、悲惨な映像を何度も見てきたせいか行きたいという気持ちになれなかった。

今回、長崎に行くに当たって原爆資料館は行くのはやめようと思ったが、長崎に着いたら気持ちが変わり行くことにした。

資料館も平和祈念公園も、平日にも関わらず多くの方が訪れていて、今もたくさんのお花が手向けられていた。

歩いてみて驚いたのは、どこも明るいことだった。

それは悲惨な資料が展示されている原爆資料館の中も同じで、亡くなった方はみなさん成仏されたのだなと思った。

次に向かったのは、やはりあまり行きたくなかった(ごめんなさい)大浦天主堂。

長崎から始まったキリシタン弾圧もまた気持ちが暗くなるもので、その当時の弾圧しなければいけない事情はあったにしろ、10代前半の子どもまで処刑されたことは、とても悲しい出来事だったと思う。

島原の乱が起こった島原で玄関先にしめ縄を飾っているお宅があった。

地元の方にお話を聞くと「うちはキリシタンではないですよ」という意味で、昔から一年中しめ縄を玄関に飾る習慣があったそうだ。

人が人の命を奪うことは、もう二度としてはいけないのだと強く思った。

ところで長崎はまだ暖かくて花が咲いていた。雪の降る札幌から行くとまるで時間が逆もどりしたようで、何だか得した気分で嬉しくなる。

ちゃんぽんに皿うどんもカステラもしっかり食べて、地元の方々ともおしゃべりして大満足の旅になった。

歳をとって良かったことは、知らない人とでも喋れることで、これはおばちゃんの特権かもしれない。

そして旅行最後の夜は、どうしても行きたかったお店に行ってきた。

前に福岡に来た時に初めて入ったお店で、そこの料理がとても美味しくて、必ずまた来ようと思っていた。

どれを食べてもみんな美味しいのだけど、やはりモツ煮が一番のおすすめで、残った汁にご飯とチーズを入れたリゾットの様な雑炊が最高に美味しい。

「前に来て美味しかったから是非もう一度来たかった」とお店の方に話したら、とても喜びながらも驚いた表情で「間に合って良かったです」と仰った。

間に合ってとはどういう意味かと思ったら、なんと今月いっぱいで閉店するそうだ。

閉店前に来ることができて嬉しい一方で、もう福岡に来てもお店が無いんだという残念な気持ちもする。

ただもしかしたら店主は変わっても別の人が続けてくれるかもしれないそうで、そうなったらまた来ようと思う。

というわけで、盛り沢山で楽しかった九州の旅でした。

 


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くまモンが可愛かった熊本

2023-12-08 14:15:34 | 旅行

九州へ行って来た。熊本と長崎、そして福岡。

熊本と長崎は初めて行く土地で、テレビや本などで知っていたことを実際に観ることができてよかった。

実際に観るのと、テレビや本を通して観るのとでは、また違った印象があったりする。

とても良い印象に変わったのが「くまモン」で、くまモンは熊本に入るとどこに行ってもいるのだが、これまでは失礼ながら、それほど可愛いとは思っていなかった。

むしろ黒目が小さくて怖いとさえ思っていたのに、本場で見るくまモンがとても可愛くて、思わず孫にくまモンの靴下を買ってしまったほど。

何なら自分用にも欲しいと思ったが、さすがに六十代には無理があるだろうと買うのをやめた。

くまモンの幼児体型が可愛い。。

くまモンはさておき、熊本では熊本城や阿蘇山の雄大な山並みと迫力ある噴火口を見たりしたのだけど、行く前には知らなかった神社を途中で見つけてたので寄ってみた。

 

上色見熊野座(かみしきみくまのざ)神社

多分車がないと行けない神社ではないかと思うが、外国人をはじめ若い人が多く来られていて、後で映画のロケ地だったことを知った。

さっそく参拝をさせて頂こうと両脇を高い木々に囲まれた参道に入ると、突然空気が変わったように感じる。

ひんやりして澄んだ空気の中、長くて急な階段をひたすら上っていくと、御神殿には伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が御神祭として祀られている。

九州にまた来ることができたこと、熊本に来ることができたことを感謝して手を合わせてきた。

というわけで、まだ長崎や福岡のことも書きたいのだけど、今回はこれまで以上に疲れが取れないため、今日はここまでにします。

 


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長野旅行

2023-10-20 16:47:07 | 旅行

長野へ行って来た。

直行便で信州まつもと空港まで一時間半のフライト。

さらに松本空港から高速バスに乗って三十分ほどで松本市内に着く。車で八時間かけて行く道東よりずっと早い。

これなら何度でも行きたい、、なんて思うほど、今回の旅は(も)よかった。

今回の旅の目的は「山」で、日本アルプスの美しい景色を見ることが最大の目的だった。

と言っても登山は無理なので、普通に観光として散策して来たのだけど、想像していた以上に素晴らしい景色だった。

まず最初に訪れたのが上高地。

レンタカーで沢渡駐車場まで行ってから、シャトルバスで上高地へ向かった。

途中の大正池でバスを下車し、そこから歩くこと三時間あまり、約10キロと少しを歩いて上高地の景色を堪能して来た。

切り立った山々、川辺の白い石と澄んだきれいな水、そして青い空のすべてが本当に美しい。

北海道でも、高い山脈と川は数多く見ることができるが、このような景色は見たことがない。

北海道の自然はもっと荒々しい感じがするが、ここは完璧に美しく整っているように見えて、ただただ感嘆するばかり、、、

山道を歩いていたら、目の前を一頭の大きなお猿が通過して行った。

お猿さんなんて動物園でしか見たことないが(ニホンザルの北限は下北半島)、こんな間近で野生のお猿を見られるなんてすごい。

もっとよく見たいと近づいたら、後ろの女性が「襲ってくるから近づかないで!」と教えてくれた。

そう言えば、お猿に襲われたというニュースを聞いたことがある。

女性は、そんな場面にあったことがあるのかもしれない。

後ろからやって来る人たちにも「近づかないで」と声がけをされていたが、当のお猿さんは、人間のことなど気にもかけず、実に堂々とした姿で消えて行った。

さて上高地は本当に素晴らしい場所だったが、次に行った白馬村の岩岳も負けず劣らず美しい景色だった。

岩岳では、ただ座って景色を見ていただけだが、気がつけば二時間も経っていて驚いた。

時間を忘れるほどの美しい自然。魅せられてしまった。

他にも松本市内観光を楽しんだり、諏訪神社の参拝をしたが、実は日本アルプスの美しい景色の印象があまりにも強過ぎて、思い出すのはこの大自然の風景ばかり。

帰りの飛行機では、窓から景色を見て、旅行に行って初めて帰るのが寂しいという気持ちになったのが、我ながら意外だった。

そんなわけで、旅から帰ったばかりだが、またいつか行こうと思っている。

 


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旅の続き

2023-07-05 16:41:54 | 旅行

前に書いた道東へ行った記事の続き。

中標津町の温泉宿に泊まったあと、知床まで足を延ばすことにして、途中で野付(のつけ)半島に寄り道した。

野付半島は、江戸時代まで国後島や千島列島へ渡る中継地点として栄え、ニシン漁場としても栄えた所だそうだ。

もちろん現在でも漁業は盛んで、有名なのは北海しまえび。

茹でた北海しまえびは、ほんのり塩味で身がぷりぷりしてとても美味しい。

まさに今が旬かもしれない。

知床峠から正面に見えるのが羅臼岳。

そして視線を右に移すと根室海峡があって、さらに国後島が遠くにうっすらと島影で見える。

国後島は、わずか16キロしか離れていないが、今はロシア。近くて遠い国だ。

 

さて知床では、知床五湖のうち知床一湖まで行って来た。

一湖までは、高架木道を歩いて往復1.6キロの距離で、景色を見ながら小一時間ほどで往復できる。

ところが、この日は日本で一番暑かった地点と報道されたくらいの暑さで、暑さにまだ慣れていなかったせいか、けっこうキツかった、、、

ところで知床はヒグマの生息地なので、高架木道の両側には電気柵が張り巡らせてある。

今はヒグマの活動期ということで、木道からもヒグマを見ることがあるそうだ。

着きました。知床五湖のうちの一湖です。

そして、この先、二湖からは、ヒグマ対策ができるガイドさんと一緒じゃないと行けないことになっている。

ヒグマに会った時に危険ということで、二湖へ行く道の扉には鍵がかかって開かないようになっている。

ガイドさんと一緒の時は、ガイドさんが鍵を開けてくれる。

最近は、すっかりヒグマは凶暴で恐ろしいイメージになってしまったけど、本来ヒグマは穏やかな動物なのだとか。

それなのに不幸な事故が多いのは、人間側にも何か問題があるのだろう。

ヒグマの家でもある生息地。よそ者の人間は、ヒグマを刺激しないように静かに見せていただきました。

 


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