ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

もったいない、もったいない

2019-02-27 17:21:25 | 日記
娘の引っ越しの荷物が届き、片付けに忙しくしていた。

段ボール箱が18個と布団袋が2つ。

それ以外にテレビやプリンターなどの家電とベッド、テーブルなどなど。
あれやこれやで自宅の八畳間がいっぱいになった。

電子レンジと冷蔵庫、それからプラスチックのタンスなどは向こうで中古品業者に買い取ってもらったのだけど、買取ができないと言われたベッドや照明器具、物干し台などは持ち帰って来た。

とりあえず、自宅で使えるものと処分するものに分けたのだが、処分するものが意外と多くて大きなゴミ袋を買い足して、ゴミ袋に入らないものは行政に連絡して大型ごみとして引き取ってもらうことになった。

それにしても、まだまだ使えるものばかりで、ゴミとして捨てる前に何かに使えないかと熟考するのだが、やはり思いつかず「もったいない」と思いながらゴミ袋に入れていく。

あまりにもったいないので、娘の持ち帰った鍋や食器をキッチンに置いてみたら、キッチンの使い勝手が断然悪くなって、やっぱり置くことをあきらめた。

今まで使用していた鍋や食器の数が、今の私にとってベストなので、それ以上増えると出しにくくて作業効率が悪くなる。

綺麗なものは取りあえず段ボール箱に保管して、しばらく時間を置いてから要らなかったら捨てることにした。

そして、問題は娘の洋服の多さ。

こちらは娘自身が仕分けをしたのだが、「これはもう要らないから捨てて」と言うので、要らないと言った服を見に行くと、洋服の大きな山ができていた。

「これなんか、まだ着れるじゃない?」と服の山から取り出した一枚を娘に見せると、「それも着ないからいらない」と言う。

「もったいない。そうだ、長女は着ないかな?」

似合いそうな洋服を持って長女に見せると、「う~ん要らないかな」と言う。

「まだ十分着れるのに要らないの?もったいない」と言いつつ、最後の手段は鏡に向かって自分の身体にあててみる。

「だめだ、顔と合わない」

二十歳をちょっと超えたくらいの子の洋服は、とてもじゃないが私には似合わず断念。

今は服や小型家電、金属類などはリサイクルとして無料で引き取ってくれる所がいろいろある。

お姑さんが高齢者住宅へ引っ越す時もリサイクルできるものは持って行ったのだが、今どきの若い子の洋服ならば多少の値がつくかもしれないと、中古品を扱うお店に持って行くことにした。

洋服が50着近く、あとはバック二つを紙袋に詰めて持ち込んだ。

洗濯をしてアイロンをかけて、汚れがついているものは除いて持って行ったので、そのほとんどを引き取ってもらえることになった。

そして言われたお値段は、なんと・・・570円でした。

娘のものはブランド品ではなく、全部安く買っているものなので、その値段は妥当なのかと思う。

というか、私としては金額よりも必要としている人がまた使ってくれたら嬉しい。

捨てられるところだったものが、また生き返ることができるから。

もらった570円は、帰りに娘との外食の足しにした。

それにしても、たった数年しか使わずに捨ててしまう物たち・・・本当にもったいないと思う。

地方から来ている学生はどうせ4年くらいしかいないのだから、もっとレンタルなどが充実していればいいのにと思う。

買うのも大変だが、それ以上にそれらを処分したり持ち帰るのが大変だ。

そして、洋服の山・・・おしゃれが楽しくて仕方がない年代なので、つい服を買ってしまうようだが、こちらも最近よく聞くようになった洋服のレンタルなども使えばいいのに・・・と、娘には話しているが、今の所、聞く耳もたずってところでしょうか。

引っ越し荷物が届いて5日ばかり。やっと片付いてほっとしている。






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地震の時

2019-02-22 14:20:38 | 日記
昨夜の地震は、昨年の9月以来ひさしぶりの大きな揺れだったが、揺れている時間が数十秒と短かったことと震度が9月に比べて小さかったので、部屋の小さな飾り物が一つ二つ落ちた程度で済んだ。

また起きている時間だった為、揺れで警報器が鳴り出した暖房機器のスイッチを切ったり、火元を見に行ったりと、揺れの最中も動き回っていた。(果たしてこれが、地震時の行動として正しいのかは疑問だが)

それにしても今回はしっかりと緊急地震速報の音を聞いた。

「チャリン、チャリーン 緊急地震速報です。強い揺れに警戒して下さい」

これは9月の時も鳴っていたと思うのだが、あまりに強い揺れと家の中の物が落ちる音の方がすごくて、ほとんど記憶にない。

家人によると揺れが来てから鳴っていたというのだが・・・

緊急地震速報というのは、揺れる前に鳴るものだとばかり思っていたのだが、前回も、そして今回も揺れている最中に鳴った。

同じく揺れている最中に鳴ったという知り合いが、倒れてきた本棚をかわしながら「いま揺れてんだから、わかっとるわと思ってた」と言っていた。

緊急地震速報というのは、正確にはいつ鳴るものなのだろう。

「強い揺れに警戒してください」と言うくらいだから、やはり揺れる前に鳴るのが正しいのだろうか。

それにしても揺れている最中にあの緊急地震速報が聴こえてくると、不安が掻き立てられるし、何しろ怖い。

ネットにも緊急地震速報の音が怖いという書き込みがけっこうあって、「あの音じゃなくて日本人になじみのあるホラ貝のボ~ォという音にしてほしい」とか「イッコーさんが地震よ~と言ってる声にしてほしい」とか、笑ってしまうようなことも書かれていたりする。

そこで何故あの音になったのかと調べてみた所、「怖すぎず、あまり明るすぎない、緊張感を持った和音」を使っているそうで、あまりに怖すぎる音だと、恐怖に身がすくんでしまい動けなくなってしまうからとあった。

確かに動けなくなってしまっては、身を守る行動ができない。

我が家では、私が暖房機器のスイッチを切りに行ったり火元を見に行ったりして動き回っている最中、家にいた長女はなぜか植木鉢を必死に手で押さえてみたり、絶対に倒れない低い家具を押えたりしていた。

また同じく家にいた次女はスマホは決して手から離さず部屋を歩き回り、さらにテレビをつけて情報を得ようとしていた。

当たり前だが、地震は突然くる。そして緊急地震速報も鳴り出す。

緊急地震速報が鳴ったら取るべき行動は、動き回ってみたり、家具を押えたりテレビをつけたりするのではなく、まず身を守ることだったということが冷静になってみるとよくわかる。

物が落ちる、倒れる所から離れること。
揺れが収まるまで頭を守ること。
気持ちを落ち着かせ冷静になること。

これが地震時の基本行動だそうです。






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娘の引っ越し

2019-02-20 15:09:25 | 旅行
次女が大学を卒業するので、一人暮らしをしていたアパートの引っ越し手伝いに行ってきた。

一人暮らしで荷物も少ないし、同じように一人暮らしをしていた兄の方は手伝いに行かなくても自分でやったので、次女も私がわざわざ行かなくてもできるのではないかと思っていた。

今は、女性スタッフが来て荷物の箱詰めまでやってくれるサービスもあるとか・・・

「なんなら、それを使いなさい」と言ったのだが、どうしても来て欲しいと言う。

「卒業式は来なくてもいいから、引っ越しだけは絶対に来て!」とダメ押しされたので仕方なく・・・そう、仕方なく行くことになった。

なんとなく今回は行きたくなかった。理由は無いのだが、行きたくないという気持ちが強かった。

引っ越しよりも三月の卒業式に行って、娘の晴れ姿を見ながら「やっと卒業。これでお金がかからなくなるぅ」と、うれし涙を拭いたかったのに、なんと娘は卒業式には出ないのだと言う。

仕方がない・・・そこまで言うなら行くかという事で行ってきた。

出発当日の朝、旅の無事を想いながらご先祖さまにお線香をあげた。

浮かない気持ちのまま、お線香をあげて手を合わせた途端、胸いっぱいに安心感が広がる感覚が起こった。

安心感を胸に感じたまま手を合わせていると、胸の奥から「安心して楽しんで来なさい」と言われたような気がした。

そのことですっかり気分は明るくなり、夫に空港まで送ってもらうと、人生初の一人で飛行機に乗ることになった。

58年生きてきて、恥ずかしながら今まで一度も一人で飛行機に乗ることがなかった。
幸か不幸か、出かける時はいつも誰かと一緒だった。

飛行機が苦手で、できるだけ飛行機には乗りたくないのだが、なんせ安心して楽しんでおいでとご先祖様に言われた?ので、今回は一人でも安心して飛行機に乗ることができた。

問題は羽田空港に着いてから・・・方向音痴なので、広くて人が多い東京を通って、間違いなく娘の住む町まで行きつくことができるのかが不安だった。

しかし、これも去年の秋に行った時のことを憶えていたので、なんなくクリア。
何の問題もなくスイスイと娘の待つ町へ着いた。

アパートに着くと、娘は自分でほとんどの荷物の箱詰めをしていて、思っていた通り私がすることはもうあまりなかった。

そこで引っ越し業者が来る日まで余裕があったので、最後に娘の住んだ町をたくさん散策することにした。

たくさん楽しみなさいってご先祖様も言われたしね。
(たくさんとは言っていなかったかな?)

それはそうと、とにかく楽しもうということで、娘がおススメのパスタのお店に行ったりカフェに行ったりと、久しぶりに食べて遊んで楽しく過ごした数日間だった。

すこし旅の思い出の紹介をさせていただきますと、娘の住んでいた町、群馬県高崎市はパスタの町なのだとか。

娘曰く、群馬県は小麦の栽培も盛んで小麦で町おこしができないかと考えていたそうだ。

「小麦粉を使ったお好み焼きは大阪が有名だし、うどんは香川県が有名だし、他になにか小麦粉を使った料理はないものか・・・そうだ!パスタはどうだろう」という会話があったかどうかは知らないが、とにかくパスタを提供するお店が町中に多くある。

そして、毎年「キングオブパスタ」というパスタの一位を決めるコンテストが行われるそうで、最近は優勝したパスタがテレビの全国放送に流れるなどして知名度を上げてきているようだ。

そのキングオブパスタで昨年優勝したパスタも食べて来た。

バンビーナの「えびジェノパスタ」↓



塩味がベースのスープにエビのフリットがのったパスタ。ジェノバソースとレモンの酸味が美味しかったです。

もう一軒。老舗ボンジョルノで娘一押しの「ハーブ豚のカッチャジョーネ」



こちらはキングオブパスタの初代優勝パスタだそうで、見た目からしてこってりがっつり系であり、噂によると普通よりもずいぶん量が多いとか。
噂通り大盛りのパスタが出てきて、最初は全部食べられるか不安だったが、これが美味しくて完食してしまった。

ところでボンジョルノに限らず、群馬のパスタはどこも一皿の量が多いそうで、「ここは普通盛りだわ」と思ったバンビーノでは、周囲のお客さん達がみんな揃って大盛りを注文していたのに驚いた。

「パスタの量が多いのに慣れているから普通だと物足りないんだよ」と娘。

しかし郷に入っては郷に従え、小食で鳴らしている私も群馬のパスタは美味しくて残さず食べることができた。
「やればできるじゃん、私の胃腸」と、お腹をさすってあげた。

美味しかったと言えば意外だったのはコーヒーで、これが街中のカフェは当然のことながら、レストランのドリンクバーのコーヒーも、朝食を食べたホテルのレストランのコーヒーもみんな美味しい。

お土産屋さんをのぞくと、コーヒーのお土産が置いてあるのできっとコーヒーも自信作なのだろう。
(コーヒー、買って来ればよかった)

そして、最後に娘がどうしても私を連れて行きたい場所があるとのことで、行ってきたのが猫カフェ。

P太郎がいなくなってさびしいだろうと、娘はここの猫ちゃん達の写真を何枚も送ってくれていたのだが、その中で私が気になっていた猫に会いに行こうと言う。

会いたかった子、うしまるちゃん(女の子)↓



このポーズは人間がやらせたわけではなくて、うしまるちゃんが自主的にするのだそうで、この時も自分でこのポーズになってウトウト眠りについていた。

娘が「連れて帰りたい」と叫ぶ気持ちが分かるほど、愛くるしい猫ちゃんたちだった。

そして最終日の朝、一抹のさびしさも感じつつ東京に向かう新幹線の窓から「ありがとうございました」と、町に向かって娘と二人でお礼を言って帰って来た。








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切なさ

2019-02-13 15:49:47 | 日記
91歳になる義母の話は、99・8パーセントくらいが昔話だ。

義母のこれまでの人生で脳内に一番思い出深く残っている幾つかの出来事が、繰り返し繰り返し義母の口から語られる。

それらは、義母の頭の中でも繰り返し思い出されているのだろう。

年老いて現在の事が記憶に残りにくくなると、誰でもそうなるのだろうか・・・

私は、今のところ義母のように昔のことを思い出して懐かしむということはまだないのだが、唯一ピアノを弾き始めると不思議と過去の映像が脳内に流れ始める。

過去、それは小学生くらいまでの時期に限られており、それ以降のことは思い出すことは無い。

小学校入学前、雨上がりにできた道端の水たまりの中に入って遊ぶ、長靴をはいた自分の足。
黒く濁った水たまりの上をすいすいと泳ぐアメンボ。

逆上がりの練習をした公園の鉄棒と草むら。
鉄棒の上から見た白い雲と青い空。

習字教室へ行く途中の風景。
舗装もされていないデコボコ道を、車が時々通り過ぎて舞う砂ぼこり。

小学校の授業で育てた青菜の色と形。

手袋の上に落ちるふわふわの雪、そして凍りかけたザラザラの雪。

冬の夜、銭湯から帰ってくる途中に見上げた夜空と星。
ひしゃくの形をした北斗七星。
濡れた髪のままいつまでも外に立って見ているので、母に風邪をひくと言って叱られた。

そのような想い出がはっきりとした映像となって、自分の弾くピアノの曲に合わせて脳内を流れていく。

何十年もたって忘れていたけど、確かに子供の頃に見ていたものたち。

まるで当時の自分が、いま見ているようなあざやかな映像の数々が頭の中を流れていく。

そして、それらの映像を想い出す時、私はとても切ない気持ちになる。

悲しくも嬉しくも楽しくも懐かしくもないのだが、言葉に表すとしたら切ないという表現しか思いつかない。

ピアノを弾くたびに切なさが募るから、最近すこしピアノを弾く頻度が減った。

な~んてね。ピアノは弾いていないのだが、ブログを書くうちにまた切なさがこみ上げて来てしまったわ・・・

さてと、また現実に戻ってしっかりとやるべきことをやらねば。

明日は海を渡って行きます。








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町内会

2019-02-12 12:35:14 | 日記
町内会役員の順番が回って来て、仕方なく出た初めての役員会で、だれも重要ポストをやりたがらず、結局くじ引きになったのが一年前の今頃だった。

あれからもう一年がたったとは、決まり文句だが時の立つのは早い。

毎月の役員会議に出る度に思うことは、これがあの重要ポストに就きたくなくて、渋々くじをひいていた人たちと同じ人なのだろうかということで、毎回の役員会では時に白熱した議論が交わされ、もちろん役員の仕事もしっかりとされて、よもや渋々役員を引き受けたとは信じがたい。

みなさん、ご自身の仕事もあるというのに本当に頭が下がる。

本当は誰だって町内の役員の仕事なんてやりたくはない

しかし、やると決めた以上は、良い町内会にする為に自分にできることはやろうと思っているのではないだろうか。
皆さんの仕事ぶりを見てそう思う。

町内会役員の仕事は様々で、役員会に持ち込まれる議題もいろいろある。

例えば「ご近所の雪かきの仕方が迷惑になっている」とか、「ハチの巣があるから駆除してほしい」とか、「ゴミ捨て場が壊れているから直すか取り替えるかしてほしい」とか・・・

それ以外に、昨今は物騒なので町内にカメラをつけてはどうかという提案があったりもする。

それらは役員みんなで話し合って、担当役員が市や民間業者に依頼したり、回覧板で雪かきの仕方などの注意を促したりする。

他にも町内のお祭りの準備やら当日のお手伝いやら・・・忙しくて自分がお祭りを楽しむ余裕はなかったが、子供達が楽しそうにしているし、その昔、我が子も町内のお祭りで楽しませてもらったので、その分のお返しをしているつもりでいる。

このように役員になって思うのは、やっぱり町内会はあった方がいいという事で、もしも町内会が無ければ、これは想像だが、ゴミ捨て場が荒れ放題になるなど町内の環境が悪くなるのではないかと思う。

現在、ゴミ捨て場の管理は町内会役員で行っているが、毎日の清掃は住民がもれなく順番で行う。

自分がゴミ捨て場の清掃をすると分かるのだが、掃除をする人の事を考えて、きれいに使おうという気持ちになる。

それは他の方も同じようで、そのせいかゴミ捨て場はいつもきれいな状態に保たれていることが多い。

ところが、新規役員との交代の時期になった今、町内に住む方々から「町内会脱退」の申し出がちらほらと来ている。

その詳細は分からないが、町内会役員はよほどの事情が無い限り、毎年順番で引き受けなければならない。

役員をするくらいなら町内会を脱退した方がいいと考える人たちがいてもおかしくはないと思う。

しかし、ここで問題が出る。

町内会に入っている場合、町内会費というものを毎月支払うのだが、これは先にも書いたが町内で起こる様々な問題の処理費用や冬に行っている排雪作業の費用に使われる。

町内会を脱退するという事は会費も払わなくていいということであり、自分も使うゴミ捨て場の掃除当番もしなくてもいいということになる。

しかし町内に住んでいる以上、町内会費を使って管理しているゴミ捨て場は使い続けるだろうし、排雪もそのお宅の前だけ雪を残すということはできない。

町内会費も支払わず、ゴミ捨て場を使い排雪もしてもらうというのはズルいのではないかという意見が出た。

「町内会に入って役員になるのが嫌ならしなくていいが、金だけは払えと言いたい」とおっしゃったのは、役員会ご意見番の長老だった。

しかしね~、それはそれで問題かもしれない。

だって町内会役員になりたいという人はそもそもいないのだから、町内会費を払っていれば役員の順番が回ってこないということになると不公平感が出る。

どうすればいいのか、会議では解決策は見つからなかった。

町内会を失くすというのも問題があるし、町内会役員になりたくないから脱退したいと言う人もいるし・・・

無理はしなくていいから、できる時にやってねという、ゆる~い感じで攻めてみてはどうだろうか。

とかなんとか、他の町内はどうなのか聞いてみたい。






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最近の義母

2019-02-07 16:28:02 | 介護
昨年の夏、義母の施設を探して、とあるグループホームを見学した時のことだった。

近くに座っていたおばあさんが、施設の説明をしていた職員さんに向かって「まだ来ないかい?」と聞いたことがあった。

職員さんが「まだですよ」と答えると、おばあさんは「そうかい」と言って立ち上がると、ふらふらとどこかへ行ってしまった。

その時に職員さんが教えてくれたのは、おばあさんは毎日、ああやって家族が迎えに来るのを待っているという事だった。

おばあさんは認知症でグループホームに入ったのだが、家族はおばあさんを入れるとほとんど会いに来ることは無くなったそうだ。

でも、おばあさんはいつか、それが息子なのか娘なのかは知らないが、家族が迎えに来ると思って毎日待っている。

その話を聞いた時、おばあさんのことが可哀想で、まったく会いに来ないという家族に対して、たまにでいいから会いに来てあげればいいのにと思った。

話は変わるが、今朝、義母のいる高齢者住宅の職員さんから電話をもらった。

ここ一週間ほど義母に不安そうな様子が見られるとのことだった。

昼夜を問わず事務所へ行っては、アレが無くなったとか、何に使うのか分からないものを貸してほしいと言うそうだ。

また家族に電話をしているのだけど皆んなに切られるとの訴えもあると言う。

うちの電話番号も含めて、義理の姉たちや義母の妹たちの番号を書いた紙を壁に貼っているのだが、職員さん曰く「もう正確に電話番号が打てないため、間違い電話をかけているのだと思います。それで相手に切られるのでしょう」とのことだった。

これは、確かに有り得ることかもしれない。
家にいる時も電話番号を打つのが難しいようで、頼まれて私が電話をかけて受話器を義母に渡していたことがある。

またある時は思い出したように、10年前に亡くなった義母の弟が、まるでつい最近亡くなったかのように話して精神状態が不安定になるそうだ。

義母は弟さんを非常に頼りにして可愛がっていたので、10年前に突然亡くなった時の悲しみようは尋常ではなかったことを憶えている。

ただ、それがいつ起こった事なのかという時間系列が分からなくなって、ふと思い出した弟のことで頭が一杯になったのだと思う。

このような義母の様子を職員さんから聞いて、認知症の影響もあるが、やはり家から離れた義母は寂しいのだろうなと思った。

なんだか昨年グループホームで見た、家族を待つおばあさんと重なった。

可哀想な義母。

夫は毎週会いに行っているが、私はもうずっと行っていない。

お互いのためには会わない方が良いと思っているし、義母が会いたいのは私ではなく自分の娘たちや妹たちだということは分かっているから。

だから、義姉達にはもう少し会いに行く回数を増やしてあげたらいいのにと思う。

3ヶ月とか開けるのじゃなくて、1ヶ月に一回、欲を言えば2週間に一度でも行ってあげたら喜ぶのに。

そして、いつもじゃなくてもいいからゆっくり義母の話を聴いてあげる時間を持つだけで義母の気持ちも落ち着くような気がする。

とは言え、みんなそれぞれに忙しいし都合もある。

これが私の本当の親なら、用事のない日は毎日でも行くのに。












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歯の定期検診

2019-02-06 13:27:27 | 健康
食事が済んだら、まず洗面台の前に立ち、デンタルフロスを取り出す。

フロスで歯の間を綺麗にすると、次は2種類の歯間ブラシの登場。

歯間の開き具合によって歯間ブラシを変え、ブラシの入る所は全部磨く。

歯間ブラシが終わったら、電動歯ブラシをする事もあるが、私の持っている電動歯ブラシだと強すぎて歯茎が痛いのと、細かな所が磨きにくいので、最近は普通の歯ブラシで磨いている。

この歯ブラシ磨きが、かなり重要だと思っているので、腰を落ち着けてじっくりと念入りに行なう為、リビングへと移動する。

椅子に腰かけると、右手に歯磨き粉のつけていない歯ブラシ、左手に鏡を持ち「さて始めるか」と心静かに気合を入れてみたりする。

磨き残しが無いように鏡を見ながら、一本一本丁寧に磨いていく。
あくまでも力は入れずにソフトに・・・

これ以上磨く所はないと思ったら、次は歯磨き粉をほんの少しだけ歯ブラシにつけると、また座って鏡を見ながら磨く。

以上、歯磨きにかかる時間は短い時で15分 、長い時は30分近く磨いているだろうか。

ちなみに昼も夜も同じことをしているが、用事がある時にはもう少し短めになる。

また間食した後も歯磨きをするので、最近は歯磨きするのが面倒で間食をあまりしなくなった。
これは念入り歯磨きの良かった点かもしれない。

なぜこんなに歯磨きをするのかと言うと、一昨年から通っている歯科医院で大枚をはたいて歯を治したからで、「定期検診をちゃんと受けて歯のメンテナンスをきちんとしていたら、あと20年はこのままで行けますよ」と言われたからである。

20年後と言えば、なんと70代後半。下手すれば歯よりも先に身体がだめになったりして・・・

でも少しでも長く、そして不自由なく物を食べられるよう歯を失わずに維持したい。

歯のトラブルで今まで散々不自由さを味わってきたので、心からそう思う。

それまでどうか先生も現役で頑張ってくださいと心の中で思った。
こちらの先生は50代半ばの方なので・・・

それにしてもこれだけ磨いていたら、歯医者さんの定期検診はバッチリのはずなのだが、これが毎度歯周ポケットの深さを指摘される。

いつも指摘されるのは同じ場所で、右上の一番奥の歯と、その手前の歯の間なのだが、歯周ポケットの深さが5ミリと深い。

歯の裏側なので磨きにくく、ブラシがしっかり届いていないことを今回も言われた。

そこは特に気をつけて磨いている場所で、歯磨きにかける時間の三分の一くらいはかけていた。
今度こそ大丈夫だと思っていたのに、かなりショックだった。

しかも2ヶ月前にはなかった出血もあるとか。

ってことは、さらに悪くなってるってこと?ど~してこうなるの?

ショックを受けていると、歯科衛生士さんが励ましてくださった。

「でも、歯はとっても綺麗です。同じくらいの年齢の方は、ほとんどの方が歯に汚れがついて色が変わっているのですが、それが無いですから驚きました 」

歯科衛生士さんもかなり気をつかってくださったと思うが、もしもそうだとしたら2~3ヶ月に一度の定期検診の時に必ず機械で綺麗に磨いてもらっているのと、家での念入り歯磨きが効いているのかもしれない。

今や歯の定期検診は美容院へ行く感覚になっていて、髪をきれいにしてもらうように歯をきれいにしてもらう場所になっている。

昔の歯医者さんは、虫歯が痛くてどうしようもなくなってから仕方なく、決死の覚悟で行く場所だったが、いやはや時代は変わった。

今は虫歯にならない為の予防歯科の時代ですものね。

というわけで、今回初めて診ていただいた歯科衛生士さんに鏡を使って奥歯の裏側の磨き方を教わった。

今までも別の歯科衛生士さんに教わっていたのだが、自分の磨いている所を見てもらう今回のやり方は初めてで、なんと今回は歯周ポケットだと思って歯ブラシを当てていた場所が、実は違っていたという事実が判明した。

歯周ポケットのある部分にしっかりブラシが当たると、確かに出血があるし痛痒さもある。

「そうです、そうです!そこそこ!」と歯科衛生士さん。

「ふぁかった!ここえすね」(わかった!ここですね)

口を開けながら受け答えをしつつ、今まで思っていた場所が違っていたと分かっただけでも定期検診に行った甲斐があったと思った。

そんなわけで2ヶ月後の検診まで歯周ポケットを治すべく、歯磨きは力を入れずに、歯磨きに力をいれたいと思っている。

たった2か月でも、磨き方によっては歯肉炎を起こすこともあるので、定期健診と歯磨きは大切だと思いました・・・






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極楽、極楽

2019-02-03 21:35:56 | 日記
最近週末は、ほとんど温泉に行っている。

先日は家を出た時には晴れていたのだが、温泉に着くころには風が強くなり始めて雪が舞うようなお天気に変わった。

風雪がますます強まる中、いつものように露天風呂に行ったら、先日とは違う70代くらいのおばさまたちが先に入っていた。

おばさまたちは、すでにお湯に長く浸かっているようで、お湯から出ている上半身は真っ赤だった。

激しい吹雪で視界も怪しくなってきたが、入ったばかりの私はなかなか温まらずお湯の中に口元まで浸かっていると言うのに、おばさまたちは「暑い暑い」と言いながら時々お湯の中から出て、猛吹雪の中で涼んでいた。

髪の毛は吹きつける吹雪で真っ白、身体は真っ赤。

そのコントラストがまた不思議な感じだったが、そういう私の髪も雪であっという間に白くなり、頭のタオルはおろか髪の毛もバリバリに凍るほどの寒さで、お湯から出ている顔が痛いくらいだった。

それもそのはずで、この日の気温はマイナス7度。

しかも風が強いので体感温度はもっと低かった。

あぁ幸せ…温かい温泉に浸かると、いつもそう思う。

寒ければ寒いほど、温かいお湯に浸かった時の至福感は大きい。

それにしても、この年代(70代)の女性はみんな元気だ。

お湯の中に出たり入ったりしながら、おしゃべりが止まらない。

今日は、一人のおばさまがご主人の不満を語っていた。

「うちの亭主ときたら雪かきを全部わたしにさせて、自分は毎日スキー三昧。まったく頭にくる。だからね、この前、亭主に言ってやったの。お父さんのことはもう好きじゃないって。お父さんに魅力があるとしたら、お金だけよってね」

すると別の女性が言った。
「いいじゃない、一つでも魅力があれば。今まで旦那さんがずっと働いてくれたんでしょ?なに不自由なく暮らせたんでしょ?雪かきしないのは頭に来るけど、旦那さんに感謝しなきゃ」

「うん、そうだけど…でも頭に来るのよねー」

エンドレスでご亭主の不満が止まらないおばさまの話を、感謝しなさいと言った友人はうんうんと聞いていた。

昔から銭湯は社交場と言われていたが、話に参加しなくても色々な人の話を聞けるのが面白い。

小さな湯船の中でたくさんの方々の生活が見える。

でも、温泉に浸かって深刻な話をしているのは聞いたことがない。

ご亭主の不満タラタラのおばさまも、不満話をしながら実は笑顔だ。

温泉はみんなを幸せな気持ちにする。

その証拠に温泉に入っている時、お猿もカピバラも幸せそうな顔をしている。

あー極楽、極楽ってね。









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