ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

決断するとき

2019-12-27 15:06:23 | 介護

久しぶりにお姑さんのお見舞いに行ってきた。

私が風邪気味でしばらく咳が続いていたため、お見舞いに行くのを遠慮していたのだが、約二週間ぶりに逢ったお姑さんは、驚くほど衰弱していた。

毎週行っている夫も驚くほど、今回は衰弱が進んだように見えた。

通常の点滴から中心静脈栄養に切り替えて半月あまり経ったが、全身のむくみがひどく顔はふだんの1・5倍くらいに腫れていた。そして、むくみからなのか瞼が閉まらずまばたきもしない。

ただ意識はハッキリしていて、私たち家族のことも分かっているし、問いかけにもかすかにだが答えてくれる。

意識障害を起こす時に必ずなった、あのきつい目や顔になることは、今はもう無い。

しかし意識が戻ったからこそ、自分の置かれている状況がわかってしまい、思うようにならない身体でお姑さんはどれほど苦しいだろうかと思う。

「生き地獄だ」と言っていたと夫から聞いて、余計にかわいそうに思う。

夫や義姉たちは、今やっている中心静脈栄養で終わりにして胃ろうはしないと医師に伝えたそうだ。

「中心静脈栄養では、一年もたないでしょう」と医師には告げられたそうだが、夫たちは胃ろうで命を長引かせることは本人を苦しませることになるのではないかと思い、胃ろうはしないという決断をしたそうだ。

高齢の親が老衰で病院に入ると、必ずと言っていいくらい決断しなければいけない時がくる。

自分で食べられなくなった時にどうするのかという決断だ。

医療の力によって(胃ろうや点滴など)生きて行くのか、それともそれらをやめて自然に任せるのか。

看取りをしている、ある高齢者施設では「自分の口で食べられなくなった時がきたら、それは最期の時が近づいているという事なので、無理に食べさせたりせず自然に任せる」そうだ。

動物でも人間でも死が近づいてくると自然に食べなくなって、枯れるように亡くなるそうだ。その方が苦しまずに逝けるのだとか。

たしかにそうなのかもしれない。

父も最後は点滴からの栄養だけになったが、何度も誤嚥性肺炎を起こして最期まで苦しそうだった。

実は、父にも苦しまずに眠ったまま楽に逝ける時があった。

それは突然、心拍数が落ちて血圧も下がった時で、ちょうど入院していた為、すぐに心臓にペースメーカーを入れる手術をした。

医師から「どうします?入れますか?入れないとこのまま亡くなりますよ」と言われ、妹と二人で「おねがいします」と答えていた。

あの時ペースメーカーを入れないという選択肢は私たちの中には無かったが、そのあと時間を置かずに父が誤嚥性肺炎になって苦しそうにしている姿を見て、あの時に入れなければ苦しまなくても済んだのに・・・という少しの後悔があったことも事実だ。

家族はこのような決断を迫られるとき、本当に心が揺れ動く。

しかも決断は一度とは限らない。老親の状況の変化で次々と迫られる。

少しでも希望があるのなら、賭けてみたいというのが家族の本音だが、もうこれ以上長引かせて苦しませたくないというのも本心だ。

揺れ動く心の中で迫られる決断は、家族にとっても苦しい。

事故にも遭わず、病気にもかからず無事に90代、100歳を迎えた先に決断を迫られる「自分の口から食べられなくなったらどうするのか」という問題は、今後ますます増えていくような気がしている。



 


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お姑さん、病院をかわる

2019-12-03 16:25:29 | 介護

前に嬉しかった事として、寝たきりで点滴を外せないお姑さんが、食べ物を少し口から食べてくれるようになったと書いたが、今日はその続きを・・・

お姑さんは、口から食事をすこしだけ食べてくれるようになったものの、医師によると「これだけでは栄養がまったく足りないので点滴は続けます」とのことだった。

さらに現在行っている点滴は、両手両足と場所を変えながら針を刺しているのだが、いずれどこからも点滴を入れられない状況になるとのことだった。

そうなった場合、次の方法としては、心臓近くの血管まで針をいれて高カロリーの栄養を送る中心静脈栄養という点滴になるそうだ。

そして最終的には胃ろうをするかどうか、または胃ろうと点滴を組み合わせる方法にするか、いずれにしろ近いうちにその選択しなければならない状況になるので、今のうちに家族は決めておいて下さいと言われた。

ナースステーション内の窓の無い部屋で、ほとんど一日中、体を拘束されて点滴しているお姑さんは本当に痛々しかった。

夫もそれはとても感じていて、もうこれ以上母親につらい想いはさせたくないという気持ちで「点滴が入らなくなったら、口から食べられるだけにできますか?」と医師に聞いた。

すると医師は「それはできません。病院に入院している以上は、点滴を止めて干からびて死んでいくのを、何もせずに見ているわけにはいきません」とおっしゃった。

たしかにその通りかもしれない。

ただ身体の拘束だけでも外せないものだろうか。もう弱っていて自分ではあまり動けないと思うのだが。。。というのは夫と私の願いだった。

それを医師に聞いてみると、「完全に外すことは難しいです」とおっしゃった。

拘束を外してしまうと、目を離した隙に怪我をしたり、最悪命を落としたりするかもしれない。(その時に病院の責任になるということ)

また、(人手不足で)ずっと見ていることはできないとのことだった。

そして医師は苦渋に満ちた顔で「我々も本当は拘束はしたくないのです。ご家族のおっしゃる通り最期まで人間らしい生活を送ってもらいたいと思っているのですが、現実問題としては難しいです」とおっしゃった。

最後に夫が「何かあっても責任を追及したりしませんから、少しの時間でもいいですから拘束を外してください」とお願いして、なんとか看護師さんがそばに居る時だけ拘束を外してもらえることになった。

家に帰ってから、夫はしばらく考え込んでいたが「身体拘束をしない病院に変える」と言って病院を調べ始めた。

しかし、いくつもの病院に問い合わせをしたものの、どこでも「拘束はあります」との返答だった。

私が聞いた病院では「どこの精神科でも拘束はしています。そのような状況では、むしろしていない病院は少ないのではないでしょうか。日本中を探せばいくつかあると思いますが、でもなかなか無いでしょうね」とのことだった。

夫も最後は諦めたようだったが、今の病院は満室のところを無理に入院させてもらったこともあって窓のない部屋にいるが、せめて陽の光の入る窓のある部屋にしたいと転院させることにした。

次の病院はまだ決まっていなかったが、「転院させます」ということを夫が医師に伝えに行く日のこと。

夫が出かける直前まで、私は拘束していない病院を探していた。

「ないだろう」と言って夫はあきらめたが、私は「絶対に見つかる」という根拠のない確信があった。

「じゃ行ってくる」と言って夫が玄関を開けた時、やっとここは!という病院を見つけた。

「あった!ここいいかもしれない」と出かける夫に叫んだが、夫は聞こえなかったようで出かけて行ってしまった。

夫が出かけた後、ゆっくりとその病院を調べてみたのだが、病院のホームページには拘束しませんとは書かれていなかった。

そこで病院へ電話で問い合わせをしてみると、非常に親身になって話を聞いてくれた後に「うちは、よほどのことじゃない限り拘束はしていません。一度見学に来られてはいかがですか?」と言ってくれた。

そこで夫にそれを伝えると、すぐに夫はその病院へ見学に行き、そして入院の手続きまでしてきた。

夫によると、やはり拘束されている患者さんはいなかったそうだ。

先日、お姑さんが新しく移った病院へお見舞いに行ってきた。

病院内はどこも同じなのだが、雰囲気が非常に明るかった。

何が違うのだろうと思ったら、廊下ですれ違う看護師さん達が皆さん「こんにちは」と挨拶をしてくれる。

あっちからもこっちからも「こんにちは~」と声をかけられて、それだけで病院の印象がかなり違った。

さらに病院の中央に広い談話室があり、ほとんどの患者さんはそこで自由にお茶を飲んだりテレビを観たりゲームしたりして過ごしている。

また食事もここでするとか。

お姑さんも車いすで連れてきてもらって食事をしているそうだ。

談話室から自分の部屋に自由に戻れるが、他の所には行けないように鍵がかけられているのは仕方がないとして、前の病院とは全く違った雰囲気だった。

そして、この日のお姑さんの様子は本当に驚くほど回復していた。

もう身体拘束はされておらず、意識状態は家に居た頃に近いほどクリアになっていた。また食事も食べられているそうで、お姑さん曰く、自分で食べているとか。

ただ、やはりそれだけでは足りないので、時々点滴をするそうだ。

そして「看護師さん達がみんな優しくて」と言って涙ぐんでいた。

お姑さんの病状の回復が拘束されなくなったこととは、あまり関係はないのかもしれない。

お姑さんの病状が突然悪化したように突然回復して、また突然悪化してしまうということも、もしかしたらこの先あり得るかもしれない。

でも、もしかしたら人生最後になるかもしれない時間を、少しでも快適に過ごしてほしいと思うのは家族の願いでもある。

できれば良くなって退院できることが一番なのだが、今はお姑さんが拘束なく過ごせるようになったことが本当にうれしい。

ちなみに、この病院は市内にある。

聞いたところによると、市内じゃなくても近郊に拘束しない方針の病院がまだあるそうだ。

探せばある。


 


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2019-11-01 14:48:54 | 介護

元・お姑さんの部屋で、今は夫の書斎になっている部屋にパソコンがあるため、時々そこでパソコンをしている。

先日もパソコンをしていたら、とつぜん部屋の中でかすかな声が聞こえてきた。

女の人の声で何かずっとしゃべり続けている。

パソコンのキーを打つ手を止めて耳を澄ました。

おばあちゃんの声!?

それは紛れもなくお姑さんが読経する声だった。

慌てて仏間を覗いてみたが、そこにある仏壇の前には当然だれもいない。

どこから声が聞こえてくるのか部屋中を見渡してもわからなかった。

お姑さんは朝夕に、時には昼間も、毎日欠かさず仏壇の前に座って読経していた。

だから施設に入る時には、部屋に置けるように小さな仏壇をあらたに買ったほどで、施設でも毎日お経を読んでいると聞いていた。

それはお姑さんが幼いころからの習慣だそうで、同居してからいつも聞いていたお姑さんのお経を読む声に間違いなかった。

それにしても何故、声がしているのだろうか。

お姑さんに何かあったのだろうか?いや、それはないだろう(そんな気がした)

じゃあ生き霊とか?でも、それほどこの家に執着があったとは思えないし。

それともお姑さんが居た頃の残留思念みたいなものなのだろうか?

いやいや、これは私の幻聴だったりして。それにしてもはっきりと聞こえる・・・

あれこれ考えながら、止むことなく聞こえてくるお姑さんの読経する声を不思議な想いでしばらく聞いていた。

しかし、このままお姑さんの読経を聞いているわけにもいかないので、パソコンを止めて部屋をあとにした。

部屋を出ると声は聞こえず、それからしばらくして部屋に戻ってみたが、声はもう聞こえなくなっていた。

不思議なことがあるものだと思う。

さてお姑さんだが、あれから再び夜中に徘徊をして、入所している方々に迷惑をかけるようになった為、急遽、病院へ入院することになった。

入院しながら次の受け入れ先が決まるのを待つことになったのだが、容体が悪化の一途をたどっている為、次の施設が決まっても行けるかどうかわからなくなってきた。

入院した時はすこし歩けていたのだが、今は本当に寝たきりになってしまったし、それ以上に問題なのは、まったく食事を摂らなくなったことで、現在は点滴による栄養補給をしている。

また看護師さんによると、お姑さんは昼夜逆転して昼間はずっと寝ていて、夜になると目を覚ましているのだとか。

しかし目を覚ましても前のように徘徊する元気はなくて「夜中ベッドに横たわったまま、なにかお経みたいなものをずっとつぶやいています」とのことだった。

それを聞いて、自分の子どものことも忘れてしまったが、お経だけは最後まで頭の中に残っているのだなぁと思い、なんだか複雑な気持ちがした。

実は一緒に暮らしている時、お姑さんの読経はあまりよい気持ちがしなかった。

お供えの食べ物がずっと長く置かれている仏壇の前でお姑さんがお経を読むと、外から無成仏霊が入ってくるような気がした。(気のせいかもしれないが・・・)

また義父の三回忌でお寺に行った時、お坊さんが読経している最中に(不成仏霊に)肩にずしんと乗られて以来、お経に対してよい印象がない。

お経を聞いても成仏できないんだ・・・と思ったというかのか、なんというか。

お経のことは全く知らないので、他のお経は違うのかもしれない。これは私の偏見なのかもしれないが・・・

お姑さんは、もう私が行っても誰なのかわからないだろうと思う。

今は気がつけば、お姑さんに向けて暖かい気持ちを送るようにしている。

離れた場所や会う会わない関係なく、想いは通じるという確信・・・お姑さんの声が聞こえたように、私の想いも届け。



 


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友人と会う

2019-10-23 15:14:11 | 介護

先日、20年近く会っていなかった友人二人と会って来た。

20年ぶりなのでお互いの顔がわかるかな~と、みんな同じことを思っていたらしいけど、一目ですぐに友人たちだとわかった。そして、向こうもわかってくれた・・・ホッ

そんな友人たちとの久しぶりの再会は、積もる話があり過ぎて、あっという間に時間が経った。

みんな基本は子どもを育てる(育てていた)主婦なので、昔とそんなに生活は変わってはいなかったが、今は子どもの手が離れ、パートに、趣味にと忙しく毎日を過ごしているとか。

しかし、子供の手は離れたが、老親の手が離れないのはみんな同じ。

自分や夫の親たちを見送って、残った老親の介護に忙しいと話すひとりの友人の話を聞きながら「どこも一緒だね」と言って互いをいたわりあって来た。

でも、久しぶりに友人たちに会って楽しい時間を過ごして、とても元気がもらえた。

特に最近はお姑さんの症状が急激に変わっていくので、夫との会話はいつもお姑さんのことになる。それは元気が出るような明るい話題ではなく、今後どんどん悪くなっていくということを想定した話なので、自然と気持ちも暗くなっていた。

しかし、友人たちとの再会でまた元気がでた~かな?

さて、お姑さんだが、先のブログ記事ではもう歩けないということを書いたが、それから数日も経たないうちにまた歩けるようになった。

歩けるようになったことは非常に喜ばしいことなのだが、これが夜昼問わず歩き回って暴れまわるので、事態は以前よりも深刻になった。

お姑さんは夜中に暴れたようで、翌朝、部屋の中は大変な事になっていたそうだ。

カーテンは引き千切られ、鉢植えはひっくり返り、部屋の中は物が散乱。

信心深いお姑さんがあれほど大切にしていた仏壇も、中の仏具や掛け軸があちこちに飛び散っているという惨状だったそうだ。

それから数日間、お姑さんは興奮状態が続き、奇声をあげたり他人に暴力行為をしたりと、とても正常だった頃のお姑さんとは思えないような行動を取り続けた。

夫は「まるで悪霊にでも憑りつかれているようだ」というし、たくさんの高齢者を見ている職員さんも「こんなに急に症状が悪化するのは珍しい」とおっしゃった。

というわけで、このような症状(特に他人に対する暴力)が続けば、現在の施設(高齢者住宅)に居るわけにはいかない。

また新しい施設を探さなければいけないのだが、今はどこも満員ですぐに移れる施設が無いのが現状だ。

お姑さんが入れるとしたら特別養護老人ホームかグループホームなのだが、どこも待機者が何十人といる。

では次の施設が決まるまで、いっそのこと入院したらどうだろうかと病院を訪ねたが、病院も認知症の高齢者や精神疾患をもつ患者さんが大勢待機しているとかで、入院はすぐにできないそうだ。

現在は主治医から出してもらった興奮を抑える薬を服用しているので、ここ数日は落ち着いている。

お姑さんはごくたまに我に返るのか「迷惑かけてごめんね」とか「人生はつまらない」とか、そんなことを言うそうだ。

このまま薬で落ち着けばよいのだけど。しかし、今は一刻も早く入れる施設を探している。

友人たちと老親のことを話していた時、ひとりの友人が言った。

「親たちは、まだなんとか見てくれる施設や人手があるけど、私たちの時はどうなるの?少子化だし、介護なんてしてもらえるんだろうか?」

たしかに今と同じ介護を考えれば難しいかもしれないが、その時は元気な老人が介護をする側になっているのかもしれないし、ロボットがもっと普及しているかもしれない。もしかしたら外国人の介護職も増えているのかもしれないから、なんとかなっている気もする。

しかしどちらにせよ、自分の健康は自分で守らないといけない。

いつまでも介護を必要としないくらい元気で、できれば介護する側の老人になって、ある日、コロリと死ぬ。いいな~、夢だわ、これ。

とかなんとか、そんな話をしながら楽しく友人たちとランチをしてきました。


 


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おつかい

2019-10-18 16:25:34 | 介護

お姑さんがいる高齢者住宅から電話がきた。

「食事が飲み込めなくなっているので、買ってきて欲しいものがあります」とのことだった。

その買ってきて欲しいものとは、食事を飲み込みやすくする為にとろみをつける介護用のパウダーと、薬も飲めないので混ぜて食べられるようにプリンやヨーグルトなど。

そして、お粥に添える海苔の佃煮や練り梅だった。

あれからお姑さんは急激に弱ってきた。

自分の足で歩くことはすでに難しく、食事もあまり摂らなくなった。

だから、もう夜中に起きてトイレを詰まらせるようなこともできない。

人間、こんなに急に弱るものなのかと思う。

父の時も徐々に食事が摂れなくなって、最期の方はとろみのついたミキサー食になったが、それでもこんなに急ではなかった。

食べ物を摂らなくなったらますます弱ってしまうのではないか。

なんとか食べられるようにしないと・・・と話したら夫が言った。

「ばあちゃん(お姑さん)はどう思っているのかわからないが、ばあちゃんの魂は、もうこれでいい、もう生きたくないと思っているんじゃないだろうか。だから本能が食事をするのを拒んでいるんだと思う。まぁ分からんけどな」

本当にそうなのだろうか。私もわからない。

取りあえず急いで買い物をして、頼まれたものを高齢者住宅へ持って行った。

お姑さんは日中デイサービスで見守りをしてもらっているので、部屋に居ないことは知っていた。

でも一応、職員さんに部屋にお姑さんがいるかを聞いてみた。

もしも居たら、少しだけ顔を見て声をかけたい気持ちがしていた。

でも、やっぱりいなかった。

残念なような、ちょっとホッとしたような、そんな複雑な気持ちで高齢者住宅をあとにした。


 


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朝の電話

2019-10-02 15:44:38 | 介護

昨日の朝、9時になるのを待っていたかのように電話が鳴った。

父の時のトラウマなのか、朝の電話はいまだにどきっとする。

もしかして・・・と思ったら、やはりそうだった。

朝一番にかかってくる高齢者施設からの電話は、大抵あまりよい話しではない。

お姑さんに何かあったのだろうかと、緊張する。

電話の内容は、お姑さんが自室のトイレを詰まらせてしまったということだった。

置いてあった消臭剤のビーズを(2個あった)お姑さんがすべてトイレに流してしまい、トイレが詰まって水が溢れ出したとのこと。

あふれた水は部屋の外の廊下まで流れ出し、真下の部屋の天井からも水が落ちていると、施設の職員さんが冷静に話された。

「それは大変!すぐ行きます」と答えたら、実は問題はそれだけではなかった。

それは、数日前からお姑さんの行動が、いつもと違っておかしいということだった。

 数日前の夜中、お姑さんの部屋で大きな物音がするので、隣の部屋の人がお姑さんの部屋をのぞいた所、部屋の床には食器が散らばり、真っ暗な部屋の中に上半身裸のお姑さんが呆然と立っていたのだとか。

「どうしたの?」と聞いても答えられず、本人もよく分かっていなかったらしい。

 暑かったからパジャマを脱いだのだろうか?床の物はどうしようと思ったのかな?

職員さんの話を聞きながら、そんな考えが頭の中でぐるぐる回っていた。

そして、今回も夜明け前のまだ暗い時間、真下の部屋の人から水が落ちてくると通報を受けた職員さんが、お姑さんの部屋に駆けつけると、5センチも水がたまった真っ暗な部屋の中でぼーっと立っているお姑さんの姿を見つけたそうだ。

どちらも夜明け前のことだが、実は数日前からまた「眠れない」という訴えがしばしば起こるようになっていたらしく、寝ぼけたような状態になっていたのだろうか。

夜中に何をしているのかわからなくなってしまうという話も驚いたのだが、最後にもっとショックな話を聞かされた。

それは、食事の時に箸の使い方が突然わからなくなってしまったことと、食事の食べ方もわからなくなったという話。

「いつまでも食事に手を付けないので、箸を持たせてお味噌汁を飲むように勧めたところ、お味噌汁を口に含んだまではよかったのですが、飲み込むことをせず、うがいを始めてしまったんです」

そこまで聞くと、居ても立っても居られなくなった。

「すぐに行きます」と言って施設に向かうことにした。

とりあえず夫にも電話をしなければ・・・夫に電話をすると、市内に住んでいる二人の姉たちにも連絡すると言ってくれた。

夫に連絡をした後、すぐにお姑さんのいる施設に向かった。

お姑さんの施設に行くのは久しぶりで、物盗られ症状がひどくなってからずっと行くのをやめていた。でも、今はそんなことはどうでもよかった。

今できることを精一杯やらなければ、絶対に後悔する・・・なんて大げさだが、その時は本当にそんな気持ちで車を走らせていた。

「部屋の片づけと、危険で本人をひとりにできないので来てください」と職員さんから言われたのだが、施設に着いてみるとお姑さんはデイサービスの方で見てもらっていたので、部屋の片づけをすることにした。

置いてあった家具に5センチほどの高さまで水の跡が残っていて、職員さんの言っていた部屋に5センチも水がたまったという話は本当だったんだと驚いた。

しかし、幸いなことに詰まっていたトイレは元通りになり、水がついた天井や床、壁なども被害は深刻ではなかったため、修理費などはいらないとのことだった。(このような時の為に、お姑さん用の保険に入っているが、今回は使わずに済んだ)

その後、義姉たちも到着して3人で片づけをして、途中で夫も駆けつけてきたので、私はそこで帰宅した。

夫が帰宅してから話を聞いた所、急きょ主治医の先生の診察を受けることになったとか。

主治医のお話によると、数日前に本人から眠れないという訴えが何度もあった為、睡眠薬の量を増やしたそうだ。

もしかしたら、そのせいで一時的に意識障害が起きる「せん妄」が現れたのかもしれないとのことで、睡眠薬の量を減らして様子をみることになったようだ。

睡眠薬は不眠を訴える高齢者には有効だが、高齢になると代謝が落ちる為、薬の効き目が長く続いてしまうらしい。

やはり睡眠薬など脳に作用する薬は、単純に素人考えだが、こわいなと思う。

今後、薬を減らすことで、お姑さんの状態がすこしでも良くなってほしいと願っている。




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お姑さんからの電話

2019-06-27 16:33:07 | 介護

家族をみんな送り出して、一人でゆっくり朝食をとろうと思ったら電話が鳴った。

こんな早くに誰かなと出てみると、なんと高齢者住宅にいるお姑さんだった。

私がお姑さんに会いに行かなくなってから半年がたつが、声を聞くのも半年ぶりだった。

認知症が進んでいるので、私のことは忘れたかなと思っていたのだが、お姑さんの第一声は「お母さんかい?」だった。

そう、お母さんとは私のことで、お姑さんからいつもそう呼ばれていた。

お姑さんから突然電話がきたことよりも、私のことを憶えていたことに驚きつつ「そうですよ」と答えると、お姑さんは長らく会っていなかったことなど気にもしていないように、うろたえた声で話し出した。

「今朝、施設の職員さんから今月中に施設を出てくださいって言われたんだけど。急に出てくれって言われたってねえ。今月中って言ったら、もうあと少しでしょ?そんなこと言うもんだから困っちゃって。だからよろしくお願いね。じゃあ、もう職員さんが迎えに来るから」

ガシャン(電話を切る音)

自分の話したいことだけ話すと、電話は切れた。

長く会っていないので、私はすこし話したかったのだが、本当にあっさりとした電話だった。

きっとお姑さんは、職員さんに言われたことを何か勘違いしているのだろう。

「施設から出てほしい」などと職員さんが言うはずがないし、もしそれが本当であっても、まず先に家族に連絡がある。ましてや「今月中に出てください」なんて言うわけがない。

お姑さんが不安そうに話す合間に「わかりました、施設に聞いてみますね」と何度か言ったのだが、お姑さんがそれで納得したとは思えなかった。

お姑さんはひとつのことが気になると、ずっとそればかりにこだわる。

お姑さんの声は、まだ納得できていない声だった。

そして思った通り、翌朝もまた電話が鳴った。

お姑さんは、前日と同じようにうろたえた声で「施設から今月中に出てくれと言われた」と、同じことを訴えた。

ただ前日と違うのは、出て欲しい理由が明らかになったことで「どこも(身体に)悪い所がないから出て欲しいと言われた」とのことだった。

お姑さん、完全に病院と間違えている。

ところで前日は、私の応対の仕方が良くなかったと、電話を切ってから反省していた。

「わかりました。施設に聞いてみますね」と言ってしまったのだが、それだと施設に居られるのか居られないのかわからないので、お姑さんが不安のままなのは仕方がなかった。

ちゃんと安心させるような受け答えをするべきだったと反省した、

今回は、施設に居ることができることを話し、「大丈夫、安心して」と繰り返し言ったのだが、それを聞いたお姑さんは「安心していいんだね、安心していいんだね」と「安心」という言葉を繰り返していた。

お姑さんの、この声を聞いて、私も一安心。すこし納得してくれたかな。

そして三日目の今朝。もしもまたお姑さんから同じ電話があれば、今度こそ施設に電話をして、施設の職員さんから「施設を出なくてもいい。ここに居られる」と、しっかり言ってもらおうと思っていたのだが、今朝はお姑さんから電話がくることはなかった。

歳をとって身体が若い頃のように動かなくなり、耳も聞こえにくくなり、記憶もおぼろげになって、まして自分の意思に反して自分の家ではない場所に住まいを移して、不安にかられることがあっても仕方がない。

「人間、年老いて人生の最期のステージというのは悲しいものだなあ」と言ったのは夫だった。

年老いてますます強くなる頑固さや猜疑心。子どもとして、親の嫌な面に向き合わなければいけない夫のやるせない心の内なのだと思う。

でも、親が身をもって子供に最後の教育をしてくれている、年老いていく姿を見せてくれていると、亡き父やお姑さんをそばで見ていて思う。

年老いて行く親たちを見て、こういう風にはならないようにしようとか、ここは見習おうとか、若くして亡くなった実母の時には私もまだ20代と若かったせいか思わなかったが、自分も老年期が目の前に見えてきた今はそう思う。

久しぶりに聞いたお姑さんの声は、懐かしいというにはまだ早いが、嫌な気持ちは不思議なほど消えて、むしろ元気でよかったと安心した。

 


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最近の義母

2019-02-07 16:28:02 | 介護
昨年の夏、義母の施設を探して、とあるグループホームを見学した時のことだった。

近くに座っていたおばあさんが、施設の説明をしていた職員さんに向かって「まだ来ないかい?」と聞いたことがあった。

職員さんが「まだですよ」と答えると、おばあさんは「そうかい」と言って立ち上がると、ふらふらとどこかへ行ってしまった。

その時に職員さんが教えてくれたのは、おばあさんは毎日、ああやって家族が迎えに来るのを待っているという事だった。

おばあさんは認知症でグループホームに入ったのだが、家族はおばあさんを入れるとほとんど会いに来ることは無くなったそうだ。

でも、おばあさんはいつか、それが息子なのか娘なのかは知らないが、家族が迎えに来ると思って毎日待っている。

その話を聞いた時、おばあさんのことが可哀想で、まったく会いに来ないという家族に対して、たまにでいいから会いに来てあげればいいのにと思った。

話は変わるが、今朝、義母のいる高齢者住宅の職員さんから電話をもらった。

ここ一週間ほど義母に不安そうな様子が見られるとのことだった。

昼夜を問わず事務所へ行っては、アレが無くなったとか、何に使うのか分からないものを貸してほしいと言うそうだ。

また家族に電話をしているのだけど皆んなに切られるとの訴えもあると言う。

うちの電話番号も含めて、義理の姉たちや義母の妹たちの番号を書いた紙を壁に貼っているのだが、職員さん曰く「もう正確に電話番号が打てないため、間違い電話をかけているのだと思います。それで相手に切られるのでしょう」とのことだった。

これは、確かに有り得ることかもしれない。
家にいる時も電話番号を打つのが難しいようで、頼まれて私が電話をかけて受話器を義母に渡していたことがある。

またある時は思い出したように、10年前に亡くなった義母の弟が、まるでつい最近亡くなったかのように話して精神状態が不安定になるそうだ。

義母は弟さんを非常に頼りにして可愛がっていたので、10年前に突然亡くなった時の悲しみようは尋常ではなかったことを憶えている。

ただ、それがいつ起こった事なのかという時間系列が分からなくなって、ふと思い出した弟のことで頭が一杯になったのだと思う。

このような義母の様子を職員さんから聞いて、認知症の影響もあるが、やはり家から離れた義母は寂しいのだろうなと思った。

なんだか昨年グループホームで見た、家族を待つおばあさんと重なった。

可哀想な義母。

夫は毎週会いに行っているが、私はもうずっと行っていない。

お互いのためには会わない方が良いと思っているし、義母が会いたいのは私ではなく自分の娘たちや妹たちだということは分かっているから。

だから、義姉達にはもう少し会いに行く回数を増やしてあげたらいいのにと思う。

3ヶ月とか開けるのじゃなくて、1ヶ月に一回、欲を言えば2週間に一度でも行ってあげたら喜ぶのに。

そして、いつもじゃなくてもいいからゆっくり義母の話を聴いてあげる時間を持つだけで義母の気持ちも落ち着くような気がする。

とは言え、みんなそれぞれに忙しいし都合もある。

これが私の本当の親なら、用事のない日は毎日でも行くのに。












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新しい生活

2018-11-08 17:09:24 | 介護
お姑さんが高齢者住宅へ入って1か月が過ぎた。

夫と私は、週に一度は必ずお姑さんに会いに行く。

入居する前、夫は「毎週なんて行かないぞ。一ケ月に一度くらい行けばいい」と言っていたが、やはり自分の母親のことが心配らしく、週末ごとに1度、いや2度くらい会いに行っている。

入居した当初、お姑さんは不安そうな様子を見せていて「慣れました?」と聞いても、必ず顔をしかめて「いや、慣れない」と言っていた。

また、新しい環境で不安なこともあってか毎晩のように自宅へ電話をかけてきた。

その電話の内容は、ほとんどが「薬が無いんだけど」というものだった。

お姑さんの場合、薬に対する執着が強いと思う。

特に重い病気はないのだが、年相応にたまに血圧が高くなることがある。

しかし、それはお医者さまから「薬は止めてもいいんだけどね」と言われている程度の状態なのだが、お姑さんが「薬は絶対に出してください!」と熱望したので出してもらっている。(←いいのだろうか・・・)

あとは軽い睡眠薬。

こちらも何十年前から飲み続けている薬で、効いているのか効いていないのか、もしかして薬の代わりにラムネでもいいのかもしれないが、長年の習慣なので絶対にやめられないようだ。

そんなわけで朝食と夕食後、そして寝る前に必ず薬を飲む生活を続けてきたのだが、ここ最近は薬を自分で管理できなくなっていたので、施設では職員さんがその都度持って来てくれることになった。

しかし、これがお姑さんにとって不安材料になった。

職員さんにもらって飲んだことを忘れ、自分で薬を探がして飲むようになった。

薬はお姑さんの部屋の吊戸棚の中に仕舞ってあり、その中から職員さんが出して飲ませてくれていたのだが、お姑さんの身長では絶対に手が届かない場所だと安心してたら、なんと椅子を使って自分で薬を取り出していたことがわかった。

薬を重複して飲むことも心配だが、椅子の上に立ち上がることの方が心配だった。

もしもバランスを崩して落ちたら骨折するかもしれない。90歳を過ぎての骨折はまずい。

というわけで、職員さんと相談して、お姑さんの薬は部屋に置かないことにしたのだが、薬が無くなったお姑さんはますます不安になって、自宅に電話をかけてきたというわけだった。

その後、薬は職員さんが管理するようになったことを何度も何度も説明して、やっと薬のことは言わなくなった。

たぶん職員さんに出してもらうことに慣れたのだろう。

ところで、高齢者住宅にはデイサービスのお友達もいるのだが、お姑さん曰く「デイサービス以外ではあまり交流はしていない」とのことだった。

私たちが帰ろうとすると、お姑さんは必ず玄関まで送ってくれる。

そして、泣き出しそうな顔でずっと手をふっている姿が切なかった・・・

ところが最近、お姑さんの様子が変わってきた。

お姑さんの部屋に行くと、お友達が遊びに来ていることが多くなった。

また、高齢者住宅の有志で行っているというお茶会にも参加しているそうだ。

先日も「慣れました?」と聞いたら、今度は「ハイ、慣れました」と返事が返ってきた。

そして帰り際、いつものように見送ってくれたお姑さんが、満面の笑みで手を振ってくれたことがとても嬉しかった。

慣れるまでは心配したが、やはりこの施設に入ってもらったことは正解だったと思える。

もともと社交的なお姑さんであり気の合う友人がいることで、毎日楽しく生活できているようで一安心だ。

ところで、同じようなことが昔もあったような気がする・・・もしかしてデジャブとか?

思い出せば、子どもが幼稚園に行き始めた頃と似ている。

幼稚園に慣れただろうか、友だちはできただろうか、楽しく過ごせているだろうか、そんな心配をしていたっけ。それが今とそっくりだ。

とにかく一ケ月が過ぎて施設の暮らしに慣れて来たお姑さんは、ますます元気で人生を楽しんでいるようにみえる。






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引っ越し

2018-09-27 16:45:43 | 介護
お姑さんの高齢者住宅への引っ越しが近づいてきた。

持って行く荷物をまとめる為に義理の姉たちが来てくれている。

父が施設に入る時には妹と二人で荷物をまとめたが、今回は義姉たちがやってくれるので、私は片付けに関してはノータッチで楽をさせてもらっている。

「手伝わずにすみませんね~」と義姉たちに謝ったら「な~んもいいの。こちらこそ騒々しくてごめんね。おばあちゃんとバトルする声がうるさいかもしれないけど許してね」と言ってくれた。

義姉たちは、この機会にお姑さんの持ち物を整理しようとしてくれていた。

多分ほとんどのものは処分することになるのだが、コップ一つ捨てることを許さないお姑さんなので、果たして義姉たちは、どうやって片付けるのだろうか・・・

やはり、ここは嫁の出る幕はなく実の娘たちにおまかせした方が良いと静観を決め込んだ。

すると早速、お姑さんの部屋からお姑さんの叫び声が響いてきた。

「それ捨てるってかい?だめだよ。まだ使えるんだから!新しいんだからね!」

それに対して、いつも静かでおとなしい二番目の義姉が、お姑さんを諭しているような声が聞こえた。

二番目の義姉は優しいので、お姑さんの意見を聞いてからと思っているのだろう。

ところがお姑さんと二番目の義姉の声を遮るように、いつも元気で活発な一番上の義姉の声が聞こえてきた。

「ダメだよ。おばあちゃんの意見なんて聞いていたら、どうせ全部捨てないって言うんだから。
無視!無視!完全無視!!」

お姑さんと義姉たちの会話を聞いていたら、申し訳ないけれど面白くて笑ってしまった。

夫の実家の家族は仲が良いので、実の娘ならば叱られようが、無視されようが、お姑さんにはなんのこだわりもないのだろう。

姉たちがいてくれて、ほんとによかったと思う。

というわけで、一番上の義姉の主導権のもと片づけは着々と進んでいるようだった。

そんな様子を聞きながら、もしも母が生きていて私と妹が片づけをするとしたら、一体どんな感じだっただろうかと想像していた。

私が成人式で着る振袖がほしいと言ったら「猫も杓子もみんな同じ格好(振袖)をして行くなんて馬鹿げている。あなたはジーンズとシャツで行きなさい。そっちの方が目立ってカッコいいと思うけどなぁ」なんてことを言う母だったので、もしかしたら「捨てていいよ。もうどんどん捨てちゃって」と言っていただろうか。

いやいや、自分の高校の制服まで取ってあったくらいだから「絶対に捨てない!」と抵抗していただろうか。

な~んてね・・・それにしてもお姑さんと暮らした13年間は過ぎてみれば、あっという間だった。

同居が解消されるにあたって、施設へ行ってもまだ介護は終わったわけではないが、それでもホッとしている自分がいる。

本当は・・・

実の母が今の私よりも若くして亡くなっているので、夫と結婚して義理だけれど母ができたこと、最初は嬉しかったんだよね。

ずっと前からお姑さんのことを知っていたような気がして、「これはもしかして前世で本当のお母さんだったのかも」なんてことまで思うほどだった。

一緒に暮らす前から多少の行き違いを感じたこともあったが、それよりもお姑さんと仲良くしたいという気持ちの方が強かった。

だから同居して不安はあったけれど、「仲良くやって行こう、もしも可能ならば二人で旅行も行きたい」と思ったこともあった。

でも、やはり難しいことの方が多かった。

それは当たり前だ。

長い間、自分の考えで家を回して来た他人同士の二人の主婦が一緒に暮らすのだから、それは摩擦がない方が珍しいと思う。

でも、お姑さんはどう思っているのかは知らないが、私はお姑さんのことが嫌いではない。

盗人呼ばわりされて怒り心頭になったことも数々あれど、心底嫌いにはなれなかった。

お姑さんは我は強いが、悪い人ではない。
というか、情に厚くて面倒見が良い。
きっと、どんな人からも「いい人」と思われているに違いない。

女子力がめちゃくちゃ高いのが私と違う所で、それが悪い方に出ると嫌だなぁと思うこともあったが、そんな事もすでに今は良い思い出になっている。

お姑さんだって、私に対する不満がいっぱいあったことだろうからお互い様だ。

それにしても、この13年間、本当に良い勉強をさせて頂いたと思う。

「人生に起きることに無駄は無い」というのは真実だなぁと心から思う。

ところで義姉たちが帰った後、お姑さんに呼ばれた。

部屋に行ってみると、お姑さんの手には、きれいに刺繍がほどこされた着物の帯が何本もあった。

どうやら義姉に見つからないように隠していたらしい。

「これ、あげるから。娘たちに見つかると持って行ってしまうから、お母さんがもらってちょうだい」と言われた。

私は着物は着ないのだが、帯はインテリアとして使うのでありがたく頂くことにした。

帯を私にあげるという事、とても嬉しかった。

引っ越しの日まであと数日となった。

もしもお姑さんが施設に入ることを嫌がっていたら、私の心の奥が痛くて仕方がなかったと思うが、そうではなくなったことで笑顔でお姑さんを送り出せるような気がしている。

このような流れになったこと、本当にいろいろなことに感謝しかない。







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施設を決める

2018-09-19 13:54:52 | 介護
今、お姑さんはウキウキしている。

なぜかと言うと、もうすぐ高齢者施設に入るから。

お姑さんがこんなに喜んで高齢者施設に入ってくれるなんて、つい先月には想像もできなかった。

今年の夏の初め頃、そろそろお姑さんを高齢者施設に入居させた方がいいという話が出た。

義姉たちやケアマネジャーさんからも入れた方がよいと言われた。

そのような話が出た中で、私自身もこれが潮時だろうか、いや、まだ大丈夫という二つの間で揺れていた。

何よりお姑さんが高齢者施設に入ることを嫌がっていた。

これまでも、知り合いが高齢者施設に入った話を聞いてお姑さんはよく言っていた。

「可哀想にね。○○さんが施設に入れられたんだって」

いまどきのシニアは、自らが選んで高齢者住宅へ入る方も多いと言うのに、お姑さんはいまだに「入れられた」という感覚しかなかった。

今の高齢者住宅はお姑さんが考えているような暗いイメージではなく、明るく快適な施設が多くなったと思うが、それをお姑さんに納得してもらうのは至難の業、いや不可能だと、その時までは思っていた。

「近々、限界がくる。その時には施設に入ってもらわなければいけないのだから、まずはどんな所があるのか見学に行こう」と夫が言い、二人でいくつかの施設を見学に行った。

ケアマネジャーさんから「お姑さんは認知症が進んでいるので、サービス付き高齢者住宅ではなくてグループホームが良いでしょう」と言われ、グループホームの見学に行くことにした。

そして見学するにあたって、家族が会いに行きやすい場所にあること、雰囲気が良い所、年金の範囲内で入れる所などの条件を決めて、見学するグループホームの候補を絞った。

ところでグループホームとは、認知症と診断を受けた高齢者の方々が暮らす施設で、定員は9人までと決まっている。

9人だけの小さなグループホームから9人がフロアごとに暮らす大きなグループホームまで、いろいろなグループホームを見た。

それぞれに良い点も有れば不安な点も有りで、こちらが考えているような百点満点の所は見つからなかったが、その中でも良いと感じた二か所のグループホームに絞った。

ところが、たくさんのグループホームを見学して分かったのは、どの施設も待機者がたくさんいるということで、すぐに入所できるグループホームは皆無だということだった。

多い所では10名以上の方が待っているとのことで、いつ入所できるかは全く予測できないと、どのグループホームでも言われた。

いつ入所できるかは分からないが、とにかく待機者の中に入れてもらわないと気に入ったグループホームには永遠に入ることができないということが分かり、とりあえず良かった二か所に申し込みをして来た。

ところが、なんと数日後に申し込みをした一か所から「空きました。すぐに入れます」と早々に連絡をもらった。

そのグループホームでは急に空室が出たため、待機している人たちに連絡をしたところ「待ちくたびれて他に入りました」とか「もう少し自宅で暮らします」と言った理由で次々と断られたそうで、結局お姑さんに順番が回って来たらしい。

そこは申し込みをした二か所の中でも、「こちらの方が良い」と思っていた施設だったので、夫も私も義姉も「ここで決まりだ」と思った。

そこで、すぐにお姑さんを連れて再び見学に行ったのだが、思っていた通りお姑さんの反応は良くなかった。

「ここに入るのかい?」と言って、はぁ~と大きなため息をついた。

数日間、考える時間をもらうことにして保留にしていたが、ケアマネージャーさんに相談したところ、「お姑さんの社交的な性格ならば、すぐに慣れると思います。きっと楽しいと思いますよ」と言われ、その言葉に背中を押されて入所させてもらうことに決めた。

この頃、お姑さんは通っているデイサービスで「息子に施設に入れられる」と落ち込みながら話していたと、あとでデイサービスの職員さんから聞いた。

入所できると連絡をくれたグループホームにお姑さんをお願いすることに決め、9月1日に入所の契約をすることになった。

ところが、契約の日まであと3日という8月29日の朝、お姑さんを迎えに来たデイサービスの職員さんから思いがけないお話を聞いた。

「もうグループホームに決まったことは知っていますし、近々契約をするというのも知っています。
そのような時にこんなことをお話して良いのか悩みましたが、やはりどうしてもお知らせしておかなければと思いました」と話し始めた職員さんから聞いたお話は次のようなものだった。

お姑さんが通っているデイサービスは、隣に同系列のサービス付き高齢者住宅があって、そこからデイに来ている利用者さんも多くいらっしゃるそうだ。

その中でお姑さんと一番親しくしているというおばあちゃんが、「施設に入れられる」と落ち込んでいたお姑さんに「じゃあ私の入っている施設にくればいい」と言って、デイサービスの職員さんに頼み込んで、自分の部屋をお姑さんに見せるために、お姑さんを連れて二人で高齢者住宅へ行ったそうだ。

しばらくしても二人がデイに戻ってこないので、職員さんが部屋まで呼びに行った所、手と手を取り合ったお友だちとお姑さんが、「あんた、絶対ここに入るんだよ」「そうするよ」と言い合っていたのだそうだ。

それからというもの、お姑さんは「施設に入れられる」と言わなくなったどころか、「ここが空いたら、すぐに教えてね」と言って、職員さんからの返事を楽しみに待っているようになったそうだ。

とは言え、その施設は満室だった為、お姑さんが入所する可能性はゼロと、その時はどの職員さんも考えていたそうだ。

ところが、「それが今日、一部屋、空くことが決まったんですよ!」と職員さんがすこし興奮気味に教えてくれた。

それを聞いて私は困惑した。

あんなに施設への入所を嫌がっていたお姑さんが、職員さんのおっしゃるように楽しみに待っているようになったのであれば、そこに決めてあげたい。

しかし、口頭でではあるが、グループホームにはすでに「そちらでお願いします」と言ってしまっている。

また考える時間が必要と言って、契約を9月まで引き延ばしてもらったという事もあり、契約直前になって断るのは気が重かった。

そして何より認知症が重くなってきたお姑さんが、サービス付き高齢者住宅に入って大丈夫だろうかという懸念があった。

夫にそれを話すと、「じゃあ、そこも見学へ行ってこよう」と言い、翌日の30日に急遽見学をさせて頂いた。

サービス付き高齢者住宅というのは、父も入っていたのだが、基本的に自立した高齢者が入る、いわば介護サービスがついた高齢者の為のアパートだ。
(父の場合、最終的には全介護になったが、入所した時はまだ元気だった)

認知症であり自立が難しく見守りが必要なお姑さんが、果たして入ることができるのだろうか。

このような状況で入ることができるのかどうか心配だったが、高齢者住宅の担当者さんは「デイサービスで接してわかっているので、それは大丈夫ですよ」とおっしゃってくれた。

同じ系列だということで、デイサービスでお世話になっている職員さん達がいる高齢者住宅は、お姑さんには馴染みやすいだろう。

またデイサービスで仲良くしている友だちが他にもたくさん入っているということで、「何かあったらみんなが助けてくれると思います」ともおっしゃってくれた。

願ったり叶ったりとはこのこと。これ以上の所はないのではないかと思った。

「大丈夫と言って下さるのなら、是非こちらに入れて頂きたいです」とお願いしたところ、「現在、待機者が11名いるので、会議を開いてからじゃないと決められません」とのことだった。

9月1日にグループホームの契約があるので、それまでに返事を頂きたいことを伝えると、翌日31日の午前に会議を開いてくれると言って下さり、結果が分かり次第すぐに連絡をくれることになった。

そして翌日の31日、高齢者住宅の担当者から「入所が決まりました」との電話をもらった。

グループホームの契約日の前日。まさに予想外の展開だった。

待機者が11名いたにもかかわらず、お姑さんを入れてくれたのは、デイサービスで「施設に入れられる」と悲しんでいたお姑さんの様子を知っていたことと、すでに入所している友だちの存在が大きかったそうだ。

グループホームの方には夫がすぐに謝罪の電話をしたが、お姑さんの次に待っている方へ順番が回るようで、あっさりと「そうですか」とのことだったそうだ。

というわけで、あんなに施設に入るのを嫌がっていたお姑さんが、今、自ら荷物をまとめて入所するのを心待ちにしている。

「ご先祖様のお陰だね。おばあちゃんに一番よい施設を決めてくれた」と言ったら、日頃、目に見えない世界に懐疑的な夫がめずらしく「そうだなあ」と言った。






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お姑さんのこと

2018-08-22 14:49:22 | 介護
高齢になり、いろいろな事が難しくなってきたお姑さん。

最近では、料理の火の始末が心配になってきた。

もともと料理をするのが好きな人なので、火が危ないから料理をするなと言ってもなかなか聞き入れてもらえない。
私が家にいる時ならばいいのだが、外出時に火事になったらと思うと心配でお姑さんが自宅にいる時はできるだけ早く帰るようになった。

また失禁の問題もさらに多くなり、お姑さんの部屋に入ると異臭がすることが多い。

「自分で始末をしている」と言うのだが、果たしてどのように始末しているのか・・・

女性はいくつになっても女性で、シモのことは隠したがると、介護を経験した先輩が言っていたが、息子である夫にはもちろんだが、私にも失敗したことは教えてはくれない。

そこで紙パンツの着用を勧めているのだが、やはり頑として受け入れてはくれないのが困りものだ。

また、以前とは変わってきたのが顔の表情で、最近とてもきつい表情をするようになった。

そんな表情を見せた時は、また何かを私に盗られたと思っているのかなと憶測して気が滅入る。

「物が無くなった」と言ってもらえれば一緒に探すこともできるのだが、頭から私が盗んだと思い込んでいるので、こちらも難しい。

「また言ってるわ」と、あきらめるしかない。

そこで夫と相談して、たまには夫の姉たちの家へ泊りがけで遊びに行ってもらったらどうかという事になった。

実の娘の家に遊びに行けば、お姑さんの気分も変わるだろうし、娘たちから紙パンツを履くように勧めてもらえば、お姑さんも受け入れるかもしれないという淡い期待もあった。

しかし、二人の姉たちはお姑さんを預かることに難色を示した。

実の母親とは言え、長く一緒に暮らしていないので、家に来るとなったらどうなることかと不安に感じたのだと思う。

これは私もじゅうぶん理解できるので、断られても当然かと思った。

あの時・・・何から何まで介助が必要になった実父を自宅に預かることができたかと言われたら、やはり二の足を踏んだと思う。

お姑さんは父よりもずっと元気で、お風呂は無理だがトイレだって失禁はあるがスイスイ一人で行けるのだが、それでも自宅に高齢の母親がいるというだけで、今までとは違う不自由さが起こることは明らかだ。

お姑さんの介護の問題点は、失禁はたまにあるものの身体的な介護ではなく、時々突拍子もないことをするので目を離せないという事と、同じ話が延々と繰り返されるマシンガントークを聞いていなければいけないということだろうか。

「ショートステイを利用したらどう?」と義姉に言われて、ケアマネージャーさんに聞いたところ、高齢者のショートステイは、空き部屋のある特別養護老人ホームを利用するのだとか。

私も介護の資格を取る時に特別養護老人ホームで少しの間働いたことがあるが、まだまだ元気なお姑さんが見たら「絶対にここには入らない」と言うだろうと思う。

もちろんほとんどの特養の施設はきれいだし、職員さんも優しいのだが、入所している方々はお姑さんよりもずっと症状が重いので、お姑さんがショックを受けるのではないだろうかという心配があった。

ケアマネさんも家族が長期で旅行へ行くとか必要に迫られてじゃなければ、気分転換に行かせることはしない方がいいとおっしゃった。

「それでしたら、グループホームへの入所も検討してみたらいいと思います」とのことで、いくつかのグループホームのパンフレットを頂いた。

グループホームとは9人ほどの少人数で認知症の高齢者が共同で暮らしている施設だ。

父が入っていたサービス付き高齢者住宅は、まだ自立できている高齢者が入る施設なのだが、グループホームは認知症だという診断をもらっていなければ入ることはできない。

お姑さんの場合、自立は難しいのでグループホームになるのだが、それには病院で認知症の診断書をもらってこなければいけなかった。

グループホームに入所という事になれば、短期ということではなく余生をそこで暮らすことになる。

まだ元気だという自負があるお姑さんは、絶対に施設は嫌がるだろう。

そこを無理に入所させてもよいものかと悩んだ。

しかし夫が「もう限界が近いかもしれない。今すぐじゃなくても、近いうちに入所を考える時期は必ず来るから」と言うので、とりあえず診断書をもらう為に病院へ行った。

「何を診てもらうの?」と不審がるお姑さんを連れて、夫と私が付き添いケアマネージャーさんに紹介してもらった病院へ行った。

そこで認知症かどうかを調べる検査をいくつか受け、結果は夫と私が聴いた。

医師からの診断は「中度後半から重度の認知症」とのことだった。

そんなに重いの?というのが正直な感想だった。

すると医師は「一緒に暮らす家族というのは慣れてしまうのと、親がそんなに重いわけはないという思い込みで、まだそれほどでもないと思ってしまうんです。でも検査結果はかなり進んだ認知症です。施設の入所を考えてもいいと思います」とおっしゃった。

私の隣で話を聴いていた夫が、ショックから呆然としているのが分かった。

医師には最近のお姑さんの様子を細かく説明したのだが、顔の表情がきつくなったのも認知症の症状のひとつで、「疑心暗鬼」の妄想がそのようにさせるのだとか。

診察室へお姑さんが入った時にすぐに分かったそうだ。

診察室で一体なにをされるのかというお姑さんの疑心暗鬼が、そのような表情に現れたらしい。

医師は私の方に体を向けると「お嫁さん、よく頑張りましたね」とおっしゃった。

こんな時、涙のひとつでもこぼれるのだろうかと思ったが、涙の代わりに湧き上がって来たのは「まだそんなに頑張っていない」という想いだった。






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雨降って地固まる

2018-06-26 14:48:29 | 介護
長い冬がやっと終わって、また花の季節がやって来た。

様々な花々が一斉に咲きだす光景は何度見ても素晴らしく、花の咲く季節が待ち遠しい。

しかし、ここ数年、あれほど楽しみだった花の季節にストレスを覚えることが増えた。

それはお姑さんが花のつぼみを切ってしまうことで、花が咲くのを楽しみにしていた私はがっくりする。

「つぼみで切っても花が咲かないから、もう少し待って花が咲きそうになったら切ってね」と、毎年、毎回、お願いしているのだが、忘れてしまうのか何度も同じことをしている。

お姑さんは切ったつぼみをお仏壇に供えたり、デイサービスに持って行くようだが、ほとんど固いつぼみのまま花瓶の中で枯れてしまう植物を見ると、「だから言ったでしょ。あれほど切るなと・・・」との想いが湧き上がる。

花が咲いてから、もしくは咲きそうになってから切るのならいい。

部屋に飾るなり、デイに持って行くなりしてもらってまったくかまわないのだが、まだ固いつぼみのうちに切ってしまうことには、「なぜ、それを切る?」という疑問と悲しみと怒りしかない。

仕方がない、仕方がない。
何度言っても忘れてしまうのだから仕方がないと思っても、正直怒りの感情も湧いてくる。

たかが花、されど花・・・

だから、自分のストレス回避のために、それまで毎年新しい花の苗を植えていたのを数年前から止めてしまった。

花を増やすことで、自分のストレスを増やしたくないというのが、その理由だった。

そして今年もまた、お姑さんは固いつぼみのついた枝を持ってきた。

え、えだ~!?

なんとお姑さん、今回はつぼみのついた庭木の枝を折ってきた。

枝はやめてくださいよ、枝は。来年、花がつかないじゃないですか。

以上のようなことを、怒りを抑えつつ優しくお姑さんに注意したのだが、糠に釘、暖簾に腕押し・・・とにかく何を言っても「はいはい。ごめんなさい」とは言うものの、また同じことをする。

やれやれ・・・

しかし、この押さえ込んだ感情がある事件をきっかけに爆発した。

事件とは、お姑さんが「お金がない」と言い出したことだった。

お金に関わらず、他にも色々なものがないと言うのはこれまでもよくあることで、そのどれもがお姑さんがどこかへ仕舞って忘れたのか置き忘れてきたのだと思う。

しかし、お姑さんは自分がそれを失くしたとは思っていないようで、大体において、犯人は私だと思うようだ。

そして今回もお金が無くなったことを、私が犯人ではないかと疑っているのを、息子である夫に話していた。

夫はその話を聞いて激怒した。

そして、お姑さんに「あいつはそんなことをする女じゃない!だから俺は結婚したんだ!」と言った。

この夫の言葉で私の中から怒りがすーっと消えて行くような気がした。夫のこの言葉だけで十分だった。

たしかに、この時は十分だったと思ったのだが・・・

しばらくして再びお姑さんの機嫌が悪い時に、再び私が盗んだかのようなことを言われ、抑えていた感情がついに爆発してしまった。

夫が帰宅後、普段は決して夫にお姑さんの悪口を言わないようにしているのだが、この時ばかりは流れ出たマグマは止められなかった。そして、それを夫にぶちまけた。

ぶちまけつつ、夫に対しての申し訳なさと自己嫌悪でいっぱいになっていた。

「もっと吐き出していいよ」と言う夫に、ただただ申し訳なさでいっぱいになり、いつの間にか、諸々の事などどうでもよくなっていた。

実の親の悪口を言われて気分がいいはずがない。特に親孝行な人は尚更だろう。

また、男の子は母親が好きな場合が多いとか。

夫も姉二人の末っ子で、母親には可愛がられて育ってきたので、自分の母の事を悪く言われるのはつらいだろう。それなのに全面的に私の味方になってくれている。

雨降って地固まる・・・

理解してくれる夫に怒りの感情をぶつけたことを申し訳なかったと思った出来事以来、枝を折られようが、泥棒呼ばわりされようが、もうそんなことはどうでもよいと思える心境になった。

でも、二度あることは三度ある?

いやいや、それは勘弁してほしい(汗)

とにもかくにもいろいろあるけど、また頑張るべさ~

今日はことわざをいくつか散りばめてみました・・・











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火の消し忘れに注意

2018-03-15 13:56:33 | 介護
最近ますます物忘れがひどくなってきたお姑さん。

すこし前にガスの火を消し忘れて鍋を焦がし、部屋の中が煙で白く煙っているのに気が付かずテレビを見続けていたことがあった。

本当ならもうガスコンロを撤去した方が良いのだが、料理好きでじっとしていられないお姑さんなので、認知症改善の期待も込めて料理をさせている。

以来、お姑さんが料理をしている時は長い外出を控えるようにしていたのだが、どうしてもお姑さんを家に残して出かけなければならなくなってしまった。

夫から「自分たちが帰って来るまで、けっしてガスは使わないように」と念をおしてもらって出かけたのだが、「するな!してはいけない!」と言われると、なぜかやってしまうのがお姑さんで、以前も何度か「やってはいけない」という事をやって、息子である夫に叱られていた。

ゴミを窓から外に捨てるとか、そういう事なら、あとで片付ければいいので問題はないのだが、火については重大なことになりかねないので、ここは念には念を入れて、お姑さんの脳に定着させなければいけない。

何度もお願いして、「わかった。料理はしない。火は使わないから」とお姑さんが言うので、後ろ髪を引かれる思いで外出したのだが、やっぱり気になる。

「途中でおばあちゃんに電話してみたら?帰るまで火は使わないでねって、忘れているかもしれないから、しつこいけどもう一度言ったら?」と夫に言うと、「そうだな」と言って、外出の途中で夫がお姑さんに電話をかけた。

「もしもし。オレオレ、俺だけど~・・・あれ?切られた」

夫は首をかしげながら、もう一度電話をした。

「俺だよ。オレオレ!・・・あれ、また切った」

どうやらお姑さん、夫を「オレオレ詐欺」だと勘違いしたようだ。

そのあと私が電話をかけてみたが、お姑さんはもう電話に出なくなった。

今、巷では「オレオレ詐欺には気を付けましょう」ということが盛んに言われている。

色々な所で刷り込まれたようで、さすがのお姑さんも「オレオレ詐欺には気をつけましょう」というのが、記憶の中にしっかりと刻み込まれたようだ。

「一人の時は絶対に料理を作らないようにしましょう。ガスの消し忘れには気を付けましょう」

お姑さんの耳元で、これを何度もささやいたら、いつか分かってくれるだろうか。

と、そんな悠長なことは言ってられないので、ガスコンロを新しいものに替えることにした。

今まで使っていたものは自動消火機能が付いていなかったが、新しいコンロは2時間たつと自動的に火が消えるようになっている。

2時間の間に火が出そうだが、それでも消えないよりはいい。

あとは火災報知器も点検しなおした。

すると新しいガスコンロに替えたら、さっそく自動消火機能が発動した。

お姑さん、お鍋をガスコンロから降ろして、火を消すのを忘れていたようだ。

自動消火されているのを見て「ほぉ、ちゃんと消えるんだ。これで新しいものに替えた甲斐があったというもの!」と思ったが、今までもこういうことがあったんだろうな~と思うとかなり怖い。

しばらく、お姑さんのガスコンロから目が離せない日々が続く・・・



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なぜ女性はおしゃべりなのか

2018-02-21 17:37:54 | 介護
お姑さんがデイサービスから帰ってきた時、付き添いの職員さんから「今日は微熱がありました」と言われた。

朝から37度2分くらいの熱があって、食欲はあるのだけれど、入浴はやめましたとのことだった。

そういえば二日前、やはりデイサービスから帰ってきたお姑さんの声がガラガラ声になっていて、それが続いていたので「風邪を引いたかな?」と思っていた。

ただ、本人はいたって元気で「買い物へ行きますけど、一緒に行きますか?」と聞くと「行く、行く」と二つ返事で付いて来ていた。

しかし元気そうにしているとは言え、90歳という年齢を考えると、微熱があると言われたら病院で診てもらった方がいいだろう。

デイから帰宅した日は病院が終了している時間だった為、翌朝、お姑さんを連れて病院へ行ってきた。

お姑さんの声はまだガラガラだったが、熱があるようには見えなくて元気そうだ。

しかし、しつこいようだがお姑さんは90歳という高齢であり、何かあってはいけないので病院へ連れて行った。

病院へ着くとすぐに検温されたが、やはり熱はなくて平熱の36度だった。

看護師さんから「インフルエンザの検査をしてもいいですか?」と聞かれたので、そちらもお願いした。

インフルエンザの検査後、診察まで待合室で待つことになった。

お姑さんの行ってる病院はいつも混んでいて、この日もたくさんの患者さんが待合室にいた。

念のためにお姑さんにマスクをかけさせ、自分もマスクをする。

そしてお姑さんには「今日は声がかすれているから、喉に負担をかけないようにして、あまりしゃべらずにいて下さいね」と言っておいた。

すると、お姑さんはうなずきながら、「わかった。喋らない方がいいんだね。私、風邪ひいたからね。変だね~、風邪なんてめったにひかないのに、どこで移っちゃったのかね~、あんまりしゃべらないほうがいいよね。声がガラガラだからね。ところで、今日はいつもの先生なのかい?いつもの先生じゃないと嫌だわ。でも仕方ないよね。飛び込みだから、ところで・・・」以下話は続く。

まだまだ話が続きそうだったので、途中で「喉に悪いから喋らない方がいいですよ」と話を遮った。

お姑さんは「そだそだ。喉に悪いんだった」と話を止めたのだが、しばらくすると、今度は隣に座ったおじいさんに話しかけた。

話題はいつも同じで、まず夫に先立たれて一人になって寂しいという話をする。

相手が相槌を返してくれて、この人は話に乗ってきてくれる人だと分かると、次は自分の出身地の話をする。

ここで相手が同じ出身地もしくは住んだことがあると言った時にはもう大変で、次々と出身地の話題が出てくるのだが、いつもお姑さんの話を聞いている私にとっては、毎度おなじみの話ばかり。

しかし隣の席のおじいさんが良い方で、ニコニコしながらずっとお姑さんの話を聞いてくれていた。

延々と話し続けるお姑さんを、どうやって連れ出そうかと考えながら、私は後ろの席で身を乗り出しながら話を切るタイミングを狙っていた。

・・・と、ちょうどおじいさんが診察室から呼ばれ、席を立って行った。

私はお姑さんの隣の席に移ると「あんまりしゃべると喉に悪いから、声は出さないようにしてくださいね」とかる~く注意を入れた。

「そだそだ。声が出なくなったら困るしね」と言って納得してくれたように見えたお姑さんだったが、しばらくすると暇そうに周囲をきょろきょろし始めた。

後ろの席には高齢の女性が座っている。ま、まずい・・・

お姑さんは振り返ってニッコリ笑うと「混んでますねえ」と声をかけた。

このようにお姑さんと公共の場に行くと、だれかれとなく話しかける。

嫁の立場ではもう制止しきれない。

最初のおじいさんのように、にこにことお姑さんの話に付き合ってくれる人もいれば、迷惑そうに離れていく人もいる。

あからさまに迷惑そうな顔をされれば、もう話しかけるのを止めるのではないかと思うのだが、お姑さんはそんなことには全くめげていない。

次なる「獲物」を探し始める。
話に乗ってくれそうな人を探して辺りを見渡し、そしていざ見つけると、獲物に向かって満面の笑みで近づいていく。

私が看護師さんと話をして、ちょっと目を離したすきにお姑さんの姿が見えなくなって焦ったら、なんと病院の受付に座っている中年女性の所へ行って話しかけていた。

獲物は来ている患者さんだけではなく、病院関係者もだったか・・・元気すぎるお姑さんに感心してしまう。
すごい行動力。。。

お姑さんもちゃんと分かっていて、あまり若い人には話しかけず、ある程度の年齢がいった人を選んでいる。なぜかというと、若い人より高齢の人の方が話につき合ってくれるから。

しかし、病院などでは具合の悪い人が大多数なわけで、体調が悪いのに見知らぬ婆さんの出身地や生い立ちなど聞きたいと思う人は、そういないはずだ。

「こうなったら人のいない席に連れて行こう」と、お姑さんを連れて人けのない場所に移動していたら、やっと診察室から呼ばれた。

診察室に入ると医師が開口一番「インフルエンザですね」とおっしゃった。

「インフルエンザー!!!」私はあまりの衝撃に口がぽかーんと開いてしまった。

「インフルエンザですか!?こんなに元気なのに?熱もたった37度で、もう下がってるんですけど」と言うと、医師は「そういう人もたまにいるんですよ。軽くすんじゃう人が・・・でも、間違いなくインフルエンザB型の陽性です」と言われた。

熱もなく元気なので薬はナシ。

結局、インフルエンザだったということを確認しに病院へ行ったようなものだった。
(あっ、あとお姑さんのおしゃべりによるストレス発散ね)

お姑さんが話しかけていた方々にインフルエンザが移っていなければいいのだけれど、心配です。

お姑さんおそるべし・・・

ところで、本を読んでいたら興味深いことが書かれていた。

「なぜ女性は男性よりおしゃべりなのか」という内容で、最近の研究によると、女性は生科学的に、男性より他人とのつながりを求める傾向があるというのだ。

男女共にストレスを感じるとアドレナリンやコルチゾールといったストレスホルモンを分泌するのだが、女性の脳はさらにオキシトシンを放出しようとする。

オキシトシンは「結びつきのホルモン」と言われ、女性が落ち込んだ時に友だちと集まっておしゃべりをしたり、ペットに接したりしてオキシトシンの分泌を促し、心を穏やかにしてストレスを消していこうとしているのだそうだ。

ちなみに男性はオキシトシンの量が少なくなっている為に、人間関係にさほど注意を払うことはなく、女性のようにおしゃべりや愛情を与える行為でストレスを解消しようとせず、問題解決や克服などの行動に出ようとするのだとか。

女性でも問題解決や克服に向かう人もいれば、男性でもペットに愛情をかけることで癒されようとする人もいると思うので、これらは一概には言えないが、お姑さんの場合は明らかにオキシトシンが大量に放出されているような気がしている。

それにしても、インフルエンザのお姑さんの方が私よりよほど元気。
疲れましたわ・・・






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