ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

今年最後にみた夢

2014-12-31 11:52:14 | 日記
昨夜、借りてきた映画「ゼロ・グラビティ」を観たせいだと思うが、とても印象的な夢を見た。

ちなみに「ゼロ・グラビティ」とは宇宙でスペースシャトルの乗組員たちが船外活動をしていたところ物凄いスピードで次々に飛んできた宇宙ゴミにぶつかり、スペースシャトルはゴミと衝突して使えなくなり、乗組員達は宇宙空間に投げ出され酸素がどんどん少なくなってくる中を必死に生還しようとする物語。

はらはらして登場人物と一緒に息苦しくなりながら観ていたが、映画が終わり昨夜はそのまま布団に入った。

そして、私が見た夢とは・・・

テレビから緊迫したアナウンサーの声が流れてきた。

「ただいま巨大な隕石が地球に向かっています。もう避けられません。このまま地球に衝突しそうです」

それを聞いても、私は不思議なほど落ち着いていた。

「そうか、一瞬でこの地球は無くなりみんな死んでしまうのか。まぁ、それでもいいか」と思った。

ただこれから先、何十年も生きていていくはずの子ども達が、生きてこそ味わえるたくさん経験をせずに生を断ち切られてしまうのは可哀想だなと思っていた。

そして、あと数時間の命かもしれないと思った時、何をしようかと考えた。

すると次々に家族の顔が浮かんできた。

家族ひとりひとりに感謝を伝えたいと思った。

日ごろはそんなことは当たり前だとか、また恥かしさもあったりして言葉にできなかったが、もうこれで最後ならちゃんと言葉で感謝を伝えよう。

子ども達にもありがとうを言おうと思っていた。

以前、ある会に入っていた時、「世界の平和を祈りましょう。世界平和より自分の家族の幸せを祈るのはエゴです」と言われ、それは違うのではないかと反論したことがあった。

自分の周りを、自分の家族を幸せにできなくて、どうして世界を幸せにできるのか?

そう思って反論したのだが、当時の私はまだ何もかもがはっきりと理解できていなくて、うまくそれを伝えられず猛反撃をされた。

自分さえよければいい、自分の家族さえよければいい、自分の会社さえよければいい、日本さえよければいいというのはエゴだ。

でも自分自身が幸せを感じていないのに、いきなり世界平和を祈るのは無理だ。

だからまずは自分の周囲の人たちの幸せを祈り、相手を幸せにしようと努力することだ。

みんながそのようにしていったら、きっと世の中全体も良くなってくだろう。

ただ、相手の気持ちを考えずに愛の押し売りをするようなストーカーみたいなのはエゴなので、相手の気持ちを尊重することが前提。

初夢ならぬ今年最後の夢は、自分自身の思いをもう一度確認するような夢だった。









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旅に行きたい

2014-12-28 17:43:33 | 日記
長男パインが大学のある町から帰ってきた。

今回はこちらで免許の更新に行かなければいけないパインだが、三が日が終ったらすぐに大学に戻らなければならないとかで、たった一日しか免許更新に行ける日がない。

吹雪などで交通機関が止まったらアウトになりかねない。

「もっと早く帰って来たらよかったのに」と言うと「昨日までバイトをしていたから帰れなかった」と言った。

パインはホテルで給仕のバイトをしているのだが、年末は特に忙しく帰る日の午前1時まで働いていたとか。

どうしてそんなに一生懸命アルバイトに精を出しているのかと言うと、来春の卒業旅行で海外に行きたいと思っていたからだそうだ。

「海外ってどこ行くの?」と聞くと「ヨーロッパへ行きたいと思っていたんだけど・・・」と言う。

旅行に行くことはかまわないのだが、男の子とはいえ危険なこともあるので「ちゃんとしたツアーに入りなさいよ」と忠告した。

するとパインは「実は大学を半年休学して、世界中の国を旅して来た友だちが、この前帰ってきたんだ」と話してくれた。

その友だちはもちろん男の子なのだが、中国、インド、パキスタンなど、さらにはアメリカ大陸もたった一人で旅をしてきたそうだ。

その友人によると、旅先で同じように一人で旅をする日本人の若者とたくさん出会ったそうだ。

そして、みんな一様に「深夜特急」を読んでいたそうだ。

「深夜特急」 なんとも懐かしい本の題名だ。。。

深夜特急は1986年に出版された沢木耕太郎さんの紀行小説で、第一便は実際に沢木耕太郎さんがバスだけを乗り継いでインドのデリーからロンドンまでの旅行記になっている。

その後も著者の旅行体験に基づいた旅行記が第二便、第三便と出版されて、若かった自分もバックパッカーになったような気持ちで夢中で読んだ記憶がある。

そして、ちょうど同じ頃、夫も夢中で深夜特急を読んでいた。

夫は私より夢中になり、今でも沢木耕太郎さんの深夜特急を大切に取ってある。

ところが、その深夜特急を夫はパインに「読んでごらん」と言って、ずっと前に渡していたそうだ。

もちろんパインも夢中で読んだらしい。

それを読んだからパインもヨーロッパで同じような旅をしようと思っているのだろうか?

それにしても現代でも深夜特急を読んだ若者たちが沢木さんと同じような旅に憧れて、海外へ旅に出ていたとはすこし驚きだった。

あの頃とは世界の情勢もずいぶん変わってきたと思うが、日本を飛び出して世界を見たいと言う若者の気持ちは今も変わらないのかもしれない。

「その友だちは海外で危険な目に遭わなかったの?」と聞くと「いや、いろいろ危険があったらしい」とパインが言った。

それはアメリカでのことだそうだ。

友人はアメリカでは自転車に乗って旅をしていたとか。

自転車で走っていると、車に乗った優しそうなおじさんが話しかけてきたそうだ。

おじさんは食事をごちそうしてくれて、さらに「泊まる所が決まっていないのなら家に泊まっていきなさい」と言ってくれたとか。

ここで普通の大人なら「ちょっと怪しいぞ」と思うところだが、まだ人生経験の浅い若者は「なんていい人だ」と思い込んでついて行ったそうだ。

連れて行かれた家に入った途端、優しいおじさんはとつぜん態度ががらりと変わり、怖いおじさんに豹変したのだそうだ。

つまりホモセクシャルだったわけですね・・・

間一髪で友人は窓から荷物を放り投げ、自らも窓から飛び降りて自転車に飛び乗ると、そのまま無我夢中で3時間ペダルをこぎ続け、無事に逃げ切ることができたそうだ。

そんな体験を聞かされたパインは、すこし考えが変わったようだ。

日本にいるような気分で外国に行ったら、大変なことになることもあると・・・

で、最初の話に戻るわけだが「ヨーロッパへ行こうと思っていたんだけどね、やっぱり日本の中を旅行するかもしれない」とパインが言った。

「そう、よく考えて決めたら」と言っておいた。

お金を節約しながら、しかも海外への旅は若いうちしかできないと思うので、それは本当によい経験になるだろう。

・・・が、やはり旅は、特に海外は十分に気をつけて行ってほしいと思う。

実際に海外を旅をしてきた友人の話は、パインにとってかなり参考になったのかもしれない。






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鳥もいそがしい!?

2014-12-26 14:01:48 | 日記
外は一面の銀世界になった。

さぁ~て、そろそろかな。

今年もまた庭に設置してある鳥の餌台に餌を置き始めた。

雪が降って餌が少なくなる季節は、毎年餌を置いている。

そして毎日、餌を食べに来る野鳥を観察するのが冬の楽しみになっている。

昨シーズンは異常気象のせいで(最近はずっと異常気象ですが)普段は見ることのできない珍しい鳥ベニヒワが来た。

今年はまだヒヨドリとゴジュウカラくらいしか来ていないが、これからどんな野鳥が来るのか楽しみだ。

ところで餌台に来る鳥たちを見ていて思うのは、どうしてもっと空いてる時に来ないのだろうか?ということ。

同じ時間に大勢で来るものだから、いつも狭い餌台を巡って熾烈な戦いが始まる。

そして勝った鳥が餌台に陣取り、餌を食べに来たほかの鳥を追い払っている。

一羽としてだ~れも餌台に来ないという時間はけっこうあるのになぁ。

そういう時に来ればいいのに・・・と思ったりして。

ところで、まだ餌を置き始めたばかりで野鳥達に「ここに餌がある」ってことが知れ渡っていないせいか、庭にやって来る鳥は少ない。

「ぜんぜん来ない・・・」

餌台を見ながらそうつぶやいていたら「鳥もいろいろ忙しいんだろ」と夫に言われた。

そうね・・・きっと鳥もいろいろあって忙しいのだろう。

というわけで、今日はいつでもヒマな鳥の紹介。

ひさしぶりにオカメインコのP太郎です。


金髪のモヒカンがステキでしょ。



大好きなテッシュ箱の横で、気持ちよく歌っているP太郎。
自慢じゃないですが、ものすごく音痴です。



窓から外の景色を見て、何を考えているのか。
(たぶん何も考えていない)

人間に飼われているペットで犬や猫などはそうだと思うが、鳥も飼い主の言っている言葉をある程度理解しているのではないかと思うことがある。

P太郎はとても臆病で、突然なにかに驚いて部屋の中を狂ったように飛び回ることがある。

それは窓の外を大きな鳥が横切ったとか、聞きなれないような音がしたとか、そういうことに驚くのだと思うが、あまりにP太郎がビクビクして可哀想だったので、手に乗せて語りかけたことがあった。

「大丈夫。何があっても必ずお母さん(私)が守ってあげるから。だから安心していいんだよ」

じっと私の顔を見て、私の話す言葉を聞いているかのようだったが、それ以来、なにかに驚いた時は必ず私の元へ飛んでくるようになった。

まるで私の言ったことを理解したかのように。

というわけで、ますますP太郎が可愛くて仕方がない親ばかな飼い主です。








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いくらやっても後悔するかも

2014-12-24 12:34:51 | 介護
今朝、お姑さんが「夢を見た」と話をしてくれた。

夢の中にお姑さんの父親が出てきたそうだ。

お姑さんのお父さんは、歳をとってから歩く時に身体を横に揺するようにしてゆっくりと歩いていたそうだ。

亡くなったお父さんが身体をゆすって歩いている夢だったそうだが、夢を見たあともずっと父親のことを思い出していると言った。

「父は優しい人でけっして怒らなかった。私が母親に叱られていると、よくかばってくれた。だから父が戦争から帰ってきた時は本当に嬉しかったぁ」

なつかしそうに父親の話をするお姑さんの顔は、もう87歳の老婆ではなく小さな女の子のようになっていた。

「私は父親の言う事はなんでも言うとおりにしたの。でもいなくなると、もっと色々なことをしてあげればよかったと後悔ばかりしている。だから、あなたもお父さんを大事にしてあげて」

そう言ってお姑さんは涙をぬぐった。

「お父さんを大事にしてあげて」とは、高齢者住宅にいる私の父の事だ。

私がたまに父の所に行くので、お姑さんはそのように言ってくれたのだ。

ところで先日は父を連れて、父が元気だった頃によく一人で行っていたというお寿司屋さんへ行った。

すっかり出不精になった父なので、もしかしたら行かないというかもしれないと思ったが、珍しく「行きたい」と言ったので連れて行った。

高齢者住宅に父を迎えに行くと、父はすでに身支度を整えて待っていてくれた。

「体調はどう?」と聞きながら、父の顔色を確認する。

顔色はまあまあかな。

とりあえずバッグの中にはビニールの袋を用意してきた。

最近、父は歩くと吐くようになった。

店までは車だが、それでも多少は歩かなければいけないので、父と一緒の時は必ずビニール袋を持つようにしている。

車の中でも「大丈夫?気分は悪くない?」と何度も聞きながら行ったが、「大丈夫だ」と言う父の顔色は悪くなかった。

途中で妹たちとも合流して、皆でお店に行ったのだが、最近、食が細くなってきた父が、お寿司を美味しそうに全部平らげていた。

みんなで食事をしながらしている会話を父もにこにこと聞いていた。

さて食後しばらく時間を置いてから、また父を高齢者住宅に送って行くことになったが、片道15分くらいの車中で父が歯をカチカチし始めた。

カチカチカチ・・・

これが始まるってことは、具合が悪いってことだ。

父の顔色がすこし悪くなってきたように見える。

「大丈夫だ」と父は言うが、あまり大丈夫ではないのかもしれない。

やっと高齢者住宅に着き、廊下を歩いて父の部屋の向かう途中から急に父の具合が悪くなってしまった。

食べ物は吐き出さないものの、時々吐き気がくるようで何度も立ち止まる。

身体を支えながらなんとか部屋の中に入ったが、もう限界だったようで食べ物を吐き出してしまった。

父が吐く前にビニール袋を用意していたので部屋は汚さずにすんだが、たべたお寿司は全部出してしまった。

「どうしてこうなるのかなぁ」と悔しそうに言う父に何と言ってあげたらよいのか分からなかった。

「ゆっくり休んで」と言ってベッドに寝かせた。

私は6歳で病気になり半年以上も学校を休んで入院していたが、中学生で完治するまで定期的に通院しなければいけなかった。

病院はいつも父が連れて行ってくれたが、病院帰りに街のレストランで食事をしてアイスクリームを食べさせてもらうのが楽しみだった。

そんな病弱だった私に父はいつもこう言った。

「なんだか顔色が悪いぞ。具合悪くないか?」

ヒョロヒョロのやせっぽっちで、いつも青白い顔をしていた私を心配してくれた父だったが、いつの間にか立場が反対になってしまった。

87歳のお姑さんが今も父親にしてあげたかったことを思って後悔しているように、きっといくらやっても親の死後に後悔することになるんだろうなぁ。

親孝行いくらやっても物足りず











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芸術は癒し

2014-12-17 16:01:22 | 日記
以前、長女チェリーが美術を習っていた先生から連絡を頂いた。

先生が病に伏せて教室を休むことになって以来なので、本当に久しぶりだった。

先生からの連絡とは、芸術に関するレクチャーのお誘いだった。

「今度ホスピタルアートについてレクチャーをするのですが、そこでチェリーちゃんのことやチェリーちゃんの作品を紹介してもよいですか?」とのこと。

先生は病気で入院をしている患者さんや通院してくる方々の心が少しでも和むようにと、今まで病院内に絵画などの作品を展示する活動をしてこられた。

チェリーの作品も飾ってもらったことがある。

ご自身が病気になり、ますますホスピタルアートの活動に力を注ぐようになったそうだ。

チェリーの紹介なんて本当にもったいないようなお話で、即座に了解して当日はチェリーと一緒にレクチャーを聴きに行くことにした。

軽い気持ちでチェリーと行ったのだが、そこには病院関係者をはじめ大学の先生たち、障害者に携わる団体の代表、また芸術家の方など、ふだんはあまり会うことのない方々がいらしていた。

第一部では障害を持った方々の作品を紹介し、その中でチェリーの作品も取り上げてもらった。

そして第二部は美術史家でもありアートミーツケアの専門家でもある米国人ブルースさんの講演だった。

福祉の先進国スウェーデンにある病院についてスライドで写真を使ってのお話だったが、これは私の好きなインテリアと重なることもあって非常に興味深い話だった。

スウェーデンにあるヴィダールクリニーケンという病院は、日本でよく見るような白くて四角くて冷たいイメージの建物とは違い、使っている素材はすべて自然素材、暖かみのある色彩を使った病院とは思えないような美しい建物だった。

この病院では治療法も変わっていて、もちろん西洋医学での治療もしているのだが、食事療法や入浴療法、マッサージなどのほかに音楽や工芸、絵画などの芸術療法を行っている。

そういったホリスティックなアプローチによって「身体」「魂」「精神」の調和を取り戻していくことを助ける治療というのをしているそうだ。

日本ではまだまだそのような治療をしている病院は少ないが、今後は病院のみならず高齢者施設や障害者施設といった場所に芸術作品を展示し、患者さんや利用者さんの心のケアに役立てたいとのことだった。

また芸術を生み出す側についても、障害者が描いた絵を入れた家具など商品化しようという取り組みが道内でも始まっているそうで、もしもそれが実現されれば障害を持つ人たちの自立するためのひとつの道にもなりそうだ。

「窓の外に何を見ているのかがとても大事」とブルースさんが言った。

「毎日、病院の窓から自然を見て過ごす患者さんと隣のビルの壁を見て過ごす患者さんを比べると、病気が治るスピードがぜんぜん違う。これはエビデンス(証拠)がたくさんあるネ」とおっしゃった。

とはいえ、住む街や病院の場所によって窓から自然が見えるとは限らない。

だからアートなのだそうだ。

最後に司会者が言った。

「ここに先ほどのレクチャーでも紹介されましたアーティストが来ています。

ひとこと自己紹介をして頂きましょう。

アーティストのチェリーちゃんです!」

アーティスト!?

アーティストって誰?

周囲の目が一斉に隣に座っているチェリーに注がれた。

その瞬間、チェリーが涙目で叫んだ。

「無理!ぜったい無理。こんなにたくさん人がいるのに自己紹介なんてできないー!」

その時、先生が駆け寄ってこられ「無理ならしなくてもいいからね」とチェリーに言って下さった。

あ~ぁ・・・

でもチェリーの叫びがよい自己紹介であり、これで皆さんに分かって頂けたのではないかと思う。

先生の体調が万全ではなく、まだ教室の再開は叶わないが、これからもチェリーには好きな美術を続けていってほしいと思っている。










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父の認知症は

2014-12-12 15:10:13 | 介護
父が一年半ぶりに認知症の再検査を受ける日、午後から妹と一緒に病院へ付き添う予定をしていた。

ところが当日の朝、用事があって車で出かけたところ、道路はツルツルのアイスリンク状態。

あちこちで事故が起きているとラジオで言っていた。

父の病院まではかなり距離がある。

慎重に行こう。

そう思っていたら、妹から「危険だから無理に来なくてもいいよ。私だけで大丈夫だから」と電話があった。

ここは妹の厚意に甘えることにした。

妹からは検査結果が出たら、すぐに知らせてくれることになっていた。

検査は午後2時からのはずだった。

遅くても2時間くらい、午後4時くらいには終るかなと思っていたのだが、妹から電話があったのは5時を過ぎてからだった。

「遅かったね。もう家?」と聞くと、なんとまだ病院にいるとのこと。

妹の話によると、父の住む高齢者施設から病院まで普通の速度で歩いて3分程度の近さなのだが、その間、父は何度も吐き気を訴えては立ち止まっていたので、かなり時間がかかったのだそうだ。

また病院内でもすこし歩いては休み、また歩いては休むため、こんな時間になってしまったということだった。

身体の大きな父なので、妹が一人で支えながら歩くのは大変だっただろう。

やはり私も行けばよかったかもしれない。

ところで父の検査結果だが、前回は聞いていなかったような事実が判明して驚いた。

父の脳には、過去に何度も出血を起こした跡があったのだそうだ。

そのひとつは、あと数センチずれていたなら半身麻痺にさえなるような場所だったとか。

今は画像の進歩で、以前は分からなかった「無症状の脳内出血」も分かるようになったそうで、知らず知らずに脳内出血を起こしているかもしれないというのは怖いと思った。

しかし、一番驚いたのが父の認知症の病名だった。

「レビー小体型認知症」

アルツハイマー認知症はよく聞くし、前回診て貰った時は、単に認知症としか言われていなかったので、父もてっきりそっちの方だと思っていたが、実は違っていたらしい。

レビー小体型認知症とは異常なたんぱく質が脳の神経細胞内にたまったことで起きるそうで、パーキンソン病と似ているそうだ。

なぜたんぱく質がたまるのか、その原因はよく分かっていないそうだが、糖尿病の人は罹り易いとも言われているとか。

父も軽度の糖尿病と診断され、現在は薬を服用しているが、ごく初期の軽い糖尿病だと言われていた。

しかし、今回一緒に検査をしたところ、しっかりと糖尿病の数値が現れていて「これはもう立派な糖尿病です」と医師から言われたそうだ。

さてレビー小体型認知症だが、その症状を調べてみて、今までの父の様子すべての辻褄が合った。

具体性があり生々しい幻視、幻覚症状がある。

これは父が自分の部屋に不審者が入ってきたとの訴えと合う。

日によって症状に変動がある。

これも全くその通りで、まったく昔の父と変わらないようにしっかりしている日もあれば、寝てばかりいて目の焦点が合っていないような日もある。

さらにパーキンソン症状と言われる運動機能の低下が見られる。

父の歩き方は、まるでパーキンソン病の人のようだと思ったことがあったが、やっぱりか・・・という感じだ。

ほかには自律神経の障害により起立性貧血を起こすことがあるなど、これは歩きながら吐き気を催すことからもその症状が出ていることが分かる。

ほかにもそうだったのかと合点がいく事が数多くあった。

ただしほかの認知症が完治しないように、レビー小体型も完治することはない。

「身体の機能が失われるのにあと5年でしょう。もっと若ければ糖尿病の方をしっかり治すように厳しい食事療法もするのですが、お父さんは高齢ですから、そこまでしなくてもいいのではないかと思います。
実は80歳を過ぎた自分の母も同じなのですが、母にはもう何でも好きな物を食べなさいと言っています。これはご家族の意思にお任せしますが」

妹はそのように医師から言われたそうだ。

妹も私も残り時間の少なくなった父に厳しい食事療法は望まない。

きっと弟も同じだと思う。

あまりたくさんではなければ、父には好きな甘い物を食べさせてあげたいと思う。

まだ自分で歩いて移動することはできるので、なるべく外へ連れ出したり、父の話をたくさん聞いてあげたいと思っている。

もう母の時のように後悔しないためにも。







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はたらく幸せ

2014-12-09 14:44:06 | 日記
長女チェリーは朝が苦手。

前夜、早めに布団に入っても翌朝はなかなか起きられず、いつも起こすのに苦労している。

ところが、昨日の朝は珍しく早く起きてきた。

なぜ自ら早く起きてきたのかと言うと、昨日はコーヒーの予約注文が15杯入っていたからだそうだ。

チェリーは現在、就労支援を使ってコーヒーショップで働いている。

とあるビルの中にあるお店なのだが、路面店ではないため、来る人が限られているのと、営業時間が昼食時からの2時間だけと、とても短いこともあって、一日に出るコーヒーはせいぜい15杯程度、少ない時などは一ケタしか出ないとか。

ところが、昨日は一日分に匹敵する15杯もの予約が一度に入ったのだそうだ。

チェリーが張り切るのも無理は無い。

夕方、帰ってきたチェリーに話を聞いたところ、ビル内にある会社の会議にコーヒーを運んだのだとか。

「偉い人にもコーヒーを出したんだよ。どうぞって言ってね、こうやって・・・」

そう言いながら両手でコーヒーを出す仕草をして見せてくれた。

「恥かしがらずに、よく出せたね」と言うと、チェリーは「ぜんぜん大丈夫だった」と得意気な顔をした。

知的障害があり、さらに他人の視線があると極度に緊張するチェリーが、知らない人がたくさんやってくるコーヒーショップでやっていけるのだろうかと最初は思っていた。

案の定、緊張から毎日のように腹痛を起こし、指導をして下さる職員さんに「どうしても無理だったら、配置を替えましょう」と言われていた。

それがお客様から「美味しかったよ」と言ってもらえることに喜びを感じ始め、すこしずつ腹痛も起こさなくなってきた。

しかし、「見ていないから緊張しなくてもいいよってお客さんに言われちゃった」と言うチェリーの話からすると、やっぱりまだまだ他人からの視線に緊張しているのだなと思うのと同時に、そうやって言って頂けることを本当に嬉しくありがたく思う。

朝は相変わらず苦手なチェリーだが、毎朝元気に仕事に行くチェリーを見ていたら、以前読んだ本を思い出した。

働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと~(大山泰弘氏著) 

著者の大山氏は知的障害者が社員の7割を占めたまま、50年間経営を維持しているチョーク会社、日本理化学工業(株)の経営者。

最初は障害者を雇うことにあまり気乗りがしなかった大山さんだったが、養護学校の先生に頼まれて二週間と言う期限付きで体験入社をさせてあげたそうだ。

すると彼らは本当に楽しそうに仕事をしたそうだ。

障害者はなかなか仕事が無かったので、働いて誰かの役に立ったり、必要とされることが最高の喜びになったからだとか。

会社の敷地内には「働く幸せの像」というのが建っていて、人間の究極の幸せには4つあるそうで、そこにこのような言葉が刻まれているそうだ。

「人に愛されること 人にほめられること 人の役にたつこと 人から必要とされること」

チェリーの姿を見ていると、まさしくそうだなと思う。













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返事を待ちながら

2014-12-05 15:40:07 | 日記
前回、毎日の神まつりと先祖供養のおかげで絶対の安心感の中にあると書いたばかりだが、まるで「それは本当か?」と確かめられるような出来事があった。

きっかけは、家から離れて大学生活を送る長男パインと連絡が取れなくなったことだった。

夫がパインに用事があって携帯電話にかけたが、パインは出なかったそうだ。

こういうことはよくあることで、きっと忙しくて電話に出られず、また時間が経って電話があったことも忘れているのだろう。

私も夫もパインから電話が来ないことは、特に気にしていなかった

ところが「パインから連絡があったか?」と夫に聞かれて、「あっ」と気づいた。

そういえばあれから数日たつが、パインから電話はなかった。

私は「きっと忙しくて忘れているんでしょう」と言ったが、「用事があるからパインに電話をして」と夫に言われたので、夜7時過ぎに電話をかけてみた。

呼び出しはしているものの、まったく出ない。

仕方なく「用事があるから電話して」とメールをしたのだが、その後もパインから連絡はなかった。

午後9時を回っても返事はなく、再び電話をかけても呼び出し音は鳴っているが、パインが電話に出る気配はなかった。

大学で忙しいのだろうか?

それとも友だちと遊び呆けている?

もしやバイト中?

でもバイトは休日にしかやっていなかったはずだし・・・

どちらにしろ、パインは携帯を肌身離さず持ち歩いているので、何度も連絡が来ている事くらい分かるはず。

これだけ家から電話があれば、返事があってもいいはずだが。

過保護な親だと言われも仕方がないが、携帯電話というものが現れて、いつでもどこでも連絡が取れるようになると、今度は連絡が取れないことが非常に不安になる。

夜10時を回ってもパインからの連絡はなかった。

こんなに連絡が来ないのは初めてだった。

何かあったのだろうか。

夫と二人でそう言いながら、だんだん良くない想像をし始めていた。

たとえば一酸化中毒でアパートの部屋で倒れてたら・・・

一度そのような考えが浮かぶと、それが頭から離れなくなる。

ダメよ、ダメダメ~

冗談ではなく、そのようなことは絶対に考えまいと悪い考えを何度も打ち消していた。

目を閉じて深く静かに呼吸をした。

何度か呼吸を整えて自分の中へ入っていく。

すると「喜び」が沸きあがってきた。

「大丈夫だ」と思った。

想像したような最悪の事にはなっていない。

その瞬間そう確信した・・・が、このようなことが起きると、私はすぐに馬脚が現れるのだ。

特に自分の命よりも大切な子どもの事となると、心配のあまり自分の心の中から湧き上がってきたことを信じられなくなる。

「あ~だめだ。心配だから警備会社の人に様子を見に行ってもらったらどう?」

そう夫に言った。

パインのアパートは緊急の場合、警備会社に安否確認をしてもらえることになっていた。

「まだそこまでしなくてもいいんじゃないか」と最初は言っていた夫だったが、11時近くになってもパインから連絡が無いので、私が警備会社に連絡することを了承してくれた。

さっそく警備会社に電話をした。

警備会社では立会人がいないとアパートの部屋には入れないそうだが、外からの安否確認に行ってくれることになった。

重苦しい雰囲気で夫と警備会社からの連絡を待っていると、突然携帯にメールが来た。

「生きてるよ。今バイト終ったところ」

パインからのメールだった。

身体の力が抜けるとはこのことだ。

パインからあとで聞いたのだが、いつもは休日にしかやらないバイトだったが、平日に宴会のバイトを頼まれ(バイトはホテルのボーイさん)、夜11時近くまで働いていたそうだ。

仕事中、携帯電話はずっとロッカーに置いてあり、電話があったことを知らなかったとか。

警備会社の方にはパインから連絡があったことを伝え、丁重にお礼を述べた。

すると警備会社の方が「それはよかったですね!私もとても嬉しいです」と本当に嬉しそうにおっしゃって下さり、非常に感激だった。

でも、それだけ私の最初の電話が切羽詰ったような話しぶりだったのかもしれない。

それにしても、絶対の安心感の中に居られるのはまだまだだな~と、今更ながら思い知らされた出来事だった。











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歯ぎしり

2014-12-02 14:26:08 | 日記
コリコリコリ・・・ねずみが柱をかじっているのかな。

キリキリキリ、ギリギリギリ、ギギギ~ッ・・・しだいに音が大きくなってきた。

はっと目を覚ましたら、ねずみではなく隣に寝ている夫の歯ぎしりだった。

夫の歯ぎしりは今に始まったことではない。

結婚して以来、ほぼ毎日のように聞かされる歯ぎしりは、もうかれこれ二十数年たつだろうか。

でも本人が知らないだけで、きっと結婚前から続いているのだろうと思う。

夫が歯ぎしりを始めると、隣で寝ている私はおもむろに手、もしくは足をスタンバイする。

(最近は寒くて、布団から手を出すのが嫌なので、足の方が多い)

歯ぎしりが大きくなってきたら夫を起こすために、いつでも伸ばせるようにしておく。

いえ、いえ、決して蹴飛ばすなんてことはしません。

そっと触れるだけです。嘘じゃありませんから。(必死に弁解)

夫を起こすのは、歯ぎしりの音がうるさいからではなく(それもすこしあるけど)、夫の歯が心配なためだ。

強い力をかけて歯ぎしりをすると、歯の根元がひび割れることもあるとか。

歯は大切ですからね。。。

夫からも「もし歯ぎしりをしていたら起こしてくれ」と言われているので、仕方なく(弁解がましい)足で起こしてあげている。

ところで、夫が歯ぎしりをしたら私が起こすことを決めているように、私がうなされたら夫が起こすということも決めてある。

私は若い頃から地下深く邪悪な世界に降りて行くような悪夢を見たり、時には本当に霊がやって来たりしてうなされることがよくあった。

そして、夜中に大声をあげて上半身を起き上がることもあった。

これはのしかかってきた霊を跳ね除けるために、力いっぱい起き上がった結果だったが、横で寝ている人はかなり驚くだろうと思う。

悪夢を見ていたり、霊が寄ってきたりしている時、誰かに声をかけてもらうと非常に助かるので、夫にはその旨を頼んであった。

今まで何度か夫には起こしてもらって助けられたが、夫も歯ぎしりをしている人を起こすのとは違って、かなり怖かったようだ。

「だいじょうぶかっ!?」と言いながら、ゆさゆさと身体を揺さぶられるのだが、夫の様子から私のうなされる声にかなり動揺しているのが伝わってくる。

しかし、うなされることも、ここ数年はすっかり無くなった。

これは毎日、神まつりと先祖供養をしているお陰だと思っている。

毎朝、ほんのわずかな時間、神仏に祈りを捧げているだけで、こんなに心に安心感が生まれるものだとは思ってもいなかった。

絶対の安心感がある。

もう絶対に邪悪な地下世界には行かないし、浮遊霊も寄って来ないだろうと思える。

仮に間違って浮遊霊さんが来てしまったとしても、もううなされることはないだろうと思う。

きちんとした応対で、お帰り頂けると思う。(どんな応対~?)

先日もう忘れてしまったが夢を見ていて、その時に私は何か声を発したらしい。

すると突然、ものすごい勢いで揺さぶられ、びっくりして飛び起きた。

目を覚ましたら、隣に寝ていた夫が「だいじょうぶか?」と言いながら、私を揺すっていた。

「うなったら起こしてね」と頼んだが、今のはうなり声じゃないんだけどなぁ。

「もううなされないから、これからは起こさなくてもいいよ」

夫にそう伝えておかなければと思う。

かるい咳払いでも激しく揺すり起こされるのはたまらない。

私が歯ぎしりをしている夫を起こすのは、まだ続きそうだけどね。

















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