義姉のご主人が亡くなって2年が経った。
今年も夫やお姑さんと一緒に姉の家へお参りに行ってきたのだが、姉の家のリビングの一角に義兄の写真や生前愛用した物がたくさん飾られたコーナーができていた。
昨年訪問した時にはなかったので、きっと最近飾ったのかもしれない。
義姉は普段はあまり感情を表に出すことはなく、義兄が亡くなってからも淡々としているように見えるが、実は今もまだ、とても落ち込んでいるのが分かる。
義姉の話す言葉の端から「私など、もうどうなってもいい」という姉の心が伝わってくる。
最愛の人がいなくなってからまだ2年・・・それは当たり前かもしれない。
ただ、私などどうなってもいい・・・という気持ちになっている義姉がそのようなことを思わなくなるように、以前のように元気になってほしいと心から願った。
その日はいつものように皆で普通の会話をして帰宅したのだけれど、その数日後、お姑さんに会いに我が家へやってきた義姉からとつぜん質問をされた。
「お父さん(義兄)はウチの中にいなかった?」
そのようなことを聞かれても困ってしまうのだが、義姉はたまにそう聞いてくる。
そして、私はいつも同じことを言う。
「もういないですよ」
義姉にしてみれば「まだウチにいる」と言ってほしいのだと思う。
生きていた頃のように、今もずっと一緒に暮らしていると思いたい義姉の気持ちはとてもよく分かる。
去年、弟である夫から「姉に話をしてやってほしい」と言われ、義姉に私が毎日行っている先祖供養の話をしたことがあった。
本当は義姉に本を渡して読んでもらうのが一番だと思ったのだが、夫から「話をするだけでいい」と言われて、私のやっている供養の仕方を伝えた。
間違ったことを伝えてはいけないと慎重に伝えたつもりだったが、その後どうしたか聞いたことはなかった。
「やってみる」と義姉は言っていたが、やるもやらないも姉の自由なので、私は特に確認することもしなかった。
そして今年、義姉の家のお仏壇にお参りをさせてもらったのだが、お線香が煙の少ないものから多いものへ変わっていた。
お線香の煙は多いほうがいいよと言ったことを実践しているのだなぁと思ったが、それ以外は今までと変わらない供養の仕方をしていることがわかった。
でも、それはまったく問題はないことで、私はがっかりもしないし怒ることもない。
私はただ伝えただけで、姉に無理にやってほしいとは全く思っていなかったから。
ところが、今回また「お父さんはウチの中にいるか?」と聞かれ、「いないと思います」と答えるとがっかりした表情を浮かべた義姉に、もう一度だけ伝えたいという想いが湧いてきた。
先祖に感謝をするという行為を通して、自分が生かされていることがどんなに素晴らしくありがたいことだったか知ってほしかった。
またそうすることで、元気を取り戻していってほしいと思った。
かつての私がそうだったように・・・
義姉は先祖供養ということにピンときていないのだと思う。
自分の知らない先祖達を感謝のみで供養するということが、まだストンと腑に落ちていないのだ。
語弊があるかもしれないが、先祖供養は苦しいときの神頼みといった感覚もあるのかもしれない。
しかし、何より義姉には誰もがみんな自分の中に「神様」を預かっていることを知ってほしかった。
もう私なんて・・・とは思わないようになるために。
義姉にもっとちゃんと伝えたい。
やっぱり本を渡したい。
そう思い、夫に相談すると今度はすんなりOKが出た。
そこで、さっそく書店へ走り本を購入した。
私が購入した本はこちらです→あなたにも「幸せの神様」がついている
実は、これは義姉に渡す本だが、渡す前に汚れないようにとそっと扱いながら、今もう一度読み返している。
何度読んでも新鮮な気持ちなれるということもあるが、読んでいる間なぜかずっと心地よさを感じられる。
心地よさを感じる本というのは、なかなか巡り会うことは少ない。
義姉には私と同じように心地よさを感じてくれたら嬉しいなぁと思いながら、次に義姉が我が家へ来る日を心待ちにしている。
今年も夫やお姑さんと一緒に姉の家へお参りに行ってきたのだが、姉の家のリビングの一角に義兄の写真や生前愛用した物がたくさん飾られたコーナーができていた。
昨年訪問した時にはなかったので、きっと最近飾ったのかもしれない。
義姉は普段はあまり感情を表に出すことはなく、義兄が亡くなってからも淡々としているように見えるが、実は今もまだ、とても落ち込んでいるのが分かる。
義姉の話す言葉の端から「私など、もうどうなってもいい」という姉の心が伝わってくる。
最愛の人がいなくなってからまだ2年・・・それは当たり前かもしれない。
ただ、私などどうなってもいい・・・という気持ちになっている義姉がそのようなことを思わなくなるように、以前のように元気になってほしいと心から願った。
その日はいつものように皆で普通の会話をして帰宅したのだけれど、その数日後、お姑さんに会いに我が家へやってきた義姉からとつぜん質問をされた。
「お父さん(義兄)はウチの中にいなかった?」
そのようなことを聞かれても困ってしまうのだが、義姉はたまにそう聞いてくる。
そして、私はいつも同じことを言う。
「もういないですよ」
義姉にしてみれば「まだウチにいる」と言ってほしいのだと思う。
生きていた頃のように、今もずっと一緒に暮らしていると思いたい義姉の気持ちはとてもよく分かる。
去年、弟である夫から「姉に話をしてやってほしい」と言われ、義姉に私が毎日行っている先祖供養の話をしたことがあった。
本当は義姉に本を渡して読んでもらうのが一番だと思ったのだが、夫から「話をするだけでいい」と言われて、私のやっている供養の仕方を伝えた。
間違ったことを伝えてはいけないと慎重に伝えたつもりだったが、その後どうしたか聞いたことはなかった。
「やってみる」と義姉は言っていたが、やるもやらないも姉の自由なので、私は特に確認することもしなかった。
そして今年、義姉の家のお仏壇にお参りをさせてもらったのだが、お線香が煙の少ないものから多いものへ変わっていた。
お線香の煙は多いほうがいいよと言ったことを実践しているのだなぁと思ったが、それ以外は今までと変わらない供養の仕方をしていることがわかった。
でも、それはまったく問題はないことで、私はがっかりもしないし怒ることもない。
私はただ伝えただけで、姉に無理にやってほしいとは全く思っていなかったから。
ところが、今回また「お父さんはウチの中にいるか?」と聞かれ、「いないと思います」と答えるとがっかりした表情を浮かべた義姉に、もう一度だけ伝えたいという想いが湧いてきた。
先祖に感謝をするという行為を通して、自分が生かされていることがどんなに素晴らしくありがたいことだったか知ってほしかった。
またそうすることで、元気を取り戻していってほしいと思った。
かつての私がそうだったように・・・
義姉は先祖供養ということにピンときていないのだと思う。
自分の知らない先祖達を感謝のみで供養するということが、まだストンと腑に落ちていないのだ。
語弊があるかもしれないが、先祖供養は苦しいときの神頼みといった感覚もあるのかもしれない。
しかし、何より義姉には誰もがみんな自分の中に「神様」を預かっていることを知ってほしかった。
もう私なんて・・・とは思わないようになるために。
義姉にもっとちゃんと伝えたい。
やっぱり本を渡したい。
そう思い、夫に相談すると今度はすんなりOKが出た。
そこで、さっそく書店へ走り本を購入した。
私が購入した本はこちらです→あなたにも「幸せの神様」がついている
実は、これは義姉に渡す本だが、渡す前に汚れないようにとそっと扱いながら、今もう一度読み返している。
何度読んでも新鮮な気持ちなれるということもあるが、読んでいる間なぜかずっと心地よさを感じられる。
心地よさを感じる本というのは、なかなか巡り会うことは少ない。
義姉には私と同じように心地よさを感じてくれたら嬉しいなぁと思いながら、次に義姉が我が家へ来る日を心待ちにしている。