ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

元気になってもらいたくて

2014-02-28 17:15:29 | 日記
義姉のご主人が亡くなって2年が経った。

今年も夫やお姑さんと一緒に姉の家へお参りに行ってきたのだが、姉の家のリビングの一角に義兄の写真や生前愛用した物がたくさん飾られたコーナーができていた。

昨年訪問した時にはなかったので、きっと最近飾ったのかもしれない。

義姉は普段はあまり感情を表に出すことはなく、義兄が亡くなってからも淡々としているように見えるが、実は今もまだ、とても落ち込んでいるのが分かる。

義姉の話す言葉の端から「私など、もうどうなってもいい」という姉の心が伝わってくる。

最愛の人がいなくなってからまだ2年・・・それは当たり前かもしれない。

ただ、私などどうなってもいい・・・という気持ちになっている義姉がそのようなことを思わなくなるように、以前のように元気になってほしいと心から願った。

その日はいつものように皆で普通の会話をして帰宅したのだけれど、その数日後、お姑さんに会いに我が家へやってきた義姉からとつぜん質問をされた。

「お父さん(義兄)はウチの中にいなかった?」

そのようなことを聞かれても困ってしまうのだが、義姉はたまにそう聞いてくる。

そして、私はいつも同じことを言う。

「もういないですよ」

義姉にしてみれば「まだウチにいる」と言ってほしいのだと思う。

生きていた頃のように、今もずっと一緒に暮らしていると思いたい義姉の気持ちはとてもよく分かる。

去年、弟である夫から「姉に話をしてやってほしい」と言われ、義姉に私が毎日行っている先祖供養の話をしたことがあった。

本当は義姉に本を渡して読んでもらうのが一番だと思ったのだが、夫から「話をするだけでいい」と言われて、私のやっている供養の仕方を伝えた。

間違ったことを伝えてはいけないと慎重に伝えたつもりだったが、その後どうしたか聞いたことはなかった。

「やってみる」と義姉は言っていたが、やるもやらないも姉の自由なので、私は特に確認することもしなかった。

そして今年、義姉の家のお仏壇にお参りをさせてもらったのだが、お線香が煙の少ないものから多いものへ変わっていた。

お線香の煙は多いほうがいいよと言ったことを実践しているのだなぁと思ったが、それ以外は今までと変わらない供養の仕方をしていることがわかった。

でも、それはまったく問題はないことで、私はがっかりもしないし怒ることもない。

私はただ伝えただけで、姉に無理にやってほしいとは全く思っていなかったから。

ところが、今回また「お父さんはウチの中にいるか?」と聞かれ、「いないと思います」と答えるとがっかりした表情を浮かべた義姉に、もう一度だけ伝えたいという想いが湧いてきた。

先祖に感謝をするという行為を通して、自分が生かされていることがどんなに素晴らしくありがたいことだったか知ってほしかった。

またそうすることで、元気を取り戻していってほしいと思った。

かつての私がそうだったように・・・

義姉は先祖供養ということにピンときていないのだと思う。

自分の知らない先祖達を感謝のみで供養するということが、まだストンと腑に落ちていないのだ。

語弊があるかもしれないが、先祖供養は苦しいときの神頼みといった感覚もあるのかもしれない。

しかし、何より義姉には誰もがみんな自分の中に「神様」を預かっていることを知ってほしかった。

もう私なんて・・・とは思わないようになるために。

義姉にもっとちゃんと伝えたい。

やっぱり本を渡したい。

そう思い、夫に相談すると今度はすんなりOKが出た。

そこで、さっそく書店へ走り本を購入した。

私が購入した本はこちらです→あなたにも「幸せの神様」がついている

実は、これは義姉に渡す本だが、渡す前に汚れないようにとそっと扱いながら、今もう一度読み返している。

何度読んでも新鮮な気持ちなれるということもあるが、読んでいる間なぜかずっと心地よさを感じられる。

心地よさを感じる本というのは、なかなか巡り会うことは少ない。

義姉には私と同じように心地よさを感じてくれたら嬉しいなぁと思いながら、次に義姉が我が家へ来る日を心待ちにしている。






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一緒に生きましょう

2014-02-24 15:50:49 | 日記
毎日かかさずにしている先祖供養だが、時々故人のことが浮かんでくることがある。

そのような時には、その方々に召し上がって頂けるようにお線香を手向ける。

もちろん何も思い浮かばないことの方が多いので、ほとんど毎日淡々と供養をさせて頂くのだが、ここしばらくの間、先祖供養をする度に思い出されるのは水子さんたちのことだった。

水子さんというのは、この世に生まれてくることができなかったこどもや幼くして亡くなった方々のことだが、長い歴史のなかには、どこの家庭にも水子さんというのはいらっしゃる。

毎日、そのような水子さんたちにお線香を手向けてはいるのだけど、今回は私が流産した2人の子供たちのことと、私が生まれる前に母が流産したこどものことが毎日思い浮かんで仕方がなかった。

私が流産したのは、長男パインを産む前で、ひとり目は心臓が動いていなかった。

そして2人目は突然の大出血があり流れてしまった。

ずっとこどもを待ち望んでいたので、2度の流産は本当にショックだった。

その後、3人の子供に恵まれたが、生まれて来れなかった2人のこどもたちのことは忘れたことがなく、何年経っても思い出すと涙が出そうになった。

でも、こんなメソメソした気持ちが明るく変わったのは、やはり先祖供養を始めてからだった。

今は「あなたたちの弟、妹たちと一緒に健やかに成長していってね」と祈りながら明るい気持ちで供養ができるようになった。

そして、私のきょうだい・・・私の兄か姉として生まれてくるはずだった赤ちゃんがいたことは、昔母から聞いて知っていた。

母が妊娠中、誤って階段から落ちて流産したのだそうだ。

そんな兄姉がいたのは知っていたものの、ずっと忘れていたことだった。

それが最近になって、度々思い出すようになった。

「あぁ、今まで忘れていて悪かったなあ。本当にごめんなさい」

今まで何十年もの間、忘れていたことを、心から申し訳なかったと思った。

そこで、あらためて私のきょうだいへと、私の二人の子供の為にお線香を手向けることにした。

供養を続けるうちに、徐々に思い浮かぶことが少なくなっていったが、今朝はほとんど思い出さないまま先祖供養を終えた。

もちろん水子さん全般への供養はいつもしているが、わたしの子供と兄姉については特別に思い出すことはなかった。

ところで、昨日は長男パインがあらたな旅立ちをした日だった。

初めて、たった一人でカナダに向かって旅立っていった。

パインは春休みを利用してカナダで1ヶ月間、ホームステイをしながら英語の勉強をしてくる。

団体ツアーのように添乗員さんがいるわけでもなく、ひとりで飛行機を乗り継いでカナダまで行かなければならなかった。

カナダの空港には現地の職員さんが迎えに来てくれる予定だが、その方は空港からホームステイ先まで車で送ってくれるだけらしい。

見ず知らずの、しかも言葉の通じないカナダ人の家へ突然連れて行かれて、「ハイ、さよなら~」といなくなってしまうとは、なんとも心細いことだと思う。

昨日は新千歳空港まで見送りに行ったのだが、パインは元気そうに振舞っているものの、緊張の為にずっとあくびばかりしていた。

(パインは緊張するとあくびが出るくせがある・・・)

不安そうなパインに「大丈夫!楽しんでおいで!」

そう声をかけながら、心の中も「きっと大丈夫!」と思っていた。

昨日の朝、出発する前に先祖供養をしていたのだが、わたしの子供たちには「パインと一緒にカナダで楽しんでいらっしゃい」と声をかけていた。

そんなことからか、パインの乗った飛行機を見送りながら、パインと「あの世」で成長した二人の子供たちがわくわくした気分でカナダへ旅立っていくのを想像していた。

そして、わたしのきょうだいには「もう人生の半分以上が過ぎてしまったけれど、残りの人生を一緒に生きましょう」と声をかけた。

「もっと若いときに気づいて欲しかった」

そんな言葉も聞こえてきそうだが、なんのなんの・・・まだまだ残りの人生のジェットコースターは楽しそうだよ~






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美しい言葉

2014-02-17 14:41:32 | 日記
夫と二人で小椋佳さんのコンサートへ行ってきた。

夫が高校時代からのファンだそうで、昨年たまたま見かけた広告からコンサートがある事を知り、夫が喜ぶのではないかと思い、私がチケットを購入していた。

案の定、夫はとても喜んでコンサートを楽しみにしていたが、実は私の方はあまり小椋佳さんのことを知らなかった。

「シクラメンのかほり」や「愛燦々」などの歌を作った人というくらいの認識だった。

でもコンサートへ行くなんて久しぶりなので、私も楽しみにして行ったのだが、会場に着いて驚いた。

会場前に並んでいる人が多いこと!

こんなに多くの人が来るとは正直思っていなかった。

小椋佳さんの人気にはびっくりだった。

さらに驚いたのは、ファンの年代の高さで、一番多い年代は60代くらいの方々だろうか。

なかには両脇を支えられながらの80代位のお年寄りもいらっしゃる。

50代の私たち夫婦は、まだ若い方かもしれないなんて思っていた。

さて、しばらく並んでやっと場内に入ることができたのだが、場内はほぼ満席で、会場内は高齢者がほとんどにもかかわらず開演前の期待と興奮の熱気が感じられた。

さすがに「うちわ」や「ペンライト」を持っている人はいなかったが、私の近くの席に座っていた高齢の男性などは、こぶしを突き上げる練習をしていた。

「はて、小椋佳さんの歌でこぶしを突き上げるような曲はあっただろうか?」としばし考えたが、コンサートが終ってみても、やっぱりこぶしを突き上げるような曲はなかったような・・・

あれは、ただの肩こりの運動だったのだろうか?

それはさておき、コンサート自体は小椋さんのおしゃべりも歌も素晴らしかった。

小椋さんは、先日の大雪の時に転んで腕を骨折されたそうで、ギブスをしての痛々しいお姿だったが、今年70歳になったとは思えないほど若々しい歌声だった。

そして、小椋佳さんのコンサートを初めて聴いて思ったのは、日本語の美しさだった。

母国語として当たり前に使っていた日本語が、小椋さんの歌やお話を聴いてとても美しいと思った。

小椋佳さんという方が日本語を非常に大切に思って使っていらっしゃるので、余計にそう思ったのかもしれない。

「花かんざし」「闌(たけなわ)」「山河(さんが)」などなど、小椋さんの口から出てくる聴きなれた日本語に、その美しさをあらためて気づかされたような気がした。

こんなに美しい言葉を、私たちはもっと誇りに思っていいとさえ思った。

ところで、小椋佳さんは今年9月に東京で「生前葬コンサート」というのを最後に引退されるのだとか・・・

70歳になったらやめようと、ずっと思っていらしたそうだ。

ということは、北海道でのコンサートはこれが最後ということ。

なんとも残念な気がしたが、最後のコンサートに行くことができてよかったと思った。

この日は、大雪で飛行機が欠航になり「東京に帰れなくなりました」ということで、コンサートの時間を大幅に延長して沢山のおしゃべりや歌を聴かせて頂くことができた。

帰る事ができなくなったのはお気の毒だったが、会場のファンからは喜びの拍手が起こっていた。

コンサートの心地よい余韻に浸りながらの帰り道、「よし!9月に最後のコンサートを聴きに東京へ行くぞ」と夫は言っていたが、どうなりますか・・・












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ごはんの仕度

2014-02-12 15:32:42 | 日記
長男パインが春休みの為、今朝帰ってきた。

パインからは「明日帰る」と言われていたので、昨日は大量の食品の買出しに行っていた。

一人暮らしで、野菜炒めなどは作っていると言っていたけど、あまり栄養を摂っていない様子のパイン。

帰ってくるたびに「また痩せたんじゃない?」と言うくらいほっそりとなっている。

せめて帰ってきている間は、しっかりと食べさせて太らせてやろうと、私はせっせと食事作りに励む。

ちなみに今日の献立は発酵玄米と小豆を炊いたご飯、コロッケ、サラダ、ヒジキの煮物などを作る予定。

コロッケはパインからの要望だったので、朝からジャガイモをたっぷり蒸してコロッケを作った。

あとは衣をつけて揚げるだけにしてある。

それから発酵玄米と小豆のご飯は、玄米を発酵させる機能がついた高圧力がかけられる炊飯器で炊く。

ご飯が出来上がるまで、発酵する時間を含めて約7時間くらいかかるが、それだけ時間をかけて炊くと、ぼそぼそして美味しくないというイメージの玄米が柔らかくなり、とても美味しくなる。

また、小豆はむくみなどによいとして昔から栄養価の高い豆と言われてきたもの。

しかし、なにより小豆を入れると玄米が美味しくなるので、時々こうして玄米と一緒に炊いている。

ちなみに玄米は残留農薬が心配なので、農薬を減らして作っている農家さんの玄米を購入している。

それから、デザートにはレモンが余っていたので、レモンをたっぷり絞り込んだチーズケーキを作った。

そうそう、もうひとつヨーグルトも食べさせよう。

ヨーグルトは風邪の予防によいとされるR-1のヨーグルト菌で作った。

最近、ヨーグルトメーカーを買ったのだが、これがなかなかよかった。

市販のヨーグルトと牛乳で作るのだが、ちゃんと普通の美味しいヨーグルトが出来上がる。

特に人気のあるヨーグルトは家族の分を毎日買うとなると、かなりのお値段になるのだが、こうして自分で作ると安くあげることができると思う。

また、最近、このヨーグルト作りで凝っているのが、豆乳で作ったヨーグルト。

牛乳よりあっさりとした味わいになりますが、どちらかというと私は豆乳ヨーグルトの方が好きかな~

「おかーさん、また増えたんじゃない?」

帰宅後、台所にやってきたパインが指をさして、そういった先には、ずらりと並んだ家電製品が・・・

発酵機能のついた高圧の炊飯器、蒸留水をつくる浄水器・・・そしてその横に、新にヨーグルトメーカーが加わっていた。

それから・・・

パインには教えていないが、台所の収納棚には、油を使わずに調理ができ、さらにお肉などの余分な脂を外へ出すという画期的な?フライパンもあるのよ。

こちらのフライパンは、ある程度の温度にしたらガスを止めて余熱で調理ができるという優れもの。

数年来、買おうかどうしようか迷っていたが、消費税も上がることだし、え~い!買ってしまえっと、先日購入したものだった。

もちろんお肉や魚を焼くだけではなく、パンや煮物、蒸し料理なども作ることができる。

最初は、短い時間の調理だけで、はたしてちゃんと味がしみるか心配だったが、その心配もなく美味しい煮物ができて大満足だった。

「健康によい」「おいしい食事が作れる」

この言葉に私はめっぽう弱い。

だから、掃除道具と同じくらい、調理器具も好きなのよねぇ。。。

でも、こうして作った料理を美味しいと言って食べてもらえることがなにより嬉しい。

多分、あれだけ昨日買った食材もあっという間になくなるでしょう~

さ~て、明日は何を作って食べさせようかなぁ





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晴れた日に

2014-02-07 14:22:11 | 日記
「正しく生きていたら、ちゃんと誰かが見ていてくれるものだよ」

夫から言われた一言で気持ちがすっと楽になったような気がした。

「誰かが見ていてくれる」

これは自分自身の心の奥にいる神様であり、また先祖霊なのだと受け止めた。

もちろん夫は、そういう意味で言ったのではなく、一般論として言っただけだが・・・

妹と言い争いをしてから、心が晴れない日が続いていた。

父へ持っていくおやつについてもそうだが、それ以外にも妹とは考え方の違いが色々とある。

長く妹と接していると「まったく自分勝手なんだから・・・」と思うことがよくあったが、それは母を早く亡くして、妹も苦労をしているし、姉である私に対する甘えなのだと思って大目に見ようと思っていた。

しかし、今回は私の堪忍袋の緒がぶち切れてしまった。

最終的には妹の涙で話を終らせてしまったが、本当はもっとたくさん、たとえ喧嘩になっても話し合わなければいけないことがあった。

ただ、すぐに妹と話し合うことは避けようと思った。

もう少し自分が冷静になるまで時間をかけなければいけない。

けっして感情に飲み込まれないようにしよう。

そう何度も自分自身に言い聞かせ、いつものように大自然の神々や精霊、そして先祖霊に対して感謝の供養を淡々と続けていた。

そして、つくづく感謝想起や先祖供養をやっていて良かったと思っていた。

これがなければ、私は巨大化した自我に翻弄されていただろうと思う。

自分自身が冷静になれるように時間を置き、感謝想起を続けて、今やっと心の奥が晴々としてきたような気がしている。

自分の良心が喜ぶ道を歩いていけばいい。

妹に私の考えを押し付けるようなことはしないでおこう。

私の考えを妹が分かってくれたら一番嬉しいが、そうじゃなくてもそれはそれでいい。

そういえば、ずっと昔にも同じようなことが妹との間であったことを思い出した。

今となってはなつかしく良い思い出になっている。

きっと、これもいい思い出になるのだろうな。

その話は長くなるので、またいつか書けることができたら書こうと思う。



すっきりと晴れた朝、本当に久しぶりに家の近くの林に入った。

熊さんたちは冬眠中のはずなので、出会うことはないだろうと思っての散歩だった。

冷たく澄んだ空気が気持ちよかった。



小さな川が流れているのだが、今はすっかり凍り付いて水が流れていなかった。

誰もいない静まり返った冬の山。

鳥の声だけが響いていた。

春が待ち遠しい。









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豆まき忘れた・・・

2014-02-04 12:25:22 | 日記
昨日、ご近所でお会いしたら立ち話などをする中国人の方から、手作りの餃子を頂いた。

春節だからお祝いに餃子を作ったのだという。

そういえば、中国では春節が本当のお正月だと聞いたことがある。

この中国の方の家の玄関には、日本の注連縄飾りのようなものだと思うが、色鮮やかなおめでたい絵が飾られていた。

さて、持ってきてくださった中国の方には、たくさんお礼を言って、さっそく餃子を頂いてみた。

皮がもっちりしていて美味しい!!

もちろん皮から手作りするのだそうだ。

私など餃子を作るときは、買ってきた皮を使っているが、やはり本場の手作り餃子は味が違いますね~

皮はもっちり、具はジューシーで本当に美味しかった。

中国というと、今や意味不明なことばかり言ってきて、油断できない嫌な国という印象が強いが、こうして個人的にお付き合いすると、日本人にも悪い人がいるのと同じように、中国人にも良い人はたくさんいる。

個人レベルでは仲良くすることができるのに、なぜ国同士になるといがみ合ってしまうのだろうか。

いつの日か、仲良くなれる日がくるのだろうか。

いつか中国と良い関係を築くことができる日まで、個人レベルで、国を越えて人間同士として仲良くしようと思う。

ところで、昨日は節分だったので、次女のピーチと買い物へ行ったついでに、豆まき用の豆を買おうかということになった。

実は昨日の夕食のメニューには、節分を意識して大豆を使ったサラダを用意していたのだけど、高校生のピーチの為に豆まきをしてあげたら喜んでくれるかな~と思ったのだ。

しかし、さすが高校生ともなると豆まきを楽しみにしている様子は全くなく「豆まきしてもいいけど、落花生は嫌いだから、違うのにして」とクールに言い放った。

ちなみに北海道では豆まきと言ったら落花生を蒔くのだが、ピーチはあまり落花生を食べないので、買ってきても余らせてしまう。

そこで、色々な種類の豆が小分けされた豆菓子の袋を買った。

これなら、それぞれ好きな豆を食べることができる。

ところが、何故か昨夜は豆まきをすることをすっかり忘れてしまった!

だれも「豆まきは?」と言ってくれなかったこともあるが、実は考え事をしていたので忘れてしまったのだと思う。

考え事・・・それは父の今後の介護についてだった。

今、一緒に介護をしている妹と意見の相違が出てきている。

妹は、施設に入っている父にせっせとおやつを運ぶのだが、元々甘いものが好きな父は持って言ったおやつを喜んでぱくぱく食べる。

すると、おやつでおなかが一杯になって、施設で出ているきちんと栄養管理された三度の食事が食べられないということになる。

妹には何度もおやつはやめようと話したのだが、「お父さん、今まで家に居たときには好きなように甘いものを食べていたのに、施設に入って甘いものが無いのは可哀そうだ」と言って、持って行くことを止めようとはしなかった。

「じゃあ、少しだけにしよう」

そう言って約束したはずだったのに、妹は、またいつの間にか山のようにおやつを運んでいる。

しかし今度は、いつもおやつを運ぶこと自体、妹の負担になってきているようで、自宅の事で忙しいことが重なるといらいらし始めた。

そして、そのイライラの矛先はこちらに向いた。

「お姉ちゃんもたまには持っていってよっ!すごく大変なんだからッ」

私は父にはおやつではなく、施設の食事を食べてもらいたいと思っているので、父のところに行くときは、ほとんどおやつ類は持っていかない。

そのかわり、父の気晴らしと足腰の鍛錬の為に外に連れ出してあげようと思っている。

妹には何度も「負担に感じているのなら持って行かなくてもいい」と言っているのだけれど、「お父さんがかわいそうだ」ばかり繰り返し、しまいには泣き出してしまった。

妹は、泣くほど追い詰められているのだろうかと思った。

そもそも、おやつを少なくすることがそんなにかわいそうなことなのか?

三食の食事を食べていればひもじいと言うのはありえないことだ。

また、すべておやつはダメと言ってるのではなく、たまには食べてもかまわないと思う。

きちんと食事ができず、痩せてきている父のほうが、長い目で見たらかわいそうなことになるのではないのかと私は思う。

父のお世話をしてくれている職員さんにお話を聞いたところ、やはり甘いものは父の為に控えて欲しいとの事だった。

そういった職員さんの話も含めて、もう一度姉妹で父の介護について話し合わなければ・・・

節分の昨日は、変えたい問題を変えるのには良いとされる、始まりの日だったのですね。

偶然でしたが、ちょうど変えたい問題が起こったばかりだった。

節分を機に、妹にも父にも、そして私にもベストな介護の方法を、もう一度きちんと見つけようと決めた。













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