ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

引っ越し

2018-09-27 16:45:43 | 介護
お姑さんの高齢者住宅への引っ越しが近づいてきた。

持って行く荷物をまとめる為に義理の姉たちが来てくれている。

父が施設に入る時には妹と二人で荷物をまとめたが、今回は義姉たちがやってくれるので、私は片付けに関してはノータッチで楽をさせてもらっている。

「手伝わずにすみませんね~」と義姉たちに謝ったら「な~んもいいの。こちらこそ騒々しくてごめんね。おばあちゃんとバトルする声がうるさいかもしれないけど許してね」と言ってくれた。

義姉たちは、この機会にお姑さんの持ち物を整理しようとしてくれていた。

多分ほとんどのものは処分することになるのだが、コップ一つ捨てることを許さないお姑さんなので、果たして義姉たちは、どうやって片付けるのだろうか・・・

やはり、ここは嫁の出る幕はなく実の娘たちにおまかせした方が良いと静観を決め込んだ。

すると早速、お姑さんの部屋からお姑さんの叫び声が響いてきた。

「それ捨てるってかい?だめだよ。まだ使えるんだから!新しいんだからね!」

それに対して、いつも静かでおとなしい二番目の義姉が、お姑さんを諭しているような声が聞こえた。

二番目の義姉は優しいので、お姑さんの意見を聞いてからと思っているのだろう。

ところがお姑さんと二番目の義姉の声を遮るように、いつも元気で活発な一番上の義姉の声が聞こえてきた。

「ダメだよ。おばあちゃんの意見なんて聞いていたら、どうせ全部捨てないって言うんだから。
無視!無視!完全無視!!」

お姑さんと義姉たちの会話を聞いていたら、申し訳ないけれど面白くて笑ってしまった。

夫の実家の家族は仲が良いので、実の娘ならば叱られようが、無視されようが、お姑さんにはなんのこだわりもないのだろう。

姉たちがいてくれて、ほんとによかったと思う。

というわけで、一番上の義姉の主導権のもと片づけは着々と進んでいるようだった。

そんな様子を聞きながら、もしも母が生きていて私と妹が片づけをするとしたら、一体どんな感じだっただろうかと想像していた。

私が成人式で着る振袖がほしいと言ったら「猫も杓子もみんな同じ格好(振袖)をして行くなんて馬鹿げている。あなたはジーンズとシャツで行きなさい。そっちの方が目立ってカッコいいと思うけどなぁ」なんてことを言う母だったので、もしかしたら「捨てていいよ。もうどんどん捨てちゃって」と言っていただろうか。

いやいや、自分の高校の制服まで取ってあったくらいだから「絶対に捨てない!」と抵抗していただろうか。

な~んてね・・・それにしてもお姑さんと暮らした13年間は過ぎてみれば、あっという間だった。

同居が解消されるにあたって、施設へ行ってもまだ介護は終わったわけではないが、それでもホッとしている自分がいる。

本当は・・・

実の母が今の私よりも若くして亡くなっているので、夫と結婚して義理だけれど母ができたこと、最初は嬉しかったんだよね。

ずっと前からお姑さんのことを知っていたような気がして、「これはもしかして前世で本当のお母さんだったのかも」なんてことまで思うほどだった。

一緒に暮らす前から多少の行き違いを感じたこともあったが、それよりもお姑さんと仲良くしたいという気持ちの方が強かった。

だから同居して不安はあったけれど、「仲良くやって行こう、もしも可能ならば二人で旅行も行きたい」と思ったこともあった。

でも、やはり難しいことの方が多かった。

それは当たり前だ。

長い間、自分の考えで家を回して来た他人同士の二人の主婦が一緒に暮らすのだから、それは摩擦がない方が珍しいと思う。

でも、お姑さんはどう思っているのかは知らないが、私はお姑さんのことが嫌いではない。

盗人呼ばわりされて怒り心頭になったことも数々あれど、心底嫌いにはなれなかった。

お姑さんは我は強いが、悪い人ではない。
というか、情に厚くて面倒見が良い。
きっと、どんな人からも「いい人」と思われているに違いない。

女子力がめちゃくちゃ高いのが私と違う所で、それが悪い方に出ると嫌だなぁと思うこともあったが、そんな事もすでに今は良い思い出になっている。

お姑さんだって、私に対する不満がいっぱいあったことだろうからお互い様だ。

それにしても、この13年間、本当に良い勉強をさせて頂いたと思う。

「人生に起きることに無駄は無い」というのは真実だなぁと心から思う。

ところで義姉たちが帰った後、お姑さんに呼ばれた。

部屋に行ってみると、お姑さんの手には、きれいに刺繍がほどこされた着物の帯が何本もあった。

どうやら義姉に見つからないように隠していたらしい。

「これ、あげるから。娘たちに見つかると持って行ってしまうから、お母さんがもらってちょうだい」と言われた。

私は着物は着ないのだが、帯はインテリアとして使うのでありがたく頂くことにした。

帯を私にあげるという事、とても嬉しかった。

引っ越しの日まであと数日となった。

もしもお姑さんが施設に入ることを嫌がっていたら、私の心の奥が痛くて仕方がなかったと思うが、そうではなくなったことで笑顔でお姑さんを送り出せるような気がしている。

このような流れになったこと、本当にいろいろなことに感謝しかない。







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二つの世界

2018-09-21 16:18:54 | 日記
一昨年前だったか、妹に「お姉ちゃんは、あの世とこの世の両方に生きているんだね」と言われたことがある。

妹には他意は無く、ただ私が毎日神棚に手を合わせ、先祖供養をやっていることを知っていたため、そう言ったのだと思う。

それを聞いた私は「あの世とこの世の両方で生きているなんて、妹もずいぶん変わった言い方をするわ。そんなことはないのに・・・私はこの世でしか生きていない」と思った。

妹から言われたその言葉を忘れかけていたのだが、最近になって、よくその言葉を思い出すようになった。

この世とあの世で生きている・・・

本当にそうかもしれない。

例えば「夢」

これは将来の夢ではなく、寝ている時に見る「夢」の方だが、眠っている間に見ている夢の中で、すでに亡くなっている人たちと会ったり話したりするということがある。

もちろん、これらの夢の中には、会いたいという願望が見せているものや自分では気づかない深層心理が影響して見る夢も多数ある。

ただその中でも、これは自分の願望とは違う、本当に会ったなと思われる夢がある。

近い所では今年のお盆に見た父の夢だが、夢の中で私は長い時間、父と会話していたような気がするのだが、話の内容はまったく覚えていない。

しかし夢から覚めて、すぐに父を探して周囲を見回したほど、それは本当にリアルな感覚だった。

まるで、今まで父がそばにいたような感覚。

その時以来、父が今までよりもずっと遠くへ行ったと感じるようになった。

それはきっと父の意識が向上して、この世からさらに離れて遠くまで行ったのだと、私は勝手に思っているのだが、これは悲しいことではなく、むしろ喜ばしいことだと思っている。

他にも私が亡き母に対して語りかけたことを、亡き母がそれを伝えるために他の家族の夢に現れるということもあった。
それも別件で何度か同じようなことがあって、最初は偶然だろうと思っていたのだが、3回目にはさすがに亡き母に通じているということを実感した。

(仏壇や亡き人に向けて、愚痴や泣き言を言ってはいけませんね。通じてますから。心配をかけてしまいます)以上、経験者より

また夢は亡き人だけと繋がるわけではない。

いや、もしかしたら亡き人が、必要があって繋いでくれるのかもしれないが、生きている人同士がまるでテレパシーで交信しているかのように、お互いの夢の中で会っていることもある。

これは家族間だけで起こることではない。会ったことも無い人同士でも起こる。

このようなことを考えると、「あの世」も含めて人間にはまだまだ分からないことばかりだと思う。

「夢」という例で話をしたが、夢ではなく現実の世界であっても、いろいろと不思議なことが起きる。

例えば、地震前夜に感じた龍。

思えば、すべての始まりは龍だった。

あれは何年前だっただろうか。

生れて初めて夢に龍が出てきて、私がなぜか自分の手に持っていた白い玉を龍に「はい」と手渡したら、まるで鈴を転がすような美しい女性の声で「ありがとう」と言って、龍が玉を受け取ってくれた。

その声ははっきりと、まるで右耳のすぐそばで言われているように聞こえ、私は驚いて目が覚めた。

それが始まり。

旅と言えばかっこよすぎるが、振り返れば、なにかそこから大きな旅が始まったような感覚にもなる。

またそれまでは、龍と言えば怖いおじさんの背中に彫られているくらいの認識しかなかったのだが、龍のイメージが変わった出来事でもあった。

以来、龍と言うのは想像上の動物と言われているが、なにか目には見えないエネルギーとして存在している物なのだろうと思っている。

ただ、夢も龍も「本当なのか?」と言われても、他人にはうまく説明ができないし、理解してもらうことも難しい。

説明するのは難しいが、あの時、妹に言われた時に「何言ってるの?」だったことが、今は、はっきりと二つの世界に生きているという感覚がある。

そして、それは日を追うごとに強くなる。

この世とあの世の両方が存在していることは、今では私自身に疑いの余地もない。

でも、私が声を張り上げて「本当なんですから!」と言えば言うほど嘘になるような気がするので、こうして文章に書く以外は、他人に話す事はしない。

また、万人に信じてもらいたいとか分かってもらいたいという気持ちもない。

この記事を読んで、そんなこともあるのかなぁと思ってもらえれば、それでいい。

妹に「この世とあの世の両方に生きているんだね」と言われたが、あの世のことはこのブログだけに留めて、この世に生を受けた限りはしっかり地に足をつけて生きて行こうと思う。

今晩の夕飯は何にしようかな~と悩み、家族に美味しかったと言ってもらえることを励みに料理を作り、いろいろな雑事に振り回されながらも、この世でしかできない楽しみ(温泉とかね・・・ふふ)を満喫して、私という人生を生きて行こう。

それは、この世に生を受けたものはみんな同じなんですね。

歩む人生は違っても、今を一生懸命に生きることなんですね。

やっと、やっとわかってきました。

ありがとうございます。






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施設を決める

2018-09-19 13:54:52 | 介護
今、お姑さんはウキウキしている。

なぜかと言うと、もうすぐ高齢者施設に入るから。

お姑さんがこんなに喜んで高齢者施設に入ってくれるなんて、つい先月には想像もできなかった。

今年の夏の初め頃、そろそろお姑さんを高齢者施設に入居させた方がいいという話が出た。

義姉たちやケアマネジャーさんからも入れた方がよいと言われた。

そのような話が出た中で、私自身もこれが潮時だろうか、いや、まだ大丈夫という二つの間で揺れていた。

何よりお姑さんが高齢者施設に入ることを嫌がっていた。

これまでも、知り合いが高齢者施設に入った話を聞いてお姑さんはよく言っていた。

「可哀想にね。○○さんが施設に入れられたんだって」

いまどきのシニアは、自らが選んで高齢者住宅へ入る方も多いと言うのに、お姑さんはいまだに「入れられた」という感覚しかなかった。

今の高齢者住宅はお姑さんが考えているような暗いイメージではなく、明るく快適な施設が多くなったと思うが、それをお姑さんに納得してもらうのは至難の業、いや不可能だと、その時までは思っていた。

「近々、限界がくる。その時には施設に入ってもらわなければいけないのだから、まずはどんな所があるのか見学に行こう」と夫が言い、二人でいくつかの施設を見学に行った。

ケアマネジャーさんから「お姑さんは認知症が進んでいるので、サービス付き高齢者住宅ではなくてグループホームが良いでしょう」と言われ、グループホームの見学に行くことにした。

そして見学するにあたって、家族が会いに行きやすい場所にあること、雰囲気が良い所、年金の範囲内で入れる所などの条件を決めて、見学するグループホームの候補を絞った。

ところでグループホームとは、認知症と診断を受けた高齢者の方々が暮らす施設で、定員は9人までと決まっている。

9人だけの小さなグループホームから9人がフロアごとに暮らす大きなグループホームまで、いろいろなグループホームを見た。

それぞれに良い点も有れば不安な点も有りで、こちらが考えているような百点満点の所は見つからなかったが、その中でも良いと感じた二か所のグループホームに絞った。

ところが、たくさんのグループホームを見学して分かったのは、どの施設も待機者がたくさんいるということで、すぐに入所できるグループホームは皆無だということだった。

多い所では10名以上の方が待っているとのことで、いつ入所できるかは全く予測できないと、どのグループホームでも言われた。

いつ入所できるかは分からないが、とにかく待機者の中に入れてもらわないと気に入ったグループホームには永遠に入ることができないということが分かり、とりあえず良かった二か所に申し込みをして来た。

ところが、なんと数日後に申し込みをした一か所から「空きました。すぐに入れます」と早々に連絡をもらった。

そのグループホームでは急に空室が出たため、待機している人たちに連絡をしたところ「待ちくたびれて他に入りました」とか「もう少し自宅で暮らします」と言った理由で次々と断られたそうで、結局お姑さんに順番が回って来たらしい。

そこは申し込みをした二か所の中でも、「こちらの方が良い」と思っていた施設だったので、夫も私も義姉も「ここで決まりだ」と思った。

そこで、すぐにお姑さんを連れて再び見学に行ったのだが、思っていた通りお姑さんの反応は良くなかった。

「ここに入るのかい?」と言って、はぁ~と大きなため息をついた。

数日間、考える時間をもらうことにして保留にしていたが、ケアマネージャーさんに相談したところ、「お姑さんの社交的な性格ならば、すぐに慣れると思います。きっと楽しいと思いますよ」と言われ、その言葉に背中を押されて入所させてもらうことに決めた。

この頃、お姑さんは通っているデイサービスで「息子に施設に入れられる」と落ち込みながら話していたと、あとでデイサービスの職員さんから聞いた。

入所できると連絡をくれたグループホームにお姑さんをお願いすることに決め、9月1日に入所の契約をすることになった。

ところが、契約の日まであと3日という8月29日の朝、お姑さんを迎えに来たデイサービスの職員さんから思いがけないお話を聞いた。

「もうグループホームに決まったことは知っていますし、近々契約をするというのも知っています。
そのような時にこんなことをお話して良いのか悩みましたが、やはりどうしてもお知らせしておかなければと思いました」と話し始めた職員さんから聞いたお話は次のようなものだった。

お姑さんが通っているデイサービスは、隣に同系列のサービス付き高齢者住宅があって、そこからデイに来ている利用者さんも多くいらっしゃるそうだ。

その中でお姑さんと一番親しくしているというおばあちゃんが、「施設に入れられる」と落ち込んでいたお姑さんに「じゃあ私の入っている施設にくればいい」と言って、デイサービスの職員さんに頼み込んで、自分の部屋をお姑さんに見せるために、お姑さんを連れて二人で高齢者住宅へ行ったそうだ。

しばらくしても二人がデイに戻ってこないので、職員さんが部屋まで呼びに行った所、手と手を取り合ったお友だちとお姑さんが、「あんた、絶対ここに入るんだよ」「そうするよ」と言い合っていたのだそうだ。

それからというもの、お姑さんは「施設に入れられる」と言わなくなったどころか、「ここが空いたら、すぐに教えてね」と言って、職員さんからの返事を楽しみに待っているようになったそうだ。

とは言え、その施設は満室だった為、お姑さんが入所する可能性はゼロと、その時はどの職員さんも考えていたそうだ。

ところが、「それが今日、一部屋、空くことが決まったんですよ!」と職員さんがすこし興奮気味に教えてくれた。

それを聞いて私は困惑した。

あんなに施設への入所を嫌がっていたお姑さんが、職員さんのおっしゃるように楽しみに待っているようになったのであれば、そこに決めてあげたい。

しかし、口頭でではあるが、グループホームにはすでに「そちらでお願いします」と言ってしまっている。

また考える時間が必要と言って、契約を9月まで引き延ばしてもらったという事もあり、契約直前になって断るのは気が重かった。

そして何より認知症が重くなってきたお姑さんが、サービス付き高齢者住宅に入って大丈夫だろうかという懸念があった。

夫にそれを話すと、「じゃあ、そこも見学へ行ってこよう」と言い、翌日の30日に急遽見学をさせて頂いた。

サービス付き高齢者住宅というのは、父も入っていたのだが、基本的に自立した高齢者が入る、いわば介護サービスがついた高齢者の為のアパートだ。
(父の場合、最終的には全介護になったが、入所した時はまだ元気だった)

認知症であり自立が難しく見守りが必要なお姑さんが、果たして入ることができるのだろうか。

このような状況で入ることができるのかどうか心配だったが、高齢者住宅の担当者さんは「デイサービスで接してわかっているので、それは大丈夫ですよ」とおっしゃってくれた。

同じ系列だということで、デイサービスでお世話になっている職員さん達がいる高齢者住宅は、お姑さんには馴染みやすいだろう。

またデイサービスで仲良くしている友だちが他にもたくさん入っているということで、「何かあったらみんなが助けてくれると思います」ともおっしゃってくれた。

願ったり叶ったりとはこのこと。これ以上の所はないのではないかと思った。

「大丈夫と言って下さるのなら、是非こちらに入れて頂きたいです」とお願いしたところ、「現在、待機者が11名いるので、会議を開いてからじゃないと決められません」とのことだった。

9月1日にグループホームの契約があるので、それまでに返事を頂きたいことを伝えると、翌日31日の午前に会議を開いてくれると言って下さり、結果が分かり次第すぐに連絡をくれることになった。

そして翌日の31日、高齢者住宅の担当者から「入所が決まりました」との電話をもらった。

グループホームの契約日の前日。まさに予想外の展開だった。

待機者が11名いたにもかかわらず、お姑さんを入れてくれたのは、デイサービスで「施設に入れられる」と悲しんでいたお姑さんの様子を知っていたことと、すでに入所している友だちの存在が大きかったそうだ。

グループホームの方には夫がすぐに謝罪の電話をしたが、お姑さんの次に待っている方へ順番が回るようで、あっさりと「そうですか」とのことだったそうだ。

というわけで、あんなに施設に入るのを嫌がっていたお姑さんが、今、自ら荷物をまとめて入所するのを心待ちにしている。

「ご先祖様のお陰だね。おばあちゃんに一番よい施設を決めてくれた」と言ったら、日頃、目に見えない世界に懐疑的な夫がめずらしく「そうだなあ」と言った。






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映画をみる・・・

2018-09-13 15:50:08 | 日記
昨日は、食材やら割れてしまった食器の買い替えの為に久しぶりに買い物へ出かけた。

今は節電期間なので、お店はどこも照明を落としている。

特にスーパーはまだ入荷していない食品が数多くあり、からっぽの食品ケースは暗くしているので、全体的に店内が暗く感じる。

それに比べると、ホームセンターはスーパーと同様に照明は暗いが、お客さんが多く賑わっていた。

みなさん食器類や防災用品などを買い求めているようで、私も食器を見たり、物が落下して傷ついた床を直すための塗料を買ってきた。

それにしても、昨日までは気持ちが沈んだまま、どうにも浮上できずにいた。

いざ災害が起きると、報道を見過ぎて被災された方に共感してしまい精神が疲れる「共感うつ」になったり、実際に被災した人は、時間経過と共に気持ちが沈みがちになると聞いた。

私の場合、それもあるのかもしれないが、P太郎がいなくなったショックから立ち直れていない状況からの地震だったのがけっこうきつかった。

品薄状態の薄暗いスーパーの中を見て歩いていると、ますます気持ちが沈んだ。

夫曰く「店も街も明るくし過ぎていると思う。これくらいで丁度いい」とのことで、私もそれには賛成するが、普段よりも弱っている?時は、なかなかそれがつらい。

そんなわけで、気分転換に買い物へ出かけたつもりが、さらに落ち込んで帰宅した。

家に帰ってから、なんとなく映画が観たくなり加入している動画サイトを探していたら「しあわせのパン」という映画を見つけた。

2012年に公開された映画で、当時は観ていなかった映画だった。

まったく予備知識もなく見始めた映画だったが、あっという間に映画に惹き込まれてしまった。

まず風景が美しい・・・

画面の中の風が実際に感じられるようで、このロケ地は一体どこなのだろうかと思いながら観ていたら、なんと北海道の洞爺湖だった。

洞爺湖はこれまで幾度となく行った場所ではあるが、こんなにきれいな場所があったなんて全然知らなかった。

洞爺湖畔でカフェを営む若い夫婦(大泉洋さんと原田知世さん)のゆったりとした佇まいと優しさが、お店を訪れる傷ついた心のお客さんを癒してくれる。

美しい自然と美味しそうなコーヒーとパンと料理・・・

この映画を観ている途中で、無性にコーヒーが飲みたくなり、一時映画を中断してコーヒーを淹れてきた。

そして映画を見終わったあとは、カフェを訪れたお客のように元気になったような気がした。

というわけで、今日は元気に朝から働いていました。

地に足をつけて、今日も一日、懸命に生きようと思える映画です。

疲れた方におススメかな・・・







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変化の時

2018-09-10 16:51:56 | 日記
久しぶりにブログを書いている。

大きな地震があって停電が二日間続き、落ち着かなかったからということもあるが、先月から今までの間、ずっと夢の中にいたような気持ちがしている。

あまりにも色々なことが急激に変化していくから、それについて行くことに夢中で、まるで夢を見ていたような気持ちになったのかもしれない。

我が家の事で言えば、先月からいろいろな変化が起こり始めた。

まず、お姑さんがこれから施設に入所することになり、それが急にバタバタと決まったのが8月の終わり。

「施設選びは縁ですから」とは、見学に行った施設の職員さんの何人かが同じことをおっしゃっていた。

まさに縁があった施設に決まった。

このことについては、また後日書こうと思う。

そして、9月3日。

可愛がっていたオカメインコのP太郎との突然の別れがあった。

数日前からまた声がかすれ始めたのだが、3月にも同じようなことがあって大丈夫だったので、今回もしばらく様子を見ていたのだが、どんどん病状が悪化してしまい、病院へ連れて行く車の中で息を引き取ってしまった。

もっと早く連れて行けば・・・と後悔しかないのだが、大きな地震が来たことを考えると、元気だったとしても、繊細なP太郎のことなので、あの揺れとそのあとに来る暗がりの生活に耐えられただろうかと思う。

そのP太郎が亡くなったのが3日の夜。

翌日9月4日の早朝に、夫、長男と一緒に森の中に入って家の中から見える場所にP太郎を埋葬してきた。

家族が仕事に出かけて行き、一人になって家事をしていると、からっぽになったP太郎のかごからP太郎が餌をついばむ音がした。

P太郎のことをずっと考えていたから、空耳だったのだろうか。

一瞬、P太郎がいないことを忘れて「P太郎がご飯食べてる」と思ったが、からっぽになった鳥かごの中にP太郎の姿はなく、その時がいちばん深い喪失感を感じた瞬間だった。

家事をする元気もなくノロノロと片づけをしていたら、今度は耳元で「ぴぃ」と小さく鳴くP太郎の声がした。

その途端、私の左肩にP太郎が飛んで来た時の感覚があり、また小さく「ぴぃ」と左耳に聞こえた。

「あぁ、お別れに来てくれたんだね」と思った。

そう思ったらP太郎は肩の上から飛んでいき、それきりもう二度と戻ってくることはなかった。

とても悲しいけれど、P太郎が神様の元に行く前に別れの挨拶に来てくれたことが、私の心の救いになった。

そして、9月5日。

この日の夜は、生暖かく強い風が吹いていた。

風で木が揺さぶられる音が聞こえ、そのうちに大きな音で雷鳴が聞こえ始めた。

暑いので窓を開けていた為、よけいに雷の音が大きく聞こえ、それはまるで今にも落ちるのではないかと思うくらい近くで鳴っているようだった。

窓の外を見ると、森が全体に大きく揺れていた。

それを見た時、「龍だ。龍がいる」と思った。

実際に龍の姿を観ていたわけではないが、真っ黒い空に大きな黒い龍が身体をくねらせながら飛んでいる様子が脳裏に浮かんだ。

そして6日未明。

かつて経験したことのないような大きな地震が起こった。

家の中の物が床に散乱して壊れていた。

20キロもある大きなオーブンがキッチンのカウンターから転がり落ち、冷蔵庫、ピアノなどの大きな家具が10センチから30センチほど動いていた。

大人二人でも動かすことが難しいような物が、しかも転倒防止のためのストッパーをしていたにも関わらず、いとも簡単に動くほどの自然の大きな力。

畏敬の念、恐怖心・・・いろいろな感情が湧き上がる。

命を失った方々や家が傾いてしまった方々のことを想えば、家電や家具が壊れたことなど何でもないことであるが、あらためて災害は他人事ではなかったことを思い知らされた機会になった。

また停電になったことは不便だったが、ろうそくやランタンの小さな灯りの下でラジオを聴いたり、町が暗いことで一段と美しく見える星空を眺めていたりと、電気のある生活の時より時間がゆっくりと流れているような気がしていた。

変化していく時は、痛みが伴うものだなぁとは、この一ケ月ずっと考えていることで、それは個人的なことであっても無くても同じだと思う。

最初は痛くてたまらないが、それもいずれ変化していく。

この痛みのあとに変化した世界は、今よりもずっと良い方へ変わっているはずだと信じている。







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