ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

呼吸

2019-04-26 15:11:20 | 健康

前回の記事で怒りは持たない方がよいという話を書いたのだが、それを書いた翌日、偶然読んだ本の中に怒りによって起こる身体の中のことが書かれていた。(あまりにもタイミングが良すぎてびっくりだったが)

なぜ「これ」は健康にいいのか?小林弘幸氏著より

交感神経を過剰に高め、自律神経のバランスを崩してしまう最悪の習慣は「怒り」です。

みなさんは、自分が怒っているとき、体の中でどのようなことが起きているかご存知でしょうか?

よく「怒りに身を震わせる」といいますが、実際、あまり怒ると手や足が震えてくることがあります。さらにひどくなると倒れてしまう人すらいます。

こうした状態になるのは、交感神経が過剰に緊張し、血管が収縮してしまうからです。

血管が収縮すると血球破壊が生じるので、血液はドロドロになっていきます。

つまり、怒れば怒るほど体内では血液がドロドロに汚れていくのです。

血液が汚れると末梢血管の血流が悪くなります。

この血流の悪化が、震えや失神の原因です。

これだけでも充分、体に悪いのですが、怒ることが体に与えるダメージはほかにもあります。

それはホルモン調整機能が低下してしまうことです。

交感神経が活発になると、体をアクティブにするため、さまざまなホルモンが分泌されます。

興奮物質としてもよく知られているドーパミンやエピネフリンなどはその代表です。

交感神経が高くなればなるほどこうしたホルモンが分泌されるのですが、ホルモンの出すぎは体にとってとても大きな危険をはらんでいます。

なぜなら、こうしたホルモンには「フィードバック機能」が備わっており、あまり出すぎるとその反動で必要なときにホルモンが出なくなってしまうからです。

原因は必ずしも怒りだけではありませんが、ホルモンの調整機能が低下し、ドーパミンの分泌が不足し、それが過度になった状態がパーキンソン病です。

やはり怒ることは、体にとても悪いのですね・・・

ところで小林医師は本の中で自律神経のバランスは、生命活動の維持という点において、脳と同じくらい大切だと書かれている。

この分野の研究が進むにつれて、これまで謎とされてきたさまざまな病気の症状の原因が、どうやら自律神経のバランスが崩れたことにあるのではないかという事がわかってきたそうだ。

自律神経というのは交感神経と副交感神経の二つに大別される。

人間の体は、活動的な日中は交感神経が支配し、夜、リラックスするときには副交感神経が支配することで身体機能が保たれていると言われているが、体がもっともよい状態で機能するのは、交感神経も副交感神経も高いレベルで活動している状態、つまりバランスがとれた状態なのだそうだ。

と言っても、両方が同じというわけではなくて、アクティブに活動している時は「交感神経がやや優位」になり、リラックスしている時には「副交感神経がやや優位」というようにバランスが理想的な状態にある時、それが私たちの心身がもっとも健康で、心身のパワーを最大限に発揮できる状態なのだそうだ。

では、どういう時に人は病気になりやすいのかというと、交感神経活動レベルが異常に高くて、副交感神経活動レベルがきわめて低い時であり、この状態が持続すると、体のあちこちに不調が現れて、病気になるそうだ。

この逆の場合、つまり、副交感神経活動レベルが高くて、交感神経活動レベルが低すぎる場合は、うつ病傾向にあるそうだ。

また、交感神経も副交感神経も共に活動レベルが低い場合は、疲れやすく、やる気も起きない状態で、健康状態はよくもなく、悪くもなくといった感じになるとか。

ではどうしたら自律神経のバランスを上手くとることができるのか。

そのキーワードのひとつが「ゆっくり」だそうだ。

毎日、時間に追われるような生活の中で、交感神経が優位の状態が続いている時、少し「ゆっくり」を心がけることで自律神経のバランスがとれていくそうだ。

中でも「呼吸」は、とても効果があると書かれている。

呼吸には体の状態を一瞬にして変える力があるそうで、緊張した時などには深呼吸すると良いというのは昔から言われているが、それはゆっくりとした深呼吸によって、副交感神経を刺激するため、血管が開いて、末梢まで血流がよくなるからだとか。

血流をコントロールのは自律神経であり、逆をいえば自律神経をコントロールできるのが「呼吸」というわけで、交感神経が過剰に優位になって自律神経のバランスが崩れているなと思った時(例えば、緊張したり焦ったりしている時など)ゆっくりとした深い呼吸が有効だそうだ。

では副交感神経が過剰に優位になってバランスが崩れている時、例えば、がんばらなければいけないのにやる気がでない、どうしてもモチベーションが上がらないという時にはどうすればよいのかと言うと、交感神経過剰とは逆なので「浅く速い呼吸」をして交感神経を刺激すればよいそうだ。

浅く速い呼吸とは、ハアハアと胸で浅い呼吸をすればよいのだが、わかりやすいのは、両手を上にあげた、「バンザイスタイル」で速めの呼吸をすると胸式呼吸になって交感神経を刺激することができる。

私の場合、自律神経のバランスが崩れるとしたら、交感神経が過剰になっていることの方が多そうなので、やはり毎日時間をとって行う深呼吸がいいのかもしれない。

というわけで、健康でいるためにも怒らず、深呼吸をして自律神経のバランスのとれた生活をしていこうと思った次第です・・・

 

 


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怒りとは

2019-04-23 16:27:33 | 日記

ここ数日間、私はあることでとても怒っていた。

私も悪かったと思う所があるものの、それ以上に相手の思いやりの無さが腹立たしくて思い出すたびに腹を立てていた。

いかん、いかん、こんなに腹を立てては自分の為にも良くない。

そう思って怒りを静めようとするのだが、今度は怒りは相手にではなく自分自身へと返ってきた。

無理に押さえ込もうとする怒りの感情は、じわじわと自分自身を蝕み始める。

そんな時、自分の心は石のように固くなり、そして冷たく閉じていると感じる。

先日、丁寧に暮らそうと思ったばかりだったのに、なんということでしょう・・・

怒りという感情を持つと、もはやそんなことはどうでもよくなる。

多分、このような状態が長く続くと、やることなすことうまく行かなくなったり、最悪自分の身体も悪くしてしまうのだろう。

 ところで、怒りと同じように悲しみの感情というのも、自分の心から光が消えて閉じるような気がするが、それでも悲しみ以上に良くないのが怒りの感情だと思う。

怒りは個人の問題だけではなく、国家間の戦争だって引き起こす。

怒りというのは、もしかして人間の感情の中で最も持ってはいけない感情なのではないだろうか。

とは言え、怒りが力となる場合もあるかもしれないし、世の中には腹の立つことが多いのも事実で、何でもかんでもニコニコとしていたらバカを見るというのが世の常かもしれない。

それでもやっぱり怒りの感情を持つこと(持ち続けること)は良くない。

数日間、怒りの感情に囚われていた私がずっと考えていたことだった。

怒りの感情を持ち続けないためには、怒る原因となった出来事にばかりフォーカスするのではなく、他に何か楽しいことを見つけるとか、それでも怒らなくてはならない状況ならば、冷静に手を打つということだろうか。

私がそうだったように、怒りの渦に巻き込まれてしまうことが、最もしてはいけない事だと思う。

本当に怒りの感情というのは、自分自身にとって良いことはひとつもない。

ところで毎朝、私は神祀りや先祖供養と同じく日課にしていることがあって、それは自分の胸に意識を集中して、心を開くように深い呼吸をすることだ。

これはもう始めたのがいつだったか忘れたほど、ずっと前から行っている。

ほんの短い時間だが、これをすると自分自身の心の状態を確認できるような気がしている。

怒っている時は、心が固くて冷たくて閉じているような気がするし、そうじゃない時は心の奥から出た光が身体中にあふれ出すような気がする。

だから心が固くなった時は、心が開くように意識してやり続けることで、まるで大きな白い花がゆっくりと開花していくように心が柔らかく広がっていくことを感じる。

その頃には怒りの感情もすっかり消えて、うきうきとした喜びの感情が湧き上がってくるような気がしてくる。

ここでふと気づいたのだが、私はさっきから「気がするとか、気がしてくる」といった言葉を多用していた。

しかし、まさにこれしか表現ができない。

私はこのように感じているだけなので、こうした表現で書いてしまったが、他の方はまた別の感じ方があるのかもしれないし、やり方は人それぞれだと思うが、共通するのは怒りの感情を長く持ち続けてはいけないということだろうか・・・

なんだかえらそうに書いてしまいましたが、ここ数日間怒りの感情で苦しみ、そこから復活した心の流れを書いてみました。

どなたかの参考になれば幸いです。

 


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新社会人

2019-04-19 13:01:56 | 日記

今年の春から新社会人になった次女は、研修期間を終えていよいよ配属先が決まった。

次女の配属先は、精神的にも肉体的にもハードというので内部では有名な部署だそうだ。

しかし、次女はかねてからそこに配属されるかもしれないと思っていたようで、特に悲観することなく早く仕事を憶えなきゃと言って、毎朝作ってあげるおにぎりを二つ持って出勤している。

「おかずは要らないの?」と聞いたら、「ゆっくり食べてる暇がないから、おにぎりだけでいい」とのことだった。

それならお腹が空くだろうと、特大のおにぎりを作ってあげていたのだが、しばらくして「恥ずかしいから、もっと小さくていい」と言ってきた。

どうやら「ソフトボールみたいなおにぎりだね」と誰かに言われたらしい。

それはさておき、今年就職三年目の長男の時も思ったのだが、今の新人は私たちが新人だった頃と比べると、独り立ちをするのが早いような気がする。

40年近く前は、独り立ちするまでもっと時間をかけて仕事を教えてもらっていたが、最近はどこもあまり時間をかけず即戦力として、早い時期から先輩たちと同じ仕事をひとりでしているようだ。

その背景には人手不足の問題もあるのかもしれないが、私たちが新人の時代はまだ恵まれていたのだと今になって思う。

そんなわけですぐに独り立ちをした長男だったが、一年を過ぎたあたりからみるみる顔つきが変わってきた。

それまでは、割とほわんとしたボンボンの顔だったが(うちはボンボンと言えるほどのお金持ちではないが)、それが眼光のあるきりっとした顔に変わっていった。

苦労しているのだなぁと思ったが、長男の様子からはやりがいを感じて仕事をしているようなので、顔が変わるほどの成長が嬉しくもある。

さて、今年新人の次女。

こちらもすぐに独り立ちをするらしいのだが、仕事柄危険なこともあって、私はそれが心配だ。

できることなら危険な場所へはついて行ってやりたい・・・なんて親バカもいいところだが、当の次女は「仕事なんだから仕方ないっしょ」と平然としている。

学校を卒業させて就職をしたら親の務めは、ほぼ終了。あとは見守るしかない。

せめてできることは、栄養のある食事を作ってやることくらいだろうか。



 


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ショッピング

2019-04-15 17:21:09 | 日記

自然豊かな郊外に住むようになって、滅多に街の中心部へ出かけることがなくなった。

中心部は開発が進み、30数年前にOL(古い?)していた頃とはずいぶん変わった。昔は無かった地下へ入ると、自分のいる場所が分からなくなってしまったりする。

昔は毎日通っていたのに、30数年と言う年月の流れをしみじみと感じる。

ところで郊外に住むと、まず中心部まで行くのが億劫になった。

行くまでに時間がかかり過ぎる事と、街は人が多過ぎるので苦手だ。

絶対に行かなければならない用事でもあれば行くが、買い物くらいでは行きたくない。

大抵のものは近所で間に合うから、ますます行かなくなった・・・と先日、友人に話したら「だめだよ。たまに刺激を受けに行かなきゃ。私なんて一ケ月に一度は必ず行くと決めているの。ウインドウショッピングして、お茶飲んで帰って来るだけなんだけど、いい刺激になってるよ。今度、一緒に行かない?」

そう言われたが、丁寧にお断りしておいた。

友だちと話すのは楽しいけど、ウインドウショッピングは疲れるだけだ。(これが老化現象というものなのかもしれないが・・・)

家でのんびり本を読んでいるか、行くなら自然のある場所の方がいい。

友だちにはそう言ったが、実は年に一度か二度ウインドウショッピングしてお茶飲みをする為に街の中心部へ行かなければならない。

それは長女が行きたいと言うからで、知的障害がある長女は一人では行くことができず、かと言って一緒に行く友だちもいない。 

若い時なら賑やかな都会へたまには行きたいだろう。

次女が行くのをうらやましそうに見ているのが不憫すぎて、私が一緒に行くことにしている。

昨日も次女が街で通勤に着て行く洋服を買ってきたと言うので、長女に「行く?」と聞いてみた所、即座に「行く!」という返事が返ってきた。

朝食後に家を出て一時間ばかりバスに乗って、やっと着いた中心街で、まずはショッピング。今回は、なにか長女にも洋服を買ってあげたいと思っていた。

長女はこだわりが強くて、自分が気に入った服を古くなってもずっと着続ける。

それが例え流行遅れだとしても、生地が伸び切っても、自分が気に入っているものならかまわない。

本当はこういうことでもよいと思うのだが、やはり長女も年頃の女性なので、少しはおしゃれをさせてあげたい。

というわけで駅前のおしゃれな店をずいぶん見て歩いたのだが、長女が欲しいという服は見つからず、輸入品の食料店で見たお菓子に目を輝かせたので、それを買った。

いつも長女が街でしたいことは決まっている。

ひとつは輸入品のお菓子を買うこと、そしてもうひとつはカフェでお茶を飲むこと。

もちろん今回も両方クリアした。

残るは、私の希望なのだが、長女に洋服を買うことだった。

さて、どこへ行こうと思った時に足が向くのは、私が若かりし頃に通ったファッションビル。やはり人は無意識に慣れた場所へと行くものなのかもしれない・・・

今はすっかり街の賑わいと人の流れが変わって、そのビルは私が若い頃のような賑わいは無くなったと聞いたが、行って見ると若いお客さんがけっこういた。

しかし私が行っていた頃とは、お客さんの雰囲気や置いてある洋服がなんとなく違っていた。

金髪で真っ青の口紅をした女の子とか、モヒカンに近い髪型の男の子とか、昔は見かけなかった容貌のお客さんがいるし、置いてある洋服もド派手なものが多いような気がしたが、とりあえず見て歩き、ここいいかもと思ったお店に入った。

「いらっしゃいませー!安くなってるから見て行ってね~。なんだったら試着もしちゃって~」と、テンションの高い店員さんに迎えられて店内を見ていたのだが、なんと、ここでついに見つけてしまった。

一目見て、これは絶対に長女に似合うと思った服を見つけた!

値段を見ると、税抜き8900円のものが4900円に値下げされている。

久しぶりに洋服にときめいた。

これを買わずして何を買う!なんて、大げさだがそう思うほど、この服は絶対に長女に似合うと思った。

長女に聞いてみるとまんざらでもないようなので、試着させてみた所、思った通り長女に似合っていて、長女も気に入ってくれた。

久しぶりに(私が)ときめいた洋服を買い、満足して帰宅した。

次女に買った洋服を見せると、「えっ、あのビルで買ったの?あそこはギャル系の洋服ばかりだから私は行かなーい」だとか。

いいの、いいの。気に入った服が見つかれば、ギャルだろうが何だろうがいいのよ。

というわけで、久しぶりに出た街でかなりいい刺激を受けてきた。

また長女と一緒に刺激を受けに行こう。

次は半年後かな~


 


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たくさんの幸せ

2019-04-10 15:07:19 | 日記

やっと庭の雪がとけたので、昨年の秋にした植物の冬囲いを外した。

一本一本きつく縛っていた縄をほどいて行くと、縄をほどかれた植物たちが次々に「あ~楽になった」と言って、のびのびとしているような気がした。

冬囲いを外しながら、今年は庭に何を植えようかと想いを巡らせていると、うきうきとした気持ちになる。

思えば昨年までは、自分の自由に庭を作っているかのようで、そうではなかった。

家の中からじ~っと見ているお姑さんに「今、こういうのを植えますよ」と報告しながらの作業だった。

元々、動いているのが好きなお姑さんなので、家から見ている事に飽きてくると、いつも庭に出てきて現場監督のごとく「あれはここに植えてちょうだい。それは動かさないで」という指示があった。

もちろん、そのすべてに従うというわけではなかったが、なぜそこはダメなのかとか、動かすのかということを、お姑さんが理解できるように事細かに説明しなければいけないのがストレスと言えばストレスだった。

とは言え、もうお姑さんはずいぶん物忘れが進んでいたので、説明をして植えても、あとからスコップを持って来て、自分の思った場所に植え替えているなんてこともしょっちゅうだった。

いや、もしかしたらお姑さんなりに、どうしてもここじゃなきゃダメという強い意思があって、わかっていて動かしていたのかもしれない。

しかし、そういう意味では、私も同じようなものだった。せっかく植えた植物を、お姑さんに動かされると腹を立てていたから。

そんなことでストレスを感じたりするのがほとほと嫌になり、それまでは家の玄関回りを花々で飾ったりしていたのだが、ここ数年は必要最低限しかやらなくなっていた。

店頭に並ぶ色とりどりの花を見て、これを鉢植えにして玄関前に飾ったら素敵だろうな~と思いながら、あとからのストレスを思うと何もしない方がずっと楽だと思えた。

でも、やっぱりお姑さんと一緒に花を植えたり植物の手入れができたら、どんなに良かっただろうと思う。

植物の成長を一緒に喜びたかった。

とは言え、過ぎてしまったからそう思うのかもしれず、やはり自由気ままに自分の好きな植物を好きな場所に植えたり飾ったりできるというのは、なんと素敵なことなのだろうかと思う。

お姑さんと同居する前までは、ひとりで自分の好きなように庭に植物を植えていたのだが、あの頃は当たり前の事だと思っていたので、特にそれが嬉しいとも思っていなかった。

しかし自分の意思で花を植えて庭を自由に作れることが、こんなに嬉しいことだったとは、、、お姑さんと暮らすまでわからなかった。

こういうことが分からない自分だったから、義父母と暮らした年月はけっして無駄ではなかったと思う。

いちいちお姑さんにお伺いをたててから植物を植える不自由さ、せっかく植えたものを動かされる怒り、「枯れるから水はあげないでね」と何度も念を押したのに、今日もまたたっぷりと水をあげに行くお姑さんの後ろ姿に絶望的な気分になったこと。

たった半年ほど前のことだが、今はそれも懐かしく思い出される。

ところで庭作りに限ったことだけではなく、当たり前だと思っていたものが、失くなって初めてかけがえのないものだったことに気が付くというのは、実は身の回りに数えきれないくらいある。

本当は当たり前のことなんて、ひとつも無いのではないだろうか。

だから、すべて感謝しかない。

健康で好きな花を植えることができること、家族がいて家族の為に家事ができること、安心して暮らせること・・・一月のあの苦しいインフルエンザの症状を思えば、今こうして苦しい症状もなく過ごせるなんて夢のような幸せだし、停電や断水を経験すると、電気や水が使えることがなんとありがたいことかと身に染みる。

そして何でも当たり前だと思わずに、すべてがありがたいと思うと不思議と心もウキウキと明るくなってくる。

私には、こんなにもたくさんの幸せがあったのだとわかるようになる。

 


 


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丁寧な暮らし

2019-04-05 17:38:07 | 日記

その日、私は朝からとても急いでいた。

午後に人と会う約束があったので、それまでに終わらせたいことがたくさんあったのだが、こういう時に限って物事がスムーズに進まない。

お米を研ごうと計量カップで量っていたら、手元が狂ってお米を床にこぼしてしまった。

やってしまったーとがっくりしながらお米を拾い集めていると、カバンの中に入っている私の携帯が鳴った。

お米を拾うのを中断して、電話に出よう思ったのだが、今度は電話が見つからない。

確かにカバンの中から音はしているのだが、いつも入れている場所に入っておらず、思わずカバンをひっくり返して中身を全部出してしまいたい衝動にかられた時にやっと電話が見つかった。

しかし、見つかったと同時に切れてしまった。

履歴を見ると家族や知人からではなかったが、気持ちが急いてた為か、普段ならかけ直しなどしないのに、この時は急用だったらどうしようという気持ちになってかけ直してしまった。

相手は金融機関の担当者で、私がすぐにかけ直したことにえらく恐縮してセールストークを始めた。

どうして私は電話をしてしまったのだろうという後悔の念で一杯になりながら相手の話などもう耳に入らず「はいはい」とから返事をしながら、早く電話を切りたくて仕方がなかった。

「今、急いでいるので」と途中で担当者の話をさえぎって電話を切り、再びダッシュでこぼれたお米を拾いに台所へ戻った。

家のことを済ませると、今度は家族に頼まれていたことをする為に車で外出した。

約束の時間までに間に合わせるように用事も早く終わらせなければいけない。

そう思って車を走らせていたら、あろうことか道が渋滞。

いつも渋滞などするような道ではないのに、よりによって急いでいる時になぜこんなことが起こるのかとイライラしながら進んでいくと、パトカーが何台も止まっているのが目に入った。

事故だった。

二台の車が道の片側で止まっており、一台は前の方がぐしゃぐしゃにつぶれていた。

ここでやっと我に返った。

あの事故を起こした車は、もしかしたら自分だったかもしれないと思った。

朝から忙しくしてイライラした気持ちが、やることなすことの全てを雑にさせていた。

お米をこぼしたり、かけ直さなくてよい電話をしてみたり、他にも実はいろいろとあったのだが、とにかくやることなすこと全ての歯車が狂ったように上手くいかない日だった。

今ここに気持ちが無かったから、すべてのタイミングが外れていたのだと反省した。

「今この瞬間に生きる」という事は、よくスピリチュアルな本に書かれていたりするが、昔はその意味が分からなかった。

今この瞬間に生きろと言われても、実際、今、生きてるし・・・と思ったりしたものだが、その意味がやっとわかるようになってきた。

それが正しいのか否かは別として、自分なりの解釈をすれば、今を生きる事とはひとつひとつのことを丁寧に生きるということではないかと思う。

日々の暮らしとは何気ない無意識の集積であり、それが積み上げられていって幸運や不運といった出来事につながるのではないかと思う。

だから今やっていることに気持ちを集中すること。そして丁寧に暮らすこと。

お米を量っている時はそこに集中する。

携帯電話を仕舞う時は丁寧に、カバンの中の定位置に戻すことをしていれば、ないないと慌てることなく電話を手にして、ゆっくりと相手先を見て、必要がなければこちらから連絡することもなかった。

そんな風に丁寧に暮らしていると、いつの間にかタイミングが合ってきて、急がずとも時間に遅れることもなく、流れに乗っているような心地よさを感じるようになるのだ・・・ということを思い出した。

というわけで、今日からは丁寧な暮らしを心がけるべくゆっくりとハーブティーを飲みながら、このブログを書いている。

ややっ大変もうこんな時間。急いで夕飯の支度をしなければ・・・

な~んてね。大丈夫、大丈夫。今日は朝に準備を済ませているからゆっくりできるのよ。

 

 

 


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タイヤ

2019-04-02 14:26:41 | 日記

例年ならば5月の連休明けまでは、雪道になる可能性があるので冬タイヤ(スタットレスタイヤ)のままなのだが、今年はいつも車の定期検査をお願いしている店から「3月中のタイヤ交換ならば無料でやります」と連絡をもらった。

それを聞いて、我が家の車担当の夫は悩んでいた。

タイヤ交換が無料というのもさることながら、3月に予定していた定期検査のタイミングで夏タイヤに替えてもらえば、あとからわざわざタイヤ交換に行く必要が無くなるのが魅力だった。

とはいえ、4月はまだ雪が降る。峠なんて越えようと思った日には、スタットレスタイヤじゃないと危険だった。

悩んだ夫だったが、けっきょく夏タイヤに替えることに決めた。

「もしも雪が降ったら車には乗るな。しばらく峠を越える予定はないから大丈夫だろう」

そう言ってスタットレスから夏タイヤに交換してきた。

翌日は私が歯医者に行く予定になっていたのだが、天気予報では雪の予報はなかった為、予定通り車に乗って歯医者さんへ行った。

ところが、終わって帰ろうと歯科医院を出た途端、ちらちらと雪が舞い始めた。

「道に積もるほどじゃなければ大丈夫」と思いながら運転していたら、雪はどんどん激しさを増して本格的な吹雪になってしまった。

道路にはまだ積もる前だったが、ヒヤヒヤしながら慎重に運転して帰って来た。

やはり雪が降る間、少なくとも4月中はスタットレスタイヤが安心だったかもしれない。

それにしてもスパイクタイヤからスタットレスになって、空気が劇的にきれいになった。

30年以上前の札幌は、スパイクタイヤで削られた路面が大気中に巻き上げられて、初冬や春先の空気は最悪だった。

現在のPM2・5などよりずっとひどかったと記憶している。

車粉で視界がかすみ、雪は黒くなり、雪まつりの雪像も黒くなっていた。

1980年頃の車紛が立ちこめる札幌は、じん肺患者から「鉱山の中と同じ」と評されるほどひどい状況だったそうだ。

鉱山の中と同じ状況があのまま続いていたら、市民に大きな健康被害が出ていたと思う。

しかし、そのような状況を変えたいと立ち上がったのが、北大工学部原子工学科で核融合を研究していた山科俊郎教授(故人)であり、後に宇宙飛行士となった毛利衛さんら研究室メンバーだった。

当時は、はたしてスパイクタイヤが車紛の原因なのか、はっきりとしていなかったそうだが、山科教授らが調べた結果、ピンの芯は超硬度のタングステンカーバイドで、周囲を鉄で覆われている事や、車紛がアスファルトやタイヤのゴム、鉄の微粒子で出来ていることが分かったそうだ。

この研究結果をもとに「車紛の発生原因はスパイクタイヤだ」として学会や論文で発表され、のちに脱スパイクタイヤへと繋がっていく。

車紛は市民が被害者であり加害者でもあるという、新しいタイプの公害だった。

スパイクタイヤが車紛の元凶であると特定した山科教授は、「学者の立場だけで世論を動かすことに限界を感じた」との理由で、83年に市民運動をスタートさせる。

「スタットレスタイヤの使用を推進する会」を母体に「車紛をなくす市民の会」を発足し、札幌市民が市に罰則付きスパイクタイヤ規制条例の制定を求める直接請求に発展する。

市中心部で署名活動を始め、一か月の間に法定数の3倍近い6万人を越す署名を集めたが、独自の条例案は87年の市議会で審議されたものの否決され、代わりにスパイクタイヤの自粛を柱とする市の案が通った。

強制力を伴うスパイク規制は、結局2年後の条例見直しで91年に実現することになった。

当時のことを憶えているが、車紛は嫌だがスパイクタイヤが無くなることは車を運転する者にとっては不安だった。

雪道はスパイクタイヤじゃなければ滑ると思い込んでいたから、スタットレスタイヤしか使えなくなることに不安をおぼえた人は多かったと思う。

しかし、乗ってみるとスタットレスでも大丈夫だった。

すこし早めにブレーキを踏み始めるというコツが分かれば、スパイクタイヤと同じように安全に乗ることができた。

ところで、車紛の解消を目指す動きは、市民運動以外にもあり、それは道内の弁護士有志による公害調停だったそうだ。

「社会的合意が得られた場合、道内のスパイクタイヤの販売は中止する」という調停が86年の道公害審議会で成立し、これがスパイクタイヤ廃止につながって行った。

88年6月の総理府の公害調整委員会では、道内から飛び火した長野県の公害調停を引き継ぎ、車紛に悩む東北6県と道内の弁護士も加わって話し合われた。

結果、タイヤメーカーからの「スパイクタイヤの90年末の製造中止と91年3月末の販売中止」案を受け入れて調停は成立した。

当時、メーカー側は冬道走行の安全性を主張したが、弁護士有志は「ひたすら健康問題で突っぱねた」そうだ。

スパイクタイヤが姿を消して30年近くたち、車紛公害も姿を消してきれいな空気が戻って来た。

当時、冬道走行の安全性の問題を主張したメーカー各社は、その後、競ってどんどん新しい性能のスタットレスタイヤの開発をしている。

人間やればできる・・・安心安全でみんなが笑顔になるものが作れるはずなのに、なぜやらないのだろうか。

ちなみに、この脱スパイクタイヤは被害が深刻化する前に公害を防いだ、希少な例だそうです。

さて、今日の天気は雪。

外は、こんなに感じに・・・

今日は運転せずに家でおとなしくしていよう。


 

 


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