ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

寒気

2016-11-30 12:35:51 | 日記
東日本大震災で大きな被害を受けた東北のある県での話。

あるトンネルの前で土木工事をしていた作業員がふとトンネルの方を見ると、トンネルの中で誘導員の恰好をした高齢男性が「こっちへ来てはだめだ、向こうへ行け」というように手で合図をしているのを目撃したそうだ。

その姿にぞっとするものを感じた作業員は飛んで引き返したそうだ。

作業場に戻ってから、その話を仲間たちにすると「その人は死んでいる人だ。東日本大震災の時にトンネルで誘導していた人だ」と教えてくれたそうだ。

その高齢男性は津波に飲み込まれて、今も遺体が見つかっていないのだそうだ。

そして、何人もの人が同じようにトンネルの中から「来てはだめだ、向こうへ行け」と誘導する男性の霊を見ているそうだ。

この話を聞いた時、本当に痛ましくて涙が出そうになった。

自分が死んだことを知らず、今でも誘導の仕事をされているのかと・・・

ところで、昔から「見えない世界」などとは無縁で生きてきた夫が先日の朝、神妙な顔で語り始めた。

「昨夜、そろそろ寝ようかと思って準備をしていたら耳元近くで大きな声がしたんだよね。あれは何だったのだろう?空耳にしてはあまりにはっきりと聞こえたから、身体がビクッとするほど驚いたよ。寒気がしたね」

夫によると、突然「あっ!」と言う短い悲鳴が大声で左耳のすぐ近くで聞こえたのだとか。

「あんなことは初めてだ」と夫は言った。

その日は長女チェリーが職場の一泊旅行で家におらず、私もお姑さんも先に寝て、夫は一人で夜遅くまで起きていたのだった。

「それは男だった?女だった?」と聞くと、夫は「たぶん女の声だった」と言った。

その話を聞いて、私は思い当たることがあった。

夫が声を聞いたという場所からチェリーの部屋は、扉を開けていれば、まっすぐに見通すことができる。

その日の夜、私も寝る直前だったので夫が謎の声を聞く2~3時間ほど前だったが、夫が声を聞いたという場所からチェリーの部屋を何気なく見ていた。

チェリーがいない部屋は灯りもつけてなく薄暗かったが、見た時に一瞬ぞっとするような寒気を感じた。

特に何かの姿が見えたわけではなかったが、暗闇の中、確かに何かがいるような気がした。

そして、めずらしく「怖い」と思った。

男性か女性かと言われれば、それは女性だった。

チェリーのベッドの横に立ち、様子を窺うようにこちらをじっと見ていた。

「気のせいだ、気のせい」
そう自分に言い聞かせ、それにしてはぞっとする寒気を感じながら自分の寝室へ向かったのだったが・・・たぶんアレだ。

チェリーの部屋とその真下にあるお姑さんの部屋は東北に面しており、窓の方からよく何かが入ってくると思う。

お姑さんの部屋には大きくて立派な仏壇があるのだが、お仏壇にはいつも食べ物が山盛りに供えられ、それらが賞味期限まじかまで長くそのままになっている。

お姑さんの長年の習慣なので今更それを変えることもできずそのままにしているのだが、仏壇に食べ物を長くお供えしていることで、来てほしくないモノたちを呼んでしまうのではないかと思う。

理由はそれだけではないのかもしれないし、じっさい私にはよくわからないが・・・

とは言え、見えない世界とはまったく無縁の夫が声を聞いたとすれば床供養をするしかない。

以前もやったのだが、これは長く続けた方がよいのかもしれないと思った。

このようなことからも、この世とあの世は重なっているのではないのかと思うほど、近くにあるのだなぁとつくづく思う。

そして、まだまだ供養をしなければならない霊の方々がたくさんいらっしゃる。

だから、私が生きている限りは供養を続けて行こうと思っている。

トンネルで誘導をしていらっしゃる男性も早く成仏されて行かれることを願っております。合掌







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継続は力

2016-11-28 15:10:51 | 日記
今朝起きて窓の外を見ると、ちょうど朝日が昇ってくるところだった。

オレンジ色の光が森に広がって行く様子は、とてもきれいだった。

そして外は一面の雪景色。すっかり冬になりました。


天気予報によると、今日の最高気温は4度だったので、積もった雪は昼頃には解けるだろうと思っていたが、予想に反してほとんど解けなかった。

いや・・・日当たりの良い場所では少し解けていたのだが、それが再び凍ってつるつる路面になっていた。

ここは標高が高い場所で街中より1~2度気温が低いことが多いため、4度まで上がっていなかったのかもしれない。

こうして雪が積もり始めるとウォーキングに行くのも億劫になってくる。

なんせ寒いのが苦手。できれば家から出たくない・・・

「今日は道路が凍って危ないからやめよーかなぁ」とかなんとか、自分を納得させる理由を見つけて今日は歩くのをやめようと思っていたら、妹から写真が送られてきた。

昨日、父に会いに行った妹が父の様子を写真に撮って送ってくれたのだった。

何枚か送られてきた写真には元気にピースをしている父が写っていた。

指でピースをしたのはいいが、そのあと指が元に戻らずピースのまま施設で飼われている金魚を指さしている父の姿に笑いがこみ上げる。

・・・と、父じゃない写真がもう一枚あった。

開いてみると、なんと妹自身の写真でバレエのポーズをとった姿だった。

妹は子供の頃から憧れていたというクラッシックバレエを50歳を間近にして習い始めた。

週に2回レッスンに通っている。身体はきついけど楽しいと言っていたが・・・

妹のピーンと伸びた足は、余計な脂肪が取れて筋肉質のきれいな足になっていた。

また伸びた両手も美しい・・・んっ!?両手の先には妹の飼っているインコが三羽止まってる!

これを見せたかったのね(笑)

ユーモア好きな妹らしい写真だった。

それにしても、バレエを始める前は脂肪がたっぷりで、やや太めタイプだった妹の変貌ぶりはすごい!

痩せたとは思っていたが、ここまでとは!

中年になっても鍛えれば身体は変われるのね。

この写真を見て、急にやる気が湧いてきたワタシ。

さっそくウォーキングに行ったのは言うまでもない。

継続は力なり・・・続くかなぁ、寒いよ~










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美しい織物

2016-11-24 16:10:32 | 日記
最近読んだ本は吉野弘さんの詩集「素直な疑問符

吉野さんは残念ながら2年前に87歳で亡くなったが、何気ない日常生活の中にある人の優しさや弱さのようなものを多く詩に書き残している。

この詩集の中で好きな詩はいくつかあるのだけど、特に好きで何度も繰り返して読んだのが「生命は」(いのちは)という詩です。

「生命は」(いのちは)

生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい

花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で

虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする

生命は その中に欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分 他者の総和

しかし 互いに 欠如を満たすなどとは 

知りもせず 知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに うとましく思うことさえも許されている間柄

そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?

私も あるとき 誰かのための虻(あぶ)だったろう

あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない

以下(素直な疑問符より)抜粋しました。

私たちは日常生活を送る中で、見知らぬ誰かの力を借りて生きているなんてことを意識してはいない。

でも、本当は無数の他者が媒介してくれて、今の自分の幸福がある。

このことを吉野さんは「他者の総和」という言葉で表現されている。

たった一本の糸では美しい織物が織れないように、人は一人では生きることができず、無数の他者があって初めて美しい織物が出来上がる。

そのようなことが、この詩から伝わってくるような気がする。







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わくわくすること

2016-11-21 16:45:39 | 日記
今日は手作りの味噌を作り終えた。

昨日から大豆をたっぷりの水に漬けておき、冷凍庫で保管してあった麹を冷蔵室へ移動させて準備をした。

さらに昨日だけは、納豆を毎日食べる夫に「納豆禁止令」を発令した。

なんでも納豆菌というのはとても強力な菌だそうで、前日に食べた納豆の菌が部屋の中に漂っているのか、潜んでいるのかよくわからないが、味噌に混入してしまう恐れがあるため、味噌を作る前日は納豆を食さない方がよいと書かれていた。

それにしても納豆菌が味噌に混ざるとどうなるのだろう?

納豆の臭いがする味噌ができるのか、糸を引く味噌ができるのか・・・興味がある。

ところで今回は大豆1・2キロ、麹1・2キロ、塩570グラムで作った。

大豆は指でつぶれるくらい柔らかく煮なければならない為、いつも圧力鍋を使っている。

重りが動き始めてから15分、火を止めて15分まつ。

大豆の量が多いので二回に分けて煮た。

タイマーをセットして大豆を煮ている間に麹と塩を混ぜる「塩切」をする。

この塩切は丁寧にやった方が美味しいお味噌ができるそうで、ビニール手袋をはいてよく混ぜていった。

圧力鍋は火加減を見ていないとたまにお湯が噴き出す恐れがあるので、火加減を見て、塩切に戻ってと、調理台とガス台を何度も往復していた。

大豆が煮えたら取り出し、やや冷めたところで大きめのビニール袋に入れて大豆をつぶす。

そこへ塩切をした麹を加えて混ぜ合わせ味噌玉を作る。

作った味噌玉を焼酎で消毒した容器に入れ、よく押して平らに伸ばしたら塩100グラムを乗せる。



この上にラップをぴったりかぶせ、焼酎をたっぷりと吹きかけてから袋の空気を抜いて重しをしたら完成。

容器の中で麹菌が活躍して、来年の夏頃には食べられるようになっているはず。

それにしても菌は面白い。

最近は「菌活」という言葉があるらしいが、私も玄米で作った乳酸菌でヨーグルトを作ったり、りんごや柿などを使って酵母を作ったりしている。

玄米乳酸菌のヨーグルトは毎日食べているが、今のところお腹を壊すことなく、むしろお腹の調子は良い。

さらに果物の酵母水はまるで甘い炭酸水のようで、そのまま飲んで美味しい。

もちろんこれらは自己責任で家族の中だけで食べているのだが、こういうことをしている時が私は一番わくわくした気分になれる。

こんな風にわくわくできることをもっと若いころ、例えば子供の頃にわかっていたなら、今とはまた違った道に進んでいたのかもしれない・・・なんてね。

そういえば、うちの三人の子供たちが小さかった頃は何が好きだっただろうか。

長男パインはレゴが好きだったなぁ、レゴで大きな建物や乗り物をたくさん作っていた。

長女チェリーはパズルだっただろうか。子供向けの12ピースくらいのパズルを繰り返し遊んでいた。

次女ピーチは「お祭り好き」で、地域や学校でなにか行事があったりすると生き生きとして働く子だった。
これは今、大学生になっても同じようなことをしているので、やはり好きなことをやっているなぁと思う。

親というのは、こんな小さなことから子供の才能を見出してあげることができるのかもしれない。

それを元にいろいろなことを経験させたり見せたり、それが将来たとえ大きな成功と言われることに繋がらなくても、豊かな人生を歩いて行ける人に育てることができるのかもしれない。

今からでも間に合うかな。







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粕漬けをつくる

2016-11-16 14:59:15 | グルメ
毎年お姑さんが作っていた漬物だが、昨年からお姑さんは作るのをやめた。

もう歳なので漬物を作るのは大変だからと言うことと、家族が少なくなって昔のように漬物をたくさん食べなくなってしまったこと、またお姑さんも認知症の影響か昔のように美味しく作れなくなってしまったことなどがその理由だった。

昨年は私が初めてほんの少しだけきゅうりの粕漬けを漬けてみたのだが、塩分の抜き方が足りなかったようで塩辛くなってしまった。

今年は作ろうかどうしようかと悩みつつ、お店で粕漬けの材料を見ていたら、夫が横から「粕漬け作ったら」と言ってきた。

実は夫は粕漬けが好きなのだ。

「そうだねェ。じゃあ、今度は瓜で作ってみようかな」と瓜の塩漬けを手に取ったら、「きゅうりも漬けてよ」と言われ、瓜のほかにきゅうりの塩漬けも買った。

帰ってきてから、まじまじと瓜ときゅうりの塩漬けを見たら、これはどう見ても冷蔵庫内でお手軽に漬けられる量ではないことに気づいた。


これは瓜ときゅうりの一部で写真に写っていないものがまだある・・・

というわけで、今までお姑さんが作っていたようにバケツでどかんと漬けることにした。

丸一日かけて塩を抜いた野菜を酒粕と砂糖、みりん、そしてカビ防止のために焼酎を少し入れたものに漬ける。


準備OK~

酒粕と野菜を交互に入れて完成!意外と簡単。



あとは酒粕の空き袋でぴっちりと蓋をして、軽めの重しをして物置小屋へ・・・味が染みるまでこのまましばらく置いておきます。

昨年の失敗から今年は塩辛くない状態まで野菜の塩抜きをしたのだがどうだろうか。

酒粕に漬けると塩分が抜けるので、塩を抜きすぎたかと心配もしている。

お姑さんや伯母さんたちにも何度か漬物の作り方を教わったのだが、古い時代の奥様たちは自分の舌で覚えて作るので、「だいたいこれくらいになったら」と言った感じで、正確に材料を量ることなくお作りになっている。

これくらいとは一体どれくらいだったのか?一度教えてもらっただけでは覚えられない~

今回、私は調味料の分量はきっちりと量ったが、塩抜き加減がどうだったか、しつこく書くようだが心配。

これはやはり長年漬けて、舌で覚えるしかないのかもしれない。

さて粕漬けはこれでよしとして、これからもうひとつ作ろうと思っているものがある。

それは昨年も作ったが「味噌」!!→ 「味噌作り」

これがことのほか美味しくできて、今も毎日自分で作った味噌でお味噌汁を飲んでいるのだが、時間がたつにつれ熟成が進んでますます美味しくなった。
(これがホントの手前味噌ってやつですね)

味噌は大豆を発酵させて作る、言わずと知れた健康食品でもある。

調べてみると、味噌による効能はいろいろあるようですね。

(がんのリスクを下げる)
●1日3杯以上のみそ汁で乳がんの発生率が40%減少(厚生労働省研究班 2003年) 
●みその塩分は胃がんを促進しない(広島大学・渡邊敦光名誉教授 2006年)
●喫煙者が毎日みそ汁を飲むと死亡率は低下する(国立がんセンター・故平山雄博士 1981年)

(生活習慣病のリスクを下げる)
●みそは脳卒中、痴呆症、心臓疾患などの発症を低下させる(大妻女子大学・青木宏教授 1994年)
●みそ汁のある食事パターンが骨粗鬆症に効果(㈶癌研究会付属病院・陳瑞東医長 1994年)
●糖尿病の改善が期待される、みその褐色色素(女子栄養大学・五明紀春教授 1999年)

(老化を防止)
●発酵によってみそに老化制御機能が生まれる(東京農業大学・小泉武夫教授 1995年)
●みそは熟成過程で抗酸化力を高める物質が生まれる
   (東京大学名誉教授・大妻女子大学・加藤博通教授  1994年)

(その他の研究)
●みそには血圧低下作用をもつ物質がある(食品総合研究所・河村幸雄室長 1993年)
●みそには美白効果がある(食品総合研究所・新本洋士主任研究官 1997年)

これからは味噌は手作りに決めた!と思っているのだが、実は昨年作ったとはいえ、味噌づくりは私にとってまだまだハードルが高い。

前日からの仕込みもあって、「よーし!やるぞぉ~」と気合いを入れなければ味噌作りに取り掛かれないでいる。

味噌を作るために買ってある麹が冷凍庫を占領して他の食材が入りきらないため、早く作って冷凍庫を空けたいと思っているのだが・・・

気合いだ~!気合いだ~!気合いだ~!

来週やるつもりです・・・









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忘れないこと

2016-11-14 15:09:55 | 日記
昨日は妹を誘って父に会いに行ってきた。

父は日中、自分の部屋にいることはほとんどなくて、刺激を与える為や見守りの意味もあって、いつも職員さんたちがいる広間で車いすに座っている。

そこでリハビリをしたりテレビを観たりして過ごしているのだが、今はもうテレビを見ている様子はなく、他の方とおしゃべりをすることも無くなった。

昨日の父はちょうど職員さんに手の爪を切ってもらっているところだったが、背筋をピンと伸ばして座っている父は一見するととてもしっかりしている様子に見えた。

しかし認知症の方は、確実に進んでいると思う。

昨日は私と妹の顔を見ると、かすかに笑顔になったようにも思えたが、表情が乏しくなってきているし、何を言っても反応がほとんど返ってこなかった。

そんな中、父が唯一声を出したのが、妹が見せた父のペットだったオカメインコの動画だった。

父は家にいる時、オカメインコを飼っていたのだがとても可愛がっていて、オカメインコの方も父にとてもなついていた。

今、インコちゃんは妹の家にいるのだが、妹が撮ってきた動画を見せると画面に向かって父は何度も名前を呼んだ。

「チビよ、チビよ」

最初は聞き取れないくらいの小さな声で、次第に声が大きくなってきて、はっきりした声で何度も何度もペットの名前を呼んだ。

いろいろなことを忘れても、可愛がっていたペットのことは忘れていないのだなぁと思う。

また妹によると、逆に父の声の入った動画をオカメインコのチビに見せると、それに反応してチビが「ジィチャン、ジィチャン」と鳴くそうだ。

できれば、もう一度父とチビを会わせてあげたいと思う。

ぜったいにお互い(父とチビ)に喜ぶと思う。

ところで飼い主と心の交流ができるのは、犬や猫だけではなくて、このように小鳥であってもできる。

うちのP太郎なども遊んであげると嬉しそうに笑うし(飼い主にしかわからないかも)、しばらく留守にして帰宅すると、玄関のカギを開けた瞬間から「ぴーぴー」鳴きはじめる。

部屋に入るとこの状態↓



かごの側面に張り付いて、まるで「どこに行ってたの?さびしかったよ~」とでも言っているかのように鳴き続ける。

また、かごの外に出している時、家族の姿が見えなくなると不安になるのか、途端に鳴いて呼び始める。

「な~に?」と言って姿を見せると安心してまた遊び始めるのだけど、また姿が無いことに気づくと鳴きだす。

まるで母親の後追いをする幼児を育てているようで、大変と言えば大変なのだが、可愛いからいいのだ。許す。

というわけで、父の話からペットの親バカ話になってしまいました。

親バカついでに、もう一枚、うちのP太郎の写真を載せておきます。



P太郎の足元に落ちているのはティッシュの箱を食いちぎったもの。

空箱よりまだ中身の入っているティッシュ箱が好きというP太郎で、我が家のティッシュの箱はいつもボロボロになっている。

でも、いいの・・・可愛いから許す。










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塾選び

2016-11-10 12:11:37 | 日記
塾のアルバイトに行き始めてから早3か月。

やっと仕事にも慣れ、子どもたちの名前と顔が一致するようになってきた。

それにしても仕事をしていると時間を忘れる。

忙しくて時計を見る暇さえないということもあるのだが、仕事に集中しているせいか時間の経つことの早いことと言ったらない!

子どもたちが解いた問題集を次々に持ってくる。

私はその採点をする。

〇つけをしていると、だんだん子供によって苦手な個所と言うのがわかってくる。

この子は算数は得意だけど国語が苦手なんだなぁとか、同じような問題で必ずつまづくなぁとか・・・

私が働いている塾では、一つの教科に対して4冊くらいの問題集を使っていて、それらを子どもたちにやらせるのだが、複数の問題集を解かせるので、子どもたちは似たような問題を何度か解くことになる。

似たような問題を何度も繰り返すとだんだんと理解できるようになるし、同じような問題でつまづくことがわかると、そこをわかるまで教える。

教えるのはもちろんプロの先生なのだが、個人的にわかるまで丁寧に教えている。

実はこの塾は長男パインが中学生の頃にお世話になった塾で、それまで有名塾や大手の塾を渡り歩いても伸びなかったパインの成績がこの小さな塾に入ってからぐーんと伸びた。

パインの性格から、どんなに評判の高い塾に入れても集団授業ではダメだったということがあとでわかった。

中学生までのパインはどちらかと言うと大人しいタイプで、集団授業でわからないことがあってもそれを先生に聞くことができず、わからないことがわからないままになっていたようだった。

「わからなければ、あとで聞きに来るように」と塾の先生には言われていたのだが、活発な子たちが我れ先にと聞きに行くのを見てパインは行けなかったらしい。

ところで、私が仕事帰りにたまたま通りかかった家の前に小さな看板を見つけたのが、この小さな塾を知るきっかけだった。

普段はまず通ることのない路地の中にひっそりと建っている民家で、家の前の看板から小中学生を対象にした塾だとわかった。

大手の塾に行かせ、高額な授業料をつぎ込んでも成績がいまいちのパインをどうしたらいいものかと思っていた私は、すぐにその家に飛び込んで話を聞くことにした。

教えていたのは私よりも年上の主婦の方で、お話を聞くととても良さそうな気がした。

何よりも月謝が安かったのが良かった。それまで行かせていた塾の三分の一だった。

パインがこの塾に行っていた頃から、塾の勉強方法はあまり変わっておらず、何冊ものテキストを使って同じような問題を頭の中に定着するまで何度もやらせていた。

しかも、その頃はまだ生徒の数が少なかったので、先生が子供たちが問題を解くのをいつも目の前でじっと見ていたそうだ。

そして「パイン君はまだ自分からわからない所を質問してこないのですが、問題を解く手が止まったら、ここがわからないんだなと思って指導しています」と言われた。

これがまさにパインにとってどんぴしゃりの塾で、それから少しづつ成績が上がっていき希望する高校に合格をすることができた。

パインの成功ですっかりこの塾のファンになった私は、次女ピーチが中学生になって塾に通いたいと言い出した時も「お兄ちゃんが通ってよかったから、ピーチもそこに行ったら」とすすめたのだが、何か月か塾に通ったピーチは「ちがう塾に行きたい」と言い出した。

ピーチの時もまだ生徒の数は少なく先生がつきっきりで見ていてくれたのだが、ピーチは「集団授業をやっている大手の塾に変わりたい」と言う。

パインと性格が違うピーチには、つきっきりで見てくれる代わりにライバルもいないという小さな塾は合わなかったようだ。

その後、集団授業をしている大手の塾に変わったピーチは自分で勝手にライバルを作り、「あの子より私の方が点数が悪かったからがんばろう」とか「今回は私の方が点数が高かった」とか言って、自分よりもできる子を目標にして成績を伸ばしていった。

二人のこどもを塾に行かせてわかったのは、その塾の勉強方針が合うか合わないかが一番大切で、いくら有名でも合格率が高くても、それはあまり関係がないということだった。

個人授業が合うのか、集団授業が合うのか、子どもの性格によって分かれると思う。

それを知らずにパインの塾選びに無駄なお金もたくさん使ってしまった。

それにしても、無駄と言えば、塾選びに限らず長い人生では無駄なことはたくさんしてきているなぁと思う。

その時はそれが最善だと思ってやっているので後悔はしていないが。

さてと、今日は午後から塾でお仕事。

塾に通ってくるそれぞれの子供たちに塾が合うか合わないかの判断はできないが、私の仕事は子どもたちがわかるようになることをお手伝いする事。それだけに集中してきます!!







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すべてはつながっているということ

2016-11-08 16:26:14 | 日記
アポロ14号に乗った宇宙飛行士エドガー・ミッチェルは宇宙へ行った時、こう語ったそうです。

「あらゆる惑星と、あらゆる時代のあらゆる人間たちが、何か目に見えない網の目によって結びついているという、宇宙の一体感を感じた」

それは人間に限らず、地球や太陽といった惑星も、すべてが私たちとつながっているということを言っています。

そのことを知ったエドガー・ミッチェルは息をするのもやっとなほどにショックを受け、ロケットを操縦するのもやっとだったそうです。

「すべてはつながっている」と言うのは、精神世界ではよく聞くことです。「ワンネス」とも言いますが。

ここで私自身が体験したことを書きますと、精神状態が非常に静かな状態になった時、黒いチューブのようなトンネルが見えてくることがあります。

そして、そのトンネルを抜けていくと、その先には宇宙が広がる様子を何度も見たことがあります。

子供の頃はトンネルを通過しなくても宇宙を見ることができましたが、さすがに大人になってからはそう言ったことはなくて、宇宙へ行くためにはトンネルをくるくると回りながら通過しなければなりません。

これを見て思ったのは、宇宙とは自分の内部にも存在するのだなぁということでした。

つまり宇宙と自分はつながっているということでした。

大きな意味では宇宙とは神とも言うのかもしれません。

すべてがつながっていることが分かった時、心の中はとても平和になりました。

しかし、この三次元と言われる世界では心を乱すような様々なことが起こります。

苦手な人とも付き合わなければならないし、お金の苦労があるかもしれない、また家族や自分が病気になるかもしれない。

どうしてこんなに苦労ばかりなのかと恨み言ひとつ言いたくなるかもしれません。

自分とすべてがつながっていることを知らなかった私は、そのすべてがとは言わないまでも、自分にとって良くないことは自分以外に原因があると思っていました。

しかし今はその一部は自分が蒔いた種であり、また生まれてきた時に自分自身の学びの為に設定したことでもあるのかもしれないと思っています。

時代を越えて、前世と言うものを生きた自分が原因だったかもしれないし、今の自分の考えや行動が原因だったのかもしれない。

自分が蒔いた種は刈り取らなければならず、自分が設定したことならば必ず乗り越えられるはずだと思います。

私自身で言うならば、すべてがつながっているということがわかると、できる限り良い想いを持ってそれを周りにも与えようと思いました。

大そうなことをしなくても、笑顔で返したりすることなら簡単です。

「悪口」や「噂話」など悪意を持って自分が吐き出したものは、周囲に悪影響を与え、回りまわって自分が受け取ることになるのかもしれません。

世界各地で起こっている戦争も人間の意識がそうさせたものであり、自然災害でさえもまた人間の意識と関係があるということを、今ならば私は信じることができます。

また逆に言えば、よい想いを出すとそれもまた自分がいずれ受け取ることになるのだろうと思います。

とは言え、いついかなる時でもすべてはつながっていると感じることはなかなか難しいかもしれません。

時々つながりから離れてしまう自分が、再びすべてとつながっていることを思い出すことができたのは、神棚を設置して神様をお祀りすることでした。

日本では古来からすべてに神が宿っているとし、神社を建て神様を祀ってきました。

毎朝、神棚に手を合わせると、この大いなる地球、そして自然、また宇宙に感謝したくなります。
すべてとつながっていると感じます。

さらに良い想いを発するということは、やはり毎朝する先祖供養で培われてきているように思います。

自分の見ず知らずの遠い祖先の方々にむけて、自分が生かされていることを感謝し、成仏されていない方は早く成仏されるように祈ります。
目に見えない世界を信じられない方には、信じがたいことでしょうが、世の中には成仏されていない霊が数多くいらっしゃって、子孫や関係者が供養することで成仏されていきます。これは本当です。

すべてのものとつながることを感じる為の方法は幾通りもあるのだろうと思いますが、神を祀る事と先祖供養は古くから日本では行われてきたことなので、一番すんなりと入りやすかったと思います。

偉そうなことを言っても、怒ったり悲しんだり、落ち込んだりすることもたまにはありますが、それでも昔の自分よりもずっと心が平和になり、また現実生活も良くなっています。

肉体を脱いだ時、いつかこのすべての中に入れることができるよう、自分の魂を磨いていきたいと心から思っています。

ちなみに私が神祀りと先祖供養のやり方を参考にさせて頂いているブログです。→ 「伊勢白山道」さん











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今を・・・

2016-11-04 12:41:47 | 日記
父が付けているペースメーカーの定期健診があり、付き添って病院へ行ってきた。

病院は高齢者住宅の隣なので父の身体に負担をかけることなく、車いすのまま連れていくことができる。

父の様子はと言うと、まあまあ顔色もよく元気そうだった。

心電図、レントゲン、ペースメーカーの検査などを済ませ、最後は診察だった。

診察室に入ると医師が検査結果を見ながら「うん、いいですね!これならまだまだ元気でいられますよ」とおっしゃった。

また「ペースメーカーを入れる前は危なかったですが、こんなにお元気になって、私も本当にうれしいです」ともおっしゃってくれた。

確かにペースメーカーを入れる前の父は、脈拍が平常時の半分以下まで下がって意識も無く、傍から見てもこれは危ない状況だとわかった。

それが今は大腸がんの手術も乗り越えて、元気に暮らせているとはすごいことだと思う。

いろいろな困難に直面した時には、まさかこんなに元気になっていることは想像できなかった。

一番最初の困難であった「最悪、腎臓の摘出か!?」と言われた時には、良くてもこのまま寝たきりになってしまうのでは・・・と心配したが、それは幸運なことに杞憂に終わった。

何が父をこのように生かしてくれているのだろうかと考えた時、たまたま良い医師に出会えたことだったり、また高齢者住宅で良い介護を受けていることであったりするのだが、もうひとつ、それは父の前向きな思考もあるのだろうと思う。

大腸がんの手術をする直前、私が手術をすることを説明すると、「大丈夫だ、大丈夫だ」と力強く言ったことからも、それはわかる。

父は昔からとても前向きな人だった。

いつも「大丈夫、うまくいく。なんとかなる」と言っていた。

長女チェリーの障害がわかり落ち込む私に「大丈夫だ、この娘はしっかりしてる。ちゃんとやっていくから大丈夫だ」と言い続けてくれたのも父だった。

精神と肉体は繋がっている。

だから前向きな考えを持つことは、身体にとってとても大切なことだと思う。

未来のことなど誰にもわからない。

余命いくばくもないと思われていた老人よりも先に、元気で飛び回っていた人が突然逝ってしまうということだってあるのだから。

だから父や親しい人の死が近々くるのではないかと心配して心を乱すよりも、今を、今日一日をじゅうぶんに味わって精一杯に生きることが大切なのだ。

・・・と私は思うのでした。







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変化

2016-11-02 16:40:54 | 日記
我が家の裏に広がる森林は、リビングの窓から見ると東南になるため、太陽が東から昇り、そして時間の経過とともに森林の上を移動していくのが見える。

毎朝リビングの窓から、森林と太陽に向かう形で祈りをささげている。

太陽と大自然、つまり天と地に感謝をし、自分の身体の中にその両方から流れ込んでくる光のエネルギーを頂く。

それはもう何年も続けていることなのだが、実はここ最近そのエネルギーが変わったと感じていた。

それまでは地から流れてくるエネルギーが強かったのだが、先月くらいから天から流れてくるエネルギーが強くなった。

これは私の感覚なので、あまり意味はないことかもしれないが、毎日毎日続けていることなので、微妙なエネルギーの流れの違いというのを感じる。

そして、天からのエネルギーが強くなったからなのかはわからないが、私は「伊勢神宮」に行きたくて仕方がない。

伊勢神宮はまだ行ったことがなく、いつか行きたいとは思っているのだが、これほど行きたいという気持ちになったのは初めてのことかもしれない。

ただ残念ながら、今のところ行く予定はない。

だから、今朝は氏神さまである神社へお参りに行くことにした。

こちらの神社の御祭神は「天照大神」で、神社に一歩足を踏み入れるとその雰囲気は非常に柔らかく、どこか女性的な印象のする神社なのだが、いつもきれいに掃き清められていて清々しい。

朝早く参拝者がまだ誰もいない境内には、美しく紅葉した木々の間をたくさんの小鳥たちが飛び回っていた。

本殿へ向かう為に階段を上ろうとした時、本殿の軒先から二羽の雀がちょこんと顔を覗かせているのが目に入った。

可愛らしい顔をふたつ並べて、じっとこちらを見ている。

あまりにも可愛いので、柏手を打って驚かせてしまうのではないかと心配になり、すこし控えめに手を打った。

そして生かされている事への感謝を捧げ、顔を上げるといつの間にか雀たちはいなくなっていたが、胸の中は喜びでいっぱいになっていた。

神社から帰る道も心はずっと弾んでいて、神社というものがある国に生まれたことに感謝したくてたまらなくなった。

どこの町にもある神社で神様と、そして自分の心と向かい合えるとはなんと素晴らしいことなのか。

以前、アメリカから来たお客様をとある神社へ案内したことがあり、その時に「神社にはなんという神様がいるのか」と質問されたことがある。

その時は、日本には八百万の神がいて、神社によって祀られている神様がいろいろといらっしゃるのだということを説明したのだが、唯一絶対の神キリストを信仰し、週末には欠かさず教会へ通うと言うアメリカ人の方は「理解できない」という顔をされていた。

今ならもう少しわかりやすく説明ができただろうか・・・

いやいや、やっぱり無理かなぁ。

このブログに書いていることも、けっして人前では話すことはできない。

「光のエネルギー?なに言ってんだべ」←(いきなり訛る)

そう言われるのがオチだと思う。

やはり自分の中だけでそう思っていればいいのだろう。

ただ、こうしてブログと言うものに書くことは、「自分はこの時こう感じていたのか」と思い出し、またその時の感情を再び呼び起こすことができていい。

よい感情はもう一度嬉しさを味わうことができ、怒りや悲しみの感情は時間の経過があることで第三者の視線で反省したり見つめなおしたりすることができる。

ほとんど独り言であり、ごくごく少ない方にしか読まれていないブログですが、こうして読んで頂いていることに感謝申し上げます。









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