ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

話を聞いて

2014-07-28 17:09:00 | 日記
長女チェリーは軽度の知的障害があるためか、同じような失敗を繰り返すことが多い。

そんな時「なぜ失敗してしまったのか、これからはどうしたらよいのか」ということをチェリーに話すようにしている。

失敗したことはもう仕方がないが、今後、同じような失敗をしないことが大切ということを分かってほしくて話すのだが、見たいテレビ番組があったり、話しを聞くのが面倒な時は「わかってる。わかってる」と言ってさっさと逃げてしまう。

こういう場合は大抵わかっていなくて、しばらくするとまた同じいような失敗を繰り返してしまう。

「人の話はちゃんと聞きなさいっ!!」

「だから言ったでしょ」という思いが出てきて、チェリーに向って思わず大声になってしまうのだが、今言っておかないとこの娘の為にならないと思うと、やはり言いたくないが言わなければならない。

これから就職して自立していくことを考えても、他人からの注意を素直に聞ける人になってほしいので、地道に教えていくしかないなぁと思っている。

ところで、今朝はチェリーにではないが、「話を最後まで聞いて」と思うことがあった。

今日はお姑さんがデイサービスに行く日で、いつも9時半くらいに迎えの車が来る。

そして迎えが来る前には、お姑さんのところに電話がくることになっている。

今朝、私は用事があって、朝早くから外出していたのだが、家に戻ってみるとお姑さんがまだ居た。

「あれ、迎えはまだ?電話は来ましたか?」と聞くと、「いや電話は来ていないんだけど、お母さん(私)のとこの電話が鳴っていたよ。しばらくしたら切れたから私は出なかったけど」とお姑さんが答えた。

「誰からだろう」と考えてみたが、もしかしたらお姑さんのデイサービスからだろうか?と思った。

うちはお姑さん用と我が家用の二つの電話番号があり、デイサービスのお迎えの電話は、お姑さんの電話にしてくれるように頼んであった。

お姑さんも自分で電話を受けて準備をするので、デイサービスからの電話を待っている。

しかし、何度お願いしてもお姑さんの電話ではなくて、うちの電話にかかってくることがあった。

同じ家に住んでいるので、私がお姑さんに伝えればいいだけなのだが、今日のように私が外出していることもあるし、何よりお姑さんが電話を待っている。

「うちではなくてお姑さんの方へ電話をしてください」と間違うたびに、お迎えに来た担当者にお願いすると「すみません」と申し訳なさそうに謝ってくれるのだが、社内の連絡がきちんとされていないのか、それでも時々うちへ電話が来ていた。

今日は混んでいて迎えが遅くなっているのかもしれないと思い、しばらく待ってみたが、やはり迎えは来ない。

いくらなんでも遅すぎる・・・

もしかして、(うちへ)電話をかけたが出なかったので抜かされてしまったのだろうかと思い、デイサービスに電話をかけてみた。

電話を受けた男性職員は慌てて「これからすぐに迎えに行きます」とおっしゃって、それからしばらくして迎えの車が到着した。

お姑さんと一緒に玄関に出ると、職員さんは「すみません、すみません。車が×△@&#ムニャムニャ・・・でして遅れました」と、訳のわからないことを早口に話すとお姑さんの手を引いてそそくさと車に乗ろうとした。

私はもっときちんと話をしたいと思い「ちょっと待ってください」と呼び止めたのだが、「すみません、すみません」を繰り返しながら車に乗り込もうとする。

私は怒っていたわけではなく、もちろん鬼の形相をしていたつもりもない。(していたのかな??)

ただ、今後の事もあるので朝の電話の事が知りたかった。

もしもうちへ電話をしたのなら、これからはお姑さんのところへして欲しいと再度お願いしたかっただけなのだが、男性職員はとても急いで行こうとしていた。

職員さんの後姿に何度か呼び止めると、やっとこちらの方に振り返ってくれた。

そこで「朝、うちの方へ電話をくれたのでしょうか」と聞いた。

「もしもそうなら、もしかして電話に出なかったために抜かされてしまったのではないですか?」と聞いてみたかったのだが「すみません、今度から気をつけます」と答えになっていないことをおっしゃって、そのままそそくさと行ってしまった。

「話を最後まで聞けー!」

走り去る車を見ながら、心の中で叫んでしまった。

なぜこうなったのかということが、うやむやのままになってしまった。

もっとしつこく呼び止めればよかっただろうか。

デイサービスから帰ってきたお姑さんの話に寄ると、やはり思っていた通りのことだった。

うちへ電話をしたが出なかったので、そのまま抜かしてしまったそうだ。

電話に出ないのなら、なぜもう一つの番号にしようと思わなかったのだろうか。

休みの連絡をしていないのだから、とりあえず迎えに行こうとは思わなかったのだろうか。

きっと、これからもまた同じことが起きるだろうなと思う。

そして、これからも私は同じことをお願いし続けると思う。

お姑さんがそのデイサービスで友だちができて気に入って通ってくれているので、事業所を変えることはしないが、これがまったく違った会社なら、私はたぶん別の会社に変える。

なんど同じ事をお願いしても、同じミスを繰り返す会社は信用できない。

それにしても、やはり人なんだよなぁと思う。

人によって、その組織の印象ががらりと変わる。

もしかしたら、いい加減な職員はたった一人で、他はみんな優秀な職員ばかりだったとしても、そのいい加減な職員に当たったら、やはりその会社の印象が悪くなる。

(この会社はいろいろな職員さんに言っているのもかかわらず、同じミスを繰り返すというパターンですが・・・)

たかがデイサービスの迎えだが、その事業所に対しての信頼はますます減ったと思う。










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戻ってきたスマホ

2014-07-25 16:42:25 | 日記
今や大人も子供もみんな携帯電話を持つ時代。

私が若かった頃も(今から30年くらい前?)携帯電話があったが、カバンくらいの大きさで肩から提げるのが「携帯電話」だった。

もちろん個人で携帯電話を持っている人は無く、あれはあくまでも仕事用だった。

それがどんどん小さくなり、カバンサイズがポケットサイズになってしまった。

本当にすごい時代になったと思うが、小さくて便利になった代わりに落としやすくなったのではないかと思う。

ところで我が家の家族もみんな一人ずつ携帯電話を持っているので、もうほとんど家の固定電話を使うことがなくなった。

そして、外から固定電話にかかってくるのもずいぶん少なくなったかもしれない。

ところが、昼間に珍しく固定電話が鳴った。

出てみると、ひとり暮らしをしている長男パインだった。

なぜ固定電話に?と思ったら、慌てた様子のパインが「スマホを落とした」と言う。

ズボンのポケットに入れたつもりが無くなっていたそうだ。

「今から探しに行くから、スマホの利用を止めておいて」と言ってパインが電話を切ったので、たまたま家に居た夫が携帯電話会社に連絡をして、パインのスマホを止めることにした。

こういう時、携帯電話がないのは本当に不便だと思う。

パインに連絡したくても連絡の術がない。

とりあえず夫が携帯電話会社のHPからパインの携帯電話の使用を止めようと奮闘しているのを見ながら、私は「パインの携帯に電話をしてみよう」と思いついた。

良い人が拾ってくれたらいいのだけど・・・と思いながらパインの携帯に電話をすると呼び出し音は鳴るものの、相手が出ることなく切れてしまう。

今は個人情報の保護というのもあるし、拾った携帯電話が鳴っても出ないのかなぁと思いながら、三度目くらいの挑戦をしていた時、突然「はい」という返事がして相手がでた。

突然、相手が出たことに動揺しつつも「電話を拾って下さったんですね!ありがとうございます」とお礼を言ってから「それ息子のものなのですが、警察に届けていただけないでしょうか」とお願いすると、電話の相手は「もう言いましたから、大丈夫です」と言った。

相手は女性だったが、話し方からして幼い子供なのだろうかと思った。

どうも話し方がたどたどしい。

「言ったというのは警察にでしょうか?」と聞くと「いえ、本人です」と言うので、私にはよく理解できなかった。

本人と言っても、たった今パインが慌てて電話をしてきたばかりで、そんなことがあるのだろうか?

いろいろ話を聞こうとしたが、相手の人が私の話をあまり分かっている様子がなく、また私も相手の話す言葉が理解できなかった。

かみ合わない会話を続けていたら、「ワタシ、留学生デス」という言葉が聞こえてきて、やっと相手の方がパインと同じ大学に通う留学生だと分かった。

「イマ、アルバイト中ダカラ、アトデ返します」と言うので、私はてっきりその留学生がアルバイト中なのかと思ったが、実はパインがアルバイトをしている日だったと後で知った。

パインがスマホを返してもらえば、きっとパインの方から電話が来るだろうと思って待っていたが、夜9時を過ぎてもパインから電話が来なかった。

あまり遅いのでパインのスマホに「電話はどうした?」とメールをしてみたら、しばらくしてから返信が来た。

「まだです。たぶんまだアルバイトです。少々おまちください」

以上のような内容の返事だったので、パインにまだスマホが戻っていないことが分かった。

スマホを拾ってくれた人からメールの返事が来てまもなく、また家の固定電話が鳴り、それはパインからだった。

「今、警察にいるんだ。電話の紛失届けを出してる」と言う。

ん?パインはスマホを拾ってもらったことを知らないの?

なんだか訳がわからなかった。

スマホを拾ってくれた人が、パインを待っていることを伝えると、「どうして自分が今日バイトしていることを知っているんだろう?」と不思議そうだったが「自分の携帯に電話をしてみるよ」と言って電話が切れた。

それから小一時間ほどして、パインから無事にスマホが戻ってきたと連絡があった。

大学の前で待ち合わせをしてスマホを返してもらったそうだ。

相手は同じ大学の留学生で、中国から来た女性だったそうだが、パインとは面識はない人だったとか。

夜10時を過ぎていたにもかかわらず、暗い中をわざわざ大学前までスマホを届けに来てくれたとか。

「お礼はしたの?」と聞くと「お礼にすこしお金を払おうとしたら、絶対に受け取らないんだ。でも良い人に拾ってもらってよかった」と言う。

「でも、やっぱりお礼はしたほうがいいよ。お菓子でもいいから買って、あとで持って行きなさい」と言って電話を切ったが、なんだかホッとしたのと同時にどっと疲れが出たような気がした。

それにしても、良い方が拾ってくれて本当によかった。

これからは、パインもすこしは気をつけるようになるだろうか。

そうそう、なぜ留学生の女性が、パインがアルバイトをしていることを知っていたのかというと、パインが落としたスマホを探していた時、パインのアルバイト先の人がパインのスマホに電話をかけたそうだ。

「来るのが遅いがどうした?」という電話だったそうだが、なんせ留学生は日本語がうまく話せないので、話がかみ合わなかったらしい。

留学生は電話の相手をパインだと思いこみ、アルバイト先の人はパインがスマホを落としたことを理解できていなかったようで、仕事に行ったパインには何も言っていなかったそうだ。

パイン、留学生、アルバイト先の人、三人の話がかみ合わないまま、パインはスマホが拾われている事を知らずに警察に行ったというわけだったらしい。

もしも私がパインのスマホに電話をしていなかったら、どうなっていたのだろうと思う。

中国人の留学生はパインからの連絡を待ち続け、パインはそんな事も知らず警察で紛失届けを出し、まだスマホは戻っていなかっただろうと思う。

こうして無事に話が繋がって本当によかったと思うと同時に、多くの事に感謝せずにはいられなかった。







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なんだかねぇ。。。

2014-07-22 17:19:58 | 日記
ヘルパーの仕事で、毎週訪問する家は70代の老夫婦のお宅だ。

ご主人の足が不自由なため介護認定を受けて、ヘルパーの家事援助をはじめ色々な介護サービスを受けている。

普段は奥さんが家事をしているのだけど、週に2回ほど私と別のヘルパーが交互に家事援助として訪問している。

家事援助の内容は掃除のみ。

お風呂とトイレの掃除、部屋の掃除機かけと拭き掃除。

市営住宅で部屋数が少ないとはいえ、一通りの家事をすると60分という時間はあっという間に過ぎてしまう。

いつも思うのだが、こちらのお宅は週二回の訪問は多いのではないかと思っている。

そのご夫婦はとても綺麗好きで、特に奥様が部屋の中をいつも綺麗にされているので、ヘルパーが行っての掃除は週に一度でも十分なのではないかと思うのだ。

しかし現在の介護の制度では、そのようなことをこちらから言って変更することは難しいのだろうと思う。

「じゃあ、週二回来てくれる事業所に変更します」と言われておしまいだ。

私の父も介護サービスを使わせて頂いているので、けっして大きな顔をして言えないが、そのサービスのほとんどは税金が使われている。

よく報道されているが、高齢者が増え続け子供が減っている状況の中で、財政はとても厳しいものがあるといわれている。

このまま行ったらどうなるのだろう、あとどれくらい持つのだろうなど心配になってくる。

この先、介護制度は見直されると思うが、現場にいるとこれは無駄だな~と思うことが時々あったりする。

(このお宅の場合ですが・・・)週二回の掃除が過剰ではないかと思う介護サービスの使い方もそうだが、生活保護費の使い方というのもどうなのだろうかと思うことがある。

この老夫婦は生活保護で生活をされているのだが、時々とても高価な買い物をされる。

ご主人が大の通販好きで、よく通販でお買い物をするのだ。

私が訪問すると、嬉しそうに通販で届いたばかりの商品を見せてくれることがある。

それは盆栽の置物だったり風景画だったりで、どれもあまり生活にはなくても支障はないようなものだが、それらの値段を聞いてびっくり。

どれも数万円はする・・・

先日も通販のカタログを見せられた。

「どうだい?これいいと思わないか?欲しいんだよな~」とおっしゃるご主人の言葉に、どれどれとカタログを見せていただくと、そこには立派なケースに入った動物の置物があった。

値段を見ると、やはり数万円。

「これこれ。これも欲しいんだ」と別のページを開いて見せてくれたところには、レプリカの日本刀があった。

動物の置物も日本刀も、タダであげると言われても私はお断りするが、ご主人はとても欲しそうだった。

ところが、今日訪問してびっくりした。

なんと先日カタログで見せられた動物の置物が部屋にあるではないの!

デデーンと部屋に置かれた置物で、ただでさえ狭かった部屋がますます狭くなったような気がした。

ご主人は「いやぁ、こんなに大きいものだとは思わなかった」と苦笑いしていたが、私もこれから掃除機をかける時に気を使うなぁと苦い気分だった。

ガラス製の大きなケースに入っているので、狭い部屋の中で掃除機を運ぶときなど十分に気をつけないと、ぶつかったら壊してしまいそうだ。

他人の財布の中身を詮索するようなことは嫌だが、それにしても生活保護だけでどうしてこんなに高価な物を買えるのか不思議だ。

もしかしたら他の部分を削って買っているのかも知れないが、必死で働いているにもかかわらず苦しい生活をしている人が大勢いるのを思うと、住まいも病院も部屋の掃除も無料、しかも生活費までもらって、これを買うのか?と思うと、なんだかなぁと思ってしまう。

誤解をされないように付け加えますと、私は生活保護をもらうこと自体は仕方がないことだと思っている。

様々な事情で生活保護を受けなければ生活が成り立たない人は受けるべきだと思うが、その使い道が問題じゃないのかなぁと思う。

「他を削って好きな物を買うののどこが悪い」と反論されればそれまでかもしれないけど、今日はすこし割り切れない気持ちがした。










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若くなった?

2014-07-17 17:14:47 | 日記
今や年に一度の恒例行事とも言える高校時代の友人達との会食に行って来た。

なぜ年に一度なのかというと、みんなそれぞれが忙しい毎日を送っているので、そう頻繁には集まることができないから。

そんなわけで、夏に本州に嫁いでいる友人が里帰りをしてきた時に集まることにしている。

小中高、そして短大とそれぞれの時代の友だちはいるが、こうして高校時代の友人達と集まることが断然多い。

それもクラスの友人ではなくて部活で一緒だった仲間。

高校時代、彼女達とは部活以外で一緒に過ごすことはあまりなかったのだが、なぜか卒業してからもずっと続いている。

昨日は8名が集まった。

みんな53歳のおばさんになってしまったが、いつも会って話はじめた途端、17~18歳だった頃にタイムスリップする。

それは友人達も感じるらしい。

一人の友人が「みんなといると、なんだかほっとする」と言うと、もうひとりの友人が「それは、みんなが高校の時と変わっていないからだと思うよ。だって、みんなの雰囲気があの頃のままだもの」と言った。

顔は過ぎ去った年月に比例して老けてはいるが、たしかに雰囲気はみんな変わっていない。

高校を卒業して35年、ずっと独身を通している人、大きな病気になった人、離婚をした人、ボケたお姑さんの糞尿にまみれた壮絶な介護をしてきて、最近やっと看取った人など、みんな決して平坦な道のりばかりを歩いてきたわけではないが、集まると愚痴ではなくて楽しかった話で盛り上がる。

昨日の会場はホテルのランチバイキングだった。

(まじめな?)主婦が多いので、集まるのは夜ではなく昼の時間帯。

もちろん、昼なのでアルコールはなし。

幹事をしてくれた友人の「みなさ~ん、今日は大いに食べて大いに飲みましょう」との掛け声で、みんなおもむろに立ち上がり料理や飲み物を取りに行った。

「もう若い頃のようにたくさんは食べられないわ」と言いながらも「あれも、これも、美味しそう」と言いながら、たくさんの料理を持ってきた。

そしてジュースで乾杯をして、しゃべって、食べて、しゃべって、食べて、時々お茶やジュースでのどをうるおして、あっという間に楽しい時間が過ぎた。

あ~楽しかった!

ところで、昨日は友人から嬉しい言葉を頂いた。

それは「去年より若返っていない?」と言われたこと。

「そう?そんなことないと思うけど」と謙遜しながら、内心はとっても嬉しかった。

「なんだろう?なんか若くなってる気がする」と友だちはまじまじと私の顔を見つめてそう言ったが、その時に頭に浮かんだのは「乳酸菌」と「ニベア」だった。

昨年会ったときには使用していなくて、その後使用し始めたものがこの二つだったから、多分これじゃないかと思ったのだ。

そこでまた「実はね、乳酸菌を手作りして毎日飲んでんのよ~」と友人に話したところ、友人達から一斉に「いやだー!そんなの飲んで、おなか壊さないの~!!」という声が上がった。

「下痢するよー!」「おなか大丈夫?私は嫌だわ」の声が続く。

まったくはっきり言う友だちだ(笑)

別に広めようとして言ったつもりは全くないし、友人達も面白そうに聞いてくれたので、それはそれでよかったのだけど。

確かにねぇ、下手するとおなか壊すかもね・・・と実は私も思う。

しかし、本当の一番の若返り法は「懸命に働くこと」と苦しくても自分自身を傷つけるような想いを持たないことなのだそうだ。

今朝はまさに書こうとしていたことに、ちょうどよいタイミングで、それについて書かれた記事を読む事ができた。

若返る秘密 (伊勢白山道さんのブログから)












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父を公園に誘う

2014-07-15 15:29:06 | 介護
昨日は高齢者住宅に住む父を誘って、市内の大きな公園に行こうと思った。

父は、最近また寝てばかりいるようになり、私や妹が訪ねていっても起き上がろうとせずに、ベッドの中で横になったまま話しをする。

「病気じゃないんだから、たまには起きていないと、身体が弱っちゃうよ」

いつもそう言って、なんとか父を起き上がらせようとするのだけど、「いや、いいんだ、このほうが楽だ」と言って起きようとはしない。

確かに寝ているほうが楽に決まっているけど、寝ていると足は弱ってくるし、頭痛だってしてくるかもしれないし、なんとなく気分が優れないかもしれない。

そんな父を公園に誘っても、きっと行かないと言うかもしれないな~と思っていたが、案の定「今日は、なんだか頭が痛いから行かない」と言われた。

「そんなことを言わずに公園にいる山羊や馬を触ってこようよ。きっと可愛いよ~」と押してみたが、父は決して「行く」とは言わなかった。

父は動物が大好きで、とりあえず四足で毛が生えているものならなんでも好きだ。

動物に駆け寄っては「可愛い、可愛い」と言って撫で回しているので、今回は山羊や馬で釣ってみたのだが、父の答えは「いや、行かない」の一点張りだった。

そんなわけで動物作戦はあえなく失敗に終ってしまった。

「じゃあ公園に行かなくてもいいから、とりあえず起きようよ。食堂の椅子に座って話をしよう」

一緒に行った妹が、父に有無を言わせないような強い口調でそう言ったところ、父はやっと起き上がってくれた。

父と妹、そして私の3人で食堂に移動し色々な話をした。

と言っても、ほとんど父が一方的に話していたのだが・・・

今まで何十回と聞いた同じ話だが仕方がない。

「うんうん」と頷きながら、私は襲ってくる睡魔と必死に戦っていた。

眠気で半開きの目ながらも、とりあえず私と妹が聴く事に徹していたので、話好きの父の調子はどんどん上がっていった。

話はエンドレスに続いていく。

もうどうにも止まらない。。。

ふとある事を思いついた。

もう一度父を公園に誘ってみる。

今度は「公園に行こう。(歩かないと足が弱るよ)」ではなくて、このように言ってみた。

「お父さん、公園でアイスクリームが食べたい。アイスクリーム買って!」

驚いたことに、父は「そうか」と言って立ち上がると、お財布を取りに部屋へ戻り、公園に行く支度をしてくれた。

その後、車に乗って公園まで行き、父は売店で私たちにアイスクリームを買ってくれた。

年老いて体が弱ってきて、すこし認知症が進んでも、やはり父は「父親」なのだと思った。

私たち子供が父の面倒をみている・・・というまるで立場が逆転してしまったかのように、介護をする私たちは思っていたけれど、そうではなかった。

そのような保護者的な目線では、父にいくら公園に行こうと誘ってもダメだった。

父にはまだ「親」としてもプライドがあるのだと分かった。

そこを理解できずにいたので、「なんて頑固なんだ」とか思っていたが、これからはもっとうまく父のプライドを傷つけないように誘ってみようと思う。

ところで、公園にいた山羊さんたちもしっかり撫ぜてくることができた。

妹が採ってきたクローバーを父が山羊に食べさせてていると、たくさんの山羊が寄ってきて父は嬉しそうだった。

私は父のすぐ横で父のフォローをしていたが、寄って来た山羊が私のカバンをハミハミ、ペロペロしていることなど、ぜんぜん気づかなかったわ。

おかげでカバンがびしょびしょ・・・(泣)







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ついに五十肩

2014-07-09 17:44:16 | 健康
もうずいぶん日にちが経つのだが、肩を痛めていた。

障害物があり、それを避けようとして身体をひねった時に、肩に激痛が走った。

以来ず~っと痛みがとれずにいた。

「これが巷で言われている五十肩というものかもしれない」と思ったが、そのうち治るだろうと思って、そのままにしていたのがよくなかったみたいだ。

痛まない程度に運動もしていたのだけれど、徐々に肩の関節が固まってきて、ついには腕が動きにくくなってしまった。

さすがにこれはまずいかも・・・と整形外科に行くとすぐにレントゲンを撮られた。

その後、診察室でレントゲン写真を見たお医者さんから病名を告げられた。

「ナントカカントカ関節炎」(長い名前だったので忘れてしまいました)

早い話が思ったとおりの「五十肩」だった。

医師は「これは大したことはない。注射一本打てば、すぐに楽になります」とおっしゃって、肩に注射をしてくれた。

注射をしてもらった後、お医者さんのお話を聞こうとそのまま椅子に座っていると、お年を召したそのお医者さんはこうおっしゃった。

「さあさあ、まかなって」

その言葉を聞いて、おもわず「あ~懐かしい」と思った。

子供の頃、よく親に「早くまかないなさい」と言われたっけ・・・

「まかなう」というのは、もしかしたら北海道の方言なのだろうか?

意味は服を着るとか、身支度をするということなのだけれど。

その日、私は手に上着を持っていた。

けっこう暑い日だったので、本当は上着を着るつもりはなかったのだけれど、お医者さんが「さあさあ、まかなって」と何度も言われるので、仕方なく上着を着ることにした。

お医者さんの前で上着を羽織っていると「どう?肩、楽になったでしょ?」と聞いてきた。

この時やっとお医者さんが「まかなって」とおっしゃった意味が理解できた。

腕が上がるようになったかを見たかったのだ。

まだ痛みはかなりあったが、気のせいかすこし楽になったような気がした。

「この注射をすればかなり良くなるはずですから。あとは自分でリハビリの運動をやってください」とのことだった。

「次はいつ来たらいいですか?」と聞くと「もう来なくてもいいです。三ヶ月しても治っていなかったら来てください」とおっしゃって、簡単な肩の運動が載っているパンフレットを渡された。

私としては、もう一回くらい注射をした方がいいのではないかと思ったが、その必要はないとおっしゃる。

それにしても、その日から毎日肩の運動をしているが、どうもすっきりと良くならない。

相変わらず腕は痛く、リハビリの運動をする時などはとっても痛い。

痛みをこらえながらリハビリをしていた時、ふと「水泳はどうだろうか」と思った。

水の中ならこんなにも痛みはないのではないだろうか。

そう思って、さっそくプールへ行った。

水泳は以前に何年間も続けていたのだが、ここ最近は泳いでいなかったので、本当に久しぶりのプールだった。

水の中に入ると久しぶりの水の感覚に嬉しくなって、いつものように身体を温めるためにクロールをした。

壁を蹴って颯爽とスタートしたつもりだったが、腕を回した途端すごい激痛が走り、泳ぐどころではなくなってしまった。

プールの中で腕を押さえて激痛に耐えていた。

痛みが治まってから、恐る恐る痛くない泳ぎ方をしていった。

クロールは肩を大きく回すのでまったくダメで、肩をまわす動作は同じだが背泳ぎならあまり痛くないことが分かった。

それから平泳ぎも大丈夫だった。

バタフライについては恐ろしくてやっていない・・・激痛が走ることは目に見えている。

二つの泳ぎをゆっくりやって、あとは水の中で腕を伸ばす運動などをしていたが、プールに行った翌日、かなり腕が上がるようになっていた。

今まで室内でしていたリハビリの運動ではこんなに良くなっていると思わなかったが、それがたった一度の水泳で効果が出たと思えた。

その後も時間があればプールに行くようにしている。

まだすこし腕が痛むので、洋服もゆっくりとしか着ることができないが、もうしばらくプールに通えば良くなりそうな気がしている。

早く前のように、ささっとまかなえるようになりたいなぁ。。。









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十分、味わって

2014-07-04 17:40:39 | 日記
テレビなどで美智子皇后陛下のお姿を拝見するたびに、「聖母マリア」を連想するのは私だけだろうか。

慈愛に満ちたそのお姿は、まさにマリア様そのものだと思う。

「聖母マリア」

この言葉を目にすると今だに、子供の頃に感じたあのなんともいえない切ない気持ちがよみがえって来る。

私が5歳の時、一緒に暮らしていた祖母が近所の病院に長く入院していた。

私は母と一緒に祖母の見舞いに、よくその病院を訪れた。

その病院はカトリック系だったため、玄関ホールには聖母マリアの絵が飾られ、病院の中庭に大きくて真っ白いマリア様の像が建っていた。

母が祖母の世話をしている間、時々私は中庭のマリア像を見に行った。

大きくそびえるように建っているマリア像を見上げていると、マリア像の意味も分からなかったが、なぜか胸がきゅんとなったことを覚えている。

子供心にもマリア像から漂ってくる慈愛を感じていたのかもしれない。

ところで、大人になってから気がついたのだが、私が生まれ育った家は、周囲にマリア様を信仰する教会を始め、カトリック系の病院、そしてカトリック系の学校が3つもあり、まさにマリア様に囲まれた場所だった。

その場所は特にカトリック信者が多い場所というわけではなく、それらの施設も全て別の法人が経営していたので、ただ偶然にそれぞれ建てた場所が近かったのだと思う。

とはいえ、これまでの私の人生の中でカトリックを信仰しようと思ったことは一度も無い。

それがある日、自分の中でつながった。(以下は私の妄想だと思って頂いてもかまいません)

なぜそのような場所で生まれ育ったのか分かったような気がした。

私はマリア様の近くに居たかったのだ。

人はみんな自分で生まれる場所や親などを選んで生まれてくるという。

まさに私もその場所を選んで生まれてきたのだと思う。

何年か前だったが、何度も何度も見えてくる映像があった。

最初は人の姿だった。

それは修道女だと分かった。

灰色の修道服を着ている。

次に見えてきたのが外国だと思われる室内の風景。

入り口から見ている風景だと思うが、部屋の突き当たりに、厚い木製の両開き扉のある小さな窓があった。

そして窓は開いており外の風景、ヨーロッパの古い建物が見えた。

部屋の中は向かって左側にベッドがあり、右側には壁に向かって小さな木の机と椅子があるだけの簡素な作りだった。

机の上には一冊の本が置かれていた。

これは私の前世だったのだと、その時なぜか強くそう思った。

私が見た修道女は自分であり、部屋は私が住んでいた所。

そして、国はたぶんフランス。

私がまだ20代の頃、初めてフランスへ旅行に行くことになった時のこと。

その旅行の一ヶ月前に夢を見た。

それは見知らぬ外国の風景だった。

そして、そんな夢のことは忘れていたが、実際にフランスのある場所に行った時、まさしく夢で見たのと同じ風景が目の前に広がっているのを前にして、鳥肌が立った事がある。

修道女をしていた頃は、強い信仰心を持ってマリア様の前で祈りの日々だったのだろうと思う。

とても強く信仰していたので生まれ変わった後も、しばらくはマリア像の見える場所にいたいと思ったのかもしれない。

ただし、カトリックを信仰するという人生はもう選ばなかった。

それは十分経験したから、今度は結婚して家族を持つということに挑戦したのだと思う。

ここ何年もマリア像は見ていないが、今マリア像の前に立ったら、どのような気持ちになるのだろうか。

また切ない気持ちになるのだろうか。

それにしても、人はこのように色々な人生を経験して生死を繰り返していくのだなぁと思う。

私のように前世からの強い思いを残している人もいるのだろう。

ただ、それはもう過ぎ去ったこと。

一つの人生の中で十分経験して、もうカトリックを信仰する人生を選ばなかったように、今また今世では自分が希望していた家庭を持つということを十分に味わい、楽しみたいと強く思う。

悩んだり苦しんだりすることも、後になってみれば全て自分にとって必要なことだったとわかる。

そんな葛藤を持つことも、実は今のこの人生を味わっている最中なのだと思うと、乗り越えていける気がしてくる。













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