ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

松葉を使って

2021-07-31 21:41:29 | 健康

松葉は抗酸化力が強く身体に良いそうだ。

それで今はコロナ禍で松葉茶がよく売れていて、ずっと品切れが続いていた。

ところが最近になってやっと松葉茶が買えたので、さっそく家族にも飲ませたいと思ったのだが、口にした事のない物に対しては拒否反応が強い家族は、思っていた通り松葉茶を飲まなかった。

そこで考えたのが、他のお茶とブレンドすること。

我が家では、一年を通してルイボスティーを作って冷蔵庫に入れている。

ルイボスティーを作る時に半分くらい松葉茶を混ぜてみたら、松葉茶の味がほとんどしなかった。

むしろルイボスティーだけで作るより、爽やかさが加わって美味しくなったと思う。

素知らぬ顔でルイボスティーと松葉茶のブレンドを出したら、家族は何ら違和感なく飲んでいた。大成功。

私は松葉茶だけでも飲めるが、コロナがまだ流行っているので、ぜひ家族にも飲んでもらいたい。というわけで、ルイボスティーに松葉茶を混ぜている事は、これもずっと秘密にしておこうと思う。ひひひ、、、

ところで松葉茶も良いが、他に松葉を使った食べ方は無いのだろうかと思っていた。

その頃、ちょうど豆乳ヨーグルトを作る為の玄米から作った玄米発酵液が無くなり、新たに作らないと、、、と思ったのだが、もしや松葉でも発酵液が作れるかもしれないと思った。

調べてみると、松葉サイダーというレシピがたくさんヒットした。

作り方はほとんど玄米の発酵液と同じ。

洗った松葉に水と砂糖を混ぜ入れて、温かい場所で発酵させるというもの。

 

なかなか赤松の葉は手に入らないので、黒松とモンタナマツの葉を使った。

ちなみに松葉に似ていて、北海道では馴染みのある「おんこ」は、毒性が有るので絶対に使ってはいけない。

さて発酵液だが、葉をよく洗って乾かしたらペットボトルに水200mlと黒砂糖大さじ1くらいを入れて混ぜ合わせる。

この分量で1ℓの豆乳のヨーグルトが二回できる。

しっかり蓋をして、そのまま日向に置いておくと、細かな泡が出てきて室温にもよるが、2〜3日で完成する。

完成したかどうかは、泡の出方と香りと色を見て決めるという、極めて原始的方法で確認する。だから作る時は、あくまでも自己責任で、、、

発酵が進み、フタを開ける時、まるで炭酸を開けた時のようにプシュッと音が鳴る。

黒砂糖の黒っぽい色が徐々に薄くなっていき、出来上がった松葉発酵液の香りは、玄米発酵液とよく似ている。

さっそく豆乳を入れてヨーグルトを作ってみたら、ヨーグルトメーカーで7時間程度でしっかり固まってくれた。

食べてみたところ、これがうンまい!

玄米発酵液で作るより美味しいと思った。

かすかに松葉の香りがして爽やかで美味しいヨーグルトができた。

松葉以外でも、例えばヨモギでも発酵液が作れるかもしれない。

今度ヨモギで作ってみようかな、、、あくまで自己責任で。

 

 


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ご飯があれば

2021-07-28 20:45:21 | 日記

庭の草木に水やりをしていたら「こんにちは」と声がした。

振り返ったら近所に住む中国人のワンさんが笑顔で立っていた。

ワンさんに会うと、いつも立ち話をする。

しばらくお互いの近況報告などし合った後、「そう言えば、中国の水害被害は大変でしたね。ご実家の方は大丈夫ですか?」と聞いてみた。

「実家は大丈夫でした。でも水害には慣れてます。子どもの頃は、腰まで水が来る水害が、年に一度はありましたから」とおっしゃった。

腰までの水と言ったら、相当な被害を受ける。

家の中だって泥水が入って、家具や電化製品などは駄目になってしまうだろう。

すると、ワンさんが言った。

「それは大丈夫。貧乏だったから、家具なんてほとんど無いですね。有るのは、少しの鍋と茶碗と箸だけ。だから簡単に上にあげられる。電気も来ていなかったから、壊れる物は、何も無い」

「でも水がひいた後、家の中に泥が入って掃除が大変でしょう?」

「それも大丈夫。水が乾いたら掃き出せばいいからね。もともと家の中は砂や土がいっぱいでしたよ。靴が無かったから、家も外も、みんな裸足で過ごしていたから、家の中は外と同じ」

初めて聞いたワンさんの話は、かなり衝撃的だった。

正確に年齢を聞いたことは無いが、たぶんワンさんは私より2〜3歳下だろうか。

自分の子どもの頃を思い出しても、さすがに靴が無くて裸足で外を歩いている子はいなかった。

ワンさんが、子どもの頃に、そのような暮らしをしていたとは知らなかった。

それにしてもワンさんは、中国で医師をしていたと言っていたので、階級社会の中国では上の方の人なのかと思っていた。

「私のお父さん、革命でやられたです。それで家を盗られて、家族で借家に住んだ。だから貧乏になった」

最初はワンさんの日本語がよく分からず、革命でやられたとは、どう言う意味なのかわからなかったが、話しているうちに少しずつわかってきた。

たぶん革命と言うのは、中国で1966年から10年間続いた文化大革命のことだろう。

文化大革命は、資本主義化による封建的政治腐敗を正し、人民による社会主義文化を創り上げるという大義名分で、当時の知識人や政治家の数多くが、弾圧を受けたそうだ。

ある程度の地位にあったワンさんのお父さんが家を盗られて、田舎へ追いやられたというのもわかる。

ちょうどワンさんが大学へ行く年齢から、これまで若者は必ず働きに行かなければならなかった農村へ行かなくても良くなり、大学へ行ける様になったそうだ。

そして、勉強のできたワンさんは大学へ行って医師になれたそうだ。

「子どもの頃、とても貧しかったけど、みんな同じだったから、つらいと思った事は無かったです。だから、今でも同じ生活に戻れる自信あります。おかず無くても、ご飯があれば幸せですね」

そう言って笑うワンさんは、前から思っていたが、やっぱり強いなと思った。

遠い昔に歴史で習ったことがある中国の文化大革命。

自分とは、まったく関わりのない遠い世界の話だと思っていたが、当たり前だが、実際に関わって生きてきた人がいたんだというのは、やっぱり衝撃的だった。

ご飯があれば幸せ、、、自分は今そう思えるだろうかと、ちょっと考えてしまった。

 


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一期一会

2021-07-25 18:05:04 | 旅行

八雲へは内浦湾沿いに行ったのだが、帰りは日本海沿いを走ってきた。

いつも道南へ行った帰り道は、遠回りになるので日本海側を通ることは無いのだけど、今回は私が途中で運転を代わるという条件で、初めて日本海沿いを帰ってきた。

「お母さんの運転、怖いー!」という家族の声は無視して、後続車がまったく来ないことをいいことに、安全運転で海沿いを走って来たのだが、運転に集中するあまり、せっかくの美しい景色を見逃すという痛恨のミスをおかしてしまった、、、

でも、たまに車を停めて風景を楽しんできた。

八雲の日本海側は、奇岩が多く風光明媚な所が多い。

海沿いに並んだ家の裏山にあるのは、津波が起きた時の避難用階段。

東日本大震災の時に津波被害のあった函館に近いので、ここも多少の津波がきたのかもしれない。

いくつかの場所に同じような階段を見た。

ところで、途中で寄った道の駅で楽しい出会いがあった。

着いた道の駅の駐車場に、一台のキャンピングカーが停まっていた。

それを見た夫は、「おっ、キャンピングカーだ!いいなー欲しいなー。何処から来たんだ?倉敷かあ」と、子どものように興味津々。

せっかくなので、キャンピングカーがよく見えるように、キャンピングカーの隣に車を停めて降りたら、ちょうどキャンピングカーから一人の男性が降りてきた。

初老の上品な感じの方で、目が合ったので声をかけてみた。

「こんにちは。倉敷からいらっしゃったのですか?」

すると、その方は声をかけられるのを待ってましたという感じで、足を止めてくれた。

「そうです。今、家内と二人で北海道一周の旅をしているんです。もう一週間以上になります」とおっしゃった。

そこへキャンピングカーに興味津々の夫が加わり、さらに男性の奥様もいらして、しばらくお話しをすることができた。

「いいキャンピングカーですね」という夫に、「実は定年退職しまして、ずっとやりたかったキャンピングカーの旅をしようと、新車を買ったのですが、車がくるのに一年も待ちました」と男性が教えてくれた。

今、キャンピングカーは人気だそうで、買ってから納車までずいぶん待たされるのだとか。

「いや〜楽しいですよ。キャンピングカーの旅は。昨日は、鮎の塩焼きを食べました。うまかったです。川で魚釣りをしている人が、持っていきなさいって鮎をくれたんです。そういう出会いも楽しいですね」

一年待って、やっと旅に出たご主人は、とても楽しそうだった。

「もう歳なので無理はせず、午後3時には宿泊する道の駅やキャンプ場に入って休むことにしているんです」とご主人。

「でも疲れてくると、宿に泊まっちゃうの。やっぱり車の中よりゆっくり休めるから」と、横から奥さまがおっしゃった。

無理をせず、自分たちのペースで旅を楽しんでいる素敵なご夫婦だった。

たぶん、もう二度とこのご夫婦に会うことは無いだろう。

楽しいひとときを共にできたことに、なんとなく一期一会という言葉が浮かんだ。

ところで、ご夫婦から「どちらへ行って来られたのですか?」と聞かれたので、八雲へ行ってきたことを話した。

そして、八雲が木彫りの熊の発祥の地だということを教えたら、奥さまがすかさずおっしゃった。

「一家に一つはある、木彫りの熊」

びっくりだった。これで3回目かな、同じ言葉を思い出したり聞いたりしたのは、、、

それにしても倉敷でも一家に一つはある(あった)ほど、木彫りの熊って日本中に浸透していたのかと、そっちの方が驚いた。

 


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八雲

2021-07-22 14:44:40 | 旅行

道南の渡島半島北部にある八雲町へ行ってきた。

八雲町は、昔一度キャンプに行ったことがあるが、今回はキャンプではなく温泉が目的。

八雲町は渡島半島を横断するように町が広がっており、そのため半島の西側と東側に日本海と内浦湾の2つの海が面している。

さらに内陸には1000mを越える山並みがあって、海と山の両方が楽しめる町になっている。

ちなみに泊まった温泉は、内陸の山の宿。

八雲温泉「おぼこ荘」

こちらの宿の露天風呂からは、目の前に迫るような森林と川を見ることができる。

どこかで見たような景色だなーと思ったら、トムラウシの露天風呂から見た景色とよく似ていた。どちらも露天風呂から森と川が見える。

トムラウシは山奥の秘湯という感じだったが、八雲温泉は日帰り入浴もできるくらいなので秘湯ではないが、それでも夜になると辺りは漆黒の闇に包まれて秘湯っぽさが漂う。

ところで温泉は期待通りの心地良さだったが、なんと言っても夕食の料理が美味しかった。

さすが海と山がある八雲町だけのことはあって、地元でとれた新鮮な海の幸と山の幸(山菜)を使った料理は、他の泊り客からも「美味しい〜」と言う声が聞こえてくるほど美味しかった。

ところで、地元の食材を使った料理が並んだ中に、宿の方が「名古屋コーチンときしめんのお鍋です」と紹介してくれたものがあった。

なぜここに名古屋のものが?と不思議に思ったが、昼間に行った郷土資料館と八雲神社を思い出して納得した。

八雲は、明治11年に旧尾張藩士族の集団移住によって開拓が始まった地域だそうだ。

尾張藩徳川家第17代当主の徳川慶勝は、明治維新によって失職し、生活に困窮する旧家臣たちを憂い、北海道開拓による士族の授産および国益に供する事業を目指して集団移住をしたのだそうだ。

そのため、八雲神社が熱田神宮の御分霊を、唯一正式に許可された神社であることからもわかるように、愛知県名古屋への想いは深く、もしかしたら今でもそうなのかもしれない。

ちなみに「八雲」という地名は、豊かで平和な理想郷建設を願い、日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を引用して、徳川慶勝が名づけたことに由来しているそうだ。

尾張藩士による集団移住の開拓事業は、徳川家が150万坪の土地を無代価で払い下げを受けるかわりに、開拓使から移住者への扶助は無く、開拓にかかる費用は、徳川家が負担するという、官費に頼らない、民間資本による北海道開拓の先例となった。

この時に作られたのが、徳川農場で、現在も八雲産業株式会社として事業が引き継がれている。

ところで郷土資料館の中に「木彫り熊資料館」と名がつけられた展示室があった。

入って見てみると、木彫りの熊がたくさん展示されていた。

そこで初めて知ったのだが、なんと八雲が木彫り熊の発祥の地なのだとか。

てっきりアイヌ民族が彫ったのが始まりなのかと思っていたが、アイヌの方々は、八雲の影響を受けて彫り始めたのだそうだ。

今はあまり人気がなさそう?だが、北海道の観光みやげといえば木彫りの熊と言われるほどになった木彫り熊の始まりは、八雲町の旧徳川農場主、徳川義親が大正10年に欧州を旅行した際、スイスで買った民芸品の木彫りの熊がきっかけになったそうだ。

当時もなお貧しかった八雲の農民に、徳川義親が、スイスの木彫り熊を見せて、木彫りの熊の制作を奨励したことから始まる。

その後、木彫り熊の人気は徐々に高まり、昭和30~40年代には、北海道の観光ブームが起こり、木彫りの熊が爆発的に売れたそうだ。

そういえば、子供の頃、ウチにも鮭をくわえた木彫りの熊があったこと思い出し、「一家にひとつはある、木彫りの熊」という言葉が浮かんだところで、非常に不思議な感覚に襲われた。

この言葉、つい最近も同じことを言った・・・

そう思った途端、まるで時間をさかのぼるかのように思い出していた。

昨夜(旅行に出発する前夜)夢を見た。

夢の中で、見知らぬ人から木彫りの熊についての話を聞いていた。

それはずいぶん長く聞いていたように思う。

そして、最後に私が「なるほど。。。だから一家にひとつはある、木彫りの熊」と言ったのだった。

旅に出るまで、八雲の郷土資料館や木彫り熊の資料館のことを知っていた訳ではなく、もちろん行こうとは微塵も思っていなかった。

昼食で入った八雲の食堂で「宿のチェックインに少し時間があるし、どこか見る所はないか」と、スマホで調べていて、資料館があることを知った。

この時は、まだ木彫り熊の夢は思い出していなかったのだが、木彫り熊の数々を見て行くうちに突然思い出した。

なんとも不思議な感覚だった。

それにしても、木彫りの熊のことをずっと教えてくれていた人は、誰だったのだろう?

今でも時々、考えている。

熱田神宮の御分霊がある八雲神社。


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独りの時間

2021-07-19 15:59:10 | 日記

昨日は日曜日、普段なら家族がみんな家にいる。

ところが、昨日は私以外の家族がそれぞれに出かけることになった。

と言うことは、家に居るのは私ひとり、、、

やったーーっ!!思わずガッツポーズをしたくなった。

思えばコロナが始まってから、一人きりで家に居るということは、ほぼ無かった。

家族から声がかかると、それに応えなければと、常にスタンバイ状態だったので、たまにはひとりになりたいと思っていた。

さて、何をしよう。

一人で気ままに散歩に出かけるのもいいかな、それとも、、、

いろいろ考えた結果、家で映画を観ることにした。

家族がいると、どうしても途中で映画を中断しなければいけない事もあるが、一人なら集中して観ることができる。

ちょうどお昼だったので、買い置きしていたピザにした。

ピザはオーブントースターで焼くだけなので簡単。あとはアイスコーヒーだけ。

今日は料理は作らないでおこうと思う。

家族が出かける時、珍しいことに夕飯はお蕎麦がいいと言っていたので、夕飯のことも考えなくてよくなった。

焼けたピザとアイスコーヒーを持って、パソコンの前に座る。

子どもには、ご飯食べながらパソコンなんてダメと言っているが、本当は自分もやってみたかった。

ピザもアイスコーヒーも大好き。

家族がいたら栄養面を考えて、野菜サラダくらい作って添えるが、ひとりなら栄養のことなんて考えない。

スーパーの安いピザで、ほとんど野菜はのっていなかったけど、すごく美味しかった。

ピザを食べながら、好きな映画を観られるなんて最高。

幸せだなぁと心から思う。

幸か不幸か、生まれてこの方一人暮らしというものをしたことがないので、たまにひとりになるとちょっとワクワクする。

でも、いつか歳をとってひとり暮らしになった時、家族と暮らして自分の時間がないと思ったことが、きっと懐かしく思い出されるだろう。

子どもたちが幼かった頃、自分の時間どころか寝る時間も無かった時のことを、いま懐かしく思い出すように。

結局はいつでも今が最高で、今が幸せなんだということなのかもしれない。

誰かと暮らしていても、ひとりで暮らしていたとしても。。。と思えるように生きたいなと思う。

 


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増えていく助っ人

2021-07-15 21:11:16 | 日記

ちょっと遠出して、また山の中の温泉へ行ってきた。

その話は、あらためてまた書こうと思うが、朝に泊まった宿の周囲を散歩していたら蛇がいた。

お隣さんの車の中にいた蛇と同じ種類のアオダイショウで、まだ子どもなのか、お隣さんで見た蛇より小さくて、私たちの足音や声に驚いて、急いで建物の床下に逃げ込んで行った。

頭隠して尻隠さず、、、頭から半分は隠れているが、尻尾の方は外へ出たまま隠れた気になっている。これには笑ってしまった。

そう、蛇を見た驚きより、蛇を見て笑った自分に驚いてしまった。

あんなに苦手な蛇だったのに、かわいいと思って見ている自分がいた。

慣れたのかなあ。。。なーんて。

ところでお隣さんの蛇騒動の続きだが、あれから蛇は居なくなったのか、お隣さんは車に乗って出かけるようになった。

それを見て蛇がいなくなってよかったと、夫共々ホッとしていたのだが、また事件は起こった。

家族で出かけるために玄関を出たら、ちょうど外にいた隣の奥さんが、私と夫を見て駆け寄ってきた。

「また蛇が車の中にいるんです!」とおっしゃる。

見ると前回と同じ場所、運転席の前のダッシュボードの上に蛇がいた。

奥さん曰く、あれから蛇が嫌がる薬剤を車の中に置き、車内でお線香を焚き(煙で追い出す作戦)、それだけでは安心できないので、車の周囲で煙の出る花火までしたそうだ。

その後2〜3日、蛇が出てこなかったので、もういなくなったのだろうと車を使っていたそうだが、なんとまた蛇が車の中に現れたという。

果たして一度は車外に出た蛇がまた戻って来たのか、それともず〜っと車の中に居たのか?

もしもずっと居たのなら、その間、お隣の奥さんは車を運転していて、想像するだけで怖すぎる、、、

前回の蛇騒動の時は、お隣の奥さんと夫と役に立っていない私の3人で蛇を外に出そうとしたが、今回はもうひとり助っ人がいた。

それは別のご近所の奥さん。

たまたま庭仕事で外に出ていて、お隣の奥さんから事情を聞いたそうだが、ご近所の奥さんも蛇が苦手のようで、前の私のように怖々と遠巻きに車を見ているので精一杯のご様子。(気持ちはよくわかる)

ところで、ダッシュボードの上にいる蛇を見ながらお隣の奥さんは「蛇を出します」ときっぱり言い放った。

そして火バサミを持って来た。と思ったら、それは火バサミではなく高い木の枝を切る長い枝切り鋏だった。

「それで挟んだら蛇が死んじゃうのでは?」と言ったら「大丈夫」と言って、枝切り鋏を見せてくれた。

刃にテープが巻かれて切れないようにしている。

そして、その枝切り鋏をウチの夫に「お願いします」と言って渡した。

「自分で出すんじゃないのかーーい」とは、夫と私が思ったことだが、枝切り鋏を受け取ってしまった夫はもうやるしかない。

ドアを開けて蛇を枝切り鋏で掴んだらしいのだが、蛇も必死で尾を車の内部の何処かに巻きつけてびくとも動かない。

そこでお隣の奥さんも加わって、枝切り鋏を夫と一緒に引っ張った。

「ダメだ、まだ抜けない」と言う夫の声に、私も引っ張りに行こうと思ったら蛇はスルリと車の内部へ入って見えなくなってしまった。

しばらく4人で蛇を出す良い知恵は無いかと考えていたのだが、私たち家族は出かける時間が迫っていた為、あとはお隣の奥さんとご近所さんに任せて失礼することにした。

帰宅後、お隣の奥さんにどうなったかを聞いたら、ご近所の奥さんと一緒に車から物を出して蛇を出す準備をしていたらしい。

結局、まだ蛇さんは車から出ていないようだが、明るいニュースもあった。

なんと、もうひとり新しい助っ人が加わったそうだ。

それは、やはりご近所に住む方で高齢男性。

私たちがいない間、この男性も加わって蛇さんが車にいないか探していたそうだ。

どんどん助っ人が増えていく。

絵本にもこんな話があったような(笑)

自分の車に蛇さんが乗ってしまったお隣さんには申し訳ないが、つくづくこの世は色々なことが起こって楽しいなと思う。

 


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ありえない話

2021-07-11 15:23:49 | 日記

休日の朝、玄関のチャイムが鳴り、てっきり宅配便かと思ってインターホンに出てみると、お隣の家の奥さんだった。

奥さんの声が、えらく慌てている。

「隣の〇〇ですっ!○▼※△☆▲※◎!!・・・なので、だんなさんいますか?」

いろいろと何かおっしゃっていたが、慌てているため何を言っているのか聞き取れず、二回ほど聞き返して「夫に用事があるんだな」ということだけは理解できた。

とにかくかなり動揺しているご様子。

これはただ事ではないと、急いで玄関のドアを開けると、お隣の奥さんがアワアワした状態で立っていた。

「へび、へびがいるんですっ!!」と青ざめた顔でおっしゃった。

「えっ、どこに?」と聞くと、「車の中!私の車の中にいるんです!だんなさんに蛇を出してもらえませんか?」という。

窓もドアも閉まっていた車の中に蛇ってありえない・・・(猫が入るのは聞いたことがあるので、ありえることなのかもしれないが)

ただならぬ気配を察した夫も、すでに玄関にいて一緒に話を聞いていた。

話を聞いた夫は「車の中に蛇ですか」と言って絶句した。

夫は犬や猫など動物全般が苦手で、向かい側から犬を散歩させた人が歩いてくると、すぐに避けて反対側の道へ渡るほど。

犬は噛むものだと思っているので、絶対にそばには近寄らない・・というか近寄れない。

犬猫を見たら、駆け寄って行っても触らずにはいられない私とは正反対なのだが、ペットの大人しいワンコでさえ苦手なら、蛇なんてもう絶対に無理でしょうと思った。

ところが、意外にも夫は「蛇ですか、行きましょう」と言ったのだ。

これには驚いた!

さすがにお隣の奥さんの前で「怖いから無理です」とは言えなかったようだ。

毒のあるマムシだった場合を想定して長靴に履き替えた夫は、園芸用の長い棒を持って、さっそくお隣りさんの車へ向かった。

私も恐る恐る車の中を覗いてみたのだが、なんと長さ1メートルほどの蛇が、運転席前のダッシュボードの上に居た!

お隣の奥さんの話によると、出かけようと思って運転席に座ったら目の前に蛇がいたので、転がるように車を降りて、助けを求めて我が家へ来たのだそうだ。

どんなに驚いたことだろう。私なら気を失う、、、

でも運転中じゃなくてよかった。運転中に蛇が出てきたら、驚いて事故だってあり得る。

夫は早速、棒を蛇の下に入れて出そうとしたのだが、蛇も身の危険を感じたのか、にょろにょろと移動すると、ハンドルの下にある隙間へ入って見えなくなってしまった。

そこで今度はボンネットを開けて蛇を出そうとしたのだが、どこにいるのか蛇が見つからない。

三人でしばらく探したのだが見つからないので、このまま静かにして蛇が自分で出て行くのを待つことにした。

お隣さんは、もうしばらく車は使わないそうだ。

「あの蛇、毒蛇じゃないでしょうか?」と奥さんに聞かれた。

「マムシじゃなかったので、毒蛇ではないと思います」と言うと、「それなら火ばさみでつかんで出せますね。毒蛇じゃないのなら、私もできそうです」とおっしゃった。

それを聞いて「火ばさみでつかめるんかーーい!」とは、夫と私が同時に思ったことで、火ばさみの長さってせいぜい50センチくらいのものではないのだろうか。

ありえない・・・そんな至近距離で蛇をつかむなんてありえない。

お隣の奥さんはすごい!と尊敬してしまった。

というわけで、車に乗る時は、必ず蛇が先に乗っていないかを確認するようになった。

ありえないと思っていたけど、あり得ることもあるかもしれないという教訓だった。

 


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明日死ぬかのように生きる

2021-07-07 21:57:52 | 日記

家の前を箒で掃いていたら、「こんにちは」という声がした。

辺りを見まわすと、ご近所の方が私と同じく箒を手に持って立っていた。

ご近所さんも外の掃除をしていて、ちょうど私が見えたので声をかけてくれたらしい。

この方とは同じ年齢であり、自然や草木が好きな所が共通していて、会うとつい立ち話をしてしまう。(たまになので、私は嬉しい)

で、今日も箒を持ったままで立ち話。

最近、彼女がハマっているという太極拳のことを聞いた。

どうしても習いたい先生が隣町にいて、一時間近くも車を運転してわざわざ習いに行っているそうだ。

「太極拳をやりだしてから、なんだかとても調子が良いの」と彼女は言った。

確かに最近のご近所さんは、とても顔色が良くてお元気そうだ。

癌が再発して二度目の手術をして、副作用に苦しんでいた頃とは、まるっきり別人のようになった。

と言うか、これが本来の彼女の姿で、病気だった頃が別人のようだったのだが、、、

「太極拳のゆっくりとした動きは、私に合っていたようで楽しいよ」という彼女は本当に楽しそうだ。

さらに彼女が始めたのは、これだけではないそうだ。

「太極拳で元気になったから、また働こうと思っていたの。それで新聞広告を見て、すぐに面接に行ったら採用になったの」と教えてくれた。

なんという行動力!

職場は介護関係で、彼女は介護の仕事の経験は無いが、ゆくゆくは資格を取って長く勤めたいという熱意を出して採用されたそうだ。

ところで彼女は、前にも書いたが私と同い年。

同い年ということは、還暦ってことだが、今から新しい職種で仕事をして、さらに資格取得を目指すとは、なんという前向きでバイタリティに溢れた思考かと、ただただ感心してしまった。

とても生き生きとして、楽しそうで、話を聴いている私まで元気をもらえる。

「だって、あとどれくらい生きられるか、わからないでしょ?癌で死ななくても、事故や災害で明日死んじゃうかもしれない。だから、やりたい事はすぐにやろうと思ったの」

癌になって、一時は死を覚悟したという彼女の言葉は心を打つ。そして、説得力がある。

生きとし生けるものは全て平等に、この世に生まれてきたら必ず死ぬ訳だが、普段は死というものをほとんど意識していない。

この世に生きて行動できる時間は、なんとなく永遠にあるように思ってしまっているが、実はそうではないことを、彼女のように大病をした方はよくわかっているんだなと思った。

明日死ぬかのように、今日を生きるという言葉を何処かで聞いたことがあるが、彼女と話しながら、今日はまた、その言葉を思い出していた。

 

 


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夢物語

2021-07-04 18:01:32 | 日記

大きな被害が出ている熱海の土石流は、本当に胸が痛い。

一刻も早い救出と復旧を願うばかりだが、そういえばウチも山林の中に家が建っているのだったということを思い出した。

私の父が元気だった頃、雨が降るとすぐに電話をかけてきた。

「山に面したところを見て来い。亀裂は入っていないか、崩れていないか確認して来い」と言って、心配していつも電話をよこした。

父はその昔、頼まれて教師をやっていたことがあり、専門が土砂災害などにも関係することだったので、知識がある分、余計に心配だったのだろうと思う。

「大丈夫だよ。うちはハザードマップで危険地域になっていないし」と答えていたが、父にそう言われると気になって一応家の周りを確認していた。

でも、父がいなくなり電話がかかって来なくなってから、雨が降っても見廻りをしていない。

土砂崩れなんてあるわけないという根拠のない思い込みからだが、やっぱり見ておいた方が良いだろうと、今回の災害を見て思った。

ところで、もうずっと裏の森林には行っていない。

あれだけ行っていたのに、ぱたっと行くのをやめた。

森を歩くのは大好きで、本当はとても行きたいのだが、熊との遭遇が怖くて行けない。

最近、熊が人の住む場所に出てくることがとても多くなったと聞く。

山から離れた住宅街にも熊が現れたというニュースを聞くと、あんな街にも出たのだから、こんな山の中なら会わない方が奇跡じゃないかと思う様になった。

一説によると、熊さんは餌が不足して街へ降りて来るのではないそうだ。

山林を管理する人の高齢化などで、樹木や草木の手入れができなくなったことから、熊が身を隠せる場所が増えたことが原因だという説がある。

実際に今回のコロナで山林の手入れができず、熊の出没が多くなっている町があると聞いた。

熊さんにしたら、まだ山が続いていると思って歩いて来たら、突然町の中に出てきてしまったという事なのかもしれない。

たくさんの人間が大騒ぎをして、追いかけられてパニックになってしまうのもわかる。最後は殺されるのだから、熊さんが気の毒に思える。

ただし何もしていない人間を襲う熊もいるので、遭遇するリスクはできるだけ回避したい。

また災害も同じで、他人事だと思わず災害に対する備えは十分にした方がいいと思う。

人間の住む場所に出て来るようになった熊、今回のような痛ましい災害、そして地球規模の異常気象、またコロナもそうだが、なんだか世の中は混沌としている。

悲しいことや怒りたくなることも多くあるが、一喜一憂せずに(とても難しいが)、自分のできることややりたいことを、できれば嬉々とした気持ちでしながら暮らしていけたらと思う。

それぞれが本来の自分に戻ることが、もしかしたら世界を変えていくのかもしれない。という夢物語。。。

 


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