ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

氷割り

2020-01-30 16:00:54 | 日記

昨日今日と日中にプラスの気温(1~2度)になったので、外へ出て氷割りをしてきた。

この冬は日本中どこも例年になく雪が少ないが、雪が少なくて気温も高いので、日中に溶けた雪が深夜に凍り、路面はツルツルの氷の道になっている。

先日はさっそく盛大に転び、しばらく起き上がれないほどの痛さだった。

またつるつる路面で危険なのは人間だけではなく、散歩中のワンちゃんもだそうで、凍った道で滑って足を怪我するワンコが増えているので気をつけるようにという記事が新聞に載っていた。

危険な道路の氷は、日中の暖かい時に少しでも取り除いておきたい。

それにしても一月に氷割りができるなんて、今まで無かったことだ。

路肩に積もった雪は例年の一割程度といった少なさで、一月二月と言えば季節の中で最も寒くて、雪が一番降る時期なのに、今のところ例外の日々が続いている。

「雪かきが楽でいいね」と言う言葉は、久しぶりに会う人との挨拶代わりになっているほどだが、そういえばこの冬はまだ数えるくらいしか雪かきをしていない。

とは言え、二月三月も毎年のように大雪が降るのでまだまだ分からないが・・・

ところで、この少雪で冬眠しないヒグマの出没が増えているそうだ。

ヒグマは雪が降り積もる12月中旬頃になると餌が無くなるため、エネルギーの消耗を避けてエネルギーを蓄えておくために冬眠生活に入る。

ところがこの冬は記録的な少雪と、ヒグマの好物のドングリの豊作が重なったそうだ。

浅い雪を掘り起こすと簡単にドングリにありつけるので、ドングリをたっぷり食べたヒグマたちは眠れないまま人里近くまで食後のウォーキングに出かける・・というのが真冬にヒグマの出没が増えている理由だとか。

ヒグマの冬眠は遺伝子の中に組み込まれているものだとばかり思っていたが、そうでもないようだ。

今後、ますます暖冬が進み、ヒグマたちと出会う確率が増えるのは、人にとってもヒグマにとっても不幸なことだ。

ところでアイヌ民族の伝承によれば、ヒグマは神とも言うべき並外れた感覚と感性の持ち主なのだとか。

そんな素晴らしい感性と感覚を備えたヒグマさんたちにぜひ聞いてみたい。

この暖冬少雪をヒグマはどう思っているのだろう。

また最近の異常気象や自然災害の多さをどう思っているのだろうかと。

もしかしたら、傲慢にならず謙虚に暮らせ・・・と言われるのかもしれない。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

息子の彼女

2020-01-27 15:34:52 | 日記

前回は甥が結婚したことを書いたのだが、なんと先日、今度は息子が彼女を初めて家に連れて来た!

お付き合いしている人がいることは、息子から聞いて知っていたが、正式に紹介してもらうのは初めてで「連れて行くから」と息子から連絡をもらってからは、嬉しいやら戸惑うやらで落ち着かなかった。

彼女が我が家へ来る日は、朝から念入りに掃除をして、お茶菓子は何がいいかと頭を悩ませていたが、夫が「な~んも、ありのままの我が家を見てもらえばいいさ」という一言で「それもそうだな」と思った。

きっと彼女も緊張していることだろう。

できるだけ彼女が緊張しないような雰囲気作りをしよう・・・

思えば30年以上前、夫の実家に初めてご挨拶に行く時は緊張したものだった。

(結婚前の)夫に連れられて家に入ったら、なんと総勢10名の親族が出迎えてくれて目がテンになった記憶がある。20個の瞳でじ~っと見られて緊張のあまり何も食べられなかったっけ。

なんて思っているうちに約束の時間になって二人がやって来た。

先に玄関を入ってきたのは息子で、あとから続いて彼女が入ってきた。

そして「こんにちは、今日はお時間を取って頂きありがとうございます」と言ってくれる。

なんと礼儀正しい娘さんなのだろう。

その後、お茶菓子を食べながらお互いを紹介しあって雑談をしたのだが、とにかく明るくて素直でいい娘さんだった。

逆に「こんな息子でいいですか?」と聞いてみたほどで、きっとご両親がきちんと育てられたのだろうと思った。

ところで息子から聞いていた彼女の様子から、もしかしたら彼女の生まれ育った家は我が家と似ているのではないだろうかと思っていたのだが、まさにどんぴしゃで、彼女がしばらくして「なんとなく、うちと似ています」と言ってくれた。

そんなことから彼女とは話が弾んでしまって、当初は「一時間くらい」と言っていた滞在時間がすっかり伸びて二時間半くらい話し込んでしまった。

結婚の話は、息子の口からはまだ出ていないものの、多分このままいけば二人は結婚するものと思われる・・・

そうなったら嬉しいなぁ。かわいい娘がもうひとり増えるなんて嬉しすぎる。

思えば、ついこの間まで私は嫁の立場だったのに、もう姑になるかもしれない。時の過ぎるのは早いものだ。

嫁の立場はもうずいぶんベテランになって、こういうことを言われたら傷つくとか、逆にこういうことを言ってもらって嬉しかったとか、そんなノウハウはずいぶん蓄積されている。

しかし、そんなことよりただただかわいい娘ができて嬉しいという気持ちのままでいた方がいいのかなと思う。

今度は、ご飯を食べに来てくれるそうなので今から楽しみにしている。

なんだかとても嬉しかったので、ついつい記事にしてしまいました。。。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甥の結婚

2020-01-24 15:59:58 | 日記

子供の頃からよくウチに遊びに来ていた夫の甥が結婚した。

甥がまだ小さかった頃から知っているので、私も自分の息子が結婚したように嬉しい。

もうすぐ40歳になろうかという甥がなかなか結婚しないことを、甥の母である義姉はずいぶん気をもんでいた。

会うたびに義姉は「誰か、いい人いないかしらね」と言い続けていたし、甥もまんざら独身主義ではなかったようだ。

甥は3高ならぬ2高で背丈以外はばっちり。背丈などは結婚には何の障害にもならないので2高もあれば十分。

しかも叔母(私)から見ても性格の良さはお墨付き。

ココにこんないい男がいるのに、世の中の独身女性はなぜ気づかないのだろうと思ったものだったが、あとから聞くと、甥は仕事が忙しすぎてほぼ毎日、家と会社の往復で女性と知り合うチャンスが皆無だったらしい。

そんな長きにわたって独り身だった甥が結婚する!というので、親戚一同大喜びで祝福した。

そして、なんと甥のお相手の女性が、お姑さんのお葬式に来てくれるという。

お通夜当日、甥と一緒に来てくれたのは、落ち着いた清楚な感じの素敵な女性だった。

ちなみにお相手の方は甥と同じ年齢で、二人とも初婚だが結婚式は挙げず入籍だけで済ませた為、お姑さんのお葬式が親戚へのお披露目になった。

初めて見ず知らずの親戚の中に入るのは、ずいぶん緊張されたと思うが、葬儀が終了するまでの二日間ずっと居てくれた。

お通夜が終ってお酒を飲みながらの食事会では、若いお二人の出会いの話が中心になった。

本来は亡くなったお姑さんのことを話すべきなのだろうが、お姑さんが一番かわいがっていた甥の結婚なので、お姑さんもきっと喜んでくれていただろうと思う。

さて、その出会いだが、、、私は行ったことがないのだが、「立ち飲み屋」でそれぞれ一人で来ている時に出会ったのだとか。それも会う約束をしたわけでもないのに、二度目も会ってしまったのだそうだ。

「あの二回目がなければ、こうなって(結婚)はなかったと思います」とお相手の方がおっしゃった。

お相手の女性は教師だが、普通の教師ではなく重たい障害を抱えていたり、虐待など家庭の問題を抱えているような子どもを教えているそうだ。

甥と出会ったのは、初めての赴任地での悩みがあり、普段は行かないのだがなんとなく仕事帰りに一人で飲みに行った時だったそうだ。

また甥の方も毎日の忙しい仕事終わりに気分転換でふらっと立ち寄った時だったとか。

その話を聞いて「どこに出会いがあるかわからない~♪」と歌うように言ったのは、かなり酔いが回ってきた伯父だった。

「そうだね、どこにご縁があるか分からないものだね」と親戚一同うなずいた。

お相手の女性はやりたかった仕事ができたので、もう結婚や出会いは望まず仕事だけに生きようと思っていたそうだ。

「教えた子たちが卒業して、会いに来てくれることが一番うれしいんです。元気な姿を見ると本当にうれしい」とキラキラした顔でおっしゃった。

甥は本当にいい方と出会ったなぁと、私も嬉しくて仕方がなかった。

というわけで、喪に服す悲しみの席ではあったが、もう一方では喜びと祝福の席になった。

偶然にも二つの新たな旅立ちの見送りと祝福の場に立ち会えたことで、忘れられない日になった。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それぞれの幸せ

2020-01-20 17:28:08 | 日記

お姑さんの初七日が終わって、義姉たちと遺品の整理をした。

お姑さんの荷物は、一昨年、高齢者住宅に移る時にかなり整理したのだが、まだ自宅に残っている。

多いのが衣類で、特に多いのが着物だ。

お姑さんは着物が大好きだったので、和ダンス二つにびっしりと着物が詰まっていた。

「着物にいくら使ったんだろう。考えただけで気分が悪くなるわ」と言ったのは義姉だった。

お姑さんが元気だった頃、和服屋さんに足繁く通っていた頃に撮った写真が着物と一緒に出てきた。

お姑さんが和服屋さんに招待されたパーティで撮った写真で、誰もが知っている大女優さんと一緒に笑顔のお姑さんが写っていた。

「こんな写真が撮れたって事は、和服屋さんのお得意様だったってことだよね。相当、(お金)使ってるよね」と、義姉たちは着物を前にして話していた。

こんなにたくさんの着物が買えたなんて、国鉄職員だったお舅さんのお給料で大丈夫だったのかな、、、と思っていたが、実はお舅さんの親が残した不動産収入があったのだとか。

しかし、今は過疎化で不動産収入どころか住む人もいなくなった。

お姑さんが好きに着物を買えたのは、先祖が残してくれた不動産収入と、優しいお舅さんがそれを許していたからで、そういう意味ではお姑さんは幸せだったと思う。

しかし義姉にしてみれば、着物を買うお金があるのなら大学へ行かせて欲しかったという気持ちがあったようだ。

義姉は兄弟の中で一番勉強ができたのに、女なんだから大学なんて行く必要はないと言われて泣く泣く諦めたのだとか。

でも大学に行かず就職したお陰で優しい旦那さんと知り合って幸せな家庭を築いたのだから、義姉の人生はこれで良かったのでは?と思う。

とは言え、幸せと言うのは本人が感じるものだから義姉の気持ちはわからないし、好きな着物をたくさん買えたお姑さんの気持ちもわからない。

そんなわけで、義姉達の話を聞きながら遺品の仕分けをしていった。

殆どの洋服類は処分することにして、私が近くにある無料のリサイクル引き取り所に持っていくことにした。

また問題の着物は、全て義姉達が引き取ってくれる事になった。

義姉が 「欲しいのが有ったら貰って」と言ってくれたのだが、私は着物を着ないし、娘達も着るかどうか分からないので断った。

義姉達が着物を持ち帰ってくれて、随分と部屋がすっきりとした。

ついでに自分の物も不用品を探して捨てたりして。

最近、すっきりと物が少ない部屋の方が居心地が良く感じるので、着物が入っていた二つの和ダンスも処分する事になって幸せだ。(お姑さん、ごめんなさい!)

もう物は要らない。すっきりとした部屋で暮らすことのできる幸せ。

幸せは人それぞれなんだなぁとつくづく思う。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅立ち

2020-01-16 13:44:20 | 日記

いろいろとあって、久しぶりのブログ更新ですが、まず時をさかのぼって昨年の12月に見た夢の話から書こうと思います。

昨年12月に気になる夢を見た。

2011年1月亡くなったお舅さんの夢だった。

お舅さんが亡くなって9年経つが、今まで一度もお舅さんの夢を見たことが無かったのに、今回は起きてからもしばらくお舅さんの気配を感じるくらい、はっきりとした夢をみた。

夢に現れたお舅さんは黒い紋付袴を着て、顔には満面の笑みを浮かべていた。

ふとお舅さんの左隣を見ると、そこにはお姑さんが立っている。

満面笑みのお舅さんとは対照的に、お姑さんは戸惑っているような表情をしていた。

お舅さんは笑顔でお姑さんの手を取ると、戸惑いの表情を浮かべているお姑さんを連れてどこかへ行ってしまった、、、という夢だった。

あまりにハッキリとした夢に、もしかしたら本当にお舅さんはお姑さんを連れて行くのかもしれないと、夢のあとしばらく考えていたことを覚えている。

ところで先週、お姑さんが亡くなった。

危篤になったのは突然だった。急に心拍数が下がり、病院から連絡を受けてすぐに駆けつけたものの家族は誰も間に合わなかった。

誰もがもうすこし大丈夫だろうと思っていたが、容態が急変して、あっという間に逝ってしまった。

家族にはさびしさと悲しみはあるものの、「これでやっと楽になれたね」という安堵の気持ちのほうが大きい。

親しい人が苦しむ姿を見ているのはつらい。

特にもう回復の見込みがない時は、早く楽にしてあげたいと思う気持ちの方が生きて欲しいという気持ちを上回る。

母の時も父の時も、それからP太郎の時にもそう思った。

「生き地獄だ」と言って苦しむお姑さんを、あの世で心配しながら見ていたお舅さんが、やっとお姑さんを苦しまない世界へ連れて行くことができると、笑顔で迎えに来たのだろうか。

お舅さんが現れた夢を思い出しながら、そんなことを考えていた。

ところで、あの世があるのか無いのか、まだはっきりとした証明はされていないが、京都大学名誉教授の岸根卓郎氏が書いた量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」という本を読んでいたら興味深いことが書かれていた。

この世が存在する限り、必ずあの世も存在する。

あの世とこの世はつながっていて、しかもあの世がこの世へ投影されている。

この世とあの世は、その境界領域において互いに干渉し合っている。

この世が虚像で、あの世が実像である。

人間の意識がこの世を創造する。

・・・まだまだあるのだが、何度も読み返しても私には難しすぎる。が、以上のような事は、私でもストンと理解できた。

やはりあの世は見えないだけで存在しているのだと思う。

そしてまさにこの世は虚像。いろいろな出来事に遭遇して、いろいろな感情を味わって、それらをどう乗り越えて(くぐり抜けて)行くのか、自分で自分を試しにやってきたのかもしれない。

実像はあの世だから、安心していろいろなことを経験したらいいのだ。ただし良心に沿って・・・

というわけでお舅さんが迎えに来てくれたから、こちらでは安心して明るく?お姑さんを送り出すことができた。

久しぶりに親戚が集まって話が弾み、お姑さんを見送るにはぴったりの和やかでよいお葬式だったと思う。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温泉へ行ってきました

2020-01-06 16:17:25 | 旅行

お正月に温泉で過ごすのは初めてなのだが、4日に登別温泉へ一泊旅行に行ってきた。

昨年の11月にお正月の宿の空き状況を見たら、年末から三が日にかけてほとんどの宿がすでに満室になっていて、4日に残り2部屋という宿を見つけたので急いで予約した。

だから非常に混んでいることは覚悟していたのだったが、やはりお正月中は混んでいた。

温泉宿で私が一番楽しみなのはお風呂なのだが、そのお風呂もかなりの混み具合で、広々とした大浴場では洗い場を探してウロウロするほどだった。

このような温泉地は、日本人客もいるのだが、それを上回るくらい海外からの観光客が多い。

一番多いのは、台湾や中国からの観光客だろうか。

そして、反日の影響で観光客が減っていると言われていた韓国人の観光客もまた多かった。もう訪日してもよくなったのか、お忍びで来ているのかわからないが、家族連れや若い人などたくさん来ていた。

ところで近年日本へ来る外国人観光客が増えているので、こうした大きな宿の温泉の入口には、温泉に入る時のマナーが絵入りで書かれた看板がよく貼ってある。

ところが、これを守らずに入っている外国人観光客が多い。看板をよく見ていないということだろうか。

とにかく一番多いのは、湯船の中にタオルを入れることで、日本人なら公共のお風呂では絶対にしない行為だが、これをしている外国人観光客が多かった。

タオルを入れてはいけないという事を言うべきか言わざるべきか・・・隣で湯船の中にタオルを入れている外国人を見ながら迷った。

相手は複数人で楽しそうに談笑しながらお風呂に入っている。そこに怖い顔をしたおばさん(私)が、「タオルを入れてはだ~め、だめ」と注意するのもなぁと思っていた。

これが日本語ならカドが立たない言い方で教えてあげられるのだが、日本語は通じないようだし。

中国語は昔すこしかじったことがあるが、もうすっかり忘れてしまったし。

ならば英語でいくか。

しかし悲しいかな、適当な英語の言い方がわからない。

ドント タオル イン バスタブとか?

それともノータオル イン バスタブかな?

なんか単語が足りなくない?とかなんとか、あれこれ文を考えているうちに、湯船の中でタオルをじゃーっと絞ると出て行ってしまった。あ~ぁ。。。

今や日本人より外国人観光客の方が多いほどになった温泉宿。

人口減少に歯止めがかからない今、大型の温泉宿のように日本人客だけを対象にしていたのではやっていけない業種も多々あるのだろう。

他の地域はわからないが、北海道にいる限り、外国からの観光客のいない所はどこも人が少ないと感じることが増えてきた。

人口減少はやはり寂しい。

しかしこれもまた時代の流れで、今後これまでとは違った価値感の世界へと入って行くことになるのだろうか。これからどのような世界になるのか楽しみだ。

でも、英語くらいしゃべれるようになっておかないとだめかしら・・・と思ったら、「今はスマホで翻訳機能があるから何語でも大丈夫だよ」と子どもに言われた。

それはよかった。でも、それってお風呂では使えないんでしょうねぇ。

 

帰り道に立ち寄った苫小牧港。今年は雪が少なくて、まるで春のようでした。

写真の船は、愛媛の今治から来たのかな。愛媛も行ってみたい。

日本中まだまだ行っていない所がいっぱいです。



 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しめ

2020-01-02 11:37:23 | 日記

明けましておめでとうございます。

お正月二日目の今日は、家族が全員出かけてしまったので、一人静かな時間を過ごしている。

お正月三が日に家族が揃っていないというのは、初めてかもしれない。

これも子どもが成長して、それぞれの道を進み始めたということなので喜ばしいことではあるし、夫は夫で家族サービスから解放されて、第二の青春を謳歌すべく好きな趣味を始めたこともまたよいことだと思う。

今朝は「楽しめ」という言葉がずっと胸の中に広がっている。

「楽しめ」というのは、どこかへ出かけたりお金が無ければできない事ではなくて、どこにいても楽しむ気持ちを持ち続けなさいということだと思う。

ところで年末にいつもの温泉に行ってサウナに入っていたら、ちょうど再放送でお笑い系のテレビ番組がやっていた。

それはおもしろいことを見たり聞いたりしても絶対に笑ってはいけないというルールがあって、もしも笑ってしまったら「アウト!」という声と共に叩き隊がやってきて思いっきりお尻を叩かれるという番組だった。

サウナですることもないので、何気なくその番組を観ていたのだが、色々と考え事をしていたせいで、テレビを観ていたものの、私は何を観ても笑うということはなかった。

考え事は楽しいことではなく、そのせいで番組もおもしろいと思えるほど集中していなかった。心ここにあらずというやつですね・・・

そんなわけで、笑いもせずにぼ~っとテレビを観ていたら、大きな笑い声が聞こえてきた。

見ると同じサウナに入っていた女性が本当によく笑う人で、すこしでも面白いことが始まるとケラケラと声をあげて笑う。

テレビでこんなに笑える人は幸せだなぁと思いながら、いつの間にか私も一緒に笑っていた。

思い切り笑うことは、本当に気持ちがいい。

サウナに入って笑ったら、汗と一緒に気がかりだったことも流れていったような気がした。

ところで、昨年の秋頃から何か空気が変わった様な気がしている。

上手く表現できないのだが、大きかった空気の粒がとても小さくなったような気がする。

自然の中に行くと、もっとそう感じるかもしれない。

これから鉱物、植物、動物、昆虫たちとコミュニケーションをしたいと思えばできるようになるのではないかという気がする。

しかし、それには私自身がもっと楽しめるようにならなければいけない。

子どものように素直に今を楽しむこと。

なかなか難しいことだが、今年はそうなれるといいなあと思っている。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする