ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

挨拶

2015-06-26 14:25:59 | 日記
ある有名なお坊さんが修行時代、夏の暑い盛りに外で薪割りをしていると、数匹のスズメバチが飛んできて、仲間のひとりの雲水が刺されたそうだ。

その場に居た雲水たちは手にしていた斧を放り投げ、叫び声をあげて、あちこちに避難したのだったが、そのあと、お寺の責任者である僧が、避難した雲水たちを呼び集めて、厳かに言ったそうだ。

「みんな、蜂が近づいてきたら心の中で念じなさい。

こんにちは、蜂さん、暑いね、今日はどこまで行くんだい、とかね」

それを聞いていた雲水たちは、思わず笑ってしまったのだそうだが、彼はあくまでも真面目に話を続けたそうだ。

「蜂は波動のようなものを感じるらしい。だが、その感じ方は繊細ではない。

例えば、怒りとか怯えは区別がつかず、同じように感じて興奮してくるらしい。

だから、努めて穏やかに振舞えばいいのであって、それには挨拶が一番適切だ」

以来、この有名になられたお坊さんは、スズメバチに出会うと「こんにちは」と心の中で念じているのだとか。

そして、これはなんだか効いているような気がするとおっしゃっていた。

実は私もスズメバチではないが、犬に対して、同じようなことをしている。

元々、犬好きなので、散歩をしているわんちゃんを見ると、思わず笑みがこぼれてしまう。

「あ~かわいい。撫ぜたいなぁ」と思うのだが、飼い主さんもいらっしゃるので、いちいち駆け寄って触らせてもらうことはできない。

そこで、心の中で念じる。

「こんにちは、かわいいね~、こっちを見て!そうそう、キミだよ、キミに言ってるの。
おいで、こっちへおいで・・・」

すると、ほぼ100パーセントの犬が、こちらを振り返り、足を止める。

そして、飼い主さんに首輪を引っ張られようとも、こちらへ来てくれようとする。

なぜ急に犬が足を止めて、違う方向へ行こうとするのか、訳が分からない飼い主さんは、困った顔で、犬に引っ張られながら、私の元へ来てくれることもあれば、力ずくで犬を引っ張って去っていくこともある。

力ずくで引っ張られながらも、こちらを振り返り、振り返りしながら歩いて行くわんちゃんには「ごめんね、呼び止めてしまって」と心の中で謝り、こちらへ来てくれたわんちゃん&飼い主さんには、「ウエルカム」の笑顔で挨拶をする。

そして、おもむろに「可愛いですね~触ってもいいですか?」と飼い主さんに許可をもらってから、しばし、わんちゃんと遊ばせて頂く。

最初は、犬が振り向いてくれるのは、偶然なのかと思っていたが、最近は確信に近いものになった。

これが猫ならどうなのだろう?

時々、猫でも試してみたいと思うのだが、猫に関しては、私自身がどのように扱ったらいいのかわからないということもあって、いまだに試すに至っていない。

それにしても、動物や虫、そして植物などには、人間がとうの昔に無くしてしまった何か目には見えないものを感じられる能力があるのかもしれない。










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いい事みっけ

2015-06-23 15:23:17 | 介護
今、庭のバラが次々と美しい花を咲かせている。

花はなんでも好きだが、とりわけて好きなのがバラ。

バラは美しいだけではなく香りも良い。

バラの美しい花と芳しい香りに「癒される」というよりも、ときめきを感じる。

そんな大好きなバラだが、これがなかなか手の掛かる植物で、他の植物にはほとんど使わないが、バラだけは殺虫剤と消毒薬は必須で、すこしでも異変を見つけるやいなや、薬を持って飛んでいかなければならない。

バラの管理は早期発見と早期の処置が鉄則だそうで、放っておくと、どんどん病害虫の被害が拡大してしまう。

また、バラは手入れをする時に注意をしないと、鋭い棘で怪我をしてしまうこともある。
私も何度血を流したことか・・・

でも、いくら手間がかかろうと怪我をしようと、一度バラの美しさに魅了されてしまうと、育てるのは止められませんね。

もしかして、美しいけれど、手が焼けて危険な女性に恋をしてしまった男性は、こういう気持ちになるのでしょうか。

な~んて、男じゃないので、よく分かりませんが。

そんなわけで、庭から切ってきたバラを家の中に飾って楽しんでいる。

バラの良い香りが部屋の中に漂って、幸せな気持ちになる。





良い香りと言えば、日が落ちてくると、周囲の森林の香りが日中よりも強く感じるのだが、清々しい森林の香りに混じって、シロツメクサの香りが漂ってくることがある。

バラの芳醇な香りとは違った、もっと素朴で甘い香り。

いや~危険で美しいバラもいいけど、素朴なシロツメクサもいいもんですね。

香水にするなら、シロツメクサの方がいいかなぁ・・・とかなんとか。

こんなことささやかなことが、日常生活の中では嬉しい。

さて先日のこと。

高齢者住宅に父に会いに行ったが、父はどことなく気持ちが沈んでいるように見えた。

最近はいつもそうなのだが、ベッドに横たわったままで、いつもより口数が少なく、何を言っても、手を横に振って「拒否」の返事ばかりだった。

せっかくの歩行器もほとんど使っていない様子だった。

声をあまり出すこともなく、ほとんどを手で合図ばかりしているせいか、声がかすれていて、それがさらに父が弱ったように見せた。

「なにもいいことが無いな・・・」

ベッドに横たわったまま、唐突に父がそう言った。

それを聞いていた夫が横から「どこか行きたいところはないですか?また公園でも行きましょうか。気持ちがいいですよ」と、父を元気付けるように言ってくれた。

すると、父はまた手を横に振って「いや、行かない」という合図をした。

今、父の心の中には重苦しい大きな黒い塊があるのかもしれない。

やる気が起きない、身体がつらい、横になっていても何もいいことは起こらない・・・そんな気持ちなのだろうか。

「なんでもやってもらって、ありがたい。ここは天国だ」と、高齢者住宅に入った頃に言っていた言葉は、もう父の口からは出てこなくなった。

出てくるのは「食事がまずい」ということだけ。

私も食べさせてもらったが、父が言うほどまずくはなかったはずなのだけどなぁ。

確かに味付けは薄いが、まずくは無かった。

日中、何もせずに横になっていれば、お腹も空かないのだろう。

そして空腹感がないので、食事も美味しくないのだろうと思う。

「なにもいい事が無い」という父に、本当は言いたかった。

「誰だって、そんなにいいことばかりは無いよ。
50歳そこそこで死ななければいけなかったお母さんから見たら、お父さんは84歳まで生きられていいな~って思っているかもしれないし。
でも自分がそう思えば、いい事はたくさんあるんだから」

昔、私が書いていたブログ名は「みんな幸せになろうね」だった。

これは、私に悩みがあって、それをなんとか乗り越えたい、幸せになりたいという気持ちからつけた。

今はわかる。

幸せになろうねというのは間違っていた。

もうすでに幸せだった。

そこらじゅうに幸せやいい事が転がっていたのに、私はたったひとつの事に執着して、それが自分の思い通りにいかないことで、幸せではないと言う思いに囚われていた。

今はたくさんのいいことを見つけられる。

大好きなバラが綺麗に咲いた、シロツメクサの甘い香りを嗅げた、家族も知人も元気に暮らせている、ご飯が食べられる、雨露がしのげて、ふかふかの布団で眠ることができる・・・

数え切れないくらいのいい事ばかりなのに、時々それを忘れてしまって暗い穴の中に落ちて行くような気分の時もある。

今の父がそうなのかもしれない。

見回せば、たくさんのいい事があるのに。

そんなことを、また父が思い出すようにさせてあげたいなぁ。






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それは本当か

2015-06-19 15:24:42 | 日記
2007年からブログを書き始めて8年、気ままに書きたいときだけ書くというスタイルで細々とここまで来た。

途中で運営会社を変わったり、タイトルを変えたりしてきたが、2年前から始めたこのブログは、今まで書いてきたブログと、どこか違うと思いつつ書いている。

誤解されると困るので付け加えると、どこか違うというのは、自画自賛で今まで書いてきたブログ記事よりも良い文が書けているとか、けっしてそういう意味ではない。

それは偶然なのかもしれないが、自分で書いた記事に関連したことが現実に起こるというのか、なんというのか。

もちろんほとんど全ての記事がすでに起こった事実を書いているわけであって、これから起きるというのは変な言い方だと思うが、しいて言えば、なにか大いなる存在?に見られている様な、そんな気持ちがする。

例えば、記事を書いていて、その時に自分で感じた気持ちを書くとする。

すると、まるで「それは本当か?」と確かめられるかのような出来事が、間をあまり空けずに起きる。

昨年12月に「毎日、神仏に手を合わせるようになってから、絶対の安心感の中にいる」というようなことを書いた時のことだった。

この記事を書いて数日も経たずに、「それは本当か?」と問われているような出来事が起こった。

それは、東北で一人暮らしをしながら学生生活を送る長男パインと連絡が取れなくなったことだった。→「返事を待ちながら」

本当の自分は「パインは心配ない」ということを知っているのに、そんな自分が信じられず、「まさか一酸化中毒で倒れているのではあるまいか」などと心配して私は右往左往していた。

「絶対の安心感の中にいる」なんてトンでもない間違いだった。

エラそうなことを書いた私に、何かの存在から「それは本当か?」と問われ、見事に馬脚を現してしまった出来事だった。

そして今また、それは起こってしまった。

今月8日のブログ記事で、同居するお姑さんの米寿のお祝いをやったことを書いた。→「米寿のお祝い」

その中で「私はもうすっかり夫の家の人間になったのだなと感じる」と書いた。

この時は優しい夫側の家の人たちに囲まれて、本当に嬉しくなって、そのように書いたと思う。

この文章、そう、この文章を「それは本当か?」と問われるような出来事が起こった。

数日前のことだった。

夜中にトイレに行こうとしたお姑さんが、部屋でふらついて転んでしまった。

幸い骨折はしなかったが、背中を家具にぶつけてしまい、しばらく背中が痛いと言っていた。

親孝行の夫は、こんな時は率先して母親であるお姑さんの介護をしてくれる。

この時もお姑さんの背中に湿布薬を貼ってくれた。

私はと言えば、「大丈夫ですか?」とお姑さんに聞くことしかできなかった。

お姑さんが転ぶという出来事があった翌日、私は外出前にお姑さんに「行ってきます」の挨拶をしようとお姑さんの部屋の前に行った時の事だった。

その時、お姑さんは友だちと電話でおしゃべりの最中であり、私は挨拶をせずに出かけようと玄関に向かったその時だった。

「お母さん(私の事)には、(怪我の事を)あんまり話したくなくって。やっぱり自分の子とは違うからね。なんか気を使っちゃうから嫌なのよ。分かるでしょ?うふふ」

いつものお姑さんとは違う声のトーン、ちょっと意地悪そうな、まさしく他人の悪口や噂話をしている時の女子トーク!!

それを聞いた私は・・・キレた。

同居して10年、今まで一度もお姑さんと喧嘩はおろか険悪ムードにもなったことはなかったが、この時はさすがにブチンと音がした。

乱暴に閉めた玄関ドアの音に気づいて、お姑さんが私を見送ろうと外へ出てきたが、私はすでに車の中。

そして満面の笑みを浮かべて手を振るお姑さんに、またまたキレた。

さっき話していた女子トークとはエライ違いやんけ・・・と。

思い切りアクセルを踏んで、車を発進させたら、突然、目の前をフロントガラスすれすれに一羽のカラスが飛び出してきて、慌ててブレーキを踏んだ。

「カラスさんが冷静になれと教えてくれたのかも・・・」

そう思いなおして、そのあとは慎重な運転を心掛けたのだったが、一度切れた感情はなかなか静まらなかった。

その日も、その次の日も、お姑さんとは極力顔を合わせないようにした。

私は、お姑さんにそっけなく、冷たい態度を続けた。

・・・が一方で、そのような態度をする自分が嫌であり、またその度に悲しそうな顔をするお姑さんを可哀想だとも思っていた。

冷静に考えれば、お姑さんが話していた友達は、前からよく電話をかけてくるおばあちゃんで、電話のたびにお嫁さんの悪口をお姑さんに話す人だった。

これは実際にお姑さんから聞いていたのだが、お姑さん曰く「そうやってお嫁さんの愚痴を言うんだけどね、私はいつも言うのよ。ありがとうって言いなさいって」

前はそう言っていたはずだったが、いつの間に同類になっていたのか・・・

お調子者のお姑さんのことなので、そのおばあちゃんに合わせているうちに、自分も同じようなことを話すようになったのだと思う。

そして息子である夫には何でも話せても、私には気を使って話せないこともあるというのは事実であろうと思う。

自分の感情の高ぶりが納まるまで、お姑さんとは距離をとろうと思った。

しかし数日間、お姑さんにそっけない態度を取り続ける私を不信に思っている夫には、事実だけを伝えたほうがいいと思った。

市内を一望できる自然豊かな公園に夫を誘って散歩に出た。

そこで事実だけを、できるだけ冷静に、そして今の自分の気持ちを伝えた。

「自分の感情が納まるまで、お姑さんには冷たく接するかもしれないけれど、自分でもこれではいけないと思っている。気を使うというのは、お互い様で、友だちとの会話の流れでそのように言ったお姑さんの気持ちも分かる。でも、しばらくは前のようにはできないから。もうすこし見ていて」

黙って聞いていた夫は「わかった」と言った。

・・・が、これからが私の中で良心と自我との戦いだった。

良心は「もう許しなさい。自分にもお姑さんと同じところがあるでしょう?」と言っている。

しかし、自我は「あの意地悪そうな言い方は我慢できない。しかも、なんなの?あの見送りの笑顔は。裏表ありすぎでしょ」と言っている。

胸が苦しかった。またもや自分自神を傷つけていた。

悶々としていたら電話が鳴った。

なんと、お姑さんの年の離れた妹さんで、夫の叔母からだった。

この叔母さんには、食事をご馳走してもらったり、洋服を作ってもらったりと、今まで私も可愛がってもらってきた。

その叔母からの突然の電話で、あまりのタイミングのよさに驚いた。

たまたま遠方から親戚が来ることになり、その時にお姑さんも一緒に連れて会いに行きたいのだが、予定はどうだろうかというものだった。

「予定はないので、どうぞ行って来て下さい」と話したが、叔母から「今、お姉さん(お姑さん)に電話をしたら元気がないようだけど、どうしたのかしら?」と言われた。

そこで、それまでの出来事や私がそっけない態度を取り続けていることなどを一気に話してしまった。

黙って聞いていた叔母は「私はどちらの味方もしないけど」と前置きをして、「あまり自分の気持ちに無理をするんじゃない。無理に優しくしなければなんて、思わないほうがいいよ。心から思っていないのに、そんなことをしても上手くいかないから。いいんじゃないの、気が済むまでそっけなくしたって」と言ってくれた。

なんだか心がす~っと楽になった。

今までの事がぜんぜん大したことのないように思えてきた。

そうだ、ちっぽけなことだった。

そう思ったら、また笑顔でお姑さんと接することができるような気がしてきた。

・・・で、今朝は家族が出払って、お姑さんと二人きりになった時、お姑さんと話をしようとお姑さんの部屋に行った。

お姑さんと向かい合って座り、まずはこの数日間、お姑さんに対して、冷たい態度を取ったことを謝った。

頭を下げて「ごめんなさい」というと、お姑さんは泣き出してしまった。

そこで、なぜ私が怒ったのかをお姑さんに伝えた。

するとお姑さんは「あら~、私そんなことを言ったの?覚えていないわ~。ホントにそんなことを言った?それは悪いことをしたね。ごめんなさいね」と言われて、私はずっこけそうになった。

演技でもとぼけているわけでもなく、本当にそう思っている。

そうだ、お姑さんは軽度の認知症だった。

ってことは、お姑さんはあまり気にしていなかったのかも・・・

なんだか、ひとりで悶々として馬鹿みたいだったかな。

しかし、今回は思いっきりお姑さんに怒り、思いっきり本音を言えた。

「もうすっかり夫の家の人間になった」のかどうかは定かではないが、叔母に対しての相談も含めて、少なくとも今までの建前の付き合いから一歩進んだのは間違いないと思う。

それにしても、何かに見られている?

もしかしたら、それは自分の中の良心という神なのかもしれない。







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旅の計画

2015-06-15 14:04:38 | 日記
心配していた妹の病状だったが、血液検査の結果がかなり良くなっているとのことで、あとは胃と大腸のカメラをやって異常がなければ今週の末にも退院できるそうだ。

よかった、きっと大丈夫。

これで心置きなく関東旅行へ行くことができる。

今、長女チェリーはるんるんしながら、暇さえあれば自分で書いた旅の日程表を眺めている。

7月に私と二人で行く旅行をとても楽しみにしている。

旅行へ行こうと思ったきっかけは、関東の大学に通う次女ピーチからの電話だった。

「もう暑くて暑くて掃除もできない。部屋の中はぐちゃぐちゃだし、布団も汗でかび臭くなってきた。7月に連休が取れるんだけど、こっちへ来れない?」とのこと。

どうも暑さにかこつけて掃除に来て欲しいということらしいが、学校から出される宿題や、二つ掛け持ちのサークル活動やらバイトやらで、毎日が忙しくて部屋の掃除もままならないようだ。

「掃除くらい自分でやりなさいー!」と、最初は行く気はなかったのだが、夫から「チェリーと一緒にディズニーシーへ行って、ついでにピーチの所へ行って来たら?」と言われ行くことを決めた。

チェリーは3年前に家族で行ったディズニーランドは経験があるが、ディズニーシーへはまだ行った事が無かった。(私も・・・)

兄のパインも妹のピーチもそれぞれの友達とディズニーシーへ行った事があり、チェリーはずっと「ディズニーシーへ行ってみたい」と言っていた。

他の兄妹と違い、チェリーには障害があるせいもあって一緒に行けるような友達がいない。

「やはり親が連れて行ってやらないと」と夫が言うのもその通りだと思い、行くことを決意したのだが、夫は留守番をしていると言う。

「俺は次の週に東京出張があるし。いいから、いいから。俺の事は気にせず楽しんで来いよ」と言う夫の優しい言葉(涙)

思えば3年前に行ったディズニーランドは過酷だった。

どこへ行ってもひたすら並んだっけ・・・80分待ちなんて当たり前で二時間半待ちというアトラクションもあった。

「絶対に乗りたい~っ!!」とごねる娘達の為に、疲労困憊の身体に鞭打って、ただただじっと耐えて並んだ。

そうだった。。。思い出した!
50を越えた夫婦(夫と私)にとって、ディズニーランドはまるで修行の場のようだと思ったんだっけ。

あれから3年分の年を取ったにも関らず、またまたディズニーへ挑もうとしているなんて・・・
無謀だったかしら。

夫が留守番をしていると言った気持ちがやっと分かった。

いやいや、これもチェリーの為。頑張って行ってこよう。

とかなんとか、喉元すぎれば熱さ忘れる・・・で、ちょっぴり楽しみにしている自分もいる。

ディズニーシーでピーチと合流して、当日は三人で夜まで遊び、近くのホテルで一泊してからピーチのアパートへ向かうことになっている。

「せっかくだから東京観光もしてきたら」と夫に言われたが、なんせ私は激しく方向音痴なので広い東京を歩き回る自信がない。

なので、すぐにピーチの住む町へ向かうことになっているが、今回は前に行くことができなかった神社へ、できたら行ってみたいと思っている。

ピーチの住む町は二度目の訪問なので、ここはなんとか大丈夫だろうと思うが・・・

「宇宙人が二人で、どんな珍道中になるのか楽しみだなぁ~。わはは」とお気楽に夫は笑う。

宇宙人とは、私とチェリーが普通より変わっているからだとか。

どこが変わっているって言うのかよく分からない。

チェリーはちょっと変わっている娘だが、私はどこからどうみてもノーマルでしょう~よ。

とにかく旅は行く前がまた楽し。

ワハハと笑う夫を横目に、毎日チェリーと二人で旅の計画を話し合っている。











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選んだ道

2015-06-12 21:26:44 | 介護
日常生活の中で「どうしてこんなに一度に色々なことが重なって起きるの?」という事がたまにある。

昨日は午後3時に歯科治療の予約をしてあったのだが、非常に混んでいて、なんと二時間以上待ったされて、やっと治療してもらうことができた。

そこは総合病院の中にある歯科であり、歯科医師はたくさんいるのだが、それ以上に患者さんが大勢来る。

いつも混みあっていて予約時間どおりに診て貰えることは少ない。
それでも二時間以上の待ち時間というのは滅多に無いことで、せいぜい一時間程度の待ち時間というくらいだが、昨日は本当に珍しいくらい混んでいた。

午後2時半前に家を出てから治療をして、家に着いたらもう午後6時を過ぎていた。
(治療時間は10分くらいだったけれど)

やれやれ疲れた・・・

いつもより遅くなっているので、大急ぎで夕食の支度にかかろうとしたら電話が鳴った。

父を担当してもらっているケアマネージャーさんからだった。

実は、寝てばかりいる父にリハビリを受けさせることになっていた。

ケアマネージャーさんは困ったような声でおっしゃった。
「リハビリの先生に診てもらったら、体力が無さ過ぎてリハビリはできないというんです。
また、お父さんにもリハビリをする気力がなくて、頑としてリハビリはやらないとおっしゃって。
どうしたらいいでしょう?」

父は体力もそうだが、一番の問題は気力がないことで、それはレビー小体型認知症という病気の症状でもあるのだが、リハビリと称して父を動かすのはとても大変なのだ。

こういうことも想定していたが、やはりリハビリはできなかったか・・・ちょっとがっかりした。

しかし、このまま何もせずに寝かせておくのはまずいということで、ケアマネージャーさんが色々考えて下さっているのだが、気力と体力が無く、自ら動こうとしない父をどうしたらよいのか分からず困っているようだった。

ケアマネージャーさんとお話をして、翌日、私が行ってリハビリの先生やケアマネージャーさんとあらためて相談をするという事で電話を切った。

さて、気を取り直して食事の準備をしようと思ったら、また電話が鳴った。

今度は妹からで、なぜか妹の声が妙に弱々しい。

「今日から入院したの」という突然の妹の話に驚いた。

一体どうしたのかと聞くと、しばらく熱が出ていて、病院に行ったら、その場で入院することが決まったとか・・・

かなりひどい胃腸炎になっていて、他にも原因がないか、これから検査をいくつかするのだそうだ。

「わかった。何かやってほしいことがあったら、すぐに言ってね」と言って電話を切ったが、もう料理どころではなくなってしまった。

妹に万が一のことがあったら、どうしよう。

というわけで、昨夜は父の今後のことを考え、そして妹のことが心配で、体は疲れているのに、なかなか寝付かれなかった。

妹は大丈夫だ・・・と本当の自分自身は知っているのだが、私は不安で一杯になっていた。

布団の中で父のことや妹のことを思って、なかなか眠れずにいたのだが、突然「あ~、今、私は自分自身(自分自神)を傷つけているなぁ」と思った。

今考えても仕方のない事を悪い方へ、悪い方へと考えて、自分の中に在る神を傷つけていた。

本当の自分自神がどんどん小さくなって、それを圧倒するかのように不安や心配というネガティヴな感情が自分の胸に広がっていくのを感じていた。

そうだ、これだけは絶対に守らなければいけなかった。

そう思いなおして、自分の胸の奥に集中した。

少しずつ暖かな光が戻ってきたかのような気持ちになってくる。

「これが、生まれる前に自分で選んできた道だった。家族が欲しいと切望した前世?の想いを、今やらせてもらえているのだから、なんとありがたいことか。だから乗り越えられない試練はない」

そんな風に思えてきた。

・・・で、翌日(今日ですが)さっそくケアマネージャさんやリハビリの先生と相談をするために行ってきた。
父に歩行器を使ってもらって、今まで使っていた杖よりも楽に歩けるということを父にわかってもらい、まずは普通に歩けるようになることから始めようということになった。

初めは嫌がっていた父だったが、「杖よりも楽だから、ちょっと使ってみて~」と歩行器を勧めると、その気になって歩行器で歩いてくれた。

「どう、楽?」と聞くと「うん、楽だ」と言って、珍しく長い距離を歩いてくれた。

あとはこれが継続してくれればよいのだけれど。。。

そして、次に妹の病院にお見舞いに行くと、妹は思っていたよりも元気ですこし安心した。

とはいえ、妹の検査はこれから。

「だからぁ、私の作った乳酸菌あげるから、だまされたと思って飲んでみぃ~」

そう言ったら、妹は「それだけは絶対にいらない!」とぶるんぶるんと首を振った。

失礼な。。。安全は夫と自分で人体実験済みなのに(笑)

こうやって一歩ずつ、良心に従って進んでいこう。





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米寿のお祝い

2015-06-08 14:53:27 | 介護
日曜日、我が家で同居するお姑さんの米寿のお祝いをした。

米寿などのお祝いと言うのは、もしや数え年でやるのかもしれないのだが、お姑さんが今月88歳のお誕生日を迎えるということに気がついて、急遽「米寿祝賀会」をすることに決めた。

一緒にお祝いをしてもらうために、夫の姉達とその伴侶や子供たち(お姑さんからすると孫)、そして、その子供の伴侶まで総勢10名が集まった。

本当は孫やらひ孫やらとまだ大勢いるのだが、とりあえず近郊にいる者たちだけでお祝いをしようということになったので、この人数になった。

さて「祝賀会」はお昼からと決めて、朝からオードブルやお寿司、飲み物などを用意した。

そして、88歳になった今も毎日料理を作るお姑さんは、かぼちゃの煮物とおからの煮物を作ってくれた。

この二品は、さすが年の功という感じで本当に美味しい。

かぼちゃの煮物などはまるでスイーツのようで、小さな子供にも人気がある。

そのほかに義姉たちがケーキと花束を用意してくれて、なんとお姑さんに着てもらう山吹色のちゃんちゃんこと帽子まで持ってきてくれた。

さっそくお姑さんに山吹色の米寿セットを着てもらい、まるで大黒様のようになったお姑さんに花束を持ってもらっての写真撮影会。

あちらこちらからカメラが向けられて、お姑さんは嬉しくて泣き笑いをしていたが、しっかりポーズは決めていた(笑)

そんな感じで始まった米寿祝賀会だったが、笑いが絶えない楽しい集まりになった。

笑いの中心は、何と言っても夫の一番上の姉夫婦。

60代の夫婦なのだが、これがまさにボケとツッコミの掛け合い漫才を見ているかのように面白い。

多分、本人達はウケをねらって話しているわけではなく、ごくごく自然体なのだが、のんびりゆっくりと話をする義兄の横で、機関銃のような早口で義兄の話を先回りして、さらに細かい説明も付け足しながら話していく義姉。

話の内容よりも、二人の掛け合い漫才風の様子が面白くて、周囲は大爆笑だった。

しかし主役のお姑さんには、話が早過ぎて何を話してみんなが笑っているのか、さっぱり分からなかったと思う。

それでもみんなの笑い声のなかで、にこにこと嬉しそうにしてくれていた。

ところで、書き忘れたが、祝賀会を行った場所は我が家のリビングだった。

お姑さんの部屋は大勢が入るには狭いということで、うちのリビングで行うことになったのだが、お客さんたちが来る前に掃除をしながら、ふと「片付けようかな、どうしようかな」と思うものがあった。

それは、私が毎日手を合わせているご先祖を供養するための短冊と香炉だった。

リビングの目立つ場所に置いてあるので、私がやっていることを分かっている妹などは別として、来客がある時は必ず見えない場所に移動させていた。

別に悪いこと、恥かしいことをしているわけではないが、変に思われても嫌だし・・・と勝手に想像して片付けていた。

でも今回は親戚ばかりだし、何よりめでたい米寿のお祝いの席だ。

ご先祖さまにも一緒に参加して頂きたいなぁと言う気持ちで、今回は移動せず、そのまま置いておくことにした。

それについては、そこで供養をしていない夫も異論はなく「片付けなくてもいいんじゃないの」とさえ言ってくれた。

先祖供養を始めた頃は「何をまた怪しいことをやって」と言っていた夫だったが、今はすっかり理解を示し、毎日する線香供養がきっとご先祖に届いているのだろうという風に考えが変わってきた。

そして、それと関係があるのか無いのかはよく分からないが、私はもうすっかり夫の家の人間になったのだなと感じる。

結婚して何年間かは、夫の親族に会うと緊張してしまい、それが嫌で、夫側の親戚に会うのはなかなか苦痛でもあった。

でも今は、夫の親戚達との会話を心から楽しんでいる自分がいる。

供養セットも自然に、そしてごく当たり前にそこに存在していた。

「あ~楽しかった!ありがとう。久しぶりにお腹がよじれるくらい笑ったわ」と帰り際に姉達や姪たちにお礼を言われた。

いえいえ、こちらこそです。

お腹がよじれるくらい笑わせてもらったのは、こちらの方ですから。

ご先祖のみなさんも楽しんでいただけただろうか・・・









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健康維持

2015-06-03 15:04:34 | 日記
ヘルパーの仕事を終えたあと、いつもならそのまま自宅へ帰るのだが、今日は用事があって事業所へ寄った。

事業所で書類を書いていたら、事務の職員から「知り合いで誰かヘルパーの資格を持っている人いない?」と聞かれた。

そういえば一人いるけれど、彼女は「資格は取ったけれど、やっぱり介護の仕事はしたくない」と言っていたっけ。

「う~ん、いないですねぇ」と答えると、「人が足りなくて困っているの。募集を出しても誰も来ないの。週一回の勤務でも可能と書いてもダメなのよ」と困った顔で教えてくれた。

なんでも他の事業所では、ヘルパーが集まらないため、その事業所が経営している高齢者住宅への訪問以外は、訪問介護事業から撤退することになったそうだ。

私の勤める事業所も、訪問介護の需要はたくさんあるのにヘルパーの数が足りないので、お断りをすることもあるという。

だから「もっと仕事がしたいです」と言えば、すぐにでもたくさんの仕事をもらうことができる。

しかし、私はもうこれでじゅうぶんだと思っているので、頼まれても仕事を増やすつもりはない。

毎回、自分のできる範囲だが、全力投球で仕事をしてくるので、仕事から帰って来ると、けっこう身体がつらい。

最近は腰のだるさを感じるようになった。

まずい!これは気をつけないと腰痛持ちになってしまう~

そろそろ潮時かな・・・と思っていたのだが、人手が足りないという話を聞かされたら、また辞めにくくなってしまったわ。

それにしても、なぜ人が集まらないのか?

やはり介護の仕事はキツイ、汚い、給料が安いという3Kだと言われているからだ思う。

給料は私のようなヘルパーは一軒何分行っていくらという計算なので、仕事をすればするほど給料も上がるのだが、元々それほど時給が高いわけではないので、これで生活するのは絶対に無理だ。

幸いにも夫が大黒柱として働いてくれるので、私など趣味のような働き方しかしていないが、本当に生活がかかっているのなら、もっと割のいい仕事を探すかもしれない。

これからどんどん高齢化社会になっていくのに、介護の現場で働く人がいなくなる。

ヘルパーは外国人ばかり・・・なんて時代も来るかもしれない。

これは何とかせにゃーいかん。

やはり人を集めるには、お給料を上げることからでしょうか。

・・・となると、介護保険料もさらに上がることになって、これはなかなか簡単に決まることではないのだろう。

そうなると、やっぱり一番は介護を必要とする老人を作らないことだわね。

最近、めっきり寝ている時間が多くなり、ほぼ寝たきり老人になったかのような実父だったが、担当ドクターから「身体はどこも悪くないのだから、無理にでも起こしましょう。強制的にリハビリですっ!」という厳しいお言葉を頂き、父は「脱!寝たきり老人」を目指して、これからリハビリに取り組むことになった。

(がんばれ!おとーさん)

まずは自分の健康は自分で守らないとね。

というわけで、健康オタクの血が騒ぐ私は、将来、老いても介護を必要とせずに健康年齢を維持するべく、毎日、自宅で育てた乳酸菌を種にして作ったヨーグルトを食べ、ゆらゆら運動などをしている。









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