ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

やりたかったこと

2017-07-27 17:33:32 | 日記
今日の午前中は肩のリハビリの日だった。

もう長くリハビリに通っているので、担当の理学療法士さんとはすっかり打ち解けて、いつも雑談をしながら肩の調整をして頂いている。

今秋に結婚する予定だと言う療法士さんは、男性ながら料理のことがとても詳しい。

今日も「おいしいだし汁」について語る療法士さんのお話に耳を傾けていたのだが、突然「実は僕、生まれ変わったら絶対になろうと思っている職業があるんです」とおっしゃった。

なんとなくわかってはいたが、一応「それはなんですか?」と聞いてみると、「和食の料理人です!」という答えが返ってきた(やっぱしネ・・・)

「別に生まれ変わらなくても、今からだってなろうと思えばできますが、これから結婚するので今は転職はできませんからね。でも料理人をやってみたかったなぁ」とおっしゃった。

料理の話になるとイキイキとして話が止まらない理学療法士さんなので、お相手の女性は結婚したら彼に美味しいものを作ってもらえるのかもしれない(うらやましい~)

しかし、奥さんが作った料理に対して、きびしい批評があったりするという可能性もありで、これはちょっと怖い。

というわけで、その後も美味しい料理の話を教えてもらって本日の料理教室を終了した、ではなくてリハビリを終了した。

ところで、生まれ変わらずともやりたかったことを、私と同年齢になって始めたという方のお話を、偶然にも同じ日に聞くことになった。

病院のリハビリから帰って来て家にいた所、突然の来客があった。

それは長男パインの友だちのお母さんで、子どもたちがまだ赤ちゃんだった頃からの知り合い(ママ友)だった。

最近はあまり会っていなかったので、突然の訪問にびっくりしたのだが、なんとたくさんのサクランボのおすそ分けを持ってきてくれたのだった。

彼女曰く「うちの旦那さんが会社を早期退職して、今年から農家に働きに行っているの。そこで採れたサクランボなんだけど食べて」とのことだった。

彼女のご主人は、勤めていた会社で早期退職者の募集があった時、会社にいようと思ったらまだいることができたにもかかわらず、ずっとやりたかったことをしたいと会社を辞めたのだそうだ。

彼女のご主人がずっとやりたかったこと、実はそれは農業ではなくて、本当は漁師になりたいそうだ。

若い頃、ご主人のお父さんの職業でもあった漁師を継ぎたかったそうだが、親から「大学へ行け」と言われ、それに従って大学へ行き、そしてサラリーマンになった。

そして今まで家族の為に、がむしゃらに働いてきた。

「もうそろそろ辞めていいか?」とご主人に言われた時、今まで一生懸命働いてくれたご主人だったから、ママ友は「だめ」とは言えなかったそうだ。

というわけで、ご主人は晴れて農業をすることに・・・あれっ、漁師になるんじゃなかったの?

そう聞くと、友人は「ほら、漁業だと海のある町へ引っ越さなきゃならないでしょ?まだここから引っ越せないから、しばらくはここでできる農業をするんだって。60歳になったら漁師になるって言ってる」と教えてくれた。

やりたいことを胸に秘めて、新しい家族の為に仕事に励む若い人、そしてやりたいことができるようになった今、夢に向かって羽ばたいた中年男性・・・人生いろいろだなぁ。

私がやりたいことは何だろう?と考えてみると、それはもうやっているかな。

私はこの道をひたすら進むのみ・・・です。










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母と娘の介護

2017-07-21 16:02:00 | 介護
最近また一段とお姑さんの認知症が進んだような気がしている。

今年に入ってから時々トイレを汚すようになった。

「何故ここに?」と思うような所に大便がついていたり、ついているだけならまだしもコロンと落ちていたりする。

本人はまったくそんなことは覚えていないというのか、汚したという意識はない。

大便が落ちているくらいなのだから、小水だって漏らしているのではないだろうか?と思っていたら、やはりそれもあるようで、恥ずかしいのか、それは自分で始末をしている。

もうそろそろ紙パンツにしてもらった方がいいだろうか・・・そう思って、それとなく勧めてみたのだが「それはやだわ」と即座に断られた。
まだ自分の意思はしっかりと持っているので、新しい提案を受け入れてもらうのは至難の業だ。

やんわり言っても即座に断られるし、強く言うと「怒られた」と言われるし、どちらにしても絶対に断るので、どうしてもしてもらいたい時は、息子である夫を通すようにしている。
(最愛の息子が言うことはよく聞いてくれるので)

ところで、友人から「電話してもいい?」とメールが来た。

彼女が「電話していい?」と聞いてくるときは、必ずストレスがマックスになっている時だ。

友人は近くに住んでいる実の母を毎日介護しているのだが、お父さんが亡くなってからお母さんの認知症が進み、自分のことを泥棒呼ばわりすると言って嘆いていた。

物を自分で仕舞いこんで、誰かに盗まれたと言うのは、認知症ではよくあることで、私もそれは経験済みなので友人のやるせない気持ちはよくわかる。
まず疑われるのは、いつも近くにいる人なんだよね・・・

友人の電話の話もやっぱりそれだった。
「私が盗んだとか言われて、すごく腹が立って、なにより情けないのよね。こんなに一生懸命に世話をしてやっているのに、隠れて親戚に電話をして私の悪口を言っているの。本当に嫌になる。自分の母親だけど顔も見たくないって思う」

隠れて悪口の電話をするのも、よくあること。それも経験がある。

「義理のおかあさんなのに、そんなことがあって、よく我慢できるね。私は実の母でも許せないのに・・・」という友人に対して「義理の母だから、仕方がないって水に流せるのだと思う」と答えた。

うちの場合だが、義母に対してはまだ気を使っている所があって、実の親に対するよりも怒りの抑制が効くのではないかと思う。
その時はもちろんムカっとするが、あとから義母の物忘れが可哀そうに思えたり、私にも悪いところがあったと反省したりする。

これが実の親子、特に母親と娘であったら、互いに遠慮なく言い合うことがあるのかもしれない。

友人の言葉で気になったのが「こんなに世話をしてやってるのに」という所で、友人曰く「私は、母を子どもよりもずっと手がかかると思って介護してるの」とも言っていた。

この友人の話はもっともで、頑固になっている老人の世話をするのは子どもの世話をするよりも手が焼けることは認める。

・・・が、ボケてしまってもお母さんには母親としてのプライドがある。

娘には世話になっているという意識はもちろんあると思うが、娘からまるで子ども扱いされて、時には叱られているような感じを受けたとしたら、絶対にお母さんも娘に対して怒りを持つはずだと思った。

私自身は実母がいないので、自分の年老いた母親を介護をする経験はないが、もしも自分が年老いて頭も体も不自由になった時に、娘たちに子ども扱いされて、間違えてしまったことなど叱られたとしたら、きっといい気持ちはしないだろう。
これが息子に叱られたとしたら、娘に叱られるより納得できると思うのだが・・・

息子と娘の違い、そして父親と母親の違いかもしれない。

実の親子の場合、異性同士の親子の方が介護も上手くいくように思うが、介護は人それぞれで母娘でもうまくいっている介護もあれば、母と息子でも険悪な関係になる場合もあるかもしれないし、介護も奥が深いですね・・・

「あと30年もしたら、今度は自分が介護されているかも~。その時には決して娘や嫁の悪口は言わないようにしようね」と言ったら、友人が「そうだね、でもその頃はもうボケていて、そんなことはすっかり忘れているよ」と言って二人で大笑いした。

友人が「こんなに笑ったの久しぶり。笑ってすっきりしたぁ」と言ってくれてよかった。
私も楽しかったよ。





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父、納骨

2017-07-18 13:32:44 | 日記
夢を見た。亡くなった父が初めて出てくる夢だった。

場所は父が住んでいた実家で、今まで実家の夢を見ることも無かった私だが、夢の中で実家にいる私は出かける準備をしていた。

その夢の中で私が出かけようとしている先は、実家にいた頃に勤めていた会社で、「時間がない」と焦りながら洗面台の鏡に向かって化粧をしようとしていた。

もう30年近く前に辞めたのに、今でも会社の夢をたまに見る。

机に山と積まれた書類を前に焦っているとか、通勤途中で道に迷い、どうしても会社にたどり着かず、焦っているとか・・・

現実では道に迷って会社に行けないなんてことはあり得ないことだが、なぜかわからないけれど、会社が出てくる夢ではいつも焦っている。
長い時間がたって記憶は風化しつつあるが、現役時代はきっと焦ることが多かったのかもしれないし、そんな夢を見る時は、実際に現実生活でも焦る事案があったりもする。

そうそう、話が飛んでしまったが、父が夢の中に出てきた話だった。

仕事に遅れると、焦る気持ちで洗面台の鏡に向かうと、鏡の中に父がいた。

父はますます若返って実年齢は86歳だったが、見た目年齢は40歳くらいになっていた。

そして、その父が鏡の中で髭を剃っていた。

不思議なのは鏡の中に父はいるのに、私の隣にはおらず、また鏡の中の父の横には、映っているはずの自分がいなかった。

まるで私がいることを知らないように、父は剃刀を使って鏡を見ながら丁寧に髭を剃ってた。

「なつかしい。お父さんの若い時の顔だ」と鏡の中の父の顔を見ながら思っていた。

しかし、ふと「あれ、お父さんもどこかへ出かけるのかな?」と思った所で目が覚めた。

あまりにリアルで印象的な夢だったので、しばらく布団の中で夢のことを考えていたのだが、思い出したことがあった。

実は、その日は父の遺骨をお墓に納骨する日だった。

もちろん納骨のことは忘れてはいなかったが、夢の中ではまったく納骨のことは思い出せず、40代になった父はどこへ行くのだろうかと思っていた。

納骨式では、実家にある父の遺骨をお墓に納めることになっていて、今回は納骨に合わせて古くなった墓をきれいに直してもらっているはずだった。

私たち遺族も、新しくなったお墓を見るのはこれが初めてで、どうなっているのか楽しみだったが、お墓に行ってびっくりした。

今までは古いせいで暗く寂しい雰囲気だったお墓が、大理石を貼りなおしたり玉砂利が敷かれたりと明るく生まれ変わっていた。

きれいになったお墓で、お坊さん、お墓を直してくれた業者さん、そして私たち遺族が集まって、無事に父の納骨式を執り行うことができた。

だから、父は髭を剃って身支度を整えていたのか・・・と納得した。

とてもオシャレな父だったので、父にしてみれば、自分の納骨式の前に身支度を整えるのは当然のことだっただろう。

きれいになったお墓を見て、きっと父も満足してくれていることと思う。

ところで、夢にはいくつかの種類があるのではないだろうか。

その夢のほとんどは、私が会社の夢をみると必ず焦るように、潜在意識の中にある過去のトラウマや経験、また現在気になっている事などがきっかけとなってみることが多いのだろうと思う。

しかし、もう一つは「死者が交信手段」として夢を使うのではないかと思う。

その良い例では、私の母のことがある。

母が亡くなったのは、今の私よりも若い年齢だったが、一番最初に夢に母が出てきたのも、父と同じく夢の中の鏡の中だった。

母が夢の中で鏡の中に現れた時に、母は何か言いたそうにしていたのだが、まだ若く、また悲しみに沈んでいた私は母が口を開くよりも先に「どうして死んじゃったの?絶対に生きるって約束したじゃない!」と言ってしまった。

今考えると、なんということを言ってしまったのかと後悔しかないのだが、母の顔が本当に困ったような顔になり、とつぜん周囲に白い霧が充満してくると母はその霧の中へ消えてしまった。

それ以降、母の仏前に向かって、「どうして死んじゃったの、もっと生きていてほしかった」とは絶対に言うまいと思った。

しかし、母の最期の言葉が「姉弟3人、仲良く力を合わせて生きなさい」だったように、その後も、そして今も、何かがあると、私や妹、もしかしたら弟もかもしれないが、母がそれぞれの夢に現れてくれる。

偶然にしては絶妙なタイミングでそれぞれの夢枕に立ち、何か起こりそうになっても必ず丸く収まっている。

母が亡くなって30年が過ぎ、亡くなった母の年齢を越えてしまった私たち姉弟だが、母親というのはいつまでも子どものことが心配なのだろうと思う。

でも、もうそろそろ母には夢に出て来なくても済むように安心してもらわないといけないなと思う。

亡くなった人にはそれぞれ進まなければならない道があり、残された者は悲しいけれど、引き留めるようなことを言ってはいけないし、心配をさせてはいけないのだろう。

安心してもらえるように、毎日を精一杯生きようと思う。
そして、自分が行く時まで、どれだけ自分の胸の奥底にある光を大きく育てられるのか、大きく大きく育てられるように頑張りたいと思う。

また会える日まで。







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甘梅漬け

2017-07-10 16:58:19 | グルメ
毎日、暑い!

午前中に外出したら、外の温度計が33°になっていた。

この暑さが続いているのは今日で4日目なのだが、7月上旬に4日連続で30°を越えるのは、なんと125年ぶりなのだとか。

外もさることながら、家中の窓を開け放していても暑いので、今年初登場の扇風機を押し入れから汗だくで出してきた。

扇風機を回すと、涼しい風が気持ちがいい~

それにしても、次女のいる北関東はこんなもんじゃないのだろうなぁ。

気温の高さもそうだが、昨年行った時には、湿度が高いので息をするのも苦しいほどだった。

さらに言えば、九州の被災地では今も大きな災害に耐えている方が大勢いる。

それを思えば、これくらいはどうってことはない・・・「気合いだーっ!!」とひとりで言ってみる。

気合いを入れたのには訳があって、実はやらなければいけないことがあった。

それは「梅漬け」の作業が途中のままになっていた。

毎年漬けている梅干しだったが、今年は父のことで忙しかったので、作るのはやめておこうと思っていたのだが、梅干しが大好きな長女から「今年は作らないの?」と言われて気持ちが揺らいでいた。

さらにとどめは、いつも買い物に行く八百屋さんで「今年の南高梅はこれで最後だよ~」と声をかけられた。
最後の3パックになった、その美味しそうな南高梅を見た途端、「買います!全部下さい」と言ってしまっていた。

・・・で、これがその南高梅。



梅を水に一晩浸した後、乾かしている所です。

さて、梅干しを作るには少し遅くなってしまったし、もう少し簡単な方法はないものかと探していたら、梅を干さなくてもよいという作り方を見つけた。

それはたっぷりの氷砂糖を使って、酢と焼酎、そして塩で漬けるというもの。

焼酎(分量外)で消毒した容器に梅、塩、氷砂糖の順で繰り返し入れていき、最後に焼酎と酢を入れて、容器を静かに振り混ぜる。

日に二~三回、容器を振ってやると、氷砂糖がとけて、三日ほどすると梅が柔らかくなって梅酢が上がってくる。

実は、この状態でず~っと作業が止まっていたのだったが、今日は気合を入れて次の工程をした。

梅酢と梅を取り分け、消毒した保存容器に、梅と塩でもんでアク抜きした赤紫蘇を交互に入れて、梅酢をひたひたに注ぎ、最後に重しをする。



赤紫蘇を入れた状態です。この上に重しをします。

半年から一年ほど待って食べられるようになる。楽しみです・・・

さて、梅漬けに入れずに少し取り分けておいた白梅酢は、調味料として毎日の食事作りに活用できる。

さっそく今夜のおかず「トマトのマリネ」に白梅酢を使った。



以上、自分の覚え書きとして、甘梅漬けの分量を書いておこうと思う。

黄梅3㎏・氷砂糖600g・あら塩180g・果実酒用焼酎(20度)120㏄・米酢120㏄・消毒用焼酎 適量
赤紫蘇300gと赤紫蘇用塩30g







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また会える

2017-07-03 17:25:10 | 日記
全米ベストセラーになったという「アフターライフ」という本を読んだ。

本の内容は、事故で急死した兄が、妹である著者へ霊界からメッセージを送ってくるというもの。

最初は自分の幻聴や妄想ではないかと疑っていた著者だったが、自分は確かに兄であるという数々の証拠を妹に示すことで、ついに妹である著者は「兄に間違いない」と思うに至る。

なぜ自分が亡くなってから妹にメッセージを送って来たのかというと、兄は自分が話す霊界について、妹にぜひ本を書いて欲しいという希望があったから。

亡くなったお兄さんからは「亡くなったらどうなるのか」ということだけではなく、この世で「生きる」とはどういうことなのか、また、どう生きたらよいのかといったメッセージも送られてきている。

これは実話とのことだが、「信じる信じないは、あなた次第」・・・

さて、私は今まで死後の世界について書かれた本はあまり読んだことがなかったのだが、アフターライフは全米でベストセラーになったというので興味をひかれて読んでみた。

本を読む前はあまり期待していなかったのだが、読み進めていくうちに、亡き兄が伝えてくる世界が、ときどき私が見る世界とそっくりだとわかり、そのことに驚いた。

そして、その先の世界についても非常に興味深かった。

今を生きている私には、まだ見たことのない「その先にある世界」については、ここでは書かないので、興味のある方はどうぞ本を読んでください。

さて、交通事故によって急死した兄のビリーが死んだ直後、自分がどうなったのかを語っている。

車にはねられた直後、自分の体が何かのエネルギーによって上の方へと引っ張りあげられて、自分の亡くなった肉体を見下ろしているような感じがして、すぐに自分が死んだことがわかった。

引っ張り上げてくれた青みがかった銀色の、そのエネルギーについていくと、空洞の中に入った。

臨死体験ではよく、トンネルのようなところを通るっていうけど、僕が通ったのはトンネルではなく「空洞」だった。
たぶん、僕の場合は(もう生き返らない)片道切符で、臨死体験なら往復するからトンネルなのだろう。

空洞にある光が僕を通り抜けていくにつれて、自分の生きている時にあったすべての痛みや傷が消えていくような気がした。

そのうち、そばで若くて笑っている父さんが現れた。

父さんに会えたのは嬉しかったけど、たぶん父さんは、見知らぬ場所を行く僕の為に目印になってくれたんじゃないかと思う。

しばらく光の空洞の中にいた僕は、次に光り輝く宇宙へと滑り込んだ。

宇宙の中で、美しい星や銀河に囲まれてふわふわと僕は浮いている。

地球を見下ろそうとすると、たしかに眼下に地球があった。

そして、天空には僕のいる場所と君(著者)のいる場所を繋ぐ穴があって、のぞき込めば、僕には君の姿が見える。

だから、君がどれほど悲しんでいるのかもわかっている・・・

私もそうしようと思うと、毎回ではないが、トンネルのような所を通って宇宙へ行くことがある。

これについては、あまりにも突拍子もないことなので、決して他人様には言えないのだが、子供の頃から見えていた世界であり、大人になってから思うに、ここはきっと自分が死んだら来る場所なのだろうなぁと漠然と思っていた。
以前、それについて書いた記事がある⇒ 流れ星に乗って

そして、天空の穴から地上にいる妹の姿を見ることができるとビリーは話しているが、この穴も見ることがある。

私の場合、その穴から見知らぬ土地が見える。

それは大きな災害に見舞われ(た?)る土地であったり、草木のない小高い岩山が連なる場所だったり、木々が風にそよぐ美しい山脈だったり、アマゾンのような大きな川であったりと、それは様々である。

ただ、ビリーと違うのは、私はまだこの地上にいるということで、地上にいるせいか地上の誰かを見ることはない。

ビリーの話が真実なのか、はたまた私の見る世界が単なる妄想なのか、それは私自身にも分からないが、最後に、とても心が温かくなるビリーからのメッセージを載せたいと思う。

「さよならは重大じゃない。僕たちはまた会える」


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