ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

大仏殿で出会ったひと

2022-10-31 11:30:57 | 旅行

前回の旅行の続きです。

奈良、京都では幾つもの神社仏閣に行ったのだけど、その中で特に印象に残る場所の話を書こうと思います。

まず東大寺。

東大寺には有名な大仏殿のほかにも二月堂など有名な建物があって、特に二月堂の建物の美しさは言うまでもなく、そこからの眺めはとても美しくて印象に残るものだった。

しかし、別の意味で印象深い場所になったのが大仏殿だった。

こちらには、かの有名な大仏さまが鎮座していらっしゃる。

大仏殿の中は多くの修学旅行生が訪れていて、それぞれガイドさんから説明を受けていたが、近くにいた修学旅行生のガイドさんのお話がとても面白くて、つい聞き耳を立てて説明を聴かせて頂いた。

生徒さんの列の一番後ろに付いて、ガイドさんの説明に耳を傾けながら大仏さまの周りをひと回りして正面に戻って来た。

帰る前に、せっかくなのでお参りをしていこうと大仏さまに向かって手を合わせることにした。

「こういう場合、なんと言ってお参りすべきなのだろうか」と手を合わせてから考えた。

南無阿弥陀仏というのかな、、、それではどうもしっくり来ない気がしたので、いつも神社や自宅で行っている通りに感謝の言葉だけを心の中で思った。

ところで祈りを終えて目を開けた時、左隣に誰かが立っているのがわかった。

顔を左に向けると、隣に若い女性が立っていた。

私にぴったりと寄り添うようにしていたので、思わず「近っ」と思った。

また顔の位置がほぼ私と同位置だったのもちょっと驚いた、、、というのは、私の身長は171センチなので、最近は身長の高い若い娘はたまに居るが、これまで同じ高さに顔がある女性と、こんなに近くで並んだことがなかった。

その女性は、微笑みながら大仏さまを見つめていた。

よほど大仏さまが好きなのだろうと思ったくらい、大仏さまを慈しむように見つめている。

「大仏さまマニアなのかな?それにしても近すぎるわ」と思った次の瞬間、消えた!

えっ、なになにどうしたの?と後ろを振り返って見たり、周りを見渡して見たが、その女性はどこにも居なかった。

幽霊なのかと思ったが、これまで見た透けている幽霊と違って、あまりにもはっきりとした姿だったから、生きている人間だとばかり思っていた。

その女性の微笑んだ顔は、はっきりと見て、しっかり覚えていたつもりだったが、不思議なことに旅行中にどんどん忘れていった。

思い出そうとしても、まるで手から砂がこぼれるように忘れていった。

そして今は、大仏さまを見つめる目と微笑んだ口元しか思い出せなくなった。

 

 


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夢の旅

2022-10-28 14:21:17 | 旅行

今週月曜日から木曜日まで、奈良と京都へ行ってきた。

先月福岡へ行ったばかりということもあって乗り気はしなかったが、「行ける時に行っておかないと」という家族の言葉に押されて行くことにした。

さっそく航空券とホテルを予約したが、ハタと気づいた。

そういえば政府の旅行支援が始まり、さらに海外からの旅行客の受け入れも始まって、観光地は混んでいるのではなかろうか、、、

特に京都なんて激混みかもしれない。

やっぱりやめれば良かったと思ったが、すでにキャンセル料金が発生するので行くしかない。

というわけで行ってきたのだが、今は行って本当によかったと思っている。

予想通り飛行機もホテルも満員だし、観光地は修学旅行の団体も加わって激混みだったが、今回の旅は、まるで夢の中にいたような不思議な感じがしている。

ところで京都は10年近く前に行ったことがあるが、奈良は高校の修学旅行以来で40数年ぶり、、、

当時は修学旅行に来たことですっかりおだち(はしゃぐこと)、たしかに有名な歴史的建造物や仏像を観たと思うが、そのほとんどが記憶に残っていない。

しかし還暦を過ぎて行くと(もうおだったりしないし)、見方が全然違った。

仏像の柔和なお顔や手の動きに見惚れ、古寺の枯山水の庭を心静かに眺める。

千年以上も昔に、このような素晴らしい建造物が存在していたことに何度も感動を覚えた。

また今回は、地元の方とお話しをする機会にも恵まれた。

奈良で出会った高齢のご夫婦。

息子さんが、北海道新十津川町で働いているそうだ。

新十津川町といえば、奈良県十津川村からの移住者によって開拓された町で、ご夫婦はその十津川村出身だそうだ。

この話は地元北海道でも度々ニュースになったのだが、明治時代、大洪水が十津川村を襲い、2400名あまりの村民が北海道移住を決意する。

移住者たちの「必ず第二の郷土を建設する」という決意のもと、ふるさとの十津川村を後にする日、残った村民らがなけなしのお金をかき集めて持たせてくれたのだという。

厳しい北海道の自然の中、移住した十津川村の住民たちは、未開の地を必死に開墾して、お米が実る豊かな農村へと変えていった。

現在でも新十津川町住民は十津川村を母村と呼んで慕い続けているそうだが、十津川村の方でもそうだということが、このご夫婦のお話から分かった。

新十津川の開墾の話は大好きな話だったので、十津川村のご夫婦からお話を聞けたことはとても良かった。

まるで仏様の仏像のように柔和なお顔のご夫婦だった。

今になってみれば、ご夫婦に会ったのは現実だったのだろうか、もしや夢の中だったのかしら、、などと思ったりもしていている。

まだ続きを書きたいのだけど、長くなるので続きは次回にしようと思います。

 


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趣味の話

2022-10-23 15:28:21 | 日記

用事で支笏湖を通ったら、カヌーやサップに乗っている方々がいた。

ちなみにサップとは、イカダのようなボードの上に立ち、バトルで漕ぎながら水の上を進むもので、最近はカヌーより人気なのだとか。

波のない穏やかな水面を進んでいくのを見ていると、気持ちがいいだろうなあと思う。

カヌーを見て思い出したのは、いつも髪を切ってもらう美容師さん。

60代の男性だが、思わず二度見するほど派手で、背中まで伸ばした長い髪を真っ赤に染めて、いつもロックンローラーかと思うような奇抜なファッションをしている。

でも話してみると、ごく普通のおじさんで趣味はカヌーと一人キャンプと言っていた。

姿から想像すると、絶対に音楽(ロックンロール)とかをやっていそうで、アウトドアから一番遠いところにいる人という感じだが、人は見かけによらないものだと思う。

「趣味がキャンプとカヌーだなんて言うと、お金かかりそうだと思うでしょ?でもね、そんなにかからないんです」

そう言って、以前髪を切りに行った時に色々なことを教えてくれた。

美容師さん曰くカヌーと救命胴衣は、必ず買わないといけないけど、今は安いカヌーでも安全性は高いのだとか。

またキャンプもお金を少しでもかけないように、キャンプ場ではない場所でキャンプをするという徹底ぶり。

キャンプをする条件は近くにトイレがある所で、テントを張っても良い場所かどうかということ。場所によっては(公園など)テント禁止だったり火気厳禁ということもあるので、これはよく確認するのだとか。

そして、美容師さんが一番ゆずれない条件は水辺が近いこと。

てっきりそこでカヌーをするのかと思ったら、そうではなくて釣りをするそうだ。

釣った魚はもちろん夕飯のおかずになるし、釣れなくても趣味として楽しめたので良いそうだ。

「じゃあカヌーはどこでするんですか?」と聞くと「カヌーは支笏湖でしか乗りません」とおっしゃった。

よく川や海でカヌーをしている人がいるが、波があったり流れが早かったりするので、安全第一に考えて支笏湖でしか乗らないそうだ。

でもたまに天候によっては支笏湖でも波がある。

そういう日は、見知らぬ者同士が、今日はやめておいた方がいいねとなって、みんな乗らずに帰るのだという。

「ところがみんなが帰ろうと言っているのに、一人だけカヌーに乗って沖に出て行った人がいたんです。そうしたら、今度は誰一人帰ろうとしないんですよ。一人で出て行った人に、もしものことがあったら救助に向おうとして、みんな待機しているんです。いやーすごいなあと思いましたよ。こういうことも含めてカヌーが好きなんですよ」とおっしゃった。

色々なお話を聞きながら、きっとこういう人は非常事態には強いだろうなあと思う。

寝る場所さえあれば、生き延びて行くのではないだろうか。

「今度、孫と一緒にカヌーに乗ろうと思って、二人乗りのカヌー買ったんですよ」

そうおっしゃた美容師さんの顔が、ロックンローラーから優しいおじいちゃんの顔に変わっていた。

支笏湖でカヌーに乗る人。気持ちが良さそう、、、(美容師さんではありません)

 

 

 


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丸暗記とは

2022-10-20 09:55:49 | 日記

毎朝、神棚に手を合わせ生かされていることに感謝している。

この時に大祓祝詞をあげることが多いのだが、かれこれ四年以上続けているので、今では暗誦できるようになった。

大祓祝詞は長いので、最初の頃は紙を読みながらだった。

そのうち紙を見なくても読めるようになったが、たまにわからなくなって、途中で紙を見る為に中断することも度々あった。

最近では大祓祝詞をすっかり覚えて暗誦できるようになったと思っていたが、今でもたまに「次の言葉、何だっけ?」と突然わからなくなることがある。

こういう時は、必ず何か別のことを考えた時。

何も考えずに口から勝手に言葉が出てくる状態の時は、まったく間違わないのに、何か考え始めると途端に間違ったりわからなくなると言うのは面白いものだと思う。

ところで作家で僧侶の玄侑宗久さんが「お経をあげると、それは自動的に出てくる水のように思考を一切交えずにでてくる。むしろ思考すると間違える」と書かれていたのを読んだ。

玄侑宗久さんのような方と同じと言うにはあまりにもおこがましいが、もう数え切れないくらいお経をおあげになっているお坊さんでもそうなのかと驚きだった。

またこのようにも書かれていた。

丸暗記というのは「わたし」を差し込む余地がないんですね。

ところが部分的な暗記とか通常の記憶と呼ばれるものは、これは「わたし」の都合です。

極論すればそれは「わたし」の気に入ったところだけ覚えているんです。場合によっては知らず知らず、「わたし」の気に入るように記憶を変質させてもいます。

別の言い方をすれば丸暗記とは、「わたし」の理性とか知性ではない、もう一つの「智慧」の在り方なんです。

ちょっと難しくて何度も読み返したのだけど、昔インドでは、バラモン教のヴェーダを初め、日本に伝わるお経もそうだが、それらの伝授は常に口伝えされてきたそうだ。

教えは師から弟子へ告げた言葉を、弟子はその響きのままに暗記したのだとか。

つまり彼らは、文字は持ちながらも、あえて宗教的な場面では意志的に「口承」というスタイルを守り、それによって「わたし」がいなくなることも、充分に承知していたのではないかという。

戦後に入ってきたアメリカの価値観は、いかに「わたし」をアピールするかが重要で、自己アピールが下手な日本人は苦労したが、宗教的には「わたし」を無くすことが、一つの智慧だったとは目からウロコだった。

これからは「わたし」を無くすべく、余計なことは考えないように祝詞をあげさせて頂こうと思う。

でも考え事をしていないのに、次の言葉が出てこなくなった時は、別の理由なのかもしれないなんて、、、

最近、よく物忘れするのが怖いです。

 


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バッタ

2022-10-17 14:55:47 | 日記

紅葉もそろそろ終盤。

朝夕には暖房を入れるほど寒くなってきた。

玄関前の落ち葉を掃除していたら一匹のバッタがいた。

「寒くなってもまだ頑張って生きていたんだ」と思ったら、このバッタが愛おしくて仕方がない。

元気が無いようだし、あと何日生きられるのだろう。

せめて草のある場所に移動させてあげようと思った。

バッタがいたのはアスファルトの路上だったので、庭へ移そうと思って手を出したら、ピョーンと大きくジャンプしたのでびっくりした。

まだ元気あるじゃーん。

思えば秋が深まってきた今の時期、こうしてブログにバッタの記事を載せるのは何度目だろう。

覚えているだけで過去二回、バッタの写真を載せている。(まだあるかも?)

そんなにバッタが好きかと言われるとまったくそんなことはなくて、むしろこの様に大きなバッタは、子どもの頃にかじられた記憶があるので苦手。

ではなぜ毎年のようにバッタを見ると、気になって写真を撮るのかと言えば、寒さの中でも生きている生命力と、あとわずかしか生きられない命の儚さみたいなものを感じるから。

特に命の儚さは、秋が深まり周囲の木々が葉を落としていく寂しさと相まって、余計にそう思うのかもしれない。

でもバッタ本人には、当然そのような気持ちはないのだろうなあ。

バッタとして生まれ、草を食べ、歌い、子孫を残して死んで行く。もうそれだけで十分にバッタとして生きた価値がある。

では人間はどうなのか。

人間には向上心があるから、良い学校に入りたいとか、お金をたくさん稼ぎたいとか偉くなりたいとか、素敵な伴侶がほしいとか、いろんな望みがある。

それは当然のことだけど、そのような望みをすべて叶えられた人ってどれくらいいるのだろう。

もしも叶えられたとして、それで満足している人はどれくらいいるのか。

それらはすべて自分の外にあることだから、果たしてそれらが叶ったとして心から満足できるのだろうか。

多分、自分なら満足できないのでは無いかと思う。(上のようなことは叶っていないけど)

そのような外にある事よりも内にあるものを大事にしたいと、最近よく思う。

家族や親しい人たちにかける愛情、更にそれが見ず知らずの人に対してもできたら上出来。

今はできなくても構わない。いつかできるようになるといいなあ。

他人と比べず、生きていることに感謝したい。地球上のすべてに感謝の気持ちを持つことができたらいいなあ。

それらができた時、心が満たされて穏やかに生きられるのではないかと思う。

なんてことを一匹のバッタから考えていた午後でした。

 


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放流体験

2022-10-14 16:30:45 | 日記

千歳市にある「さけます情報館」へ行ってきた。

ここは国立研究開発法人水産研究・教育機構の広報展示施設で、実際にさけやますが展示されており、さけの孵化の様子や稚魚たちを観察できる。

小さな施設なのでさほど期待せずに行ったら、これがけっこう面白かった。

情報館へ入ってまず目に飛び込んできたのが、たくさんの魚が泳ぐ大きな水槽。

銀色の魚たちが紅鮭の稚魚で、稚魚に隠れて分かりにくいが体が紅色に染まった親の鮭もいる。親鮭は長旅を終えて海から戻ってきた個体で、この秋に道内の川で捕獲されたそうだ。

「魚たちが餌を期待してますよ」

水槽の中で元気に泳ぐ紅鮭たちを見ていたら、後ろから声をかけられた。

振り向いたら、この施設の職員さんで優しい目をしたおじさんが立っていた。

「えっ期待されてるんですか?」と言うと「そうです。さかなたちの目がすごく期待した目になっています」

(すごいなー。毎日世話をしていると、魚の気持ちがわかるんだ)と思ったら、おじさんが奥からワゴンに載せた餌を運んできた。

プリンの容器みたいなものに餌が少しずつ入っている。

「一つ取って、お食べーと言いながら水槽の上から餌を撒いてください」

言われた通りに「お食べー」と言いながら餌を撒くと、水槽から飛び出しそうになりながら魚が群がってくる。

よほどお腹が空いていたのか、餌への期待が大きかったのか、、、期待に応えてたくさんあげたかったが、残念ながら一人一つと決まっているそうだ。

他にもこんな水槽があった。

鮭とサクラマスの稚魚が飼育されている飼育池。

説明書には「浮上(泳ぎ出すこと)してから、放流するまで給餌する池です。サケで30〜60日過ごします。サクラマスで8カ月過ごします」と書かれていた。

「ご存じの通り、近年鮭の不漁が続いていて、漁師さんたちの生活が大変になんです。日本海側はまだいいのですが、太平洋側は本当に獲れなくて廃業する人もいます」と職員のおじさんが教えてくれた。

そういえば今年は鮭の卵、生すじこの値段がすごく高い。昨年の二倍近くするので、毎年作っているいくらの醤油漬けをまだ作っていない。

でもこんな小さな赤ちゃん鮭が、一粒のいくらから産まれてくるのかと思ったら、むやみにいくら丼をガバガバと食べられなくなりそうだ。

一体、何匹の赤ちゃんを食べてしまうのか、、、

さて出口まで行ったら、いつの間に移動していたのか、おじさんが大きめのプラスチックのコップを持って待っていた。

「外に稚魚がいますので、網で二匹すくってコップに入れて、水が流れているパイプに放流してください。パイプは千歳川に繋がっています。放流した稚魚が海に出て、そのうちの何匹かが川に戻って来てくれるといいですね」

一つずつコップを渡しながら説明してくれた。

すくった稚魚を放流するパイプ。

稚魚たちは、この千歳川を泳いで来年の桜が咲く頃(4月下旬)に海へ下るそうだ。

そして再来年の10月頃に、今度は親になって産卵のために千歳川に戻ってくる。

元気に戻っておいでーー

 


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新たな挑戦

2022-10-11 18:25:46 | 日記

「動画の編集やらない?」と長男に言われた。

「できるわけないでしょ。パソコンは、まったくわからないと言っても過言じゃないんだから」

そう、自分でパソコンを使ってできることといえば検索することと、こうしてブログを書くこと、それから動画を観るくらいのものだ。

動画の編集なんてできるわけがない。

そう言ったら「一度覚えたら簡単だよ。大丈夫、教えるから。お小遣い程度だけど報酬が入るし」と長男。

「でも、今更この歳で始めるの無理だよ。パソコン使った仕事でしょう?それは無理だわ。ほか当たってー」

そう言って断ったが、長男はなかなか引き下がらず、自分が編集した動画を見せてくれた。

動画の編集とは、撮った動画を視聴者が見やすいように余計な間合いなどをカットしたり、画面の下に字幕を入れたりするのだとか。

長男が見せてくれた動画は、映っている男性の言葉に合わせて字幕が流れ、特に強調したい箇所が派手な色と文字の柄に変えている。

なるほど。。。こうして字幕の文字を変化させると、言いたいことがより分かりやすく視聴者に伝わるんだ。

いつも何気なく観ていたけど知らなんだ。勉強になる。

とはいえ、仕事として動画編集をやりたいと思うほどの情熱は湧いてこない。

そう言って断ると、「いくつになっても新しいことに挑戦することは大切だよ」と言われた。

この言葉は、かなり響いた。

確かに最近は、新しいことに挑戦しようという気持ちになれなかった。

50代くらいまでは、資格を取って新しい仕事を探したり、社会人向けの大学の講座に出たりと、自分で言うのもなんだけど、わりと新しいことに挑戦していたように思う。

でもコロナで家に居るようになったら、急激に新しいことをしようという意識が薄れた。

家事をして、好きな読書ができることで満足だったが、長男の「いくつになっても新しいことに挑戦するのは大切だよ」という言葉が効いたのは、自分でもそろそろ何か新しいことに挑戦したいなあと思い始めているからなのかもしれない。

ちなみに長男が動画編集を勧めてくるのには理由があった。

長男の副業で動画編集をやってくれる人が必要になったらしく、手っ取り早く母にやらせようと思ったようだ。

かわいい息子のため、ここは無理をしてもやってあげよう、、、と言いたいところだけど、そうはいかない。

仕事ならば尚更いい加減なことはできないので、気安く引き受けることはできない(根が真面目なもんで、、、)

それに新しく挑戦するなら、自分がやりたいと思うことをやりたい。

今はまだそれが無いので、とりあえず現状維持かな。

でもアンテナだけは張っておこうと思えるようになったのは、少し心境の変化かもしれない。

 


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娘たちのよそおい

2022-10-07 17:56:21 | 日記

次女が友人の結婚式に招待されたと言って、当日に着る衣装を悩んでいる。

披露宴は、今ではめずらしくなった100名を超す出席者で、大きなホテルで執り行われるそうだ。

そんな大きな披露宴に出るのは、次女は初めてのこと。

「髪の毛はやっぱりアップの方がいいかな?髪につける飾りはあった方がいいと思う?バックは?靴はどんなのがいい?あー緊張してきた」という次女に「花嫁じゃないんだから。注目されるのは花嫁で、参列者の衣装なんて誰も気にしないって」

なーんてことを言ったら、次女は目を三角にして怒った。

そして「お母さんはたくさん披露宴に行ってるから、どんな格好で行けばいいのかわかるでしょ」と言われたが、披露宴に呼ばれたのは遥か昔のことなので、今どきの若い子のファッションはわからない。

とりあえず私が持っていたパーティ用のバックとアクセサリーを出してみた。

ところが、長らく出していなかったバックがなんとカビ臭い。

表面はきれいだが、中に白カビが点々と発生していた。(やっぱりたまに風に当てないとダメかも)

そこでカビをゴシゴシと拭き取ってアルコールで拭いたら、微かにカビ臭はするもののなんとかわからなくなった。

蓋を開けるとカビ臭いが、デザインは今見ても古臭くない。

次女に見せたら「かわいいー」と気に入ってくれた。(一応カビのことは次女にサラッと伝えた。次女は話をあまり聞いていなかったみたいだけど)

ところでアクセサリーを出した時に、若い頃にしていた指輪が目に入った。

小さなルビーがついた指輪は、唯一母が買ってくれたもの。

懐かしくて久しぶりに指に嵌めてみたら、指がすっかり成長していて、きつくて入らなかった(涙)

これはお嫁さんでも二人の娘のどちらかでも、もらってくれる娘にあげようと思う。

誰かが、また使ってくれたらこんなに嬉しいことはない。

ところで大好きな茨木のり子さんの詩集に女のよそおいを詠んだ詩がある。

娘たち

イヤリングを見るたびに おもいます

縄文時代の女たちと同じね

ネックレスをつらねるたびに おもいます

卑弥呼(ひみこ)のころと変わりはしない

指輪はおろか腕輪も足輪もありました

今はブレスレット アンクレットなんて気取っているけれど

頬紅を刷く(はく)たびに おもいます

埴輪の女も丹(に)を塗りたくったわ

ミニを見るたびに おもいます

早乙女(さおとめ)のすこやかな野良着スタイル

ロングひるがえるたびに おもいます

青丹(あおに)よし奈良のみやこのファッションを

くりかえしくりかえす よそおい

波のように行ったり 来たりして

波が貝殻を残してゆくように

女たちはかたみを残し 生きたしるしを置いてゆく

勾玉や真珠 櫛やかんざし 半襟や刺し子

家々の箪笥の奥に 博物館のかたすみにひっそり息づいて

そしてまた あらたな旅だち

遠いいのちをひきついで さらに華やぐ娘たち

母や祖母の名残の品を

身のどこかに ひとつだけ飾ったりして

(女のことばより)

博物館で復元された縄文時代のネックレスを見たことがあるが、今付けてもおかしくないほど美しいデザインだった。

時代は変わっても、娘の美しく装いたいという想いは変わらないのだなあ。

だから次女も気の済むまで悩んで、オシャレをしてほしいと母は思う。

 


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知人の話

2022-10-04 11:41:22 | 日記

昨日、知人から聞いた話。

知人が仕事関係の人と会って雑談をしたそうだ。

仕事関係の方はお二人で、二人とも50代後半の男性だが、その二人が口を揃えて「最近、体調が悪い」と言ったそうだ。

「よく考えてみれば二回目の注射をした後から身体が重いんですよ。そして今まで経験したことのないような身体に張り付く嫌な汗をかくんです」

そうおっしゃる二人は、三回目も受けたそうだ。

そしてそのうちのおひとりの方は、あまりに体調が悪いので何軒か病院へ行ったが、どこの病院でも悪い所はありませんと言われたそうだ。

そこであきらめきれずに大学病院で調べてもらったところ、なんと血液中に毒素があると言われたのだとか。

毒素とは何かということまでおっしゃっていなかったが、その話を聞いた知人は四回目は受けない方がいいと言うことと、(原因が注射だと仮定して)解毒法を伝えたそうだ。

体調の悪い二人の男性は、四回目も受けるつもりでいたが、不調の原因が注射かもしれないと知ってとても驚いていたそうだ。

そして「もううたないと言っていた」と、知人は教えてくれた。

このように口コミで、受けない方がいいということが少しずつ広まっているのかもしれないが、テレビの情報しか見ていない人は、まだ受けた方がいいと思っている。

夫の姉たちも同じで、二人ともすでに三回目を受けているが、一人の姉は体調にまったく異常なしで、もう一人は体調不良に悩んでいる。

夫に「三回目はうたないようにお姉さん達に話してみたら」と言ったのだが、その時の夫はためらっていた。

理由は「話したところでうつ人はうつ」のと「それによって姉弟関係に溝ができるかもしれないのが嫌だ」ということだった。

しかし四回目ともなると、もうそんなことは言っていられない。

夫は「最終的な判断は自分でしてほしい」と言葉を添えて、姉たちに自分が知っていることを伝えて、うつべきではないと話したそうだ。

元気な姉はまだ半信半疑だったが、体調不良の姉は「うたない」と言ってくれたと言っていた。

すでに体調不良のある姉が心配だが、もうこれ以上は少しでも疑惑があるものは身体に入れるべきではないと思う。

とはいえ、生きとし生けるものは生まれた時からすべて死に向かっている。

いくら疑惑のあるものは身体に入れず、健康に気をつけていても事故や災害などに遭えば死ぬ時は死ぬのだろう。

でも長く体調不良が続くのは肉体的に辛いので、できることなら死ぬまで元気でいたいと思う。

そして、今朝のようなけたたましいJアラートに驚いたり、人騒がせなとムッとしたり、体調が悪い人を心配したり、美味しいものを食べて幸せと思ったりなどなど、この世でしか経験できない様々な感情を楽しみたいと思う。

 


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