ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

高齢者住宅に入るために

2013-06-28 13:45:00 | 介護
独り暮らしをしている父の家へ行ってきた。

その日は、秋に入る予定の高齢者住宅の本契約をする日だった。

ケアマネージャーさんをはじめ、高齢者住宅の方、入所後新しく行く予定のデイサービスの方、そしてやはり新しく変わることなるヘルパーステーションと、今までやっていただいていた旧ヘルパーステーションの方々などが一同にいらっしゃった。

家にいらっしゃる何日か前には、やはりそれぞれ関係する事業所の担当者が集まって会議を開いて、今後の父の介護計画を話し合って下さったそうだ。

それが仕事とはいえ、本当にありがたいと心から思う。

どうしたら父にとっても家族にとっても、よい介護方法になるのかを考えてくれる事が伝わってきた。

利益優先の福祉事業者も多いと聞くが、少なくても今回お話をした方々は、そのような感じはしなかった。

さて父と妹そして私の3人が、各担当者から説明を受けて、次々と契約書にサインをしていかなければいけない。

父は、予想通りまったく話を聞く気なし・・・

父曰く「昔はちゃんと理解できた話が、最近は聞いてもよく分からなくなってきて、話を聞くのも面倒になったから、よろしく頼む」とのことだった。

まぁ仕方がないか・・・

脳が萎縮してきているので、話を聞いてという方が無理なのかもしれない。

たまにトンチンカンな質問を入れてくる父に相槌を打ちながら、各担当者からの説明を受けたが、聞いていて難しかったのは、介護サービスが受けられる単位と自己負担額。

単位数というのは専門的なことなので、それは聞き流しておいたとして、こちらとしては一ヶ月にかかる代金の総額を知りたい。

それぞれ別の事業者なので、書類も別で金額も別々に出してきていたため、ケアマネージャーさんが急遽計算をしてくれた。

「これ以上は他にかかるものはないですね!ファイナルアンサー?」と聞くと「ファイナルアンサー」と答えが返ってきた。

出た金額は、大体父の年金でまかなえる額になったので、ひとまず安心する。

特別養護老人ホームなどは分からないが、サービス付き高齢者住宅の場合、サービスや建物の違い、また地方によっての違いもあるだろうが、大体月額12万円から20万円~くらいの中で暮らすことができるのではないだろうかと思う。

父の場合は中堅クラスの高齢者住宅なので、大体その金額の真ん中くらいだった。

しかし中には歯科医院あり、理容室あり、近くにある大きな病院から医師の往診がある。

そして、食事に関しては持病によって減塩食やきざみ食などが配慮されている。

また近所の散歩にも職員が見守りで同行など、24時間対応できるようになっているそうだ。

これは父が住む予定の高齢者住宅の場合だが、それぞれの住宅によって仕組みが違うので、よくよく話を聞いたほうがよいと思う。

また、その住宅内でヘルパーさんにどのようなことをお願いするのかなど、父と関ってくださる関係部署とも細かい部分まで話をつめておかなければいけない。

実は期間は短かったが、以前やって頂いたヘルパーさんは、こちらがやってほしいといったことをほとんどやってくれず、上司に直接お願いしてみたものの改善がなかったという苦い思い出がある。

私も同じヘルパーとして仕事をしているが、なぜここまで言っても改善しないのだろうかと、ヘルパーさん個人に対してよりも、その事業所に不信感を持った。

そんなわけで、話し合いは4時間にも及んだ。

きっと父も疲れたと思う。

でもそんなそぶりはみせず、打ち合わせに忙しくしている娘達に話しかけても無駄だと思ったのか、話好きな父は空いている担当者の方を掴まえては、上機嫌で話しまくっていた。

やっと契約をすべて済ませ、担当者の方々がお帰りになって、ホッと一息ついていると、父が「やっぱり高齢者住宅へ行くのは、まだまだ先でいい」と言いだした。

じぇ、じぇ、じぇ!(←毎朝みているドラマのせりふ。驚いたときに使う岩手の方言)

私と妹でおもわず顔を見合わせる。

契約を交わしたばかりなのに、この場に及んで行きたくないとは・・・・

お父さん、もう一人暮らしは無理なんですよ。

・・・と言いたいのをがまんして「そうだ!部屋の中を、おとうさんがびっくりするくらい素敵にしてあげる!きっと快適に過ごせるからね」と言い、「そう、そう!」と妹も同意する。

長年暮らした住み慣れた家を離れなければならない父の気持ちは、痛いほどよく分かる。

ゴメンね、でも仕方がないんだよ。

「家はそのままにしておくから、時々帰ってきてもいいんだからね」

そういうと、「そうだな・・・」と父がうなづいた。

さて、しばらく父のことで忙しかったが、今日はひさしぶりにゆっくり過ごすことができた。

毎日作る3人分のお弁当も、ここしばらくは冷凍食品に頼って手抜きだったが、今朝はちゃんと作ることができた。



エビチリ・大根とさつま揚げのきんぴら・ブロッコリーとコーンのサラダ・梅肉とシソを挟んだかまぼこ

エビチリ用の海老は前夜にかるく味をつけて焼いておき、朝、混ぜておいた調味料をからめるだけ。

前日の準備があると気がラク~~





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心も軽く

2013-06-20 16:54:03 | 日記
ほとんど毎日続けている「スロージョギング」

苦しくなく走れるので、こうして毎日続けられるのだろうと思う。

そして、なにより走ることが楽しいからだと思う。

以前は周囲の景色を楽しみながら走っていたのだが、最近はほとんど何も考えずに走っている。

ただ、心の中で感謝の言葉だけを繰り返しつぶやいている。

自分の好きな時間に走ることができる環境にいられること、ジョギングができる健康な身体があることに感謝する。

そして、こうして走らせて頂いている大地にも感謝をする。

すこし前は、急に避けられるようになった知り合いの女性にも感謝して走っていた。

何か誤解を生んでしまったのか?など、ふとした時に彼女のことを思い出して、ちょっと暗い気持ちになってしまったから・・・

でも、そのように暗い気持ちになることも次第に無くなり、最近は彼女の事はほとんど気にならなくなっていた。

たまに偶然出会ったりするのだけど、相手の反応に一喜一憂することなく淡々と普通に挨拶をしていた。

女性が女性に対して使う言葉としては、適切ではないかもしれないが、多分「執着」が無くなったのだと思う。

なんとなく嫌だと思っている人がいたとして、よく顔を合わせなければいけない環境だとしたら、他の人以上にその人を気にしてしまうということがある。

その結果、相手のなんでもない仕草や言葉に敏感に反応して、自分の思い込みもあって悪いほうへ考えを巡らし、ますます相手が嫌いになっていくという悪循環が始まる。

思えば、私達はいろいろなことに執着をして生きているのだなと思う。

人やお金や物・・・人によっては地位や名誉といったものもあるのだろう。

でも、もしもその執着を一つずつ切り離していくことができたら、きっと心がとても軽くなり、もっともっと生きやすくなるだろうと思う。

状況は何も変わっていなくても、執着が消えた途端、あっという間に自分自身が明るく変わる。

さて先日のこと。

ジョギングをしている途中で、ばったり彼女に出会った。

久しぶりに会った彼女はとても痩せていた。

「走ってるの?」と驚いた顔で聞かれたので、最近スロージョギングにハマっている事など話した。

すると彼女の顔から固さが消えて、昔のような穏やかな顔になり、自分も走ろうかなと言いはじめた。

思わず「一緒に走ろう」と言いかけたが、その言葉は飲み込んだ。

彼女にプレッシャーをかけるようなことを言ってはいけない。

「うん、気持ちがいいから走ってみたら!」とだけ言って別れた。

なんだか、とても嬉しかった。

ところで最近、スロージョギングに連れができた。

それは夫。

あんまり私が楽しそうに?走りに行くものだから、「そんなにいいものなら一緒に行くかな」と言って、一緒に走るようになった。

夫が一緒に走ってくれるので、夜道でも走れるようになったのはいいが、二人のペースが合わないのが難点・・・

夫はペースが速いのだ。

夫に合わせると息が上がってくるし、私に合わせてもらうと夫には遅すぎるらしい。

そんなわけで、道中「遅い」だの「速い」だの言い合いながら走っている為、一人の時のように感謝想起しながら走れなくなってしまった。

しかしまぁ、それもまた楽し。。。











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ワクチンに思うこと

2013-06-18 15:12:12 | 日記
子宮頸がんワクチンの接種後に重い副作用を訴える人が多く出たとのことで、厚生労働省が一時的に接種の推奨を控える方針にしたそうだ。

こんなことになる前に、なぜもっとワクチンの安全性を調べなかったのかと腹立たしく思う。

ところで2年ほど前に、我が家の2人の娘にも、市から子宮頸がんワクチンの無料接種の知らせが届いた。

そのお知らせには無料で受けられる期間が過ぎると、自費で接種しなければなりませんと書いてあった。

自費で受ける場合の金額は、かなり高額だったような気がする。(たしか、3回で5万円近く?)

当時、子宮頸がんワクチンを勧める広告を数多く目にしていたし、もしもワクチンを打つことで子宮頸がんのリスクを減らせるならば、やはりいま接種したほうがよいのではないだろうかと考えた。

しかし一方では、もうすこし状況を見極めてからのほうがいいのかもしれない・・・という思いもあって、しばらく保留していた。

そのうち、娘達からは「今日は●●ちゃんが子宮がんのワクチン受けてくるんだって」という話を何回も聞かされるようになり、周囲では徐々に受けているのだなと思っていた。

保留していたところ、また市から子宮頸がんワクチンを接種してくださいというお知らせが来て、そのあたりですこし焦ってきた。

あまり気が進まないけれど、やっぱり受けたほうがいいかなぁと気持ちが揺れていた。

そこで、いつもお世話になっていた小児科へ申し込みの電話をした。

すると、予約がたくさん入っているため順番待ちだということだった。

とりあえず2人分の申し込みをしておいたが、子宮頸がんワクチンを受ける人がかなり多いので、いつになるか分かりませんと言われ、そんなに受けたい人がいたのかと驚いた。

さて、申し込んでいたことを忘れかけていたある日、やっと病院から順番がまわって来たと連絡が入った。

受付で子宮頸がんのワクチンに関する文書を手渡され、読み終えたら同意のサインを書いて下さいと言われた。

2年も前のことなので、はっきりと覚えてはいないが、副作用があるかもしれないことなどが書いてあったと思う。

なんとなく不安だったので、まず先生にお話を聞いてからと思い、サインはせずに診察室へ入った。

聞きたかったことは、「このワクチンを接種した場合、どれくらいの確率で子宮頸がんにはならないで済むのか?また、打ってからの有効期間はどれくらいなのか?」ということだった。

すると、先生はこのように教えてくれた。

「子宮頸がんワクチンが導入されてから、まだ時間が経っていないので、果たしてこれを打つことによって、どれくらい子宮頸がんを抑えることができるのかデーターがないのです。有効期間については、だいたい5年くらいと言われています」

データーがない!?

しかも、これが効くワクチンだったとしても、5年くらいしかもたない!

ってことは、20歳前にまた打たなければならないじゃないの。

頭の中に浮かぶ疑問を、そのまま先生に伝えると「そうですね。ただ、子宮頸がんは性交渉によって発症することが多いのです。だから10代でも心配だということじゃなければ、20歳過ぎてから打っても十分だと思いますよ」という事だった。

先生のお話を聞いて、その時、きっぱりと気持ちが決まった。

やっぱり子宮頸がんワクチンは受けさせない。

結局、診察室まで入って何もせずに帰ってきたが、今思うとあれでよかったのだと思う。

後日、同じ病院から「本当に受けなくていいんですか?もし受けないのであれば、次の方にワクチンをまわしますが・・・」と電話があったが、気持ちは変わらず「受けません」と答えた。

子宮頸がんに限らず、将来、子供が癌に罹るリスクをすこしでも減らせるのならば、ワクチンでも何でも受けさせたいと思うのは親心だ。

ただ、人や子供はモルモットではない。

人生を左右するかもしれないワクチンの副作用。

もっともっと慎重に、そして調べつくしてから世に出してほしいと思う。









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カラスの恩返し?

2013-06-17 18:21:41 | 日記
朝、ゴミ出しに行ったら、ご近所に住んでいる顔見知りの男性に会った。

その方もまたゴミを出しに来られたようだった。

挨拶を交わしてゴミを出しながら「今日は、プラスチックゴミの日ですから、カラスが来ていないですね~。食べられるゴミの日か、そうじゃない日か、カラスはちゃんと分かってるんですね。カラスって頭いいですね」

そう話しかけると、その方が「いや、ホントにカラスって頭がいいですよ」とおっしゃって、こんな話をしてくれた。

その男性は定年退職した為、いつも森の中を散歩しているそうだ。

そして、いつからか時々カラスに餌をあげるようになったとか・・・

もちろん住宅地でカラスに餌をあげるのは良くないことだと分かっているので、山の中に餌を持って入るそうだ。

カラスに餌をあげることがいいのか、悪いのかはさておいても、鳥好きの私にはとても興味のある話だった。

私も実は餌が無くなる冬に、ゴミステーションを荒らすカラスを見て、「あぁ、カラスも生きるのに必死なのだなぁ」と目頭が熱く・・・はならないまでも、若干むねが痛んでいた。

できることなら、このゴミ袋に入っている魚の頭をあげたいなどと思ったりしていた。

しかし庭に小鳥用の餌台は置いているが、カラスとなるとチョット考えてしまう。

庭でカラスに餌をやって、家の周りにカラスが集まればご近所迷惑になってしまうだろう。

でも、山の中で餌をやるのはいい考えかも!

いや、それでカラスが増えすぎても困るしなぁ・・・

難しい問題だわ・・・

とかなんとか色々な思いが頭の中を駆け巡る。

あれ、なんの話だっけ?

そうそう、山の中でカラスに餌をあげる男性の話だった。

さて、山の中でカラスに餌をあげている男性のお話の続き。

その男性の話によると、カラスにはきちんと縄張りがあるそうだ。

ある場所で餌をあげた後、少し移動して別のカラスの縄張りに入ると、先ほどまで来ていたカラスは食べに来なくなって、今度は、その縄張りのカラスが食べに来るのだそうだ。

カラスは、けっして他のカラスの縄張りに入って餌を食べるという事をしないとか。

ところが、そんな縄張り意識の強いカラスにも例外があったそうだ。

それは、その男性が別のカラスたちの縄張りの中で、子育て中のカラスに襲われた時のこと。

子育ての季節、カラスは巣の近くを通る人間を攻撃することがある。

男性が知らずに巣の近くに行ってしまい、子育て中のカラスに襲われていた時、どこからともなく一羽のカラスが飛んできて、襲っているカラスに体当たりをして、その男性を守ってくれたそうだ。

その男性がおっしゃるには、守ってくれたカラスは、いつも餌をあげているカラスだったそうだ。

どこかから彼が襲われるのを見ていて「これは大変」と、他のカラスの縄張りに入ってまで守ってくれたということだった。

「かわいいもんです」と嬉しそうに話す男性のお話を聞いて、本当にそうだろうな~と思っていた。

まるでカラスの恩返しみたいなお話だわ。

カラスは頭が良いので慣れると、とっても可愛いのだと亡き母が言っていた。

ちなみに母は、子供の頃、巣から落ちて飛べなくなった子カラスを育てて飼っていた事があったそうだが、人間の言うことをある程度理解できているようだったとか。

あぁ、カラスの話を書いていたら、急にうちのペットP太郎のことも書きたくなってきた。

ということで、最近のP太郎



頭かくして尻隠さず。

何をしているのかと言うと、ダンボールで作った「お家」に入って遊んでいるところ。

「お~い!ぴ~」

そう呼びかけると・・・



振り返ってくれました。

心なしか笑顔です。←飼い主にしか分からないでしょうが。

「食べるものには不自由しないけど、自由がないのよね。たまにはダンボールに入らないとやってられないよ」とでも思ってるのかな?




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たのしみは・・・

2013-06-14 16:10:00 | 日記
江戸時代末期、越前国(現在の福井県)に生きた歌人、橘曙覧(たちばなあけみ)は、千二百首あまりの和歌を残したそうですが、中でも五十二首の和歌からなる「独楽吟」(どくらくぎん)は、どれも読みやすく、ふふっと笑ってしまうような歌もあったりして、和歌のことがよく分からなかった私でも夢中で一気に読んでしまいました。

独楽吟に納められた和歌は、どれも「たのしみは~」で始まって「~する時」で終わるという特徴があります。

さて橘曙覧ですが、幼い時に父母を亡くし、けっして恵まれない生い立ちの中で紙商の家業を継ぎました。

21歳で妻をめとりますが、学問や和歌への想いが大きく、結局は家業を異母兄弟に譲って家を出ます。

その後、極貧生活の中で本居宣長派の国学を学び、伝統にとらわれない和歌にいそしんで、徐々にその名が知れ渡るようになります。

しかし富や権力は一切求めず、ひたすら生涯にわたり清貧に甘んじて、風雅の道に喜びを求める生き方を貫き通したそうです。

独楽吟に納められている和歌は、お金は無くても幸せに生きられる、日々の暮らしの中にたくさんの幸せや喜びがあることを歌っていて、どれも多くの現代人が忘れてしまっている大切なことを教えてくれるような歌ばかりです。

独り静かに居ることを楽しみ、家族団らんを楽しみ、ささやかな食を楽しみ、貧乏を楽しむ。

読書や歌を楽しみ、買い物を楽しみ、野山を歩くことを楽しみ、友達との交流を楽しむ。

それから、日本に生まれたことを楽しむ。

独楽吟の和歌に歌われているのは、特別なことではなく、誰でも気づきさえすれば、すぐにでも幸せな気持ちになれることばかりです。


たのしみは すびつのもとに うち倒れ ゆすり起すも 知らで寝し時

冬の昼下がりに火鉢のそばに居たら温かくて、いい気持ちになって眠気が襲ってきたのだろうな。

奥さんにゆすられても、深く寝入った身にはそれも気づかぬほど、いい気持ちで眠ってしまったなんて。

うんうん、分かるなぁ。気持ちいいんだよね。冬の午後の昼寝って最高!


たのしみは 空暖かに うち晴れし 春秋の日に 出でありく時

雲ひとつない晴れ渡った暖かい春や秋の日、あちらこちら歩き回る楽しみ。

私もスロージョギングしながら、道端の草花や自然の景色を眺めるのが好き。

心がうきうきしてくる!


たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき

これには笑ってしまう。

日ごろから嫌だと思っている人が、長居をしないで帰ってくれたことにホッとして、思わず歌にしてしまったのだろうか。

しかし、気持ちは分かる!(笑)


たのしみは 神の御国の民として 神の教えを ふかくおもふとき

神の御国の民として・・・というのは神国日本の国民としてという意味。

神々の教えを受けて、その尊さに深く思いをいたすとき、この国に生まれたことを心から感謝したいと思う。

数えるほどしか外国へは行ったことはないけど、ぜったいに、間違いなく日本はいい国だと思う。











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花咲く頃に

2013-06-11 14:52:10 | 日記
今年は春が短く、なかなか暖かくならなかったが、ここへ来てぐんぐん気温が上がっている。

うちの裏の森もこんな感じで緑が濃くなってきた。

心なしか酸素も濃くなったような気がして、思わず深呼吸をする。



庭の草花も次々と花が咲きだし、毎日 庭の花を眺めるのが楽しい。



ところで、こうして夏らしくなってくると、私はにわかに忙しくなる。

まず衣替えをしなければいけない。

冬物を仕舞うのだが、その前にクリーニングに出したり、自分で洗ったり、それから冬の間に使った毛布やタオルケット類も洗う。

お天気の良い日は、洗濯機がフル稼働だ。

そして、今日は部屋のカーペットやラグも替えようと思った。

冬用から夏用の涼しげなものに替える。



これは実家で使っていたもの。先日、実家へ帰った時にもらってきた。

母は季節ごとにラグやカーペット類、それから室内のインテリア小物まで替えていたが、母がいなくなり父が一人暮らしになると、そのようなこともしなくなり、この夏用ラグは何年もの間、納戸に仕舞われっぱなしになっていた。

ずいぶん古い物なので使えるだろうかと思ったが、意外と大丈夫だった。

ずっと前から、うちの玄関にあるかのように馴染んでくれた。

ところで先日、父と妹を車に乗せて、これから父が住む高齢者住宅を探しに行ってきた。

何軒か見学した中から、父が一番気に入って、私たちもここなら安心という施設に巡り会い、残りあと3部屋というので即効申し込みを済ませてきた。

いよいよ父が、長年暮らした実家から高齢者住宅へ移り住むことになった。

少しずつ実家の荷物の整理をしていかなければいけない。

施設に持っていけないものは妹や弟と分けたり、また処分したりすることになるだろう。

実家を離れて20数年経っていても、納戸から出てくる懐かしい品々を見ると一抹の寂しさを感じる。

多分、父の方がもっと寂しい気持ちかもしれないが・・・

誰もがこうして住む家だったり、家族だったり、そしていろんなことが変わっていくのだなぁ。

「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲き見るとき」

これは、私の好きな江戸時代の歌人橘曙覧(たちばなあけみ)の歌。

平成6年に天皇と皇后が訪米した際、クリントン大統領が、この歌を歓迎レセプションで引用した。

「日一日新たな日とともに確実に新しい花が咲き、物事が進歩し、日米両国民の間の友情をはぐくむ」とスピーチしたそうだ。

そうだね。新しい日とともに、また花が咲くんだね。

毎日庭に新しく花が咲くように、父もまた新しい環境で、今よりもっと快適で、楽しい生活ができるだろうと思う。




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念仏唱えて

2013-06-07 14:20:55 | 日記
今日は、月に一度、家に「お寺さん」がやってくる日だった。

お寺さんにお茶とお菓子を用意しておき、お経が終わった後に、義母と私とお寺さんでお茶を飲みながら世間話などをするのだが、軽度の認知症を患っている義母は、いつも同じ話を繰り返す。

子供の頃からお寺で育った話だ。

うちにやってくるお坊さんは複数名いるので、いつも同じ方ではないのだが、皆さん間違いなく義母の同じ話を何度も聞いていると思う。

そして、義母が必ず言うのは「お念仏を唱えるとお浄土に行けますね」ということ。

すると、お坊さんはにこやかにうなずきつつ「そうです。親鸞聖人はそのように教えています」とおっしゃってくれる。

義母は嬉しそうに「ありがたい、ありがたい・・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と手を合わせる。

私は「南無阿弥陀仏」だとかあるいは他の念仏でも、昔、恐怖の心霊体験をしているときに何度も唱えてみたものの、何の効き目もなかったことから全然信じていなかった。

だから、お念仏を唱えるだけで、お浄土に行けるなんてナンセンスだと思っていた。

ところが今日、お坊さんや義母とお話をしていた時、何かストンと腑に落ちたような気がした。

それはお坊さんが、こんなことをおっしゃったときだった。

「仏教を勉強すると多くの矛盾に突き当たるんです。

例えば、お釈迦様は「殺生はするな」と教えていますが、殺生をしなければ、私達は生きていくことができません。

動物、魚はもちろん植物にだって命はあるわけですから・・・

今は動物を飼育して、それを食用にしていますが、生産者の人たちは、消費者に美味しい肉を食べてもらいたいと思って、動物を育てていると思うのです。

だから、私達は生産者のその心をお肉と一緒に頂くのです。

もちろん、食用になるために死んだ動物達にも感謝しなければいけません。

多くの命を頂いて、私達は生かされているのです」

なぜ、このお話から「念仏を唱えるとお浄土に行ける」という話が腑に落ちたかと言うと、お念仏を唱える時の気持ちが大切だったことが分かったから・・・

困ったときの神頼みではないが、自分が恐怖のあまり助けて~と言葉づらだけで念仏を唱えても効き目がなかったのは当たり前だった。

義母のように「ありがたい、ありがたい」と何でも感謝できる心を持っていなかったから、自分が困った時だけ使う念仏に頼っても駄目だったのだ。

もっと言うなら、その時に感謝できる心があったなら、恐怖体験もしていなかったのだろうと思う。

義母は、何にでも「ありがたい、ありがたい、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言う。

この場合、「南無阿弥陀仏」に効力があるのではなく、何にでも感謝できるその心が大きな力を持つのだと思う。

「念仏を唱えて浄土へ行こう!」なんて旅行会社の広告じゃあるまいし・・・とハナから理解しようしていなかった私に傲慢さがあったかもしれない。

帰っていくお坊さんに「今日はよいお話を聞かせて頂きましてありがとうございました」と頭を下げながら、心はうきうきと弾んでいた。








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ゴキブリ・・・続報

2013-06-03 17:28:11 | 日記
先日の記事「進化するゴキブリ」に、青森に住む大学生の長男パインの部屋にゴキブリが出たという話を書いたが、どうやらそれはゴキブリではなかったらしい。

昨日、別の用事でパインから電話があり、話の最後にパインに聞きたくてうずうずしていたことを切り出した。

「ところでどう?出た?ゴキブリは?」

「いや、出てないよ」とパイン。

な~んだ、出てないの。(ちょっとがっかり)

写メを楽しみにしていたのだけど・・・(そんなことは絶対パインには言えないが)

「っていうか、あれ、ゴキブリじゃなかったわ」とパインが言う。

パインによると、そのあと友人のアパートで本物のゴキブリを見たのだそうだ。

暑かったので、部屋の窓を開けると、窓のレール部分に居たそうだ。

それは明らかに自分の部屋で見たものとは姿が違っていたとか。

その時、部屋にいたのはパインを含めて5人。(みんな男子学生)

そのうち、それまでゴキブリを見たことがなかった者が4名、見たことがあったのは、わずか1名だけだったとか。

ちなみに内訳は北海道出身者3名、青森出身者1名、そして関東出身者が1名だそうで、ゴキブリを見たことがあったのは関東出身の友人だったそうだ。

ゴキブリを初めて見た4名が、ひとかたまりになって部屋の隅に避難しているのを横目に、関東出身の友人が「蜘蛛に比べればゴキブリは、さほど怖くは無い」と言いながら、慣れた手つきで丸めた雑誌を持って一撃に仕留めたそうだ。

「ふ~ん、そうなの。じゃあ、パインが見た虫はなんだったんだろうね」と聞くと、「あれはコオロギだった」とパイン。

コオロギ!?

あぁ、カマドウマのことね。

青森にもゴキブリがいる・・・と知ったパインは、カマドウマがゴキブリに見えたほど、ゴキブリに対して大きな恐怖心を抱いていたということか。

とりあえずゴキブリ用の殺虫剤は、「お守り」として買ったそうだ。

パインとこんなやりとりをしていて思い出したことがあった。

それは、お姑さんとの会話だった。

うちは周囲が自然なので、部屋によく虫が現れる。

特に蜘蛛が多い。

私は、小さな蜘蛛ならティッシュで軽く包んで外へ逃がしてあげられるのだけど、大きいのになると無理。。。

ひえ~っとのけ反り、一家の主である夫に頼む。

夫は「なんだ、こんな蜘蛛も触れないのか」と大声で言いながら、蜘蛛を叩く。

そんなことをお姑さんに話したら、「へぇ、あの子(夫)が蜘蛛を取れるようになったのかい。昔は、蜘蛛を見ると怖がって逃げ回っていたのに。やっぱり父親になると違うもんだねぇ」としきりに感心していた。

それを聞いて、夫の「秘密」を知ったようで、なんだか可笑しかったのを覚えている。

パインもいつか父親になったら、家族の為に虫を取れるのだろうか・・・と思ったりして。

ところでゴキブリの話を書いておいて、食べ物の写真を載せるのはどうかと思ったが、青森で買ってきたお土産が美味しかったので、いつか記事に書きたいと思っていた。

なので、唐突ですが載せます。



これは黒にんにく。

道の駅などで、にんにくがたくさん売られていた。

もともと黒にんにくは三重県が発祥だそうだが、にんにくの生産地であった青森も黒にんにくを作り始めたそうだ。

黒にんにくとは普通のにんにくを熟成発酵したものだそうだが、皮をむいて、このまま食べることができる。

甘みがあって美味しい。にんにく独特の苦味はない。

地元の人によると「ドライフルーツのプルーン」のような味だそう。

プルーンほど甘さは無いとは思うが、食べやすくて美味しい。

なにより普通のにんにくと比べると栄養価に優れ、抗がん作用があることが分かっているとか。

毎日一粒ずつ食べていたが、なんとなく元気が出たような気になってくる(←健康オタクなので、こういう商品に目がない)

残念ながらもう食べて無くなってしまったので、また行った折には、ぜひ買って来ようと思っている。






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