新しいお札を頂くために二つの神社へ行ってきた。
まず、私の崇敬神社である「相馬神社」へ行った。
身体が前傾姿勢になって登るほど急こう配の参道を登って行くと、ご神木である大きなクリの木が見えてくる。
ご神木が見えて来ると「あぁ、やっとご挨拶に来ることができたなぁ」と嬉しい気持ちが湧き上がってきた。
今年になって、初めての参拝かもしれない。
昨年から今年の春まで入退院を繰り返していた父の見舞いに忙しく、その後ついに父は5月28日に亡くなってしまったのだが、父が亡くなって私の中にある悲しい気持ちが消えない間は、神社へ行くことは控えようと思っていた。
今年初めてになる参拝は特別に嬉しく、坂道の参道はなかなかのきつさだが、私の心は嬉しさでいっぱいだった。
「やっと逢える、やっと逢える」と心躍らせながら参拝させて頂いた。
手前がご神木のクリの木で、奥に見えるのが社殿になっている。ちなみに右側の建物は社務所。
小さな神社ではあるが、私にはとてもとても大きく見える。
私にとっては、この神社にいらっしゃる神様はあまりにも大きくて威厳のある父親のような存在に思えて仕方がない。
神様に性別や個性は無いのでしょうが、私にはなぜか男性に思えてしまう。
それも非常に厳しくて近寄りがたいのだが、実は優しさもある父といった存在に思える。
とはいえ、私の父と言うにはあまりにもおこがましすぎるが、肉体を授けてくれた父とは全く別の「父」であり、もっともっと大きな意味での父のような存在である。
さて、拝殿で手を合わせ感謝だけを捧げてから、新年の為に新しいお札を頂いた。
頂いたお札はしっかり胸に抱いて、また登ってきた参道を下って行く。
本当はまだここに居たいと言う気持ちはあったが、来年は何度も来ようと思いつつ神社をあとにした。
そして次に向かったのは、氏神様である神社。
こちらも社殿の規模は相馬神社と変わらない小さな神社なのだが、その雰囲気は相馬神社とがらりと違う。
一歩、鳥居をくぐると、柔らかくて暖かな雰囲気に包まれる。
氏神様なので写真を載せることができないのだが、その雰囲気から私は母を感じ、とても女性的なものを受ける。
相馬神社と同じで、母と言うのはもちろん私の実母のことではなく、大きな意味での母という存在の事で、氏神様は優しくてどこまでも大きな愛で包んでくれる・・・と私は思っている。
ちなみに氏神様の主祭神は「天照大神」であり、相馬神社の主祭神は「天之御中主大神」である。
こうして二つの神社へお参りに行き、私は今、お礼を何度言っても言い足りないほど、感謝の気持ちでいっぱいになっている。
今年も多くの人々のおかげで生きることができました。
またご先祖様にもたくさん助けて頂いて生きられます。
そして母である氏神様と父である崇敬する神様のおかげで生きることができています。
ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。
まず、私の崇敬神社である「相馬神社」へ行った。
身体が前傾姿勢になって登るほど急こう配の参道を登って行くと、ご神木である大きなクリの木が見えてくる。
ご神木が見えて来ると「あぁ、やっとご挨拶に来ることができたなぁ」と嬉しい気持ちが湧き上がってきた。
今年になって、初めての参拝かもしれない。
昨年から今年の春まで入退院を繰り返していた父の見舞いに忙しく、その後ついに父は5月28日に亡くなってしまったのだが、父が亡くなって私の中にある悲しい気持ちが消えない間は、神社へ行くことは控えようと思っていた。
今年初めてになる参拝は特別に嬉しく、坂道の参道はなかなかのきつさだが、私の心は嬉しさでいっぱいだった。
「やっと逢える、やっと逢える」と心躍らせながら参拝させて頂いた。
手前がご神木のクリの木で、奥に見えるのが社殿になっている。ちなみに右側の建物は社務所。
小さな神社ではあるが、私にはとてもとても大きく見える。
私にとっては、この神社にいらっしゃる神様はあまりにも大きくて威厳のある父親のような存在に思えて仕方がない。
神様に性別や個性は無いのでしょうが、私にはなぜか男性に思えてしまう。
それも非常に厳しくて近寄りがたいのだが、実は優しさもある父といった存在に思える。
とはいえ、私の父と言うにはあまりにもおこがましすぎるが、肉体を授けてくれた父とは全く別の「父」であり、もっともっと大きな意味での父のような存在である。
さて、拝殿で手を合わせ感謝だけを捧げてから、新年の為に新しいお札を頂いた。
頂いたお札はしっかり胸に抱いて、また登ってきた参道を下って行く。
本当はまだここに居たいと言う気持ちはあったが、来年は何度も来ようと思いつつ神社をあとにした。
そして次に向かったのは、氏神様である神社。
こちらも社殿の規模は相馬神社と変わらない小さな神社なのだが、その雰囲気は相馬神社とがらりと違う。
一歩、鳥居をくぐると、柔らかくて暖かな雰囲気に包まれる。
氏神様なので写真を載せることができないのだが、その雰囲気から私は母を感じ、とても女性的なものを受ける。
相馬神社と同じで、母と言うのはもちろん私の実母のことではなく、大きな意味での母という存在の事で、氏神様は優しくてどこまでも大きな愛で包んでくれる・・・と私は思っている。
ちなみに氏神様の主祭神は「天照大神」であり、相馬神社の主祭神は「天之御中主大神」である。
こうして二つの神社へお参りに行き、私は今、お礼を何度言っても言い足りないほど、感謝の気持ちでいっぱいになっている。
今年も多くの人々のおかげで生きることができました。
またご先祖様にもたくさん助けて頂いて生きられます。
そして母である氏神様と父である崇敬する神様のおかげで生きることができています。
ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。