ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

父の手

2015-02-27 16:10:29 | 介護
今日は高齢者住宅に住む父の所へ行って来た。

先週は妹が行ってくれたので、久しぶりの訪問だった。

父の部屋をのぞくと、父はまた布団の中にいたが「来たよ~」と声をかけると嬉しそうに「来たか、来たか」と言って笑顔を見せてくれた。(しかし起きない)

寝たままの父とおしゃべりしながら、持ってきた食べ物や飲み物を冷蔵庫の中に仕舞う。

それからテーブルに置いたままになっている古新聞やカラのペットボトルなどを片付ける。

おっと・・・洗っていない食器もあった。

それは部屋についている洗面台で洗う。

ついでに洗面台も磨いておこう。

排水口に髪の毛がつまっていて水が流れないので、髪の毛を取って洗う。

ふと父がいつも座っている革の椅子に目をやると、食べこぼしのしみがつき、ほこりが溜まっている。

黒い椅子だから、ほこりが目立つのよね~

掃除機を出してきて椅子のほこりを吸い取り、ついでに部屋の中も掃除機をかけた。

雑巾で椅子を拭き、ついでに部屋の中も拭き掃除をしたら、さっぱりと綺麗になった。

あら、これっていつもやってるお仕事じゃないの。

そうホームヘルパーで高齢者のお宅を綺麗にするお仕事・・・

前に妹と話していたら、妹が怒りながら言っていた。

「お父さんの部屋に来るヘルパーさんって、一体どこを掃除しているのかなぁ。
いつ行っても家具の上にはほこりが積もっているし、部屋のすみには前回行った時のゴミがそのまま落ちているから、きちんと掃除していないんじゃない?
まったく、もっとしっかり掃除してほしいわ」

「うん、そうだね」と相槌を打ちながら、私は妹のように怒ることができない。

というより、その顔も知らないヘルパーさんをついかばってしまう。

「でもね、一時間のサービスと言っても洗濯もあるでしょ?
洗濯機が終ったら、それを干さなければいけないし、前回の洗濯物が干したままになっていたら、まずそれをたたんで仕舞わないといけない。
あとはトイレ掃除もあるし、けっこう時間はギリギリだと思うよ。
だから、気になったところは家族がやればいいんだよ」

そう言ったが、妹はあまり納得していない様子だった。

多分、この仕事(ヘルパー)をしていなければ、私も妹と同じように部屋の隅々まで綺麗にしてくれないヘルパーさんに怒っていたかも知れない。

でもいざ自分がやってみると、時間内にあれもこれもやろうとすると、かなり時間がいっぱいいっぱいの事が多い。

これは少しでもお客さんが欲しい事業主が、お客さんの要望を拒まずに受け入れるからというのもあるのだと思う。

たしかに「雑なヘルパーさん」っていうのもいるのは違いないが、この程度なら目をつぶってあげようと思う。

とはいえ、あまりに雑だと家族が怒りたくなる気持ちもわかるので、私はできるだけ丁寧に、かつスピーディに仕事をするように気をつけているが、おかげでジョギングができない冬の間も仕事がいい運動になって一石二鳥になっている。

「お父さん、掃除おわったよ!」とベッドの父に声をかけると、父は「いつもこんな仕事をやっているのか?」と言った。

おっ認知症はすすんでいるが、私がヘルパーの仕事をしていることを覚えていたのか。

「そうだよ。高齢者の家のお掃除している」と言うと、父は顔をしかめながら「そんな仕事はやめなさい」と言った。

私がヘルパーの仕事をしていると言うと、今までも必ず「やめろ」と言っていた父だが、またしても言われてしまった。

やれやれ・・・他人には掃除をしてもらっていても、父は掃除という仕事を下に見ているのだなぁと思う。

「人手が足りないから、もうちょっとね(続ける)」と答えた。

そんな父でも、やはり私にはかけがえのない大切な父であって、帰り際「また来るから。元気にしていてね」と言いながら感情を押さえ切れず、思わずしっかりと父の手を握ってしまった。

父の手を握るなんて、何十年ぶりだろう。

わたしが幼児だった頃以来かもしれない。

久しぶりに握る父の手はしわしわで、そして以外と小さかった。










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エゾリス来ました

2015-02-20 17:08:50 | 日記
来た!ついにエゾリスが庭に来た!



バードテーブルに置いた鳥の餌を食べている!



下に落ちた餌を拾おうとしているエゾリス。

この後、器用に両手で餌を持って食べていたが、その姿のなんと愛らしいこと~

エゾリスの動きはとても速い!

シャッターを押したらすでに別の場所に移動していて写真に写っていなかったり、ピンボケになったりと、安いデジカメで撮るにはこれが限界だった。
(腕が悪いというのが一番の原因かもしれないが・・・)

実際はもっともっと愛らしい姿だったのに、写真で十分に伝えられないのが残念。。。

でも庭のバードテーブルに来て欲しいという願いが叶って、私は朝からウキウキしている。

一緒に見ていた次女やお姑さんもエゾリスの可愛らしい仕草に癒されていた。

最近よく感じるのは、願ったことが現実になることが多いということ。

いや、願いと言うのとはすこし違う。

ただの思考というのかなぁ、それほど強く想っていないことが現実になる。

それが、最近特に多くなってきたような気がする。

以前、引き寄せの法則という本が流行り、私もそれを読んだような気がするのだが、正直あまり内容は覚えていない。

ただ、強く、まるでそれが現実になったかのように思い描かなければいけないとかなんとかで(間違っているかもしれませんが)こんなことできないわ・・・と思った記憶がある。

昔は、色々な願望があった。

学生の頃は、背が低くなりたいとか、テストで良い点を取りたいだとか、ステキなボーイフレンドが欲しいとか、希望の学校や企業に合格したいとか・・・

社会人になっても願望はとどまる事を知らず、そしてそれは結婚して母親になってもそうだった。

長女チェリーが普通の学級でやっていけますように・・・な~んて真剣に願っていた。

それらは叶ったこともあったが、叶わないことも多かった。

そして叶わないことを思うと、とても辛く悲しい気持ちになった。

でも今は、そういうことはほとんどないかな。

というか考えてみても、それほどの強い願望、願い事がない。

こうなってくれたらいいなぁというのはあるが、どうしてもそうじゃなければ嫌だということはない。

そうじゃない方へ行ったとしても、そうなることが良かったのだろうと思うことができる気がする。

これはうまく表現できないが、自分自身の胸にいる「神さま」がそのように導いてくれていると思うからなのだが、読む人によっては宗教じみていると思われるかもしれない。

でも私は本当にそうだと思っているので、そのままの気持ちを書いている。

なぜそういう風に変わったのかというと、このままで、今の状態でも、十分に幸せだと分かったから。

とにかく思考が現実になるという事、これは誰にでも起こることであり、偶然に起こったというのではなくて、これからは多くの人が自分の思考を現実化できるようになるかもしれない。

ただし我欲のみだったり、またそれが叶うことによって他人に苦痛を与えるようなことは現実化しないのだろうと思う。

いや、もしかしたら、他人にダメージを与えるような思考も現実になるのかもしれない。

でもそれをしたら、自らもそれ以上のダメージを受けることを覚悟しなければいけない。

だからあまりにも恐ろしすぎて、私はそのようなことは考えられない。

人間の思考は現実化する。

以前は、特別な人しかそれはできないだろうと思われたことが、今は誰もができるようになってきたのかもしれない。

それを感じ始めてから、できるだけ悪いことは考えないように気をつけるようになった。

なんだかエゾリスの話から大きくずれてしまったような気がするが、まぁいいか。

それにしても、エゾリスちゃんかわいかったです。(笑)











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ひよどり

2015-02-16 17:27:00 | 日記
週末はずっと暴風雪の悪天候だったので、庭のバードテーブルに餌を置くことができなかった。

庭に野鳥は来ていたのかもしれないが、小さな鳥なら吹き飛ばされてしまいそうな強い風が吹き荒れていたのでほとんど鳥の姿を見ることはなかった。

しかし今日はやっと天気が回復してきた為、すっかりカラになっていたバードテーブルにひさしぶりに餌を置いた。

すると、来るわ、来るわ、あちらこちらからぞくぞくと鳥たちがやって来た。

千客万来、満員御礼の札を出したいくらいで、鳥好きな私にはたまらない光景だった。

悪天候だったので餌が取れず、皆よほどお腹を空かせていたのだろう。

がつがつと餌をついばむ鳥たちを微笑ましく見ていたら、一羽のヒヨドリがやって来た。

ヒヨドリはカケスに比べると小さいが、他の小鳥たちに比べると身体が大きい。

ヒヨドリが来ると、他の小さな鳥たちは慌ててバードテーブルから飛び去った。

そして近くの木の枝に止まって、ヒヨドリが食事を終えるのを辛抱強く待っている。

野鳥の様子を見ていると、どうも力関係は身体の大きさに比例しているようで、ウチの庭に来る鳥たちで言うと強い順にカケス→ヒヨドリ→シロハラゴジュウカラ→ゴジュウカラ・シジュウカラという順番になっている。

カケスは早朝しか来ないので、日中はヒヨドリの天下なのだが、それにしても今日のヒヨドリはひどかった。

餌を独り占めして、他の鳥たちが来ると追い掛け回して追い払う。

そのせいで他の小さな鳥たちはすっかり来なくなってしまった。

でも、ひどいと思うのは人間の考えであって野生動物の世界では弱肉強食は当たり前の事なのだろう。

バードテーブルは家の中からよく見えるので、ついつい気になって見ていたら、な~んとヒヨドリは今日一日ずっとバードテーブルのそばを離れなかった。

時々餌を求めてやってくる小鳥たちを威嚇して飛び回ることはあっても、ほぼずっと我が家の庭にいた。

最初は憤慨しながら見ていた私だったが、ヒヨドリの仕草を見ていたら、ウチのオカメインコのP太郎と似ているかもしれないと思い始めた。

おなか一杯になって首をぐ~んと回して背中を掻く仕草なんて、もうP太郎そのもの。

ヒヨドリも餌がたくさんあると、こうしてのんびりとくつろぐのね。

なんだか可愛い。。。

とはいえ、ヒヨドリを飼うつもりはないので、明日は他の鳥たちの為にも居座らないでほしいと切に願っている。










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ひな鳥

2015-02-12 17:52:35 | 日記
毎年、庭に来る野鳥のためにバードテーブルに餌を置いている。

餌を置いた当初は来る野鳥が少なかったが、今はもう毎日次から次へとたくさんの鳥が餌を食べにやって来るようになった。



上の鳥は「ミヤマカケス」

体の大きさはちょうど鳩くらい。

カケスは九州以北から全国に生息しているそうだが、このミヤマカケスは北海道にしかいない鳥だとか。

羽にすこし入った鮮やかなブルーが美しく、緑が少なく幹と枝ばかりになった森林に彩りを添えている。

他にもヒヨドリやシュジュウカラ、それからゴジュウカラとシロハラゴジュウカラ、アカゲラなんかも来ている。

また、可愛らしい姿のエゾリスも庭の近くまで来ているのだが、バードテーブルの餌は食べてくれない。

ひまわりの種や乾燥とうきびなんかも置いてあるんだけれどなぁ。

エゾリスちゃんも来てくれないかなぁ・・・

ところで森林に囲まれた市街地に住む私と違って、街の中心部近くに住んでいる妹と電話で話をしていたら、最近小鳥が道に落ちているのを見かけるそうだ。

先日も小さな子すずめが道にうずくまっていたので、家に連れて帰ってドライヤーを当てて温めてあげたそうだが、残念ながら死んでしまったとか。

ここ数日はとても冷え込む日が多かったので、体力のないひな鳥は冬が越せないのかもしれない。

「寒さに負けないように、せめてたくさん食べて栄養をつけてね」

冷え込んだ日は特に、そんな気持ちでバードテーブルに餌を置いている。

ところで、うちの一番大きいひな鳥(長男)から「スーツケースを送って欲しい」と電話が来た。

卒業旅行に使いたいそうだ。

「スーツケースをカラのままで送るのはもったいないから、中に何か入れようか?」と聞くと、「ブラウニーを入れて」と言われた。

うちのブラウニーは子ども達が小さい頃、なんとか「おから」を食べさせたいと思って中におからを入れて作ったのが始まりだった。

おからの煮物はあまり食べてくれないが、お菓子にするとおからだと分からないのでパクパクと喜んで食べてくれた。

そして、おから入りのブラウニーは今でもパインの大好物のおやつだ。

・・・というわけで、おからを入れたブラウニーを焼いた。



天板に大きく焼いて冷めたらカットしようと台所を離れたのだが、帰ってきてみたらあれれ?横の方に切り取った跡が・・・

犯人は一番小さなひな鳥(次女)の仕業でした。

他にもスーツケースの中に、こんなものを入れた。



「最近、忙しくて晩御飯を作っていない」というパインが手軽につまめて、日持ちがする物とスーパーを探したら「いかめし」を見つけた。

常温保存できて、湯煎かレンジで温めると良いらしい。

写真右のいか飯はセブンイレブンの商品だが、全国で発売しているのだろうか?

どちらにしろパインのいる県(青森県ですが)はセブンイレブンが無いそうなので送ることにした。

「たくさん食べて栄養つけて、風邪引かないようにね」と思いながら、他にも食料品をたくさんスーツケースに詰め込んで発送した。

あれ!?鳥に餌をあげる時と一緒だ。

うちの三羽のひな鳥たちは、身体だけはひなとは呼べないくらいに大きくなった。

三人が巣立つ日はいつになるだろうか。

長女チェリーには障害があるが、それでもいつかは離れて暮らさなければならない。

私や夫の方が先にいなくなるはずだから・・・

子ども達には早く巣立ってほしいと思いながらも、巣立ってしまったあとの寂しさを思うと、今こうして食べたいという物を作ってあげられる幸せを思い、一緒に過ごす時間を大切にしていきたいとしみじみ思う。









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ブログ

2015-02-09 15:05:26 | 日記
車を運転中に買い物を思い出しスーパーマーケットに寄った。

そこは何度か来た事のある店だったが、家から遠いので滅多に行くことはない。

店内を見て歩いていたら、見覚えのある顔の方が目の前を通り過ぎた。

思わず挨拶をしそうになって、あわてて止めた。

私は彼の顔も名前も知っているが、彼は私の顔はもちろん名前も知らないのだ。

彼というのは、以前ブログを通してお互いにコメントのやり取りをしていたブロガーの方。
同じ街に住んでいることや興味のある話題などから、いつしかお互いのブログにコメントを入れるようになった。

その方はご自身で商売をされていたからか、顔も名前も住所もブログで公開していた。
だから初めてご本人を見たのにもかかわらず、以前からの知り合いのような錯覚を覚えてしまったのかもしれない。

いつも前向きで元気が出てくるような記事が多く、楽しみに読ませて頂いていた。

よくご自身のことを書いていて、真実を書かれていたと私は信じているが、最愛の女性との出逢いや結婚にまつわる障害、仕事の苦労、ご自身の体調不良などについても書かれていた。

そして、いろいろと起きる困難ともいえる出来事を書かれる時には、記事の最後に「きっと乗り越えられる」という言葉をよく入れられていた。

いつも応援したくなるような気持ちになりながら、その方の書かれたブログを読ませて頂いていたが、突然ブログを閉鎖されてしまった。

どうされたのだろう?と心配だったが、そのうち私も同じようにそれまでのブログを止めて、新たなブログを作ったりしていたので、いつしか記憶の中からその方の事は消えつつあった。

そういえば、この辺に住んでいらっしゃると書かれていた・・・遠い記憶が蘇ってくる。

最後の方のブログ記事では非常に体調が悪そうだったが、今見た感じはお元気そうだった。

よかった、お元気そうで。

なんだかとても安堵したような気持ちになった。

ブログをやっていると、このような事もあるのだなぁ。

まさかすぐそばに、あの時コメントのやり取りをしていた人間がいたとは夢にも思っていないのでしょう。

いや、もしかしたら私と同じようにもう記憶の中から消えているかもしれない。

ところで私がブログを始めて、もうすぐ8年になる。

当時パソコンは触れた事もなく興味もなかったが、長男パインに「ブログを書いてみたら」と勧められ、パインが作ってくれたブログに書き込んだのが始まりだった。

その時は文章を書いて老化防止にしようというくらいの軽い気持ちだった。

ところが、軽い気持ちで書いていたブログに初めてコメントをもらった時には、驚きと共に飛び上がるくらい嬉しかったのを覚えている。

こんなつまらない記事でも読んでくれた人がいた!

しかも、コメントまで書いてくれた!

それから、どんどんコメントを入れて下さる方が増えていき、私もそれらの方々のブログにコメントを入れたりして、ブログ上での交流は本当に楽しく夢中になった。

しかし交流が増えるにつれて楽しさもあったが、それとは反対に自分の書きたいことが自由に書けなくなっていった。

私はまれに前世だとか魔物だとか、普通の人が読んだら「何だ、それは?」ということを書くことがある。

そういう話を理解してくれる人もいれば、そうじゃない人もいる。

皆さん大人で常識ある方々だったので、そんな話を書いても別に非難をされるわけではないが、ブロガーさんたちとの交流が深まれば深まるほど「こんな話を書いたらコメント悩むだろうな~」なんて余計な心配をしてしまい、ますます書くことを選ぶようになって書きたいことが書けなくなってしまった。

ブログをやる大きな楽しみのひとつに、他のブロガーさんとの交流もあると思う。

そしてそれをしていない私は、以前よりもブログを書く楽しみが減ったかな?と自問してみるがそんなことはなく、やはり今しばらくは書きたいことを自由に書いていたいという気持ちの方が強い。

もちろんコメントに左右されず自由に思ったことを書けばよいのだろうが・・・

いつかまたブログで交流を楽しむ日が来るかもしれないし、もしかしてもう書くことがなくなったら止めるのかもしれない。

そんなわけで偶然懐かしいブロガーさんを見かけて、ブログを書き始めた頃の事を思い出していた。

(とても恥かしくて、自分ではけっして昔の自分のブログを読み返すことなどできませんが・・・)













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仕事

2015-02-04 15:36:10 | 日記
ヘルパーの仕事で、毎週訪問している80代の男性のお宅へ行った。

玄関のチャイムを押してドアを開けると、いつもなら70代の奥様が出ていらっしゃるのだが、今朝はめずらしく出てこられなかった。

部屋の奥から「入ってくれ」と利用者さんである男性の声がしたので、靴を脱いで部屋の中に入ってみると、なにかがいつもと違うと感じた。

部屋の中がとても暑く、そしていつもと違うにおいがしていた。

プラスチックかなにかが溶けている様な臭いがする。

部屋の中を見渡して暖房も確認してみたが、特に変わったことはなかったが、男性が「昨日、突然家内が入院してしまって、ひとりでは何も分からなくて困っていたんだ」とおっしゃった。

そして、「家内が何も用意していかなかったから食べる物がなくて困っている」とおっしゃった。

昨日、奥様が毎月行く病院で診察を受けたところ異常が見つかり、突然入院することになったそうだ。

急だったため、奥様は家の食事の用意をする間もなく入院してしまったそうだ。

男性は足が不自由なので、ひとりで外へ買い物に出ることができない。

そこで「なにか食べるものを買ってきてほしい」と頼まれた。

やってあげたいのは山々だったが、残念ながら私はそれをすることができない。

男性の介護の契約に掃除と洗濯は入っているのだが、買い物は入っていなかった。

「ケアマネージャーさんに言ってみてください」と言うと、「言ったんだが、(利用料が)高いよ~と言われたんだ」と、悲しそうにおっしゃった。

まさかケアマネージャーさんが困っている利用者さんを突き放すようなことはしないだろうと思ったが、事務所に連絡し事情を話すと折り返し連絡をくれることになった。

事務所から連絡が来るまで、通常の業務に取り掛かる。

まずは洗濯。洗濯物が洗濯機の中から溢れていた。

いつもは奥様がやって下さっているので、契約内容に洗濯が入っているものの、私がやるということは一度もなかったが、今回はやらなければいけない。

洗濯機を回している間に、部屋の掃除をする。

掃除機をかけ、雑巾であちこちを拭く。

掃除をしていたら利用者さんが話しかけてきた。

「ぜんぶ家内がやっていたから、何がどこにあるのかぜんぜん分からんのだ。困ったもんだ」

たしかに、それは困るだろうなぁ。

うちは大丈夫かな?

夫の顔を思い浮かべながら、台所のガスコンロ近くを拭こうとした時、ガスコンロが異常に熱くなっているのに驚いた。

見ると、魚焼きグリルの火がついている!

グリルの火は外から見えないので、ついていることに気がつかなかった。

いつから点いていたのか分からないが、長時間ついていたのは間違いないくらいにガスコンロ全体が熱くなっていた。

だから部屋の中が暑くて、いつもと違うにおいがしていたのだ。

「魚焼きの火がつきっぱなしになっていましたよ」と言うと「そうか、味噌汁を温めようとしたんだが、いくらやっても火がつかなくて変だなと思っていたんだ。魚焼きのほうをつけていたのか」とおっしゃった。

あぶない、あぶない。火事になったら大変だった。

ヘルパーの仕事を始めて数年が過ぎ、最近なんとなく仕事にむなしさを感じていた。

掃除をやってくれる「お手伝いさん」と思われているいるようなところも感じていたから。

でも、やはり必要だからヘルパーを頼んでいるわけで、今回のことは高齢者の見守りもヘルパーの大切な仕事だったとあらためて気づかされる出来事だった。

そうこうしているうちに事務所から連絡があり、買い物はできないが冷蔵庫の中を確認させてもらい食べられる物を探してという指示が入った。

親族に連絡をするので一食分くらいあればいいとのことだった。

冷蔵庫の中を確認すると買い置きの惣菜が見つかり、男性に「これを食べてくださいね」と言うと、安心したような笑顔を見せてくれた。

こういう笑顔を頂けることが、この仕事の一番の励みになる。

「もう仕事は辞めたら」と夫から言ってもらえるのは幸せなことだが、やはりもう少し続けていこうかな・・・と思う。










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今日この頃

2015-02-02 14:02:16 | 日記
毎日、悲惨な事件や事故のニュースが後を絶たない。

ここ最近は、そのような報道はあまり見ないようにしている。

といっても現実から逃避しているつもりはない。

現実にはそのようなことが起こっているということは十分に承知した上だが、日常生活の中にまで「負の気持ち」を持ち込まないために、なるべく悲惨なニュースは見ていない。

私の場合、悲惨なニュースや可哀想なニュースを見たり聞いたりすると、そのことがずっと頭から離れなくなってしまう。

もしかしたら、そういう人は多いのかもしれない。

3・11の大震災が起こってまもなく、胃腸の丈夫な夫が珍しく胃の不調を訴えて病院に行ったことがあった。

すると夫を診察した医師が「震災後、胃腸の不調を訴えてくる患者さんが多いんですよ」とおっしゃったとか。

連日、報道される震災のニュースを見続けて、被災をしていない人も精神的に大きなダメージを受けて身体に不調が現れたのだろう。

私は身体の不調までは行かないものの、いつもその悲しい出来事が頭の片隅に残り続け「悲しみ」や「怒り」といった負の感情が現れてくる。

虐待された子どもや動物のニュースなどは特にそうだ。

可哀想な子どもや動物のことを考えるだけで胸が塞がるような悲しみが湧き上がり、そのようなことをした者たちへ怒りの感情が湧きあがってくる。

また世界に目を向けると、不条理に殺される人々がたくさんいて、家も食べるものもない人々がたくさんいる。

そのような状況に置かれた人々は、どのような気持ちで日々を過ごしているのだろうか。

そんな考えが頭の中を巡り始めると、もうだめだ・・・徐々に気持ちが暗く沈んでくる。

しかし私が知っているのは、たった数分のテレビの報道だったり、短い新聞記事からだけなのだ。

それ以外にも、私が知らないことが、その中には当然たくさんあるはずなのだ。

悲惨な結末だったことは事実かもしれないが、もしかしたら私が想像する可哀想で悲しすぎることばかりではなかったのかもしれない。

今年の初めに「思い込みを手放そう」という目標を立てたが、まさにこれも私の手放すべき「思い込み」なのかもしれないと思う。

前にも書いたが、一個人の小さな力で世界を変えるのは難しい。

でも自分の周囲にならば、それはできる。

小さな善意や思いやりが、いずれは大きく世界を変えるのだろうと思う。

そう思いながら、暗く沈みそうになる気持ちを振り払う今日この頃。。。








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