ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

カラスの友だち

2021-03-29 16:35:36 | 日記

外に出るたびに、何処で見ているのかわからないが、飛んで来てあとをついてくるカラスがいる。

このカラスとの出会いは、たぶん二年前。

「たぶん」というのは、カラスはみんな黒くて見分けがつかないからなのだが、思いおこせば二年前の冬に、賞味期限間近の非常食用の乾パンをカラスにあげたことがある。

もちろんカラスに餌をあげてはいけないとは思うが、カラス以外の野鳥には餌をあげて、カラスにだけあげないというのも不公平だ。

食べるものが少ない真冬の時期、カラスだってお腹を空かせているだろう。餌を探して公共のゴミ捨て場を荒らされるよりはいいかと、乾パンを3回くらい与えた。多分、飛んでくるのは、この時のカラスではないかと思う。

でも本当は、最初からカラスに乾パンをあげようと思っていたわけじゃない。

備蓄してあった乾パンの賞味期限が迫っていたので開けて食べてみたものの、不味くて家族は誰も手をつけず、捨てるのがもったいなかったというのが理由だった。

それにしても、あまり大きな声では言えないが、この乾パンは非常事態の時に避難してきた人に自治体が配る乾パンなのだそうだ。

これを配られてもなあ、、、というのが食べてみての感想だった。

背に腹はかえられぬ、お腹が空いていれば何だって美味しいのかもしれないが、地震などの大災害で精神的にも参っている身で、このパサパサで冷たい乾パンを食べるのはキツい。できれば温かいものが食べたい。

いや、それはあまりにも贅沢だと言うならば、せめてもう少し喉の通りが良いものにして欲しい。

な〜んてね。そういうものは、やはり自分で備蓄すべきなのだと思う。

話が外れてしまったが、カラスに話を戻す。

一昨年の冬に乾パンをあげたカラスは、その後はもう食べ物は与えなかったが、それから私の姿を見つけると飛んで来るようになった。

その度にカラスに話しかけた。

最初は「ごめんね、もう乾パンは無いんだよ」だったが、そのうち「今日もかわいいね〜」とか「羽根が綺麗だね」とか、「いいお天気だね」とか、世間話とか、、、

はたから見れば、完全にあぶない人だと思う。

そんなカラスとのつきあいが2年近くになるが、最近とても距離が縮まった。

今朝は、手を伸ばせば身体に触れられるくらいの距離まで来てくれた。

あまりに近いので腕を出したら乗ってくれるかもしれないと思ったが、そこは超えてはいけない一線?なので、かろうじて理性で押さえた。(笑)

間近で見たカラスくん(ちゃん?)は、けっこう大きかった。

くちばしも黒くて強そうだし、黒光りしている羽根も強そうだ。

でもパサパサに毛羽立っている頭の毛がチャーミングで、大きな目がクリクリしていて可愛かった。

「今日も相変わらずかわいいね」と話しかけたら家に入るまでずっと後をついてきた。

野生のカラスの寿命は10〜15年なのだとか。

出会ってから二回目の冬も無事に乗り越えてくれた。

これからもずっと元気で、遊びに来て欲しいと願っている。わたしの友だち、、、

 

 

 


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お彼岸

2021-03-23 21:42:03 | 日記

今日でお彼岸が終わる。今朝も長寸のお線香をあげてご先祖の方々に感謝を捧げた。

手を合わせると、亡き両親の顔、祖父母の顔、そして義理の両親らの顔が浮かんでくるが、自分の知っている人だけではなく、数え切れないほどの多くの方々に対して感謝する。

お彼岸の間は、普段より長く燃えているお線香を焚いていたのだが喜んで頂けただろうか。

肉体は無くなっても魂は生き通し。自分のできることで、少しでも多くの魂に喜んで頂きたいと思う。

お寺には20日に行った。

お寺に行くのは納骨堂があるからなのだが、結婚前は実家ではお墓に行っていたので、最初は納骨堂というものに違和感があった。

でも今はすっかり慣れて、天候に左右されずお参りができるので、納骨堂もまたいいかと思うようになった。

しかし、どちらにしろ自分が亡くなったあとは、納骨堂にもお墓にも居ないような気がしているので、どちらでもいいのだが、、、

とはいえ、中には納骨堂やお墓にずっと留まっている人もいる。

特に外にあるお墓と違って、お寺という建物の中にある納骨堂では、亡くなった人をより間近に感じる。

見えないが、ああいるな、、と思う。

だから、納骨堂の中をウロウロ歩き回ることは極力しないようにしている。自分に関係する祭壇にお参りしたら、あとはさっさと帰るのみ。

身内ならまだいいのだけど、外でまったく知らない魂に寄って来られるのはとても困る。

可哀想だけど、何もしてあげられない。

こんなに毎日、お坊さんの読経を聴いているのに成仏できていないのは、どういうことかと思う。

やはり形ばかりのお経を聴いても嬉しくないのだろうか。

ところで、この日は納骨堂にお参りに行ったあと、いつもの温泉に行った。

お風呂の中では、お彼岸ということもあって、お湯に浸かりながら常連のお姉さま方がお墓参りに行ったとか、お坊さんが家に来たとか、ウチはどこの宗派だという話で盛り上がっていた。

そんな中で一人の女性が話し始めた。

「ウチの夫が亡くなったのもお彼岸だったの。もう死んでから30年も経つけどね」

この女性のご主人は50代の若さで亡くなったらしかった。

「夫はね、そりゃいい男だったんだよ。男前でね、アメリカ人にユアハズバンド、ムウビースター?って言われたこともあった。意味わかる?あなたの夫は映画スターかって聞かれたの」

周りで聴いていたお姉さま方が一斉に頷く。

「結婚してからも見惚れるくらいハンサムで、しかも浮気なんて一度もない。真面目でホントにいい男だった」

以下、延々とご主人がどんなにいい男だったかという話が続き、周りから一人減り二人減りとなり、最後は誰も居なくなってしまった。

誰も他人の旦那の自慢話は聞きたくない。

聞きたくないのはわかるが、私は、それが微笑ましくてうらやましかった。

30年経っても、まだご主人のことをハンサムでいい男だったと褒めちぎる奥さんは幸せだったんだなあと思う。

そして亡きご主人も、きっと奥さんの話を聴いて喜んでいるだろうと思った。

お彼岸は、亡き人に感謝して喜んでもらう日。

もしかしたら違った解釈が有るのかもしれないが、そんなふうに思うお彼岸だった。

 

 


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健診

2021-03-17 16:32:20 | 健康

健診へ行ってきた。

最も気にしていた胃カメラの結果は、問題なしだった。ほっとした。

前回、バレット食道になっている部分があると言われていたので、それがどうなっているか気になっていた。

ところが、今回の健診ではどこにもバレット食道の痕跡は見つからなかった。

いつの間に治ったのだろうか。

医師にその辺の事を質問してみたら「見方によってバレット食道に見えることがあります」との事だった。

ってことは、もともとバレット食道ではなかったということ?

前回は、結果を知って胃炎になりそうなほど心配して(その内すぐ忘れたけど)、バレット食道について調べまくったのに、あれは何だったのだろう。

健診はたまにこういう事がある。

以前、検査結果と一緒に分厚い紹介状が郵送されて来て焦った事があった。

慌てて病院に再検査に行ったら、何ともなくて力が抜けた。

とはいえ、万が一本当に病気が発見されたということもあるかもしれないので、やはり健診に行ってしまう。

ところで健診は、一般的な検査と婦人科の検査をしている。

婦人科は乳癌と子宮、卵巣癌の検査だが、乳癌検査はマンモグラフィを2年に一度の間隔で受けるのがいいと聞いたので、そうしている。

今回はマンモグラフィを受ける年だったので受けたのだが、結果は問題なしだった。

こちらは胃癌検診と違って、当然の結果のように受けとめてしまう。

本当は当然なんてことはないのだろうけど、身内に乳癌に罹った人がいなかったので、なんとなく自分は(胃癌は心配だけど)乳癌は罹らないような気になっていた。

そこで婦人科の医師に聞いてみた。この際なので、気になる事は何でも聞いてみる。

「マンモグラフィって何歳ころまで受けた方がいいんでしょうか?私60歳になったんですが、もう受けなくてもいいんじゃないかと思っているんですが」

するとお医者さんがおっしゃった。

「乳癌は60歳でも70歳でもなります。私は今後も受けた方がいいと思っています。乳癌は早期発見で治ります。発見が遅れる前に健診で見つけた方がよいです」

乳癌と言うと、比較的若い年代40代くらいが罹る病気なのかと思っていたが、そうじゃないということを知った。やはり受けようと思う。

ところで健診では希望者だけ無料で体力測定をしてくれる。

検査の時間が一時間以上空いたので、申し込んでみた。

体力測定はしばらく受けていなかった。

歳と共に衰えてくる体力。どれくらい衰えたのだろうか、せめて年齢の平均値くらいはキープしているだろうかと受けたのだが、結果は、、、

驚いたのが握力だった。なんと以前受けた時より大幅に上がっていた。

右手34キロ、左手29キロ。

50代女性の平均が27キロ代だそうで、それより上だった。

家に帰って過去の結果を調べたら、44歳の頃に受けた握力が左右30キロちょいだったので、右手は16年前より上がっていた。

これは、きっとアレのお陰だろうと思う。

アレとはスクワット。自宅で運動をする時は必ずスクワットをやっている。

スクワットをするだけで、何も鍛えていなかった握力が上がると、以前観たテレビでやっていた。

44歳の時は、週に一度プールで2時間くらい泳いでいたが、今はスクワットやラジオ体操などを20分くらいするだけ。

気が向けば30分、向かなけれ15分か、まったくやらないかというゆる〜い運動だが、週に5日はやっている。

きっとアレはコレだと思う。

でも、どうして足を鍛えると握力もアップするのだろう?不思議だ、、、

 


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やりたいこと

2021-03-13 14:56:40 | 日記

最近、公共の温泉に行くと、80代後半とか90代と思われる高齢女性と、その娘さんと思われる女性の二人連れをよく見かける。

同一人物ではなくて、その時々で違った母娘。

娘さんと言っても私と同じくらいか、それ以上の年齢になっているのだけど、お母さんの手を引いてやってきて、洋服を脱ぐのを手伝っていたりする。

またお風呂に入れば老母の背中を流してやり、湯船に入る時は手を貸し、「そっちは熱いからこっちへ来た方がいいよ」とお湯の温度にも気を配っている。

どの親子もみんな、娘さんがお母さんの世話をしているのが同じだ。

老人を連れての入浴がけっこう大変なのは、何度かお姑さんで経験した。

正直、一人でのんびり入った方がずっと楽だけど、それでもお母さんと一緒に銭湯に来れるなんてうらやましいなと思いながら見ていた。

母が生きていたら、きっと同じように温泉に連れてきていたに違いない。

52歳で末期の癌で亡くなった母が、自分がもうすぐ死ぬということを知らない時に病院のベッドの中でよく言っていたのが、「退院したら、みんなで温泉に行こうね」だった。

もう歩く体力すら残っていなくて、それは叶うことはないだろうと思いながら、もしかしたら奇跡が起きて行けるかもしれないという微かな希望と、やはりダメかという絶望を行ったり来たりして、私は心が揺れ動いていた。

今思えば、母の方が私以上に揺れ動いていただろうと思うが。

そして、母が最期にやりたかったことが温泉に入ることだった。

そんなことは、元気であれば簡単にできたことだろうと思うが、母はしなかった。

当時は今のように近場に温泉施設がなく、近郊の温泉地であっても母にとってはハードルが高かったのかもしれない。あ〜連れて行ってあげればよかった(またまた後悔)

目の前で気持ちよさそうにお風呂に浸かっている母娘をみて、あんなに温泉に行きたがっていた母を連れて来てあげたかったと、もうこれまで何度も思ったことをまた思ってしまった。

やはり親孝行は生きている時にするべきだ。そして、やりたいことは、出来るだけするべきだとあらためて思う。

外はやっと雪解けが始まり春らしくなってきた。

雪が解けたら庭仕事をしたい。

早く野菜の苗を植えたい。

それから、今年は山菜だけじゃなく野草食べることにも挑戦してみたい。

それから旅行も行きたい。

昨年は伊勢神宮へ行くのを計画して、あとは申し込むだけだったのに、直前になってコロナで断念してしまった。今年こそは行きたい。

春の陽射しの中で露天風呂に浸かりながら母のこと、やりたいことなど考えていた。

 

 


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食器

2021-03-09 21:32:55 | 日記

仕事が忙しく夕飯を家であまり食べられない次女のために、休日に次女の大好きなグラタンを作った。

グラタンを作るのは久しぶりで、しばらく使っていなかったグラタン皿を戸棚の奥から出した。

久しぶりに出したグラタン皿は、前から思っていたが、やっぱりいい柄だなぁと思う。

そして、このグラタン皿を見る度に、これをくれた女性のことを思い出す。

彼女は夫の中高生の頃の同級生で、私たちが結婚する時にお祝いにグラタン皿を贈ってくれた。

結婚したばかりでグラタン皿など持っておらず、もらった時にはとても嬉しかった思い出がある。

夫の友だちなのに、これがきっかけで彼女と電話で話したり、自宅に招いてご飯を食べたりするようになったのだが、それを友人に話したら「えー、旦那の昔の女友だちから贈り物もらったり会ったりするって嫌じゃないの!?」と驚かれた。

でも、夫が彼女は大勢で遊んでいた友だちの一人だと言っていたので、その通りなのだろうと思っていた。

これがつきあっていたというなら話は別だが、友だちなら別に嫌じゃなかった。

それどころか、なんとなく気が合ったので夫をはぶいて女二人おしゃべりに花が咲かせたこともあった。

彼女とは住んでいる場所が遠く離れていることもあって、もうずいぶん長く会っていない。

夫とは今も年賀状のやり取りくらいはしているようだが、お元気でいるだろうかと思う。

ところで、このグラタン皿もそうだが、ウチの食器は頂き物が多い。

結婚する時に色々な方が食器をお祝いにくれたので、今もありがたく使っている。(なんと30年以上も、、、)

「好みがあるから、私は結婚のお祝いに食器は贈らないことにしているの」と、お料理上手で料理の盛り付けもセンスがある知人が言うのを聞いて「なるほど、それもそうか」と思った事がある。

ただ知人と違って、あまり食器にこだわりがなく百均の食器なども使っている私としては、頂いた食器は十分活用させて頂いている。

最近、グラタン皿の友だち以外にも、頂き物の食器を使う度に食器を贈ってくれた方の事を思い出すようになった。

ほとんどの方とは、もう疎遠になって滅多に会うこともないが、懐かしく、お元気でいるだろうかと食器を見ながら思う。

食器を手に、贈ってくれた方の事をしみじみ思い出していることが多くなったのは、コロナで人と会うことが減ったせいなのか、はたまた歳のせいなのか、、、

 

 


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もったいない

2021-03-02 17:30:28 | 日記

作家でタレントの阿川佐和子さんの本を読んでいたら、一度使ったラップは捨てずに二度使いすると書いてあって、とても親近感を覚えた。

さらに読み進めていくと、割りばしも一度では捨てず持ち帰るとあり、ますます親近感を覚えた。

親近感を覚えたなんて、有名人の阿川佐和子さんに失礼かもしれないが、ラップの二度使いや割りばしの持ち帰りなんて、自分と同じことをしていらっしゃると知って親しみを感じた。

お金はたくさんあるであろう阿川さんが、なぜ一度使ったラップを捨てないのかと言うと、ラップであっても一度きりの生涯を使い捨てで終わらせたくないということらしい。

と言うか、阿川さんの周囲の人が一様にラップの二度使いを驚いたと書いてあって、普通の人はラップは一度使ったら捨てるのかと、私はそれに驚いた。。。

また割りばしも然り。

阿川さんは料理をいただいたあとの割りばしを持ち帰るそうだが、割りばしなら何でも持ち帰るのかというとそうではないそうだ。

持ち帰って来るのは、料理屋さんで出されることがある白木の上質な割りばしに限るらしい。

「そうそう、わかるわかる。私もおんなじ!」本を読みながら何度も思った。

ラップの二度使いも上質な割りばしに限っての持ち帰りも、まさに私が常日頃やっていることだった。

まずラップについて。

すこし余った煮物の小鉢にラップをして冷蔵庫に仕舞う。

食べる時に小鉢の上に張ったラップを剥がすのだが、どこも汚れていないので、次に使う時のために洗って干しておく。

この洗ったラップをそのまま長く使わずに放置しておくと、それは不潔だが、すぐに二回目の出番がくるので心配はいらない。

二回目になると、ずいぶんヨレてくるので三度目に使うことはほとんど無いが、それでもまだ捨てずに最後はくちゃっと丸めてシンクの中を磨いておしまい。

ここまでくると、ラップくんも天寿を全うしたと満足(自己満足)できる。

阿川さんは、ラップでシンクを洗ってはいないようだが、ラップの天寿を全うさせたいという気持ちは同じだと思う。

さらに持ち帰った割りばしについての使い道を、阿川さんは書かれていなかったが、私は調理用の菜箸代わりに使っている。

本物の菜箸も持っているのだが、持っている菜箸は長くて非常に使いにくい。

ところが上質の割りばしは、長さも軽さも菜箸として使うのには申し分ない。

ちなみにごく普通の割りばしは、強度が弱いのでそのまま捨てているが、あれも洗って乾かしておけば、キャンプの時の焚火の焚きつけに良い。

それからもうひとつ、阿川さんと同じだと思うことがあった。

それはテッシュの使い方。

阿川さんによると、今の時代、多くの日本人は水が無料じゃない生活に慣れたかわりに、ラップとテッシュはほとんど無料に近いと思い始めている節があると書かれている。

特にテッシュを一枚、二枚と連続取りする人を見ると、「一枚でじゅうぶんコトは足ります」と言いたくなるのだとか。(実際は言わないそうですが。。。)

私も同じで、よほど必要じゃなければ一枚のテッシュで済ます。

こどもたちも夫も習慣で連続取りはほとんどしない。

だから、たまによそへ行って連続取りをしている人を見ると、「あんなに取らなくてもいいのに」と思ってしまうのは阿川さんと一緒だ。

これはケチケチと節約しているわけではなく、一枚で済むのに二枚も三枚も使うのがもったいない、資源の無駄遣いと思うからなのだが、、、でも、やっぱりケチなのかもしれない。

ただしトイレットペーパーは除外する。

長男が社会人になって新人研修で自衛隊に体験入隊した時、使えるトイレットペーパーの数が決まっていた為、とても気を使って十分にお尻が拭けなかったと言っていたから、トイレットペーパーはいいと思う。

パンツを汚すより、十分に心置きなくお尻を拭いた方が良い。

なんてことを、実際に口に出して他人様に言うことはなかなか難しい。

ケチと思われることは別に気にならないが、うるさいババアだと嫌がられるのがオチなので、こうしてブログに書いている。

 


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