ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

最終章

2013-07-31 20:14:37 | 日記
明日、ついに父が高齢者住宅へ移る。

ここまでずいぶん長かったような、あっという間だったような複雑な心境だ。

今日は高齢者住宅のスタッフの方、ケアマネージャーさん、ヘルパーさん、デイサービスのスタッフの方など、父に関ってくださっている方々と最後の打ち合わせをした。

みなさん、今後の父の介護計画について、一生懸命考えて下さって本当にありがたいとしか言いようがない。

現在の父はまるで幼子のように、すっかり私と妹におまかせモードになっている。

認知症は良くなることはなく、現状維持を長く続けることくらいしかないのだという。

それはそうかもしれない。

病気なら良くなることはあっても、老化現象は仕方がない。

最近では足が弱ってきて、一人で歩かせるのも危なくなってきた。

まだまだ元気だと安心していたが、弱ってくると坂を転がり落ちるかのように弱るものだと父を見てきて思う。

父にとっては、これがベストな選択だったと思っているが、寂しそうな父の姿を見ていると、やはり辛いものがある。

わたしが外で用事を済ませて実家へ戻ると、父が可愛がっている小鳥に話しかけていた。

小鳥は高齢者住宅へは連れて行けないため、しばらく会えなくなる。

父にしか懐いていない小鳥。

小鳥も父がいなくなると寂しいだろうなと思う。

「また様子を見に家へ帰ってこれるよ」

そう言ってみたが、それ以上何か言うと涙が出てきそうになったので、汚れた食器を洗うことにした。

人は永遠の存在だとわかっていても、人生の最終章はさびしいものだなぁ。





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おばあちゃんになっても

2013-07-29 15:05:05 | 日記
昨日久しぶりに地下鉄に乗ったら、向い側の席にひとりの若い女性が座った。

女性は座った途端、おもむろに持っていたビニール袋の中からお店で買ってきたおにぎりを取り出して食べ始めた。

時間は午前10時過ぎ。

「あぁ、朝ごはんを食べてこなかったのね」と思っていたが、さらに2個目のおにぎりを取り出し黙々と食べている。

周囲に他のお客さんが座っていても、まったく気にせず、片手でスマートフォンを器用に操作しながら、ひたすら食べ続けていた。

私はあまり見てはいけないような気がしたので、視線を落としていたら、なんとなくサンダルを履いた女性の足元に目がいってしまった。

美しく着飾った女性だったが、残念なことに足の爪が伸び放題・・・

これじゃあ、せっかく綺麗でも魅力も半減してしまうわ・・・と余計なことを考えていたら、おにぎりを食べ終わった女性が、今度はお化粧を始めた。

バックの中から大きな鏡を出すと、目を半開きにしたままアイシャドウを塗り、アイラインをひき、マスカラをし・・・と周囲の目などまるで気にせず念入りに化けていった。

「化粧する前に足の爪切れ~!」

自分の娘ならそう怒鳴りつけるところだが、他人なので黙っている。

以前、どこかで読んだ記事が蘇ってきた。

「電車の中で化粧をする女は、間違いなくブスばかりだ」

その時は、過激なことを書いてるなと思ったが、これはかなり合っていると思う。

見た目がどうこうではなく、公共の場で堂々と化粧をするという行為が美しくないのだ。

それが「まちがいなくブス」と言われてしまう理由なのだ。

背中に乳児を背負い、2~3歳くらいの幼児を連れて地下鉄に乗っていた薄化粧の若いお母さんの方が、よほど美しく見えた。

そんなことを思うのは、自分がおばさんになったからだろうか・・・

さて、ひさしぶりに地下鉄に乗って街の中心部へ出てきたのは、高校時代の友人達に会うためだった。

東京に住む友人が里帰りをしたという話を聞き、5人が一年ぶりに集まった。

集まった友人達はみんな年相応に皺も増えて「おばさん」になっていたが、話し始めると全然変わっていなくて懐かしかった。

高校時代、ある部活動をやっていたので、今回の友人達はみんなそこでできた友達だった。

だからクラスも違うのだが、なぜかクラスの友達よりも気心が知れて仲がよかった。

「あの頃、よく喧嘩したよね」と友人のひとりが言うと、「そうそう、したよね」と別の友人が答えていた。

そういえば部の活動方針を巡って意見が対立して、よく喧嘩になったなぁ。

でも、けっして陰湿な感じにはならず、みんなでいいたい事を言い合って、最終的には皆が納得できる道を探したような気がする。

「あの頃、どうしてあんなことにこだわって、あんなに熱くなったのか分からないわ」と一人の友人が言った。

多分それが若さだったのかもしれない。

たくさん食べて飲んで、わいわいしゃべりながら5人で街を歩いていたら、急に制服を着た高校生に戻ったような気がした。

そう思ったのは私だけではなく、他の友人も同じ事を思っていたようだった。

「でも、傍から見たら私達りっぱなおばさんなんだよね~」

そう誰かが言った途端、全員が大きくうなづいた。

家に帰れば介護が待っていたり、夕食つくりをしなければいけなかったり、はたまた独身の友人は、明日からの仕事が待っていたりと、皆またそれぞれの道を歩いて行く。

ひと時だけ、かなり無理はあるが女子高生に戻った楽しい時間だった。

でも、わたしはおばさんになったことは嫌ではない。

今まで歩いてきた時間と道に満足しているから。

これからも、おばあちゃんになっても集まりたいね、みんな健康に気をつけようね。

そういって別れた。









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今夜の話題は

2013-07-27 16:37:38 | 日記
夫が仕事から帰ってきて夕食を済ませると、一緒にジョギングに行く。

そして、この時が夫と会話をする時間でもある。

ジョギングと言ってもスローなペースなので、息が切れることもなく会話は普通にできるのだ。

大体いつも私が話して、夫がそれを聞いている事が多い。

毎日の平凡な暮らしの中で、そんなに話すこともないのだが、今日の出来事などささいなことを話す。

この日も美容院へ行ってきた話をした。

「今日、髪を切ってきたんだけどね。3センチくらいカットしてもらったの」

そう話した途端、私のすこし前を走っていた夫のリアクションが面白かった。

夫は走りながら慌ててこちらを振り返った。それも2度も見直した。

「そうだと思っていたんだ。どうりで今日は美しいと思った」と、慌てたように付け加えた。

もう笑ってしまった。

別にほめて欲しくて言ったのではなかったが、何もそんなに慌てなくてもいいのに・・・と思った。

私が走りながら笑いこけていると、夫は安心したのか、こんなことを言った。

「すこしくらい髪を切ったって分からないよな~。これが坊主頭にしたなら、おぉって感じで気づくけどさ」

これにはちょっとむっとした。

内心、坊主頭にするわけないだろっ!と思いながら、もしかしたら坊主頭になっても気がつかなかったりしてと思う。

夫ならありえる。。。

しかし、そんな他愛の無い会話をしながら、走ることができる幸せ。

平凡な毎日が過ぎていくということが、何より幸せなことだったと、つくづく思う今日この頃。

さて今朝起きてカーテンを開けると、ベランダに一匹のクワガタがひっくり返っていた。

うちは森林のすぐそばに建っているので、家の灯かりに誘われて夜になると虫がたくさん寄ってくる。

クワガタも毎年夏になると、何匹もベランダで見かけるのだが、これは今年初めて見たクワガタだ。

クワガタはひっくり返ったまま身動きひとつしない。

死んでるのかなと軽くつついてみたら、足をかすかに動かした。

ずいぶん弱っているようだが、まだ生きていた。

そっと手に乗せて庭の土に置いた。

元気になったら森に帰るかもしれない。




今夜のジョギング時の会話、決まったな・・・

題は「ベランダにいたクワガタ」でいこう。








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生ごみの堆肥化

2013-07-22 16:44:48 | 日記
ダンボール箱の中で、生ゴミを肥料に変える生ゴミの堆肥化をしている。

札幌市で配布したダンボール箱の堆肥化セットを頂いたのだ。

昔、何度かやっていたことがあるが、それはそれはたいそう良い肥料が出来上がり、うちの庭の痩せた土が肥沃な土に蘇った。



ダンボール箱にピートモスともみがらくん炭を6対4の割合で入れて、コップ1~2杯の米のとぎ汁を加えたら準備OK。

ちなみにピートモスとは、草木やコケ類が長い間、たい積したもので、主体は水ごけ。特徴は保水性がよく、微生物の住家となる隙間が多い。

また、もみがらくん炭は、もみ殻を炭にしたもので、北海道の農業廃棄物として大量に発生している。こちらも隙間が多くて微生物の住家になるが、特徴的なことはピートモスの酸性を弱めて、臭気も弱めること。

この中へ生ゴミ(腐敗したものはNG)を入れて、毎日かき混ぜる。

すると中の微生物の働きで徐々に生ゴミが分解され、最終的に入れた生ゴミが綺麗に無くなって堆肥になるというもの。

これが普通のダンボールでいいかというと、そうではなくて、やはり堆肥用に作られたものじゃないと、水分が漏れたり、虫がわいたりとうまくいかないのではないかと思う。

私も最初は市で配布してくれたダンボールと基材(ピートモスともみがらくん炭がブレンドされたもの)を使っていたのだが、それが終了すると、売っている店を探して買い求めていた。

しかし、売っていたお店が無くなると、自然に堆肥作りも止めてしまった。

堆肥作りを止めてからは、料理中に出る野菜のくずや卵の殻、魚のアラなどをゴミ箱に捨てる時、あ~もったいない・・・といつも思っていた。

生ゴミとして捨てれば、市の焼却施設で大量のエネルギーを使って燃やさなければいけない。

特に生ゴミは大量の水分を含んでいるので、燃料も多くかかるそうだ。

しかし、こうして自分で堆肥化すれば、良質の堆肥になってゴミも減る。

まさに一石二鳥。

家には畑がないから、堆肥を作るのは無理・・・という方でも大丈夫。

他の市町村は知らないが、札幌市は出来上がった堆肥を引き取ってくれるそうだ。

でもホントはね、ゴミを出さないことが一番なんだよね。

ついつい食べきれないほど食料品を買ってきて、気がついたときには賞味期限がとっくの昔に過ぎていて、後ろめたい気持ちで、そっとゴミ箱の奥に押し込む・・・なんてことを、たまにやらかしてしまう私。

まったく反省・・・

すこし古いのだが、農林水産省が発表した2009年度の「食品ロス統計調査」によれば、一年間に発生する食品廃棄物は約千九百万トンもあるそうだ。

そのうち千百万トンが一般家庭から出されている。

このなかには、本来食べられるにもかかわらず、捨てられたものが約五百万トン~九百万トンも含まれていると推計されているそうだ。

食料自給率が40パーセントくらいなのに、私達はあまったものをどんどん捨てている。

一方、世界中で飢餓で苦しんでいる人の数は九億二千五百万人もいて、世界の七人に一人が飢えに苦しんでいるそうだ。

栄養不足が原因で、毎日二万五千人が命を落とし、そのうち一万四千人が五歳以下の子供だそうだ。

時間に直すと6秒に1人、子供が栄養失調で亡くなっている。

このような現実を謙虚に受け止めて、ゴミを減らすべく、買いすぎない、作り過ぎない、食べ過ぎないを心がけようと思う。

しかし、それでも出てしまう生ゴミは、ダンボールの中で堆肥になってもらうとしよう。

堆肥用ダンボール箱(通称 ダンピー君)が購入できる所

共同作業所ヨベル TEL/FAX 011-865-2818


堆肥用ダンボール箱1セットが200円だそうです。

尚、基材のピートモスともみがらくん炭は、土壌改良剤として園芸店やホームセンター等で販売されていますので、自分で半々くらいに混ぜるとよいそうです。

また、調合された「ピートくん」25リットル入りを販売している店もあるそうです。













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天へ

2013-07-18 14:21:57 | 日記
今朝、ひさしぶりに近所の神社へお参りに行ってきた。

私の神棚の榊が何度取り替えても、そして、できるだけ元気そうな榊を左に置いても、なぜか左側ばかりが枯れてしまうことが気になっていた。

そして、もうひとつ気になったことがあって、どうしても今日は神社へ行きたくなってしまった。

住宅街の中の小高い丘の上に建っている、木々に囲まれた小さな神社だが、いつ来ても心が落ち着く。

数年くらい前は、普段お参りに行っても他の参拝者に会うことは珍しかったが、今日はたくさんの参拝者とすれ違いびっくりした。

それも30~40代の女性が多い。みなさん、一人で来ているが、これは神社へ参拝する人が増えたという事だろうか。

男性が少ないのは、平日で仕事に行っている人が多いからだろう。

さて、この神社はこじんまりとした神社で、鳥居をくぐって境内までは、ゆっくり歩いても2分くらいで着く。

1分ほどでお参りを済ませて、あっという間の参拝。

しかし神社の境内に流れる清々しい空気を吸って、すっきりとした気持ちになって帰ってきた。

ところで、もうひとつの気になること。

それは昨夜のこと。

布団の中に入って、目をつぶった途端、また見えてきた。

水害の映像。

川なのか海の水なのかはっきり分からないが、水が大きな建物を押し流して行く。

建物や車、ゴミのように見えるが、たぶん建物の残骸なのだろう。

それらをどんどん飲み込んで、水は流れていく。

水の量がとても多く、流れが速い。

なんだか重苦しい気持ちになり、その後はなかなか寝付けなかったが、布団の中で「天」と「地」に感謝を送った。

雨は天から降ってくるから、天へ感謝する。

大地には毎日感謝をしているが、朝日がでる時間が早くなったせいもあって、最近、朝日に手を合わせていなかったなぁ。

明日からは、また朝日に向かって手を合わせよう。

天と地に感謝している私が真ん中にいて、三角形になったな~などと、他愛のないことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまった。




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失敗?から美味しい漬物ができた

2013-07-16 16:56:29 | グルメ
長女チェリーが、通っている作業所からきゅうりをもらってきた。

冷たく冷やしたきゅうりに味噌をつけて食べることが大好きなチェリーは、「きゅうり、冷蔵庫に入れていい?」と聞いてきた。

別の部屋で用事をしていた私は、特に確認もせず、かるく「いいよ~」と答えておいた。

さて夕食時、チェリーがもらったきゅうりを調理しようと冷蔵庫の野菜室を探してみたが、どこにもきゅうりがない。

おかしいなぁと思いながら、チェリーに「きゅうりはどこ?」と聞いてみると、「冷凍庫の中」と返事が返ってきた。

「ええっ!冷凍庫の中に入れたの!?」

慌てて冷凍庫を開けてみると、すでにきゅうりちゃんたちはガチガチに凍っていた。

なぜきゅうりを凍らせたのかとチェリーに聞くと、「美味しいかと思って」だそうだ。

そういえばチェリーは、果物を凍らせて食べるのが好きだ。

バナナやミカンはよく凍らせて食べていた。

しかし、冷凍きゅうりとは・・・

凍らせたきゅうりはあまり美味しそうに思えないんだけれど、チェリーが食べると言うのなら「どーぞ」というわけで、ガチガチの冷凍きゅうりを1本、チェリーに渡した。

さっそくきゅうりに一口かじりついたチェリーだったが、なんのコメントも無く、きゅうりを持ったまま、無言で自分の部屋へ消えていった。

しばらくして部屋から出てきたチェリーは、まだきゅうりを手にしていた。

そして、小さな声で「あんまり美味しくないんだけど捨ててもいい?」と言う。

「やっぱりね~お母さんもそうだと思ってた」と笑うと、「凍らせて失敗した。もうきゅうりは凍らせない」としょげていた。

さて、チェリーが凍らせたきゅうりはまだ冷凍庫の中に残っている。

捨てるのはもったいなし、どうしようかと思って料理レシピを調べていると、あるんですね~凍らせたきゅうりの料理レシピが・・・

凍らせたきゅうりを使った漬物。



大根や人参、青シソ、しょうがなどと一緒に、解凍して水気を絞ったきゅうりを、醤油たれに漬けたもの。

これが、意外にも美味しかった。

一度凍らせて水分がすこし抜けたきゅうりがいい感じ。

チェリーがきゅうりを凍らせていなかったら、絶対に作っていなかった漬物だわ。

まさに失敗から生まれたヒット料理かもしれない。

さて、我が家のせまい畑で作っているわずかばかりの野菜たちも、この暑さですくすく大きくなっている。

春に種を蒔いたラディッシュも大きくなりすぎて、実が割れてきたので、今日はぜんぶ収穫してしまった。

こんな時、とても力強い助っ人が86歳のお姑さんだ。

収穫した後の洗浄やら、葉と実を分ける作業やらが、けっこう手間がかかるのだが、それをお姑さんが丁寧にやってくれる。

さらに葉は、全部茹でてくれた。

こうして茹でた後に、小分けにして冷凍しておくと、野菜の値段が上がる冬に重宝する。

そして、ラディッシュの実の方は酢の物にしてくれた。

さすが年の功で、お姑さんの作る酢の物は、絶妙な味加減で美味しい。



そんなわけで、これから畑の作物がどんどんできてくる時期で、まさに私の好きな直売所巡りの季節になってきました♪

野菜が好きなので、毎週のように直売所巡りをして、山のように野菜を買ってくる。

冬に備えて、野菜を冷凍保存しておくのだが、今年はきゅうりも冷凍することにしよう。

さて、うちの畑ですが、ラデッシュを収穫した後の畑は肥料を足して、今度は小松菜を植えようとお姑さんと話している。

北海道の短い夏。楽しまなければね。




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ひとり言

2013-07-12 16:02:01 | 日記
ある場所でゴミのリサイクルについてのセミナーを聞いていた時、突然 誰かの携帯電話が鳴った。

それも一箇所ではなく2~3人の携帯電話から鳴った。胸がざわつくような不快な音。

この音はどこかで聞いた音。

そうだ!緊急地震速報だ!

周囲を見回すと、講師を含め誰も何も聞こえていないかのように平然とセミナーのお話は進められていた。

でも、あれは確かに緊急地震速報。

・・・ってことは、くる?

緊張して身構える。

しかし、何も起こらなかった。

よかったと胸をなでおろす。

それにしても、もしかしたらどこかで地震があったのだろうかと心配になり、帰宅後、すぐにテレビを付けてみたが、特に変わった様子はないようだった。

夜、布団に入り目をつぶると、日本列島が見えてきた。

そうだ。こういう時は、感謝の念を送るのだった。

最初は全体像として見えていた日本列島が、グーンとズームしていき関東が大きく見えてくる。

関東地方に感謝想起。

関東平野が光って見えた。






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ゆだねる

2013-07-08 15:08:28 | 日記
「また来てしまった・・・」

地下へ続く階段を降りて、しばらく歩いた先にある部屋のドアの前でそう思った。

ドアをゆっくりと開ける。

そこは重厚な家具が置かれた古めかしい洋室になっている。

赤いベルベット生地の一人用の椅子、コーヒーテーブル、絵画・・・

いつもは薄暗い室内なのだけど、今日は部屋に入った途端、次々と室内の灯かりが付いて明るくなった。

すると誰かが耳元で話しかけてきた。

「もうここへ来てはいけない」

そこで目が覚めた。

目を閉じたまま、しばらく今見ていた部屋を思い出していた。

今まで何度も夢の中で行った事のある部屋だ。

でも、夢以外では行ったこともなく、見たこともない部屋。

なぜ同じ部屋の夢を見るのか分からないのだが、たまに忘れた頃に夢の中に出てくる。

そして夢の中に出てくるその部屋は、いつもとても薄暗い。

部屋の中の暗さと同様に、その夢を見ている間も目が覚めてしばらくの間も、なんとなく重苦しい気持ちになっている。

ところが、今日は今までとすこし違っていた。

重苦しい気持ちになったのは、部屋のドアを開けるところまでだった。

部屋に入った途端、次々と灯かりが灯って部屋の中がはっきりと見えると、今まで感じた重苦しさはすっかり消えていた。

そして「もうここへ来てはいけない」と言う声。

温かいその声は、私のために忠告してくれたような気がした。

さて、毎晩のように色々な夢を見ているが、私の場合、どうも日常生活の中でとても気がかりなことがあって、その事に囚われている(執着している)と、地下へと降りていく夢を見るような気がする。

今日見た部屋もしかり、そして時には、暗い洞窟や気味の悪い仏像の並ぶ場所へ行くというのも、これまで何度も繰り返し見る夢だった。

ところがここ最近、そのような場所へ行ってしまいそうになると、周囲がとても明るくなるという夢に変わってきたのが、自分でも不思議だった。

それはもしかしたら・・・

大いなる存在を心から信じられるようになり、そして、いつも一緒にいるという安心感が心の平安をもたらして、見る夢が変わってきたのかもしれないと思う。

ところで、古来から伝承されてきた「いろは歌」の意味というのを最近知った。

いろは歌とは、おなじみの「いろはにほへと」から始まるひらがなの文字こと。

この歌が実は仏陀の教えからきていて、人の人生や生き方を伝えているのだそうだ。

いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせす

色は匂へど 散りぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ

有爲の奥山 今日越えて

淺き夢見じ 醉ひもせず

諸行無常(しょぎょうむじょう) 是生滅法(ぜしょうめっぽう) 生滅滅巳(しょうめつめつい) 寂滅為楽(じゃくめついらく)

人はこの世に生まれてきて、いつまでも若い若いと思っていても、肉体は年齢を重ねてやがてこの世を去らねばならない運命。

若い時には何でも自由にできると思っているけれど、実は何も自分の思い通りにはならない。

人の一生は夢を見ているように、あっという間に終わってしまう。

すべては生じても必ず滅する存在である。

そのどうにもならないという意識や執着を手放し、大いなるものにゆだねた時に、真実のこころの平安と安楽がおとずれる。


日々、自分の出来る限りの努力は惜しまず、やるだけやったら手放して、あとは大いなるものにゆだねることが、心を平安に保つことができる唯一の方法なのではないだろうかと、やっと思えるようになってきた。










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代参犬

2013-07-05 14:14:44 | 日記
昨日は犬の話を書いたが、北海道新聞で面白い記事を見つけた。

江戸時代後半から明治の初めまで、約100年の間に、独りで伊勢神宮に行き、お祓(お札)をもらって帰る犬が何匹もいたという話だった。

最初に伊勢参りをしたのは、現在の京都府宇治市に住んでいた高田善兵衛の飼い犬だった。

一番最初に伊勢参りをした犬のことは、神宮の外宮神主・度会重全によって克明に記録されているそうだ。

「上方から犬が参宮したと町の方で騒いでいる。

毛色は赤と白のまだらで、小さめの雄犬だった。

(門前の)茶店で握り飯を食うと、真一文字に外宮の方へ駆け出し、北御門口から手洗場に行き、ここで水を飲み、本宮に来て、広前で拝礼した。

犬は不浄を食うものなので、神宮に立ち入ることを堅く禁じていたが、犬の様子が尋常ではないため、宮人たちは犬をいたわりお祓を首にくくりつけて放してやった」(明和続後神異記より)

原文では、犬はそのあと4キロほど離れた内宮へも行き、同じように拝礼したとあるそうだ。

明和6年9月に遷宮があり、多数の人が伊勢神宮に参拝をし、奉公人、女、子供、老人などなど、伊勢参りに行けない庶民が親や主人に黙って集団で伊勢に向かう抜け参りが発生した。

その後、大規模な「御蔭参り」になっていくが、犬の参拝はちょうどその頃に起こった出来事とのことだそう。

参拝犬の目撃者は、ほかにもいて、伊勢松阪の商人・森壷仙は「通りに出て待っていると、首っ玉にお祓と銭を付け、所書(住所)も付けてやって来た。その後も毎日二、三匹ばかりずつ通った」と日記に書き残している。

また、山形県の我孫子周蔵も伊勢参宮旅行中に、犬の伊勢参りに遭遇し、参宮日記に「ふしぎ成ル事ハ犬の抜け参り。いくつも行き合わせ申し候」と書いた。

ところが、その後も犬の伊勢参りの目撃情報はあとを絶たず、なんと豚まで参宮したとの記録が残っているそうだ。

(豚の参宮は文化6年に実際にあったという記録が残っている)

福島須賀川、病気の主人の代参。(寛政年間)

飼い主が夢を見て、安房から代参犬(寛政2年)

出羽の犬が、先住を通過。(文化11年)

など・・・

金比羅参りと伊勢参りをすませ、信州北佐久まで帰ってきた犬もいる。

飼い主の知らない間に伊勢参りをすませ、秋田藩の家老一行と一緒に戻ってきた青森県黒石の犬もいるという。

なぜ犬は参宮するのか。

それは人々が「伊勢参りの犬だ」と認識した時から、善意の人々に導かれ、犬は伊勢に向かい始めるのだという。

しかし参宮犬の終焉は、文明開化とともにやってきた。

明治6年4月、東京府は畜犬規則を定め、飼い主の住所氏名を書いた札を下げていない犬は殺すことになった。

そして、最後の参宮犬は明治7年に記録されているそうだ。

東京日本橋の古道具屋が「殺されたらかわいそうだ」と見知らぬ犬に名札をつけてやったところ、なんとこの犬が伊勢参りをすませ、施しの銭とお祓を首に下げて戻ってきたそうだ。

以後、参宮犬は絶え、いつか人々の記憶からも犬の伊勢参りのことは消えてしまったそうだ。

伊勢参り・・・私はまだ行った事がないが、いつか行ってみたい。

何度か計画を立てようとしたが、なかなか思うように進まないので、これはまだ行く時期ではないのかもしれないと勝手に思っている。

いっそ代参犬ならぬ代参鳥(P太郎)を伊勢に向けて飛ばそうかしら・・・なんてね。













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犬が好き

2013-07-04 14:47:28 | 日記
ジョギングをしていると、犬を散歩させている人とすれ違うことがよくある。

この辺りは犬を散歩する人が多い地域で、ペットショップさながらに色々な種類の犬を見ることができる。

犬を散歩している人が前からやってくると、私の目は犬に釘付けになる。

鳥好きを自認している私だが、実は・・・

実は、動物の中で一番好きなのは犬なのだ!

犬を見るや触らずにはいられなくなる。

冷静を装いながら飼い主さんに挨拶をし、何気なく「可愛いワンちゃんですね」と犬の方を見る。

すると、たいていの飼い主さんは笑顔になってくれる。

そこで、こう切り出す。

「触ってもいいですか?」

よほどじゃない限り「いいですよ」と言ってもらえる。

「やった!」

心の中で小躍りしながら、では、では・・・とワンちゃんを撫ぜさせてもらう。

犬の目線までしゃがんで「いい子だね~可愛いね~」と言いながら撫ぜまくると喜んで飛びついてくる。

先日、真っ黒い毛並みの大きな犬を連れている人に会った。

なんという種類の犬か聞くのを忘れたが、とても大きくてまるで熊かと思うくらいだった。

あ~触りたい・・・

犬を連れていたのは怖そうな顔をした中年男性だったが、「触らせてもらっていいですか?」と聞くと「いいよ」と言ってくれた。

とても大きいので中腰になってガシガシ撫でてやると、犬はとても喜んでシッポを振りながら飛びついてきた。

それが物凄く強い力だったので、思わずよろけてしまった。

そして私の足にしがみついたまま、喜んで離れようとしない。

怖くはなかったが、また路上じゃなければ寝転んで一緒に遊びたいくらいだったが、飼い主さんの方が必死に綱を引いて犬を離そうとしてくれた。

あまりにも力があって、なかなか簡単に離れてくれなかったが、飼い主さんが力ずくで引き離してから「こいつは力が強くて、家族では散歩させられないので自分がやっているんです」と教えてくれた。

確かに女性やこども、老人では犬に引きずられてしまうかもしれない。

飼い主さんをヒヤッとさせて申し訳なかったと謝ると、「いや、いいんです」とおっしゃってくれた。

そんなに犬が好きなら自分で飼えばいいのに・・・と思うのだが、家族の反対もあって未だ飼うに至っていない。

・・・というか、犬を飼うという踏ん切りがつかないのは私かもしれない。

昔、犬を飼っていたことがある。

北海道犬とスピッツの雑種で、某携帯電話会社の「お父さん犬」にそっくりな犬だった。(お父さん犬も北海道犬だそう)

気性の荒い犬でしつけがなっていなかったせいもあって、散歩へ連れて行くと必ず他の犬に対して吼えまくり喧嘩を売っていた。

でも家族には忠実で可愛い犬だった。

その飼い犬が死んだのは、当時、家の近くを集団で行動していた野良犬たちに襲われたことが原因だった。

多分うちの犬が喧嘩を売ったのかもしれないが、集団に襲われたので発見したときにはもう虫の息だった。

悲しくて、ずっと泣いていた。

どうして気づいてあげられなかったのかと思うとくやしかった。

可愛がっていたペットを失くす悲しみは、どんな動物でも同じだと思う。

でも私の場合、それが犬となると耐えられる自信がない。

もちろんオカメインコのP太郎がいなくなることも考えたくないけれど・・・

そんなわけで、いつもよそ様のワンコを触らせて頂いているわけです。

現在の我が家のペットはオカメインコのP太郎。



超過保護に育てていて、固くて大きい餌は食べないので、そばにつききりでペンチで殻を割って食べさせている。

「あぁ、めんどくさい。いいクチバシしてるんだから、たまには自分で割って食べてよねっ」とかなんとか言いながら、実はそれも楽しみだったりして。





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父のつぶやき

2013-07-02 13:00:00 | 介護
父のところで、妹と二人であれこれ今後の用意などをしていると、それを見ていた父が急にこんなことを言った。

「しかし、お父さんは幸せだよなぁ」

てっきり娘二人(私と妹)が、いろいろなことをしてあげているので、それに対して「幸せだ」と言ったのかと思いきや違ったらしい・・・

そのあと父は続けてこう言った。

「お金があってよかったよ」

それを聞いた途端、なんだか力が抜けそうになった。

別に父に感謝されたくてやっているわけではなく、娘として当然のことをしているまでだが、お金を持っていたことが幸せだったとは、予想外の言葉でちょっとがっくりだった。

たしかにお金は無いより、有るにこしたことはない。

・・・が、子供がいてくれて幸せだと言ってくれたら、妹も私も嬉しかったのになぁ。

父はずっと元気だったし、幸いなことに年をとっても雇ってくれる会社があったため70代後半まで働いていた。

だから早々に定年退職した同年代の方に比べると、多少の蓄えはあるのかもしれない。

父が言うには、同年代の知り合いに「今度、高齢者住宅へ移る」という話をしたそうだ。

すると、その知り合いは「いいな。俺は金がないから、そんなところへ行きたくても行けない」とおっしゃったとか。

父はよく分かっていないので、お金がある人しか色々なサービスを受けられないと思っているようだったが、まず行政の窓口に相談し、そこで介護認定がされれば、お金がなくてもある程度のサービスは受けられる。

また高齢者住宅なども上を見ればキリがないが、安い金額でも良心的な施設はあると思うので、できるだけ多くの施設を見学に行って探すのがベストだと思う。

しかし、動くこともままならない一人暮らしの高齢者にそこまで出来るだろうか・・・

たぶん高齢者住宅どころか、介護認定のことなども知らないお年寄りが多いのではないだろうか。

父の知り合いの方は、80代でご夫婦で暮らしているが、お子さんはいらっしゃらないそうだ。

また最近、奥様にボケの症状が現れてきたともおっしゃっていたそうだ。

奥様の介護を一人でしながら、家事もやっているなんて本当に大変だろうと思う。

限界がくる前に、そういった制度があることを知らせてあげたいと、父の話を聞いて思っていた。

それにしても、日本の老人介護制度はすばらしいと思う。

お金があろうがなかろうが、この国では老人も、そして障害者もちゃんと生きていくことができる。

父が「幸せだよな」とつぶやいたのは、充実した介護のサービスに対しての言葉でもあったと思う。

さて、時にはため息も出てしまう父のお世話だが、自分があとで後悔したくないということと、育ててくれた父には「幸せだった」と思える最期を迎えてほしいから、出来る限りのことはしてあげようと思う。

だから今、こうして多くの方に助けられて、父が安心した老後を過ごせることには心から感謝です。







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