ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

ネットとのつきあい方

2024-01-31 15:10:26 | 日記

学生時代の友だちで作るラインのグループ内で、誕生日のお祝いメッセージをもらった時、最近困っている些細なことを書いたら、それから数日後に同じ出来事があったという友人からたくさんの情報を教えてもらった。

わかりやすく写真も送られてきて、友人には感謝感謝だった。

こんな時は、ネットで繋がっている便利さを実感する。会わなくても十二分に情報が伝わる。

またネットの便利さを実感したのは、先日の石川県の地震だった。

X(ツイッター)はニセ情報が混ざっているとのことで、特に災害時は気をつけなければいけないが、地震直後から崩れた建物の中からの助けを求める声がたくさんツイートされていた。

それらは消防や警察に救助を要請する電話をかけているが、まったく繋がらないので、ツイートを読んだ方から連絡してほしいとのことだった。

これを受けて各々の地元の消防に通報したとのツイートが相次ぎ、さらに救助されたことがわかると、混乱を招くのでツイートを削除するよう依頼がまわってきていた。

まるでXの中でも必死の救助活動が行われているかのようだった。

この時に倒れてきた建物の下敷きになった家族を助けて欲しいと、必死にツイートされていた方がいらしたが、残念ながらご家族が亡くなったと、後日ニュースを見て涙が止まらなくなった。

もしも自分が被災者で、一刻も早く救助してもらいたいが電話が繋がらないとなった時、私も望みをかけてツイートをするかもしれない。

そこですぐに救助が来なくても、極限状態の時に見知らぬ人たちからの励ましの言葉は、どれほど心強いかと思う。

これはわたし個人の感想なので、災害時の利用には賛否両論があることは十分に承知しているが、例えば災害時にそのような声を拾うことができてニセ情報が入らない仕組みがあるといいなぁと思う。

というわけでネットの便利さばかり書いたが、一方で自分が10代や20代の頃にネットが無くてよかったとも思っている。

ネット内でのイジメや嫌がらせなどは大人になってもあるが、まだ若くて多感な頃なら耐えられない苦痛だろう。

見なければ良いのに気になって見てしまい、さらに不快になるという悪循環、、、若い頃ならきっとそうなっていただろうと思う。

だからスマホやパソコンはとても便利だけど、節度を持ってほどほどに、、が良いのかもしれない。

本を読んでいたら、いいなぁと思うことが書かれていた。孤独だと思っていた頃の自分に読ませたいくらい。

(ネットを検索し続けることについて)誰かとつながっていないと不安に思う気持ちを孤独と勘違いしているのかもしれません。

さみしさからほかの人の価値観に振り回されて、自分と向き合う大切な時間を無駄にするのは本当にもったいないと思います。

だれだって人生で「ひとり」の時間はあります。

今の自分に与えられた条件と受け止め、ひとりの時間に向き合ってみることです。

やがて、ひとりで生きる精神的な強さを持てたとき、さみしさを乗り越え、孤独を受け入れて、人は成熟に向かうのかもしれません。

前田義子さん著作「孤独を受け入れて、人は成熟に向かう」より 

 


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誕生日に想う

2024-01-25 15:13:11 | 日記

朝食の準備をしていたら、一番最初に起きてきた次女から「お誕生日おめでとう。仕事忙しくて何も買ってないけど」と言われた。

そうだった。今日が誕生日だったことを思い出した。

これまで何度も繰り返してきた誕生日だが、63回目ともなるとあまり嬉しくもなくすっかり忘れていた。

でも次女からの言葉は、ぶっきらぼうだけどすごく嬉しかった。

プレゼントなんて無くたって全然かまわない。言葉のプレゼントで十分すぎる。

その後に起きてきた夫は、顔を合わせた途端、いきなりハッピーバースデーの歌を歌ってくれた。

また次に起きてきた長女と一緒にもう一度ハッピーバースデーの歌をうたい、そして踊ってくれた。(大笑い)

その後も長男からおめでとうのメールが届き、さらに32歳の長男が赤ちゃんだった時からのママ友からもメールを頂いた。

そして最後は高校時代の友人たちからのメールで、ここまでくるともう喜びが止まらなくなっていた。

なんて自分は幸せなんだろう。ありがたいありがたいと感謝でいっぱいになった。

実はコロナ禍以降、たまに孤独を感じるようになっていた。

他人とほとんど会わなくなったことから、いつの間にか自分の内へ入って行くようになった。

そこで感じたこと、自分なりにわかったことを誰かに聞いてもらいたいと思った。

でもそれを話す人がいない。

家族であっても理解されず、ましてや共感してもらうなんてことは難しいし、友人なら尚更、この様なことを話題にした時の反応を想像すると、話したいという気持ちはしぼむ。

だから当たり障りのない話題になる。

もっともっと知りたい、わかってくれる人と話したいと思って孤独を感じていた。

こうして自分の心の内を書くことができるブログがあって本当によかったと思う。

でも今は孤独感はほとんど無くなり、自分の内へ入って行くことが楽しくて仕方がない。

内へ入るようになってから、急速に日々いろいろな気づきがある。

自分の内側も「自分」だが、不思議なことに、これまで気づきもしなかったことで新たな気づきがあったりと、目から鱗が落ちることがしばしばある。

そして今、私は孤独では無かったこと、誰もわかってくれないという思い込みは私の傲慢さだったことを思い知らされている。(これもまた気づいたこと)

たとえば家族や友人が誰もいない人であっても決して孤独ではないのだと思う。

それは常に自分の中には大いなるものが存在しているから、耳をすませば的確な気づきをくれる。

さらに大勢の先祖やご縁のある方々が「がんばれよ」と思いながら、じっと見ていてくれるのだと思う。

なんだか最後はまとまりがつかなくなってしまったが、これからも周囲の方々に対して、自分ができることをやっていこうと誓った63回目の誕生日だった、、、ということで強引に終わりたいと思います。

 


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懐かしい写真

2024-01-20 21:49:59 | 日記

朝方に夢を見た。

玄関の呼び鈴が鳴ったので出てみると、数え切れないくらいたくさんの人がいて、その人たちが家に入ってくる夢だった。

夢の中では、その方々は親戚や縁のある方なのだという認識を持っているが、よく知らない顔が多い。

まあいいかとリビングへ戻ると、皆さん思い思いにくつろいでいる。

「お茶を出そう。湯呑み茶碗は足りるかな」と人数を数えているところで目が覚めた。

変な夢だったが、もしかしてこれまで供養してきた先祖の方々がきてくれたのかもしれないと、その日の朝の供養では「ゆっくりくつろいで行ってください」と語りかけた。

ところで夢を見て数日後、妹から一枚の古い写真が送られてきた。

そこにはまだ若い私の両親の姿があり、懐かしい母方の祖父母や叔父や叔母たち、それからよく知らないたくさんの母方の親戚たちが写っていた。

今から六十数年前の両親の結納の時の写真で、父が結納の品を持って母の実家を訪れた時に撮られたようだ。

妹によれば、妹の旦那さんが出張で泊まることになった旅館が、偶然にも母方の親戚がやっている旅館だとわかった。

その旅館が親戚だと知っていた妹から話を聞いた旦那さんが、旅館に着いてから「妻が親戚です」と話したそうだ。

すると母のいとこになる大女将が「子どもの頃に(私の実家に)遊びに行ったことがある」と言って、この古い写真を下さったのだという。

写真に写る旅館の女将だった叔母さんは、すでにこの世にはいない。

あらためて写真を見れば、もうほぼすべての方が亡くなっていると思われた。

宇宙の長さから比べれば、まばたきにも満たないわずか六十数年あまりの間に、大多数の方が逝ってしまうことに人間の寿命の儚さを感じるが、そういう自分もこの先、六十年後は完全にいないだろうし、三十年後だって生きている自信はない。

そんな短い人生を、写真に写る人たちも私たちと同じように悲しんだり喜んだり怒ったりと、色々な想いを持ちながら、さまざまな人生を生きただろうことを思うと「みなさんよく頑張りましたね」という気持ちになった。

人間の一生とは、まるで旅をしているかの様なものだなあと思う。

それは過酷な旅であるのかもしれないが、旅を終えてひとときの休憩をとる場所が霊界と言われる場所であり、その後にはまた新しい旅に出るのかもしれない、、と空想している。

と言うわけで、長らく連絡を取っていなかった親戚から写真をもらったことから、見た夢のことを思い出してしまった。

なんの関連もないのかもしれないけれど、、、

 


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植物との交流

2024-01-14 15:56:33 | 日記

長女と近郊にある温泉に行ってきた。

平日のせいかとても空いていて、露天風呂は入ってくるお客さんはいなくて、ずっと長女と二人きりだった。

その露天風呂の側に2本の大きな松の木が並んで立っている。

いつもは松を眺めながら、じっとお湯に浸かっているのだけど、今回は二人だけだったので、前からやってみたかったことをした。

それは(笑われるかもしれないが)、松の木にご挨拶で手を振ってみて、松が果たして振り返してくれるかどうかを実験してみたかった。

実は植物はとても賢くて、人間の言葉や感情など理解するというのを理学博士の故・三上晃氏が著書で詳しく書かれている。

また世界でも「植物は人間や他の動物のような中枢神経系を持たないが、知能を持つ生物と同様に行動する」「植物には感情がある」など、これまで人間が思っていた植物とは違った見方がされるようになってきた。

さて松さんに手を振って、振り返してくれるのかどうか。

最初は微動だにしなかった松さんが、風呂の中から必死に手を振る、変なおばさんにやっと気づいてくれたようで、急に枝を大きく振り始めた。

やった、嬉しい!と喜んだが、ふと「でもこれって風のせい?」と思った。

でも枝を大きく振ってくれたのは目の前にある松だが、2〜3メートル離れて並んで男湯の方に立つ松の木は微動だにしていない。

ということは、もしかして風のせいではなく、男湯の松さんは私に気づいていないのかもしれない。(私は男湯の松からは見えない位置にいた)

というわけで、男湯の松から見える位置までお湯の中を移動。

さっきは動かなかった松に手を振ると、今度はちゃんと枝を振って応えてくれた。手を振っていない方の松は動かずで、やったーと喜ぶ。

じゃあ今度は二本の松さん同時に手を振ってみようと、両手を振ってみる。

すると「お母さん、さっきから何やってるの?」と長女の声がした。

木に向かって手を振っている母を見て、普段はあまり常識にとらわれない行動をする長女も、さすがにおかしいと思ったようだ。

「これはね、松の木さんにご挨拶をしているんだよ。ほら見て、手を振ると枝を揺らして挨拶を返してくれるよ」

そう言いながら両手を振っていると、思った通り二本の松が一緒に大きく枝を揺らし始めた。

それからは長女も一緒に手を振って松の木にご挨拶。

「松の木も手を振ってくれるね」と長女も大喜びで手を振っていた。

知らない人が見たら、さぞかし変な親子だと思われただろう。

実は植物にご挨拶することは、もうずっと前からやっている。

やってみて手を振り返してくれるのは、比較的大きな木の方が多いように思うが、これはまだ実験不足なので確かなことではない。

ちなみに自宅にたくさんある観葉植物たちは、手を振りかえしてくれることはない。

枝や葉を振るには、やはりある程度の風が必要なのかもしれないと思ったが、ふと思うことがあった。

それは自宅で育てている植物たちは、私が捨てにくくならないようにあえて意思表示をしないのではないか、ということ。

植物はどうしても増えていく。もらってくれる人が居れば良いのだけど、いない時は元気な状態であっても捨てなければならない。

捨てる時は、生きているものを殺してしまう罪悪感で一杯になるが、もし植物から意思表示などあれば、もう絶対に捨てられなくなり、家の中は植物園状態になるだろう。

植物は賢いので、それをちゃんとわかっているのかもしれない。

以上、我ながら何をやってるんだと思うが、、、

ところで植物たちの意思表示は大祝詞にも出てくる。

「語問(ことと)ひし磐根 樹根立 草の片葉をも語(こと)止(や)めて」

( 意訳 )
「言葉を交わしていた岩石や樹木やいっぺんの草の葉までもが沈黙したので」

やはり植物は意思表示ができるのだろう。

ちなみに鉱物(岩石)も言葉を理解して意思の疎通ができると言ったのは、作家の辻麻里子さんで、彼女は石と会話できたそうだ。

 


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本を読んで

2024-01-07 17:35:18 | 日記

少し前にも書いたが、辻麻里子さんの本「22を超えてゆけ」は、初めて読んだ20年前に比べて引っ掛かる部分がとても多い。

引っ掛かるというのは悪い意味ではなくて、自分のアンテナに引っ掛かるという感じ。

「そうそうわかる」とか「やっぱりそうなんだ」など思いながら読んでいる。

読み始めたのが昨年11月で、ニヶ月も経つのにまだ読み終わらないのだが、アンテナに引っ掛かった部分を、何度も読み返しているものだからなかなか進まない。

ところでアンテナに引っ掛かった部分のひとつが、地球人類に関することだった。

たとえば主人公のマヤが「地球人類はもともと一つの言葉を話していたのに、神々の怒りにふれてバラバラの言語を話すようになったのはどうして?」と、境界を守っている存在に質問するのだが、その答えがとても興味深い。

ちなみに元は一つの言葉を話していた人類が神々の怒りにふれて、バラバラの言葉を話すようになったという話は、実際に旧約聖書の中にある。バベルの塔〜世界の言語の分断

それに対する答えだが、存在はこのように教えてくれる。

「一つの惑星に、複数の言語があるのは稀なことです。惑星地球には、様々な星から長い年月をかけて、多種多様の存在が入植してきたということを忘れないで欲しいのです。日夜繰り広げられている民族紛争は、惑星地球の統治権をめぐる権力闘争の名残と言えるでしょう。別々の言語とは、異なる起源を持つ種族が、惑星地球には複数存在しているということも、その要因の一つに数えられます」

様々な星から入植したきた多種多様の存在が人類というのは、現在言われている人類の起源説とは大きく異なるが、その様な可能性もあるのかもしれないと思う。

さらに神々の怒りにふれてバラバラの言語を話すようになったという部分。

これについても存在は答えているが、その前に多種多様な星から送られてきた人類の起源について、物語ではかなりショッキングなことが書かれている。

人類は、もともと奴隷として造られた種族であり、戦闘用、使役用動物として遺伝子操作によって誕生した。

より戦闘的な奴隷は、自らを正当化しようとするあまり他者を抹殺し、その報復によって命を落としていく。

また戦闘的ではない奴隷は、自分のことを棚にあげ冷笑的になり、自分の内側に向かって攻撃を加え、自らの寿命を削ってしまう。

「どちらにしても本来持っている宇宙の民としての寿命をまっとうすることができないように仕組まれています」

そして、神々の怒りにふれて言語がバラバラになったということについては、地球人類の中からも優れた者が現れて、いつの間にか「創造種」の知識を得たことから、「神々」の怒りをかって、人類の脳の左脳と右脳を分断するという操作を行い言葉を混乱させられた、とある。

ところで、本来は人類の脳というのは、不可視領域までアクセスできるそうだが、その事実に気づいた一握りの人類が、民衆の多くはそのことに気づかず、眠っていてもらったほうが操りやすいと考えたことが、現在も惑星地球を覆っている支配構造なのだとか。

また民衆も自らの足で立つよりは、眠っていたほうが楽だと思っていると書かれている。(ただし近い将来、分かれた人類の脳が調和するのかもしれない)

以上、この本は今から約二十年前の2003年に出されたものだが、全てが真実では無いかもしれないが、または私が知らなかっただけかもしれないが、二十年前にこうしたことを書いている人がいたことにとても驚いている。

ところで二十年前といえば、長女の発達の遅れを思い煩ってジタバタしていた頃だったなあ、、と思った。

今は長女のことを思い煩うこともジタバタすることも無くなったのは、長女は長女なりに一生懸命生きていることがわかって、自分は見守るだけでいいとわかったからだと思う。

すべては変わっていく。そして人類は進化し続けている。

最後に主人公マヤの言葉を載せようと思う。

「たしかに私たちは奴隷なのかもしれない。でもぬかるみ(不幸なこと?)を見ることも、星空(希望や明るい未来)を見ることもできるんだ。だから、地球人類を創造してくれた存在には感謝してますよ。(以下略)

だって、この宇宙空間において、自分の肉体を得ること以上に、スゴイことってあると思う?」

 


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年初め

2024-01-03 10:49:09 | 日記

あけましておめでとうございます。

今年のお正月はおめでとうございますという言葉を使いたくないほど、年初めからいろんなことが起きる。

被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

特に能登地方の地震による大きな被害は、居ても立っても居られない気持ちになって、今自分にできることはないのに、ネットやテレビのニュースで被災地の状況をずっと見ていた。

すると、どんどん気持ちが沈んでいく。

どこを探しても心が明るくなるような情報はなく、暗くなる情報ばかりで延々と見続けていたら、そうなるのも当たり前かもしれない。

ところで東日本大震災の時も被災地ではない人たちが、多く精神を病んだと聞いた。

当時、胃腸が丈夫なのが自慢の夫に胃の痛みが続き、何か悪い病気かもしれないと病院へ行ったら「東日本大震災以来、同じ症状の人が多いんですよ。精神的なストレスですね」と医師に言われたそうだ。

この時のことを思い出して、気持ちが暗く沈むほど見続けないようにしようと反省した。

ところで地震発生直後、Xを見ていたら家屋に閉じ込められている方々から救助要請のツイートをたくさん見た。

これらについてはニセモノのツイートも混ざっているので、拡散する時はよほど注意をしなければいけないと聞いたが、このような悲しい状況の中で唯一心が温まったのが、多くの返信のコメントだった。

コメントのツイートは、温かな励ましの言葉で溢れていた。

他人の不幸を我が事のように思って、一緒に悲しんでいる人たちがたくさんいることに、まだまだ日本は大丈夫だと思った。

人も国もこれからどんどん良くなって行くのだろう。

それを見るまで、なんとか生き延びようと思った年初めだった。

 


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