学生時代の友だちで作るラインのグループ内で、誕生日のお祝いメッセージをもらった時、最近困っている些細なことを書いたら、それから数日後に同じ出来事があったという友人からたくさんの情報を教えてもらった。
わかりやすく写真も送られてきて、友人には感謝感謝だった。
こんな時は、ネットで繋がっている便利さを実感する。会わなくても十二分に情報が伝わる。
またネットの便利さを実感したのは、先日の石川県の地震だった。
X(ツイッター)はニセ情報が混ざっているとのことで、特に災害時は気をつけなければいけないが、地震直後から崩れた建物の中からの助けを求める声がたくさんツイートされていた。
それらは消防や警察に救助を要請する電話をかけているが、まったく繋がらないので、ツイートを読んだ方から連絡してほしいとのことだった。
これを受けて各々の地元の消防に通報したとのツイートが相次ぎ、さらに救助されたことがわかると、混乱を招くのでツイートを削除するよう依頼がまわってきていた。
まるでXの中でも必死の救助活動が行われているかのようだった。
この時に倒れてきた建物の下敷きになった家族を助けて欲しいと、必死にツイートされていた方がいらしたが、残念ながらご家族が亡くなったと、後日ニュースを見て涙が止まらなくなった。
もしも自分が被災者で、一刻も早く救助してもらいたいが電話が繋がらないとなった時、私も望みをかけてツイートをするかもしれない。
そこですぐに救助が来なくても、極限状態の時に見知らぬ人たちからの励ましの言葉は、どれほど心強いかと思う。
これはわたし個人の感想なので、災害時の利用には賛否両論があることは十分に承知しているが、例えば災害時にそのような声を拾うことができてニセ情報が入らない仕組みがあるといいなぁと思う。
というわけでネットの便利さばかり書いたが、一方で自分が10代や20代の頃にネットが無くてよかったとも思っている。
ネット内でのイジメや嫌がらせなどは大人になってもあるが、まだ若くて多感な頃なら耐えられない苦痛だろう。
見なければ良いのに気になって見てしまい、さらに不快になるという悪循環、、、若い頃ならきっとそうなっていただろうと思う。
だからスマホやパソコンはとても便利だけど、節度を持ってほどほどに、、が良いのかもしれない。
本を読んでいたら、いいなぁと思うことが書かれていた。孤独だと思っていた頃の自分に読ませたいくらい。
(ネットを検索し続けることについて)誰かとつながっていないと不安に思う気持ちを孤独と勘違いしているのかもしれません。
さみしさからほかの人の価値観に振り回されて、自分と向き合う大切な時間を無駄にするのは本当にもったいないと思います。
だれだって人生で「ひとり」の時間はあります。
今の自分に与えられた条件と受け止め、ひとりの時間に向き合ってみることです。
やがて、ひとりで生きる精神的な強さを持てたとき、さみしさを乗り越え、孤独を受け入れて、人は成熟に向かうのかもしれません。
前田義子さん著作「孤独を受け入れて、人は成熟に向かう」より