ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

こんな時期

2020-02-27 12:35:08 | 日記

お姑さんの四十九日法要が終った。

四十九日が近づくにしたがい、あれほど感じていたお姑さんの気配がどんどん消えて行くような気がしていたが、これでひとまず一区切りがついたかなと思う。

ところで、こんな時期(新型肺炎の流行)なので、高齢の叔父夫婦から「前に肺がんに罹ったこともあることから法要への参加を取りやめる」と連絡をもらった。

お医者をしている息子さんに「今は出歩かない方がいい。家に居なさい」と言われたそうだ。

それはそうだ。不要不急の外出は、できるだけ避けた方がいい。ましてや大病をして高齢ならば尚更だ。

今は、スーパーに買い物に行くと八割くらいのお客さんは、マスクをしている。また出入り口にはアルコールがあるので、欠かさずシュッシュしている。

私はそれほど外出しないからいいのだが、家族は毎日公共機関で出勤しているのでかなり神経質になっていて、次女などは多くの人と会う仕事なので、毎朝体温を測ってから出勤している。

もしも家族が罹ったら私も罹りそうだが、できる限り家族も自分も罹らないように気をつけなければならない。

というわけで、お姑さんの四十九日。

お寺はすでに予約してあるし、四十九日の法要を延期するわけにもいかないので、夫の兄妹たちだけの少ない人数で予定通りに行った。

法要が終り、みんなで食事に行くことになっていたのだが、ひとりの姉が浮かない顔をしていた。

そして「こんな時期だから食事は止めない?」と言った。

それを聞いた夫は、「大丈夫だよ。みんな体調は悪くないだろう?食事くらいで移らないよ」と言った。

姉は何度か「でも、でも」と言っていたが、最後は食事に行くことを了承してくれた。

喪主である夫としては、来てくれた兄妹たちに食事をふるまいたいという気持ちで誘ったのだが、私は姉の浮かない表情がずっと気になっていた。

お店に向かう道すがら、姉と二人になって欠席した叔父夫婦の話をしていた時、「あっ!」と気づいた。

そういえば姉も、前に肺の病を患ったと言っていたことを思い出した。

「お姉さんも肺の病気でしたよね。新型肺炎に罹ったら大変だ」と言ったら、姉が「そうなの。子どもたちから家から出るんじゃないと言われているの」と言い、「でも大丈夫。食事だけだから」と言う。

姉の浮かない表情から大丈夫じゃない気がして、夫に事情を話して食事は止めようと言ったのだが、すでに席は予約してあるとのこと。

また、ここ(店)まで来て止めるというのはどうかと言う。(ならば、もっと早く言えということ・・・)

姉は「大丈夫だから、せっかく来たんだから食事しよう」と言い、他の兄妹も「ここまで来たんだから食事しよう」と言う。

他の兄妹はともかく、当の姉が大丈夫だからと言うのでは仕方がない。(かなり気を使ってそう言ったと思うが・・・)

ということで、他のお客さんとは接触しない個室で食事をした。

今回は、長居はせずに食べたらすぐに解散となったが、前に病気をしたことを気づいてあげられなかった姉には本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。

新型肺炎は、普段健康な人にとっては、それほど恐怖に感じるものではないが、健康に問題のある人にとっては、まさに生きるか死ぬかくらいの恐怖だ。

だから、移らない、移さないようにしなければいけない。

今できることは、不要不急の外出はせず、免疫力を高めるべく食事に気を使い、手洗いとうがいをこまめにすることだろうか。

ところで、現在、市保健所の電話相談窓口がパンク状態になっているそうだ。発熱や咳などの症状がある人向けの専用窓口は、相談件数の6割が症状のない人からの相談だったそうだ。

症状のない人用の窓口があるので、無症状の人はそちらを利用してほしいとのこと。

発熱や咳などの症状のある人は、体調不良の際に119番に電話をすべきかどうか相談する常設の「救急安心センターさっぽろ(011-272-7119 または♯7119)」の利用を呼び掛けている。

これとは別に、症状はなくても感染していないか不安に感じたり、新型肺炎に関する心配がある人向けの専用窓口がある。「新型コロナウイルス一般相談窓口 011-632-4567」

本当に症状がある方が相談できるように、症状のない人は、無症状の人向けの電話相談にかけるのがいいですね。

以上、札幌市在住の人向けの電話相談ですが、それぞれの市町村も同様の相談窓口があるのかもしれません。

 


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梅のふりかけご飯

2020-02-20 13:17:04 | 日記

「明日のお弁当、ご飯に梅のふりかけをかけてね!わかった?」

「何度も言わなくてもわかってるよ。ご飯に梅のふりかけをかけるのね」

今朝の長女のお弁当のご飯には、昨日から長女に何度も念を押されていた梅のふりかけをかけた。

長女は、幼いころから大の梅好きで、特に梅干には目がない。

「うめぼち、もっとほちいよ~」と回らない口で何度もせがまれ、塩分が気になるので「じゃあ二個だけね」と言って食べさせていたものだった。

そんな梅干好きの長女が最近ハマったのが梅干のふりかけで、たまたま行ったスーパーで見つけた。

これがまたしっとりとして梅干の食感が残っていて美味しいらしい。(食べていない私はわからないが・・)

というわけで大好物の梅干ふりかけご飯をお弁当に持って、今朝もはりきって仕事に出かけて行った。

長女を見送ったあと、まだ家にいた夫に「昨日から何度も言ってた梅のふりかけご飯を持って、うれしそうに仕事に行ったよ」と教えたら「そうか、あいつにとっては、梅のふりかけご飯が、今は一番の楽しみなんだな。かわいそうに・・・」と夫が言った。

「かわいそう?かわいそうなんかじゃないよ。そんなささやかな事に喜べる長女はすごく幸せだと思うよ」

夫が長女をかわいそうだと言ったことに違和感を覚えて、思わずそう返したら夫も「そうだな。幸せだな」と納得してくれた。

ほかの兄妹のように出張や旅行でいろんな所に行けなくても、友だちと遊んだり飲みに行ったりできなくても、長女は長女なりに生活を楽しんでいる。

兄や妹の行動が、普通の若者のすることだという価値観で見れば、長女の梅のふりかけご飯やネット動画で音楽を楽しんだりするだけの生活は、かわいそうだと思うかもしれない。

でも、私はそんな長女がうらやましくさえ思う。ささやかなことにも全力で喜べるなんて、まだまだできないから。

幸せを感じるハードルが低いというのは、幸せなことだ。

今日は仕事から帰って来た長女が、真っ先に何を言うのか想像できる。

「今日のお弁当すっごくおいしかったよ」と言うはずだ。

そこで私が「何がおいしかった?」と聞くと、長女は必ず「梅干のふりかけごはん」と言う。

「他には?まだ入ってたでしょ?」と畳みかけると、「う~ん、あとは餃子とかぼちゃと卵とアスパラと・・・」

それって他に入ってたものでしょー!(笑)

ささやかなことにも全力で喜べる長女。

これからは、長女のことを「師匠」と呼ぼうかな。

 

 

 


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楽をする方法

2020-02-18 12:26:41 | 日記

何気なく押し入れを開けたら大きな鳥かごが二つ。なんと、鳥かごの中にはたくさんの鳥たちがいる。

驚いて見ていたら中から鳥たちが出てきた!

シジュウカラくらいの小さな鳥やヒヨドリみたいな鳥がピヨピヨ、ピーピー鳴きながら出てきて私の肩や手にとまる。

あ~しあわせ。鳥がこんなにたくさん身体にとまって、鳥まみれになって、うれしくてウハウハしていたら目が覚めた。

なーんだ夢か・・・このところ毎日のように野鳥観察していたから、こんな夢を見たのだろう。それにしても近年にないくらいの良い夢だったわ。

時計を見ると、午前5時過ぎでちょうど起きなければいけない時間だった。本当は、もう少し夢の続きを見ていたかったが、朝は忙しいのでそんなわけにもいかない。

5時半には起きてくる次女のために、朝ごはんを用意しなければいけない。

それから3人分のお弁当作りと、やることはたくさんある。

ところで、起きてから朝ごはんやお弁当に入れるおかずを一から作っている時間が無いので、いつも作り置きをしている。

ちょうど今朝で作り置きしていた物がなくなったので、家族が出たあとにまた作った。

かぼちゃの煮物、ブロッコリーのゆでたもの、にんじんラぺ、わかめと干しエビの炒め物、塩をまぶしたゆで卵。

ついでに明日の夕食にする予定の豚のかたまり肉をしょうゆ麹に漬けた。これは、さっとしょうゆ麹を落としてオーブンで焼けばいいだけなので、夕食の準備が楽になる。

上の写真の常備菜の他にも、必ず朝食に出すのがキャベツで、大体は千切りキャベツが多いのだが、あまり続くと家族からクレームが来るので、炒めたりコールスローにしたりと味を変えている。

また常備菜もその時々で安かった野菜で作るため、いろいろと変わる。

例えば、かぼちゃの煮物がサツマイモのレモン煮になったり、ブロッコリーがオクラになったり、にんじんラぺがカブの甘酢漬けになったりといった具合。

どれも簡単なものばかりだが、これらが冷蔵庫にあると思うと心強い。

と言っても、昔から作り置きをしていたわけではなくて、前は毎朝ほとんどの料理を一から作っていた。

その頃は、大げさかもしれないが精神的ストレスが大きかった。

目覚ましが鳴っても、まず頭の中で朝ごはんとお弁当の準備のシュミレーションをしてからじゃないと、起きてから冷蔵庫の前で何を作ろう?と悩むため、すぐには起きられなかった。

そして、いざ作り始めても朝ごはん作りとお弁当作りの同時進行は、なかなかシュミレーション通りにはいかないもので思った以上に時間がかかった。

しかし作り置きをするようになってから格段にストレスは減った。

調理の時間は大幅に短縮。しかも今の方が料理の品数もバリエーションも多くなった。

ちなみにお弁当も朝食に出した常備菜を一品入れたり(夏場は痛みやすいので入れないが)、夕食時に小分けにして冷凍しておいた惣菜を入れたりして、あとはメインになるものだけを作れば完成といった感じで、お弁当作りもずっと楽になった。

作り置きをする前は、いろいろな食材を家族に食べさせたいのに、それができない手際の悪い自分に腹を立て、しまいには「なんで毎日、お弁当持っていくの!?」と家族にも腹が立ったが、今はそんなことも無くなった。

適度なストレスは必要と言われるが、あまりストレスが過ぎると、いくら料理が好きでも嫌いになるかもしれず、そうならない為にも自分が楽になる方法を探すのは大切だと思う。

朝食やお弁当作りは楽にできるようになったが、それ以外にも自分がもっと楽に、もっと楽しく生きる方法を、今もまだ模索している最中。

というわけで、今日の楽しい夢の続きが見られるように、また野鳥観察でもしましょか。

 

 


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カーテン

2020-02-14 14:52:21 | 日記

家を建てて15年余り・・・ついにリビングのシェードカーテンのストッパーが壊れてカーテンが上で止まらなくなってしまった。

これで三か所目だ。一か所はカーテンレールを新しいものに交換したし、もう一か所は、横開きのカーテンに作り直した。

しかしまたもや、今度はリビングのシェードカーテンのストッパーが壊れてしまった。

カーテン屋さんに電話をして聞いた所、年数が経っているのでストッパーの部品はなく、やはり新しいカーテンレールに替えるしかないと言われた。

ちなみにシェードカーテンというのは、カーテンによくある横開きで壁にまとめておくタイプではなくて、紐もしくはチェーンを引っ張ると、ぱたぱたとカーテンが折りたたみながら上へあがるというものなのだが、これが壊れやすいということで、そのカーテン屋さんではあまりお客さんに勧めていないのだとか。

(壊れやすいなんて初めて聞いたぞ。うちはほとんどの窓がシェードカーテン)

そうと知っていれば、普通の横開きカーテンにしておいたのに・・・と今頃思ってもあとの祭り。

カーテンが上で止まらないのでは、カーテン閉めっぱなしになってしまうので、仕方なく新しいレールに交換してもらうことにした。

ところで、シェードカーテンにはドラム式とコード式というのがあるのだが、壊れないのはドラム式だそうで値段もドラム式の方が高い。

コード式にしてまた壊れたのでは余計に高くつくかもしれないので、この際壊れていない箇所も全部まとめてドラム式に替えることにした。

ついでに建てた時にレースのカーテンをつけていなくて、ずっと後悔していた窓にもレースのカーテンをつけてもらうことにした。

本当はレースのカーテンを新しくしたい窓は、まだ他にもあったのだけど、なんせ金額がびっくりするほど高額になってしまうので、レースカーテンはまたあとで…という事で、職人さんが二人がかりでドラム式のカーテンレールを取り付けてくれた。

作業中にカーテンのことを伺っていたのだが、カーテンにも寿命というものがあって、西日がよく当たる南西の窓のカーテンがまずダメになるそうだ。

特にレースのカーテンは、値段の高い安いに関係なく5年から10年が取り替え時期なのだそうだ。

それ以上になると生地が裂けてしまうこともあるとかで、たしかにうちの15年目のレースカーテンは洗濯する度に破れがみつかり、最近では怖くてレースのカーテンは洗濯できずにいるくらいだ。

「うちのカーテンは、寿命がとっくに過ぎてますね」と言ったら、「まぁそうですね。でも30年同じカーテンというお宅もありますから、なんとも言えません」とおっしゃった。

厚地のカーテンはとても気に入っているし、まだまだ使えそうなのだけど、問題はレースのカーテンで生地が弱っていてそろそろ替え時かもしれない。

横開きのカーテンは比較的買いやすい価格帯なのだが、シェードカーテンの場合はどうなのだろう。すこし高い気がするが・・・さてどうしたものか。

ということでカーテンは今までと同じものだが、一か所だけ新しいレースのカーテンがついて、それだけでもなんだか部屋の中が明るくなったように感じる。

しかし何と言っても、カーテンが上でしっかり止まっていてくれるのが嬉しい。

今までのように毎朝カーテンを開ける時「今日はどうかカーテンが止まってくれますように」と、祈りにも近い想いでカーテンを開けなくて済むと思っただけですっきりする。

嬉しくてずっとチェーンを引っ張って、カーテンを上げたり下げたりしてしまった。(子どもか~)

これから家を建てる方、シェードカーテンは一か所か二か所くらいにして普通の横開きカーテンにすることをおススメします。(横開きカーテンにしておけばよかったと後悔している経験者より)

 

 


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野鳥を見ながら

2020-02-10 13:06:58 | 日記

雪が少ないと言っていた翌日から大雪が続き、ここ数日間で例年通りの積雪量になった。

こうして大雪が降ると、いつも以上に野鳥たちが庭のエサ台に来る回数が増える。

やはり森の中の食べ物も少なくなっているのだろう。

いつも来る鳥は大体決まっていて、りんごを置いているせいか、果物を好んで食べるヒヨドリが多くやって来る。

この辺りには10羽くらいのヒヨドリが集団で飛ぶ姿がよく目撃されるのだけど、その中の一羽か二羽(つがい?)が、我が家の常連さんのような気がしている。

気がしている…と言うのは、10羽のヒヨドリたちの見分けがつかないので、もしかしたら10羽が代わる代わる来ているということも考えられるが、いつも一羽か二羽がりんごを置くのを近くの木に止まって待っているので、たぶん同じ鳥なのではないかと思う。

そして、今朝も待っていました。赤丸の部分に注目。向こう側を向いて知らないふりをしていますが、実はりんごをエサ台に置くのをしっかり見ている。

そんなわけで外で鳥を見ていたら、ご近所さんに会った。

挨拶を交わして少し世間話をしたのだが、なんと雪が融けたら山を少々開拓して畑を作ろうと思っているのだとか。

その準備として、昨年から山に入って雑草を刈ったりしていたそうだ。

山の所有者は市(多分)なので、無断で開墾していいものかと心配になるが、自宅の庭から続いている土地をほんの少し畑にするくらいなので大丈夫だろう。

山の木が自宅敷地内にまで枝を伸ばしてくるので、きれいにしてもらった方が、近所に住んでいる者としてもありがたい。

ところで最近、ご近所でも家庭菜園をしている方を多く見かける。

それも家庭菜園なんていうレベルじゃなくて、プロ並みの野菜を作られている方もいる。

昨年は自力で庭に建てたと言うビニールハウスで採れた春菊を頂いたのだが、サラダにして生で食べたら柔らかくてとても美味しかった。

買ってきた野菜くらい見事に育った春菊も驚いたが、なにより自力でビニールハウスを建てちゃったというのにも驚かされる。

もちろんプロの農家さんではなく、ご主人は普通のサラリーマンで、毎朝スーツ姿で通勤している。

以前東北を旅行している時に、道端に「たがやせ!日本」という立て看板があって「なんていいスローガンなの」と思った記憶があるのだが、まさにご近所さんは「たがやせ!日本」を実践しているではないの~

私も野鳥にあげるりんごくらい自分で作りたい・・・なんて思ったりして。(ちなみに前の家ではりんごの木があったが、引っ越してきてからは植えていない)

ところで話は変わるが、刑務所でも受刑者に農作業をしてもらって、出所後の就農に結びつけるということが、全国初のモデル事業として帯広刑務所で始まったという記事を新聞で見つけた。

帯広刑務所は市内に二か所の農場を持ち、高さ4メートルの金属付きフェンスのある農場は全国で初めてだそうだ。

道内のほかの刑務所にも農場はあるが、フェンスはなく模範的受刑者しか作業をさせられないということで、今まで有効活用がされていなかったそうだ。

帯広刑務所で現在受け入れている30代の男性受刑者は、窃盗などを繰り返して、服役はもう5回目だそうだが、今回、農業を希望して東京から移送されてきたそうだ。

「帯広での農作業はやりがいがあり、自主性や協調性も身に付く。必ず更生して農業関係の仕事に就きたい」と語っているそうだ。

がんばってほしいと心から思う。

というわけで、なんだかとりとめもない話になってしまいました。(いつもか・・・)

おしまい。

 


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重なり合う世界

2020-02-07 15:03:25 | 日記

お姑さんが亡くなって、もうすぐ一ケ月。

その間、家の中でお姑さんの気配を感じることが幾度となくあった。(今もだが)

手続きに必要なお姑さんの戸籍を取り寄せた時のことだった。

夫「これは、ばあちゃんが生れた時からの戸籍だ。ここに書いてある村は、今はもう存在していないよな。たしか合併したんだ」

今はもう無い村の住所が書かれたお姑さんの戸籍には、私が会ったことも無いお姑さんの両親の名前も書かれていた。

夫と戸籍を見ながら話していたら、突然お姑さんの匂いが漂ってきた。

タンスの中のショウノウと少々のカビの匂い。

これは、お姑さんの衣服など、お姑さんのほとんどの持ち物からしていた香りだ。

二階にある私たちの部屋では、絶対にしない匂い。

思わず、夫が手に持っていた書類を取って鼻に近づけた。当然だが、書類からは紙の匂いだけでお姑さんの匂いはしなかった。

近くにお姑さんの持ち物がないか確認してみたが、それらしきものは見当らない。

でも、確かに周囲には匂いがしている。

びっくりしている夫に「今、おばあちゃんの匂いがしていない?」と聞くと、鼻をくんくんさせて「いや、べつに」と夫が言った。

かすかに香っているなんてもんじゃなくて、こんなにはっきりとした匂いなのに・・・

「自分は近視で目が悪い分、鼻はいい。どんなかすかな匂いでもわかる」なんていつも自慢している夫が、なぜわからないのか不思議になるくらいはっきりとした匂いがしばらく漂っていた。

もしかしたら、お姑さんは自分の生まれた頃からの戸籍が見たくて近くにいるのかもしれない。そう思ったら、戸籍書類をのぞき込んでいるお姑さんの姿が目に浮かんだ。

これが、お姑さんを家の中で感じた最初だった。

その後もお姑さんの遺骨が置かれた祭壇に手を合わせていたら、風もないのに祭壇横に置かれた紙袋がカサカサと音を立て、ふと目をやると肉眼では誰もいない祭壇横に、お姑さんがこちらを向いて正座している姿が見えた。

この時はお姑さんに(心の中で)語りかけていたのだが、ちゃんと聞いてくれているのだなと思った。

そしてまた別の日には、生前お姑さんがよくそうしていたように、玄関ホールに立って窓の外を見ているお姑さんの姿があった。

この時は、肉眼でも薄暗い玄関ホールに白い人影が見えたが、私が階段を下りていくと、白い人影はお姑さんの部屋だった和室にすっと入って行った。

このようなことがしばしばあることから、よく言われるようにやはり亡くなった方は四十九日までは自宅にいるのだという想いを深くしている。

しかし自宅にいるのだとしたら、お姑さんは家で何をしているのだろうか。

こうして家の中でお姑さんの存在をありありと感じる時もあれば、どこかへお出かけしてるんじゃないかと思うほど、まったくその存在を感じない時もある。きっと自宅にいるだけではなく、いろいろな所に出かけているのだろう・・・

いつもいつも存在を感じるのは、正直きついと思う。いつも感じていたら頭がおかしくなりそうなので、時々出かけてくれるくらいが丁度いい。(あら生きていた頃と同じだ~)

ところで四十九日までの間、亡くなった方は、これまでの人生を振り返っていると聞く。生前自分のした良いことも悪いことも余すことなく全て見せられているのだそうだ。

これは、怖いことだ。忘れていたようなことまではっきりと見せられて、果たして正気でいられるだろうか。

私ならば恥ずかしさやら後悔やらで、顔を覆いたくなるようなありとあらゆる感情に襲われるかもしれない。

それを思うと、やはり良心に沿った生活をしようと心から思う。

そして、こうして人生を振り返っている以外にも、生前いつも玄関に立って外を眺めていたように、生きていた頃と同じ生活を亡くなっても四十九日まではしているようだ。

果たして、その時間関係はどうなっているのだろうと思う。

過去に行ったり、現在に戻ったりしているのだろうか。

いや、そもそも亡くなったらこの世の時間は関係ないのだろう。

そしてお姑さんのいる世界とこの世は、一部は重なり合う非常に近い所にあるのだと思う。

だから重なり合った時に見たり感じたりするのかな。

ところでお姑さんの祭壇に手を合わせる時、いつも言う言葉がある。

それは「四十九日まで、うちでゆっくりして下さいね」ということ。

高齢者住宅に入居してからずっと家に帰っていなかったから、家でゆっくりしてほしいと思う。

お姑さんの四十九日は今月下旬。

そろそろ祭壇にお供えするお花を注文しようと思う。

 

 

 


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冬の散歩

2020-02-03 15:22:55 | 日記

長女の仕事が休みだったので、家の近くのポストに郵便物を出しに行くついでに二人で散歩をすることにした。

今日の気温は氷点下。粉雪が降っていたが、吹雪じゃないのでこれくらいなら大丈夫。

長女に聞くと「散歩に行きたい」と言うので、寒くないようにがっちりまかなって(もしや方言?着込んで・・という意味です)出かけた。

ポストに郵便を出してから、もうすこし歩きたいので山の方へ行くことにした。

例年ならば雪が深くて行くことが無理な場所だが、今年は雪が少ないので歩けるだろう。

山の入口からは、人が歩いた跡が道になっているのが見えた。

普段は熊が怖いので一人では行かないのだが、今日は娘と二人なので大声で話しながら歩けば大丈夫だろうと思って入った。

上の写真のようにわりと歩きやすい道が続いていたのだが、途中から道が無くなってきた。

確かに一人か二人ほどの足跡は残っているのだが、道になっていないので歩きにくいことこの上ない。

この山は、住宅地に近いので奥地に入り込まない限り、道に迷うとか雪崩に遭うといった危険はない。

ただいつだったか、家の中であまりにヘリコプターの音がうるさいので二階のベランダに出て見たら、乗っている人と目が合うくらいの至近距離に飛びながら止まっているヘリがいて驚いたことがあった。

目の前にヘリコプターがいるというのは、生まれて初めての経験だった。

あとでわかったのだが、山岳救助隊のヘリで山菜取りで山に入って行方不明になった人の捜索をしていたそうだ。

「なめたらあかん、なめたらあかん~♪」

山道を歩きながら、のど飴のコマーシャルソングがずっと頭の中を流れていた。

戻れ、戻れという警報音が鳴っている気がした。

これ以上行くのは大変ということで、途中で引き返すことにしたのだが、来た道を戻るより山を抜けた方が、家へ帰るのは断然早い。

しかし山を抜けるには、雪のない季節と違って道なき道を歩かなければいけない。

「家に帰るには山を行った方が早いけど道が無いから、遠くなるけど来た道を戻ろうか?」と長女に聞くと、一刻も早く家に帰りたい長女は「山を通って帰る」と言う。(どうやらこの時、長女はトイレに行きたかったそうだ・・・)

そこで道なき道を歩き雪山をよじ登って家に向かったのだが、これが想像以上に大変だった。

もうこの時点で、すでに散歩ではなくて登山になっていた。

雪山には野生動物の足跡しかなく、その上を歩くとずぶずぶと雪の中に足が埋まる。

歩くのもままならず、両手も使って四つん這いになって進んだりしたのだが、先月59歳になったばかりの身体には結構きつい。途中で息が上がってくる。

すると、後ろにいた長女が背中を支えてくれながら「大丈夫?」と気遣ってくれてうれしかった。

さほど息も上がっていない長女に「先に行っていいよ」と言うと、長女は軽々と雪の上を歩き、あっという間に姿が見えなくなった。

なんという身軽さ、そして驚きの体力。

長女は小さい頃から病弱ですぐに熱を出していた。発熱して意識不明になり救急車で運ばれたこともある。

小さい頃からずっと、そしてこれから先も、私と夫が元気なうちは長女を支えて守って行かなければいけないと思っていたが、いつの間にか支えてもらう側になっていることを気づかされる。

やっと家が見えてきて、私を待っていてくれた長女が、最後の雪山をひょいと乗り越えて行ったのが見えた。

この雪山を登ればもう家・・・最後に雪山に手をかけてひょいと乗り越える予定だったのだが・・・えっ?えっ?おかしい、登れない~~

大声で長女を呼び戻すと、手を引っ張ってもらってようやく乗り越えることができた。

「なめたらあかん、なめたらあかん~♪」

冬の散歩コースは、よく考えてから行くべきと心から思いました。

 

 

 


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