ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

自分の機嫌

2018-12-31 15:47:42 | 日記
お正月を前にして、離れて暮らしていた家族が帰って来た。

家にいる間くらい美味しくて栄養のあるものを食べさせたいと、毎日料理作りに明け暮れている。

日頃の野菜不足を補うように、野菜中心の献立にしているが、お正月用の料理作りも加わると徐々に疲れが出て来た。

そんな時、家族に「映画でも観に行かない?」と言われた。

いつもなら「まだ家事が残っているから行かない」と断ることが多かったのだが、今回は「行く行く」と答えた。

クイーンのファンではなかったが、話題になっている映画「ボヘミアンラプソディ」を観たいと思っていた。

やるべき家事はまだ残っていたが、家事と映画のどちらを選びたいのかと自問したら、迷うことなく「映画」に軍配があがった。

映画はもちろん面白かったし、昼食に食べたハンバーガーとフライドオニオンとコーラが美味しかった。

ハンバーガーはめったに食べないけど、たまに食べると美味しい。
特にフライドオニオンはもっと食べたいくらいに美味しかった。

家事ではなく、映画を選んで大正解だった。

最近になって、常に「今、自分がやりたいことは何か?」を自分自身に問うようになった。

けっして大それたことではなく、ほんとうに些細なことばかりで、例えば「今トイレ掃除をしたいのか?玄関の掃除をしたいのか?」とか「散歩に行きたいのか?それともピアノを弾きたいのか?」とか・・・

つまらないことだが、こうして意識してみると、日常生活の中で私たちは「どちらにするべきか?」という選択を迫られていることが多い。

もちろん真っ先にやらなければいけない事というのもあるが、それは私の中では「(真っ先に)やりたいこと」になる。

たまに「どうしようかなぁ。やりたい気持ちはあるけれど、なんとなくやりたくない気持ちがする」ということもある。

このような時、なんとなくやりたくないという気持ちを無視して強行した場合、大抵あとから「やっぱりやらなければよかった」と思うことになる。

これは何度も実験してみた結果、そうなる確率が高かったので、今は少しでも「やりたくないなぁ」と思う時は取りやめたり、「やりたい」と思う時間にずらしたりするようにしている。

こうして自分が「やりたい」ことを優先するようにしたら、自分がいつもうきうきとした気分でいられるようになった。

昔、好きで何度も読んだ茨木のりこさんの詩集の中に「自分の機嫌くらい自分で取れよ、ばかものめ」という一節があって、その頃、落ち込んだりするといつも頭に浮かんでいたのだが、先日読み返したら、間違って覚えていたことが判明した。

自分の機嫌くらいではなくて、自分の感受性くらいの間違いだった。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


今読み返すと、茨木さんの自分自身に対するいら立ちのようなものが伝わってくる。

当時の私もやはり自分自身に対していら立ちがあったのかもしれない。

だから、この詩は私の心に響いた。

今あらためて読み返してみて、自分の心に変化があったように、この詩に対する想いも変わった。

そんなに肩に力を入れなくてもいいんだよ。

自分の好きな事、やりたいことを選べばいいんだよ。

当時の私にそう言ってあげたい。

今年も一年、拙いブログ記事を読んで頂きましてありがとうございました。

皆様にとって、来年が良い年になりますように。




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幸せな一日

2018-12-26 16:29:00 | 日記
年の瀬になり、新しいお札を頂きに相馬神社と氏神様へ行ってきた。

神社へ行こうと決めてから、ずっと心が弾んでいた。

特に相馬神社へ行けることが嬉しくて仕方がなかった。

なぜこんなにも相馬神社に心惹かれるのか分からないが、相馬神社へ行けると思っただけで嬉しくなる。

雪の無い時であれば自分で運転して行くのだが、冬は自信がないので夫に連れて行ってもらわなければならなかった。

11月からずっと「いつ神社へ行く?」と聞いていたのだが、そのたびに夫から「まだ早い」と言われていた。

それでも待ちきれず週末になると「いつ行く?」と聞き「まだ」と断られ、またしつこく「いつ行くの?」と聞いていた。

しかし、やっと行けることになった!

子供の頃、両親に遊園地に連れて行ってもらうことを約束して、今か今かと楽しみに待ち続け、ついに行くことになった時も嬉しかったが、あの時に勝るとも劣らないほどの嬉しさかもしれない。

さて、やっと神社へ行くことになり玄関を出たら、ちょうど犬を散歩中の女性が家の前を通りかかる所だった。

鍵を閉めて振り返った時に、女性の連れていた犬と目があった。

目があった途端、犬は(喜んで?)私の方に駆け寄ろうとした。

飼い主さんは慌ててリードを引いて犬を止めたのだが、犬好きの私の方が止まらなかった。

(ワンちゃんをさわりたーい!!)

飼い主さんに「触ってもいいですか?」と目で合図を送ると、飼い主さんは犬を私のそばまで連れてきてくれた。

小型犬だったのだが、はしゃぎすぎてハチャメチャになりながら、しゃがんだ私の膝に乗って来た。
それがもう可愛くて可愛くて・・・

神社には行けるし、ワンコとも遊べるしで、今日はなんていい日なのだろうと思った。

しばし私がワンコと遊んでいる間、にこにこと見守って下さった飼い主さんとすでにエンジンをかけた車の中で待っていてくれた夫にお礼を言った。

さて、念願かなって着いた相馬神社は、すでに何人かの方が急こう配の参道を登って行くところだった。

この日は、雪が固くて道が滑る状態だったので、みなさん参道の脇に張られたロープにつかまりながらゆっくりと登っていた。

ちなみに参道は徒歩で登る坂道の他に、車で登れる道もある。

路面が滑りそうな時は、そちらを利用された方がよいと思う。


相馬神社のご神木。樹齢300年以上経った栗の木だそう。



実は、ここは先日あったスプレー缶爆発現場から近い。

あのような凄まじい爆発だったにもかかわらず死者が一人も出なかったことに感謝をし、また生かされていることに感謝をした。

ところで参拝を終えて、なんとなく神社の雰囲気が変わっているような気がした。

今までここに来て毎回感じていたのは、人を寄せ付けないような厳しさだったが、今回感じたのは優しさだった。
厳しさもあるが、前よりもずっと優しさがある。
なぜなのだろう。気のせい?

参拝の後、新しいお札を頂くために社務所に行った。

社務所のベルを鳴らして入って行くと、奥の部屋から真っ先に小さな男の子が飛び出して来た。

神社関係者のお子さんだと思うが、大きな目がキラキラして、笑顔がとても可愛らしい。

年は1歳くらいだろうか。

その子を見て、あっと思った。

11月に見た夢に出て来た小さな男の子。

とても可愛い子だったのに、どうしても顔だけが思い出せなかった。

そういえば、こんな顔をした男の子だったと思い出した。

目の前でにこにこしている男の子の顔を見ているだけで、こちらまで笑顔になる。

ずっと見ていたいくらいの可愛らしさだったが、バイバイと手を振る男の子に見送られて社務所をあとにした。

幼子も動物も、どうしてこんなに人を笑顔にするのだろう。

さて帰り道、今度はつるつるに滑る参道を降りて行かなければならない。

もらったばかりのお札は汚さないように、生まれたての赤ちゃんや大切な動物を抱いているような気持ちになりながら、両手でしっかりと胸に抱いて降りて来た。

幸せな一日だった。







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鎖(くさり)

2018-12-19 15:58:39 | 日記
かれこれ1か月近く、高齢者住宅に入った義母に会いに行っていない。

それまでは、夫と一緒に一週間に1~2度は行っていたのだけど、私は今後しばらく会いに行くのを止めることを夫に告げた。

理由は、義母が物が無くなるのは私のせいだと思っているからで、そう思っているのに会うことは、義母と私の双方にとってよろしくないことだと思ったから。

義母は物が無くなることを腹立たしく思っているのかどうかは知らないが、私に関して言えば、疑われていると分かっただけで腹が立った。

なぜ、こんなに腹が立つのだろうかと冷静になって考えてみると、盗っていないものを盗ったと思われることに対しても当然あるのだが、それ以上の理由が自分の中にあることに気づいた。

それは、義母が好きだったから・・・

前にも書いたかもしれないが、私は根底では義母を嫌っていなかった。

一緒に生活していた時も、別々に暮らしていた時も、些細な出来事で「まったくもぉー!プンプン」と思うことは多々あったが、それで心底「嫌いだ」と思ったことはない。

むしろ出来ることなら、本当の母娘のように仲良くなりたいと思っていた。
夫と結婚してから、ずっとそう思っていた。

しかし、それは私の片想いで、義母には息子の嫁さん以上の存在には思えなかったのだと思う。

いや、むしろ可愛い息子を盗った恋敵くらいに思ったのかもしれない。

もう60に手が届く夫のことを「小さい頃は、本当に可愛くて可愛くて」と言う話をたびたび聞かされていた。
(夫は、その話が始まるとあからさまに嫌な顔をして話を中断させたが・・・)

女の子が二人続いた後の待望の男の子、よほど息子が可愛かったのだろうと思う。

また二人の娘がいて、私を実の娘のように思わなくても、それで十分だっただろう。

「自分の子じゃないしね」と他の人に話すのを聞いて、腹立たしい以上に悲しくなった憶えがあるが、それはきっと義母の中で今でもあると思う。

「それならそれでいいわ。こちらもよそのおばさんだと思っているから」と心の中で思ったものだったが、心の底から他人だとは思えなかったのだと今更のように思っている。

好きだから尚更、自分の思うような態度が返ってこないのが腹立たしいのだ。

別になんとも思っていない人なら、こんなに腹立たしくはならない。
「ボケが進んだわねー」で終わる。

しかし、会わなくなって、こうして自分の心の中を冷静に見ることができるようになってきた今、義母に対する執着心が消えて来たと思う。

思い出すこともあまりないのだが、たまに思い出しても腹も立たず、ただそういう事があったと思うだけで何も感じない。

それは、私の世界から義母が徐々に消えて来たから。

会わない時間が義母の存在を消し始めている。

もちろん嫁として、義母の介護のお手伝いはする。

今は夫が一人で会いに行っているが、行くたびに色々な問題が起きていることに遭遇している。

例えば、物が無い、誰かが部屋に入って盗んで行くというのは、今も変わらないようだが、話を聞く限りすべてがすべて義母が自分でどこかへ隠したとは言い切れないような気もする。

だから、持ち物に名前を書くように夫に伝えた。

下着類にもタオルにも、ハンドクリームにも、バックにも、とにかく無くなるという物には全部名前を書く。

これは父の入所していた施設では当たり前にやっていたことだが、義母の施設では特に言われていない。
しかし、これは必須だと思う。

あとは、些細な事でも気になることはケアマネージャーさんや職員さんに伝えることだ。
情報を共有しておくことは大切だと、父の時の経験から思う。

夫は仕事もあるので、そのような細かいことまでやらせるのは忍びなく、思わず「私がやろうか?」と言いそうになるが、その言葉は飲み込む。

あくまでも私は裏方に徹することにした。

それにしても義母と会わなくなってから、非常に心が軽くなった。

太くて重たく鎖のような執着が、ひとつ外れたかなと感じている。







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口紅

2018-12-17 15:21:50 | 日記
久しぶりに夫と買い物へ出かけた。

音楽好きな夫がCDを選んでいる間、私はひとりでぶらぶらと化粧品コーナーを見て歩いていた。

特に欲しいものがあったわけではない。

売り場の照明の下、キラキラと輝くような化粧品を見てみたかっただけだが、すぐに美容部員の女性に声をかけられた。

「何かお探しですか?」
ビシッとお化粧して美しい人。

「いえ、見ていただけです」と言うと、「そうですか。ごゆっくりご覧ください。何かありましたら、お声をかけてくださいね」とにこやかに言っていなくなった。

美容部員さんに声をかけられて思い出した。

そういえば今の自分に似合う口紅の色を教えてもらいたいと、ずっと思っていたのだった。

いつもは美容部員さんのいない売り場で口紅を買っていたので、その時々で自分の好きな色を選んでいた。

特にそれで不満は無かったが、一度くらい美容部員さんに見てもらって似合う色を提案してもらいたいと思っていたのだった。

そこで、先ほどの美容部員さんに声をかけると、「どうぞこちらへ」と鏡の前に案内された。

「似合う色の口紅が知りたい」と言うと、タブレットを取り出して写真撮影をされた。

今は、写真に撮った肌や目の色から似合う色を探してくれるそうだ。

そこから私に似合う色の口紅を何本かピックアップして試し塗をしてもらった。

照明のせいか、おススメしてもらった口紅はなかなかよい。

最近乾燥する為、何度リップクリームを塗っても、すぐにガサガサになる唇が、口紅を塗っただけでつやつやのプルプルに見えた!

喜んでいる私を見て、美容部員さんは「じゃあ、他もお似合いの色でメイクしますね」と言って、フルメイクをしてもらった。

いつも自己流で描いている眉の書き方を教えてもらい、筆を使ったお化粧の仕方を教わっているうちにあっという間に時間は過ぎた。

買い物を終えた夫から「どこにいる?」と電話が来てしまったので、メイクの話を切り上げて、とりあえずは気に入った口紅を購入することにした。

いつも使っている口紅よりずっと高かったのだけど、メイク法などを教えてもらったし、何より気に入ったので買った。

代金を支払いながら口紅一本でウキウキ気分になれるなら安いものだわと、自分に言い聞かせた。

というか、本当にそう思った。

あとで合流した夫からも「いいんじゃない」と嬉しそう?に言ってもらったので、買ってよかったと思う。

ところで、年齢を重ねた美しさというものは確かにあると思う。

某女優さんが歳を取って自分の顔にできたシワを触りながら「こんなにシワが深くなって・・・これがいいのよ。みんなこのシワを一生懸命伸ばそう伸ばそうとするけど、もったいない。せっかくできたのに」とおっしゃっていたのを見た時には、そういうとらえ方もできるのかと感動したのだが、それはいつも身ぎれいにしているということが前提条件になると思う。

若い時は男も女も何をせずとも若さだけで美しいと思えるが、ある程度の年齢になるとそうはいかない。

歳を重ねるにつれて、自分自身のために、おしゃれには、よりいっそう気を使わなければいけないのだろうと思う。

鏡を見ながら、買った口紅をつけ、教えてもらったやり方で眉を描きながらメイクしていると、メイクをし始めたばかりの若かりし頃の「メイクが楽しい」という気持ちがよみがえってきた。









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好きなことをする

2018-12-12 16:58:03 | 日記
毎日寒い。ずっと最高気温は氷点下のままで上がらない。

エルニーニョはどうしたのか?暖冬のはずではなかったのか?

先日、温泉に行って露天風呂に入っていたら、頭の上に乗せていたタオルがカチカチに凍って一枚の板になっていた。

今は雪が積もり路面がつるつるなので、よほどのことがない限りは車の運転はしないようにしている。

なんだか年々、冬道の運転がビビりになってきて、過去につるつる路面で止まれずに焦ったことやまさかの一回転したことなどが、まるで昨日のことのように思い出されて、冬道を運転するのがすごく怖い。

昔は、そんなことも思わずに冬道だろうがなんだろうが運転していたのだけど、やはり歳だろうか。

車に乗らないとなると、外出は徒歩になるのだが、なんせ外は濡れタオルも板になる氷点下。

寒い時は、暖かいお家の中にいるのが一番。

というわけで、用事がない限りは家の中で過ごす毎日で、「家の中で何してるの?ひまじゃない?」とたまに聞かれるが、とんでもない。

やりたいことはたくさんある。

まず掃除。
これは私の趣味なので毎日かかせない。

そして、食事作り。
日常生活のおかずもそうだが、常備菜やお菓子など新しいメニューに挑戦してみるのが楽しい。(失敗も多いけど)

それから読書。
子供の頃から本を読むのが好きだった。
読みたい本が山積みになっているともう幸せで、まだこんなに読む本があると思っただけでワクワクする。

野鳥観察もやりたいこと。
そうそう、前に写真で紹介した可愛いシマエナガたちが、また来るようになった。
いつも5羽ほどでやってきて、家の前にある大きな木にぶら下がって木の実を食べている。
スズメよりもやや小さく、動きがとても速いため、なかなか写真を撮ることは難しいが、見ているだけでも楽しい。毎日来るのを楽しみにしている。

そして、もうひとつはピアノ。
9月の地震でピアノも動いてしまったので、これを機に業者さんに頼んでピアノの場所を変えたのだが、今度置いた場所は、以前あった場所よりとても弾きやすくなった。
通りがかったついでに、ピアノを弾こうと思える所なので、以前よりずっとピアノを弾くようになった。
久しぶりにピアノを弾くと、やっぱり楽しい。
ひとりで好きな曲を弾いていると時間を忘れる。

ほかにもこうしてパソコンで文章を書くこともしたいし、ストレッチとスクワットもやりたい。

そんなことをやっていたら時間は足りなりくらいだ。

ところで、ここまで書いてきてふと気が付いたのは、好きな事はすべて子供の頃も好きだったということだ。

ストレッチとスクワットは健康のためにやっているので、これは子供の頃はやっていなかったが、それ以外はすべて好きな事だったし、もちろん今も好きな事だ。

掃除は以前書いたとおりだが、料理は、小学校の頃、仲良しの友だちとおやつの新メニュー開発と称して、家にある牛乳や卵で怪しげなものを作って食べるのが楽しかった。
たしか手書きでメニュー帳も作っていた。

野鳥に限らず動物は蛇以外なら何でも好きなのだが、子供の頃、外遊びをしていて弱っている野鳥を見つけると、家に連れ帰って元気にしてから放していた。
あれっ、これは春に保護したスズメのコロンちゃんと同じ。やっぱり同じことをやっている(笑)

子供の頃から習ったピアノも電子オルガンも好き。
短大の頃、友だちがやっていたバンドにキーボードで入らない?と誘われたのだが、当時は他にやりたいことがあったので断ってしまったが、今になってバンド活動いいなーと思う。
「おばさんバンド」作りたい・・・

文章は、学校の作文はまったくダメだったが、文章を書くのは好きだったので、自作の物語を書き、挿絵も自分で書いて、本もどきを作って遊んでいたのが、やはり小学生の時だった。

こうして振り返っても、好きな事って大人になってもあまり変わらないものなのだなあと思う。

好きなことは、毎日できるだけたくさんやったほうがいい。

好きな事をしていると、心が元気になる。

ウキウキしてくる。







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エルニーニョの続き

2018-12-11 12:04:39 | 日記
先日の記事「エルニーニョ」で夢に三日連続で同じ男の子が現れた話を書いたが、実はそのあとに続きがあった。

可愛らしい男の子が徐々に成長する夢を見た後、記憶が曖昧ではっきりとした日は思い出せないのだが、多分その一日か二日後、つまりほとんど日をあけずにまた夢を見た。

このようなことを書くと、頭がおかしいのではないかと思われるだろうし、単なる夢で片付けられることでもあるので、書こうか書かないか迷ったのだが、やはり書くべきだという想いが強いので書くことにしました。

今度の夢に現れたのは動物のような人のような、そして大人のような子供のような、不思議な生き物だった。

服は着ておらず、手足が長く、身体には毛というものがなく、身体は小さいのだが頭部は身体に似合わないくらい大きい。

気持が悪いのは、その肌の色で、全体に薄緑がかっていて身体中にあざの様な斑点が浮き出ている。

私は実際には見たことが無いが、もしかして死斑というのはこのようなものを言うのだろうかと夢の中で思っていた。

その生き物は私の中に入ろうとしていた。

最初は、ぼーっとした状態で第三者のようにそれを見ていたのだが、我に返り「これはまずい」と思った。

「魔物だ」と思った。

正式にそれを魔物というのかは分からないが、私がこれまでも見てきたものとよく似ていて、明らかに邪悪な存在だった。

魔物は私の中に入ろうと試みていたので、身体に戻った私は入られてなるものかとその腕を掴んだ。

魔物の顔はすぐ近くにあり、はっきりと覚えている。
醜い顔だった。まさに魔物としか言いようがない。

その醜い顔を見て、思わず口から出たのは「大祓祝詞」だった。

途端に魔物は苦しそうに顔をゆがめた。

と、そこで誰かに揺り起こされた。

夫だった。

「今、なにか変な言葉を話していたぞ。大丈夫か?」と言われ「うん大丈夫」とだけ答えて、再び何事もなかったように眠りに落ちた。

夢の中で咄嗟にあげた大祓祝詞だが、思わず本当に口から出ていたようだ。

それから二~三日、その魔物のことが思い出されて仕方がなく、そのたびに頭の中から振り払っていたのだが、昨夜、夕飯を食べていたら夫が突然「昨夜、変な夢を見たんだが」と話し始めた。

夫はふだんは霊的な話をすることはまったくなく、今は先祖供養などはずいぶん理解してくれるようになったが、それでも基本的には霊的世界からは一番遠い所にいるような人だ。

その夫が変な夢をみたと、夢の話をし始めた。

夫の話によると、夢の中でも家族で食卓を囲んでいたそうだ。

すると階下で電話が鳴る音がして、夫は階下へ降りて行ったそうだ。

電話を取ろうと部屋の扉を開けると、そこにひとりの子どもが立っていたそうだ。

黄色のパジャマズボンを履いて立つ子供だが、なんとそこには下半身しかなく、黄色のズボンの足しか見えなかったそうだ。

「えっ」と驚いたら、夫の見ている前でパタパタパタと上半身が現れたそうだ。

そこで「ちょっと待って。それは男の子だったでしょ?」と私が言うと、夫は「そうだ。男の子だった」と言った。

夫の話を聞きながら、私の頭の中にはあの魔物の姿がはっきりと見えていた。

夫によると、夢の中で黄色のパジャマ姿の小さな男の子を、最初は長男だと思ったそうだ。

なぜなら長男が小さかった頃によく黄色のパジャマを着せていたからだが、その子を見ていると「これは違うな」と思ったそうだ。

長男にはよく似ているのだが、「違う」と強く感じたそうだ。

一応、その男の子を抱き上げたのだが、「やっぱり違う」という気持ちが強くなり、夫は男の子を床に降ろしたそうだ。

そして、夢の中で二階にいる私を大声で呼んだのだそうだ。

夫に呼ばれてやって来た「私」は、その男の子を見た途端、険しい表情に変わり、「私」は男の子に向かって「えぇーい!!」と声を出して祓ったそうだ。

すると男の子は床にふらふらと崩れ落ちるように倒れ、そこで目が覚めたと言う。

これを聞いて笑ってしまった。

なんで私が夫の夢の中に登場して「えぇーい!」と祓っているのか・・・

確かに「えぇーい!」と言って祓ったこともあるが、少なくとも夫の目の前ではそのようなことはしたことがないのに・・・でも、祓って正解。夫に何事もなくてよかった。

ここで付け加えるが、夫には私が見た夢、小さな男の子のことも魔物の夢の話も一切していない。

しかし夫の夢にも同じように小さな男の子が現れたことは、非常に興味深かった。

最近、目に見える世界と見えない世界の境界が、非常に曖昧になってきていることをとても感じる。

霊的感度は人並み以下という夫が、このような夢を見たことからもそのように思う。

これまで気づかれなかった存在たちが気づかれる世界になりつつある。

自分の良心から離れた生活は、これからますます危険になるのかもしれない。

だからこそ先祖供養や床供養が大事なのだと、今朝はあらためて思った。

先祖をずっとさかのぼって行ったら、ほとんどの人間は親戚同士になるのだろうか・・・

人類すべての平和を願ってなんて言う大そうな想いは持っていないが、すこしでも浮かばれない存在を供養したいという想いがますます強くなった。






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掃除

2018-12-06 18:39:24 | 日記
育った家庭環境が影響しているのか、私は掃除が好き。

そして、同じ家庭で育った弟も掃除が好きだと思う。

学生時代の弟の部屋は、ゴミ一つ落ちていないくらいきれいだったし、お嫁さんによると、50代半ばになった今も、休日には自らすすんで部屋の掃除をしてくれると言っていた。

また、その下の妹も掃除が好きで、いつ遊びに行っても美しい家になっている。

ところで子どもの頃の思い出で印象深いのは、日曜日ともなれば家族そろってのお出かけではなく、家族そろって掃除をしていたということで、両親を中心に家中を磨き上げていた。

今思い返すと、変わった家族だったなあと思うのだが、子供の頃は特に嫌だとは思わず、それどころか「この床を顔が映るくらいピカピカにしよう」なんて、ゲーム感覚で楽しんで掃除をしていたように思う。

ただ一つ、嫌だったことは、玄関のタタキもピカピカにするので、掃除の後は「汚れるから外に出るな」と言われることだったかな。

さすがに私は家族に「汚れるから出るな」とは言わない。

せっかく綺麗にしたところを、また汚されるのは嫌だという気持ちは分からないではないが、家は生活の場なので汚れるのは当たり前だから、掃除したあとにたとえ汚してしまっても腹は立たない。

また掃除で綺麗にしようと思うだけ。

多分、私は「掃除」という作業自体が好きなのだと、最近気づいた。

妹と「何が腹が立つか」というテーマ?で話したことがあって、妹は「せっかく綺麗に掃除をしたトイレを(家族に)汚されること」と言った。

「床に一滴の水滴(多分、尿)を見つけた時は、もうき~っとなるわ」と言う妹に「じゃあ、床にうんちが落ちていたとしたら?」と聞いてみたら、「ぎゃぁぁ、それは絶対に嫌だー!」と叫んだ。

私は、もしも床にうんちが落ちていたとしたら、一瞬ぎょぎょっとするが、仕方ないなぁと思い掃除して終わりだと思う。それで腹が立つことはない。

実際にお姑さん達と同居していた時は、そんなことはよくあったし、ヘルパーの仕事でもよくあることだったので、床のうんちに対する免疫がある程度できたのかもしれない。

「じゃあ、何が腹が立つことなの?」と妹に聞かれて考えてみたら、はたと思いつくことがあった。

それは「どろぼう扱い」されることだろうか。

これは何度経験しても腹が立つ。

仕方がないことだと思ってみても、やっぱり腹が立つ。

「だれも本当のことだとは思っていないよ」と他の人に言われても腹が立つ。

床にうんちを落とされるよりずーっと腹が立つ。

ここが私の弱点?なのかもしれない。

とは言え、しばらく時間を置いて一心に掃除をしていれば、怒りも徐々におさまって行くのだけど・・・

掃除は心を静めることにも役に立っていると思う。

ところで、今は毎日家中の窓を一枚ずつ磨いている。

窓の細かい溝にたまった埃なども、布を巻いたドライバーでほじってきれいにする。

ドライバーでゴミを掻き出し、綺麗になるのがたまらない。。。

ドライバー片手に「快・・・感」と、薬師丸ひろこになりきってつぶやいている。






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直感の磨き方

2018-12-03 17:10:18 | 日記
私は温泉が好きでよく行くのだが、なかでも一番気に入っていて、よく行く温泉は源泉かけ流しで、その泉質が素晴らしいと思っている温泉施設。

その温泉に入ると体の芯から温まり、ガサガサだった踵はすべすべになる。

初めて行ってからすっかり気に入って、今や一週間に一度のペースで行っている。

先日も温泉に行って温まっていたら、あとから湯船に入って来た年配の女性に話しかけられた。

「ここは、いい温泉だねー。私はここを知ってから他の温泉には行かなくなったの」

私も同感だったので、「そうですねー、この辺りでは一番ですね」と答えた。

それをきっかけにおしゃべりしていたのだが、途中から別の年配女性も話に加わってきて、女3人でお湯に浸かって世間話をした。

お互いに見知らぬ者同士だったが、温泉ですっかりリラックスしているので話は弾んだ。

二人の女性は、共に年齢が70歳代だと教えてくれた。

最初に話しかけて来た女性が、少し前に腰と膝を悪くして病院から手術を勧められていたのだが、ここの温泉に通っていたら治ってしまって、手術をしなくて済んだという話をした。

それを聞いていたもう一人の女性も、やはり膝が悪かったのだが、通っているうちに治ったということを教えてくれた。

「やっぱりね、ここの温泉はいいよー」と、お二人は顔を見合わせてうなずいた。

そして「歳を取ったら尚更、ここの温泉に入った方がいい。経験を積んだ年配者の言うことは、当たってるから聞いておいた方がお得だよー」と、二人は私の方を向いて、そうおっしゃった。

「ハハァー、おっしゃる通りでございまする・・・」と、ありがたく?お二人のお話を聞いていた。

ところで、この年配者の言うことは正しいことを言っている場合が多いということ、実は本当らしい。

脳科学の研究から分かってきたことは、「直感」は年齢と共に鍛えられるのだそうだ。

「直感」と似た言葉に「ひらめき」という言葉があるが、脳研究の分野では、この二つは異なる意味として考えられているそうだ。

「ひらめき」とは、思いついた後に、理由や過程を説明することができるが、「直感」とは「なんとなくこう思う」としか説明ができないことをいう。

しかし、本人の知らない所で脳が過去の経験などから瞬時に計算するため、「直感」による判断が正しいことも多く、「経験を積んだ高齢者のとっさの判断は正しい」と言えるのも、そのためだそうだ。

ただし、一方では「頭の固さ」につながることもあり、よく高齢者が頑固で周囲の人の助言に対して聞く耳を持たなくなるというのは、偏った経験によって得たものであり、そのような場合の「直感」は間違ったものになる可能性が高いそうだ。

では、そうならない為にはどうしたらいいのか。

それは、偏らずに何に対しても幅広く興味を持つことであり、例えば新しい技術に対しても面白がるような心を持ち続けるなどすることがよいそうだ。

私自身も思い当たるが、年齢を重ねるほど、変化を望まなくなるように思う。

よほど不便を感じない限りは、新しいものを取り入れようと思ったりしなくなることが多くなるが、それではいけないようだ。

40代~60代になったら、日頃から人の意見に耳を傾けていくことと、人生を楽しむことを意識して過ごした方がよいという。

特に人生を楽しむために、自分より若い人たちの意見を聞いたり、スマホなど最新の電子機器を使えるようになったりして、時代に適応して柔軟に自分の生き方を変えることが「正しい直感」を磨くことになりそうだ。




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