ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

健康オタクです

2014-05-29 16:52:44 | 健康
月に一度は必ず家に遊びに来ていた夫の叔母さん夫妻が、しばらく顔を見せないな~と心配していたが、昨日、久しぶりに遊びに来てくれた。

叔母夫婦とは、お姑さんの年の離れた妹夫婦で、本当はお姑さんの所へ来ることが目的なのだけれど、私も会うと話が弾み、つい長話をしてしまう。

私たちが結婚した頃、この叔母夫婦の近くに住んでいたことから、よく遊びに行って、食事をご馳走になったり洋服を作ってもらったりとお世話になっていた。

だから、夫方の親戚の中では一番話しやすい叔父と叔母かもしれない。

さて、しばらくお会いしていなかったので、どうしたのかと聞くと、叔父さんが身体の具合が良くなかったとか。

微熱が続き、身体がだるくて仕方がなかったそうだ。

そこで病院へ行ったそうだが原因が分からず、今度は大学病院へ行ったところ、身体の中に細菌が入っていると言われたそうだ。

「えっ、身体のどこに細菌が入ったの?」

そう叔父さんに聞いたが、いまひとつ原因が不明で、とりあえず数日間の点滴ですこし楽になったそうだ。

細菌(ばい菌)が入ったと聞いて、私はあるものを勧めたくてウズウズしていた。

それは・・・

乳・酸・菌

といっても売ってるものではなくて、自宅で作ったものだ。

これです↓



以前、乳酸菌の作り方をすこし載せたような気がするが、これはお米のとぎ汁から作ったもの。

あれ以来、自分で作った乳酸菌を掃除に使ってみたり、食べ物に使ってみたりと、色々試していたのだが、結局のところ、このまま飲むのが一番手っ取り早いということに落ち着いた。

しかし、問題がひとつ。

この乳酸菌はあまり発酵しすぎると、臭いが気になって口にできなくなる。

その臭いとは、まるで赤ん坊が飲んだミルクを「ゲボッ」と口から戻したような香り。

3人の赤ん坊を育てたので、懐かしい匂いと言えばそう思えなくも無いのだが、やはり飲むとなるとちょっと引いてしまう・・・

そこで、ちょうどいい具合に発酵したところで、冷蔵庫で保管することにした。

こうすると発酵が進まず、芳しい香りのままで飲み続けることができる。

一回に飲む量は、約30~50CCくらい。

これを果物のジュースなどに混ぜて飲む。

独特の風味があって、これが嫌な人にはダメだと思うが、ジュースに混ぜると気にならず飲むことができる。(私だけ?)

この乳酸菌を飲み始めてから、私はすこぶる調子がいい。

特にお肌の調子がいい!

つやつやのピカピカで、まるで20代の頃に戻ったかのよう~

・・・なんてことは言い過ぎだったが、少なくても今までよりはずっといい感じがしている。

当初は飲むことを拒んでいた夫も、私が目の前に差し出した乳酸菌入りジュースを「えいッ」という気合と共に口に流し込むようになった。

夫は特に変化がなく、いつもと同じだというが、私は夫の口臭が消えたと思う。

夫は「他にもいろいろ飲まされているから、一体どれが効いているんだかわからん」と言っていた。

確かに、いろいろ飲んでるしねぇ・・・それは一理あるかもしれない。

それにしても叔父さんの場合は、乳酸菌が体内のばい菌を食べてくれるのではないだろうか?

私は叔父さんに飲ませたくて仕方がなかったが、やはり止めておく事にした。

なんといっても、素人が手作りしたものを飲ませるのは危険すぎるかもしれない。

自己責任で自分が飲むぶんにはいいかもしれないが、やはり人に勧めるべきではない(と夫からも言われた)

なので、作って飲むのは自己責任ってことです。

それにしても、ここでハタと気づいたことがあった。

それは叔母夫婦には息子がいるのだが、その息子は内科医をしているではなかったか。

「息子さんはなんと言ってました?息子さんに診てもらったらいいのではないですか?」

そう叔母さんに言うと、叔母さんは悲しげに首を振って言った。

「熱っぽいと息子に言うとね、病院へ行けと言うし、のどが痛いと言うと、水でうがいしろと言うの。それだけ」

「それだけ?おもむろに聴診器を出してきて診察してくれるとかはないんですか?」

「ないわね。まあ、家族にはそんなもんよ」

結局は自宅では薬を出すこともできず、医療行為ができないということなのだろう。

叔父さんに乳酸菌を飲ませることはしなかったが、その代わり、あるものを差し上げることにした。

家で育てている「セダン草」
(乳酸菌の写真の後ろに見えている植物がセダン草です)

これは食べる薬草で、健康維持に良いとの事で、私は時々サラダに入れたりジュースを作るときに入れたりして食べている。

草花が好きな叔母さんは「さっそく植えてみるわ」と言ってくれた。

そんなわけで、私は今日も乳酸菌を飲み、セダン草を食べ、スロージョギングをして、上半身を鍛えるべく筋トレをしている。

人はそんな私を「健康オタク」と呼びますが・・・







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歴史ある街

2014-05-26 14:47:25 | 旅行
青森にはいつも車で行くのだが、車で行くと気ままにあちらこちらを観光できるのがいい。

今回もまた思いつくままに車を走らせた。

まず訪れたのが「禅林街」

私は前にも来た事があるのだけれど、家族が初めてなので来てみた。

数少ない弘前市の観光名所。



写真ではわかりにくいが、道の両側の並木道に沿って、曹洞宗のお寺ばかりがずらりと並んでいる。

そして、禅林街の真正面に立つお寺が「長勝寺」で、下の写真は国の文化財にもなっている長勝寺の三門。

三門とは「欲界」「色界」「無色界」の三界解脱門という意味だそうだ。

「欲界」と「色界」はなんとなく分かったが、「無色界」とは何ぞやと思って調べてみたところ、欲望も物的条件からも超越した世界らしい。

生死を繰り返しながら輪廻する世界を三界といい、仏陀はこの三界から解脱したと言われているそうだ。



この一画には長勝寺も含めると、同じ曹洞宗の33のお寺が並んでおり、禅寺が林の木のように建っている事から禅林街と名づけられたとか。

そして、同じ宗派の寺がこれだけ集まっているのは、全国でも稀なのだそうだ。

弘前市は弘前城を中心とした城下町なのだが、城の守りのために、当時主だった宗派、曹洞宗の寺を城の裏鬼門である南西に集めて軍事施設としたのが始まりだそうだ。

次に向かったのは黒石市で、ここは藩政時代の面影を残す町並みが残っている。



中町こみせ通りと言う。

雪国独自の雪や雨を防ぐアーケード「こみせ」が連なり、江戸時代の情緒を残している全国的に貴重な建造物だそうだ。

江戸時代の人たちもここを歩いていたのねと感慨にふけりつつ、ぶらぶら歩きを楽しんできた・・・と書きたいところだが、あいにく天気が悪く、今にも降り出しそうな空と猛烈な寒さで、ついつい足早になってしまった。

また機会があれば訪れたいと後ろ髪をひかれながら、宿がある浅虫温泉へと向かった。

そして、宿は今回2度目となる浅虫温泉「椿館」



こちらも歴史ある旅館で、県内では最も古く創業は400年以上も前からだとか。

棟方志功が湯治の為に10年間通った常宿だそうで、棟方志功はこちらの宿で作品を作ることもあったそうだ。

そのため館内には、棟方志功の作品が多数飾られている。

また志功自筆の短歌も沢山飾られていて、美術館とはまた違った作品が楽しめる。



青森もそうだが、とかく本州へ行くと歴史的な建造物に目を奪われる。

多分、生まれ育った北海道では見ることのできない物だからだと思う。

歴史好きの夫がポツリと言った。

「どうして自分は歴史の残る場所に生まれてこなかったのだろう」

「それは、生まれる前に自分で生まれる場所を選んできたから」

そう言いたかったが「そうだね」と同意した。

三泊四日の青森滞在は、長男パインのアパートの掃除も含めてあっという間に過ぎた。

帰りは、またフェリーに乗って青森港から函館へと向かった。



この時、とても嬉しい光景を目にすることができた。

たくさんのイルカの群れが、船の後ろや横を泳いでいた!

イルカ達はずいぶん沖まで、かなり長い時間を船について一緒に泳いでいた。

なんとか写真に撮ろうとがんばったのだが、一瞬だけ海面に姿を見せるイルカを写すのは難しい。

結局イルカを撮ることはできなかったのだけど、すごく嬉しかった。

大きな船からミサイル。

絶対にそれだけは嫌だ。

帰宅後に観た海の情景。

あのイルカ達を思い出しては海に向かって感謝をする。











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岩木山神社

2014-05-21 15:22:23 | 旅行
さて、いよいよフェリーに乗って、いざ青森へ出発。

甲板の上から今出航してきた函館の方を眺めると、雲に霞んだ函館山が見えた。

ありゃ、なんとなく雲行きが怪しいかな?



函館までのドライブはぴかぴかの良い天気だったが、フェリーに乗り込んだ頃から急に天気が悪くなってきた。

海を見ながら、今度の青森滞在もまた雨になるのだろうかと思った。

毎回、青森に行くと必ずと言ってよいほど雨に見舞われる。

「雨降って地固まる」とのことわざがあるように、雨が降るのは吉兆ということなので雨もまた良しなのだろう。

ところで青森へ行く目的は、もちろん長男パインに会いに行くことなのだが、私の中ではそれ以上に岩木山神社への参拝が大きなウエイトを占めている。

神社への参拝は、参拝に行く前からすでに始まっていると聞いたような気がする。

そして私の場合、特に岩木山神社への参拝は、行こうと思った時から、もう始まっていると感じる。

なぜこんなにも岩木山神社に惹かれるのか、自分でもよく分からないが、岩木山神社へ行って神様の前に出た時に、恥ずかしくないようにしようと思う。

だから、いつも以上に心の中で(頭の中かな?)考えることに気をつけるようにする。

神様の前に出る時は昔なら、さながら水をかぶって身を清めたのだろうが、私は水ごりならぬ感謝想起をしている。

と言っても「さあ感謝想起をしよう」とあらたまってするのではなく、日常生活の中で気づいたときに心中でつぶやくだけ。

家事をしながら、お風呂に入りながら、布団に入ってからなどなど、いつでもどこでも自分の心の中だけでできるのがいい。

さて自宅を出てから11時間あまり、やっとパインのアパートに辿りついたが、青森はやはり天気が今ひとつで、深夜は雨が降り続いていた。

パインによると、昨日まではずっと天気が良かったのに・・・とのことだった。

夫は「雨女は誰だー!」と叫んでいたが、雨男という線も有りではないのかと思ったりして・・・

翌朝は雨が上がっていたが、いつまた降り出すか分からないので、雨になる前に岩木山神社へ行ってきた。

岩木山の湧き水が勢いよく噴き出している手水舎。




口から水を吐き出している可愛い動物、これは一体何なのだろうか。

龍なのか蛇なのか、亀にも見えるしワニにも見える。

そう思いながらいつもじ~っと見入ってしまう。




岩木山神社楼門。

岩木山神社は全体が朱で塗られていて、それがまた周囲の緑に映えて荘厳な感じがする。

この先に中門、社殿、拝殿、本殿とつづき、岩木山山頂に奥宮があるそうです。

私たちが行くのはいつも拝殿まで。

大勢の参拝者がいらしていたが団体客ということではなく、たまたま全員が同時に参拝をして帰るところだったようで、大勢の参拝者とすれ違いながら拝殿に向かって進んでいくと、そこにはだ~れもいなかった。

誰もいない静かな拝殿に向かって、この日の為に心待ちにしていた感謝の参拝をすることができた。

そして、今回初めて岩木山神社の御札を買った。

自分のカバンの中に入れて、大切に持ち帰ってきた御札。

今、家の神棚の中に納まっています。







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やきとり弁当

2014-05-19 14:57:48 | 旅行
先週木曜日の早朝に札幌を出発して青森県に住む長男パインのところに行ってきた。

青森で3泊して昨日帰宅したのだが、昨日パインのアパートを出発したのは午前7時過ぎ。

そして自宅に辿り着いたのがその日の午後6時過ぎ。

なんとその移動時間は約11時間あまりで、青森は近そうで遠いとあらためて思う。

これが飛行機や列車を利用すると、もっと短い時間で着くのでしょうが、パインに持っていく荷物が沢山ある為、どうしても車で行かなければならない。

車を使うということは、フェリーを使うという事で、今までは苫小牧まで車で約1時間くらいかけて行き、その後フェリーに8時間半ほど乗って、早朝に八戸に着くというパターンが多かった。

しかし、今回は函館からフェリーで青森港に行ってみることにした。

どちらのコースが疲れが少なく行けるかを試してみたかったのだが、その結果は・・・

う~ん、どちらも同じかなぁ。

深夜のフェリーに乗って早朝に八戸に着くと、着いた日はまるまる一日が使えるのだが、フェリーの中での睡眠は、どうしても眠りが浅くなり、翌日は眠い目をこすりながらの観光になる。

一方、函館から青森までのフェリー所要時間は3時間半と苫小牧ー八戸間よりもずいぶん短くて済むのだが、そのかわりに札幌から函館まで4時間以上のドライブがある。

今回は函館までの道のりを、私が途中で夫と交代してハンドルを握ろうと思っていたのだが、夫がハンドルを独り占めにして離そうとしなかった為、仕方なく私は助手席でコーヒーやガムを手渡したり、夫のリクエストにあわせてCDを変える役に徹していた。

夫は私にハンドルを握らせるのが怖くて自分で運転すると言ったのだが、時折眠気が襲ってくると「コーヒー」「ガム」と要求するので、やはり私が運転したほうがよかったのではなかったかと思う。

私の運転する車で恐怖と緊張のあまり、絶対に眠くならないとか。

って、失礼なッ!

安全運転をモットーに無事故無違反で運転歴25年、ほぼ毎日ハンドルを握っているのに。

夫曰く、私の運転だと遅すぎるので高速道路での運転は無理と思ったらしい。

札幌から函館まで続く高速道路は、まったくレース場のようだった。

高速道路の制限速度は70~80キロだったと思うが、そのような速度で走っている車はいない。

90キロ超えは当たり前で、100キロを越えるスピードで走っている車も数多くいる。

速い車は多分120キロ以上出しているのではないかと思う。

夫も最初は90キロ台で走っていたが、車が少ないところでは100キロ以上の速度を出していた。

私は速度計を見ながら、気が気ではなかった。

これで事故を起こしたら、大事故になるかもしれない。

まさに命にかかわる事故になる。

「危険だから、もう少しスピード落としたら」と横から口を挟み、時折「警察がいるかもしれないよ」と脅しながら、内心はひたすら「感謝想起」していた。

こんなところで死んでいられない。

手に汗握るカーレースがやっと終わり、無事に函館に入ってホッとしたら、急にお腹が空いてきた。

そこで一度食べてみたいと思っていた、函館の隠れた名物「やきとり弁当」を買った。



「やきとり弁当」と言ってるわりに出てきたのは豚肉で、なぜ鶏肉ではないのかと思ったら、道南では「やきとり」と言ったら「豚肉」のことを言うらしい。

ちなみに函館では「やきとり」と言うと「豚肉」が出てきて、鶏肉が食べたいときは「やきとり、鶏肉で」と注文するそうだ。

同じ北海道でも違うものだと、軽くカルチャーショックを受ける。

さて、このやきとり弁当は函館のコンビニ「ハセガワストア」で買うことができる。



ハセガワストアは函館に何店舗もあるチェーン店だが、お店に入ると間違って焼き鳥屋さんに入ってしまったかと思うような、お肉を焼く香ばしい香りが漂ってくる。

それもそのはずで、お客さんの目の前でじゅーじゅーと「やきとり」を焼いてくれて、お弁当を作ってくれる。

だから出来立てで美味しい。

私が買ったのは甘たれのやきとり弁当ですが、味は色々あるようです。

買った「やきとり弁当」を持ってフェリーに乗り込み、いざ青森に向けて出発~

・・・つづく














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旅行準備

2014-05-13 15:24:23 | 日記
今週は長男パインのいる青森へ行く予定をしている。

思えば前回青森に行ったのは一年前のこと。

あれからもう一年が経ったのかと思うと、恐ろしくなるくらい時間の過ぎるのが早い。

一年前は、なぜかとても岩木山神社へ行きたかった。

岩木山神社へ行ってご祭神である顕國魂神(大国主の命)様にお逢いしたかった。

八戸へ向かうフェリーの中では、もうすぐ逢えると思っただけでワクワクして眠ることができないほどだった。

まるで愛しい人に逢いに行く乙女(50過ぎてますが何か?)のような気持ちだった。

あまり大きな声では言えないが、結婚前にこれほどの気持ちで夫に逢いに行ったことはなかったかもしれない。

しかし、今回は前回に比べると、やや冷静な私がいる。

もちろん岩木山神社へは必ずお参りに行くつもりでいる。

行って感謝の参拝をするのが、今からとても楽しみだ。

ひばの良い香りが漂う神社へ早く行きたいと思う。

早いものでパインも今年で大学4年生になった。

パインが卒業したら、もう東北へも青森へも行くことは少なくなるだろうと寂しく思っていたら、パインが大学院へ行かせてほしいと言い出した。

パインが行きたいのなら夫も私も反対はしないので、大学院の2年間を含めて、もうしばらくは東北に行くことができるので私も嬉しい。

(ただし、パインが大学院の試験に受かればの話だけど・・・)

そんなわけで、こんなふうにブログなんぞを書いてはいるが、今パインの所へ行く準備で忙しい。

パインの使っている布団類を持ち帰って洗濯をしようと思っているので、交換の布団を持って行かなければならず、しまってあった布団を日に干したりして準備をしている。

それから、パインから持ってきて欲しいと要望のあった品々を買い集めてきた。

こちらに残る次女ピーチとお姑さんの食料品も忘れてはいけない。

お姑さんは自分でお浸しと煮物くらいは料理をするし、私たちがいない間、夫の姉達も来てくれることになっているので安心なのだが、問題はピーチ。

家の近所にコンビニがないという環境が、こういう時はとっても不便だ。

「自分で何か作るか、自転車に乗って買い物に行きなさい」と言ったが、どちらもあまりいい顔をしない。

「じゃあ、おばあちゃんに食べさせてもらいなさい」と言うと、それもうんと言わない。

「じゃあ、どうする?」と聞くと「大丈夫、食べなくても・・・」と言う。

「1日くらいならまだしも、そんなに食べなくて大丈夫なわけナイッショ!!」(興奮すると北海道弁がでる)

・・というわけで、ピーチが食べるものも何か作っていかなければと思う。

すると、ピーチが「お母さんたちのいない日に、友達がみんなで遊びに来てくれることになったから、アップルパイも作っておいてね」とちゃっかりお願いされた。

やれやれ・・・








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父の好きな話は・・・

2014-05-12 16:53:12 | 介護
高齢者住宅に入っている父に会いに行って来た。

部屋のドア横に付いているチャイムを押しても返事が無い。

これはいつものこと。

きっとまた寝ているのだろう・・・そう思いながらそお~っとドアを開けて中に入ると、やっぱり父はベッドに入って寝ていた。

「お父さん、来たよ」と声をかけるとパチリと目を開けた。

そもそも真剣に眠っているわけではないので、声をかけるとすぐに目を覚ます。

父曰く「部屋にいても何もすることがないから寝ている」そうだ。

「昼間はなるべく起きていたほうがいいよ。すこし歩くとかね」と話したが、父には「馬耳東風」・・・いや「馬の耳に念仏」と言うんだっけ?

とにかく自分がやりたくないことは、絶対にやらないので、どう説得しようが無駄なのだ。

無駄なことだとは分かっているが、父の顔を見るとついつい「起きて」「運動して」「甘いものはほどほどに」「出された食事はちゃんと食べなさいよ」など、父にとっては聞きたくないことを言ってしまう。

それにしても、最近の父はとても元気になった。

顔色も良く、つやつやしている。

毎日栄養バランスの取れた食事を食べて、お風呂に入ってヘルパーさんに綺麗に洗ってもらっているからだと思う。

ひとり暮らしの時は、食べる時間もばらばらだったし、好きなものばかりしか食べていなかったし、お風呂に関しては「面倒くさい」と言って何日も入っていなかった。

だから身体も頭も衰弱していたのだろう。

それに比べれば、今は家族としてはとても安心できるし、父にとっても良いことだったと思っている。

「ここは天国だ。至れり尽くせりで、本当にありがたい」

そう言って職員さんたちに感謝していた父だったが、元気になるにつれて、また至れり尽くせりの生活に慣れるにつれ、様子が変わってきてしまった。

父は6人兄弟の末っ子で生まれ、家が貧しかったため高校を卒業するとすぐに公務員になった。

しかし、どうしても大学へ行きたかった父は、昼間は公務員として働き、もらったお金で夜間の大学へ進んだそうだ。

そしてその頑張りもあって、公務員時代はそこそこの地位まで上った。

その後、民間会社に天下りをする。

今は天下りなんて時代ではないかもしれないが、昔は何社もの中から選ぶほど就職先があったそうだ。

いつも周囲から頭を下げられ、父は徐々に「自分は偉い」と勘違いをするようになった。

もちろん父のおかげで、私たちは食べさせてもらい学校にも行かせてもらったわけなので、私たちきょうだい一同、父にはとても感謝している。

・・・が、父の「大好きな」地位と名誉の話を延々と聞かされるのは嫌だった。

きょうだいはもちろん、母まで父のその話が始まると渋い顔をしていたことを覚えている。

そしてまた最近、父が元気になってきてからは以前にもまして、「地位と名誉の話」が父の口から延々と語られるようになった。

こんなにおしゃべりするのは元気になった証拠かも。

口数が少なくなって弱った父でいられるよりいい。

そう思って、話を聞くのは上の空で適当にうんうんと相槌を打ちながら、父が満足するまで話をさせてあげていたのだが、昨日は「うん?ちょっと待ってよ」という気になる話が聞こえてきた。

父が言う。

「私はこの施設で最高金額のお金を支払っているのだから、ちゃんと世話をしてもらうのは当たり前だと、ヘルパーに言ったんだ」

「ええーっ、お父さん、そんなこと言ったの!?それは違うよ、ここの家賃はみんな一緒なの!

だから、別にお父さんがたくさんお金を払っているとか、そういうことは無いんだよ」

すると父は「そうか、てっきり自分が一番高い家賃のところに入っているのかと思っていた」と言う。

「そんなことばかり言っていたら、何言ってんだ、このじじぃは・・って思われるよ」

父の話を聞くと、どうも部屋に来る職員さんたちに向かって、自分の過去の栄光の話を繰り返し繰り返し聞かせているらしい。

職員さんたちは父が認知症だと分かっているので、「そーですか、すごいですねー」と父をおだてて聞いてくれるようだが、おだてられると父は嬉しくなって、また話に力が入って同じような話を繰り返す。

本当に父の面倒を見てくださっている職員さんたちには、申し訳なさで一杯になるのと同時に、娘の私の方が恥ずかしさで穴が在ったら入りたくなる。

父がいまだに地位と名誉に執着してこだわるように、人間は年を取るとますます執着が強くなる人が多いと老人と接するヘルパーの仕事をしていると感じる。

私は年をとって何に執着を持つのだろうか?

長女チェリーかな?

障害のあるチェリーのことは、やはり最後まで心配だ。

あとはなんだろう。。。どちらにしろ何物にもとらわれず、花が散って葉が散って、そして幹が枯れて最期は土に帰るように静かに枯れて生きたいと思う。

父の事は周囲にはご迷惑をかけているが、元気になったのでよしとしよう。









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鳥インフルに注意

2014-05-09 16:25:59 | 日記
毎日の習慣になっているP太郎のお遊びタイム。

今朝もまたP太郎は「今か今か」と籠の中でサイドステップを踏みながら出してもらうのを待っていた。

籠の鳥は暇なんだろうなぁ。

一日に一回くらいは出してもらわないと、P太郎もやってられないのかもしれない。。。



これが今朝のP太郎です。

P太郎の好きな遊びものは、相変わらずのテッシュ箱。

かじってボロボロにして、最後はテーブルから突き落とす。

そのたびに拾ってやらなければいけないのが、これまたけっこう面倒なのだが、拾うまでピーピー鳴いて待っているので拾ってあげている。

「やれやれ」と思いながらも、P太郎可愛さで拾うこともあまり苦にならなかったりして・・・(親ばか)

テッシュ箱に飽きると、今度はテッシュ箱の横に並べてある段ボール箱に入って遊ぶ。

何をしているのかと中を覗きこむと、見られるのが嫌なのか、P太郎は口を開けて怒ってくる。

鳥は(動物たち)は、一瞬一瞬をその時の感情のままに生きているのかもしれない。

まさに今という瞬間だけに生きている。

こうして遊んでいるP太郎の背中を見ていたら、はたと思い出したことがあった。

それは今朝見た夢のこと。

夢の中で、たくさんの鳥が部屋の中にいた。

ニワトリくらいの大きさの鳥からスズメくらいの小鳥までがたくさんいて、私はその鳥たちを眺めていた。

すると一羽の小鳥が私の手に止まった。

とても可愛らしい小鳥で、なぜかその小鳥と話をすることができた。

「どこから来たの?」と聞くと「香港から」と小鳥が答えた。

「へぇ~香港から・・・遠いところから大変だったね」

そう言ったところで目が覚めた。

なぜ香港から・・・と小鳥が言ったのだろうと考えていたが、急に可笑しくなって笑ってしまった。

そうだ。

私は「鳥インフルエンザ」を心配していたのかもしれない。

昨年冬から今年にかけて、わが家の庭のえさ台にたくさんの野鳥が来ていた。

それもベニヒワという普段は見たことがない小鳥たちがたくさん来ていた。

ベニヒワは通常もっと北の地域で越冬するそうだが、昨年の世界的な異常気象で餌が不足して南下してきたのだとか。



さて問題。

この写真の中にベニヒワは何羽いるでしょうか?

多い時には15~16羽の団体さんで来ていたが、暖かくなるにしたがい数が少なくなり、ついにもう姿を見ることはなくなった。

きっと北国へ帰って行ったのだろうと思う。

この時ベニヒワは可愛いと思いつつ、私の心の中では鳥インフルエンザの心配があった。

素手でえさ台を触らないように注意し、えさを置いた後にはよく手を洗った。

暖かくなってえさを置くことを止めてから、もう野鳥が来る事はないが、まだそんな夢を見るとはね・・・

私を含めて家族みんな滅多に風邪を引くことは無くなったが、たまに次女ピーチが喉が痛いと言って咳をしている時には、絶対にP太郎に触れないように言っている。

もしもピーチがインフルエンザだったら・・・P太郎にうつしたら、P太郎が鳥インフルエンザになってしまうかもしれない。

「治るまでP太郎は触らないでね、P太郎にうつしたら大変だから。鳥インフルエンザが発症しましたって全国ニュースになっちゃうよ」

その話を聞いていた夫が「インフルエンザの型が違うから、うつってもP太郎は鳥インフルエンザにはならないだろう」と言っていた。

・・・が安心はできない。

箱(かご)入りオカメのP太郎はそんな心配をよそに、今、居眠りをしているところです。







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山桜

2014-05-07 14:21:58 | 日記
連休が終った。

連休中は一日だけ私の仕事が入ったこともあるが、行楽地へ出かけることもせず家の近隣をうろちょろしていた。

子供たちが幼かった頃は「どこかへ連れて行かないと・・・」という義務感みたいなものがあったので、休日ともなると、あちらこちらの行楽地へと出かけたものだったが、子供が大きくなるとそんなこともなくなった。

唯一、障害があって友達同士で自由にどこかへ出かけて遊ぶことができない長女チェリーのために、市内の円山公園へ行ってきた。

円山公園は北海道神宮の隣にある公園で桜の名所としても知られている。

原生林が残り、すぐ隣は北海道神宮もあって、静かで本当に良い場所なのだが、お花見の時期だけは例外かもしれない。

毎年、桜の時期は花見客で混雑している。

そして桜の下で宴会を開いていらっしゃるので、ジンギスカンの煙と匂いがすごい。

・・・というわけで、この時期はあまり円山公園には近づきたくなかったのだが、チェリーが桜を見たいというので行ってきた。

しかし円山公園の桜はすでに満開の時期を過ぎていた。

「残念だったね」と言いながら、自宅に帰ってきたのだが、ふと窓の外を見ると桜の花が目に入ってきた。


    

これは野に咲く「山桜」

公園などで管理されている桜と違って花のつき方が地味だが、まだ緑のない茶色の木々の中にあっては、ぱっと目を引くほどの華やかさがある。

わざわざどこかへ行かなくても、家の近くに桜の木があったんだと気がついた。

それにしても、ここ最近、我ながら出不精になったと感じる。

年のせいなのだろうか。

多くの人で混雑している場所にはできるだけ行きたくない。

家で庭仕事をしているほうがいいと思う。

うぐいすの声を聴きながら、土をさわっているだけで癒される。

今年はどんな野菜を育てようか。

玄関前を飾る花は何にしよう。

そんなことを考えていると楽しくなってくる。

「どこかに畑を借りて野菜を作りたくない?そして毎日畑に通うの。いいと思わない?」

妹にそう言ったら「去年4マン円もかけて、せっかくしみを取ったのに、ずっと外にいたら、またしみ出るよ!」と言われた。

そうかぁ・・・しみはもう嫌だなぁ。

そうだ!

農家のおばさんがかぶっているような「つば広」の帽子を買おう。

あごの下でリボンを結ぶやつ。

夢は果てしなく広がる。。。









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