ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

ブログを書くということ

2019-11-29 15:48:33 | 日記

初めてブログを書き始めたのが12年前。

そんなに前から書いているのかと思うと、気が遠くなる・・・いや、感慨深いかな。

当時、高1だった長男に勧められて書き始めたのだが、パソコンの操作も分からない状態だったので(これは今もあまり進歩していない)、ブログの開設から文字の書き方から投稿の仕方まで、とにかく何から何まで長男に手伝ってもらってのスタートだった。

そして、困ったことがあるとすぐに長男に助けを求めるので、呼ぶ回数が増えるにしたがい長男は明らかに面倒くさそうにやって来るようになった。

ブログなんて勧めるんじゃなかったと、きっと長男は後悔していたと思う。

それにしても、もともと本を読むことが好きだったので、今度は自分が書いた文章を誰かが読んでくれるかもしれないというブログにすぐにハマった。

ブログに初めての記事を投稿した時のこと、すぐに既読が一つ付いた時の嬉しさといったらなかった。

「読んだ!ひとり誰かが読んでくれたよー!!」とすぐに長男に知らせたら「それって自分で自分のブログを読んで確認した時の数じゃない?」と言われてがっくりした。まさしくその通りで、当時はその仕組みもよくわからなかった。

でも、その後は読んでくれる人の数が増えてきて、大したことも書いていないのに、見知らぬ誰かが読んでくれたということが不思議やら嬉しいやらで、もっと書いてもっとたくさんの人に読んでもらいたいという気持ちになったものだった。

しかし、12年経って今はどうなのかと自問自答してみると、私の中で「ブログを書く」という意味合いは、まったく変わったと思う。

自分が良いと思ったことを他の人にも知らせたいとか、似たような状況にあるかもしれない誰かの参考にすこしでもなればいいなという気持ちで記事を書くこともあるが、実は、そのほとんどは自分の為に書いている。

だから始めた頃のように、もうアクセス数はほとんど気にしていない。

というか、あまりアクセス数が伸びるのは本意ではなく、むしろひっそりと隠れて地味にブログを続けたいというのが本音かもしれない。

では、ブログを書くことが私にとってどんな意味があるのかと言うと、漠然とした自分自身の考えを文にすることで、あらためて自分は本当はこういうことを望んでいたのかとか、こう考えていたのかとか、まるで他人を見るように自分自身を客観視できるようになったことがとても大きい。

ブログを書く前は、自分の深い部分を見つめるなんて考えもつかない事であり、そんなことはしたこともなかったが、ブログを書くようになってから、特に最近は、まず自分自身の内面深くを見つめるようになった。

では、自分の内面を深く見つめるようになってどうなったか?

俗っぽいことから書くと、とても運がよくなった。

こうなればいいなと思っていることが、わりと早い段階で叶っていくようになった。

これは、それだけではなくご先祖の加護のお陰がとても大きいと思っているのだが・・・それは置いておいても、自分の内面を見つめて自分の本当の気持ちを知るようになると、自然と人間関係がよくなり、その結果、運がよくなったと思う。

人間の心の奥には内在神というものがいらっしゃるそうだ。

ブログを書いてきた12年間で、できる限り内在神が望む方へ行くようにしようという気持ちが強くなっていった。

しかし、願いを叶えるために先祖供養をしたり自分の良心に従ったりしているわけではない。

「自分がそうしたいからする」ということだけ。

もう本当にこれしかない。

だから、あえて人に同じようにやってみてと勧めることはしない。

ずっと前は勧めた事もあるが、口で言ってもなかなか伝わらず、口頭で伝えることの難しさを感じた。

進む道は、人それぞれなのだ。

私は私の道を行くだけ。これは家族であっても親しい人であっても本人にその気持ちが無ければどうすることもできない。

先日、ブログに載せる為に写真を撮っていたら、そばに居た長男に「それブログに載せるの?」と聞かれてドキリとした。

家族や知り合いには、もうブログは書いていないと言ってあるので、あわてて「違うよ」と答えた。

家族にも知り合いにも、このような事を口で伝えることは難しく、かと言って「読んで」なんて言えるほど、まだ私は成長していないので、やはりこのブログは自分のために、もうすこしだけ書き続けたいと思う。


 


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ツイていた?とある一日のできごと

2019-11-26 16:38:30 | 日記

昨日は、長女初出勤の日だった。

初日はいろいろな手続きがあるので、通常よりも1時間半くらい早く家を出なければいけなかった。

しかも今まで事業所に通っていた時とは違うバス路線になり、途中の駅で就労支援事業所の職員さんと待ち合わせをしているが、そこまでは長女ひとりで行かなければならなかった。

前日から持って行くものをカバンに入れて準備をしていた。

そして、当日の朝は私が作った昼食のお弁当を長女が自分でカバンに入れた。

出発まであと数分…という所で胸騒ぎがした。

「長女はちゃんと筆記用具を入れただろうか?」

会社の持ち物リストの中に「筆記用具」とあり、昨夜、私は家事をしながら長女に「筆記用具も入れてね」と声をかけたのだった。

その時「わかった~」と長女が返事をしたので、確認せずにそのままにしてあった。

しかし、ここへきて「入れただろうか。入れただろうか」という胸騒ぎが収まらない。出かけるまでもう時間がなかったが、長女のカバンを開けて確認した。

すると、やっぱり筆記用具は入っていなかった。

「ひっきようぐー!!入ってない」と叫び、長女は慌てて筆記用具を持って来た。そして、それを受け取った私は長女のカバンに入れた。

この時、長女のカバンの中の物が非常に出しにくそうになっていたので、一旦入っている物を全部出して詰め直した。

隣では、長女と夫が「あと一分。あっ時間になったー!」とかいって騒いでいる。

最後にお弁当を入れてと・・・大急ぎで詰め直したカバンを長女に渡すと「はいっ!いってらっしゃい」と言って送り出した。ふ~っ、セーフ。

走って行く長女の後ろ姿に「今日のバスは○○行きだよー(間違えないで)」と声をかけた。

「やれやれ出かけたわい」とホッとしたのもつかの間、夫が「俺の弁当は?」と聞いてきた。

夫のお弁当は、いつものテーブルに置いてあるはずだった。

毎朝、夫、長女、次女の三個のお弁当を作ると、そこに並べて置いて各々自分のお弁当を持って行くことになっている。

ところが、今朝は作ったはずの夫のお弁当が消えているではないの!!

脳裏に自分の手が夫のお弁当を掴み、長女のカバンに入れるシーンが浮かんだ。

その日は、朝から雨交じりの雪が降る寒い日だったが、上着も着ずに外に飛び出して長女を追いかけた。

しかし、無情にも長女が乗った(かもしれない)バスはまさに出発したところだった。

遠ざかって行くバスを見ながら、あぁやってしまった・・・と思っていた。

とぼとぼと家に戻る途中で、出勤のために歩いてきた夫と会い「お弁当ふたつ持たせちゃったから、今日はお弁当なしだわ」と伝えた。

お昼にお弁当が二つも入ってることが分かって、長女は驚くだろうな。

きっと一つは食べずに帰って来るだろうから、それは私が夕食に食べよう。

そんなことを考えながら、しばしボ~然となって椅子に座っていたら、突然電話が鳴った。

なんと、さっき行ったばかりの長女からだった。

「どうしよう。乗るバス間違えちゃったー!」

「えぇ、どこどこ?今どこ?」と聞くと、間違えに気づいた長女は途中のバス停で降りたらしい。

「だから念を押したのに~」と言いたい気持ちをぐっと抑えた。

今はそんなことを言っている場合ではない。職員さんとの待ち合わせの時間は迫っているし、なんせ今日は大切な初出勤の日。遅れては大変だ。

「そこで待ってて。すぐに行くから」と言うと、冬道になってからあまり乗っていなかった車で迎えに行くことにした。

朝から降っている雪が道路に積もり始めていた。

雪道は危険なので、今年の冬はできるだけ乗らずにおこうと思っていたが、非常事態なのでそんなことは言っていられなかった。

急いでエンジンをかけ、車体に積もった雪を払って、長女を拾いにいざ出発。

毎年、雪の降り始めは滑るんじゃないかとビクビクして走る。

この間も用事があって仕方なく車で雪の積もった幹線道路を走っていたら、前の車がとても遅かった。

50キロ制限のところを40キロくらいで走っていた。多分、私と同じで雪道をビクビクしながら走っているのだろう。

いくらなんでも、これは遅いと思ったが、この日は雪道だったこともあり、安全運転でいいかと思ってついて行ったら、なんと後ろから来たパトカーに追い越された。

というわけで、雪の降り始めはビクビクしながら車に乗っている時期なのだが、この時ばかりはビクビクの「ビ」の字も感じないほど、我ながら軽快な?走りで娘を迎えに行った。

娘が初日に遅刻しては大変だということで頭がいっぱいになり、冬道だということを忘れていたかもしれない。

バス停で不安そうに立ちすくんでいる娘を車に乗せると、事業所の職員さんが待っている場所へ向かった。

この時にはもう雪道の感覚を思い出していて、すっかり普通に走っていたのだが、自分を戒める為にも「急いでいる時ほどゆっくり」と思いながら運転していた。

そして、なんとか時間までに娘を送り、ついでにお弁当をひとつ返してもらって帰って来た。

さっきまで「せっかく夫に作ったお弁当が無駄になってしまった」と思っていたが、なんとこんなに早く手元に戻って来るとは。(夫には届けられなかったが)

そして、その日のお昼は夫に渡せなかったお弁当を食べてみた。

いつも家族のお弁当を作るだけで、それを食べたことがなかったのだが、冷めたお弁当をあらためて食べると、いろいろな発見があった。

「このおかずはショウガが利いて美味しい」冷めても、こういう薬味を使ったおかずならいいんだわとか、これはちょっと薄味すぎた、今度はもっと濃いめに味をつけようとか・・・

何よりいつもは残り物でお昼を済ますのだけど、こうしてお弁当箱に詰まっていると、自分で作った物でもうれしい。

ところで、この日は「あーやってしまった」と言う出来事が他にもあって、クリスマスツリーを出そうと思った時に、うっかり重いアダプターを床に落としてしまった。

アダプターは足先をかすって床に落ちて、床に大きな傷ができてしまった。

まずは足の上に落ちなかったことが幸いだった。(もう骨折はこりごりなので)

でも床に大きな傷がついたことはショックだった。

少しでも修復できないものかと、常備してあった床用の修正材を駆使して直してみた所、なんとかきれいになった。(よく見なければ分からないくらいまで・・・)

ところで床に張り付いて修繕していた時に、ふと視線をあげた先に見えたのはギザギザに剥がれた壁紙だった。

これはオカメインコのP太郎がカジカジした所。

生前P太郎は壁をかじるのが好きで、ちょっと目を離すとこうして壁紙をボロボロにしてしまっていた。懐かしい・・・

そこで今度は壁紙の修繕に取り掛かった。

今はホームセンターで自分でできる修理用具が色々と売っているので便利になった。

というわけで、床を直すついでに壁紙も直すことができた。

以上、昨日のツイていた?出来事でした。

ツイていないと思うこと、それは、もしかしたら自分の考え一つなのかもしれない。

お弁当をうっかり長女にふたつ持たせてしまったけど、長女がバスを間違えたお陰で、私がお弁当を食べることができた。

あっ、その前に久しぶりに猛ダッシュで娘を追いかけて、運動不足解消になった。

そして長女を車で迎えに行く羽目になったけれど、そのおかげで慣れるまで毎年怖かった冬道運転の感覚を思い出すことができた。

床に重たいアダプターを落として傷をつけてしまったけれど、ついでに壁紙の痛みを発見して直すことができた。何より足の上に落とさなくて良かったことなど・・・

要は考え方ひとつなのかもしれない。

ツイていたと思えば、それはツイていたことになり、ツイていなかったと思ったら、それはツイていなかったことになる。

悪かった方に焦点をあててネガティブにならず、良かったことに焦点を当てる。

私も完全にはできず、なかなか難しいことではあるが、これもまた訓練、慣れなのかもしれない。

というわけで、昨日は、かなりツイていた良い一日でした。おしまい

 


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2019-11-20 16:04:54 | 日記

前回の記事では娘の就職のことを書き、就労支援事業所の職員さんと一緒に娘の様子を見に職場へ行ったことを書いた。

この時に事業所の職員さんにとても感心したことがあったので、今日はそれを書こうと思う。

一緒に行ってくれた就労支援事業所の職員さんとは、電話で何度もお話はしていたが、実際にお会いするのは、この時が初めてだった。

電話の声から若い男性だという事は分かっていたが、待ち合わせ時間にやってきた職員さんは想像以上にお若い印象があった。

20代・・・もしかしたら25歳の長女と同じくらいか、長女よりも若いかもしれない。そう思ったほどお若く見えたのだが(実際は長男と同じ27歳だった)私が持っていた若い人のイメージとは違って、腰が低く言葉遣いがとても丁寧でしっかりした印象の好青年だった。

職場へ行くまでの道中、職員さんから長女の職場での様子や今後の展開などを伺ったのだが、私の疑問にもひとつひとつ丁寧に答えて下さって、もう何の疑問も浮かんでこないほどに丁寧な説明をして頂いた。

そして、いよいよ訪問先の企業に着き玄関で呼び鈴を鳴らす前、彼は着ていたコートを脱いで手に持つと、ネクタイを整え首に下げた身分証が曲がっていないかを確認した。この様子を見て、私も慌ててコートを脱ぎ、髪を整えた。

多分これは企業を訪問する前には普通にすることだろうと思うのだが、私が感心したのは、実は帰りのことだった。

二階にある内玄関で企業側の担当者の方にお礼を言ったあと、階段を下りた所にある一階のもうひとつの玄関から外に出る。

企業の方とは二階の内玄関で別れているので一階の玄関にはもう誰もいないのだが、彼は玄関を出て扉を閉めると、おもむろに玄関の方を向きなおり深々と頭を下げたのだ。

もう誰も見ていないのに、そのまま帰っても問題はないのに、自分の就活でもないのに、まるでどこかの神社を参拝して最後に礼をするかのように深々と頭を下げて会社をあとにした。

この様子を見て、もちろん私も慌てて一緒に深々と頭を下げた。(お恥ずかしい)

このことを帰って来た長女に話すと、長女はごく普通のことのように言った。

「そうだよ。いつもそうしているよ。一人で帰る時も玄関に向かって礼をしてから帰っているよ」

そうだったのかー。そういうことをしていたとは、娘によい習慣を身につけさせて頂いてありがたいことだと思った。

そして道理で会社の年配の方が、非常に丁寧に若い彼に接していたわけかと思った。

ある意味、長女が合格したのは彼のお陰なのかもしれない。

企業の方は誰も彼が見えない場所でも礼義を尽くしていることを知らないと思うが、それでも心を込めた行為からは何か伝わるのかもしれない。

これからは見える所ばかりではなくて、見えない所での善行が実行力を増すような気がしている。

そんなわけで、若い彼から大事なことを教えられたような気がした。



 


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娘の就職

2019-11-18 15:15:14 | 日記

最近、嬉しいことが二つあった。

一つは、お姑さんの意識の状態が良くなってきて口から食事をしてくれるようになったこと。

食べ物を口にするようになってから、すこし元気になってきたように見える。

食事を摂らないと、このままどんどん弱って行く一方だったので、食べてくれて本当にうれしかった。

お姑さんについては、また別の機会に書こうと思うが、今日はもうひとつの嬉しかったことについて。

それは長女の就職が決まったこと。

いつか長女にぴったりの企業へ就職してくれるといいな~という希望はずっと持っていたが、7年間お世話になっている就労移行支援事業所の職員さんから一般就労へのオーケーがなかなか出なかった。

それは長女の力では、まだ一般企業への就職は無理だということで、信頼を寄せていた職員さんがそう思うのならそうなのだろうと思っていた。

ところが、今年の春の面談で職員さんから「再来年までに就職しましょう」という提案を頂いた。

再来年ならまだ先と思っていたのだが、今年の秋に面接の予行練習ということで初めて受けに行ったある企業から「実習に来ませんか?」という思いがけないお誘いがきた。

事業所の職員さんから「これはチャンスです」と言われ、長女も実習する気満々でさっそく一週間の予定で実習に行かせて頂いたのだが、初日に同行した職員さんから、実習あとに暗い声で連絡がきた。

「実は、娘さんが企業側の担当者から仕事の説明を受けたあと、やれそうですか?と聞かれて泣いてしまったんです。そして、本人から無理ですという言葉がありました」とのことだった。

が~ん、初日に泣いて無理ですなんてこと言うなんて、もうここは無理かもしれない。

せっかく事業所の職員さんから、そこは娘さんに合うと思います、お母さんチャンスですよと言われていたのに・・・まぁダメなら縁が無かったということで仕方がないかぁ。

職員さんによると、大勢の人がすごい速さで仕事をしているのを見て圧倒されたのではないでしょうかとのことだったが、娘に聞いてみたら実際は違った。

「説明してくれたおじさん(社員の方)の顔が怖かったから」だった。

娘は、あのおじさん(社員さん)に怒られたらきっと怖いだろうなぁと先読みしてしまい、説明されているだけなのに怒っているような気がして泣いてしまったらしい。(これが彼女の障害なのだが)

その後、娘と話をして仕事をやってみたいという意欲が強かった為、採用されるか否かは別にして実習だけでもやらせて頂けないかと再度お願いすると快く引き受けて頂けた。

それから一週間の実習の間、泣いたのは初日だけで日を追うごとに生き生きと嬉しそうに通勤するようになった娘を見て、事業所の職員さんがおっしゃったように娘に合う仕事なのだろうなという気がしていた。

そして、私も娘が嬉しそうに通う職場がどんな所なのか見たくなった。

週の途中で娘の様子を見に行くという職員さんに同行させてもらえないかお願いすると、職員さんからすぐにオーケーが出た。そして、企業側にも私が見学したいことをお伝えしたら大丈夫でしたとのお返事を頂いた。

私としては邪魔にならないよう影からこっそり見て帰るつもりだったが、企業の方がわざわざ時間を取って説明までしてくださった。

丁寧で誠意のある対応に感激しつつ「こんな会社で娘が働けたらいいな」と思って帰ってきたのだったが、まさか合格できるとは信じられない。

「あのおじさん、○○さんっていうんだけどね、全然怖くないし優しいよ」と途中からわかった娘が言っていた。

というわけで、合格の知らせを受けて喜んでいる娘は、もうすぐ働き始める。

新しい環境に、そして社会に初めて出る娘のことは、今はもう心配はしていない。以前の私なら、ずっと心配が続いていたものだったが。

きっと大丈夫、そんな気がしている。





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2019-11-12 15:19:37 | 日記

ブログを書く前は、大抵これが書きたい、これを書こうと思って書き始めるのだが、たまに書こうと思っていたことを書けずに終わってしまうことがある。

それは書いているうちに話の流れが変わってしまったり、これ以上書くと長くなりすぎて、他人様はおろか自分でも何が言いたいのかわからなくなる場合など。それから、これは滅多にないことだけど、自分の心の深い部分が、それを書くことを許さないので書けないという場合もある。

どちらにせよ、私の文章を書く力が不足していることが大きいかと思う。

ところで前回の記事「家事」もそうだった。一番書きたかったことが書けずに終わってしまった。

これは、ずっと前から書こうかなと思っていたものの、自分の心の深い部分が書くことを許さなかったので書かなかったのだが、やっと「もういいよ」と許された気がしたので、いざ書こうとしたら、なんと文章力の無さからそこが書けなかった記事だった。

というわけで、今日はそこを書こうと思う。

一ケ月ほど前のことだが、いつものようにネットを見ていたら、ある写真に目がとまった。

それは外国の山の写真なのだが、見た瞬間「やっと見つけた」と思った。

その山は、数年前に脳内で鮮明に見た山とそっくりだった。

鮮明に見た山がとても面白い形であり、さらに山と一緒に見えた女性が気になって、時々ネットでその山を探していた。

女性は、もうこの世には存在していないだろう。でも、山ならば今もどこかにあるはず・・・と思っていたが、忘れていた頃に見つかるとは。

映像が脳内で見えるということは、ごくたまに起きる。

オーラの時もそうだが、見えるのは本当にリラックスしている時だけで、それは寝ている時に見ている夢とは違って、起きて意識がある状態の時に見る。

映像は災害の様子だったり宇宙だったり、そして全く自分が知らない、このような外国の山や部屋の中だったり、そしてこの時の女性が初めてだったが見知らぬ人物も見えることがある。

それらの意味についてはここでは書かないが(実際、私自身もわからないので)この奇妙な形の山と女性は、私の過去生に関係するものだと思っていた。

この時は、自分の家の無風状態の静かな部屋にいるにもかかわらず、頬を撫でる風を感じた。また、自分が身に着けているらしい羽飾りが、風に揺れてふわふわと首筋に当たる感触まではっきりとわかった。

映像は、鳥の目のように上空から山を見ながらゆっくりと旋回して地上に降りていった。地上には何もなく、乾いた赤土だけが風に舞うのが見える。

すると、突然目の前に女性が現れた。

真ん中から分けた長い黒髪を三つ編みにして、顔の色は浅黒く、彫りの深い顔立ちをした女性がまっすぐに私を見つめていた。

その表情からは何も読み取ることができなかったが、すくなくとも怒っているようではなかった。

実は、この時の私は男性のインディアンだった。女性は、私の妻とか母親だったのかもしれない。

今の生を受ける前の記憶は女性だったので、もっとずっと古い時代だと思う。

ところで私の記憶の中にあるいくつかの過去生の自分は、いつも一人で生きていて家庭とか家族を持たない暮らしだった。

それは自分の魂が望んだことであり、表明意識ではそんなことはないと思っていた人生もあったが、それでもやはり自分が望んだことだったと今はわかる。

で、ここで前回の記事の「家事」に戻る。

このように一人で生きた幾つもの生を経験してきた結果、今世は家族を大切にして家族のために働く人生を送りたいと思った。

だから今、それができることが本当にうれしいし楽しいと思える。

ところで、この記事で私が言いたかったことは、決して過去生のことではない。過去生なんてどうでもいい。

文章力がないので誤解されないように書きたいが、過去生なんて分からなくても、自分が望んでいる事、やりたいことを今、精一杯やることが大切だということが言いたかった。

やりたいことや望むことがわからなくてもいい。

過去や未来にとらわれることなく、ただ今を精一杯生きること。

私はそのように生きたいと、いつも思う。

過去でも未来でもなく、あるのは今、今、今。今だけ。

ニューメキシコ州「シップロック」


 


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家事

2019-11-08 15:51:47 | 日記

午前11時半近くに長男から電話がきた。

「仕事で近くまで来たから昼めし食べてくわ、12時10分くらいに帰るから」

昼飯食べてくわって、気楽にいってくれるじゃないの。

初めからわかっていれば何か用意していたが、あるのは私がお昼に食べようと思っていたおにぎりが一つと、昨夜の夕食の残りの大根と手羽元の煮物が少し。

それを長男に食べさせたとしても、大食いの長男には物足りないだろう。

時計を見ると、長男が来るまであと40分だ。

さて、どうしようと考える。

そうだ、いいものがあった!とひらめいた。

実は昨夜、道東に住む親せきから新鮮なサンマが届いたばかりだった。

今夜の夕食にしようと、塩を振って冷蔵庫に入れたことを思い出した。

そこでさっそくサンマを焼き、大根おろしを作り、残り物の大根の煮物が少なかったのできんぴらも作った。

それから小松菜と油揚げで味噌汁を作り、主食はおにぎり一つでは多分足りないので、冷凍してあったご飯を解凍した。

長男の好きな焼き海苔も用意してと。

まるで定食屋のおばちゃんだな、こりゃあ・・・そう思いながら髪振り乱して作った結果、長男が帰って来るまでになんとか間に合った。

パクパクとよく食べる長男を見ながら、作った甲斐があったと達成感がこみ上げ疲れも吹き飛ぶ。

ところで同年代の友人たちは、子どもが独立して夫婦二人だけの生活に戻った人が増えてきた。

夫婦二人だけで、しかも若い頃と違って二人とも食が細くなってきたので、食事作りにそれほど頑張らなくてもよくなったそうだ。

それを聞くとうらやましいなぁと思う。

我が家は、長女がいるし今年4月に戻って来た次女もいる。さらには、こうして突然めしを食べに帰って来る長男もいるので、まだまだ定食屋のおばちゃんからは卒業できそうにない。

でも・・・これが無くなったらさびしいだろうな。

食事作りが楽になったという友人たちが、うらやましいと思う反面、家族に食事を作ることが、実は私の楽しみになっているということは自分がよく分かっている。

生れてきて、これがやりたかったんだよなぁなんて大げさだけど、そう思う。また、こうして好きな家事が思う存分できることに感謝している。

主婦がする家事は仕事と違って賃金もないし、頑張っても評価されないし、自己満足だけかもしれないけど、やりがいを感じる。

最近のテレビドラマで、主人公がこまごまとした家事を楽しそうにやっているのを観て嬉しくなった。

そうそう、やって当たり前の家事だけど、やってみると意外と家事って楽しいんだよね~なんてね。

用意した昼ご飯を食べ終わった長男は、お茶を飲むのもそこそこにまた慌ただしく仕事に出かけて行った。

長男も出かけたし、お昼ご飯にしようと思ったら、私のご飯まできれいさっぱりと無くなっていた。いやはや嬉しいやら悲しいやら・・・





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宝物

2019-11-05 16:08:48 | 日記

家族で外出している時に、突然夫が「ばあさんの病院へ行ってみるか?」と言った。

お姑さんの容態が思わしくないということで、「会いに行きたい」と前に私が言ったことを夫が思い出したらしい。

えっ、そんな急に言われても・・・と焦りながらも、「うん、行こう」と口が動いていた。

お姑さんと会うのは一年ぶりになる。

お姑さんの様子は事細かに聞いていたので、痩せ細った弱々しい姿でベッドに横たわるお姑さんの姿を想像すると、会うのが怖いような気がした。

また一年前のまだ元気だった頃に、認知症のせいとは言え、物盗られの犯人だと思われていたことが、会いに行かなくなった理由だったので、またそう言われても嫌だなというのもあった。(夫によると、会ってももう誰なのか分からないだろうとのことだったが・・・)

しかし、それらを考えても会いに行きたい気持ちの方が勝る。

義理とは言え、お母さんになった人だ。家族として一緒に暮らしてきて、嫌な事もあったが、嬉しいことや楽しいこともあった。

会わなくなってから道で年恰好が似た人を見ると、よくお姑さんを思い出した。

良くも悪くも、お姑さんは私の人生にとって特別な存在だったと思う。

さてそんなわけで、一年ぶりに病院へ会いに行ったのだが、お姑さんは今は病室ではなくナースステーションの中にある特別室にいるという。

なぜそこに居るのかと言うと、徘徊したこともあって経過観察が必要だからだそうだ。

お姑さんの部屋に入ると、お姑さんは手に点滴をつけて眠っていた。

そして夫が呼びかけると、お姑さんは目を開けた。

さらに「おばあちゃん」と私も横から顔を出して呼ぶと、私に気づいたお姑さんが驚いたように目を大きく見開いた。

そして、視線はしっかりと私を見つめたまま「おかあさん」と、はっきりした声で答えてくれた。

ちなみに「おかあさん」とは、お姑さんが私を呼ぶときの名称だったが、おかあさんと呼んでくれたということは、しっかりと私を認識してくれたということだった。

「おかあさん、おかあさん、おかあさん」と何度も何度も私を呼び、そしてお姑さんの目からは涙が溢れ、最後は涙声になっても「おかあさん、おかあさん」と呼び続けてくれた。

そんなお姑さんの姿を見て、私も泣いた。横では夫も泣いていた。

私の中に最後に残っていた小さな氷のかけらが、ついに融けて無くなった瞬間のような気がした。

お姑さんは、自分の子どものことさえ忘れてしまったと聞いていたが、この日はちゃんとわかっていた。

夫のことも孫のことも、、、

そして、お姑さんの手を握っていたら「点滴が落ちないですから、別の手にしてください」と看護師さんに言われたので、布団をめくって点滴をしていない方の手を見たらベルトで拘束されていた。

入院前に拘束することもありますと言われていたのだが、すぐに点滴の針を抜いてしまうということで拘束されたそうだ。

仕方がないことかもしれないが、お姑さんがかわいそうでたまらなかった。

ベルトで固定された手は点滴でむくみ、長く手の平を握ったままにしていたせいか、手を開こうとしても固くなって、なかなか開かなくなっていた。

そこで看護師さんにお願いして温かいタオルを貸してもらい、少しずつお姑さんの手を開き丁寧に拭いてマッサージをした。

お姑さんはずっと「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と繰り返していた。

しまいには「ありがとう」に節をつけて、まるで歌を歌っているかのように、ずっとずっと「ありがとう」を言い続けるお姑さん。

「おかあさん、ありがとうありがとう」と繰り返し言い続けてくれたお姑さんのその言葉は、生涯忘れられないものになった。わたしの宝物だ。

こんな素晴らしい宝物を頂いて、私の方こそお姑さんに「お義母さん、ありがとう」と言いたい。


 


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2019-11-01 14:48:54 | 介護

元・お姑さんの部屋で、今は夫の書斎になっている部屋にパソコンがあるため、時々そこでパソコンをしている。

先日もパソコンをしていたら、とつぜん部屋の中でかすかな声が聞こえてきた。

女の人の声で何かずっとしゃべり続けている。

パソコンのキーを打つ手を止めて耳を澄ました。

おばあちゃんの声!?

それは紛れもなくお姑さんが読経する声だった。

慌てて仏間を覗いてみたが、そこにある仏壇の前には当然だれもいない。

どこから声が聞こえてくるのか部屋中を見渡してもわからなかった。

お姑さんは朝夕に、時には昼間も、毎日欠かさず仏壇の前に座って読経していた。

だから施設に入る時には、部屋に置けるように小さな仏壇をあらたに買ったほどで、施設でも毎日お経を読んでいると聞いていた。

それはお姑さんが幼いころからの習慣だそうで、同居してからいつも聞いていたお姑さんのお経を読む声に間違いなかった。

それにしても何故、声がしているのだろうか。

お姑さんに何かあったのだろうか?いや、それはないだろう(そんな気がした)

じゃあ生き霊とか?でも、それほどこの家に執着があったとは思えないし。

それともお姑さんが居た頃の残留思念みたいなものなのだろうか?

いやいや、これは私の幻聴だったりして。それにしてもはっきりと聞こえる・・・

あれこれ考えながら、止むことなく聞こえてくるお姑さんの読経する声を不思議な想いでしばらく聞いていた。

しかし、このままお姑さんの読経を聞いているわけにもいかないので、パソコンを止めて部屋をあとにした。

部屋を出ると声は聞こえず、それからしばらくして部屋に戻ってみたが、声はもう聞こえなくなっていた。

不思議なことがあるものだと思う。

さてお姑さんだが、あれから再び夜中に徘徊をして、入所している方々に迷惑をかけるようになった為、急遽、病院へ入院することになった。

入院しながら次の受け入れ先が決まるのを待つことになったのだが、容体が悪化の一途をたどっている為、次の施設が決まっても行けるかどうかわからなくなってきた。

入院した時はすこし歩けていたのだが、今は本当に寝たきりになってしまったし、それ以上に問題なのは、まったく食事を摂らなくなったことで、現在は点滴による栄養補給をしている。

また看護師さんによると、お姑さんは昼夜逆転して昼間はずっと寝ていて、夜になると目を覚ましているのだとか。

しかし目を覚ましても前のように徘徊する元気はなくて「夜中ベッドに横たわったまま、なにかお経みたいなものをずっとつぶやいています」とのことだった。

それを聞いて、自分の子どものことも忘れてしまったが、お経だけは最後まで頭の中に残っているのだなぁと思い、なんだか複雑な気持ちがした。

実は一緒に暮らしている時、お姑さんの読経はあまりよい気持ちがしなかった。

お供えの食べ物がずっと長く置かれている仏壇の前でお姑さんがお経を読むと、外から無成仏霊が入ってくるような気がした。(気のせいかもしれないが・・・)

また義父の三回忌でお寺に行った時、お坊さんが読経している最中に(不成仏霊に)肩にずしんと乗られて以来、お経に対してよい印象がない。

お経を聞いても成仏できないんだ・・・と思ったというかのか、なんというか。

お経のことは全く知らないので、他のお経は違うのかもしれない。これは私の偏見なのかもしれないが・・・

お姑さんは、もう私が行っても誰なのかわからないだろうと思う。

今は気がつけば、お姑さんに向けて暖かい気持ちを送るようにしている。

離れた場所や会う会わない関係なく、想いは通じるという確信・・・お姑さんの声が聞こえたように、私の想いも届け。



 


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