ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

差し入れは甘酒

2015-09-30 15:18:29 | 介護
「やっぱり複合型デイサービスに行くようにしてよかったですね。
お父さん、ずいぶんお元気になられましたものね」

父の顔を見に行った時、施設の看護師さんにそう言われた。

確かに最近の父は顔色がいい。

相変わらず眠っている事も多いが、面会に行って話しかけると、ちゃんとした答えが返ってくるようになった。

父が複合型のデイサービスに行き始めたのは今月の初めからだ。

そこは普通のデイサービスに比べると介護度の重たい高齢者が多いのだが、職員さんの数も多いので細やかな介護を受けることができている。

そして何より良かったことは、経営母体が父の住む高齢者施設と同じだった為、父の顔見知りの職員さんが多いということで、父や家族にとっては安心感があった。

デイサービスで父の様子を覗いてみると、父は椅子に腰掛けたまま、テーブルに顔をうずめるようにしていた。

デイサービスの職員さんによると、午前中はこうして何とか椅子に座って、他の利用者さんと一緒に過ごし、午後からは別室のベッドで横になっているそうだ。

やはり父には一日を起きて過ごす体力は、もう残っていないのだろうと思う。

テーブルに顔を伏せる寸前でやっと椅子に座っているような父の姿に、もう寝かせてあげたほうがいいのではないだろうかとも思うのだが、父の主治医の先生からは「とにかく筋力をこれ以上落とさないためにも、起きている時間を作りましょう」と言われているし、父を見てくださっている職員さんたちも「できるだけ起きている時間を作らなければ、本当にこのまま寝たきりになってしまいます」と口をそろえておっしゃるので、家族としては「おまかせ」をすることに決めた。

しかしこうやって起きている時間が増えてから、父は食欲も出てきたし、会話も増えた。

そして、何より顔にツヤが出てきた。

デイサービスに行く前の父は食欲も会話も少なくなり、もうダメかと思われるような状態だったが、それに比べると現在はとても元気になったように見える。

やはり複合型デイサービスに入れたことは正解だった。

人によって色々なケースがあるとは思うが、父の場合は無理をさせても起こしていたほうが良かったことは間違いがなかった。

「お父さん、しわもなくてツヤツヤのお肌しているね。うらやましい~」

そう言ったら父は嬉しそうにニヤッと笑って、私が差し入れた好物の甘酒をグビッと飲んだ。

父の食欲が無くなったおかげで、元々軽度だったが糖尿病と言われて高かった血糖値が下がった。

それで血糖値を下げる薬を止める事ができて、甘酒などの糖分を摂るお許しが出たのだった。

また糖分を摂って血糖値が上がることも心配だが、正直もうここまできたら、身体に悪かろうがなんだろうが、父の好きな物を食べさせてあげたいと思う。

飲み込む力も弱くなっているので、喉に詰まらせるような物は食べさせられないが、ゼリーや飲み物などで父の好きそうなものはたまに持っていくようにしている。

そして、いつまでも父のこの嬉しそうな顔を見ていたいと思う。

・・が、いつかは誰もがいなくなる様に、父の笑顔をこの世で見られる時間も、残り少ないのかもしれない。

高齢者は短い時間にあっという間にガタガタと弱ることが多い。

「お父さん、ずいぶん弱ったよ。できれば近いうちに、また逢いに来たほうがいい」

離れて暮らす弟にそう電話をしたら、来月初めに来ることになった。

弟が久しぶりに来ることを話すと、父は目を見開いてうなずいていた。

やっぱり息子が帰ってくるのは嬉しいのだろうなぁ。

来月は久しぶりにきょうだい揃っての食事会をしようと思う。








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揺れるブランコ

2015-09-25 12:39:07 | 日記
私が子供の頃から実家ではいつも何かしら動物を飼っていた。

父が大の犬好きだったし、亡くなった母も子供の頃はカラスを飼っていたというほど動物好きだった。(母曰く、カラスは頭がいいのでなつくととても可愛いのだとか)

色々な動物を飼ってきたが、そんな中でいつでも居たのが小鳥だった。

私が覚えている限りでは十姉妹から始まって、たまに一時的に保護した弱っている野鳥などもいた。

しかし、絶え間なくずっとうちにいたのがセキセイインコだった。
ひなが生まれて増えたり、買い足したりして、実家では何年もセキセイインコを飼い続けていた。

私たち子供がそれぞれ独立して家を出てから、私はしばらく動物を飼っていなかったが、妹は「やっぱりセキセイインコが家にいないと寂しい」と言って、真っ先にセキセイインコを飼い始めた。

以来、妹宅ではずっとセキセイインコを飼っていて、今は父のペットだったオカメインコも引き取っているので、鳥かごを二つ置いて4羽の小鳥たちを育てている。

そして、そんな妹の子供たちも小鳥が大好きだ。

また妹の家族の中で唯一、小鳥を飼ったことがなく「自分は猫派」と言っていた妹の旦那さんも、今ではすっかり妹の影響を受けて、鳥を肩に乗せて嬉しそうにしている。

そんなわけで妹一家はペットのインコたちをとても可愛がって育てているのだが、昨日、妹から電話をもらった。

妹は「まるちゃんが死んじゃったの」と言った。

まるちゃんとは丸々と太ったメスのセキセイインコで、お尻がぽこんと飛び出すくらい、いつも卵を産んでいる鳥だった。
セキセイインコの寿命は14歳くらいなので、それにはまだまだ早い5歳での旅立ちだった。

「卵を産みすぎて、身体が弱ったのかもしれない」と妹が言っていた。

「ところで、まるちゃんが死んだ日に不思議なことがあったの」

そう言って妹が教えてくれた話とは・・・

まるちゃんがカゴの下に落ちて死んでいるのを見つけたのは、朝だったそうだ。

妹も子供たちも涙して、家族みんなでまるちゃんにお別れを言って近くの野原に埋めたそうだ。

その日の夜、午後7時になった時のことだった。

何気なく鳥かごの方をみると、まるちゃんがいた鳥かごの中のブランコが突然揺れ始めたのだという。

それはまるで、まるちゃんがブランコに乗って揺らしているかのように、誰も乗っていないブランコはどんどん大きく揺れ始めたのだそうだ。

そして、誰も乗っていないブランコはしばらく揺れ続けたあとに静かに止まったのだそうだ。

「実はまるちゃんって、うちの家族には{7時のオンナ}って呼ばれていたのよ。
時計が分かっているかのように、ちょうど午後7時になるとまるちゃんは必ずブランコに乗るの。
それもブランコを自分で漕いで、どんどん大きく揺らすのが好きだったの」

妹達はどこかから風が入ってきているのかと周囲を見回したが、そのようなことはなく、その証拠に同じ場所に置いてあるもうひとつのカゴのブランコは全く揺れていなかったそうだ。

「不思議なこともあるものだと思ったら、急に鳥肌が立っちゃって・・・」と妹は言った。

午後7時にブランコが揺れたのは、まるちゃんが死んだ日だけだったそうで、それからはブランコが揺れることは無いそうだ。

これは、あんな小さな鳥にも魂はあるということが証明されるような出来事だと思う。

きっと、まるちゃんは午後7時にブランコに乗ることがよほど楽しかったのだろう。

だから最期に、楽しかったブランコに乗ってから旅立って逝ったのだと思う。

「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあるが、この世に生を受けたものには、たとえ虫であっても魂があるということなのだろうか。

そんなことを考えると、動物の虐待などはもってのほか、絶対にやってはいけないし、虫であっても人間に害を与えるということ以外なら、なるべく無用な殺生はすべきではないのだと思う。



うちのP太郎。

今日も大好きなティッシュの箱で遊んでいる。

縁があってうちへ来たのだから、生まれて来てよかったとP太郎に思ってもらえるように育てたいとはいつも思っている。












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青い池

2015-09-24 16:41:53 | 旅行
シルバーウイークは長男パインが帰ってきたので、富良野へドライブをしてきた。

富良野と言えばラベンダーが有名で、初夏に満開のラベンダーが咲き誇る畑は周囲の空気までが紫色に見えるほど見事で美しい。

またラベンダー以外にも色彩豊かな花々が綺麗に植えられていて、まるで美しい絵のような風景を楽しむことができる。

しかしラベンダーの季節は観光客が殺到するため、美しい風景は見たいものの、なかなか富良野へ行こうという気持ちにはなれないのだが、今はすでにラベンダーの季節は終わっている。

それほど混みあう事もないだろうと思っていたが、やはり人気の観光地だけあって混雑していた。

一応、連休中なので渋滞が予想されるだろうと朝7時に家を出たが、富良野へ行く道はすでに多くの車が走っていた。

今回の観光の一番の目的は富良野の隣町、美瑛町にある「青い池」を見ることだった。

かなり早く家を出発したはずだったが「青い池」周辺は、駐車場に入るための車で、すでに渋滞が始まっていた。

そこで「青い池」から2キロほど離れた「ビルケの森」に車を置いて、そこから徒歩で青い池まで行った。

2キロとは思えないほど長い距離を歩いているような気がし始めた頃、やっと「青い池」に到着した。



行ってみたら、確かにそこは青い池だった!

北海道にあるもうひとつの青い池、清里町の「神の子池」の方が透明度が高いエメラルドブルーだったが、こちらの青い池はやや白濁した水色と言った感じがする。

濁っているのは前日に雨が降った影響らしかったが、それでもじゅうぶんすぎるほど美しかった。

これは十勝岳が噴火したことを想定して火砕流を防ぐために堰堤を作った際にできた池だそうだ。

青く見えるのは水に含まれる大量のアルミニウムが川の水と混ざることでコロイドという物質が作られ、そのコロイドが太陽光によって青く見えるのだとか。

いわば人工の池なのだが、池の中の立ち枯れの木と水の青さが、まるで絵のような景色になっていた。

さて「青い池」を見た後は、富良野の中心市街地に最近オープンしたという商業施設「フラノマルシェ」に行った。

富良野のお土産や農産物が販売されて、飲食店も入っている。

ここも駐車場に入るのにしばらく待つほどの混雑ぶりで、店内は多くの人で賑わっていた。

多くの地方都市の悩みは、商店街に空き店舗が増えてシャッター通りになる事だそうだが、富良野の場合は逆で、空き店舗がなくて、まだたくさん待っている出店希望者をなかなか受け入れきれないことが悩みなのだそうだ。

「富良野」という街の名前は、もはやブランド力があるのだとか。

ドラマ「北の国から」で有名になり、パッチワークのような美しい畑の風景で有名な隣町の美瑛町と共に、国内外から多くの観光客を集めている。

特に海外からの観光客はここ最近とても増えているのだとか。

富良野もそうだが、外国人の観光客が増えたと感じるのは札幌の中心部でも同じかもしれない。

先日、狸小路商店街を家族で歩いていた時のこと。

気がついたら前後左右をぐるりとアジア系外国人観光客に囲まれていて、いつの間にか周囲は外国人ばかりだった。

みなさん、テレビなどで報道されている通りに爆買い?した荷物を持って、大声で何か話しながら歩いている。

一緒にいたパインが「ここは中国か?」と冗談を言ったほどで、最近は本当に海外からの観光客が多いと思う。

しかし、経済的にはお金を落としていってくれる外国人観光客にたくさん来てもらうことは有り難いことなのだろうなぁ・・・



上の写真は有名なお菓子屋さん「六花亭」のオープンテラスから見える富良野の風景。

近くにワイン工場があることもあってか、きれいに葡萄の木が並び、たわわに実った葡萄の甘い香りが漂っている。

ここで買い物をしたりテラスでお茶を飲んだりしている間には、外国語が聞こえてくることはなく、そんなことにすこしホッとした気持ちにもなっていた。










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拠り所は・・・

2015-09-17 15:41:56 | 日記
久しぶりに神社へ参拝に行ってきた。

近くにありながらもしばらく行っていなかった氏神さまの参拝にどうしても行きたかった。

神社へ行く前はいつもそうなのだが、なるべく自分の心を透明に近づけておきたいと思ってしまう。

神さまの前に出る時には、心配事や悩み事などといった余計なことは一切無くして、頭も心もすっきりとした状態でいたい。

そうしなければ自分の中のもやもやとしたものを神さまに見透かされることに、なにか気恥ずかしさのようなものがあり、とてもじゃないが神さまの前に出ることができない。

しかし、ここしばらくすこし気にかかることがあり、頭と心からもやもやとしたものが取れない状態が続いていた。

こんな気持ちでは神様の前に出られないと思っていたことも、しばらく神社へ足が向かなかった理由かもしれない。

しかし昨日はやはりどうしても行きたいという気持ちを押さえきれず、もやもやはまだ取れなかったが氏神さまである神社へ参拝をした。

その神社は地域の中に在る小さな神社だが、いつも綺麗に掃き清められ清々しい空気が漂っている。

そして昔は参拝に訪れる人も少なかったが、マスコミで紹介されたこともあってか年々参拝する人が増えてきて、昨日も次々と参拝客が来ていた。

御祭神は天照大神。

拝殿の前で手を合わせて感謝を捧げ、清々しい空気を吸い込んだら、すこし気分がすっきりとしたような気がした。

さて昨日は氏神さまへの参拝をしたが、そうなれば次は崇敬する神社へも行きたくなった。

・・・というわけで、今朝は相馬神社へ行くことにした。



上の写真はまだ寒い時期の相馬神社だが、現在はご神木である栗の木に葉が生い茂り、まるで森林の中に神社が建っているかのように見える。

御祭神は天之御中主神。

相馬神社の急勾配の参道を登っていくうちに、だんだん心のもやが取れていき代わりに喜びが沸きあがってきた。

拝殿の前で手を合わせる頃にはもう嬉しくて仕方がなかった。

嬉しくて嬉しくて、そして名残惜しくて神社から帰りたくないくらいだった。

今は心のもやもすっきりと無くなったような気がしている。

神社への参拝だけで、こんなに自分の気持ちに変化が起きるなんて、以前は考えられなかったことだ。

ところで、日本人は古来から西洋のように唯一絶対の神を持たず、大自然そのものを神として崇め、時には災いをもたらすような怨霊でさえ神として崇めてきたのだそうだ。

また祖先神と言われるように自分達の祖先も神として崇めることも神道では古来から行われてきたことだとか。

人々は祖先である神々や大自然に感謝をし、時には災いを鎮めるために怨霊さえも祀ってきたそうだ。

このようなことが古来から日本人の精神の拠り所とされてきたのだが、これらを非科学的、迷信だと一笑してしまうことはあまりにも軽率なことかもしれない。

昔、私は神社とは自分の願いをお願いしに行く所であり、個人的な願い事ではなく、ただ感謝をするなどとは考えたことも無かった。

もちろん大自然も祖先も、感謝どころか興味すら無かった。

以前書いたかもしれないが、子供の頃はよく他の人には見えないものがよく見えていたり、大人になってからも心霊現象と言われるようなことに度々遭っていたが、自分で体験していたにもかかわらず、そのような話をするのは恥かしいことで、そんなことは非科学的だと思い込んでいたところがあった。

これは目に見えない世界のことには全く関心がなく、毛嫌いさえしていた両親の影響が大きかったのかもしれない。

しかし、特にここ数年は何か大きな流れの中に、まるで意図的に流されているような錯覚に陥ることがある。

それは唯一絶対神ではなく、大いなる存在、すべてに宿る神という存在を意識した時から始まったような気がする。

迷信でもなく、非科学的でもなく、確かに何か大いなるものが存在している。

それはどこか遠い空の上にいるのではなく、もちろん神社にだけいるのではなく(神社の方がつながりやすいとは思うが)いつも自分と一緒に存在している。

そして、これは誰にとっても同じだと確信している。

そう思う私にとって、古来の人々と同じように大自然や祖先への崇拝は精神の拠り所になっていると思う。











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娘と過ごす休日

2015-09-14 15:30:32 | 日記
昨日は久しぶりに長女チェリーと二人で街の中心部へ出かけた。

「口と足で表現する世界の芸術家たち」という絵画の展示会を見るためだった。

身体に障害を持つ国内外の芸術家たちの作品が展示されているということで、チェリーにも見せてあげたいと思った。

せっかく街の中心に行くので、先日オープンしたばかりのショッピングビルも見てこよう。

チェリーにそれを話すと、とても喜んで「じゃあ、カフェでお茶もしよう」と言った。

チェリーも21歳。

知的障害がなかったら、今頃は友だちや、もしかしたら彼氏なんかと一緒に街へ遊びに行ったりしていたのかもしれない。

チェリーは妹のピーチが友だちと出かけるのをいつもうらやましそうに見ているので、たまには街へ遊びに連れて行ってあげたかった。

本当は新しくオープンしたショッピングビルには、私は興味なかったが、華やかなお店に行くのもチェリーにしてみたら楽しいかもしれない・・・

というわけで、バスや地下鉄を乗り継いで久しぶりの繁華街に行った。

まずは絵の展示会に行く前に、新しくオープンしたビルへ行くことにした。

店内にはオープンのお祝いの花がたくさん飾られ、そして多くの買い物客でにぎわっていた。

そこはドラッグストアが入っているのだが、うちの近所にあるドラッグストアとは大違いで、おしゃれで都会的に洗練された雰囲気を醸し出している。

特に何を買おうと思っていたわけではなかったが、ぐるぐる見て歩いているうちに、そういえば化粧品が欲しかったことを思い出した。

せっかくだから、ここで買おう。

そう思って商品棚を見て歩いたが数が多すぎて、どれにしたらよいのか迷ってしまう。

あれこれ手にとってみたがなかなかコレと決められず、チェリーに「どっちがいいと思う?」と聞いてみた。

チェリーは「こっちがいいと思うよ」と言ってくれたのだが、チェリーに聞いておきながら「でもお母さんはあっちもいいと思うんだよね」などと言って、私はまだ決めかねていた。

まだ迷っている私に、だんだん待ちくたびれてきたチェリーは「おかあさんっ!あんまり迷っていると時間が無くなるよ。まだ展示会も行っていないでしょ!もういいから、こっちを買いなさい」と、ついにチェリーに怒られてしまった。

「そうでした、すみません。こっちにします」と商品を持ってレジに並びながら、私はチェリーに怒られたことをすこし嬉しく思っていた。

チェリーはいつまでも保護してあげなければいけない娘、同年代の子に比べてできないことが多い娘。いつまで経っても幼いままの娘。

それがチェリーに対して、ずっと持ち続けていた私の思いだった。

もしかしたら・・・

もしかしたら、私のこの思いが、チェリーを親がいなければ何もできない娘にしているのではないのだろうか?

ふと、そんなことが頭に浮かんだ。

確かにチェリーにはできないことも多いが、「チェリーはこういう子だ」と思い込んでいる私の思考こそが問題だったのではないだろうか。

チェリーをまだ幼いと思って接する私の態度が、チェリーが大人になることを阻んでいたとしたら・・・

チェリーはたまに、こちらがハッとするような大人びた事を話すことがあった。

でも、すぐにまた赤ちゃんぽいことを言ったりするので、大人びた、まっとうな意見をたまにチェリーが言ったとしてもあまり気にも留めていなかった。

「チェリーには知的障害がある。仕方がない」
いつもそう思っていた。

そう。

確かに「仕方がない」と潔くあきらめることの大切さは、苦しんだ末に私が辿り着いた答えだった。

世の中には「仕方がない」と潔くあきらめなければならないことがたくさんある。

だから事実は事実として受け止めなければならないと思う。

だが、状況を良くしていくことはできるはず。

チェリーはもう21歳の大人なのだった。

チェりーに対する私の思考を、もう変えなければいけないのではないだろうか。

チェリーに「こっちがいい」と言われた化粧品をお店の人に包んでもらいながら、そんなことを考えていた。

ところで一番の目的だった絵画の展示会「口と足で表現する世界の芸術家たち」は素晴らしかった。

ハンディキャップをもろともせず、口や足に絵筆を持って描いたとは信じられないような素晴らしい作品の数々だった。

人間にはすごい力があるのだなぁと驚いた。

ハンディキャップがあっても、本人の努力と周囲の人々の協力があれば、こんなに素晴らしい作品だって生み出すことができるのだ。

チェリーも興味深そうに絵画を見て歩き、帰りはカフェでチェリーと二人ゆっくりお茶をしてきた。

歩き通しでちょっぴり疲れたが、チェリーと楽しく充実した休日を過ごすことができたかな。

あらたな気づきを得たことも収穫だった。










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実りの秋

2015-09-09 18:02:07 | グルメ
朝夕が涼しいどころか寒くさえ感じる今日この頃・・・すっかり秋になりました。

8月下旬頃には夏が終わってしまうことを寂しく思っていたはずだったのに、今はそんなことなどすっかり忘れたかのように秋の実りを楽しんでいる。

店先に山積みにされた1本80~100円ほどのとうきびは、塩茹でにすると甘くておいしい。

昔はとうきびを1本食べるくらい余裕だったが、今は三分の一本ほどでじゅうぶん。

美味しくてもっと食べたいと頭では思うのだが、悲しいかな身体が受け付けない。

年齢と共にだんだん食が細くなっていくのは、周囲の先輩たち(父や義母)を見ていても分かる。

しかしそうは言っても、うちには食べ盛りがいるので、今日もまた欠食児童?に食べさせるべく食堂のオバサンと化している。

ところで秋の味覚と言えば、いくら漬けは欠かせないと思う。

ご存知いくらは鮭の卵だが、「いくら」と言うのはバラバラにほぐれた卵のことで「バラ子」とも呼ぶのだが、お店ではいくらにする前の「すじこ」で売られている。

その生のすじこを買ってきて、自分でほぐして醤油漬けを作る。

作り方はとても簡単で40~42度くらいの塩を入れたお湯の中に生のすじこをポチャンと入れて、アライグマのようにすじこを両手ですりすりすると、アラ不思議、バラバラのいくらになる。

それを醤油、酒もしくはみりんなどお好みで味をつけて一晩置くと「いくらの醤油漬け」の出来上がり。

100グラムあたり300円程度から売られているので、お店で「いくら丼」を食べるより断然手作りをしたほうがいい。

たっぷりといくらをかけて召し上がれ~



というわけでいくら丼ですが、実はこれは若い人用で、お姑さんや夫、そして私の中高年組はほんのちょっぴりしかいくらは食べないのです。

なぜならいくらはコレステロールが上がりそうだから。

怖くて食べられません。。。

ところでコレステロールを気にして、いくらが食べられないのではなく、将来いくらはおろか鮭も食べられなくなる日が来る!?かもしれないと水産関係の商社に勤務する知人から教えてもらった。

現在、海水温度の上昇などで漁獲量が減っているうえに、ロシアの流し網漁禁止法が成立したので魚がますます手に入らなくなってくる。

また輸入でも、今まで魚を食べなかった国が魚を食べるようになり、そうした国々との買い付け競争に日本は買い負けすることが多くなっているそうだ。

知人曰く「今まで魚を食べる習慣のなかった国は自国の食文化を守ってほしい。魚は食べないでもらいたい」と憤慨していたが、そんなことも言っていられないのだろう。

今後、魚の値段が上がることを見越して、知人の会社ではこの先二年分の鮭を買ったそうだが、鮭だけではなく他の魚介類でも同じことが起きていると言う。

近い将来、いくら丼は庶民には手の届かない超高級料理になる日が来るのかもしれない。

そしてまた秋の食卓も変わっていくのかもしれない。






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たがやせ!日本

2015-09-04 15:56:08 | 旅行
ニセコ方面へドライブをした。



蝦夷富士と呼ばれて親しまれている羊蹄山(ようていざん)が綺麗に見えていました。

羊蹄山の周辺は、羊蹄山からの伏流水が豊富に湧き出していて、水が綺麗なことでも有名であり、湧き水は誰でも無料で汲める場所がいくつか設けられている。

休日ともなると、湧き水を汲もうとペットボトルを持った人たちがたくさん来ている。

こちらは、そんな湧き水を汲むことのできる場所のひとつで「京極ふきだ公園」



国内最大クラスのもので、一日の湧き水量は8万トン、なんと30万人の生活水をまかなうことができるのだそう。
神の水「カムイワッカ」と呼ばれるにふさわしい澄み切った清流です。

今回はうっかり水汲み用のタンクを持っていくのを忘れてしまったので、清流を見ながらの散策だけだったが、公園内でなんとも可愛い建物を発見した。


切り株型のトイレです。
「トイレ」ではなく「便所」と書かれている所もいいですね~

ところで農園が広がる羊蹄山周辺では、今の時期は収穫されたばかりの新鮮な野菜を買うことができる。

直売所や無人の販売所、それから公営浴場内でも安くて新鮮な野菜が売られているので、あれもこれもとついつい買い過ぎてしまうが、野菜の買出しもまたここへ来る楽しみのひとつになっている。

そして昼食は、自社で栽培した野菜を使った料理を出す「ファームレストランじゃが太」でコロッケセット(840円)を頂いた。



きたあかりと男爵を使った二種類のコロッケは、衣がさくさくで中身がほくほく。

熱々のコロッケは最初は何もつけず、そして次はソースをかけて食べてください・・・とのことで、素材が良いので何もかけなくてもじゅうぶんに美味しかった。

ほかにはポテトサラダと豆乳グラタン、野菜スープ、付け合せ野菜、イナキビ入りご飯かパンが付く。

どれもみんな美味しかったが、とりわけ美味しくてびっくりしたのが「パン」だった。

以前来た時にはなかったパン屋さんがレストランの隣にオープンしていて、そちらでは自家栽培の小麦と天然酵母を使ったパンを作っているそうだ。

パンの販売もやっているが、こうしてレストランでも食べることができる。

お皿からあふれ出さんばかりのパンは、噛むほどに甘さと香ばしさが口の中に広がってうまい~!

道理で隣のパン屋さんに絶え間なくお客さんが入っていくわけだった。

パン屋さんの名前は「地粉パンまる麦工房」

じゃが太、まる麦工房の詳細はこちらから見ることができますので興味のある方はどうぞ→アグリステーションようてい

さて羊蹄山周辺は、どこまでも見渡す限りの農地が広がっている。

まさに豊かな大地といった感じがする。

ところが、こうして私たちの食料をまかなってくれる農家や酪農の次世代がなかなか見つからないことが問題になっているという。

若者は都会に出て行き、どんどん高齢化と過疎化が進み、誰も耕さなくなった畑が放置され荒れ果てていく。

これは北海道に限らず日本全体で起こっていることなのかもしれない。

東北のある村を車で通りかかった時、大きな立て看板が目に入った。

「たがやせ!日本」

そこにはこんな力強いスローガンが書かれていたが、やはり後継者不足なのか放置されたような農地が見られた。

現在、新規の就農者に対して研修や支援を行っている地方の自治体が多くある。

やる気さえあれば知識がなくても農業や酪農を始めることができるそうだ。

数日前、テレビにリストラされたという男性が出ていた。

高齢の父の年金を頼りに暮らしているそうだが、ずいぶん生活が苦しそうだった。

もしも私が彼ならば、老いた父親を連れて農村へ行くだろうと思う。

今いる世界だけが全てではなく、生きていく道は百通りもある。

自然相手の農業や酪農は、やったことの無い者にはきっと想像もつかない苦労があるだろうが、天候を気にしながら土にまみれて動物や作物を育てて暮らす生活は悪くないと思う。
(なにより土は癒しを与えてくれる)

現在、日本の食料自給率は40%以下。
北海道は200%近いが、全国にある後継者のいなくなった土地をみんなで耕せば、じゅうぶんに自国でまかなえるだけの食糧自給率にすることができるだろう。

「たがやせ!日本」

人がほとんど通らないような場所に立てておくにはもったいないくらいの良いスローガンだと思うのだが・・・










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勉強不足でした・・・

2015-09-01 17:34:32 | 介護
ここ数ヶ月間で急激に弱った実父だが、ケアマネージャーさんをはじめ、高齢者住宅で介護にかかわって下さっているスタッフの方々が集まって、父の介護の見直しについての話し合いをしたのが先月のことだった。

もう一人で歩くこともできず、車椅子になることは明らかだった。

行く度に弱っていく父を、なんとかしてやれないものかと歯がゆい気持ちが募るばかりだったが、すでにリハビリをするような体力はなく、「それよりも日常生活の中で、すこしでも起きている時間を増やすことがリハビリ」とおっしゃったリハビリ担当の先生のお話にやや落ち込んだ。

会議があったのはちょうど夏の暑い盛りであり、私が気になったのは水分補給だった。

父はもう自分で冷蔵庫から飲み物を出して飲むなんてことはできないし、それより何より目の前に水があってものどが渇くという感覚が鈍くなっているのか、自らすすんで飲もうとはしなかった。

ヘルパーさんにそのことを聞いてみると「たしかに・・・三度の食事の時はコップ1杯の水を飲んでもらっているのですが、自室に戻ったら飲んでいないですね」とのことだった。

暑い時期に一日コップ3杯だけの水というのは少なすぎるのではないかと思った。

その辺りのことをなんとかして欲しいとケアマネージャーさんに相談したのだが、「高齢者住宅というシステムは介護のついているアパートみたいなものなので、自室では本人の責任になってしまいますね」となんとも頼りない返事だった。

ヘルパーさんには掃除と洗濯をお願いしているだけなので、特別養護老人ホームのように水分補給までやってもらうことはできなかったし、日中は起こしておいてもらうといっても、ずっと父に付いていてもらうなんて無理だと分かっていた。

ましてや、今はどこの介護施設もそうだが人手不足。

きめ細やかなサービスは望めないのだろうか・・・

水分補給を含めて、父の身体の機能を維持する方法など、なにか手立てはないのだろうか・・・

ケアマネージャーさんに言っても、上記のような返事が返ってくるばかりで、なんともすっきりとしない気持ちのまま「やっぱりほかの施設に変わったほうがいいかもしれない」と思いながら会議が終わった。

部屋に戻り、相変わらずベッドに横たわっている父のそばに座っていたら、ひとりのヘルパーさんがやってきた。

さきほどの会議に出席してくれたヘルパーさんだった。

「会議の間、私ずっと言いたかったことがあるんです。
それはお父さんをこのままにしていてはいけないんじゃないかってことです。
このままではますます弱るばかりだと思います」

そうおっしゃるヘルパーさんは、毎日父の様子を見ていて、家族である私よりも父の様子を知っている方だった。

「今更こんなことをお伝えすると、ケアマネージャーさんに叱られそうですが、複合型サービスをしているデイサービスに行かれるとよいと思います」とおっしゃった。

そういえば会議中、このヘルパーさんが「複合型・・・」と言いかけて急に口をつぐんだのが気になって「なんですか?それは」と私が聞いたのだった。

しかし、ほかの方が話し始めて、結局そのヘルパーさんが話の続きをすることはなかった。

「さっき話をやめたのは、ある方に睨まれたから・・・
よけいなことは言わないようにしようと思ったんですけど、でもやっぱりお父さんのことを思ったらご家族に情報としてお話したほうがよいと思ったんです」

ヘルパーさんが教えてくれた複合型のデイサービスとは、看護師さん、ヘルパーさんなどが常に複数常駐していて、ほかのデイサービスでは過ごすことのできない重度の高齢者も受け入れをしてくれるのだという。

常に介護のプロの目が複数あるので、水分補給はもちろん日中だれもいない部屋で過ごすのとは違って、家族も安心してお任せすることができる。

ヘルパーさんに教えていただいた複合型の事業所は、その日のうちにすぐ見学をし、そして父をお願いすることを即決した。

父が通うという形なので、慣れた高齢者住宅にはそのまま住み続けるので、父にとっても負担がない。

教えて下さったヘルパーさんにはお礼を言って、もちろん誰に教えてもらったなどとは一切言わず、複合型に行くことをケアマネージャーさんに伝えた。

そして今、父は複合型のデイサービスに毎日通っている。

ヘルパーさんによると「起きたくない。行かない」と駄々はこねるものの、いざデイサービスに行くとトロ~ンとした目がぱっちりおめめになって、食欲も旺盛になり声も出るようになった。

父の病気、レビー小体型認知症は体調の波があるのが特徴なので、たまたま調子が良い日がつづいているのかもしれない。

しかし、やはり複数の目があるということが何より安心できる。

またいつも一人の部屋で寝ているだけだった父にとっても、周囲に人がいることが良い刺激になっているような気もする。

それにしても、気になるのはヘルパーさんのおっしゃった「睨まれたので、話をやめた」とのこと。

事業所内でなにか利害関係でもあるのかと思ったが、「ないです」とのことだったが・・
結果オーライなので、それはいいか・・・

介護に関しては、情報は多いほうがいいとあらためて思う。

何も分からない家族にとって、ケアマネージャーさんの情報は頼りの綱的なものがあるので、やはりケアマネージャーさんは常に勉強してほしいと思う。

そしてヘルパーもですね!

ハイ、私のことです・・・









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